「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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未来を語り合える友人を探すことは意味のあることだと思います。理由は、私達が自分の未来を語り合うことはその未来を作ることでもあると思うからです。語り合う未来は出来れば不安やネガティブな想像ではなく、今とは違う何かがあるという可能性を持っているものがいいと思います。そしてもちろん、何か困っていることや辛いことがあるときにはそれらを傾聴し出口を探すきっかけを掴むことが出来ると思います。
私は先日、日本人女性の友人とそれぞれの未来話に花を咲かせて気がつけば6時間もの時間が経過していました。その間に夕食を食べたり場所を移動したりしたので時間は少し短縮されますが、時間を忘れて語り合える材料がお互いにあった、ということに変わりはありません。
私達の話題は健康面、仕事や学校の話、少ないものの中でシンプルに暮らすこと、知識をどのように得て知恵に変えるか、さらにはお互いのパートナーとの関係や、他者と暮らす中で自分の気分がすぐれないときの対処法などなど。最後はこのカリフォルニアでどのように楽しみつつ生計を立てて将来を安らかに迎えるか。そして、誰にも訪れる死。どのサブジェクトもまるで話し相手を待っていたかのように後から後から繋がり広がっていきました。
理想の死に方を語り合うことは会話の終わりではありませんでした。その、いつかは訪れる死を自分の思う形で迎えられるように今からできることは何だろうかと、そのようなことに思いを巡らせつつ会話は尽きませんでした。
私は、このようなことを気軽に話し合えることはよいことだと思っているのです。なぜなら私達は普段、目の前に見えることや気になること、または今日や明日などの近い将来に必要なことを進んで言葉にすることが多く、少し遠い未来のことやもっと深い心の奥のことを言葉にするタイミングを掴みにくい環境に居るからです。
私達の普段の生活の中には10年後の私達が居ます。その自分達になれるよう、明日も又また今を生きようと、友人との会話を振り返りつつ思うのです。そうなるぞ!と頑張りすぎる必要はなくて、ソフトに、そうなれたらいいな、という気持ちで柔らかく。。。
少し前の話なのですが、10年後どんな生き方をしていたいかなーと思いながらなんとなくネットサーフィンをしていたら、韓国の若い御夫婦さんが、福島原発事故をきっかけに、これからの生き方について考え、それまで当たり前のように楽しんでいた都会ぐらしを止めて自然の中で自給自足の生活をするようになった、という記事にたどり着きました。大自然の中で自給自足の生活。カリフォルニアのやや都会で英語での学力を積み上げつつキャリアになるものを探している私の今の生活からは少し遠い距離にありますが、それでも、10年後20年後を考える時、このような情報は私の未来をさらに明るくする材料になります。10年後の人生を思い描いていた私のアンテナが行き着くところにたどり着いたような気持ちになりました。 やはり、<なりたい自分になるために>編んて花いつも貼っておくのがいいですね。
彼らの生活に興味をおもちでしたらリンク先をご覧ください^^
http://m.huffpost.com/jp/entry/11970186?ncid=engmodushpmg00000003
今を生きる、という言葉がありますね。読んで字のごとく、過去でも未来でもなく、今を生きるのですよね。このことを考えるときに浮かぶのは、いろんなことは結果よりもその過程を楽しむことに意味があるな、という考え方なのです。
このような考えが浮かぶのは何故かと言いますと、結果を意識しすぎると先のことに目が行って、或いは意識が未来へばかり行ってしまい、本来、今することを忘れがちになると思うからです。もう一つ、結果を意識しすぎることの弊害は、結果にこだわる自分になる可能性があるということですね。何処かで、<適度に掴み適度に放す>をみなさんと語り合ったことがありますが、良いことでも過度に掴むと弊害になる可能性があるのです。
話を戻して、本来、<今することをする>ことが結果オーライの自分になる一つの方法だと思うのですが、その、今<すること>は何かというと、<今を楽しむこと>ではないかと思うのです。
このようなこと、実は、言ってみるのは簡単なのですよね。人生はいつもじぶんのおもうようにいくものではないのですから、<言うは易し行うは難し>という言葉は当たっていると思います。
そして、それでもなお、<今を楽しむこと>を意識していること。ここに大きな価値があるのだと私は思っています。<今を楽しむこと>こそ、<今を生きる自分>に繋がっているのではないでしょうか。つまり、<今日を楽しんだ自分>は<明日の自分へと続いている>からですね。
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