古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2003年07月31日(木) 清水修先生の思いで

清水先生は中学校3年生の時の担任で、保健体育の先生
でした。妹が、中学教師で御会いする機会があるらしい
ので、卒業以来一度もごあいさつしていませんが、ここ
に先生の思いでを書きます。


合唱コンクールのときに、先生はクラスのために、その当時
はまだあたらしい性能だった「CDのきけるダブルラジカセ」
を購入されていた。これで録音とダビングができるからとい
って操作を説明してくれました。
そして、伴奏ではあったものの、練習指揮をする私に、特別
にといって、指揮棒をかってくださった。
「どんなものがよいのかわからないけれど、楽器屋さんに
いって選んで来たよ」
といってわたしてくださったのを覚えています。わたしは、
体育系の行事は学年トップなのに、文化系の行事がからき
しだめなクラスのために先生ができるだけのことをしよう
としてくださっていると思いました。

歯の矯正をしはじめたことを三者面談のときにはなすと、
「口の中になにかあるというのは、精神にあたえる
 影響があるから、デリケートに考えなければいけないね」
といいました。
私はそういう先生の方がよほどデリケートな人なんだなと思
った覚えがあります。よくそこまで人の心配ができるものだ
なあとおどろきました。

また、クラスで卒業の祝いをあげるときに、私は田屋にいっ
て、自分が一番かっこいいと思ったネクタイを買って来まし
た。当時の先生はネクタイがなん通りかしか使ってなかった
からという理由です。紺とシルバーグレーのストライプで、
ハンサムで細い先生に似合うだろうと思ったからです。
卒業式がおわって何日かたったころ、先生は実家に訪問され
て、「ぼくの好きな柄だったよ。」とおっしゃってわざわざ
お礼をいいにきて下さいました。
つねにまごころがあり、生徒のためをおもって尽くす先生で
した。正しいことをつたえるのに妥協しないで話す姿は、当
時の年令の子供だった私達には、むしろまっすぐすぎてうけ
とめられないときがあり、先生は悲しい思いをしたこともあ
るかもしれません
が、みんな本当は先生がただしいとわかっているのです。

保健体育の時間のときに、栄養素のおぼえかたをだじゃれで
説明していたのを今でも覚えています。
例えばビタミンCが足りないと、「脚気」になる。というこ
とを「かっけっこいちばんC」など。
また、ものを暗記するときには、自分のからだにあてはめて
上から順番におぼえていくと忘れない、などと説明していま
した。北高の出身で、みんなはどうやったら頭がよくなるの
か先生にたずねたら、「簡単だよ、やればできる。」といっ
て一生懸命説明していました。

体育の先生というと、やたら、びしばししてる印象がありま
すが、清水先生はどちらかというと、情緒がきめ細やかで、
気持ちの交流を大切にする先生でした。生徒がたとえ心を閉
ざしても、あきらめないでずっととの扉をたたきつづけるよ
うな。
そして、泣かないけど、伝わらない(というより伝わってる
んだけど生徒が反応しないとき)ときにいつも悲しそうで涙
ぐんでいました。今でも、あそこまで人にむかっていけると
いう人にそれほど出会いません。「大人のずるさ」のない人
でした。
教師だから、という以前に人にまっすぐ対峙する真摯な姿勢
をおもちであった先生を尊敬しています。
とにかくいつも一生懸命。

卒業式の時に、自分の手形をおした色紙を全員にくれました。
私の色紙には、「実行力のある人に」と書かれていました。
母親はそれをみて、「ほんとによくわかってるわね」と感心
していたのをみて苦笑いしたものです。
それは今の自分にも座右の銘として、必要不可欠な言葉とし
て生き続けています。

余談になりますが、先生が羽賀研二に似ていると評判でした。
学校の先生にしてはスマートな印象の清水修先生。今でも
お元気でしょうか。



2003年07月30日(水) 始動

しばらくぼんやりしていましたが、実はやることがいっぱい
あった事にようやく気がつきました。マイペースでいられる
ほどの余裕はないのね...。

中学校の時の音楽の先生の家に突如遊びにいくことになって
水菓子をもっていきました。ざっと5〜6時間はいました。
最近食欲不振なんだけど、数日に一回思い出した様に「どか
食い」してるみたいな現象がおきます。昨日はそのタイミング
にあたったのと、お料理がおいしかったのでだされたものを
ほぼ食べきりました。
その先生とは8年降りくらいでしたが、案外昔の話しというの
はでてこなくて、主に、ヨーロッパでの生活の話し(先生ご
夫妻は非常に詳しい)と、チェリストとしてご活躍の息子さん
の話題になりました。来月と再来月に帰省してコンサートする
そうです。
先生のお宅は、昭和30年代につくられたものだそうでしたが、
昔の電話(話すところと、聞くところがべつのもの)が現存し
てたりで面白かったです。中学校のころ、ベニスのお土産で
キーホルダーや切手を買って来てくれたことを今でも覚えて
います。

