「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
今朝、"なぜなぜ探し"という言葉が浮かびました。頭に湧いてくる疑問の答えを探っていくことです。日常、私たちは今日や明日の生活に支障をきたすほど大きな疑問を持って生活することは少ないのでしょうけれど、実際には不思議だなとかおかしいなと思ってもそのまま通り過ぎていることが多々ある、と思うのです。加えて、情報に溢れた社会に紛れていると戸惑いを感じた自分にさえなかなか気づきにくいのです。しかしそんな場合も、私の場合は静かな公園や、外に出れなければ家の庭に座ってみるとはっきりしてきます。
最近ヨガに通っています。朝のクラスに参加するとき、今日も楽しい一日が始まるぞ〜とワクワクします。夜のクラスではストレッチでゆったり伸びて喜んだ体の心地よさと一緒にベッドに入ります。ちなみにクラスでは、メンバーの年齢層もヨガ技術のレベルもそれぞれですが各々が自分に心地よいレベルで取り組めるので楽です。部屋の周囲に張られた鏡で自分の姿勢を確認できるところも気に入っています。
今日は久しぶりに広い原っぱでキャッチボールをしました。野球をしなくなってから既に3年も経っているので体がいうことを聞かないかも、と思いましたが、それでも、飛んでくるボールを待つ瞬間になると体は自然に前かがみ体制をとり、やってくるボールをキャッチしようとする姿勢になっている自分に気づいてうれしくなりました。キャッチボールは普段の動作にはなかなかない、腕を上げるという動作が入るので体にもいいと思います。
最近、家族とは何かを考える機会を得ています。いろんな家族の在り方がありますが、私が子ども時代に経験した家族は、機能不全の家族と言って本来の家族としての機能を持たない家族でした。(機能不全家族とはウィキペディアでは“「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す”と記されています)。一般に機能不全家族という言葉が使われるとき、親のアルコール依存や家庭内暴力などがあげられますが、私は、家庭内における機能不全の状態は小さくわかりにくい形でほとんどすべての家庭にあるものと考えています。
最近ボランティアに行くたびに新しいことを練習する機会に恵まれています。今日はアドミッションと言って、料金の支払いや予定されている手術の準備のために来院する患者さん用のインフォメーションデスクです。私のすることは、患者さんの来院目的を聞き必要な場所へ電話をかけその先へ案内する、というものです。日本語対応ならば簡単なことなのですが英語が第二言語の私にとっては少々技がいります。病気で訪れる患者さんの言葉の聞き取りが十分ではないので人々を不快にさせる可能性のある仕事内容はこれまで避けてきたのです。そして今日その席に座ってみると、電話の応対もそれほど苦労せずにできてしまったのです。その席に座っている自分を一年前どころか数週間前まで想像したこともありませんでしたので、この成長を本当にうれしく思いました。不得手なことでも続けていると少しずつ前進するということですね。
|