「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2008年02月25日(月) 卒業

 今私は、名古屋駅近くの Hotel の部屋で、今日の日記を書いています。


卒業の日。
荷物がなくなり、空っぽになった部屋。
2003年5月。私はこの家に、苦しみを抱えて飛び込んだ。
懐かしくてそして、ほんの少し前のことのような気もします。

それで、明日は飛行機に乗り、私はとうとうベトナムへ。
どうしよう。ほんとうに行くことになりました。
なりたい私を持って。


Gobamcanのお家へ。いつも私を雨風から守ってくれてありがとう。
天白へ。Mamoちゃんはベトナムへ行ってくるよ。
名古屋へ。私を歓迎してくれてありがとう。かわいい名古屋弁も知りました。

そして、日本へ。
いつも私に考えるきっかけをありがとう。
行ってくるね。外国で暮らしてくるね。
なりたい私になるために。


 卒業の朝、荷物を置くことになっている倉庫を掃除しに行った帰りに、育成会の心友にばったり出会いました。思わぬ出会いがうれしかった。いつも心を語る自分を大切にします。
 私の書く本を楽しみにしていることを始めて知りました。それで今はちょっぴりくすぐったい。そして私はいつも私のすることを大切にします。


2008年02月24日(日) プレプレ旅立ちの夜

 旅立ちの前の最後の夜になりました。
最後と言っても、いつかは日本に帰ってくるのだから、いつもと同じです。
それでも、前回見た街の様子が頭に浮かびます。ほんとうに、私の知らない世界があったあの国に…。
 昨日から、今の自分をベトナムにおいてリアルに見つめてる。そして、この私の心にLinkする本が一冊。少し違った側面から自分を見つめなおすきっかけになっている本は、『Emile』ルソー著 です。
 たとえば、(中)の中には「私たちの不幸の肉体は見かけだけに限られている。それを連続的に私たちに感じさせるのは記憶力だ。それを引き伸ばして私たちを本当にあわれな人間にするのは想像力だ」という一説があって。
 私はこの文章を読んだとき、一年前に自分が見てきたベトナム国の様子とそこで心に刺激を受けた自分を思い出して、うーんとうなりました。
 なぜなら、私は前回の越南で私の知らなかった貧しさと戦争の跡を見ました。私はそこで、私よりも大変な人たちという見方をしたのです。それはそれでいいのかもしれません。けれども今考えてみると、そこに暮らす人々は、Simpleにそこに生きているのみで、例えば多くの収入を求めているとしても、収入がないことに悲しみふさぎこんではいませんでした。私が見たものは事実ですが、感じたことは私の過去の価値観の範囲だったのかもしれない。
 今はうまくいえないけれど、わたしは今後も世の中を見ていろいろな自分を見るのでしょう。
旅立ちをを前に、物事を、私を構築したい心で吟味できる自分で居られたことをうれしく思いました。
 二日後に始まる新しい世界、Simpleに生きる私を楽しもう。いや、もうすでに始まっているのかな。
いろんなことを学んだ約5年間。出来た分だけ出来た約5年間。
実は、過去を降ろして自分をひたすら見つめてきたこの町を離れることはちょっと寂しいのです。

こんなときは全体を見て、未来を見て、それから明日の準備をするのです。

となりの町に、行ってきまーす。


2008年02月22日(金) 私の大切なもの

 朝一番、荷物の最終チェックの前の最終チェック。実は、Simple を楽しんでいるうちに、私の荷物は入れるものを探せるほどコンパクトになってしまったのです。あれをもう少し残しておけばよかったなぁという思いも浮かんできました。けれどもその後、ベトナムで荷物を持つ私をイメージしてみたら、ホーチミンを歩く私には大きなスーツケースは似合わないことがわかりました。だから、やっぱりこれでいいのでしょう。
 
 荷物が落ち着いたので、インターネットで Hotel の検索をしたり保険のことを調べたりしました。長期滞在するのに、アパートと Hotel に泊まるのとどっちがいいのかなとか。つまりようやく、ベトナムについてからの動きをイメージできる段階になれたみたい。
やっぱりひとつずつなのですねぇ。