そして、調子にのってすすめられるままにワインをどんどん
飲んだので、かなり上機嫌で帰宅する際、だらしなく歩いて
いたせいなのか、まだ夜も8時半程度だというのにまた
「からまれ連鎖(リングの再放送に影響された言葉?)」が
発生しあきれました。なぜかって、私はお出かけ服をきて
比較的いつもよりおしゃれしてたのは認めますが、片手に
先生タクからいただいた「ます(生さかな)」を新聞紙に
まるめてもって歩いていたからです。先生のお家と私の家は
比較的近いので、その程度の梱包でも間に合うのですね。
でも、私だったら、生の魚もって歩いてる人をナンパはしない。
絵的にさまになってないからです。私がナンパするとしたら、
そうですね、モデルみたいなクールビューティー系かもしくは
路線をかえてぽっちゃりしてダイナマイトな超若いコが
いいです。絶対妥協しないぞ!妥協するとファイトやアイディア
にとぼしい行動になってしまうのはナンパにかぎったこと
ではない(なんでここでえらそうなコメントになるのか?
やっぱり酔っぱらってるのか...)
ていうか、麻生でナンパするなよ...。だいたいあのあたり
を歩いているということは「お家にかえる」ために通り
すがっているに過ぎないので、ことわられるのが関の山
じゃないのか?もっと本気でナンパを研究しろよと思った。
「適当に、その辺でつかまえよう」ってところがそもそも
ファイトがなさすぎるんだよ君たち...。どうせやるなら。
ん〜、たとえば、「あそんでください」とちらしをくばる
とか、「僕の優香ちゃん募集、ウオーターボーイズが待って
ます」など明記した看板を、クレジットローンやパチンコ
の勧誘のようにださいジャンパーをきて歩き回るとか思い
きり恥ずかしいことをどうどうとやってみせてほしい
ものだよ...。

などと、できごとつられてどうでもいいことを深く考えるのは
時間の無駄というものだ。
こうして書いているうちに酔いもさめてきたのですこし仕事
してさっさとねます。



2003年07月29日(火) 夏休みの計画

いっときよりは少し活気をおびてきている私のシーラカンス
生活も、あれこれ刺激をうけながらもまだ相かわらず水面下
(というより、むしろ海底)の気分がぬけきらない。もの
すごくひまというわけでもないんだけど、なんだろうこの
みょうな倦怠感は。ぽかんとしています。
たぶん花火大会にいけなかったせいだ...。花火が必要。

先日、帰り道にまた喫茶店でぼけっとしていたら、ぼやっと
してる時期に読みたくなる「坂口安吾」の小説にでてくる
人たちをおもいだした。基本的には「ダメ人間万歳」みたい
な話しが多いので、そこには何の覇気も解決の糸口もないん
だけど、奇妙なバイタリティがあります。目的のない人生を
ただふらふらと傍観しているというか。それでたまにせつな
がってみたりとかしてんのも、すごい自分勝手なんですよ。
「おまえ、がんばってないだろうちっとも」とつっこみたく
なります。
あ〜私もあんな風に、何の器量ももとめずただ生きていられ
たらいいのになあと憧れました。

しかし、自宅にもどってその部屋のまた散らかっている様子
をみて、自分も「安吾キャラクター」を地でいく生活をして
たことを思いだしまた。というか堕落の花道をいってます。
憧れてる場合じゃないと思って自分にあきれはてました。
なろうとしなくても自分は十分、裁量のない意味不明な生活
をしていることがみうけられましたんでした...。ちょっと
危機を感じたのでかたつけました。

楽器の調子は比較的安定してますが特に上達したかんじも
みえません。中学校におしえにいくと、「夏休みの計画」
がはられてました。計画たてんのも実行すんのも苦手。
えらいよ、計画たてて守る人。そういえばだれかがいって
いた。
「計画とは夢やロマンに日付けをいれることだ」
私にだって夢やロマンはありますが、どこにも日付けがは
いってません。時、場所すべて未定。どうする気でいるの
か自分でもよくわからない。でもそれが特に不安ともおも
わない...。この開き直りというかいいかげんさはたった
3年前であっても私にはありえなかったものだ。今から
3年たったら、おそらく自分の予想としてはもっと楽観
的になっている気がする。「悲観してもしかたがない」
ということを学習したのかも。でも、計画は必要なん
じゃないのか...?

どっちかというと、今はただ漠然とながい時間、じみ〜に
祈るようにちょっとづつ進んでいくことしかできない
のかも。もっと明るい情熱にみちた生活をしたいんだけ
ど、でてはきえでてはきえって感じで、落ち込むこともな
いけど昇ることもないという万年フラット状態です。まあ
シーラカンスになりたいって思っちゃったからしかたない
んだけどね。おなかがすかないんだもん。だけど静かでき
もちがよいのですよ。



