古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2004年11月30日(火) そして・・・神戸

みなさんお元気ですか?

私は「あさがおブラス」もブラボーつきで無事終了して、そのあと「そして、神戸」でした。。ま、その間パソコンは壊れてるわけで日記もかけなかったんですけど。

神戸にいってたんです。
仕事ぶりよりも、ほめられたのは「前川清」のまねをした時です。
「そして・・・神戸」の歌がこれまでになく絶賛をあびました。
半分くらいは風邪をこじらせていたので記憶がありませんが、観光もせずホテルに即行もどって、サービスビデオの「トロイ」ばっかり見ていました。
半分ねてるので通してみれたためしがありませんが、何度もつぎはぎでみていくうちに話がやっとわかった感じ。

最終日は、飛行機までに時間があったので、ユニバーサルスタジオにいくことに!
あんまり興味もなく、特別いきたいと思ったこともありませんでしたがいってみたらすごく楽しかった。
スパイダーマングッズを素直にあれこれ買い求めてきました。

神戸の人々はとても親切でした。
前に行ったときも思ったけれど、道案内がすごく親身。
札幌もこうなればいいな、というか自分もそうしたいなと思いました。





2004年11月18日(木) したいこと、できること

したいことはたくさんある。でも、できることってなんだろう?
自分が少しでもかわったり、動いたりして、したいことができることへかわっていく。それがすごくうれしい。
したくてもそう簡単にはできないこともある。
でもやるまえから諦めてはいけない。
いったりきたりして、やり直したり方向変換したりして、できることを増やしていくのが楽しい。
模索していくうちに、できないと思っていたことも、やり方をかえたらできたりすることもある(いつもそうとは限らないけど)。

うまくいかないこともある。
でもかならずその中に、「なにかに気付きなさい」というサインがあらわれている。

夢がすべてかなうわけではない。でも、なにかをのぞむことにはすごい意味がある。それが自分にエネルギーをあたえてくれるものならば、かなわないことすら意味があったことになるのである。

こんなとき、歌を思い出すのです。
「ゆめからさめた、これからもあなたを愛してる」っていう歌詞の歌を。
さめることは悲しいことじゃなく、なにかの新しいはじまりなのだと思う。




2004年11月17日(水) しかし

高邁な理想とはうらはらに私の忍耐力、精神的な持久力は明らかにコンパクト化されている現実をあらためて思い知った。

なにせ苦手な練習をしていると苦しいので、カタルシスより先に「あきらめ」とか「ま、いっか」みたいな妥協がすぐにうかんでくる。
曲がどうとかいうのも気になる、もちろん。
でもそうじゃなくてもっと基本的にあれこれ気になる。
できないことが思い付きすぎて、思いつめてしまうので練習室にながく座っていられない。ちょこまかやってみてるって感じ。
あまり長い時間、何も計画しないで漠然とやってりゃいいと言うものでもないけど。

よく、体力が落ちると言うけど、私は体力は10年前より今の方が安定してます。
よく、「若い時はもっと吹けた」っていう説もきく。けど私は若い時に別段ひらめき続けてうまかったわけでもないのであんまり気にならない。
ある意味、うらやましい。「昔は楽だった」っていえるのが...。
どう思い出しても、「楽だった」「今よりタフだった」みたいな時期はこれといってなかったように思う。

しかし!!「忍耐力」は格段におちたように思う。
つまり、長い時間集中していられないので、練習の質を保てないのです。
これって立派に絶望にあたいすることじゃないでしょうか。
しかしあきらめてもしかたがないのでやるしかないんですけど。
昔の練習の質がよかったとも思わないんだけど、たんにもっと集中できたらいいのにな〜って思う。

というか、もっと誠実に。と思うと、楽器を吹いてはいたものの、この誠実さ、というのが極めて地味な積み重ねがないとテにはいらないものなんだと今さら再確認しています。

うう〜。もっとテキトーふいてすごくうまかったら楽なのに。
などと、おかどちがいにふざけたこともどうしても考えてしまうダメ人間な私でした。

しかし「やるしかないのもわかっている」のだった。
『雲よりも高きところを空という』
雲をつかむような思いといいますが、自由な空はもっと高いところにあるのです。



2004年11月15日(月) みぞれまじりの雨

が、ふってますねえ...。寒い季節になりましたよ。

たくさんの方の応援により、心にかなりの平和を取り戻した私は、とりあえず練習をすることに(笑)。
久々あれこれ引っ張り出してきた、ドイツ語の辞書とか会話集をみてたら知恵熱もでそうになった。

それで、「練習のしかた」について、あれこれ考えていたんですが、ものすごく簡単なことに気がつきました。

自分に一番たりない練習は、自分の一番やりたくない類いの練習なのだと。

こ...これって、あ、あたりまえ??

