「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
今日、友人が入院しているサンフランシスコ市内の住宅街を歩きました。サンフランシスコの道路の殆どは急な坂道で、道はサンホゼ(サンノゼとも言います)に比べて狭くうねっているので車を運転するときには余分に注意が必要です。反面、路上電車やバスの便は、サンノゼよりは整っているようです。彼らは毎日角度の鋭い坂を上り下りして活動しているようなので健康にいいですね。お散歩中、それぞれの家の前でそれぞれ違った香りがしました。それは香料やお香ではありません。そのお宅の生活の香りです。ベランダにはそのお宅の人々が楽しんでいるものが置かれていて、それらを眺めて楽しみました。
先日受けたトーフルの結果が返ってきました。スコアは470点です。前回スコアをお伝えしたときには、間違ってこの辺りのスコアを伝えてしまうというミスをしましたが、今回は本当に正しい点数です。ちなみに、殆どのクラスメートは450点あたりからスタートし、今回で500点を超えているようです。500点という点数はカレッジに編入できるラインなのです。私はそのラインにパスしませんでした。しかし、私の場合は433点からスタートし413点に下がり、その後に470点まで上がったのです。加えて、ちょうどそのテストを受けた時期は友人の介護に時間を使っていて勉強時間を作ることが出来ていなかったので、その上で取れたこの点数はいいなぁ〜と思います。と、自分で自分を認めて満足しています。いいことですね。
予定は未定ですが、9月末から De Anzaというカレッジに通うための手続きを今日しました。専攻が二つあり、二つは選ばなくてはいけないようです。一つはもちろん英語で二つ目は…実は何を専攻したらいいのかまだ考え中なのです。しかし、申し込みのために何かを選ばなくてはいけないようでしたので、とりあえず思い付いたNursing Courseを選択しました。とはいっても、アメリカの政府は2006年から外国人看護師の採用規制を始め、それは現在も継続されているようで、過去には二人のカリフォルニアに住む日本人女性から「看護師の免許があるけれど働けない」という話を聞いたこともあり、このコースと自分の未来があまりつながりません。さらに、私は現在、アメリカに永住しようという考えを持てていないので、本当に(どうしようかなぁ…)と迷うところです。
庭のトマトが赤くなり始め、日本きゅうりのサイズも(もう食べてもらいたいと言っているのかな?)と思えるほどの大きさになっていています。きゅうりは、当初(うまく育てられないかもしれない)と思っていたのですが、今では幾つか実が付いてくれて喜んでいます。せっかく私の庭で実になってくれたと思うと、採って食べてしまってはかわいそうな気もしていますが、まもなく私の栄養補給を手伝ってくれる一品になるのでしょう。
入院している友人の、家族同様に属する人物の一人として、退院した後のことを踏まえた患者ケアカンファレンスに行ってきました。メンバーは、ソーシャルワーカーを含めた3人の職員さんと私達6人でした。ちなみに、友人は現在肝硬変のターミナル期で、数日前には薬の副作用で腎臓の機能が急減し人工透析の危機に直面していました。先日4,000ミリリットルの腹水を抜きましたが約1週間で元に戻ります。
現在、友人が病院に入院しているので手伝いに通っています。通っているうちに、いろいろな看護師さんがいることや、フロアの仕組みなどを観察することが出来るようになりました。こちらでは、アシスタント(日本で言うヘルパーさんだと思います)さんも患者さんのバイタルサインを測ることが出来るようです。それに、電子カルテはそれぞれのベッドサイドに置かれ、ケアをする都度にそこで記録や確認が出来ます。ほとんどすべての器具は使い捨てですので衛生にいいと思います。どうやら三交代のようで、日勤は夕方4時きっかりに終わり、次のタームは夜の11時までだそうです。ユニフォームは赤やピンクの現職柄入りで、アクセサリーを付けている方も居るし、ガムを噛みながら仕事をしていてもいいようです。救急外来に行ったときは、両腕いっぱいに入れ墨を入れあごひげを育てている、日本の病院では決してお目にかかれそうにない容姿の大きな男性が車いすの患者さんを手伝っていました。
みなさんこんにちは。心のファシリテイターとして育つ会からのお知らせです。
ボランティアのバッチをもらいに病院へ行ってきました。いよいよ、来週金曜日から活動開始予定です。私のすることは、待合室をきれいにしたり患者さんを行きたい場所へ案内したり、又、書類の印刷や時には電話の応対などだそうです。今のところ、最も成功率が低いのは電話の応対ですが、最初は手慣れた方と一緒に動くので大丈夫だと思います。ボランティア担当の女性(シェリル)には「人々の言っていることが分からなくて尋ねることが多いと思います。ごめんなさい」と伝えました。シェリルは「Noooo problem!」と言いました。おもしろいですね。ですが、本当に、患者さんやそのご家族の負担にならないように楽しく吸収したいです。分からないことをわからないと言える大人を生きていたらきっと大丈夫なのでしょう。1か月後か2ヶ月後には、今よりも少し楽に社会で動けるようになっている私が居ると思います。楽しみです。ボランティアで英語耳が育つかな?
今朝、Teacherは「わからないことがあったら質問してください。それはクラスのみんなのためになりますし、私の成長にもなります」と言いました。そこで私は、先日提出したエッセイで、「子どもと大人の違いについて書いた際、「子どもさんは分からないことがあったらわかるまで尋ねるけれど、大人は自分を恥ずかしく思い躊躇して質問することを止めることがある。大人も子どものように、分からないことを一緒に勉強したら成長できると思う」と書いたことを思い出しました。Teacherはエッセイのコメントに「Very interesting!」と書いていました。共通項があることを嬉しく思いました。質問した分だけ、質問された分だけ成長できる。本当だと思います。
ボランティアをする予定の病院で、IDカードを作ってもらいました。写真と名前が入っていますが、私の名前は「Mamo Kanno」です。Kannoを外してもらえたらいいなぁと思いましたが、じつはMamoも 特別にお願いしたことなので、Kannoは残しておきました。しかし、学校では本名で呼ばれていますが、病院で出会った人々には Mamo と呼んでもらえます。本当にうれしいです。始めるのはおそらく2週間後くらいからだと思います。楽しみにしています。
病院でボランティアするために、そのオリエンテーションに参加してきました。人数はおよそ20人程度でその半分は学生さんだったと思います。会が開始される10分ほど前に「周囲の人達と自己紹介をしあって待っていてください」というアナウンスがあり、私は隣に座っていた女性と語りあいました。ところどころのあいまいな部分を見送ったまま話していたら、会が始まった後「隣の方のことを紹介してください」と伝えられたので慌てました。しかし、間違いを語ってはいけないと思ったのでもう一度確認して皆さんに報告しました。それから、私の英語が未熟であることももちろん付け加える必須項目でした。しかし皆さんは「あなたの英語は大丈夫よ」と伝えてくださいました。出来ているところを肯定できるという部分は、アメリカの良いところだと思いました。ボランティアを始めるのはおそらく7月からだと思います。楽しみにしています。
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