2004年10月22日(金) |
『終わりはこうして迎えたい』 |
花の中を、歩く。
一人ぼっちで、ゆっくりと。
ただ前を見据えて、一歩、一歩。
辿り着く先を、僕は知っている。
白んだ世界。
真向かいから歩いてくるきみと、出会う。
手を合わせ、指を絡め、そっと眸を閉じる。
静かな、とても静かな、僕たちだけの空間。
寄り添って眠る。
音の無い世界。
永遠に、僕たちをこのまま。
このまま――…
浴衣に、袖を通した。 クリーム色の淡い生地に、朱色の金魚の模様。
あたしは生温い夏の金魚鉢を泳ぐような感覚に襲われて。
瞳を閉じた。 眩しい西日が、瞼の向こう側で輝いてる。 直に沈んでしまうのにね。
赤い帯を締める。 崩れないようにしっかりと締めて、背中に回す。 赤い鼻緒の下駄を履く。 ひんやりとした木の感触が脳裏に焼き付いた。
あたしは、半分沈んだ西日に向かって駆け出した。 ゆっくりと山に沈んでいく、朱色の太陽。金魚とおんなじ。 …あたしと同じ。
生温い水の中を泳ぐの。 浮遊する意識と、浮遊する躯。太陽と金魚とあたし。おんなじね。
薄暗い、夏の夕方の空気が好き。 湿っぽい肌触りの空気、空の色。徐々に下がる温度を感じながら、ただそれだけで。
夜祭のお囃子を聞きながら、あたしは立ち止まった。乱れた息を調えながら、ゆっくりと歩き出す。 からからと乾いた音を立てる、黒塗りの下駄。 お祭りに行く人達の波に交ざりながら、お囃子の音にその音を雑ぜる。 遠い音。
初めの屋台で、水風船釣をした。 さっきまで温い水に浸かっていた赤い水風船をぱしゃぱしゃやりながら、あたしは人の波から外れた。
「お姉ちゃん」
後ろから、澄んだ声が聞こえる。 反射的に振り返ったら人がまばらにいるのを確認できただけで、声の主を特定するに至らなかった。 「?」 すぐに視線を戻して歩き始める。 コンクリートで固められた川辺に下りて、再び歩き始める。川上の方に向かって。 からから…からから…。 …ぱたぱた。 ? ぱたぱた。
「お姉ちゃん」
靴の音に、さっきの澄んだ声が重なった。やっぱり、あたし? 今度は慎重に振り返ると、小さな…10才くらいの男の子が居た。両手に林檎飴と綿菓子と青い水風船を持っている。 「なあに?」 身体ごと振り返って尋ねると、彼は黙ったままあたしの水風船を指差した。 あたしはそれを自分の目の高さまで持ち上げて、小さく首を傾げる。
「それ、ぼくのと交換しない?」
言いながら、青い水風船を差し出される。 あたし達の距離、およそ三メートル。
「駄目よ」
目を閉じて小さく首を振る。 あたしが歩き出すと、少年も後を追って来る。 「えーっ、なんでぇ?」 「…なんで?」 質問をそのまま返す。 「ぼく、赤い水風船が欲しかったんだ」 「じゃあ、赤いのを取ればよかったじゃない」 「…一つも取れなかったんだもん。そしたら青いのを渡されて、替えてもらおうとしたら人の波に追いやられた」
ぱしゃぱしゃ。 まだ、ほんの少しだけ見えてる、朱色の西日。 赤い空。 赤い水風船。
「あたしは、赤いのを自分で取ったの」 ちらりと彼を見ると、不服そうに頬を膨らませてた。青い水風船が、ふよふよと揺れている。 「お姉ちゃん、おとなげない」 「きみもね」 少年はあたしの反応に再び頬を膨らませた。青い水風船をぱしゃぱしゃやる。
川上に向かって歩いているうちに、コンクリートの塗装が終わってしまった。 あたしは構わず飛び降りて、また歩く。 少年はもちろんついて来た。
じゃらじゃらと、小石と下駄の擦れる音。 ざくざくと、小石を踏み付ける靴の音。
橋げたの下で立ち止まる。 座りの良さそうな石に腰掛けて、あたしは水風船を膝の上に置いた。
