「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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引越ししました。新しい家は、前の家と違って収納スペースがないので、必要なもの意外は全部ベッドの下へ、普段使うものはスーパーで空き箱を2つもらってきて、収納しました。入れ物を買うのは簡単ですが、シンプルに生きる私の知恵です。 これから数日は、食べ物やさん探しをします。この辺りはダカオの家の周辺とは違って、駄菓子屋さんサイズの小さな商店や果物屋さんが見当たりません。変わりに多いのは、カラオケやさんとホテルです。 引越し初日の夕飯は、魚のすり身の入った Bun Cha と道端で買ったフレッシュなオレンジジュースでした。
週末の二日間、10区にある新しい家へ泊まってきました。一日目は、家の前の道を走るバイクの音が気になって、1時過ぎまで寝付けませんでした。二日目の昨晩は、時計の針が0時を回った頃、家が壊れそうな音と振動がコンクリートの建物を解して伝わってきました。外を見ると家の前にダンプカーと生コンカーが止まっているではありませんか。そこから2軒隣の家の解体工事が始まって、はららぁ、(本当に家が壊れていたのです…) しかし、そんな私もいつしか眠りにつき、お日様の明るさとバイクの音で目が覚めた時には、工事は終わっていました。車の少ないときに工事をする方法は日本と同じようです。 そして私は寝不足なので、学校が始まる前にダカオの家に戻り、ウトウトしました。どこでも眠れるというのは特技だったのですねぇ。睡眠は取れるときにとればいいということを知り、新しい家に住み始めるのが楽しみになってきました。
さて、明日はいよいよ、引越しの日。今夜は準備た荷物を隅にまとめて、ダカオの最後の夜を過ごします。
今朝、アクシデントがありました。新しい家で、防犯用に外からかけている南京錠が壊れて、家の中に入れなくなってしまったのです。何とか開かないかと四苦八苦しているところに、お手伝いの女の子が来て手伝ってくれました。それでも開かず、ついに鍵を壊すことになり、女の子は金づちを持ってきて、そこへ隣の部屋に住んでいる男の子が顔を出して、金づちを使って鍵を開けてくれました。 買ったばかりの鍵は壊れてしまったけれど、困ったときに知恵を貸していただいて、安心の材料になりました。 今日はほぼ一日、過去日記のまとめをしていました。いろいろと気が付くことがあり考える材料もあり。毎日、優先して進めています。
今の部屋 (1区・ダカオ) タンディン市場 (1区・ダカオの家から歩いて15分)
引越し先の家 (10 区 レ・ホン・フン通り)シングルベッドとその横を大人が楽に歩ける広さ
トイレバスルーム ガレージの中に大きな鏡があります。私も日焼けしました。
2月3日通り。ここからバスに乗ってベンタイン市場へ
休日。 お泊りの道具を持って新しい家に寄った後、そこからバスに乗って Center へ行き、銀行や本屋さんで用足しをしました。久しぶりの Center だったのに、道にも迷わず景色を楽しみながら歩きました。 帰りにツアー会社へ寄って、旅行のパンフレットをもらってきました。今すぐ行くのではないけれど、本を書きあげることが出来たら、自分へのプレゼントにしたいのです。 帰りは、バスの停留所まで歩く予定だったのですが、途中で雨が降ってきてたので、始めての道を迷って疲れるよりは…とバイクタクシーのおじさんに声をかけましたが、町の探検をしたような日でした。
今日はテスト。会話の時に Teacher の言葉が早くて聞きなおしたり、結婚しているのと聞かれて、結婚したのだけど離婚したという言葉をベトナム語で何と言うのかなぁと日本語で考えてしまい、分からなくなりました。 後で考えたら、違う言い方は出来たのです。でも思考力をなくしたのは、試験でプライベートのことを聞かれるとは思っていなかったので慌ててしまったからなのです。 Teacherは、「出来なかった人は次回に十分注意して」 と言いました。私も次回はもっと自分の心に耳を済ませてあげようと思いました。そのためにも、心の傷を癒やすのです。 クラスの幾人かは離婚したということを知っていますが、もう少し自分を語れるよう、それから語ることが出来ないということを語れるよう、勉強しておきます。勉強したら使えるようになるから。