 ちなみに現地に着いたら、大使館へ行って在留届というのを提出します。日本人の私はここに住んでいますよと公に登録しておくことのようで、長期滞在には義務付けられているそうです。自然災害などにあったとき、役に立つのですね。日本大使館に行く機会はめったにないでしょうから、楽しみにしています。





感覚
 うまく言えないけれど、私は私の感じていたものを信じてきてよかった。
自分に足りないものに気が付ける私でよかった。
私にとっての美しいものとかきれいなものがわかる私でよかった。
私の信じてきたものは私にとって、信じるに値し信じ続ける必要があって、世界中の誰もが望まなくても、私には必要なものでした。
そしてそれは、今では、ごく自然にここにあったような気持ちなのです。

夜、いつものように寝転んでいたら、不思議な感覚が沸いてきました。
自分の吸った息が肺の隅々までいきわたってる。体から力が抜けていて。
もっと力を抜いたら、私の空気はおなかのほうから全身に行きました。
まるで、赤ちゃんが布団の上で息をしているみたいな気持ち。手足を自由に伸ばしたり縮めたり、動きたいように動いて。


子どものころは、自分の息が聞こえないように息をしました。私は大きく自由に息をしてよかった。そしてそれができるようになった私を感じられるようになった Mamo ちゃんなのでした。もっと力を抜いて自由に生きましょう。


2008年02月21日(木) 未来

 今日はバイクと自転車を売りに行きました。
 ちなみに、茎わかめムーヴを売りに出したときは、もうひとつの私の部屋を手放すようで寂しさがありましたが、今回は数日後の未来の方が楽しみな私なのでした。車を売ったときから、この自然そのものが私の大きなお部屋になっていたからかな。
 大きなものが売れて身辺がさらにすっきり。荷物も整って落ち着いて、ようやく次のことがしたくなりました。いつもひとつずつなのです。

 午後、心友の男の子の家に遊びに行きました。先週の土曜日から約束していたのに、荷造りがあったり腰を痛めたりして今日まで先延ばしになっていたのです。
 約束を守れる大人が出来てよかった。そしていろんな発見もして、次の機会も楽しみです。

 今日もまた、現実と対峙して自分への発見をしました。私は今の自分から少しいい自分になりたいです。明日も。
旅立ちまであと5日。あと5日間も、ここで心を語ることが出来る。明日も楽しく生きよう。


2008年02月20日(水) Simple is Nanmalin

 この頃の寒さと荷物整理で腰を痛めました。いつもなら体操するとおさまるのに、今回は靴下をぬぐのに苦労して泣きそうでした。ベトナムへ行ってから悪化しては大変だから、こんなときは静かに寝ているのがいいのだなぁと分かっていても、旅立ちの日にちは近いのです。体と相談しながら少しずつ動きました。
 それでもやっぱり小さな荷物をもっただけで、イタタタタ…。家の中で荷物も動かすのも怖くなり、とうとう、お金を出して私の荷物を処分してほしいくらいの気持ちになりました。ところが・・・。
 床に寝転んで天井を見上げていたら、いいことを思いつきました。
 それは、荷物をもっと減らすということです。独りで生きるMamoちゃんです。独りで出来る以上のことをしようとするから大変になるのですョ。荷物も出来るだけ自分で持てる分がいいのです。まるで、物にこだわらずSimpleに生きなさいと体が教えてくれたように感じられて、出発前の今、気がつけたこともうれしくなりました。
 ということで再び荷物減らし。面倒見れるだけの荷物に近づけるよう、いろんなものを減らしました。
 私の場合、どうしても持っていきたいのは、書くための道具とコンタクトレンズなのです。これだけあれば私は自分のしたいことができるはず。それ以外のものできるだけ削除して…。荷物が一回り小さくなりました。Simpleに近づいてきたみたい。
荷物を減らせた自分もうれしいけれど、自分の状況の中から前向きな発見をすると、わくわくします。

明日も自分の心を一番大切にして、心を語って生きましょう。 
Simple・Mamoチャンなのでした。


2008年02月19日(火) Visa

 大阪領事館へVisaをもらいに行きました。
ところが、到着してみると私の申請したナンバーの申請書は総領事館に届いていませんでした。
 少し焦りましたが、どうしたらいいか案を練れる落ち着きを持っていました。コンビニでテレカを買って、ベトナムの大学へ電話をして、領事館のベトナム人に話をしてもらって、無事にVisaをいただくことができました。
 赤いパスポートに水色とオレンジ色の混ざったVisaが貼られました。
自分で調べて友人に依頼して、そして今日取りに来て。プラスの私のできたことの一つ。できたできた…。うれしいです。

