「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2016年03月31日(木) 個性

 本日アメリカへ戻ってきました。3ヶ月ぶりのアメリカ帰国ですが、まず私の目に入ったのが色のバラエティーさ、それを通して見たのは人々の個性でした。肌色の違いはもちろんですが、人々が着ているものの違い、(もっと言うと基礎体温の違いなのかもしれないけれど。笑)
 まず、今日のアメリカは、日中はよく晴れて神奈川県と同じ気温でしたのに半袖で歩いている人々が沢山。私は今回日本で経験したことを思い出しました。あるよく晴れて温かい日、当時のアルバイト先の同僚と電車に乗った私は、暑いので上着を脱いで半袖になったのですが、その私を見た同僚は「半袖になるのはちょっと。。。まだ誰もそんなカッコで歩いてないよ」と言いました。又、別のカリフォルニア滞在経験のある友人からは、「ある日のテニス中に、一部のチームメイト達が  “あの格好はないよね。。。” と言っているので彼らの視点の先を見ると、足を出してプレーしている人がいた。自分は海外にいたのでこういうのは平気だけど、暑くても脚を出してはいけないのが日本らしい」
 どちらの経験も、同じであることを好み、又他者に求める風習のある日本の文化だな、と思いました。このようなことを考えるとき、アメリカにも問題はあるけれど、“個” が認められるという意味では暮らしやすいな、と思います。アメリカでは、“一つ一つの違った個性”に足が生えて歩いています。ほんとかな。。。笑。


2016年03月28日(月) 巻き込まれるということ

 今日、興味深い行動をとった自分を観ました。それはコインランドリーへ行った時の出来事でした。店の中の私の服が乾燥機から服を取り出しているその真後ろに立っていた男性に、「すみません。少しだけよけていてもらえませんか?」と尋ねた自分です。男性は「あ、はい」と言って外に出ていて下さって、私は洋服を取り出して店を出るとき「ありがとうございました」とお礼を言い、男性は「いえいえ」と言いました。これは以前お店の中で他の女性がそのようにしていたことを真似して行っていたことでした。
 私は男性が協力してくださったことで下着の混じった洋服類を躊躇なく取り出すことが出来て有りがたかったと思いました。しかしその後、私はあることに気付かされました。それは他者の目を意識しすぎていた自分です。もしもそこに立っていた方が女性だったら、私は何も気にせずにことを終えていたでしょう。私の根底には<男性だから下着を覗いたりすることがあるかもしれない。。。>という偏見があったのです。このようなネガティブな見方をしていた自分に気付けてよかったと思いました。そしてこの気付きは、まだまだ社会に巻き込まれやすく、プラスよりもマイナスを見ようとすることのある私の心の成長につながりました。


2016年03月26日(土) 心のファシリテイターとして育つ会4月分の

育つ会4月号のお知らせ


以下は育つ会のお知らせです。

4月2日(土) 日本時間午後12時から2時まで Skypeにて

中毒性の恥

3週間ほどの間に、他愛もないことを話しすぎている自分やウキウキ気分の延長でアドレナリンが優位になりすぎてハイになっている自分に気づき、その理由を探求していました。そのうちに、私はもしかすると、自分の本心を隠したりカバーしたりするためにそのようにしていることがあるのではないかという考えにたどり着き <中毒性の恥> の部分にたどり着きました。もし興味があれば会の中で語り合いませんか?


『インナーチャイルド 本当の貴方を取り戻す方法』によると、「私達が無意識に抱えている自分を恥じる気持ちは、まず、私達が母親の子宮の中にいる間に既に、母親のホルモンを通して私たち自身へ受け継がされている」そして、「この恥の気持ちは一人で抱えるには苦しすぎるために、統制、完全主義、屈辱、完全主義、非難、責め、妬み、裁き、力、怒りを通して他者に渡されている」と書かれています。

上記の、自分に行動に対する疑問の答えは、
私には乳児期から学童前期にかけての、言葉を使って自分を表現したり周囲の人と会話を楽しむ経験が欠如している、ということです。それから、感じたことを打ち消すように語っている場合もある、ということでした。


<心育て>という単語でインターネット検索をすると、子どもを主人公にしたサイトばかりが出てくることに気付きました。過去、大人としての私の自立は単に経済的な自立のことを指していました。しかし真実はそうではありませんでした。そして私はもうすぐ50歳になりますが、心育てをしています。心を育てていけば今よりもさらに、ありのままに生きる自分にやさしい自分になれると実感しています。