明日はテストなので、今日は午後からも勉強しました。でも、テストのための勉強をしたくない私が居たので、そんな自分の声に耳を澄ませまたら、よい点数を取らなければと思っている自分がいたのです。 そんな自分に頑張らなくても大丈夫よと言葉をかけたら、単語を覚えるのも楽しくなってきました。自分の小さな変化に気が付くことが出来てよかった。私に必要な言葉をかけてあげられるのは私なのです。明日のテストが楽しみです。 それと、今週の始めに、May I ask you? のベトナム語を勉強したので、私は今、尋ねたいことやお願いしたいことがあるときに使って楽しんでいます。私メッセージのベトナム語を使って語れる自分がうれしいのです。
夜、学校でお友達になった女の子の家へ遊びに行きました。彼女のお住まいは、地図で見ると、タンソンニャット空港の右側に位置する GO VAP というところで、空港からは歩いて5分の場所にあり、空港へ着陸する飛行機が、今にもここに降りてくるのではないかという低さで通過していくのです。通り過ぎていく飛行機の大きさにびっくりしました。
今月末に、10 区へ引越しをするので、今はその準備をしています。 昨日はお泊りのつもり向かったのですが、ベットカバーが汚れていて洗濯の道具を持っていなかったので中止して、今日は授業が終わってすぐに、洗濯や掃除をしに向かいました。 出発した時間はちょうどお昼どき。真夏の太陽の中で自転車をこいで汗びっしょりになったので、部屋に着いてすぐにシャワーを浴びて洗濯機を回しました。ちなみに、新しい家では洗濯機が使えるのです。ベトナムに来て初めて見る洗濯機は日本製でした。 洗濯物を干した後は、買い物に出かけました。自転車で走って 10 分くらいのところにスーパーを見つけたので、毛布とバスルーム用のスリッパを買いました。商品のことで、店員さんと話をして、毛布は思っていた値段の半分で買えました。 必要なものをそろえた部屋でコーヒーを飲み、帰り支度をして玄関に出たら、住みこみでお手伝いさんをしている若い女性が居ました。私が手を振ったら、女性はバイバイと言いました。 ベトナムで生活を始めてから体験してきたこと。私は、その場所で買い物が出来て、そこに住んでおられる方と話が出来たら、その場所で生きていけるのです。だから私は、今日、新しい場所でも楽しく生きていける予感がしたのです。
昨日は、この月末に引っ越す予定の家の鍵を受け取りに行きました。自転車で片道 20 分の距離も楽しめるようになりました。 帰りに近くの市場を散策。市場はものの値段の相場が分かるので、面白かったです。 そして、今日も今住んでいる家の近くの市場までお散歩に行きました。今の家から自転車で10分くらいの範囲に市場が2つあり、私のお散歩コースです。 帰りにCheを食べました。ベンタイン市場の半分の値段で売っています。
今日は出来たことがひとつありました。それは、自分の戸惑いを大切にして戸惑った場所から距離を置き、自分の心に寄り添う時間を意図的に作り、自分を整理してから後、整理した自分を私の言葉で伝えることが出来たということです。 私は今回、こんなふうに出来たことで、自分の心に寄り添う心地よさを実感しました。過去の私は感じた戸惑いを怒りに変えて爆弾のように投げていましたから、今日はそんな私が1歩成長した瞬間を自分で確認することが出来たのです。ありのままの自分を肯定することを意識できた結果なのです。
学校では、この頃、私にベトナム語を尋ねて下さるクラスメイトが居ます。彼女はご自分を語るのに英語を使っておられるので、私は私の知っていることを伝える機会を頂きながら彼女の語る英語の中で知らないことを訪ねる機会を得ています。そして、分からないことを分からないと尋ねた私をそのままを受け入れられることをストロークに利用して成長している私です。 ありのままの自分を認めることが出来た分だけ、自分を含めたすべてのものに好奇心を持って生きていくことが出来るのです。そして私は今の自分も興味を持って眺めています。
