「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
明後日、娘の一人が私の世界へやってきます。外国が本格的に私の生活の一部になり始めてから後、いつの間にか私の心に「子ども達と一緒に何かできたら…」という小さな夢がありました。そのために特別に何をしたということはありませんが、今回の娘の小旅行はその私の思いが実現した形になったような気がしています。
最近外で何度か感じていることがあります。それは、人々の言葉を以前よりも正しく聞けるようになっている、ということです。それにこちらの気持ちを伝えるのも以前よりも楽になっています。ということで、何度か、会話が終わった後に(あれ?普通に話が出来てた…)と気づいて喜びました。分からないことを尋ねる時に、前よりも楽に尋ねられるようになって、ますます会話を楽しんでいます。嬉しいです。
私は約2か月前から他者と共同生活を始めました。一人暮らしの時とは違う楽しさも味わっています。しかし時には、自分の望んでいることを、“相手がそれを望まないから”という理由で後回しにしたり止めたりすることもあります。当初は、私は納得してそうしていると思っていたのですが、今夜それらのことを振り返って、それらは私の世界を小さくしていたのではないかなと疑問が湧きました。
数か月前から最近まで『インナーチャイルド』の原書『Home Coming』を読んでいましたが、最近は、日本語版を読んでいます。実は、原書を読むときにはいつの間にか、きれいに読もうとして音読の練習になっていたり、単語の発音の仕方に意識が向いたりして気持ちが散漫になり、日本語版の方が丁寧に自分にあてはめられる、と気づいた私なのです。能力のリストも日本語に切り替わりました。 せっかく英語圏に居るのにいいのかな?と疑問も湧きますが、今はそうしたい私が居るのでこれでいいと思います。こんな私もおもしろいですよ。
能力のリストについて。
英語で「I am proud of you」という言葉を折に触れて聞きます。直訳では「あなたを誇りに思う」になると思います。この意味は、「あなたが何か特別に出来ていることが自分を喜ばせている」になると思うので、私はこの文章を使いません。しかしネイティブの方は「私は、あなたが〇〇していることがうれしい」を伝えたいときにこの言葉を使うこともあるそうです。例えば学校の先生が「あなたたちがたくさん勉強して成長しているので嬉しい」と言うと、その捉え方が正しいかどうかは別にして、一般の教師はそんな気持ちになるだろうと思えます。それから、以前から私の英語を手伝ってくれている友人も、語彙を増やして楽しんでいる私に「I am proud of you」と言ったことがあります。その意味は「あなたがそんなにたくさん勉強して喜んでいるので私もうれしい」でした。
再び文法の話をさせてください。
今学期最終日の昨日、文法クラスの Teacher は言いました。「あなたたちはみな、ユニークです。私はこのクラスでみなさんと勉強することを楽しみました。あなたたちはいつも私に何かを教えてくれます。みなさんの英語もうんと上達しました」。
一昨日のテスト中、特に楽しんでいたがひとつあります。それは、問題を一問ずつ丁寧に読み解いていくことです。殆どは4択問題でしたので、分からない問題は適当に答えを選び、分かる問題にはそうなる理由を書きだして確認し、テストが終わった後にはすっきりしていました。
今日、日本人で結婚していらっしゃいますが子どもさんを持っていない女性と食事をして語り合いました。子どもさんを持たないご夫婦に関する社会の評価についての会話になった時、私は「一般社会には、結婚したら子どもを持って当たり前というようなおかしな風習があるけれど、私はそれに疑問を持ちます。あなたたちの場合は、今は子どもを持たずに二人で暮らしているので、自分を育てることが出来るという特権があるんだなぁと思いましたよ」と伝えました。“特権”という表現はあっているのかどうかわかりませんが、私達は、子どもを持つ前には親になる前の自分を楽しむ特権があり、子どもを持って親になった後には、その責任を取れる生き方を楽しむ特権があると思います。
数日前受験生の娘から届いたメールに「受験日が迫っているけれど、勉強がすごく楽しい時期に来ているから受験したくない」と書かれていました。彼女はもっと以前、受験の終わりを待ち望んでいる雰囲気があったので、(あららぁ、そんな風になれるんだ)とその気持ちの変化に興味を覚えました。子どもはいつも自分達で成長しています。私はそんな彼らを見させてもらって楽しみ、勉強させてもらっています。
今日は家の近くのアルマデン湖公園を散歩しました。鳥の羽根が落ちていたので空に飛ばしてみたら、風に乗ってよく飛び、その飛び方が本当に風に乗っているようにフワフワ〜していて何とも言えませんでした。友人にその距離を尋ね 約 25 フィートと教えて頂きました。
今日、ハチを見ました。ハチは黄色いものを持って足でくるくる回していました。それは花粉だと思います。興味深かったのでビデオに撮りました。ハチはじっとしていることが少ないので、貴重なものを見た気持ちがして喜んでいます。
2日前、生活の中で怒りを感じることが多いと気づきました。その日から「怒りを感じるときの自分」を見据えています。さらに、戸惑いを無視して怒りに発展させないよう、戸惑ったその時に確認する練習もしています。時には、伝えさせてもらった相手の言動に影響を受けて怒りが湧くことがあります。今日(この思考はどこから来ているのかな?)と辿っていたら「戸惑いを表現するとき、相手が私に良い反応を示してくれることを期待している自分」を発見しました。期待していると、期待外れが起きたときにマイナスの感情が湧きますね。こんな自分に気付くことが出来て良かったと思っています。「戸惑いを伝える自分」をもっと観察してみます。
学童期の癒やしの作業をしているとき、時に語りすぎる自分は傷けられた心の現れであったと理解しました。
自分を眺めて過ごした日。時間はいつもと同じように流れていたはずなのに、いつもよりゆっくりのんびり感じられました。自分の成長を手伝うのはまず私自身なのです。私の成長を手伝うのは何よりも楽しく心地よい作業です。学童期の癒やしの作業について。一年前からの自分を振り返って、現在語学スクールに通っている中で新しく出来ていることがたくさんあるのに、そのことに気付かずに1か月過ごしていることに気付きました。そして成長している自分も感じてうれしくなりました。自分の成長を実感できるこの作業は私にとって他の何よりも価値のある時間です。
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