「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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ヨガをしていると、Grounding (グラウンディング)という言葉をよく聞き、練習の最中にかなりの頻度で意識します。グラウンディングがうまく出来て初めてポーズの安定はもちろん、自然界のエネルギーを上手に体内に取り込んだり、体内で作られるエネルギーが無駄に放たれるのを防げると言われています。
このように言ってしまうと何か特別なことのように思われるかもしれませんが、私は、これは日本語で言うと <地に足をつける> とか <根付く> とかいうことだと思っています。自分の考えを持って、周囲の状況に右往左往せず、安定した心で生きている、大地に静かに立っている大木のようなイメージです。時には強い風に吹かれて葉の先端が小さく大きく揺れますが、その土台、私たちの中心はいつも私たちの中に、揺るぎなくそこにあるのです。なんと素敵なことでしょうか。(エネルギーに関しては、別の機会に語り合いたいと思います)
ヨガでのグラウンドは、身体の安定を思わせますが、実際には心の安定も大きく関係しています。今していること、ヨガの時間ですから、ヨガのこと以外は全て頭の外に小さくたたんで置いておき、そうして、意識の全てを自分の呼吸と身体の声に向ける行為は心の安定があればあるほど楽だと思います。そして、そのように意識することは心の安定にも繋がるのです。こうして考えるとヨガは心と体の安定に一石二鳥です (他のスポーツにおいても同じことが言えるでしょう)
そんなわけで、グラウンディング/血に足がついている自分をいつも意識して、安定した自分を育てましょう。意識することによって、上がらなかった足が少しずつ上がるようになり、伝えられなかったことが少しずつ伝えられるようになり、見えにくかった世界が少しずつ、楽に見えるようになり、心と身体の利用領域が広がりそうだと思いませんか?
私たちは、実は気付かないうちにマイナスに巻き込まれていることがあるのです。例えば、これは私自身の体験ですが、 先日の、なんとなく活気がない自分に気づきました。特に心当たりが浮かばないうちにあ、(うんー。なんか今日は冴えないなぁ。。。)という程度だったのですが、それにしても、そんなふうに思うのはおかしいと思って原因を探したのです。そうしたら。。。
原因は、その前の日に女性のヨガクラスメイトに会った時の彼女の涙にあったのです。涙の理由の詳細は省きますが、彼女の話を聞く中で私は過去の自分をぼんやりと思い出していました。うんと昔、生きている意味を見いだせなくて右往左往していた過去の私です。しかし、過去のことを思い出していたのはほんの一瞬ですし、まさかその自分に巻き込まれているとは思いもしませんでしたが、今考えてみると、彼女と語り合った後の一日とその翌日、彼女の表情を度々思い出していたのです。つまり、彼女と過去の自分を重ねていたのでしょうね。
このように、私たちは往々にして、知らないうちにネガティブに巻き込まれていることがあるのだと思います。ネガティブはまるですきま風のようにスーッと、気付かないうちに私たちの心に入り込んでくるのでしょう。
しかし、いろいろな自分に気付けることは心からの喜びです。特にその気付きがネガティブな自分であった場合は心の整理をしてトラウマを癒やせばいいのですから。
皆さんにはこのような経験はありませんか? 機会があったら、シェアできたらうれしいです^^
ご無沙汰していました。実は全米ヨガアライアンス資格取得のためのレッスンに通っていたので、睡眠、食事、おトイレとシャワー以外の殆どの時間をヨガに利用していました。ちなみに、資格が捕れるのは少し先のことです。これから数ヶ月自分で丁寧に練習し、春にもう一度2回めのクラスを受け、解剖とヨガレクチャーの試験にパスすると資格が取れることになっています。
今回一緒に勉強した生徒さんは殆んどアメリカ人の女性、男性は2人でそのうち一人は日本人でした。年令的には、私よりも若い方が半数で、残りの半数は私と同じか少し年上の方もいらっしゃいました。ここで既に、日本文化と後外に気付かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本では、60代近くになって新しいこと、特に身体を使うことに挑戦しようとする女性は少ないのではないかと思います。
年齢幅も含めて、経験の度合いも違っていました。運動系のお仕事をされている方、ヨガに魅了されてヨガの世界で生きている方、それから、東洋医学系のお仕事をされてきた後、ヨガにたどり着いたという方など。私の場合は、身体と心のつながりを深めることにこの上ない魅力を感じていますし、自身の体の成長を観るのはほんとうに楽しいですし、この楽しみを人々と分かち合えたら、という思いからヨガを続けています。そして、せっかく米国にいるのですから、英語でレクチャーできるようになるのもまた楽しいのではないか、という思いです。
基本的に英語技術の不足がある私、皆さんの英語をなんとかかんとか一生懸命聞き取りながら、わからなすぎて落ち込みそうになる私を手伝ってくれたのは、ヨガインストラクターとして活動したい私におつきあいしてくれている日本人の生徒さんたちを通してほそぼそと続けているヨガクラスでした。それから、周りの人のほんわかした空気の中で、アメリカ生活の中で一番充実した日月だったと思っています。
さて、そんな私、最終日の数日前に、あることに気付いたのです。 心のことを勉強し始めてからずっと、なが〜い間、そして今でもヨガクラスを開く時、自分の子ども達と語り合う時に、心に留めているいることが1つ。(他にもたくさんありますが)
私は、教師やヨガのインストラクターなど、他の人の成長を手伝う仕事をする時、彼ら(生徒さん)の成長は彼ら自身の力によるものだ、ということを手伝う側のほうが意識していることが基本だと思うのです。というのは、私は日本で度々”おかげ”という言葉を聞来、その言葉に違和感を感じてきたからです。
私のお伝えしたいことは、教える立場の人を無視していいということではないのです。もちろん、成長したい人をよりよい方法で導いてくれる人々は貴重なのです。そして、”おかげ”という言葉で、せっかく持っている自分の能力をどこか卑下したり小さく見積もったりしてしまう可能性があるので、気をつけたほうがいいということなのです。
私はこのアイデアを、特に自分の子ども達と語り合う時に意識します。彼らは彼らの力で生き延びているといつもいつも自覚しておくと、私自身を心の自立を手伝い、良い毎日を作るきっかけが掴めると分かるからなのです。
さてそんなある日、レッスンでインストラクターとしての活動についてのディスカッションを受けている際、私はこのアイデアについて発言しようと準備していたのです。ところが、ふと気づくと、と言うより、気付くのが遅かったのかもしれないのですが、レッスンの始めから終わりまで、それぞれの生徒さんが自由に発言し、それはインストラクターのコメントに追加する形であったり、時には反論する形であったりとバラエティに飛んだものなのですが、どうも見ていると、インストラクターの方は生徒が意義を申し立てることにネガティブな感情を持ったり、上からの目線で生徒さんの動きを止めようとするような動きが見られない。つまり、彼らは、私の目から見て、彼らは生徒さんと同等の立場にいるように見えてきたのです。ですから、私がこの10年間折に触れて思い返してきたこのアイデアについて、彼らの中に既に浸透している、当然のこととしてあるのだという結論にたどり着きました。
日本とアメリカの大きな違いだ、と思っているのは私だけでしょうか。それとも、私と同じように感じている方もいらっしゃるのでしょうか。いずれにしても、この気付きは私のココロのドアを更にオープンにしてくれました。自分の持っている能力は、他の人と比較するものでも自分の中にしまっておくものでもなく、持っているもの、自分を活かすものとして、大いに活用していいのだと、改めて感じた時間でした。
毎日が更にワクワクです。
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