パソコン復活しましたー!やったー!やったー!やたー。 冬月氏&乃尋氏に感謝!
あと、このスペース、本日から半永久版になりましたー!!(やっちゃったー!) このIDもらったのは去年の6月で、今月末で契約期間終わりだったんですよ。 辞める気無いので振り込もうと思ったんですが、900円払ってまた1年か、3900円払って完全に自分のスペースか。 悩んだ挙句、3900円分は続けろよ!という自分への戒めも込めて半永久版に申し込みました。
てわけでその門出と、パソ復活したら小説でもアップしようと思ってたので小説アップ。
2000年の初春に書いたものです。 最初新人賞に応募しようと思ってネタ出し始めたのですが、始めたのが締め切り3週間前。結局書き上がらず、同人誌にしたものです。うわ。
大幅に加筆訂正して新人賞に出すつもりだったんですが、なんかもう加筆訂正分まとめてたらきりが無い気がするんでもうそのまんま! ただし今回は句読点の打ち方などがあまりに納得いかないのでちょこちょこ手入れてます。
舞台は未来。 二人の少年と夏の日本家屋、という日生が一番好きで一番得意とするパターンでゴザイマス(笑)。 とんでもなく暇な時などにどうぞ;
遠い空の向こうの僕。 僕の『ありか』を きみと一緒に。
+プロローグ+
「よく覚えておくんだよ。お前は賢いからきっとできる。わたしが居なくても大丈夫だね?」 「嫌だ……行かないでよお」 少年は青年の服を引っ張ったまま、涙を流し始めた。 「仕方がないんだ、絶対に帰ってくるから、な。ほら放してくれないか」 少年が手を放すと、青年はやさしく頭を撫でてやる。やわらかな髪の毛は甘い香りがした。 「整備の知識はきちんとインプットしてあるから大丈夫だ。……そんな表情しないでくれ…。わたしが帰ってくるまでちゃんとやるんだ、分かったね。お前がここに居てくれないと、わたしは帰ってこられない気がするんだ」 「そんなこと言わないで……分かったから、ちゃんと帰ってきてよ」 「約束する」 きめの細かい少年の手を取り、小指を絡める。
青年は家を出た。 少年は一晩泣き、涙を拭うと二階に駆け上がり洋間に閉じこもった。 そして再び部屋の外に出ると、扉に大きな錠前を掛けた。
これでいい。 これでいい……。 僕は。
「伽也……」
+1+
「……またきみか」 滴葉(しずは)は年格好の似た彼の姿を一目見て、小さく溜息を漏らした。 「きみこそ、また縁側に座ってアイスキャンディーを食べてるんだね」 「僕が僕の家で何を食べようと勝手だろ。でも、何故きみは毎日まいにち人の家にやってくるんだ」 手に持っていた溶けかけのアイスキャンディーが、ぽつんと土に小さな染みを作った。滴葉はよくアイスキャンディーを食べるわりに、いつもこうして大概を溶かしてしまうのだ。 「言っただろ、ボクはきみの兄弟なんだヨ。だから遊んでよオ、お兄ちゃん」 「……好きにすればいい」 一言言い放って、滴葉はアイスキャンディーをくわえて目を閉じた。
こうやって昨日も訪れて、滴葉にかまってくる。 この少年が滴葉の弟だというのは嘘だ。少年はさわやかな表情をして嘘を吐く。
晴れて滞在の許可を得た少年は、滴葉の隣に同じようにして腰掛け、足をぶらぶらとさせながら滴葉にかまう。 「今日も包帯だらけだね。なんで?」 滴葉はいつも身体のあちこちに包帯を巻き付けていた。 一番よく目を引くのは首で、他にも手首や腕や足にも白く目立っている。 「別に。僕の勝手だろう」 滴葉は少年を一瞥して、再び溜息を漏らした。 「せっかくのきれいな白い肌なのに」 少年が滴葉の頬に触れようと手を伸ばしたのを、迷惑そうに払う。ぱしっという乾いた音が、互いの耳に届いた。 「うるさいな」 少年はきょとんと滴葉を眺める。滴葉は再び目を伏せることで、少年の視線から逃れようとした。 アイスキャンディーが溶けて、指を伝う。 しかしいつまで経っても少年の視線は滴葉に注がれたままで、とうとう滴葉はしびれをきらした。 「うっとうしい奴だな、いい加減にしてくれないか。毎日まいにちきみは何のためにこうしているんだ?夏休みの宿題が有るだろう」 「あんなの、夏休みの終わりにぱーっと終わらせればいいじゃないか」 「ぱーっと、ね……」 今日何度目ともつかぬ溜息を吐いて、ようやく食べきったアイスキャンディーの棒を傍のゴミ箱に投げ入れながら立ち上がる。 「どこ行くの?」 「手、洗いに」 振り返りもしない滴葉の背中を、少年は黙って見送った。 滴葉は台所の蛇口をひねって、べとべとになってしまった手を洗う。
人間は、不快の感情から発達していくのだという。 それならあの少年を快く思えないのは、それ以上感情が発達しなかった所為だろうか。 庭先で鳴き続ける油蝉も、毎日照り付けて気温を上げる太陽も、今の滴葉にとっては全て不快だった。 いっそ、全部消えてしまって、何も無くなってしまえばいい。
「ねえねえ、ボクにも包帯巻かせてよ」 滴葉が縁側に戻ろうとすると、少年が座敷の方に身を乗り出して明るく言い放った。 滴葉は少年のわがままに溜息を吐き、包帯を取りに階段を上がる。棚からひと巻きの真っ白な伸縮性の包帯とハサミを取り、再び階下に向かう。 「ほら」 数メートル離れたところから少年に向かって包帯を投げ、自分も元居たところに腰掛ける。 「ありがと」 満面の笑みで受け取った少年は、さっそくぐるぐると辺り構わず広げ始めた。 「ねえ、早く巻かせてよ。きみの包帯、巻き代えるでしょ?」 何メートルか伸ばした包帯の端を持って、少年が催促する。 「僕のを付け替えるつもりだったのか……。悪いけど僕は今朝代えたばかりなんだ。自分に巻いたらどうだ?」 「ボクに?」 滴葉が声を出さずにうなずいて返事すると、少年は嬉しそうに右手で自分の左手に巻き始めた。 しかしきつく巻こうとすると、するすると取れてしまう。 「……きみは包帯も満足に巻けないのか…」 滴葉は呆れて少年の手から包帯を取り、めちゃくちゃに伸ばされた包帯を元通りに巻き取り始めた。 「ほら、手を出してみろ。僕が巻いてやるから」 滴葉が包帯を巻き直すのを不思議そうに見ていた少年の表情が、ぱっと明るくなる。 「ほんと?」 右手を滴葉に差し出して、自分の手首に包帯が巻かれるのを黙って見入っている。 滴葉がいつも使っているのは肌触りの良い柔らかな包帯で、直接肌に触れてひんやりとした。
「包帯は巻いたまま使うんだ。こうやって上向きにして転がしながら巻けば、きれいに巻けるだろう。一周させたら少しずらして斜めにする。また一周させたら逆にずらして、バツになるようにするんだ」 「へー、上手だね」 「ほめる程のことじゃないだろ、誰にだってできることなんだから。……それに、人に巻く方が簡単なんだ」 ふうん、と感心する少年の手を支えたままハサミを取ってぱつんと切り、巻き終わりを挟み込む。 「あんまり何周も巻かないんだね。もっとぐるぐる巻きにするのかと思った」 少年は高く腕を上げて満足そうに眺める。 「怪我をしているわけでもないのに、たくさん巻いてもうっとうしいだけだろ」 「そっか」 少年は包帯を巻いてもらったことが余程嬉しかったらしく、何度も滴葉と自分の腕とに視線を忙しく動かしている。 「満足したならもういいだろう、そろそろ帰ってくれないか」 「えーっ、まだ来たばっかりじゃない。ね、いいでしょお兄ちゃん」 「誰がお兄ちゃんだ、図々しいな。きみは僕なんかに構うほど暇をしているのか? だったら早く家に帰って宿題をすればいいだろう。出来ることは早めにやっておくものだ」 少年は少しふくれて、ほんのわずかな沈黙の後言い返す。 「ボク、今宿題やってるもん。タイムマシンで未来からここに来て、昔の人の生活について調べてるんだもん」 「それなら、僕を調べても仕方ない。別のサンプルを探した方が、きっといい成績を付けてもらえるぞ」 滴葉が負けずに言い返すと、少年は腕を組んで自信たっぷりに続ける。 「そんなことないよ、皆とおんなじことしたって全然駄目だね。何か人とは違った『切り札』が有った方がいいに決まってるんだ。ボクが課題でAをもらえたら、きみのおかげだからね」 「……勝手にしろ」 それ以上うまく言い返す言葉が見付からず、結局最後は自分が引くことになる。 それを分かっていながら、滴葉はどうしても少年を帰そうと逆に話を長引かせてしまうのだった。