昨日から今日にかけて、子ども達と離れた日の自分を確認する作業をしていました。 過去のメモ書きからあの日のことを思いおこし、その時感じられなかったいろんな気持ちを書き出しているうちに、あの日の私はこれらのことを感じる力をなくすほど大変だったから、家を出るという選択をしたのだろう。そして今は、当時感じられなかった気持ちを実感し自分の気持ちだと確認できるまでに楽になっているのだろうという思いにたどり着きました。 そしてここから、新しいテーマが浮かんできたので、今日からはそちらを書き出していこうとしています。 私の本は、自分のしてきたことを整理した結果として出来ることかもしれません。
私は、書くことを仕事にして生きていけるようになりたいです。 こういうのを転職というのでしょうか。
新しい道に進んでいけるために、何をすればいいでしょうか。 看護師になるときには看護師になるための学校に行って勉強しました。物書きになるための学校もありますが、学校に行かなくてもなれるような気がしています。 きっと、毎日丁寧に書いていく自分を積み重ねていけると、やがて自分のものになるのでしょう。 なりたい自分になれるよう、毎日を積み重ねるスタンスはいつも同じです。
そして、今することは、最初の一冊を書いてみることです。 この道はすでに始まっていて、私は新しい自分を育て始めているのです。
違う学校の教室 水のある場所 いつも渋滞のロータリーに、今日はバスが一台だけ。どうしてかな…。 学校がお休みだったのでプール探しの旅へ。家の近くの動物公園のおサル 公園の中の森
今私は、新しいことに取り組んでいます。新しい何かを学ぶために、今まで持ってきたものを降ろして、よりニュートラルな自分を意識しています。 ちなみに、今までの方法を降ろしてもそれがなくなることはなく、そのときの状態で残っているのです。ですから、時には過去の方法の中からプラスの部分をチョイスして利用することも出来るのです。 “降ろす” という言葉を “放す” に変えると、より自由です。 ニュートラルな私は、明日は何が書けるのか楽しみにしています。
今日は、友人に誘われたイベント会場へ行ってみました。会場には、車椅子に乗っていたり松葉杖で足を支えて歩いておられる方々が集っていて、私を誘ってくださった友人は、遊びに来られた方のお手伝いのボランティアをなさっているようでした。 敷地内の庭ではバトミントンや卓球で遊んでおられる人々の笑い声が響き、部屋の中では全盲の男の子が目の見える男の子と長い時間かけて将棋をしていました。そして私は今、そんな彼らとベトナム語で語る会話を楽しみました。 語り合っているうちに、皆さんが私と同じように自分を楽しんでいることが分かり、他者と隔たりを作るのは私自身であったことに気が付きました。
友人から、彼らのことをどう思う?と尋ねられましたが、自分の気付きを語るには言葉が少ないのです。そんな自分をそのまま伝えて、会場を後にしました。
書きものをしました。 昨日の晩に、あるテーマを思いついたせいか、今日はいろんなことが浮かんできて、10本の指はキーボードの上でダンスしているようでした。 2時間くらい続けて打ってもまだ出来そうでしたが、体のために外に出てあげようと、散歩モードに切り替えました。 足首に重りをつけて公園まで出かけてみたら、まるでイベント会場のように大きな音楽が聞こえてきました。 中に入ってみると、敷地の中で3つのグループに分かれて、エアロビクスと社交ダンスと少し年配に見える女性達のスローな体操が行われていました。 私もその様子を眺めているうちに体操したくなり、3つのそれぞれの場所で遊んできました。 ベトナムの方々が週末を楽しんでいるその場所で、感じるままに参加した自分を喜びました。