 ほかに、このごろ気になっていたいくつかのことが整理できた日です。
大切にしたいことを実際の生活の中で大切にして、私を育てます。
 私はベトナムへ行っても、心を基準にして生きていきそう。未来の自分への予感です。心というテーマは、もしかしたら私にとってエンドレスかもしれません。なぜなら、私は自分の人生を最後まで楽しく生きたいからです。


2008年02月16日(土) 広い地図・きっと

 午前中、仮の住まいに Post を付けに行きました。赤い屋根のお家の形のPostが白い壁にくっつきました。真ん中から少し下に私の名前。Post さんには、一年間手紙を受け取ってねとお願いしました。それから、よそ様のおうちをお借りしているから静かにお留守番していてねとネ。

 午後、育成会に参加しました。休会の前の最後の参加。言ってきますと語りました。
 5年間心のことをしてきた私。行きつ戻りつしたけれど、心の作業を持続させる自分を選べた私です。よく取り組んでこれたね。自分の成長を見るのは楽しかったですからね。毎回、回の中で多くの自分を見つめる機会を得たことをうれしく思います。
 そして今、こんな私にたびたび、心の葛藤が沸いてきます。その理由は、日本の社会を見れるようになってきた自分の好奇心や、私に手紙をくれた子どもたちのことや、心を語り合える空間を利用できるように成長した自分への興味深さや、つまりもう少し日本にいたい気持ちもあるからです。
 少し話は逸れますが、私の中には、いつからか自分の地図があって。それは私が生きてきた道に沿ってあっちにこっちに動いているのです。昨年夏、その道の詳細を知って心の底からハッとした時期がありました。
 詳しいことは、私が実際にベトナムへ行くと書けると思うのですが (ごめんなさい)、当時の私は「はぁ〜そうだったんだぁ」と、自分の人生を心の底から見たような気持ちでした。
 そして今も、その道を歩いてる。でも今は、小さな、けれどもプラスなターニングポイントが繋がった結果の、少し意味のあるポイント地点に居るのです。

 それで私はベトナムへ行きたいのか日本に残りたいのか。どうすればいいのか。

 育成会で、小さな怒りを感じる自分は基本的にいつも怒りを抱えて生きてるのだと語りました。ただ、私は今怒りの原因がどこにあるかを見れる大人に育っているのだから、その私が現在の生活で怒りを抱えたまま生きているのはおかしいのです。
 生活のどこかがストレスになっているに違いないと自分を探していて辿り着いたのは、この迷いの中に居る自分でした。 このところの不安定は自分がこの迷いの中にいながら、目に見える旅立てる状況を作ろうとしていたからでした。無理をしていたのですね。頑張ると疲れます。
 選択肢はいくつかあってもよくて、時に迷うことがあっても、それはそれで。そして私は、過去とは違う道を広げたいと切望して、自分を頼っています。
 こんな風に書けるのは、自分を広い視野で見つめることができるようになってきたからかな…。この感じ、ちょっぴりくすぐったいのです。
 日本に残りたいと感じる自分は分かったから、今夜は行きたい理由をたくさん書き出してみようっと。



 今朝、出掛けに姉から手紙が届きました。夜に読もうと思っていましたが待ちきれず、育成会の前に読みました。
 手紙にはベトナム行きの報告をありがとうと。それから少しの近況報告に加えて、「やさしい本、楽しみだね」と。
本を書く私を楽しみにされたことは素直にうれしいです。

 手紙の結びに、むか〜し読んでいた呼び名。
新しい私は苦しみの渦中で一緒に遊んでいた姉から歓迎されて、あの頃の小さなトラウマにさようなら。
心に受け止めた、姉からの心のストロークでした。