2003年07月28日(月) 愛あるところに

先日、日用雑貨を買いに徒歩でイトーヨーカド−にいった。
私の家とイトーヨーカド−は相当遠いので、バスで麻生駅
にでてダイエーなどにいく方がよほど楽なのですが、何か
こう歩きたい気分だったのです。ひとりでいったのはもち
ろんですが、妙にわくわくしてました。節約するために
歩いたつもりだったのに喫茶店にはいって、そこの店員
さんがコーヒーのおかわりのときにミルクまでとりかえて
くれたことに幸せを感じてしまった。
そこで買い物したあと本屋によったらいろんな本がほしく
なって、雑貨を買うためにかなりけちけちとしていたこと
も意味がないほどたくさんの本を買った。

そのなかで今感動したものを書きますね。
室生犀星の「愛あるところに」です。

私は何を得ることであらう
私は必ず愛を得るであらう
その白いむねをつかんで
私は永い間語るであらう
どんなに永い間さみしかつたといふことを
しづかに物語り感動するであらう

「この道をも私は通る」

これはどうしたのだ
この闇のなかにうぢうぢとうごいて
銀貨一枚で裸体にもなる女等
君はこのやうな混濁の巷で
聖母マリアのやうな
美しい顔をどうするつもりだ
(中略)
いろいろの若い熱いたましひが
君らの傍にいることを望んでいることはどうだ
ああ この道を通るにも
自分は涙を感じる
一歩そとへ出れば
恐ろしい都会の大街道
家に居ればふしぶしのいたむやうな稼ぎやう
いまこそ私もこの道を通る
お前達の送る毒の花をも
自分は優しく接吻して上げる

この詩の後に犀星はドエトエフスキィの言葉を借用して列ねて
います。
『「私が神様を離れてどうして生きていられませう。」早口に
 力をいれて彼女は囁いた。急に輝きを帯びた目をちらと彼に
 投げて。そしてラスコオリニコフの手を固くしめつけた。』

実は、犀星の本を買ったといってもすべての意味がわかるわけ
でもなく読めない字もたくさんあって困ってるんだけど、
だいいちこの本は買ったときからまるで古本のように上半分
が色あせているのです。ドエトエフスキィだって、昔無理して
チャレンジしたけどその時はほとんど理解してませんでした。
おそらく今も読めないんじゃないかと、、でも、この部分
だけはなんとなくしみいってきます。暑いんだか寒いんだか
わからない夏の夜に、ひとりでこの詩集をよんでなぜだか
ぱあっと気分が明るくなった。詩人の博愛がきっと実は一人
だけのために捧げられ、それはいつかまたその詩人のところ
に還ってゆくでしょう。...そしてこの本がであった時から
すでに古く痛んでいることに安心する。静かに澄み渡たった
「ゆるぎない情熱」が時間をかけてのこされてきた事を感じる
から。ゆるがない、というのは対価をもとめないという意味
なのだと今日は思える。それは何よりも強く、何ももってい
なくても悲しがらずにすむ幸福な状態だ。たぶんそうなれた
らその時に自分のいる場所が「愛ある」ところになるんであ
らう。



2003年07月27日(日) ジャヶ買い

ジャケ買いというのは、CDなどを中身ではなく写真などの
ビジュアル的な要素で買うことを意味しています。
これは音楽通からみたら「わかってないミーハー」がする
こととされていますが、最近ジャケ買いしたのは押尾コータ
ローの「Dramatic」というタイトルのアルバム。キャンペ
ーン中ということで「お買い上げのかたにステッカープレゼ
ント!!」とでかでかとはり出されていたのです。ブルック
ナーのシンフォニーを買いにいったはずでしたが(笑)、め
あてのものがなかったので、それを買うことに。
だってそのステッカーの写真がかっこよかったからです。
言い訳がましいけどちゃんと視聴もしましたよっ!!
一枚目のアルバムだってもっててそれもよかったんだよ!
楽しいなと思ったのと、ジャケットがかっこよかったから
という上記の理由で即ゲットして、持ち歩いています。
でも、自分のミーハーぶりをアピールしたい日記ではあり
ません。
彼はなんかの番組にでてました。
ニューヨークでデビューするときに、自分のテクニックの
未熟さが気になって、こわくてしかたがなかったんだけど
そこで自分の尊敬する先生に習いにいったら、
「音楽は技術じゃなくて心だよ。君のありのままの気持ち
 をつたえることが一番大切だ。きっとつたわる。」
といわれたので、彼は自分らしくやってみようと勇気を
だして(素直だよね)ライブにのぞんだわけですが、満場
のスタンディングオべーションをうけて、「今回感じたこ
とをこれからも忘れないで、もっといい音楽をしたい」と
話してました。