心の傷を癒やし始めた頃の自分を思い出したくなって、過去のメモ書きを取り出しました。ページを開くと当時の私がそこに居て、現在との違いに時間を忘れて読みました。そしてうれしい発見もありました。 当時の私は、FBすると頭の中で壊れたレコードのように同じ歌が流れていたのですが、今では、このようなことはなくなって、FBした自分を見て次の動きを考えられるようになっていたのです。 それから、子ども達に対しても、心に傷を抱えていてさえ出来ていたことはあったのです。あの頃は自分のプラスを探すことが出来なかったのに、今は毎日、プラスを広げて生きようと意識出来るようになっていました。 さらに一番大きな発見は、私の根幹にかかわることでした。 あの頃、まとまりのない自分を知ることで精一杯だったのに、今では自分で、私はもう一人になっていると言うことが出来るくらいにまとまっていたのです。
気が付いたら、こんな自分に成長していた。5年間してきたことの証は、私の中にあったのです。 今夜は、過去と今との違いを心に沁みこませて、明日の自分を思い浮かべました。
キーボードを打っているうちに過去の年表を知りたくなったので分かる範囲で書き出してみたら、マイナスの中にあっても自分を知っている時期と混乱してまとまりのない空白の時期が明らかになり、自分の歩いてきた道を改めて確認できました。 そして、今は空白の部分にも心の傷を癒やしたぶんだけ書き足していけるのだと思うと、ワクワクしました。
私は 1966 年から 2008 年の今日まで生きてきたのです。
今日は市場で買い物を楽しんできました。値段や食べる方法を聞いたり、欲しいものを買い、勧められても要らない物はお断りしました。 ベトナムでは時々、日本の方からベトナムの人は人をだますという言葉を聞きます。私にも被害を受けた経験はありますが、私はこの考え方とは違う捉え方を大切に出来る練習をしています。
3回目になる今回の渡越は一ヶ月と少し経ち、この期間のことを思い返してみると、2回目の越南の時と同じようなことは何度かありました。 その後被害を受けてしまったお店にはもう一度行って自分のために何かをし、丁寧にかかわっていただけるようないくつかの工夫を重ねて、最近ではその都度丁寧に聞いて確かめることが出来るようになりました。 何かを買っておつりを少なく渡されそうになった経験は、買い物をした数からすると少しです。 貧困地区と呼ばれている市場を歩いても、ベトナムの人々と同じ値段で買い物が出来ておつりも渡していただけます。家を探して歩いている時には、ベトナムの女性に「あそこに行けばあるよ」と教えていただいて、助かったこともありました。 今では、家の近くの食堂の女性との会話は私にとってストロークの一部になっています。 そして、私が今まで書いてきたベトナムの風景は、私の見てきた中の一部分。点であることを意識してプラスを語ることの出来る自分を大切にします。 私は今日も明日も、目に見える景色を材料にして自分を深めて生きたいのです。
自分の気持ちと相談しながら進めたきたひとつのことに、自分で答えを出しました。 答えを出し終えた後、時間がかかったなぁと思いましたが、時間がかかるという私の、何かに対してかける時間の基準を見直したら、その言葉もなくなり、自分で出来たということに深い喜びを感じました。
自分にやさしい答えを出せた自分をうれしく思っています。
昨日、ベトナムの友人の家に泊まりに行きました。 トイレやシャワーや夜のすごし方などの新しい経験を、自分と相談しながらしてきましたが、方法の違いに戸惑い疲れた、というのが朝を迎えたときの私の気持ちでした。 ですから、友人宅には数日お泊まりする予定だったのですが、連泊することにためらいがあって、今夜は家で過ごしています。