満足そうな少年を見ていると、何故かいつももどかしくなる。 わがままで、とんでもなく嘘吐きで、それでもこんなに屈託無く笑っているのは何故だろう? 自分と正反対のこの少年の存在を、滴葉は戸惑っていた。
「じゃあ、名前教えて。名前」 「……滴葉」 「シズハ? 漢字有るの?」 滴葉は土に石ころで名前を書いて説明してやった。少年は納得した後、自分の名前だと言って“日和”と書いた。 「何て読むんだ、ヒヨリか?」 「ううん、ヒワ。でもヒヨリって呼びたかったら、そっちでもいいよ。ボク、大して自分の名前に愛着持ってないんだ」 「ヒワでいいだろ」 「嫌だ、やっぱりヒヨリって呼んでよ。滴葉が付けてくれた名前」 読み違えただけで別に滴葉が付けた名前と云うわけでもなかったが、少年が駄々をこね続けるので結局ヒヨリと呼ぶことになった。
「滴葉の家、すごく静かだね。ボクが来る時いつも滴葉独りじゃない? 家族の人は?」 「何でそこまで言う必要が有るんだ。きみには関係ないだろ」 「ケチー」 ふくれてみせてから、額の汗を手の甲で拭った。 相変わらず太陽がじりじりと照り続け、縁側の板の温度も上がる。 温かいどころではなく、不愉快なほど熱い。
「暑いー。何でこんなに暑いのかなあ」 ヒヨリがぱたぱたと足を動かす。いつものわがままに、溜息が漏れる。 「……アイスキャンディーでも食べるか?」 「ほんと? いいの? 食べる食べるー。初めてだね、滴葉がそんなこと言うの」 ヒヨリの言葉に返事をせずに台所に向かい、冷凍庫からアイスキャンディーを二本取り出す。 確かに初めてだ。もう、ヒヨリのわがままにすっかり馴れてしまったのかもしれない。 「ありがとー。わーい、いちご味だ」 ヒヨリは早速アイスキャンディーを開封してくわえた。 「やっぱりアイスは夏に食べるものだよネ。あーあ、ほんとになんでこんなに暑いんだろ」 ヒヨリが額の汗を拭い、太陽がアイスキャンディーを溶かしていく。滴葉はいつものように結局あまり口に入れず、指や地面をべとべとにした。 「ねえ、いつもアイス食べてるけど、無くなったら買いに行くの?」 「当たり前だろう」 「だよね。じゃあ、冷凍庫の中どうなってんの? アイスいっぱい?」 滴葉は黙ってうなずいた。 実際、冷凍庫にはアイスキャンディーと氷しか入ってない。冷蔵庫にはある程度の物が入っている。 「ふうん、アイス、好きなんだね」 「……別に?」 アイスキャンディーから口をはなして、ヒヨリと視線が合う。 滴葉は首をかしげた。 ヒヨリもそれに続いて心底不思議そうに首をかしげた。 「え? 好きなんじゃないの? なんで?」
なんで? 彼の素朴な疑問は滴葉を悩ませた。 何故かと問われると、理由など無い、と答えるしかないのだと思う。 そもそも何故自分がアイスキャンディーを食べているのか、分かっていないのだ。
「ボクはアイス好きだヨ。冷たくておいしいし」 にっこりと笑いながら話すヒヨリとは対照的に、滴葉は黙り込んでしまった。 またアイスキャンディーが溶けて、指を伝う。 「ボク、夏になると何も食べたくなくなるんだ。だからアイスとかよく食べるの。単純に夏バテなんだろうけどネ」 特に荒れた様子のないきれいな肌で、ヒヨリは再びにっこりと笑う。 「……僕も、似たようなものだ」 絞り出すように、ようやくそれだけを言うことができた。 「ほんと? おんなじだね」 先刻のように不思議がることなく、アイスキャンディーを食べ続ける。 滴葉は動揺してしまって、少しも口に入れられないままでいた。
「ひとつ訊いていいか? きみが未来から来たというのなら、僕は未来ではどうなっている? まだ、ここに居るのか?」 「いきなり変なこと訊くね……。何か心配なことでも有るの?」 ヒヨリはアイスキャンディーを食べる手を止めて、滴葉の顔を覗き込む。 「べ、別にそういうわけじゃ……」 「ふうん……まあいいけど。でもね、未来なんてどうなるかはっきりとは言えないよ。だって、ボクだって滴葉だって、自由な生き物なんだから。ボク等がどんな選択肢を選ぶかによって、未来なんてあっけなーく変わっちゃうものだよ。だから滴葉がここに居たいんなら、それなりのことをすればいいんだよ」 「別にここに居たいわけじゃ……」 動揺したままで、声がうまく出てこない。耳障りな蝉の鳴き声に掻き消されてしまいそうなかすかな声で、滴葉はそれだけを言った。
ここに居たいわけじゃない。しかし、ここを離れるのはためらわれた。 自分にとって、やはりここは大切な場所に違いないから。 この場所でただ、ただあの人の帰りを待ち続ける。
「うまくはぐらかすんじゃない。だいたいきみが言っても説得力がないぞ。僕は、未来ここに僕が居るのかを訊いたんだ」 体勢を立て直すために、もう一度尋ねる。自分の意志がどうのこうのということから、どうしても話をそらせたかった。 「うーん、ほんとはね、ボクこの辺の人間じゃないんだ。だって考えてもみてよ、自分の住んでる土地の過去に行ったら、面倒が起こりそうだろ?」 だからそんなことは分からない、と言いたいらしい。うまい屁理屈を返されてしまい、滴葉は再び黙るしかなかった。 ヒヨリは、そうこうしている間にアイスキャンディーをすっかり食べてしまった。 「ごちそうさまー」 明るく言い放ちぴょこんと縁側から下りると、その棒で地面に落書きを始める。 ぐるぐるぐるぐると円を描く。
「ねえねえ、なんで球体は丸いのかなあ」 「丸くない球体なんかないだろう。丸くなければ、球体として成り立たない」 「そういう意味じゃないよお。たとえば地球だって月だって、丸いじゃない? それってさ、多分重力とか関係してると思うんだ」 宙に大きな円を描くようにしてみせ、相槌を求めるように滴葉を見る。 「……よく分からないな」 滴葉は苦笑いで肩をすくめてみせた。 こんな話で思いもよらない滴葉の表情を見れたヒヨリは、嬉しそうににっこりと笑う。それを見て滴葉は慌てて咳払いをした。 「ボクね、“こころ”とか“やさしさ”とかそういうものって、きっと丸いと思うんだ。真ん中にさ、小さくても大切な核が有って、それに引き寄せられて集まってるの」 「そんな大層なものか? ……そんなもの、もろくて呆気ないだけだ」 先程の表情はすっかり引っ込めてしまい、再び無表情で冷たく答える。 ヒヨリは落書きに飽きてしまったのか、庭にぺたんと座り込んだ。 「服が汚れるぞ」 「いいの、洗えば落ちるんだから。服なんて身体を汚さないために有るだから、汚れて当たり前だよ」 眉をひそめて笑う。 滴葉は小さく溜息を吐いた。 たかが洗濯なんかで苦労をしたくない滴葉はいつも服が汚れないように気を遣っているので、ヒヨリの意見にはうなずくことができなかった。 些細な価値観でさえ食い違う。 こんな自分と正反対の少年が何故構ってくるのか、滴葉には理解できない。
「ねえねえ滴葉。ボク、今日誕生日なんだ。……ひとつだけ、お願いきいて?」
座り込んだまま手のひらを組み合わせて、滴葉を上目遣いに見る。 「なんで僕がそんなこと……」 「えー、お願い、ひとつだけ。今回だけだから」 「突然現れておいて突然言い出して、さらに次回が有ってたまるか」 「意地悪言ってないで、ね、ひとつだけだから」 「……なんだ」 「ボクのこと、少しの間ここにおいてくれない? ほんの少しだけだから……」 いつものように笑いながら、でも少しだけ語尾が弱まる。 「……寝泊まりさせろってことか? 悪いが、うちにはろくな食料がないんだ」 「いいの。さっきも言ったでしょ、ボク、夏バテでろくに食べないって。なんなら、滴葉の分のごはんもボクが用意するから。ね、お願い」 立ち上がって滴葉の前に立ち懇願を続けるヒヨリに負けて、溜息を漏らした。 「……勝手にしろ」