しかし、重大な基本に気がついたので今日は苦手なことをあえてじっくりやることにした。私が苦手なこと。「それはじっくりとりくむ」ことそのものかも、しれません。。おはずかしい....。
でもすっごい疲れた。おやすみなさい。





2004年11月14日(日) 笑顔は美しい!

今日も「あさがおブラス」の練習をする。
萩原さんによる「しっぽ」の説明、「響き」を循環させること?によって音色が劇的にかわる経験がみんなで一緒にできたのはとてもよかった。
しっぽの説明というのは「アレキサンダーテクニック」からきているものです。
本にかじり付いて一人で理解するよりも、把握している人に説明してもらえると随分わかりやすいものですね!!
ちなみに私のしっぽは恐竜にしました!
意味がわからない人は萩原さんにおたずねください。

予想外なことがあったせいで、こちらの精神状態が汚染されかねないと危惧していた最近。
練習の後、琴似のきのとやにいって「琴似店限定」のケーキセットを注文する。
これがすっごいおいしかった。珈琲もそのたびいれてくれるしおかわり自由。
そして、カウンターのお嬢さんの笑顔がとにかくおだやかで美しい。正直いってもともとが美形というのもあるけれども、やはり、顔のつくりがよいと言うこと以上にその人の気持ちのあり方とか、表情が大切なんだなってほんとに思いました。
大変だからっていらいらしたら負けだよね。
なんかその人の微笑みをみていたら、自分がかりかり(練習とは別件です)しているのが気恥ずかしくなりました。

自分の心は自分で守らないと!通りすがりで一期一会かもしれない人にも自然な笑顔をみせることのできる人になりたいし、そうありたいと願う。
実際それができてしまう人がいるのだから。





2004年11月07日(日) あの曲って実は簡単?

ある時に、
「古畑さん、あの曲って実は簡単なんでしょ?」
と尋ねられました。
何やら、私が大変がっていたその曲を、トランペットのどこの誰ともわかりませんが「簡単だ」とおっしゃったらしいです。

その方が実際どれだけ達者なのか知りませんが、譜面が比較的テクニカルかハードじゃなければイコール簡単って言える神経って私はわからない。

実際は、一曲で吹けば比較的安全なものも、他のプログラムとのかねあいで命がけになることも(笑えないところ)ありますから、どんな曲でも、自分が演奏する限りは「つなぎ」って感じの取り扱いはできないし、楽観できません。第一「これはつなぎの曲なので楽勝なんです」って演奏は、聴いてる方々に失礼じゃないですか?

もちろん、負担の軽い曲、重い曲ってのはあります。
でも、負担の比較的軽い曲だからといって、だからその曲にいれる思いとか誠意まで軽くするわけにはいかない。
だから、簡単というのは私的には、まずありえません。

楽譜どおりに演奏するのが、クラシックの基本だとすると、その人の発言は楽譜がシンプルであれば演奏するのが簡単だという話しになり、「基本をまっとうする」ことがどれだけ深くて難しいことなのかということに対してあまり緊張していいないことをばらすようなもじゃないでしょうか。

でもその発言をした人が、口でそう一見尊大なことを言ったにしても、もしその「簡単な曲」の演奏がすばらしければ、別にかまわないんですけどね。
プレイヤーの本業はプレイそのものですから。
でも心のもち方って、どんなにうまくてもばれるから...。

まあ、これが楽器の下手な人間の「負け犬の遠ぼえ」にきこえる可能性も十分にありますけど、私はそう思われてもかまいません。

プログラムの構成がどうとかいう問題とは別に、私にとっては「楽勝曲」は今まで一曲もありませんでした。
むしろ、シンプルな曲でどれだけ聴いてくれた人々から「自然とわきたつ」ような拍手をもらえるかどうかっていうのは、一生の課題だし、一生満足できないものだし、油断は禁物だしおごりを持つ人は見抜かれる。

たとえば、ピアニストがモーツアルトのメヌエットなんかを、運指が簡単だというだけで「あ〜あれは簡単だよ」っていえるかなあ?
申し訳なさそうに頼まれた時に、相手を思い遣って「あれは簡単だから弾いてさしあげますよ」ってフィーリングでの言い方はありえたと思うけど、簡単な曲だから自分は楽勝ですみたいな言葉はきいたことがない。

この話しから逆説的に、まだまだトランペットはテクニカルなもの、ハードなものをマスターすること事体がまず一番偉大である、という視点から開放されない音楽の中に存在しているという、現実が見受けられる。


