「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2015年08月30日(日) なぜなぜ探し

 今朝、"なぜなぜ探し"という言葉が浮かびました。頭に湧いてくる疑問の答えを探っていくことです。日常、私たちは今日や明日の生活に支障をきたすほど大きな疑問を持って生活することは少ないのでしょうけれど、実際には不思議だなとかおかしいなと思ってもそのまま通り過ぎていることが多々ある、と思うのです。加えて、情報に溢れた社会に紛れていると戸惑いを感じた自分にさえなかなか気づきにくいのです。しかしそんな場合も、私の場合は静かな公園や、外に出れなければ家の庭に座ってみるとはっきりしてきます。
  
 “なぜなぜ探し”の利点は、答えが見つかることで、それがどんな答えであれ(時にはある時の自分が間違っていたなど、ネガティブな答えにたどり着くこともありますので)、心が軽くなることです。なんとなくモヤモヤしていたことにさえ気づいていなかった場合には一石二鳥です。さらに、軽い心でワクワクしてきて、入ってくる情報はそれまでとほぼ同じであるのに違った視点で私の中に取り込まれるのです。そんなわけで“なぜなぜ探し”は、私をワクワクさせる逸品です。


2015年08月29日(土) ヨガ

 最近ヨガに通っています。朝のクラスに参加するとき、今日も楽しい一日が始まるぞ〜とワクワクします。夜のクラスではストレッチでゆったり伸びて喜んだ体の心地よさと一緒にベッドに入ります。ちなみにクラスでは、メンバーの年齢層もヨガ技術のレベルもそれぞれですが各々が自分に心地よいレベルで取り組めるので楽です。部屋の周囲に張られた鏡で自分の姿勢を確認できるところも気に入っています。
 そんな中で最も気に入っているのは呼吸法を意識して呼吸をすることです。深く深呼吸することで新しいことや今まで気づかなかった自分を発見することもあります。時にはそこで癒しの作業もできるのです。ヨガ教室は、周囲にあるものを利用して自分をより楽しくさせる試みの一つです。


2015年08月25日(火) キャッチボール

 今日は久しぶりに広い原っぱでキャッチボールをしました。野球をしなくなってから既に3年も経っているので体がいうことを聞かないかも、と思いましたが、それでも、飛んでくるボールを待つ瞬間になると体は自然に前かがみ体制をとり、やってくるボールをキャッチしようとする姿勢になっている自分に気づいてうれしくなりました。キャッチボールは普段の動作にはなかなかない、腕を上げるという動作が入るので体にもいいと思います。


2015年08月23日(日) 家族

 最近、家族とは何かを考える機会を得ています。いろんな家族の在り方がありますが、私が子ども時代に経験した家族は、機能不全の家族と言って本来の家族としての機能を持たない家族でした。(機能不全家族とはウィキペディアでは“「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す”と記されています)。一般に機能不全家族という言葉が使われるとき、親のアルコール依存や家庭内暴力などがあげられますが、私は、家庭内における機能不全の状態は小さくわかりにくい形でほとんどすべての家庭にあるものと考えています。
 ここまでは日本で育った私の経験を基にした家族の捉え方ですが、人々は家族をどのようにとらえているのでしょうか。特に大人になって自立した生活している人々にとっての家族とはなにでしょうか。例として1つの行事をあげてみたいと思います。アメリカでは夏休みの家族旅行が定番です。ご家族のいない方にとっては意味を感じない習慣であり、家族の居る方にとっては1年のうちにある楽しい行事の一つです。そんなわけで先日、友人のご家族と2泊3日の旅行へ行く機会を通して“家族”を探求する機会を得ました。その旅行日程が決まるまでの経過にも興味深さを覚えました。というのは、大人も子ども(中学生と高校生)もみな一人一人がその日程に納得するまで何度でも話し合い調整し合うのです。旅行中は一つの車の中でたわいのない冗談を言って笑いあい、大人同士は時に、1年ぶりの再会に相応しくそれぞれの人生に起きていたことを語り合いうのです。そして旅行が終わる時には、1年元気に過ごして来年もまた会おうと約束するのです。次の一年の間にそれぞれの状況によって、この約束が彼らの生きる糧になることもあるのでしょう。
 もちろんよいことばかりではありませんでした。今回の旅行以外の場面では小さな諍いの傍観者にもなりました。しかし大人達はその旅行を良いものにしようと動くのです。さらに他に楽しみはたくさんあり、それらを共有した時間の重さに比べると小さいものなのだろうと、お別れの時に家族一同で何度もなんどもハグしてお別れする様子を見て思いました。そして私をその仲間の一人として歓迎されたことにも喜びと温かさを感じました。
 以上のことから、”家族”の中には会話があり笑顔があり、時に涙や怒りもあり、それらをひっくるめて互いを尊重し認め合い長く繋がっていく関係の一つではないかと思いました。しかしきっと、私のまだ気づいていないことが”家族”というものの中に隠れているような気がして、新しい発見のきっかけを楽しみにしています。
 


2015年08月07日(金) 当初の一歩、現在の十歩

 最近ボランティアに行くたびに新しいことを練習する機会に恵まれています。今日はアドミッションと言って、料金の支払いや予定されている手術の準備のために来院する患者さん用のインフォメーションデスクです。私のすることは、患者さんの来院目的を聞き必要な場所へ電話をかけその先へ案内する、というものです。日本語対応ならば簡単なことなのですが英語が第二言語の私にとっては少々技がいります。病気で訪れる患者さんの言葉の聞き取りが十分ではないので人々を不快にさせる可能性のある仕事内容はこれまで避けてきたのです。そして今日その席に座ってみると、電話の応対もそれほど苦労せずにできてしまったのです。その席に座っている自分を一年前どころか数週間前まで想像したこともありませんでしたので、この成長を本当にうれしく思いました。不得手なことでも続けていると少しずつ前進するということですね。


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