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+2+
滴葉の住んでいる家は、一,二階あわせて五つの座敷と一つの洋間が有った。 一階には三間続きの広い座敷が有り、二階は薬棚と箪笥が置かれた狭い部屋と、広い座敷が一間、それから大きな錠前がかけられた洋間が一室有る。
「ここだけドアが違うね。なんで?」 廊下の突き当たりに立って、西側のドアを眺める。 そこは洋間なのだと滴葉が説明してやると、ヒヨリは納得して廊下を引き返した。 「手洗いは一階でも二階でも好きな方を使えばいい。……それから寝るのはこの部屋だ」 障子を開け、部屋に通す。 滴葉も普段寝ている部屋で、寝具は押し入れに二組揃えられていた。 「ありがとう。……ボク、何でもやるから、言ってね」 「そんなこと気にするな、誕生日祝いなんだろ」 とん、と指先で軽く背中を叩いて、滴葉は階段を降りていった。
「……滴葉…」 滴葉の下りていった階段を見ながら、自分のことを小さく責める。 敷き詰められた畳にうずくまり、溜息を吐く。
様々な感情の入り混じった、小さな溜息を。
◆
「おはよう……」 いつもの様に縁側に座ってアイスキャンディーを食べていると、少し遅めにヒヨリが起きてきた。 「おはよう。朝食はどうする。初めにも言ったが、うちにはろくな食料がないぞ」 「いい。……ねえ、ボクもアイスもらっていい?」 勝手にしろと滴葉が言うと、ヒヨリは冷凍庫からバニラのアイスキャンディーを一本取り出して、滴葉の隣に腰掛けた。
「どうだ、良く眠れたか」 「うん。ボク、いつでもどこでも眠れるから」 昨日の一瞬の陰りはもう見せず、いつも通りの明るいヒヨリだ。 「ボク、これ食べたら掃除するね。掃除する道具、どこに有る?」 「そこの手洗いの横の物入れに入っているが、電気を使う掃除道具は無いぞ。だいたいそんなこと気にするな。僕がやるから、きみは宿題でもしていろ」 「えー、でもボク宿題持ってきてないしー。やるやるやるのー」 アイスキャンディーを口から離して、ばたばたと駄々をこねる。 「分かった分かった、勝手にしろ。じゃあ、きみは一階の掃き掃除をしてくれないか。僕は二階の掃除をする」 「やったー。掃除するー、するー」 手をグーにしてバンザイの格好をし、嬉しそうに笑う。 「家でそういう手伝いとかよくやってたのか?」 「……ボク? あんまりやってなかった。子どもだし、そんなことしなくていいって皆が」 「みんな?」 「あっ、ん、お父さんとお母さんが、ね」 眉をひそめて苦笑いをする。気にはなったが、滴葉はそれ以上問うことができなかった。 「ねえねえ滴葉。滴葉はお掃除好きなの?」 ヒヨリが体勢を立て直そうとしたのが、滴葉にも分かる。 「別に好きってわけじゃない、ただ嫌いじゃないというだけだ。誰だって汚い所に居るよりきれいな所に居たいだろう?」 「んー……まあ、ね」 アイスキャンディーをかじりながら、ヒヨリがうなずく。
物の無い部屋。 物のあふれた空間。
確かに、今のヒヨリにとってはここ以上に安心する場所は無かった。 「じゃあ、僕は先に行く」 べとべとの手を振ってアイスキャンディーのしずくを払い落とし、手を洗いに台所に向かう。 「あー、ボクもー」 急いで残りのアイスキャンディーを口にし、棒をゴミ箱に投げ入れたヒヨリが、台所から出てきた滴葉の腕に飛びつく。 「あー、うっとうしいな! 暑苦しいから離れろ」 邪険に振り払うとヒヨリは不満そうにふくれ、得意の「お兄ちゃん」攻撃を始める。 「お兄ちゃんのケチー」 お兄ちゃんお兄ちゃんとなつき始めたヒヨリの顔を改めて眺めながら、滴葉はかねてから思っていたことを口にした。 「なんで僕のことをお兄ちゃんと言うんだ? きみがいくつか知らないけれど、もしかしたら僕の方が歳が下かもしれないと考えないのか」 「え……ごめん、勝手に推測しちゃって…。ボク、十一才だけど。滴葉は?」 「きみはいくつだと思っていた?」 「十三……」 「……当たりだ」 子どもっぽい顔つきの滴葉の年齢をぴたりと言い当てたのは、ただ思い付きの嘘ではないのだろう。 「わーいわーい。当たったから、お兄ちゃんって呼んでいーい?」 「駄目だ。ほら、やるならさっさと始めるぞ」 こつんと頭を軽く叩き、物入れのドアを開ける。 このまま話題を引っ張るのは、滴葉にしてもヒヨリにしても、あまり嬉しくない。 「はーい」 ヒヨリはにっこりと笑って、きれいに揃えられた掃除道具の中からほうきを手に取った。
◆
「この家、カレンダーが無いんだね」 ヒヨリが滴葉の家に住み始めて何日目かの夜、電気を消して布団にもぐり込んで溜息を吐くと、ヒヨリが静かな声で話し始めた。 「それだけじゃないよね、テレビも無いし通信機器もない。ほんとにタイムスリップしたみたいだよ」 滴葉は返事をしない。 「街まで下りたら何でも有るのに。こんな不便な生活してるなんて」 天井を眺めながら、ヒヨリは続ける。 滴葉と自分の境界を、手探りで探すように。 「これって、時間の流れを分からなくするためなの……?」 実際この家に来てから、ヒヨリも時間の感覚が狂ってきてしまった。 せわしなく流れる時間と人に挟まれて当たり前に生きていたヒヨリは、もう数日前の自分を思い出すことさえままならないような気がする。
「……僕は、時間が流れるのが怖いんだ。本当にタイムマシンなんて物が有るなら、乗せて欲しいくらいだ」 かすれるような声で、滴葉が話す。 「どうして?」 「時間が流れる度に、プラスの可能性が削られてしまう気がする……」 「もしかして滴葉にも……時間が経つと不都合が有るんじゃないの?」 滴葉は黙った。 「……ごめん、今の無し。気にしないで」 「構わない。タイムマシンなんて、結局は出来るはずがないんだから」 「どーして?」 「クローン人間だって、技術的に可能になった途端問題視されて禁止されただろう。それと同じさ。きっと制作可能になったって、禁止されるに決まってる」 未来も過去も、現在で関わるとめちゃくちゃになる。 後悔してから簡単に取り返しがつくようになってしまえば、誰だって戻って最良の選択肢を選び直したいだろう。 「そうかもしれないね……。未来はボク等が選ぶんだよね」 自分に言い聞かせるようにヒヨリが言い、滴葉は静かに溜息を吐いた。
自分には、未来を選ぶなんてことが出来るのだろうか。 結果を受けるだけしか、自分には出来ないのではないか。
「バーカ!」 滴葉が布団を力いっぱい叩いて、起き上がる。 「滴葉……? ど、どうしたの?」 驚いてヒヨリも座る。 滴葉はもう一度拳で布団を殴りつけ、うずくまってしまった。 「どうしたの? 急に……」 冷たく当たることは有っても、こんなに感情的になるのは初めてだ。 どん、と鈍い音が響く。 「滴葉……」 頭を抱え込んでいる手を、ヒヨリが下ろさせた。 冷たい滴葉の手に、ヒヨリの温かい手。 「滴葉、時間、ほんとに無いんでしょ……」 「何故きみにそんなことが分かるんだ。きみは、何を知っているんだ」 今度はヒヨリが黙った。 滴葉には、もう時間が無い。刻一刻と流れていく時を焦りながら、それでもじっと待つ。 「……ごめんね」 「きみが謝る必要はないだろ」 小さくうなずきながら、ヒヨリは葛藤していた。 ヒヨリには時間がある。これから生きていく人生の、まだ何分の一も生きていないのだ。 「もういい。早く寝ろ」 滴葉はヒヨリの手を払って、布団にもぐり込む。 「……おやすみ…」