もちろんありあまる才能と努力もあってのことだと思うけど、
私は彼の、「自分がすごく尊敬する先生」のひとことで
「こわくてしかたなかったこと」を気持ち的にクリアした
ということが印象的でした。それだけその先生のことを
ほんとに憧れて信じる気持ちがあるからうけいれられたん
だろうね。すでに売れっ子でメジャーデビューもしている
のに、技術がないから、通用しないんじゃないかってすご
く気にしている謙虚さも清らかでいいなと思いました。
いかにも健康優良児でしたって感じのルックスと、大人と
少年のはざまの時代にいる青年のような、エネルギッシュ
で繊細な明るい音楽が気にいって最近よく聞いています。
(私はいつも、「少女のような」でも「ベテランのような」
 でもなく「青年のような」音楽をしたいと思っています、
 男になりたいって意味じゃなくて、成熟に憧れをもつ
 若い大人の時代に過ごしたいという意味で)
ジャケット写真はかっこいいけど、番組にでてた時は飾ら
ない感じだったな〜。ていうか、一枚目のアルバムの時は
見た目おしゃれさんってよりはやんちゃくさいかんじでそ
れも気にいってたんだけど。よく知らないけど、たぶん
どちらかというと関西の出身ではないかと思う、あの顔つ
きが東京を背景にしてない感じがするのね。
でもなんか、身近に感じさせる雰囲気と同時に、天才に
共通した無邪気なくったくのない笑顔には、同じミュージ
シャンの世界に属してる(はずの)自分はちょっと嫉妬
を感じたりもしました... けど、ま、いっか。
押尾コータローには負けないぞ!という気持ちと、ああ
なりたいなという本音がぐるぐるうずまくので、楽器
のケースにステッカーをはってみました。これでいつも
一緒だよ、コータロー...
と、やけに自己満足している私です。



2003年07月26日(土) ながにんだ

さて、宝塚もみて関西からもどってきてからの私は、レッスン
する以外はほとんど自宅にいてじっとした数日をすごしてました。
自分は「シーラカンスみたい。」と思ってその地味な生活を
気にいっていたのですが、あんまり物を食べなかったので、
いい加減立ちくらみするようになってきて(笑)、翌日からの
仕事にむけて食生活は通常モードにもどして今日でまた、すべ
てがほぼ普段どおりになりました。
シーラカンスは基礎代謝が低いので、ずっと食べなくても生き
ていられるのですが、私は燃費がわるいというか食べないと
生きていけないみたいです。
しかも、あんまり食べないでいると、お金がかからないという
ことに気がつきました。
それだけ私の普段の食費はものすごいということです。いつも
たくさん食べてないと何もできないって、不経済なんですね。

このまえ、一度は飽きたと思っていたはずの押尾学のドラマ
を録画するつもりで(なんだかんだいってやはり気にいって
いるらしい)チャンネルをまちがえて全然関係ない番組を
とってしまいました。私は野球中継などで、時間がずれたの
だと思ってしばらく辛抱してみていたんですけど最後まで
押尾学はでてこなかった。見れないと思うと見たくなる。
ので、かたつけてあった写真集をみたらやっぱりかっこいい
じゃないですか...。
というかそれを話したいのではなくて、その、関係ない録画
のなかに感動のシーンがあったのです。
それは、タレントが島にでむいてその生活をレポートするみ
たいな番組でしたが、その島のおばあちゃんのくらしの様子
がとてもよかったのです。
なにかのお料理につかわれる、「ながにんだ」というにんに
くのペーストをつくっているおばあちゃんの話し。長崎の
にんにくを使っていて、「だ」はその地方の強調する意味の
ことばで、そのおばあちゃんが思い付いた名前らしい。
「ながにんだ」はラーメンなどにつかわれる食材ですが、
これをつくるのに8時間かかります。そのにんにくは新鮮さ
が大切なので、作るたびに畑からほりおこしてくるのです。
わたしは思いました。にんにく料理を8時間もかけてして
いたら、においがついてしばらく離れないだろうなと。
やってられないです。
いちいちほりおこすのもめんどくさいし、畑でそだてること
ジタイ日に焼けるし手間かかって絶対できないし。
いくらおいしくたって私はできないなと思っていたら、
そのおばあちゃんは、作り方を説明しながら、
「みんなが喜んでくれたらいいなと思ってね」っていった
んです。か、感動した...。押尾学めあてでビデオが無駄に
なったとおもっていらついていた私の心は一気に泣き虫
モードになった。

みんなといってもそのおばあちゃんは食べる人の顔を直接
みる機会はないでしょうに。離島でひとりぐらししながら
「みんなのよろこぶこと」をしようとするおばあちゃん。
なんてグローバルな視野を持った人なのでしょう。
おばあちゃんの左手にはおそらく若い頃は薬指にはめて
いたであろう結婚指輪が違う指にはめられていました。
きっとだんなさんは先になくなってしまわれたのでしょう。

そのタレントさんはギターをもっていて、おばあちゃんの
ために歌をつくって捧げてました。
「島でながにんだをつくるおばあちゃん
 ひとりぐらしもさみしくはない
 みんなの幸せねがってるから
 おばあちゃん ありがとう」
という歌でした。