きっと行くよ。行ってくるね。「やさしい本」を書きに。


2008年02月15日(金) 広がる仕組み

 今日も朝から外出。でも今日は気になることがあって、家を出るときから、家に帰り着くことを急いでいました。こんなときは小さなずれが重なるもの。あせっている自分に気が付いては、急ぐ旅じゃありませんよと言い聞かせてゆっくりを意識した私なのでした。

 外出の目的は区役所。千種区民になりましたから、今までより少し遠いのです。目的は保険料の手続き。保険料を減免していただけることが分かったので、その手続きに行ったのです。

 外国に長期滞在する場合は国外転出という方法もあるのです、住民上を抜いて日本から脱出するなんて面白そう。どちらにするか迷った結果、料金の安いほうに決めました。
 今は日本を離れている間にかかる出費を少なくする方法を探しているのですが、今まで知らなかった仕組みを知ることが出来て楽しいです。
 世の中は探検すればするほど楽しみが広がります。 私の中の小さな好奇心が始まりなのです。


2008年02月14日(木) 昨日・今日・明日

 区役所に電話をして、国民健康保険の金額を聞きました。やはり少し安くなるようでよかったです。
 解約したプロバイダのモデムを郵送して、修理に出していたパソコンが帰ってくる見通しもついて、事務的なことが少し進んで安心しました。
 日本へ残す荷物をさらに少なくなるように調整しました。ベトナム行きも日本の仮住まい行きも、基本は一人で運べるくらい持つことです。いつもシンプルが好きですから。

 夕方バイクに乗って歯医者さんへ行きました。Dr.はもうすぐベトナムへ行くことをご存知で、治療も今日で終わりです。
 歯医者には私も覚えている高校生の頃のトラウマがふたつありましたが、今日はリクライニングのイスの上でゆったりしたくなりました。トラウマが取れてくねぇと心につぶやいて。

独りでいきるということ
どんな風に生きたいのかなと改めて問いました。自分を一番大切にして、独りで生きるということを、昨日より今日、今日より明日、少し多くのことが出来る自分を生きたいです。
理想と現実が一致するように…。


2008年02月12日(火) 私の生まれた場所

 今日から私は千種区民。


 天白区役所へ転出転入届を出しに行ったら、以前聞いた説明を取り違えていたようで、新しい住所となる千種区役所まで行かなければならなくなりました。次の予定もあるし外の寒さを思うと二の足を踏みました。でも、気になることは先にしておいたほうがいいのです。だからその足でバスに乗りました。
 転出届と一緒に本籍も新しい場所に移そうと思っていたけれど、本籍を変えた場合、以前のものは5年を過ぎたら削除されてしまうそうです。削除するということは、今から5年経ったら、天白区に5年間住んでいた私の形跡は丸ごとなくなるということだそうです。つい、子どもたちのことが浮かびました。私の足跡を探す誰かがいるかもしれません。それに、プラスの私の生まれた場所にその形跡を残しておきたい気持ちにもなりました。
 どうしようかと迷っていたら、区役所の方は、本籍がどこにあるかに大きな意味はないから何回も変えることはあまりお勧めしませんョと言いました。私も同感。だから本籍は残したまま現住所だけ変更して、今日から私は千種区民なのです…。
 そしてもう一度本籍の話です。私の一番最初の本籍はどこか、気にしたことはありませんでしたが、たぶん私の生まれた場所・九州なのでしょう。
 名古屋市天白区。新しい私の生まれた場所です。
 午後は運転試験場へ。本籍を残したままの新しい免許書も出来ました。準備が一つ進むたびに安心安心。
 
 ところで、久しぶりに多めに歩いた一日。重りをつけていました。
一日を通して意識していることがありました。それは腰から歩くこと。こうして歩くと、重りをつけた足に負担がかからず長く歩けるのです。ただ歩いているそれだけなのに、自分によい歩き方を探せていることの満足感。これが生きてる感覚なのかな。心が満たされていました。


2008年02月11日(月) あったかいもの

 今日は、昨日貼った障子が乾いたので、余分なところをカッターで切りました。きれいに仕上がる障子に心の満足。丁寧にするということが出来てる自分は、いい感じです。
 その障子を2階に持って上がり、やがて真っ白な障子が部屋の中に収まりました。私の部屋に、自分で貼った障子。うれしかった…。外の寒さとは反対に、あったかいが詰まったお部屋です。