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+3+
「ほんっとうに、きみは宿題をしなくて大丈夫なのか?」
庭先でのんきに遊んでいるヒヨリを呆れながら、アイスキャンディー片手に滴葉が問う。 「えー? 大丈夫だよお。だって、まだまだ夏休み有るもん」 「いいや、僕の方が気になって仕方ないんだ。今から一旦戻って宿題を持ってこい。でないと、もううちにおいてやらないぞ」 きつく言い聞かせると、ヒヨリは渋々うなずいた。 「分かった、行ってくる……」 机の上に投げ出されていた財布を手に取りヒヨリが縁側から出ようとするのを、滴葉は慌てて引き止める。 「ちょっと待て、そんな土で汚れた服で下りるつもりか? ちゃんと着替えてから行くんだ」 「別にいいよお」 「駄目だ。今替えを持ってくるから、少し待て」 ヒヨリを縁側に座らせ、滴葉は二階の薬棚と箪笥が並べられた部屋からTシャツとズボンを取り出して一階に引き返した。 「ほら、着替えろ」 はーい、とつぶやいて着ていた洋服を脱ぎ始める。滴葉はヒヨリの脱いだ服を縁側ではたく。 また洗濯物が増えた。
「じゃあ、行ってきまーす」 財布をポケットに突っ込み、手を振って庭を出て行く。 一度坂道を下るヒヨリが見え、再び姿を消した。 滴葉は脱衣所に向かい、汚れた洋服を洗濯機に投げ込む。昨日の洗濯物も残っていたので、自分もTシャツを脱いでスタートさせた。 静かなうなり声を上げて、洗濯機は回り始めた。 ぽんぽんと洗濯機を軽く叩き、今度は自分の着替えを取りに二階へと上がる。 数日振りの、独りきりの空間。 まとわり付いてくるヒヨリがいないというだけで、微妙な異変を感じてしまう。 有り体に言えば、淋しい。 「……不覚だ…」 二人分の布団が干された窓辺に立っては外を眺め、縁側に座り込んでも庭の外を眺め、気付けばヒヨリの帰りをじっと待っている。 落ち着かない時間を過ごし、日が傾き始めた頃。ようやくヒヨリが鞄を提げて帰ってきた。 「ただいまー」
開け放した縁側の扉から、風が吹き込んでくる。机の上に投げ出されたプリント類がぱらぱらと音を立てた。 「もー、面倒だなー」 ペンを投げ出して、ヒヨリが伸びをする。 滴葉は飛んだプリントを拾い集めながら溜息を吐く。 「指が痛いよお」 「なんだ情けないな、まだ二枚しかやってないじゃないか。これで夏休みの終わりにまとめて出来るとか図々しいことを思っていたのか」 「ぶー。だって普段は肉筆で宿題しろーなんて、無いんだもん。あの先生おかしいよ。今日だってこの宿題を全部プリントアウトするのに、時間かかったんだからー」 「……ここの活用は間違ってるぞ」 ヒヨリの言い訳に耳を貸さず、解き終わったプリントに目を通す。 「う……だから英語が一番嫌いだって言ったでしょ。お願い、せめて算数からやらせてよぉ」 本当に英語は苦手らしい。
「あっ、ねえねえ滴葉、花火しようよ! 今日ね、ターミナルの露店で売ってたんだ!」 鞄の中身をひっくり返して、細い袋を取り出した。赤い線香花火だ。 ヒヨリは「じゃーん」と言いながら高く掲げて、滴葉の返事を待たず出ていってしまった。 呼び止めるひまもなく出て行ったヒヨリの後ろ姿を目で追い、あきらめの溜息を漏らす。 畳に手を突いて立ち上がり、縁側に出る。 「ほらー、滴葉早くー」 線香花火の中に入っていた小さな白いろうそくにライターで火を灯し、両手を振って滴葉を呼ぶ。 「見て見てー綺麗ー。ボク、初めて花火やるんだ」 ヒヨリはしばらくはしゃいでいたが、花火と眼下に広がる街の光を眺めているうちに静かになった。 隙間無く散らばっている街の灯。木々の間からのぞくそれは、この場所が流れに残されていることをいやがおうにも伝える。
「ほら、花火も無くなったし、そろそろ中に入らないか」 ヒヨリの背後に立ち、滴葉が促す。 「はーい。ねえねえ滴葉。滴葉って、学校行ってるの? 十三才なら中学生だよね?」 「きみは? どんな学校に通っているんだ」 「ボクは、教室(クラス)に登校する学校」 「……僕は、小学校はeスクールに登録していた。中学は…行っていない」 全く立つ様子を見せないヒヨリに背を向けて、滴葉も座り込んだ。土の上に直接座ったのは、何年振りだろう。 「eスクール? この家、パソコン有るの?」 驚いたように振り返って言う。 「ああ、二階の洋間に」 「じゃあ、色々勉強したんでしょ? eスクールの授業以外でも」 「……まあ…それなりに」 真意が汲み取れず、小さく首をかしげてあいまいに返事する。 ヒヨリは緊張した声で続ける。 「なら、どうしてあの部屋、鍵かけてるの? あれ、開かずの間というより開けずの間だよね?」 滴葉は黙った。 この少年は、何が言いたいのだろう。 そして、何を知っているのだろうか。
「今の無し、なんてもう言わないよ。滴葉、ほんとに時間無いんだからね!」
「時間……」 「精密に作られている物は、放っておくと確実に壊れるよ。どうして整備しないのさ」 お互い顔を見ないまま話す。顔を見たら、きっと感情的になってしまう。 「きみは……」 全部を言い終わらないうちに、ヒヨリが最初の一歩を切り出した。
「ごめんね。ボク、最初から気付いてたんだ。滴葉が」
鼓動がひとつ、どくんとうなる。
「滴葉が……人形だってこと」 「!」
瞬時に振り返ろうとして、やめた。 情けないような気が抜けたような感覚で、力が入らない。 たった数日一緒に居ただけで、何故ヒヨリに分かったのだろう。 「たぶん、三年くらい前から一度も整備してないでしょ」 当たりだ。 「なんで? 誰が滴葉のこと作ったの? その人、なんでここに居ないの?」 「……病なんだ」
滴葉を作った人形師は、もともと身体が丈夫ではなかった。 しかし幼い頃から手先が器用で繊細で、芸術的な才能も申し分なかった。 先人たちの人形師としての古くからの技術を学び、現代の技術の限りを尽くして滴葉は作られた。 人工頭脳が組み込まれ意識を持ったヒューマンタイプは滴葉一体のみで、それ以前や以後は普通の人形を作っていた。 進化しすぎた世の中を少しでも遠ざけるために人形師はこの土地に移り住み、1900年代さながらの生活をしてきた。それは滴葉一人になっても続いている。 或る日、人形師は突然倒れた。 病院に運ばれ数日で帰ってきたが、すぐに入院してしまった。 必ず帰って来るからと言い残して、人形師は入院先へ運ばれていった。
「整備を自分でしろと言われたんだ。でも、帰って来るまで待ちたかった。それに……僕はあの工房に入るのが怖いんだ」 「どうして?」 「バラバラの、人形パーツを見るのが怖い……」 自分も同じ様なパーツで作られているのに、何故か怖い。 人形師と居るときは怖いと思わなかったのだが、独りになった途端、言い得ぬ恐怖を感じるようになってしまった。 「でも、整備しないと、滴葉壊れちゃうよ……」 泣きそうな声で、ヒヨリがうったえる。 「ねえ、明日、一緒にあの鍵のかかった工房に入ろう? ボクが……整備してみるから」 「……きみは何者なんだ。そんなこと素人が簡単にやれることじゃ…」 「大丈夫だと思う。コンピュータが有るんなら、きっとそこに情報がインプットされてるだろうし」 本当は滴葉自身にも整備知識はインプットされていたのだが、その知識でやったのは情報デリートだけだ。 「お願い。考えておいて」 すくっと立ち上がり、滴葉の手を引いて立たせる。素直に応じた滴葉は手を引かれたまま家の中に戻った。 プリントの束で散らかった部屋を片づけながら、洋間の錠前のことを考える。薬棚の引出の奥にしまってあるはずだ。
ヒヨリが風呂に入っている間に、滴葉は二人分の布団を敷いて先に眠りについた。 自分は、どうするべきなのだろうか。
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+4+