その歌の、「みんなの幸せねがってるから」っていうところ
でおばあちゃんはちっちゃい身体をふるわせて涙してました。
ううう...
そのおばあちゃんは、かわいくて明るくて元気いっぱいな人
でした。でもそこで泣いちゃってたの。素直な繊細さをもって
いる人なんだなあとおもったの。子供が素直なのはあたりまえ
だけど、年令をへているからこそその繊細さが魅力的にうつる
のです。わたしは、お金があるとかこぎれいなマンションにす
むだけが理想の老後じゃないと思いました。ちいさな昔風の家
にすんで、畑で野菜を育てて、にんにくの皮をひとつひとつ手
でむいて...、私にはその姿がとても美しく思えたんです。
私はその姿に、おばあちゃんが普段どんな気持ちですごして
きたか、みんなのことだけじゃなくて、だんなさんのことも
どれだけ愛してきたか、愛されてきたかっていうすべての
苦労と幸せがまざったひとりの女性としての美しい一生を感
じたよ。にこにこして愛くるしくて、幸せそうな笑顔の小さな
おばあちゃんだった。私はああいうおばあちゃんになれる
のかなあ。なりたいな。しわだらけになるのがイヤとか、
そういう気持ちはぶっとんでしまった。そんなことはどうで
もいいと思う。どんなに大変な人生をあゆんでいくにしても、
「みんなのよろこぶこと」のためになにかてづくりのこと
をしていられる、幸せそうな顔をしたおばあちゃんになりたい
って思った、なんていうか、そういうおばあちゃんになれる
のなら何があったって乗り越えられるんじゃないかって、
生きていく勇気がわいた。

いつも思います。本物の感動は涙だけでなく勇気をくれる
ってね。おばあちゃん、ありがとう。おばあちゃんになるま
でおばあちゃんのこと忘れないでいたい。もしもあのおばあ
ちゃんに会うことがあったら、あったかいタオルで手をふい
てマッサージしてクリームぬってあげたいな。そしてちっち
ゃくてかわいい手だね〜っていいたいな!
あのおばあちゃんを、突然に愛してしまった。



2003年07月25日(金) アイーダ、あなたは私を侮辱した

京都観光を終え、伊丹空港から帰ろうとした矢先、すでに空港に
ついていた私にちょっとした予想外の頼まれごとがあり、それで
突然一泊関西滞在がのびました。

何も予定していなかったので何をしていいかもわからなかったし
正直いって疲れていたので、ぼんやりしてようかとも思ったので
すが、ホテルのなかに宝塚のパンフレットがあったのと、伊丹か
ら比較的近いのとで、さっそく宝塚をみにいくことに。

私がみたのはオペラの大作としても有名な「アイーダ」に題材を
とったものです。舞台が古代エジプトなのですべてが金ぴかで
見たら派手すぎて疲れるんじゃないかとはじめは思いましたが、
宝塚メイクも遠めだとちょうどよく、とんでもない豪華さも
ただきれいだな〜とため息をつくばかりです。

まだ年齢的には若い世代の男役(胡月わたるさん)、もう、
「どうしてそんなにかっこいいんだよ〜」って一目みただけで
やられてしまいました。男役にかぎらず全員めちゃくちゃスタイ
ルがよく美形なのがあたりまえな世界ではありましたが、宝塚は
一度みるとやみつきになるっていう噂、私にとっては事実です。
背が高くて手足が嘘みたいにすらっと長いし、顔小さいし、
現実にはこんな男性はまずいないだろうとおもうようなできすぎ
た女妙利につきることばを惜し気もなく堂々といってくれるので
す。こうして文にしようとするとこっぱづかしい(笑)セリフが
たくさんあるのですが、その場にいると絵がきれいなので染まっ
てしまいます。たとえばこんな感じです。

「ラムダス様。一瞬の感情にながされて大きなまちがいをするの
 はおやめくださいませ。あなたにはいくべき道がございます。
 私のことなどおかまいにならないで。」とお姫さまがいうと、
「アイーダ。あなたは私を侮辱した。軽蔑しているのか。私を
 一瞬の感情だけで国までかえようとする程度の男だと。あなた
 への愛が一瞬の感情のたかぶりにすぎないと。」とかいって(
はずかし〜)はげしく怒るんですけどそれが男らしいんですよ!!
「すべてをすてて一緒ににげよう」とかいってそのあと二人は
やっぱり抱き合ってましたけど(笑)。
私はそういう場面がくるたびに「ありえないってば〜」とか思っ
てもやっぱり夢中でした。
でも私にかぎったことではなく、会場におあつまりのみなさま
も「まあ〜」とか「ほお〜」とかいってうっとりしてましたよ。

ラムダスとアイーダは国が敵同士という運命もあって、最終的
には地下牢で息たえますが、もうひとつの悲恋があります。
ラムダスはエジプトの王女さまと婚約していたのですが、この
王女は自分の父親を暗殺されるし、奴隷の立ち場にあったアイ
ーダに恋人をもってかれてしまうしでとてもかわいそうなので
す。たまにアイーダにいじわるをしたりもするけれど、二人を
失ったあともエジプト王として立派に国をおさめ、基本的には
ラムダスやアイーダとおなじ「平和への理想」をつらぬきます。
アイーダも可憐でしたが、エジプト王女のアムネリスも、常に
気品があって、純粋で誇りがたかい女性でした。CGで合成した
んじゃないかってほど完璧な美貌と美しい強くてはかない声が
印象にのこっています。アムネリスの決めセリフ(とわたしが
感じた)は、これです。

