「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2015年06月17日(水) Happy birthday

 今日は嬉しいことがありました。10年以上も前からずっといつか娘の一人に伝えられたらいいなと思っていたことを本日伝えることができたのです。そのきっかけを得たのは他の娘達との会話を通してだったので、改めて別の娘達の、型にはまっていない視点や行動力にありがとうと思いました。そして自分自身に対しても、日々の生活のために本当に大切なことを忘れてしまう自分でなくてよかったと思いました。
 偶然にも今日は娘の誕生日なのです。生まれてきてくれてありがとう。そして、これからもいっぱい楽しめるといいね。


2015年06月12日(金) 私の常識は世界の非常識

 先日栄養学のクラスで、免疫機能を高める方法についてディスカッションしたときに少し驚いたことがありました。私は「冷たいものを食べ過ぎないこと。体を冷やさないことが免疫機能を衰えさせないための一つの方法である」と発言したのですが、この発言に対して講師から“?マーク30個くらい”の反応が返ってきたのです。講師はこの日「人間の体はそう簡単には冷えない」と言いました。私はこのことに関して小さな裏付けがあったのでなんとか説明しようとしましたが、それはまるでどこかまったく違う世界の人々と語り合っている(別の世界の人々ですけれど)ような感覚になりました。と言われてみると、以前どこかで知りましたが、欧米の人々はあまり冷えを感じることがないそうです。もともとアジア人と標準体温の差がありますし、講師の言うことも当然のように思えました。
 その日、別のアメリカ人の友人達に尋ねてみたところ、彼らも鍼を知っている人が居る、という程度だったのです。私にとって東洋医学は西洋医学よりも馴染みがありごく当然として捉えていただけに小さな驚きを覚えました。それから、私の知っていることは世界のみんなが知っていることではないのだなと思いました。まさしく、私の常識は世界の常識ではないということです。
 その後私なりに考えてみました。私の西洋医学と東洋医学に関する認識は、西洋医学は病気を治療するものであり東洋医学は病気を予防するものです。私の体はまるっきりの健康体とは言えませんし病気はなってしまう時にはなってしまうものだと思っています。そして、それでも病気になったらその回復を手伝える心で生活したいのです。この私の生き方は、東洋医学を利用する方が便利だと改めて思いました。
 そして再び、私の常識は世界の常識ではないのです。


2015年06月11日(木) 哲学のすすめ

 『ゲゲゲの鬼太郎』の著者、水木しげるさんが戦時中に残した日記(朝日新聞2015/6/11デジタル版)を読み、戦時中に生きた彼の心境がどんなものであったかを僅かながらに感じました。内容を少し書く必要があると思うので抜粋します。

抜粋;芸術がなんだ。哲学がなんだ。今は考えることすら許されない時代だ。哲学者だろうと文学者だろうと労働者だろうと、土色一色に塗られて死場へ送られる時代だ。/こんなところで自己に留まるのは死より辛い。

当時の政府が彼らの人権を、戦争のためにという理由で完全に無視していた様子が書かれていると思います。
しかし彼は“考える”ということをやめなかったようなのです。

抜粋2:/なにくそ なにくそ どんなに心細くてもどんなに不安でも、己の道を進むぞ。黙れ黙れ、我が道を進むのじゃ。己の道を作るのじゃ。
彼は「殴られても低脳と言われても自分の頭で考えることだけはやめなかった」と後述しています。ここで私の中に疑問が湧きました。何と言われても自分で考えようとする彼が当時にあったのは、それ以前に哲学していた彼がいたからではないかなと。

私も哲学するのが好きです。ちょっとした疑問に向き合っているとき、生きていると感じます。そして、今の時代、一部の国々を除いては考えるということで誰からも避難を受けない時代です。命の危険もそんなに多くはありません。そして、それが当たり前なゆえに考えることをしないまま感情に流されるままに時を過ごしていることがあるのではないか、当然と思っていることをもっとさらによく吟味してもよいのではないかと、考える材料を得た記事でした。


2015年06月10日(水) 授乳

先日、公共の場で授乳することに対する賛否両論のサイトを読みました。興味深かかったのは、各々の背景つまり、性別、既婚者であるか子を持っているか、授乳の経験があるかないか、によって意見がある程度はっきり分かれていたことです。私は以下のように書きました。

まず、授乳という行為は本来は自然なことだけれど、残念ながら授乳中の様子を性的に見る人もいるし、不快に思う人もいるので場所やスタイルに配慮が必要ということではないでしょうか。
私も授乳しましたが、外ではやはり配慮しました。私なりの理由を考えてみると、私はもともと数年前まで、肌を、例えば欧米人の服装のように露出する事そのものに抵抗がありました。これは日本人の文化だと思いますし私はこの文化を基準に、時と場所を選んでいたと思います。スーパーやデパートで、その場で胸を出すことは、日本人は外出する時にはそれなりの服装をしますし、見たくない人もいるでしょうし、これらの理由から抵抗があります。一方、公園や自然の中でのんびりしている時なら、それでも人に見えないように配慮はしますが、抵抗がありませ。自然な光景のようにさえ思います。というより、授乳は本来、誰にも認められてよい自然な行為だと思います。そして、冒頭で述べたようにいろいろな価値観を持つ人がいるので、TPOを考えるということなのだと思います。

思えば、授乳という行為は母になった自分に幸せを感じられる貴重な時間でした。


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