さみしい。くやしい。簡単だなんて、あってはならない。














2004年11月03日(水) 頭の中は

相変わらずクレッツアー氏でいっぱい。いきおいで松田師匠にファックスをおくる。しかしそれだけではおさまらず電話をしてしまった。
「先生!昨日はありがとうございます」というと、
「亜紀ちゃん、あの...、僕ね、亜紀ちゃんからのファックス今ついたばかりで読めてないんだけど...ん〜。おつかれさま。」
「あの、すっごいうれしかったです。」
「よくわかるよ〜。...あのね、お電話いただいたのに大変申し訳ないんだけど、僕は今たてこんでいるから、後から電話するからね」
と言われました。
状況をわきまえず自分のいきおいだけで続けざまに行動してしまう。
師匠が、弟子である自分にいろいろと配慮したものの言い方をして下さっているのに、それに対する返答ではなく、自分の感情をはなす。
自分の「単細胞」ぶりはおそろしいものだとあらためて自覚しました。

最近予想外のことも重なり、ちょっとストレスに負けそうになってましたが、偶然ちょぴっとクレッツアー氏と遭遇しただけで自分がこれだけ超おめでたくなるのも予想外。
いっぱいトランペットの名手が来札されていたわけですが、私は本能なのかなにかわかりませんが自動的にクレッツアー氏の大ファンに。
いやファンというか、うまくいえない。素敵すぎた。

クレッツアー氏は松田師匠のベルリン時代のお師匠さんにあたる方です。
しかし、師匠からは、クレッツアーのファンになるようにしむけられたことは一度もありません。
「僕もこう教わったんだよ」
というお話は何度もうかがってましたが、まさか直接お話できるなんて。

客観的には、キタラから駅の方にむかって歩いているところにたまたま自分がいただけですが、勝手に
「神様があわせてくれたんだ。」
などと幸運きわまりない気持ちになっています。

私がクレッツアー氏の演奏をじかにおききしたのは、91年頃の札響定期「アルペンシンフォニー」です。
本当にすばらしかった。
単に卓越しているというのではなく、すべてのフレーズに「誠実な心」を感じました。どんな役割をはたす場面であってもそれは決してかわらないものであり、今回のコンサートでもそれは伝わってきました。
「自分がどれだけうまいか」
「自分がどれだけすごいか」
それをあらわせること事体、十分にすばらしい。十分に天才だと思う。
でも、
「自分自身よりも音楽にたいして誠実であること」
を伝えられる人って本当にすばらしいと思う。
どんな時でも心に不動の静寂がなければ自分の音はきけないものなんだろうと思い、きけない人は同時に吹けない。

あたりまえのことかもしれないけど、本当にほんのちょっとお話しただけで、厳しく自己管理されたクレッツアー氏の「心の静寂」、それを持つ人だけがあらわれる繊細な優しい空気が、私の心の刺を抜いてくれたような気がします。

ベルは身体の前方向にむかっている。
でも音楽はからだの後ろにあるもので、前に出すことだけにエネルギーを使うと後ろにあるものに栄養がゆきわたらない。
すごくむずかしい。でも、世の中にはそれができる人がいるんです。






2004年11月02日(火) マルティンクレッツアー氏ご来札

は〜。ベルリンフィル聞きにいきました。
プログラムのご説明などは省略します。

後半はラトルシート最前列で拝聴しました。おどるバレンツアイもすばらしかった。が、私の目はやはり「微動だにしない」マルティンクレッツアー氏にくぎつけに。
ソロトランペットではなかったこともあり、ドビュッシーで一番クレッツアー氏の音がきけたかなと思います。

遠くからみてるだけでもかなり満足していたのですが、帰り道うきうきしつつもやはりぼんやり歩いていると、トランペットのケースをもったクレッツアー氏が「フツー」な感じでセクションのかたがた、松田師匠などと歩いていったんです。
面識のない私は声をかけるわけにもいかず、ただやみくもにまいあがってしまい、
「あ、あっ...あっ...」
とうめいているとクレッツアー氏はふりむいてくれた!!!

ドイツ語もろくにはなせないのに、まいあがってるせいでさらにめちゃくちゃに。テも足もでないってこのことだ。。
しどろもどろで、いったいなにいってんのワタシ?って感じで、
「助けてくれえ〜」と思っていたら、
助けてくれたのはクレッツアーさんの方で、あれこれ話しかけたり尋ねて下さったりしました。
「アルペンシンフォニー感動しました」とか言いたかったのにアタマの中がわやくちゃで何も役にたたない私の口。うわーん。

クレッツアー氏の非常に紳士的な雰囲気と、ひとめみてわかるかっこよさは弁説につくしがたいもので説明できません。
いや、かっこいいとかそういんじゃなくて...
そういう鼻先をかすめる風のようなものではなくて、なにかこうずっしりとしているんだな。それが太くて重いというのではなくて、繊細なんだな。


本当に短い時間だったのにすごく幸せだった。




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