そして、気持ちを整理した今は、体を洗うことやトイレを使うことなど、私は今まで自分の経験してきたことを当然と感じることもないくらいに当然のものと捉えてきたけれど、これからは、当たり前や普通という言葉を使うことは控えよう、という気持ちです。 今朝、友人宅から私の家までの道のりで見たものは、出勤前に屋台で食事をする人々でした。朝はごはんを食べてトイレを済ませてから出かけるという考え方も要らないものだったのでしょうか。 こうして考えると、昨晩一晩の出来事は、日本でしていたことを日本以外の国に当てはめていた自分を見直す機会となっていました。 今月は、本格的に住む家を変えようという動きの中で、これまでは家の中に私の必要とするものがそろっていることを基準にしていましたが、昨晩のことをきっかけに、この基準は幅広いものになりました。 視野が広がったせいでしょうか、これまでは英語とベトナム語のふたつがあること、可能であれば日本語を入れた3つがある場所ならば自分で契約が出来ると捉えていた家探しを、ベトナム語のみでもしてみたくなりました。 それに、Web 検索をするときに日本語で入力するから外国の人用に作られた場所を見ることになって平均の値段が高くなっていたのです。この国の人々のように家を探すということを楽しむことができたら、次のステップにつながるでしょう。ということで、ベトナムの人の使うネットで検索してみました。新しい言葉を知って楽しかったです。ベトナムの不動産用語を知っていたら不動産屋さんの話を出来るのでしょう。
どこまで出来るかやってみよう。
午後、チョロンまで、バスを使って行きました。チョロンへ行くにはいくつかの方法があるのですが、今日はより少ない経費でいけるよう、チョロン行きのバスが走っている道を探して15分歩きました。バスに乗ってからチョロンまでは20分。チョロンは地図の中では端のほうなのに、景色を眺めていたせいか、早かったです。 2年前、初めてホーチミンを訪れたとき、何もかもが始めての中、5時間くらい歩いた先でチョロンにたどり着きました。 町の風景はどこも、2年前または1年前とは違っています。きれいに飾られたお店もあり壊れたがれきが積み重ねられた場所もあり。そして、1・2年前の私は壊れた瓦礫の山に文化の違いを重ねていました。 今は、2年前から見てきたホーチミン市は途中経過だったのだと分かります。 そして、そのとき見たものから自分の人生を見つめられたことを、うれしく思っています。
チョロンのバスターミナルの近くには、チョロン市場とビンタイ市場があります。帰りはビンタイ市場からバスに乗って帰ってきました。ホーチミンは一方通行が多くて行きと帰りの通路が違うから、乗るバスも違うのです。 庭の範囲が広がりました。私の心にある庭です。
今の自分に気付けるのは素敵なこと。 自分のプラスを見れるのは素敵なこと。
自分のプラスを見ることが出来ると、次のステップにつながるのですね。
私には私のスタンスが大切です。
今日もまた、昨日までと違う自分。違っていたのは、私の心でした。 授業が終わって、キャンパスでベトナムの女の子と話をしました。 私は日本語のお手伝いするとき、私の日本語も上手になるのですと、辞書を引きながら話しました。 女の子は私に 「どうして?」 と聞いてくださいました。答えは、いつもより丁寧に語るからです。そして、いつも丁寧に語っていればいいのですよね。 ふと気が付けば、昨日も今日もベトナム語で自分を語れている私。私はこれから、ベトナム語で自分を広げていけるようになるのかな。
ものを書きながら過去の自分を見る。私は今不思議な取り組みをしているのだと思います。私の書く本は、私にとって特別なものです。 それで、私はもっと自分を知りたい。出来ていることがあって、でもその自分に満足していたら、私の成長はゆるくなる。自分で自分を後押しして、もう少し進むことにしました。 Mamo ちゃんを守り成長させてあげられるのは、Mamo ちゃん。Mamo ちゃんのしたいことを手伝ってあげられるのもMamo ちゃんなのです。 こんな私の自己紹介をベトナム語で作りました。 周りのお友達に手伝っていただいて、私の知りたかった言葉を知りました。 実は、これは学校の宿題なのです。そして私のしたかったこともであります。毎日練習しているうちに広がっていきます。
どこにいても自分の大切にしているものは同じです。