洋間を前にして、滴葉だけでなくヒヨリも緊張しているようだった。 ヒヨリが「ボクがやる」と言うので、何かを怖がっている様なヒヨリを少し心配しながらも、薬棚から取ってきた鍵を手のひらにのせた。 「開けるよ……」 がちゃり。 何のひっかかりも無く、すんなりと鍵は解かれた。 二人で顔を見合わせて、滴葉が小さくうなずく。銀色のドアノブに左手をかけ、ゆっくりと下に下ろす。 三年振りに開ける、自分が作られた人形工房。 ドアを開け切ったところで息を呑む。 すくむ足をむりやり前に出し、一歩中に踏み入る。 素足がたまった埃を宙に舞い上げた。 「あっ、吸っちゃだめ!」 ヒヨリが部屋の外から滴葉の腕を引っ張る。 「精密なものに埃は大敵! …出て。ボクが一通り掃除するから」 手を引かれたまま、滴葉の目は人形達を捉えていた。 「う……」 声にならない声が漏れる。 じりじりと後退りする滴葉を止めようと、ヒヨリも室内に入る。埃が舞い、ヒヨリも咳き込んだ。 涙の溜まった瞳で、室内の様子をざっと見渡す。 心臓が大きな音を立てて打ち、ヒヨリは部屋から飛び出したい衝動にかられた。 「滴葉、早く出て。……早く!」 滴葉は言われるままに洋間から押し出され、ヒヨリがドアを閉めた。 「ボク、掃除道具取ってくるね……」 階段を駆け下り、いつもの物入れを開ける。初めは使い勝手のよく分からなかった道具を手に取り、再び二階へと向かう。 深呼吸をして鼓動を鎮め、階段の最後の一段を上がった。
「……少し待っててね、できるだけ早く終わらせるから。滴葉はパソコンのマニュアル探してきて」 「それならそこに……パソコンデスクの上の棚に仕舞って有る」 「わかった。じゃあ、少し待っててね」 滴葉の緊張をほぐすように、にっこりと笑って洋間に入っていった。 ほどなくして雨戸を開ける音が響く。 滴葉は落ち着かない気分でしばらく廊下をうろうろした後、ドアの横の壁に背を付けて座り込んだ。膝を抱えて、ただひたすら待つ。
「遅い……」 人形師の帰りを待ち続けているのだから待つのはそんなに苦ではないと思ったが、これが予想以上に長く感じられる。 いつもの調子でもたもたと掃除しているかと思うと、余計に心配になる。 ……ヒヨリも何かにおびえている様子だった。 がちゃりと音を立ててようやくドアが開けられ、ヒヨリが服を真っ黒に汚して出てきた。 「掃除できたよ。マニュアルもちゃんと有った」 何冊かのマニュアルを抱えている。 「……まず服を着替えてくれないか。今、風呂を沸かしてくる」 ヒヨリが着ていたのは、昨日宿題と一緒に持ってきたきれいなカッターシャツだったので、滴葉はまずその汚れに愕然とした。 「あはは、いつもの滴葉だネ。よかった」 ヒヨリの方も、いつも通りの態度だ。中で多少馴れたのだろうか。
二十分程かけて風呂に湯を溜め、着替えと一緒に渋るヒヨリを脱衣所に押し込み、滴葉は縁側で埃だらけのマニュアルを拭いて広げてみた。 よくeスクールに登録できたなと今更ながら思うような、古いパソコンだ。 「お使いになる前に……」 文字を指でなぞりながら、声に出して読んでみる。 何も覚えていない。パソコンの使い方でさえもデリートしてしまっていた。 「セットアップぅ?」 突如、背後から声がした。振り向くとすぐ横にヒヨリの顔が有り、視線はマニュアルに注がれている。 「なっ、なんだよ……」 ヒヨリを風呂に入れてからまだそんなに経っていなかったので、心底驚いた。いつもは長風呂で、一度入ると一時間は出てこないのに。 「やっぱり配線からやるんだあ…。全部抜き取られてたから、まさかとは思ったけど。やだなー」 濡れた髪の毛をタオルで拭きながらぼやく。 ヒヨリがぼやくのも無理は無いだろう。今のパソコンを使い慣れているヒヨリにとっては不便なものに違いない。 「んー、まあいいや。見せて見せてー」 滴葉が持っていた基礎編というマニュアルを受け取り、隣に座り込んで熱心に読み始めた。 ぱらぱらとめくりながら、時々きちんと目を通す。実物を触りながらでないとはっきり分からないので、とりあえずの基礎だけを叩き込んでいるようだ。 小一時間経った頃、マニュアルは閉じられた。 「工房、行こ」 すくっと立ち上がり、アイスキャンディーを食べていた滴葉の腕を引っ張る。 「あ……ああ…」 うずく感情をおさえて、滴葉もゆっくりと立ち上がる。 くだらない話もせず、ただ黙って階段を上がり、そして再び洋間のドアが開けられた。 足がすくんで、一歩入った所で止まる。 ヒヨリはパソコンデスクの周辺をいじり始め、まもなく用意ができた。 「先刻色々探してみたら、何枚かディスク出てきたんだ。多分、どれかに情報を打ち込んであると思うから。……一枚づつ調べてみるね」 ヒヨリが振り返って、ディスクを何枚か見せる。滴葉はうなずいて、自分もデスクの横に立った。 一枚目を立ち上げてみる。 数秒のロードの後、文字の羅列が出てくる。 「……なんだろ、これ」 日付が打ってあり、数行の文章が書かれている。次にまた日付が打たれ、数行の文。これの繰り返しだ。 「これ……日記…かなあ」 マウスで画面をスクロールさせながら、時折止めて読んでみる。
◆
二年越しの苦労がようやく実った。ヒューマンタイプの人形が完成したのだ。しかし、当然のことながら人工頭脳はまだ未熟だ。これから成長するだろう。 名前はかねてから考えていた「滴葉」にした。
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滴葉は白が好きらしい。手首を修理している際、切り口をつないだ部分と首のふたを隠すために包帯を巻いたら、ひどく気に入っていた。あんまり喜ぶので包帯の巻き方を教えたら、すぐに覚えてあちこちに巻きだした。 今日、兄さんから電話があった。画面の向こうの兄さんはひどく不満そうだ。 ここの暮らしは気に入っている。もう三年になるが、一度として不満を持ったことは無い。親兄弟のことが気にならないと言ったら嘘になる。帰らないのも悪いと思う。
◆
今日、危うく故障しかけた。気温の上昇の所為で、腹部辺りに異常が出てしまったのだ。わたしの至らなさが原因だ。滴葉にはアイスキャンディーを食べさせることにしよう。ほんの気休め程度のことだけれど、何もしないよりはましだ。 滴葉はアイスキャンディーを気に入ったらしい。普段は何か特別なことが無い限り食事をしようとしないので、アイスキャンディーを食べてくれるだけでも喜ばしい。
◆
制作者であるわたしが言うのもなんだが、滴葉は本当にかしこくて良い子だ。 それにしても、どうやら自分が人形だと分かっているらしい。人間というエゴイズムの塊のような生き物のわたしが作ったのに、あの子は感謝してくれている。少々悪い気がする。 しかし、わたしはあの子を人形だとは思わない。
◆
定期検診の日だった。滴葉を連れて行くと、まわりの患者を見て心配していた。わたしのことをひどい病気なのかと訊いてきたのでそんなことはないと言ってしまった。逆効果。
◆
滴葉の十歳の誕生日。整備と修理をした。 今日、入院が決まった。この前受けた検診の結果が届いたのだ。滴葉を独り置いていくのはいくらなんでも心許ない。 しかし、今回きちんと入院しないと命の保証はできないとまで言われた。手術をすることもままならないという。 死にたくはない。
◆
「……滴葉…すごく大切にされてるんだね…」 お互い声をつまらせる。ようやく言葉を発したヒヨリに、滴葉は黙ってうなずいた。 日記を閉じて別ディスクの情報を開いている間、滴葉はゆっくりと室内を眺めてみた。 あの頃と変わりの無い部屋。 ここにこもって人形を作っていた後ろ姿が浮かび、少し安堵した。