「ねぇ、替えてよー」 「青いのでいいじゃない」 「お姉ちゃんこそ青いのでいいじゃん」 くだらない言い争いを続けた。 「あたし、赤が好きなの」 「ぼくも」 間髪入れずに言い返して来る。子どもだと思ってあなどってた。 「…どうして?」 理由を尋ねると、あっさりとこう答えた。
「キレイだから」
「…そんな当たり前の理由なんて、アピールに欠けるわ」 「だから…冷たい水と赤って、全然逆みたいでキレイじゃん?」
なら、生温い水に青だって、充分逆みたいでいいじゃない。だって、現に夏の水は生温いし。 赤い水風船の中身も、赤く色が反射した生温い水でしかないじゃない? あたしはそう告げる。
「そうかなあ。そこの川の水は冷たいよ?」 「え?」 そう少年に言い返されて、はたと気がついた。川の水なんて、触った事が無い。 「生温くなんかないよ?ここの水は冷たいって」 川を眺めながら、あたしはきゅっと水風船を両手で包み込んだ。 この中に封入された、ほんの少しの水。 ゆっくりと縁に近付き、あたしは川の水に触れようとした。
「あっ」 小さく屈み込んだ拍子に左手からするりと水風船が落ちてしまった。さらさらと流れて行く赤い水風船。 「やだっ、どうしよう…」 あっけにとられて、石にぶつかりながら流れて行くのを見詰める。 「あーあ。ぼくのと交換しとけば、流れたのは青だったのに」 意地悪く言うのを肩越しに聞きながら、…。
あたしはぱちゃばちゃと音を立てながら、川の中に入った。 ――冷たい。ほんとに。 浴衣の裾が濡れ、歩く度に足に当たって冷たい。 ようやく水風船に追い付いて拾い上げると、右の袖まで水に浸ってしまった。 「お姉ちゃん」 少年が走って追い掛けてきた。薄暗い空気で、転びそうになる。
「…冷たかったわ…川の水」 「…でしょ?」 苦笑いで顔をあわせる。 生温い空気、生温い…水風船の中の水。冷たい水。
あたしは、自分の頭からヘアピンを外した。それを、赤い水風船に突き立てる。
ぱんっ!
小気味のいい音を立てて、水風船が割れる。 ぱしゃんっ! 後を追う様に、水が水面に落ちる音が辺りに響いた。
生温い水は、冷たい水に混ざってしまった。 これでいい。これでいいの…。 「ば…馬鹿だなぁ…。浴衣濡らしてまで…取ったのにさ…」 少年が、小さく呟いた。あたしは彼を見て肩をすくめて苦笑する。 「いいの。…ほら、金魚も本物の冷たい水で泳げたしね」 「金魚の方が偽物じゃん」 まだ水風船が割れたあたしの手元を見ながら、平淡な声を流す。 あたしは濡れたままの手で頭を小突いてやった。 「冷たい」
冷たい。さっきまで生温い水に浸っていて、生温さを与えていたのに。 水は温度を奪う。 あたしたちから。 …何から?
「ぼくにも、貸して」 返事を待たず、彼はあたしの手からヘアピンを取った。林檎飴と綿菓子を放って。 ぱんっ。 もう一度辺りに響く同じ音。
あたしたちは、生温い水風船を手放した。 ささいな意味しか持たない、一瞬だけどあたしたちの大切にしたもの。 赤と青の水風船に詰められた、極少量の水。
生温いだけじゃないの。 あたし達の夏。
―了―
+++ すんげー懐かしいの出てきた!!!2001年春に書いた物。専門学校行くために大阪出てきてすぐくらい(入学前)に書いて当時発行していたメルマガで流した物。 これ存在すら忘れてたよ!懐かしー! 当時のコメント抜粋。↓ 『好きな物を寄せ集めて好きな空気で進めて…いかにも日生(駄目っぷりも)。やっぱり少年書きだな…自分。しかし女の子書き苦手は伊達じゃないです。かなりパニクってます、文章。オチてないし(最悪)。しかも少年主人公でも良かったじゃん、な内容。お粗末さまでした;』 あっはっはー。 今回掲載にあたり、改行だけ増やさせて頂きました。文章ノータッチ。あっはっはー。(もう笑うしかない)
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