「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
今日も静かに仕事をしました。私はこの頃、職場で多くを語りません。仕事に必要なことのみ。時には冗談も言いますが、仕事をするということが基本です。“自分をしている”という感覚です。
今日は午後からお休み。布団を干したり家の中を片付けたり普段出来ないことをして、その後さらに網戸作りにTryしました。材料は100均のものばかりです…。1時間後くらいに出来ましたが、自分で作ったものだから許せる…といった感じです。友人が「上手に出来た?」と聞いたので、「私にとっては、いい感じです」と言うと「あなたがよければそれがいい」と言いました。本当にそうだと思いました。
午後から時間があったのでオバマ大統領の過去の演説スピーチを読みました。全体に“自由と平等と権利”を訴えているという印象を受け、私も英語で語ってみたいなぁと思いました。
今日はいつもの2倍の患者さんが診察へ来られました。クリニックは、先日同僚の一人が退職されたので、今日からは私と先輩ナースと二人体勢の勤務になった初日でしたので、積み重なったカルテを見た時(どうしよう〜)と思いましたが、一つずつ確認しながらこなしていきました。
職場の同僚の一人が今日で退職されました。私と彼女はユーモアのセンスが似ていたので、よく冗談を言いあいましたが“笑”の中に心のことを語る機会が何度かありました。
今日気付いたのですが、私は“心のファシリテイターとしての自分を育てている人”なのです。私は私の良いところを引き出し自分育てをしている人なのです。その私は他者のプラスを延ばすお手伝いもできると思います。それが心のファシリテイターなのです。ちなみに“心のファシリテイター私のしていることを英語を探していた私にオーストラリアに居る友人は、“Facilitator of life style”というフレーズを提案してくれました。私は英語で自分を語るときに利用しています。
今日も患者さんが少なく平和な職場でした。頭が自由なので“何を基準に生きているかなぁ”と問いかけてういるうちに、他者とのかかわりの中での小さな妥協(と言っていいかどうかわからないのですが)がいつの間にか心を置き去りにした自分へ変わっていたと気付き、“もっと感じたことを基準にして生きよう”ということになりました。それに、私を大切にすることは他者をも大切にすることへとつながっているのですから。
1年ぶりに本の注文をいただきました。郵送の準備をしながら、わずかの貯金と心友達からの投資金で完成して喜んだ様子を思い出しました。郵送用の紙袋は出版会社から頂いたクラフト用紙で作っています。当初はまとめ作業を始めてから2年間くらい仕事を休み100円均一の生活をしていたので、収入が安定するようになったのち500円の赤い傘を買った時、(一生大切にしよう)と思えました。(今も愛用しています)。
今日はいいことがありました。“夢の入口に立てた…”という表現をしていいように思います。その入口に立って見て、“世界は広いんだなあ”と思いました。
風邪が悪化して仕事を休みました。ひたすら布団の上で過ごした一日。
英語の勉強を始めてしばらくした後、時々「外国へ行きたいのは何故かなぁ?」と自分の行動の真の目的を探し当てたくなることがありました。その答えを今日を見つけちゃった。
風邪気味だった喉が悪化したので家でのんびりすることに…。と言いつつ優先順位に添った用事を思い出して駅まで二往復。優先順位というのは、今週は私にとって大きめの計画が一つ入っているからです。私は今、(出来ればいいなぁ)と取り組んできたことが形になるかどうかという位置に居ます。でも、この方法でなければならないという考え方を降ろしているので、のんびりしています(笑)。方法は他にいくらもあると思うのです。
今日はバッティングセンターへ行きました。
普段は座っていられるくらいに患者さんが少ないのですが、検診の時期になったせいか少し忙しくなっています。今日は、一度に何人かの患者さんがいらしたとき慌てている自分が見えました。それから(大丈夫大丈夫。一つずつ…)と意識しなおしました。このように意識すると、した分だけ出来ていくから不思議です。
今日は午後からお休みだったので、少しのんびりしました。それから優先順位に添って動きました。私は今、毎日楽しい生活の中に、将来に最もつながりやすいことを優先しています。
今日は、昨日の続きで原点に帰り自分に良い生き方は何かなぁと吟味する時間を持てた日なのです。私はいつも私の心に添って生きているつもりでいるけれど、時には気がつかないうちに気持ちよりも頭が先に動いていることがあるのです。
今日は日曜日。運動の為にグランドへ行きました。そのグランドのそばには庄内川があります。運動に飽きたあとは川岸まで降りて腰をおろし、遠くの景色を眺めていい気持ち。そばに木があって“木いちご”のような見た目の実がなっていました。食べられると聞いていたので口に入れてみると、甘くておいしかったのです。それで、その実を少し頂いて帰ることにしました。黙々と実を摘む自分を見ながら、(自然と一体になっているなぁ)と思いました。
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