 お片づけ。今日もまた色々なものを見ました。
 硬い鉄の棒を指定のゴミ袋に入るくらいの大きさに曲げるのです。でも、硬くて大変だから火に掛けてやわらかくした後、5キロの鉄アレイでたたきました。熱くした鉄ならあっという間だったみたい。そして、曲がった鉄を水につけたら、今度はジュッ。冷たく硬くなった鉄を曲げてみようとしたけれど、うんともすんとも動きませんでした。
 大人は色んな引き出しを持っているのですね。引き出しから少しずつ出てくる知恵に感心しました。私も色んな工夫の出来る大人になりたいです。

 夜、お風呂に入って面白いことをしました。それは…。
倉庫に入れっぱなしだった波乗りボードを浴室の中に入れてみたのです。
目的は冷たいタイルの上に敷くため。こんなに楽チンだったと始めて知ったMamoちゃんでした。お世話になっていたお風呂のイスは要らなくなりましたよ。
 ところで、身体を洗い終わったあと、ボードをお風呂の中に入れてみたら、これがおもしろすぎました。
湯船いっぱいサイズのボード、その上に上手に乗れるまで何回大波が来たことでしょう。そしてついにボードの上に乗っかったら、気分はお母さんのお腹の中。
私はきっとこんな感じにゆったりと揺られていたのでしょう。きもちよかった〜。飽きるまで遊べるお風呂タイムなのでした。

 感じるということ。
 子どもの頃、感じるままに生きていたら、私はきっと怒ったり泣いたりの繰り返しで生きてはいられなかったことでしょう。だから今まで、感じる心をなくしていたのです。
 その私、なりたい自分になるためにすることは、自分をみることなのです。自分にいいものを見ながらね。出来た分だけ楽しいからね。


2008年02月10日(日) Mamoちゃんの芽

 今日は障子貼りをしました。障子貼りってこんなに面白かったのですねぇ。和紙は、ぬれている間はハサミでは切れません。でも、乾いたらシャリシャリと音を立てて気持ちよく切れます。面白いですねぇ。こんな気持ちよさを始めて知った Mamo ちゃんなのでした。
 
 それから、出発前夜に宿泊するHotelを予約しました。名古屋駅から徒歩2分。ドライブのついでにHotelを確認しに行きました。あったあった…。インターネットの場面と同じものが建っていて、フロントには泊まりのお客さんらしい女の子が座っていました。
 通り道にスパイラルビルを眺めました。ビルの窓になっている三角形のガラスは一つとして同じものは無いそうです。ほんとうかなぁ〜と円錐形をイメージしながら眺めてみました。なるほど、円錐形に加えてねじれているから、そのとおりのようです。
 ビルの外観がおもしろかったので、インターネットでスパイラルビルを検索してみました。スパイラルビルって結構有名だったのですね。ビル建設の動画までありました。スパイラルとは螺旋という意味なのですね。改めて知った Mamo ちゃんなのでした。
 いろんなことはひとつずつ。一つ進むと次のことが見えてくるのですね。
民家の木が芽吹いているように見えます。私の心の芽も、小さく芽吹いています。


2008年02月09日(土) さらさら

雪。
 今日は障子の張替えのために障子紙剥がしをしました。障子を外に出して、ぬれたタオルでお湯を掛けて湿った紙をしゃーっと剥がしました。 剥がす前の障子を雪の中に置いてみたら、障子紙に雪がさらさらと降ってきて、なんとも言えずやさしい音でしたョ。片づけを楽しむとやさしい音が聞ける。普段気がつかないようなことを楽しめる。面白いですねぇ。寒かったけれど、障子がこんなにきれいになると、初めて知った Mamo ちゃんです。

 夕方、雪の中を車で走りました。雪道でどの車も徐行しています。私の乗っている車の運転手さんは楽しそうでした。隣に座っている私も安心。いろんなことはどうすればいいかを知っていたら・判断できたら、出来た分だけ楽しめるのですねぇ。

 夜、いつものベトナムフレンドに電話をかけました。ベトナムで、私の家探しの状況によっては少しの間妹さんと一緒に暮らしてみるかもしれません。でもいろんなことは吟味する必要があるのですから、慎重に…。丁寧にしたい自分を伝える私をフレンドも了解してくださいました。私はどこにいても自分を語っていいのですねぇ。やっぱり、ベトナムも私を歓迎してくれているみたい。

