日英双語育児日記
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庭のプチトマトがたくさん実をつけているので収穫。
私:S、これ。きいろいのもとって。 S;Yellow! This red one! そう、これ、赤いねー。 S:Lots! 私:うんー、たくさん採れたねー。
二歳児S、まだまだ英語モード続行中。
二週間イギリス祖父母宅にいるあいだに、それまでほとんど英語を自分からは使わなかったSが、ずいぶん、英語であれこれおしゃべりするようになった。というか、まだ、使い分けができないので、帰国後、日本の祖母に電話で、It's puzzle now. Finish. などと言っていた。
二週間の最初は、自分の使える範囲の日本語を駆使してイギリスの祖父母に話しかけていたのだが、滞在中の日常コミュニケーションを通じて、いろいろな表現がインプットされ、自分でも使えるようになってきたよう。
It's . . . now. というのがよく使う定型のひとつで、It's breakfast now. だの、It's eating sausage now. だのあれこれと、Sがいうのを聞いて、Dも、Sのまねをして、話していた。
そのほかSがよく使ったのが、 Granny upstairs now. Grandpa downstairs now. や、また、 Granny in the garden. Grandpa in the kitchen. など。 誰かがどこかにいることを表す文。
それから、Finish.(フィニッチュ)や、 I can manage. (「大丈夫?できる?」というような問いに対して、大丈夫、の意で)。
Tには、イギリス祖父母宅では、日本語は使わないからね、と言ってあった。(「なんで?」「グラニーとグランパが日本語わからないから、かわいそうでしょ」「じゃあ、グラニーとグランパのいないところで、こそこそ話する?」などのやりとりをしていたのだ。)
これまでの滞在や、日本では、私が英語でTに話しかけると非常にいやがっていたTも、いやがらなかった。最初の数日は、私の英語に日本語で日本語で答えていたが、後半は、英語で答えることもあった。二人きりで何か話したりするときは、日本語も使ったけれど、あまりそういう機会はなく、他にも人がいることが多かったので、英語が多かった。
イギリス祖父母の家でTとSは、エアベッドを床においてもらって寝ていた。家族四人で一部屋使わせてもらって、主ベッドの両脇にエアベッドひとつずつ。
子連れ帰省するようになって四年目、子供の寝具・ベッドが毎年頭を悩ませるところだったのだが、ようやくこの形に落ち着いた模様。レンタルしてもらってあった柵のついたベビーベッドに、TやSが慣れなくていやがったり。日本では「床」に寝ているのだからこれでもいいのかな、というかんじで用意された「イギリスのカーペットのうえに一枚薄目のマットレスを敷くだけ」というのが、私には、「日本の畳とは違うんだから、それではあまりにも直置きでは?」と思われたり。
エアベッドは幅は80センチくらいと狭いが、大人用なので長さはきちんとあり、そもそも簡易ベッドとして作られているのだから床置きでも違和感はなかった。今年は掛け布団が、大人と同じ大きさのものがきちんと用意してあったのも、ありがたかった。去年までは、シーツと毛布を重ねて一緒に織り込むものが、子供が寝ているあいだにくちゃくちゃになってしまうことが常だったので。子供達も、「自分のベッド」が用意してあるのが嬉しかったらしく、「Tのベッド!」「S、ベッド!」と喜んでいた。ともあれ、サンキュー・ベリー・マッチ、グラニー。
そういえば、昨年は、イギリスで祖父母と出かけた先で泊まった宿で初めて寝た二段ベッドをTとSがとても喜んだので、帰国後、秋に、使っていなかった部屋を片づけて、二段ベッドを買って入れて、子供部屋が生まれたのであった。
今年の小旅行では、泊まった家族部屋が、最上階の屋根裏で、屋根が斜めに下がってきているところに淡い色調の木のベッドがこじんまり修まっている様子が、Tはたいそう気に入ったらしく、部屋にはいるなり、ベッドに駆け寄りGreat!と叫んでいた。
Sも、もうひとつのベッドを自分のものと決めて、S bed, S bed! と嬉しそう。子供にとって、自分専用のベッドがあり、自分のための居場所が用意されているということは、特別に嬉しいことなのだろう。