「あっ、これだ。有った、有ったよ!」 滴葉の服を引っ張って、ヒヨリが興奮したように言う。スクロールバーをクリックしながら、真剣な表情で読み始めた。 一通りの情報を読み終わると最初のページに戻し、一度マウスを放す。 「始めよう」 「……ああ」 困惑しながらも、滴葉はうなずく。自分を作ってくれた大切な人が、生きようと頑張っているのだ。自分が壊れてしまうわけにはいかない。 「……自分の修理されてるところなんて、やっぱり見たくないよね。ごめんね、少し眠ってて」 ヒヨリは滴葉の首に手を伸ばし、彼の包帯を外す。 首筋のふたを開け、スイッチを切り替える。 滴葉の身体の力が抜け、まぶたが閉じられた。 膝が床につく寸前、ヒヨリが抱き止める。 力の無いヒヨリは一生懸命台の上に座らせた。 きれいに整頓された工具を一つづつ確かめ、パソコンと見比べる。 息を大きく一つ吐き、動かなくなった滴葉に向かい合う。 ヒヨリは、ゆっくりと整備にかかった。
眠ることさえ忘れて作業を続け、そしてそれは二日目の夜が明けるころ、終わりを迎えた。
首のスイッチを再び入れ直し、閉じる。 しばらくして、滴葉のまぶたがゆっくりと上がる。 頭が持ち上がる。 「……ヒヨリ…」 かすれる声で、滴葉がヒヨリを呼ぶ。 成功したのだ。 張り詰めていた緊張の糸が切れ、ヒヨリの目に涙が溜まった。 「滴葉ぁ……」 床にぺたんと座り込んで泣き出すヒヨリの頭を、滴葉が撫でてやる。 寝ていないのと気が抜けたのとで、ヒヨリは直に眠ってしまった。寝室にヒヨリを運んで布団を敷き、寝かせる。 動きの軽くなった身体を実感する。 ヒヨリの寝ている隣で、滴葉はいつも通り包帯を巻き始めた。
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夕方、眠っているヒヨリの側に居ると、呼び鈴の音が響いた。 めったに来客が無い家なので、不審がりながらも下に下りる。玄関に向かうと人影が映っていた。大人らしい。 「はい……どなたですか」 言いながら靴を履き、戸を開ける。 「……きみが滴葉くんか」 「……? はい。そうですけど」 威圧的な男だ。見たこともないのに、何故自分の名前を知っているのだろう。 「伽也(かなり)が、昨日、息を引き取った」 あらぬ方を眺めながら、男はうつろな声でそう告げる。 「うそ…だ……」 呆然とした。 しかし、この男は自分を作った人形師の名前も自分の名前も知っている。 でも、信じることができない。 信じたくない。 「うそだ! 帰って来るって……言ったんだ。そんな、そんなわけ……」 「本当だ。弟はな、入院した時点でもう駄目だったんだ。手術をしようにも、耐えるだけの体力がなかった。……いくら時代が進化しても、不可能なことはまだまだ有るんだよ」 「うそだ……そんなこと信じるわけないだろ! 帰ってくれ!」 「黙れ! 帰る時はきみもだ。もう、ここは引き払う。俺も弟と同じ人形師だ。きみの面倒は俺が看ることになった。さあ、葬儀がある……早く支度をしろ」 言われてみれば、男は喪服を着ている。ああ、こいつの言っていることは嘘ではないのかなと、不快な感情がうずく。 「……滴葉あ? どうしたの? 大きな声出して。お客さん?」 眠っていたヒヨリが起きてしまったらしい。眠そうに目をこすりながら、顔を出す。 「日和……!」 ヒワ、と発音した。呼んだのは、滴葉ではなく男の方だ。 「お……とう…さん…」 「お前、こんなところに居たのか! 一体何をやっているんだ、いい加減にしろ! どれだけ捜したと思っているんだ。さあ、お前も帰る支度をしろ」 男はヒヨリを怒鳴りつけ、ポケットの中から通信機を取り出すとアクセスを始めた。 宙に平行な画面が浮かび上がり、立体像が出る。 「日和が見付かった、至急全員に連絡を回してくれ。これから連れ帰る。コンペの手配もこれまで通り進めてくれ」 通信が終わると靴を脱いで上がってきた。ヒヨリの腕を掴み、玄関に引き返し靴を履く。 ヒヨリは玄関を下りず、男の手を払い除けた。 「ボクは帰らない。ここに居る」 「戯れ言を言うな! お前は跡取り息子なんだぞ、何がそんなに不満なんだ!」 手を振り上げ、ヒヨリの頬を叩こうとする。 滴葉は、そこに割って入った。 「滴葉ぁ!」 男の手のひらは滴葉の頬を捉え、滴葉が倒れる。今まで叩かれたことがないのだが、やはり気持ちの良いものではない。 立ち上がり、ヒヨリを背後にかばう。 「嫌がっているじゃないか。ヒヨリはここに居たいと言っているんだ、もう帰ってくれ」 「これはうちの問題だ。人形のくせに、とやかく言うんじゃない!」 パシッ 乾いた音が響く。滴葉は驚いてヒヨリの顔を見た。 ヒヨリの手が男の頬を捉えていた。 「人形のくせになんて言うあんたに、人形を作る資格なんてないよ! ボクはあんたのあとなんて継がない!」 涙目でそう叫ぶと縁側の方に走っていき、荷物の中から男と同じ通信機を取り出した。 「警察ですか? 助けて下さい! 急に変な男が家に入ってきて…」 男が追いかけて止めようとしたが、もう遅かった。ほんの数秒で空から巡回中の警察が降りてきて、男は連れて行かれた。
あっという間の出来事で、滴葉はただ立ち尽くすだけだった。 一度にたくさんの事が有り過ぎた。様々なことを聞かされ、自分に降りかかってくる。 「伽也が……」 伽也が亡くなった。絶対に帰ってくると言って出て行ったのに。それとも、彼自身がそうなるようにと願っていただけなのかもしれない。 きっと、伽也も心細かったに違いない。 死にたくない、生きていたいと願っていた。だからこそ滴葉にも、帰ってくると言い聞かせたのだ。 「滴葉……大丈夫…?」 ヒヨリが滴葉をその場に座らせ、小さく問い掛ける。 「伽也さんの葬儀、参列する?」 会場はおそらくヒヨリの自宅だろう。いくらあの父でも、参列者を追い返すほど非常識者ではないはずだ。 「ボクも行くから、一緒に行こう」 滴葉は涙を堪えてうなずいた。 「じゃあ、用意して今すぐ行こ。……あ、でも服がないや。どうしよう、滴葉喪服持ってる?」 「持っていない」 「この際普段着で行こう。家に帰ってから着替えよう。ボクの服、少し小さいかもしれないけど我慢してね」 手を引いて立ち上がり、縁側に脱ぎ捨てている靴を履き、山を下りた。
ヒヨリの実家は滴葉が想像していたよりもはるかに遠かった。 長い間列車の窓からゆるりと流れていく景色を眺め、結局ヒヨリの家に着いた頃には日が沈んでいた。
◆
「日和さん……!」 自分の世界とあまりの違いに一瞬頭の中が現実に引き戻されかけたとき、澄んだ女性の声がヒヨリの事を呼んだ。 「ユリさん……」 「お帰りになられたんですね。あら、お連れ様もいらっしゃるんですか。奥様にお伝えして来ます。お疲れになられたでしょう、すぐに食事を用意しますからお二人ともお風呂をどうぞ」 「ありがとう。……滴葉行こ」 ユリと呼ばれた女性の脇をすり抜け、玄関をくぐる。 ヒヨリの部屋にたどり着くまでに、何人かの使用人らしき男女がヒヨリに声を掛けてきた。ヒヨリに掃除をしなくていいと言った『皆』とは、彼女たちのことだったのだろう。 「やっぱりちょっと疲れたね……。ユリさんの『すぐ』ってほんとにすぐだから、早くお風呂入ろう」 昨日一度も風呂に入っていないので滴葉はすんなりと同意し、広い湯船につかった。 食事もやはり広い食堂で、皿が何枚も運ばれては下げられていった。 母親らしき女性と三人でテーブルを囲み、ほとんど手を付けないまま滴葉もヒヨリも食事を終わらせる。