「そなたたち、そのような恥ずかしいふるまいは慎みなさい」
です。かっこいい〜。かっこよすぎ。王女じゃないといえないよ。
いちばん最後にあいさつしたのがアムネリス役だったところを
みると、きっとラムダスよりも先輩のスターなんでしょうね。
最後に残される女性の役を一番華やかな人にまかせるってところ
がまた宝塚らしくて素敵だなと思いました。
あくまでも純粋であることこそ女性の美しさでありプライドなん
だなあと...。
あの感動をずっと忘れたくありません。



2003年07月24日(木) 健任寺

ひさしぶりの日記です。わたしはその間いろいろしていましたが、
なんだか今はぼけっとしています。あんまり文字がうかばなかった
のです。ちょっと書いたりもしてみたこともありましたが、なんだ
か書けなかったんです。トップページより日記の方がアクセス数が
多いんですからもうすこしマメに堅実に日記もかけたらいいんです
けどね。たまに書けなくなるのです。

私は、先日わけあって京都にいってきてました。
時間がすこしあまったので、京都観光をすることにして、八坂神社
のお祭りと祇園、健任寺(神仏混合ですね)を見学したんですけど、
一番ぴたっときたのは健任寺です。

栄西の禅宗のお寺で、もっとも修行の厳しいお寺だそうで、お風呂
に入る時も話したり笑ったりするのがだめなんだって。
でも、みにきてる人たちは方々でねころがってかなりくつろいでま
した。
私は「修行の厳しいお寺で仏様に足むけてねてもいいのか〜?」と
びっくりしてましたが、よく見ると天井に大きな壁画があったので
す。2尾の龍が仏典を守る姿が描かれていましたが、ずっと見てい
たかったほど貫禄と迫力があって美しい絵でした。「2尾が協力し
あって守る」という構図がめずらしいんだそうです。龍はもちろん
想像上の動物なんだけれども、こういう動物に仏典を守ってほしい
と願ったたくさんの人々の気持ちがなんだかわかるような気がしま
す。私もしばらくごろんと寝転がって眺めてました。

秀吉の茶房も残されていましたが、すごく小さな薄暗い部屋でした。
こんな小さな部屋で考えごとをしてたんでしょうか。でもなんだか
落ち着きそうでしたね。

俵屋宗達の描いた「風神雷神図」日本史の資料集の表紙なんかでよ
く見られるもので、誰でも見たことがあると思われます。金屏風
でしたが、「白」の面積が多いので画面が重くならないんだそうで
す。風神も雷神もその筋肉の動きから、「降りてくる」ところなの
か「昇っていく」ところなのかがどうしてもわからないしかけにな
っているんだとか。私は「ふしぎな格好で宙にういている」と感じ
ました。表情もなんとなくユーモラス。

なんとなく健任寺にいてみて感じたのは、「おおらかさ」です。
訪れる人々もなんだかみんな一様にリラックスしてのびのびして
いるような気がしました。襖絵も、36枚に及ぶ大作から、かなり
マンガみたいな絵柄のものまでさまざまでしたが、ご説明によると
とにかく一番厳しいお寺だそうです...。
でもそこでなんとなく思ったの。人が、厳しいなにかを実現しよう
と思ったら、その環境はおおらかじゃなければいけないのかなって。
当時、芸術家や学問を学ぶ高僧が好んであつまったといわれるその
場所で、やたらと緊張して、がちがちに固くなるだけがいちばん
人のエネルギーをひきだすかというとそうじゃないってほんとに
思ったんです。小さなことに左右されず、でもちゃんと大事なこと
に集中するとか、ものごとを長い目でみて考えるとかそういうこと
をすごく感じました。単純なんだけど私はこのお寺のような人に
なりたいなって思ったんです。大きくて深い芸術と、等身大の
ユーモアの精神、そしてだらだら寝かせてあげることもできて、
だけど厳しい修行にむかうこともつつんであげられるっていう。
ほんとに気持ちのいい場所だった。

舞子さんがおつとめしているので有名な通りは、昼間なのであいて
いませんでしたが、そこをとおって祇園にむかうとお祭りの最中
なので人込みがものすごく、そこはさっさと通り抜けて八坂神社へ。
京都の街は、方向音痴で「地図の読めない女」の私でも十分歩け
ます。そこではお神輿が出発するところで、真っ白いお化粧をした
小さな男の子が金の烏帽子をかぶってひとり祭られて、まず塔を
3周してからやっとお神輿の出陣です。私が見ていられたのはそこ
まででしたが、楽しい観光でした。



2003年07月13日(日) シーラカンス

昨日の夜、シーラカンスのテレビをみました。
感動した...。あたまのなかがたくさんの曲でごっちゃ
になり、どうしていいかわからなかったんだけど
ほっとした。

シーラカンスは、卵をおなかの中で育てて、稚魚に
なってもまだそだてます。なんと3年間妊娠状態
にあるらしい。。
シーラカンスのおかあさんは気がながいねえ。
あせっちゃだめだね。