 静かな夜、時々、屋根に積もった雪の落ちる音が聞こえました。さらさらの次は、ドシャン。雪さん落ちてくれてありがとう。

 大切にしたい感覚があって、それはなんともいえないくすぐったさ。 自分に帰った自分を感じているときの安心感なのデス。


2008年02月08日(金) 無限の世界

 今日もまた、あそび続けた一日。
午前は単語の練習。聞き取りに慣れてきたところはその単語が浮かぶようになりましたから、どなたかベトナム語で話しかけてくれないかなと想像の世界は広がり続けます。早く使ってみたいなぁ。そうそう、あともう少しです。
 単語に飽きたら外に出て、プラスティック解体工場の始まりです。と、その前に大きな衣装ケースがあったので、中に入ってみました。そうしたら、小さな子どもになったみたいな気持ちになって、くすぐったくておもしろすぎました…。
 午後も庭に出て、今度は土いじり。夢中になりましたョ。棒の切れ端でひたすら土を掘っていく。このまま掘り続けたらどうなるんだろう。地球の裏側に出たらおもしろいだろうとか、何かの虫さんが出てくるかなとか。たまらなく素朴な世界で、それなのに無限大の世界なのでした。
 続いてパラグライダーのきれを切っていたら、金具の部品が残りました。ステンレスのリングが4つ。指ではじいてぶつかるときれいな音がするんです。縦に並べてこちらの端っこをはじくと、一番向こうの端っこにあるものがはじかれて飛んでいくのです。一番向こうのリングがはじかれる力は最初にはじいた力より増しているような気がするのだけど…。
 こんなことは学校で習ったらしいのですが、私には覚えがありません。覚えていてもいなくても、やさしい音色に惹かれた Mamo ちゃんなのでした。
 
 ちなみに、ルソーは著書『Emile』の中で、教育するということについて、「身体と精神が互いに疲れを癒やすものとなるようにすること」(一部省略)と語っています。庭先で土をいじって遊んでいられる素朴さを好む私の心とLinkしました。
 
 ということで今日は新鮮がいっぱい。心に感動の声を上げ、そんな自分にわくわくし、肌に当たる風は冷たかったけれど、心にはやさしやわらか空気が流れてきた。た・の・し・い一日なのでした。

どうしましょう。こんな楽しみがあとあと19日も残っていますョ。


2008年02月06日(水) Hope

 今私は、自分の心に一つのテーマを作って、片づけを楽しんでいます。
 小学生の頃は、姉弟や母親が食事してるテーブルのそばに行き正座して、そうじさせてくださいと頭をさげました。受け入れられたかった一心で、あのときの私に出来た自分を生かすための方法だったのだと思えます。あの中をよく生きてきましたねぇ。えらかった。大変だった。がんばった。 だから、もういいのです。
 今日の自分にこんな風に声を掛けられるのは、心の整理と荷物の整理が同時進行になっていることと、その結果として今日は特に楽しいお掃除 Time を生きたからなのです。
今日も一日楽しかったねぇ。


またまたお風呂タイム。何を望んでいるかなぁと自分に問いました。
子どもの頃一番望んでいたのは、愛でした。そして愛の次に、そのときの私に必要な生活の道具だったのでしょう。そのことが出来るかどうかは別にして、私はいつも欲しいものを望んでよかったのです。そして今は自分の望むものを自分に与えることが出来ているのですねぇ。

あ〜やっぱり、今日も一日楽しかった♪

卒業旅行まで、あと20日。生きることは楽しいね。ふふふ…。


2008年02月05日(火) Simple

 リサイクルやさんが荷物を持っていってくれました。部屋の中がシンプルになり、なんだか不思議な気持ちです。出発までもう3週間をきりました。でも、行ってまた帰ってくるのだから、少し旅に出るような気持ちです。