「滴葉さん」 「……はい」 立ち上がり席を離れようとすると、ヒヨリの母親が声をかけた。先に歩き出していたヒヨリが振り返り、滴葉の背後にひっついた。 「少しお話をしたいのだけれど、いいかしら」 「……はい。なんでしょうか」 「あら、立ち話もなんでしょう、お座りになって下さいな。日和は席を外してちょうだい」 「………はい」 少しの間渋っていたヒヨリは、小さくうなずいて食堂を出た。 ヒヨリの母親と真向かいに座る。 あの男の奥さんとは思えないほど、やさしそうに笑う女性だ。 「わたし、紗代といいます。未岐也さん…夫から大体の話は聞きました。本当にごめんなさいね。……あの人、伽也さんのこと、本当にすごく大切にしていたから」 伽也と七つ違いの兄は小さな頃から病弱だった弟を気遣い、大切にしてきた。弟の人形師としての才能に嫉妬することも無く、ただただやさしく面倒を見てきた。 ところが伽也は街を嫌い、都心部に在る家を嫌い、出てしまった。 未岐也は人形師としての仕事も成功し、やがて結婚も決まり子どもも出来た。 その子どもは、弟と同じく生まれ持った才能があった。
「だから、夫は素質と才能が有る日和を、伽也さんのような人形師に育てようとしたの。でも日和はそんな未岐也さんを怖がった。人形を作っているお父さんは何かに取り憑かれてるみたいだって」 「ヒヨリは……父親から逃れるために家出したのか…」 独り言のつもりで呟くと、紗代が続ける。 「ええ。伽也さんと滴葉さんのお宅に辿り着くなんて、考えてもみませんでしたけど……。これも何かの縁ですね」 眉をひそめて小さく笑う。ヒヨリの苦笑いは母親ゆずりらしい。 「お邪魔している間、あの子へんな嘘吐きませんでした?」 「はぁ……な、何度か…」 表情を歪ませて、あいまいに返事する。 「くだらない嘘を言うなって未岐也さんがあんまり叱るものだから、日和もすねちゃって……。あの子の吐く嘘って、大抵はあからさまな嘘でしょう? 子どもだから、構って欲しいみたいなの」 道理で言っていることが次々と変わるわけだ。 そんなヒヨリの子どもっぽい行動を、今更責めるつもりはなかった。誰だって、誰かに構ってもらいたいと思うだろう。 「見たところ、あの子は少し成長したみたいね。滴葉さん、日和のわがままに付き合ってくれてありがとう」 「いえ……。僕も………楽しかったですから」 「そんな風に言ってもらえると嬉しいわ。きっとあの子も喜ぶでしょうね」 紗代が両手を軽く組み合わせて、にっこりと笑う。 自分らしくない自分の言葉に、滴葉は恥ずかしくなってうつむいた。 「よろしかったら、日和と一緒にこの家に来て下さらないかしら。あの子、きっと喜ぶわ。ああ見えても未岐也さん、本当に名の有る人形師なの。伽也さんの代わりに……ならないかしら」 滴葉は顔を上げずに黙った。 あの男に、伽也の代わりなんて絶対に無理だ。技術的な問題だけでなく、人間性の問題だろう。 「伽也の代わりは……」 「ごめんなさい、勝手なこと言ってしまって。そんなの無理よね。本当にごめんなさい。……明日は通夜で忙しいわ、ゆっくり休んで下さいね」 かたんと小さな音を立てて、紗代は席を外した。 滴葉はしばらく座ったままで溜息を漏らし、ヒヨリの部屋に戻った。
「滴葉ー。お母さんと何話してたの?」 ベッドの上でごろごろしていたヒヨリが、ぴょこんと起き上がって飛び付いてきた。 「別に」 「意地悪ー、教えてよぉ」 「未岐也さんは伽也のこと大事に思ってたから、あんなに取り乱してしまったんだって話」 滴葉の腕を掴んだまま、ヒヨリは唇をかみしめて床をにらみつけた。 「そんな……そんなのお父さんの自分勝手だよ。滴葉だって伽也さんのこと大好きなのに……悲しい思いしてるのに!」 滴葉の腕から手を離し、ベッドサイドに腰掛ける。 「……仕方ないさ…。誰が誰かのことを一番好きだった、なんて、決められるものじゃないんだから」 滴葉は横に座って、怒りに表情を歪めるヒヨリの頭を撫でてやる。 「滴葉ぁ……」 ヒヨリが顔を上げ、上目遣いに滴葉を見る。 「ごめんね……。一番大変なのは滴葉なのに、こんなつまんない内輪もめに巻き込んじゃって…」 「気にするな」 今回は巻き込まれたというより、巻き込んだような気がする。 「ボクね、本当は人形を作る自信がなかったんだ……。まわりはボクのこと天才だとかわけ分かんないこと言って騒ぐしさ、お父さんは作業場にボクのこと閉じ込めて、次から次へと作業を押し付けてくるし」 ヒヨリが再びうつむく。 「ほんとに怖かった。人形作ってる時のお父さん、別人みたいで。最初は人形作ってる時だけだったんだけど、それがだんだんエスカレートしてきて顔を合わせる度に、何かに取り憑かれてるみたいに人形のことばっかり! お前は絶対に名の有る人形師になるんだって」 泣き叫ぶ様にまくしたて、自分の膝を力一杯拳で叩く。滴葉は落ち着かせるために背中を撫でてやった。 「自信なんて…そんなあやふやなもの、どうでもいいだろ。現にきみは僕のことを修理してくれた。並大抵の技術じゃ出来ないはずなんだから」 やさしく言葉を掛ける滴葉の声に少し落ち着いたヒヨリが、小さく溜息を漏らしてから立ち上がる。 「ありがと、滴葉」 いつものように笑いながら、滴葉の腕にひっつく。 少しの間ぎゅっとしがみついて、それからおもむろに笑顔を浮かべて言った。 「ねえねえ、包帯巻こうヨ。お風呂入ってから付け直してないし」 ヒヨリは初めて滴葉が包帯を巻いてやったあの日から、いつも欠かさず右手首に包帯を巻いている。 こんなに長い時間外したままなのは、初めてだ。 「一緒にユリさんのとこ行こ。そういうの、ユリさんの仕事だから」 滴葉はヒヨリに手を引かれて立ち上がった。 「そうだな」
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翌日、翌々日の通夜と葬儀はしめやかに行われた。 交友関係が全く分からなかった伽也の式にはたくさんの人々が参列し、滴葉は心底驚いた。 葬儀やその後の手続きも全て終わり、忙しい日々は瞬く間に過ぎる。
「滴葉ー、何してるの? お昼ご飯出来たってさ。食べようよ」 部屋のドアが勢い良く開かれ、ヒヨリが飛び込んできた。 「ありがとう」 「……って…ほんとに何してるの…?」 不安そうに小さな声で問いかけ、寄ってくる。 「帰る支度。もう何日もここに居るし。掃除もしないと伽也の家が汚れるだろ」 「そんな……。滴葉…帰っちゃうの?」 滴葉はヒヨリの目を見てうなずいた。 「嘘……帰らないでよ、ここに居てよぉ」 滴葉の腕を掴み、泣き出す。滴葉は困ったように表情を歪め、肩に手を置いて言い聞かせた。 「僕は伽也と同じで、やっぱり街に住むのは性に合わないみたいなんだ。僕はあの家で暮らす」 ヒヨリは目元を真っ赤に腫らし、涙をこらえて滴葉に向き合う。 「じゃあ、ボクも行く。ボクもあの家に居る! 駄目だって言っても絶対について行くもん」 「ヒヨリ……」 「伽也さんの代わりにはなれないかもしれないけど、お父さんよりマシでしょ? ね? お願い、ボクも行く!」 「伽也の代わり……」 手を下ろし、目を伏せる。 「お父さんに……話してくる!」 滴葉が止める暇無く、ヒヨリは走って部屋を出て行ってしまった。 滴葉が部屋の外に出たときにはすでにヒヨリの姿は無く、仕方が無いので未岐也が居ると思われる工房へと急いだ。
未岐也は葬儀の後も相変わらず取り乱していて、とてもまだ小学生の息子が家を出て行きたいという話を冷静に聞くとは思えない。 滴葉が工房のドアを開けた時、案の定未岐也の罵声が響いていた。 「ふざけるんじゃない! 誰がそんなことを許すと思っているんだ! 学校はどうする、あそこからどの交通手段を使ったって、べらぼうな時間がかかるんだぞ」 「eスクールに通う。ボクのパソコン持って行くもん。ちゃんと勉強する、登録先もお父さんが決めていいから」 「たわけた事を吐かすな! お前は一体何を考えているんだ。あんな辺鄙なところで何をやると言うんだ!」
「ボク……人形を…、人形を作ろうと思う。伽也さんの工房で」