2003年07月09日(水) 単細胞とよばれて幾年。

昨日はあれだけやったんだし、クールダウンも
ていねいにした。そして気がすんでねたので、
今朝起きたら神様が私を少しだけうまくして
くれているはず。そんなムシのよい期待と共に
私は比較的さっさと起きてさっそく練習しはじ
めました。

が...今日のたちあがりといったら、身体は
がちがちに固い(つまり音も固くなる)し、
まったく融通のきかない状態で弱音もレガート
もまるきしだめ状態。昨日の状態、ある程度
ふけるようになるまで5時間ぐらいかかり
ました。

今日のひらめきは、「休み休み練習しないと
すぐに疲れて使い物にならなくなる」という
ことです。どうよ、オレ!(キムタクのまね)
あと、難しいところはゆっくりから練習する
とかね...。あたりまえなことばかりですけど。

「音が固くてまいった」と同門の愛知人Fに
相談したところ最初は「ラジオ体操」をすすめ
られた(笑)。師匠に教わった「ウルトラマン
(みたいな)体操」が私にとっては非常に
有効だったので、それをしながら今日の修行
をのりこえたわけです。昨日のやたらゴリ押し
練習よりは一歩前進したかも。一歩ですけど。

自分にとって課題はいっぱいありますが、
今日自分の苦手なことに焦点があたりました。
漠然と高い音を豊かに響かせることができない
とか、ペダルが不安定とか(ヤマハの登場によ
ってペダルはかなり改善のきざしがある)
ウイークポイントはわかってたつもりだったん
だけど、「高い音が苦手」という大雑把な
いいかたでまとめていた私の短所について、
これは「高い音に,もしくは高い音から
スムーズに移動させるのが苦手」なのだとわか
りました。一発勝負ものは案外、成功すること
もあるけど動くとだめなのですきっと。
「高い音がだせる」のと、「高い音を使いこな
せる」のは違うのです。今まで、でないでない
ってそればかり考えていたのでした。でない
のではなくコントロールできてない、の方が
正しいです。つまりコントロールする練習を
しなくては成長しない。
あ、これもあたりまえですか...。

単に高い音だけ「必死にねらって」も
だめなのです。いろんな音の移行の中で
スムーズにいろんな表情をだせないと、
呪文のように半音階とかリップスラーばっかり
やっててもだめってことです。(ここで私の
バカ練習の実態があきらかになった)。
あと、どんなときもピッチとか音の表情などを
明確にイメージしてないとでたらめな演奏にな
るということです。
リズムがでたらめなことにはかなり昔から
気付いていましたが、表情にとぼしいのは
イメージに妥協があるからだと思いました。
音楽に幅がないのを、単にパワーがないせい
だと思ってましたが、それだけではないのです。

むずかしいし大変だから吹くのに必死でも
しかたないじゃないかと思ってましたけど、
違います。大変だから明確にち密にかんがえて
おかないとだめなんですね。

は〜、「単細胞」そろそろ分裂開始かな?




2003年07月08日(火) 昼間はあついのに

昼間はあついのに、夜になると寒いですね...。
まるで今日の私のラッパのようだ...。

といっても別に落ち込んでるわけじゃないですよ。
ただいっぱいいっぱいになってるだけで。。

ずっと練習していたら、なんか息がつまってきた
のねきっと。ですが、すごいことを思い付き
ました。

ずっと同じの部屋のなかで、たくさん課題が
あるとはいえ、集中してやっているとだんだん
いやになってきます。すぐにうまくならない
せいなんですけど、私はこの気分をかえるいい
思いついたんです。ほんとは部屋をでていって
別のところで練習するのがいいんだけど、
でかけるひまもなく、
民家のあつまる住宅地では防音室以外でふき散らか
すわけにもいかない場合...

部屋のなかで座る場所をかえる!

のがいいと思いました。ごめんなさい。だから
なに?っていわれるとすごく困る。
でも、集中力がおちてきたなーとおもったら
反対がわにおいてある椅子にひっこすと、
少し妙なあせりがきえるかなと思った。
自分では「すごい発見だ」と思ったんですけど。

あ〜あたまいたいっ。もうねます。おやすみなさい。



2003年07月06日(日) いつもそうなんだ。ってことは...

昨日は業務連絡におわれた一日だった。といっても、
おわれることになったのは自分のせいですけど。
やっていくうちに、誰に電話したのかだんだん
わかんなくなってきて。しかしかんじんの電話を
一つしわすれたことに気がつきました...。