 夕方、久しぶりに研修生さんと会いました。ベトナムへ行ったら、お友達のご家族と対面する約束です。きっと私は、彼女のご家族に私を語りながら、日本で生きている彼女をお知らせすることになっているのでしょう。これも出会いなのですねぇ。まるで、私とお友達の間から昨年までとは違う新しい架け橋が出来ているみたいです。
 それにしても、お友達のご家族は日本語が話せませんから…。私のベトナム語は、これからさらに上達することでしょう。ベトナム語で心を語ることが出来たらどんなにいいことでしょう。
 架け橋といえば、前回訪問したときに出来たお友達には連絡せず、サプライズにしようかなぁと考えています。でも日にちが近づき、あちらでの風景が広がるにつれ、お知らせメールをしたくなってきたMamoちゃんなのでした。
 そして夜には、さくさく身軽に動けるよう作った荷物を出したり入れたりしているMamoちゃんなのでした。

 シンプルに行ってシンプルに生きたいのです。               


2008年02月04日(月) 少し先の未来

 今日は、リサイクルに買い取っていただく机や家具の準備をしました。 それから、日本で荷物を預かっていただく場所も決まったので、その準備も少し。

 午後、子ども達に2通目の手紙を出しました。昼過ぎに出したから、この間と同じ15時の便で東京へいくのでしょう。
 部屋の中が片付き始め、荷物を詰めたトランクは 「もう行きたいよ」 と言いたげにたたずみ、私の心もベトナムを向いています。子ども達への思いは自然とその次へ。
 今、私の視線の先にあるのは本を書くということです。少し先の未来を見て今を生きる私。今、自分を 「心を書く人」 に育てる私は、これからの自分を楽しみにして、さらには彼女達と語りあう機会を広げられる私に繋がる。そんな予感がするのです。

だんだん心にゆとりが持てるようになってきましたョ…。よかったよかった。よかったねぇ。


2008年02月02日(土) そよかぜ

 育成会。
 今日は子ども達からの手紙に返事を書いたその文章を読みました。
返事を書いている時間はいろんな言葉が浮かび、自分がわかって楽しいひとときでした。それから、書いたものを読み返したときには、私にはしてきたことがあるんだなということも。
 それでも、皆さんの前で語るということに緊張しました。自分に対してマイナスの感情を持っていると心に不必要な負担をかけてしまうのです。自分をOKにするのは私なのに。わかっているのにねぇ。
  
 手紙を読んだあと、私のどこに今のことを続ける強さがあったのと問いかけてくれる方がいました。続けてきたのはなぜかと自分に問うてみても、よくわかりません。ただ、私は必死に生きたくて、そして子どもに自分と同じ思いをさせたくなかったからなのです。
 楽になっていく自分にはワクワクしました。それから、やめたくなったりできないと感じたこともありましたから、そんなときは未来を見て辛抱のときだったのかもしれません。なぜなら、いつもなりたい自分がありましたから。
 

 今度行くベトナムは、旅行としては3回目ですが、何ヶ月も滞在するのは初めて。どういう風に行くのかと自分に問うと、いつも「ちょっと行ってくるね」なのです。
 ただ、初めてのことがいくつかあります。外国で異文化の中で暮らすということ・本を書く人になるということ・仕事を休憩して貯えのみで暮らすということ・大学へ行くというこということ。 初めてのことはいろんなことが初めてでわかりません。
 前回越南する途中の韓国で立ち寄った仁川という町は、右も左も韓国語。ホントに何もわかりませんでした。それなのに私は、あまりのわからなさを面白がっていたのです。今度も同じなのですねぇ。

 そしてもうひとつ初めてのこと、それは子どもたちと文通をするということです。上のことに比べてこちらが特別に感じているのは、そこに私とは別の命があり、彼女たちは生きているからです。命があると捉えるせいか、わからないということに心の緊張を感じます。でも未来を想像するのなら、今の特別さが自然に自分の中に溶け込んでいることを、後でごく自然に私自身が知るのだと思えます。 

 母になるということを。
親になるということは、親になれるということで、ひとつの命が命として生きるその尊い一瞬一瞬に立ち会わせてもらえるということでしょうか。
 それなら私も、自分の命の成長を感じる一瞬のように、一枚の紙の上で子どもたちのその一瞬に立ち会える機会もあるかもしれないと感じた夜でした。お日様が、月が、空が、草が私を見ているのと同じように。
 母は、自然の中のひとつであっていいのかもしれません。私は今ある自然の中のひとつ。


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