「! 日和……」 未岐也の動きが止まり、呆然とヒヨリを眺める。滴葉も同じだった。 「ヒヨリ……きみは人形を作ることから逃れるために家出をしたんだろう? それなのに何で…」 「滴葉の整備してて分かったんだ。人形師には人形師の数だけ、やり方、生き方があるんだって。想像したよりボク、ずっと穏やかな気持ちでできたもん。ボクはお父さんのやり方じゃ出来ない。でも、ボクのやり方がきっとある」 滴葉と目を合わせてにっこりと笑う。 「だからね、ボク、やっぱり人形師になろうと思う。伽也さんの大切な滴葉に、ずっときれいでいて欲しいもん」 「伽也のように……なれると思っているのか?」 静かな声で未岐也が問い掛ける。 「ボクはボクだよ。伽也さんのこと知らないし。でも、滴葉のこと大事に思ってる。立派な人形だからじゃない、人間でも人形でもどっちだって同じ。滴葉だから大切なんだもん」 「ヒヨリ……」 にこりと笑むヒヨリに背を向け、未岐也は黙り込む。 誰も何も口にしない空間が広がり、最初にそれを切り開いたのは未岐也だった。
「分かった」
「へっ? お父さん?」 「どこへでも好きなところへ行くといい」 未岐也は静かに顔を上げ、二人の方を向いた。 目元が赤く、頬にはうっすらと涙の筋が残っている。 「俺は日和が人形師になってくれるだけでいいんだ。才能は有る。ネームバリューも有る。しかし、必ずしも成功するとは限らない。少なくとも、日和自身の努力が無ければな」 「解ってる……」 「日和のやり方を見付けたいと言うのならば、それも良かろう。日和が自分のやり方を見付けて成功することが、俺の何よりの希望だからな」 ヒヨリの頭に手を乗せる未岐也の姿は、初めて見る“父親”らしい姿だった。 熱心さのあまり我を忘れていた彼は、憑物が落ちたように柔らかい顔をする。 「滴葉くん、きみは素晴らしい人形だ。伽也が……弟が作ったんだからな。今まで失礼なことを言ってすまなかった」 伽也が、好きなのだ。 「いいんです。伽也のこと、僕も大好きだから」 「ありがとう……」 伽也が、大好きなのだ。 滴葉も未岐也も。 どちらがより伽也を好きかなど、決められる筈が無い。
◆
結局、未岐也と紗代は三つの条件を出した。 一つ目は未岐也が指定したeスクールの授業をきちんと受けること。 二つ目はコンペには必ず出品すること。 三つ目は月に一度は必ず滴葉と一緒に顔を見せに帰ってくること。 そしてユリからも一つの条件が出された。ヒヨリ滴葉ともに、一日三食の食事を摂ること。 色々と機械やサービスをすすめられたが、滴葉は丁重に断った。 できるだけ、伽也の居た頃と同じままにしておきたい。便利なものはいくらでも有るけれど、そういう自由を伽也は望んではいなかった。
「本当に、これでいいのか? 後悔するかもしれないぞ」 帰りの列車の中、窓際で外の景色を眺めるヒヨリに滴葉が尋ねた。 「……後悔なんてしないよ。自分で決めたんだもん。滴葉の家に居た間、少しも不便だなんて思わなかったし。平気だよ。滴葉も居るもん」 「自分が選んだ……か…」 「そうだヨ。タイムマシンはやっぱり無いけど、必要なんて、無いよね」 「……そうだな」
自分の選んだ路。 ヒヨリと選んだ路。
「ただいま。伽也」
嘘を吐く必要の無い場所。
Fin
終了でーす。(馬鹿っぽく) 結局あまり句読点など変更するところありませんでした(笑顔)。4年前からちーっとも技術向上してないってことか…。 その代わり、ラストだけちょこっとだけ加筆訂正しました。 最初に行う予定だった加筆訂正よりは大分小規模ですけども。
この作品は、日生にしては珍しく三人称です。 書き始めた時はシズハの一人称だったのですが、ヒヨリよりの視点が必要だったので直しました。三人称苦手ー; 書き終わった時「あーもう二度と三人称なんざ書かねぇ!」と思いましたv(笑)
ちなみにこの本出した時、同封でアンケート入れてました。 ついでにアンケートも再録(?)するので、よろしければ答えてやって下さい。 ページ左側に設置してあるメールフォームに以下の文をコピペしてお答え下さいませ。 質問の内容は、同人誌時にしか通用しないネタは全て削除してあります。
質問1 ズバリ、感想を下記から一つお選び下さい。 1.良かった 2.まあまあ 3.つまらなかった 4.その他
質問2 登場人物の中で一番好きなのは誰ですか? キャラ名: 理由:
質問3 逆に好きになれないのは誰ですか? キャラ名: 理由:
質問4 文体について、どう思われますか?(例:稚拙、難しい、読みやすい、など) (
質問5 話の展開について、思うことを何でも良いので書いて下さい。 (
質問6 話の結末について、思うことを何でも良いので書いて下さい。 (
質問7 この本とあからさまにネタかぶってるー! という本が万が一有ったら教えて下さい(汗)。わたしの勉強不足ですので。 (
質問8 今後日生に扱って欲しいな、と思うテーマ・題材があればお書き下さい。 (
質問9 意味が分からなかったところがあれば、ご指摘下さい(すみませんでした)。 (
質問10 とにかく何でもいいので思ったこと、感想など、気の済むまで書いて下さい。日頃の詩や小説についても感想いただけるとありがたいです。 (
以上10の設問です。答えられないところは答えなくて結構です。 今後の執筆活動の参考にさせて頂きたいと思います。 ちなみに当時好かれていたキャラはヒヨリ。日生的には嫌われたらどうしようと思っていたキャラなのでドッキドキでした。 日生自身はシズハもヒヨ(愛称・笑)もお気に入りです。親馬鹿!(笑) キャラのお気に入り度で言ったら一番かもしんない。
ではでは。読んで頂いた方に全力全身の愛を。 ありがとうございました!
2004年07月14日(水) |
『何が欲しいのか判らなくなる』 |
咽喉が渇くの。
貴方と居ると、酷く咽喉が渇くの。
足りない。
足りない。
足りない。
ますます貪欲に成るアタシが望むのは、この渇きを潤すミネラルウォーター。
欲しいのは、翼。
欲しいのは、鎖。
+++ パソコン奇跡の一時復活ーーー!!!立ち上がった!ネット繋がった!しかし漢字変換激遅。たまに入力自体阻まれます。そしていつ止まるか分からないドキドキ感。 パソコンは、今度の土曜日に冬月氏(リンク参照)が見てくださることになりました。救世主!会場は同じ専門ガッコーに通っていたお兄さんの部屋。ずっと拝見したかった&渡したいものが有ったのでラッキーです。 あー調子良くなるといいなぁ、こいつ。。。
2004年07月05日(月) |
『この隙間の持つ意味すら無駄で』 |
壁がある。
自分では絶対に乗り越えることの出来ない、圧倒的な壁。
この先にあるものがどうしても欲しくて、この先にどうしても行きたくて。
がむしゃらに乗り越えようとした。
でも、乗り越えられないことは、自分が一番よく知っている。
解りきっていて、壁に掴みかかった。
なんとなく、このまま乗り越えられそうな気がして。
むしろ、なんとなく乗り越えたような気すらして。
でも、それはまやかしなんだと知る。
思い知らされる。
+++ 久々更新が暗ー!!; どうしても乗り越えられない、それが解り切ってることがある。その気さえあればとかうっかり可能にとか無理だし不可能だし、本当に乗り越えられるはず無い。 『自分には無理だよーとか言っても、「死ぬ気でやればなんとかなる」』って素晴らしいことだと思った。可能性がちょっとでもあるって素晴らしい。 そんなこんなで、あたしも死ぬ気で頑張れることは死ぬ気で頑張ろうかと。 就活!!!!! 今のままは居心地がいいしそれなりに頑張れてると思うけど、やっぱりそれじゃ駄目だ。ずっとフリーターで生きていけるほどのスキルも持ってない。嫁にも行く気が無い。 結局まわりの環境に甘えている自分のままじゃ、将来絶対後悔すると思った。ちゅうわけで最近就職情報サイトにかじりつき。 すげぇ暗い文章読ませてスミマセン。
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