学校が終わってから、昨日会う予定だった研修生さんに会いました。 いつものように 5,000 ドンのお昼ご飯を買って家に帰って食べました。 彼女はお友達と約束をしていたのですが、そのお友達は約束の時間に訪れず、彼女は私の部屋で4時間待機していました。 私は、これはいい機会だと、他者と1つの部屋に居て自分のことをすることが出来るかと実験をしました。 パソコンを見たり部屋を掃除したり、それから、書きたいことが書けるかと Book のフォルダを開けてみたり。彼女は眠ったり携帯で遊んだり、時々私に話しかけたり。 私はこの頃幾人かのベトナムの学生さんにお尋ねしたことを、彼女にもたずねてみました。「あなたは、勉強するのは何のためですか?」。彼女は今日本語の勉強をしたい方ですので、答えは 「日本に行きたいから」 でした。もう一度日本に行って帰ってきたら、縫製の仕事をなさるそうです。機会があれば、もう少し先の WHY をお尋ねしてみたいのです。 それと、もう1つ質問をしました。 「“いのちをもつ” という言葉を、どのように感じますか?」。 彼女は 「一番大切なこと」 と言いました。このことをベトナムの方にお尋ねしたのは初めてです。尋ねてみたいと感じた自分が面白かったです。 ちなみに、3年間日本にいらした彼女に、 「頭の中で考えごとをするときは日本語?ベトナム語?」 とお尋ねしたら、今は日本語なのだそうです。面白かった。
この頃、書くということについて、思い浮かべています。 私は日本に居るときから、「やさしい本」を書くと言ってきて、姉にも子ども達にも、同じ言葉を使いました。けれど、やさしい本という表現は、ぼんやりしていてよく分からない。私はどういう気持ちでこの言葉を使ってきたのかな。 自分のためにと言っていたけれど、自分のために書くのはなぜかなと改めて問いかけたり。 つまり、私は今、これまで想像の中で語ってきたことを、これから自分でしていくために改めて確認しているのだと思います。
「やさしい本」 は、「私にやさしい本」でした。 本は、誰かのために書くのではなく、私自身のために書くのです。だから、私に一番やさしい本が出来上がる、予定です。 それで今日は、書くことをするということを意識して書いてみました。 何を書こうかなぁと書き始めて、時々ベッドに寝転んだりしていたら、ある思いが浮かんできました。 そうだ、私はこのことを一番先にしたいんだ…。ということで、また机に向かうと、今度はいろんなことが浮かんできて。
家の中でキーボードをたたいて、時々寝転んで、目が疲れてきたので自転車で遊びに行って。これでOK。こうして切り替えていけばどこにいても書いていけるんだ、というのは改めて感じた印象でした。 文章というのは少しずつつながっていくようで、書いていくことの形のようなものが自分の中に生まれたみたい。本を書くときには、独りの時間 が必要なような気がします。
私は、今の自分を見ているのが楽しいです。 次の一歩がスタートしたような気持ちです。
今日は Center へ お金を降ろしに自転車で行きました。3回目の Center への道のりは、2回目よりも道が分かっていて、その道の先に何があるかを思い出せて、楽でした。 今日は自転車だったので、Bank の近くにある本屋さんの駐輪所に自転車を置いて歩いていくことにしました。 駐輪所でおじさんに、どこに行くの?と言われたので、本屋さんと言いました。本屋に一度入って、しばらくして反対方向に歩きましたが、お店を出るときに見つかったら何か言われるかなぁとドキドキしました。でも、大丈夫だった。 お金を降ろした帰りの道のりは少し迷ったけれど、それでもある場所まで来たら見覚えのあるものが視界に入りました。道を覚えている自分に興味がわきました。動いたところは動けるようになっていくのだなぁ。 今度は違うところに行ってみたい。ベトナムに来ているときは、ベトナムのいろいろな所に行ってみたいのです。
夜は、目標設定の紙を眺めました。○○後には本が出来上がっていたいなぁ。
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