その他に語り合いたい議題があれば追加してくださると嬉しいです。
Mamo


2016年03月23日(水) 身体の癒やし

 突然ですが、私は朝起きた時の自分の気持ちや身体の状態を観察するのが好きです。朝起きた瞬間は比較的頭の中に何も入っていないせいか、もしくは脳がまだ眠っているせいなのか身体の小さな変化を敏感に感じ取ることが出来るように思います。そんな私は今朝は、お腹の下の方、子宮のあたりがジーンとしているのを感じました。
それは痛みなのか単に子宮が通常より活動しているためなのか、理由はわかりませんでしたが、いつもと違うことは確かなのですから、私は自分の感覚を大切にすることにしました。
 次にしたことは、丹田を意識してしばらく腹式呼吸を繰り返し、イメージの中で、深い呼吸によって貯められたエネルギーがお腹の方へ向かっていくようにしました。その後、手の先も含めて身体全体がぽかぽか暖かくなってきたので、温まった左手をお尻の仙骨の下辺り、右手を子宮の辺りにおいて両手で子宮を挟んであげました。それからしばらく、深くなが〜い呼吸を繰り返して。。。。
 しばらくすると、お腹全体が暖かくなりその心地よさに体全体が喜んでいるような気持ちがしたので、「もうやめても良いな」と思い両手を開放してあげました。子宮の辺りのじーんとした感覚はその時もうなくなっていました。それはこの喜びのせいで何処かへ言ってしまったのかそれとも本当に何処かへ行ってしまったのか、または、最初からそんなものは存在しなかったのかわかりません。わかることは、私は自分の感覚を大切にして身体を癒やしてあげた、ということでした。そして、自分の体を大切に出来ることに心も満足し、プラスのスタートを切りました。このように、朝起きの時間に自分を観察することは身体の癒やしにも繋がると思います。


2016年03月20日(日) プラスのメガネ

 先日、友人の女性は「この間、長く付き合っている友人に、あなたは、自分は人より出来ると思ってるでしょ」と言われたと語りました。事の詳細はわからないので私はその声に耳を傾けるのみとなりましたが、後に以下のことを考えました。
 幼少時に否定されて育ちそのトラウマを抱えたままでいると、自分に対しても他者に対しても出来ていることや優れている部分を素通りして、ネガティブな部分に注目しがちです。否定される言葉と自分には足りないものがあるということを肌に心に染みこまされて大人になったそのメガネで自分や人々を見てしまうからだと思います。しかし、人は誰でも完璧ではなくて、だからこそ、現在苦手な何かに取り組んでみたり、理想や希望を持ってみたりして、少しずつ前進する自分も楽しめるのだと思います。
 自分に出来ていることを知りありのままを認められるようになると他者の長所にもよく目が止まるようになると、私は実感しています。それが自分には出来ないことであった場合には、どうしたらそんな風にできるのかしらという好奇心や、いつの日か自分も彼らのように出来るかしらと未来を思い描く楽しみなど、付随してくる楽しみを味わうことも出来るのです。さらに、成長途中の自分自身を卑下することなく、おかしな表現ですが「私には出来ないの」と語ってみたりして楽しくもなるのです。
 ということを考えてながら、否定された自分の殻に入ったまま生きるのを止めてあげるために、過去のトラウマと対峙し癒やしの作業を続けていくことが大切なのだと改めて思いました。


2016年03月16日(水) 田舎の自然

 先日九州の田舎へ一泊帰省を、次女が一緒に行くというので二人で出かけました。娘が九州訪問に興味を持ったことは私の小さな喜びにもなりました。なぜなら、私は以前から、私自身が幼少時から深く影響を受け、現在の私の価値観を決める材料の一部ともなっている九州の素朴な自然を子ども達に、もう一度感じてもらうことが出来たらと思っていたからです。加えて、祖父母から歓迎される経験をする手伝いにもなる可能性も高いと感じていました。季節がら、壮大な山々はまだ美しい緑を持ってはいませんが、それでも車に乗っていればその先の空へとつながっていく光景を眺めることが出来ます。食べ物も、新鮮であることと素朴であることの2つの理由でおいしいのです。そんなこんなで、「あーやはりこの地域は美しいなぁ」と思いました。この新鮮さと素朴さを次の代まであることを願ってやみませんし、そうであるようにこれからも自然とお友達の私として生きようと改めて思いました。


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