9月-LAST



脳の中を一瞬で駆け巡った

時は過ぎて

 心地よい季節

短い季節が 通りすぎようとしている

9月は存在したのか解らない

もしかしたら 無かったのかもしれない

けれど確実に時は過ぎ

それに伴い 一点を除いて変化していく

バランスがとれているのか

崩れ去る 恐怖が今は無い

上手く 心の距離がとれているような

 気もする

ひょっとしたら これも 与えられた時間で

リミットはあるのかもしれない

それでも

駆け抜ける時の速さの中で

たった一つ

エンドレスな部分を 自分の中で

受け入れ 感じられた

watasiが確かに あの時息をしていたのだと

そして

その時は watasiが消えても 消える事は

多分なく

静かに息をしつづける

そんな時間を手に抱く事ができた

        watasi

もっと早く

抱きしめておけば 良かったのかもしれない


今だから 抱きしめる事ができ

その重要さを 知る事ができたのかもしれない

 
存在を感じなかった 9月からの

贈り物なのかもしれない・・・

10月になった











2002年09月30日(月)


気持ち良い空間で 息をして

意味を 求めすぎ 答えを見つけようと

近寄りすぎた人がいる

同じ何かを 見つけようと 違う何かを見ていた

それは 同じではなく 違いだった

その接点はありえず その人を

苦しめたかもしれない 

けれど watasiには やはり 必要な時の流れだった

あの時点で その人がいた事は

不可欠な 時だった

そして watasiも もしかしたら

誰かの そんな時の中に 存在してるのかもしれない

さ迷い人の 空間に立つ watasi

意味を問う必要も無い 心地よい時間が ある

意味を問う 理由が無いような気がしてる

其れは もしかしたら watasiだけなのかもしれないが

翻弄されるでもなく

狂わされるでもなく

求めるでもなく-----

自然に流れている そんな空間

勝手な言い分だとしたら 

この時が 出きるだけ 長く続くように

9月の月に 祈る



迷いの時の中に いる anataには

逢いたくない

宇宙の果てで 再会し

永遠に 星と月と地球を 見続け

永遠に 漂い続け

永遠に 意味を問わないでおこう



2002年09月19日(木)


赤い雲に魅せられて 秋を感じてきた

和歌の交換などしてたりしながら 日々秋を受け入れている

ざわめく 回りの 言葉に耳を傾けながら

反省し 共鳴し 過去を大切に思える自分がいる

そして 差し出された手の 感触

過ごした時間の 大切さを 思い

何時まででも 置いておきたいと 思う

無くしそうになって 初めて 色んな事が見えてしまった

友達

見えた事が いいのか? 悪いのか?

ただ 何が大切か 何が必要かを思えば 

見えた事など問題ではないような気がする

変わっていく 友達を静かに見る

そして 人として watasiの前に 来てくれる

anataを 待つ

甘美で 誰にも越えられない 時をくれた人だから

遥か前のメッセの話を読んだ

捨てたくないものは 何時まででも とっておいたほうが

良い

必ず 自分の物になるから

watasiは 何も残さなかった

記憶以外−−−−−

風の心地よい 季節になってきた

ゆっくり 静かに 歩いて行こうかな・・・・

リアルな世界で

2002年09月13日(金)

更知

朝晩に 秋の気配を感じてるこの頃

知らない間に 夏は通りすぎた そんな気もする

映画ばかり 見ている

そして 回りの変化にともない

更に色んな事を 知り きずいていく

今の状態が 楽で 200%程 嘘の空間である

問いただせば 混乱するので 流しているうちに

更に 冷め出した 自分がいた

結果これが 良いような気がしてる

新しく出会った人が 色んな事を 更に知らせてくれる

知って行く為に 出会ったのかもしれない

埋められない空間は 埋めない

何時まででも グレーで あり続けるのかもしれない

もしかしたら セピアぐらいには 変わっていくかもしれないが

この 異空間で 貴方には 会いたくないな

そんな気がしてる 初秋

更に watasiは 変わっていくのだろな・・・



2002年09月09日(月)


9月になった watasiの好きな月の季節
全てを射通してしまうような
蒼い月が 好き

心を見透かされてるような 気がして ぞくっとする

色んな人に 出会って バランスのとれる難しさを知る
安易であるはずも無く
多くでも在るはずも無く

なんか 勘違いして 何処にでも 在るような錯覚に陥るが
それは 錯覚で 勘違いで
生きているうちの ほんの 数限られた 事であると

どんなに 多く理屈で解っていても それは 違うと
毎回思う

そして この頃 文字で語られても 伝わらないし
それが 本当だとも 限らないと 思い始めている

其れは嘘ではないけれど
嘘になってしまう事に きずかづに 喋っている?

文字を打つときは 客観視してる 自分も存在し
自分を美化しようと 思いの限りを 打つ

でも そうで あった ためしは無く
変化する

本質的に その人が 今まで どんな人と どんな風に
関わってきたかが
リアルには 存在する

文字ではけして伝わる事の無い 空気
それの 大切さを知る

それとの バランスがとれない限り
信じる事はできないと
向き合う事はないと 思う

理屈を沢山並べられるより
とりあえず ”逢うべきだ” 確認するべきだ
と ストレートに 言われるほうが
何故か 信じられる

9月−−−−−−−静かに寺で お経を お香の香りを
感じていたい そんな気分でもある


−−−忘るなよ ほどは雲ゐに なりぬとも
    空ゆく月の めぐり逢うまで−−−−−
2002年09月04日(水)

EGOISTE-やはりエゴーー / EGOISTE