ひとつ種類がちがったのは、おわかれしたての
友だちからの電話です。
なんでも、いつも同じ理由でイヤになって彼女と
わかれると。うざいんだって、あれこれ面倒みら
れるのが。あーやだ絶対、あれこれ尽くした挙げ句
うざいと思われるなんて。だから私は尽くしません!
と意地はるのも意味がないけどね。私にその彼女を
くれよと思った...。いまどきそんな古風な女性が
いるのか?っておどろくほどです。
「なんで女って男がすべてになるのかなあ」だって。
なんじゃそりゃー。あきれはてる。
私は思った、そういう人をいつもえらんでるから
同じ結果になるし、自分もかわってないからそう
なるんじゃないかって...。その子も最初からそう
だったんじゃなくて、そうしないと続かないって
思ってのめりこんじゃったんだじゃないかと。
誰だってベストバランスがとれないことはありますよ。
そんなとき微調整してあげるのは愛じゃないかと
思うんですけどねえ。きびしいなあ、男って...。
「いやになるってそんな堂々というもんか〜?
 いつも同じことになるってのは、いつも自分が
 そうさせてるんじゃないの?面倒みのわるい
 子とつきあえばいいじゃん。最初はうれしかった
 んじゃないの、単にあきたのを人のせいにするな。
 君には相手を安心させるっていう力がないのでは。
 それはだめです。やめてよ〜もうそういうの」
といってみた。いっとくけど、私は今日天気もいいし
特別気がたってるわけでもなく、むしろ快適そのもの
だったんだけどね。なんで私がだめですとかやめて
とかいってんのっていうのも疑問だけど(笑)。
関係ないのに。
しかしあんまり気にしてないみたいでしたねえ。
気にしてるんだったら同じ結果にはならないよなあ
とあたりまえにちーさくさとりをひらいたような
気がした私でした。

そこで私はひと事ながらそれをきっかけに数分
考えてみたんですよ。きっかけをつかむのは「魅力」
だけど、つづけるのが「実力」なんじゃないかと。
恋愛にかぎらず、なにか実をむずぶには時間も
手間も必要だとおもうんだけど、、

思い起こせば仕事をはじめたばかりのころ、いや
今もですけど、「気持ちはつたわるけど腕がない」
みたいないわれ方を面と向かっていわれがちな
自分を考えるといいかればそれは実力がないと
いってるのに等しいでしょうかね。
ってことは私はその友だちと同類なのか?やめてえ。
ちがう〜。ちがうと思いたい。

さて、明日日曜は朝から弟子が連続レッスンなので
少しととのえて、部屋かたつけて寝ます。
みなさんたのしい日曜日をおすごしくださいね。



2003年07月05日(土) 赤鉛筆のてがみ

昨日、楽器がとどいた後、少しふいて私は寝てしまい
ました(苦笑)。だってほっとしたんだもん。
なんかこう、イオンが安定した感じ?夜になってから
起きだして、練習してます。幸せだあ〜。やたら
うれしいよ。やっと私にも自由になれる日がきた。
うかれすぎてると思うかもしれないけど、自分に
とってはこれが手にはいるか入らないかってのは
大事な問題だったんです。
それをさっきから吹いてますが、やっぱりいいと
思う。反応がはやい。素直でのびやかです。これ
があるとバックも吹きやすくなる...全然、違う
タイプの楽器なのに不思議です。

そして、音教で教えた小学生から赤鉛筆とキティちゃん
のスタンプがびっしりおされた手紙がきていたので
、遅くなったけど返事をかきました。しかし、一度
書いて気がつきましたが、自分の手紙は漢字が多すぎる
ので全部かきなおして文も簡単にしました。そのこの
手紙は自分の名前以外ぜんぶひらがなだったから。
たま〜にこうやってお便りをもらいますが本当に
うれしいものですね。そして、けっこう自分のいったこと
を真面目にとらえてくれて覚えてるらしくて感動
しました。シンプルな内容だったけど、気持ちがあった
かくなるので、さっそくその「赤鉛筆」の手紙を
練習室にはってみました。やるきがでるから。



2003年07月04日(金) 登場!

さっき、届きました。ヤマハが...。
うう〜、会いたかったよお〜。ありがとう、私のところに
きてくれて。一度はもうだめかと思ったよ。でもよかった、
やっぱり運命感じたのは間違ってなかったんだね。あれが
自分ひとりの思い込みの勘違いだったら悲しいよ。

よ〜こっそ〜ここへ〜あそぼーうよパラダイス♪
(今日の歌は『パラダイス銀河』です。)

さってさっそく練習だ!



2003年07月03日(木) 別れ話

今日はミスドにいった。(仕事のかえりに)
そしたら、わたしの隣に、高校生のカップルが座って
「わかればなし」をはじめたのだ!
ミスドにひとりではいるとろくなメにあわない。
やきそばを注文してしまい、コーヒーもおとすので
五分まってくださいといわれた私は、たちのくことも
惜しくて座ってました...

どうやら同じ内容の話しがくり返されている様子
だったんだけど、女のコはずっと泣いてましたねえ。
何を勘違いしたのか、私はとっさに、
「泣くなよ。今日はおくるから。」とか
いって家までおくってあげて、軽く頭なでるぐらいしよう
と思いましたが、気ちがいだと思われてもこまるので
やめました(笑)。

そのバに遭遇して、思いました。
失恋はかなしいし傷つくけど、人を好きになるのは
悪いことじゃないって。命みじかし、恋せよ乙女って
やつですね。ゴーアヘッドだよ(なんで英語?)

あまり関係ないけど、母が私に洋服を買い込んで来たので
それらをもらいに実家にいってきました。


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古畑亜紀 [MAIL] [HOMEPAGE]

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