エアベッドは日本に帰る日の朝、荷造りをしながら空気を抜いて片づけてしまった。子供達は庭で遊んでいて、それを知らなかったのだが、昼食を食べるまえに、手洗いを使いに二階に上がっていったSが、寝室を覗いてエアベッドがなくなっているのに気づき、階下におりてきて、S bed gone! S bed gone!と無邪気に叫んでいた。そのあと、Tの姿が見えなくなったので、探しにいったDが、ベッドのあった床に元気なく寝ころんでいるTを見つけ、抱えて下りてきた。
少し前まであんなに元気に、昼ご飯の用意をしていたのに、どうしたのだろうと訝しがる私や祖父母に、TはTired, tired. を繰り返すばかり。Dが、エアベッドがなくなって、急に、もう帰るのだということが実感されたんだろう、と言い、Are you sad because we are leaving soon?というと、Tがわーっと泣き出した。なぜ急にtiredになったか、Dに言われてみるまでは、自分でも自分の気持ちがよくわかっていなかったのだろう。
三月頃から、夏のイギリス行きを心待ちにして、カレンダーを見ていたTにとって、本当に、楽しい二週間だったようだ。祖母もWe are sad, too. We will cry.などと言ったりして、みな、しんみり、ほろり。祖父が、Dが今のTと同じくらいの年のころ、休暇旅行が終わって家に着いたときに大泣きした話をぽつりとしたり。
昼食の間中、しょんぼりしていたTであったが、食後、祖母がそれまでまだ開けていなかったおもちゃ(祖母が毎週送ってくれていた雑誌の付録を郵送せずに箱にいれてしまっていたもの)を出してきたので、Sと一緒に、つぎつぎに開けてみるうちに、また元気になり、飛行場まで送ってもらう車中で昼寝をしたあとは、また飛行機に乗れるのが嬉しくて、たったかたったか先頭を走っていったTであった。
「イングランドに住んでいれば、Tは、この九月から学校に行くのよ。日本では、いつから?え?六歳。六歳になってから。まあ、Tの場合は、じゃあ、七歳直前に入学するの。んまー・・・ふーん・・そうなの・・。でも、あたたたちの国でも、私たちのところと、だいたい同じような年で大学に行くのよね。ってことは、どこかで、追いついてるんでしょうねー。ふーん。Tもねえ、イングランドにいれば、九月から小学校なのよねぇ・・・」
Tの就学年齢は、グラニーの心配の種であるようでした。私に一度、Dに一度、Tにも一度その話をしていましたから。
Tが、アルファベットの文字の名前「エー、ビー、シー」は知っていても、まだ音価を知らないのも、不満というか不安なようで。「こちらではね、学校では、まず音を教えるの。それから、小文字から教えるのよ・・」などなどお話してくれました。
私は、内心、たしかにおっしゃるとおりなんですが。でも、学校教育で「小文字を先に、音価を先に」教えるのは、きっと、大文字や文字の名前は、就学以前に、系統だったかたちではなく、自然に目や耳に入るかたちで覚えたり馴染んだりしてくるんですよね。そういう基礎があって話でしょう。まだ、Tは、その段階なんだから、いいんですよー、なんて思いながら、聞いていました。
でも、グラニーの目がやっぱり気になるので、Tに、少し音価をたよりにした読み方を教えてみたら、Tは、それまで、まったく手がかりがないと思っていた英語の読み方に、実は、何かやりかたがある、とわかって、嬉しかったようです。
これまでは「ティー、エイチ、オー、エム、エス、トマス!」と言っていたのが、「トゥ(t)、オ(o)、ム(m)、ア(a)、ス(s)、トマス!」になったわけです。エイチはなに?どうするの?というので、うーん、それは読まないのと説明。いや、ほんとうはthで/t/の例なわけですが。それにしても、四歳児の識字獲得過程を見ていると、なんだか、英語のスペリングをリフォームしたがった人たちの気持ちがわかるような気がします。
小文字については、このあいだまで、大文字しかわからなかったのが、いつのまにかThomasやそのほか、小文字が入ったものも大分わかってきたようです。音価や発音がわかるというわけではなくて、Thomasを見ても、「ティー、エイチ、オー、エム、エス、トマス!」とわかるということですが。
ところで、グラニーの心配が、就学年齢であり、文字の音価を知らないことであったということに、私たちはちょっとほっとしていました。Tの話す英語について、心配されるのではないかと、実は思っていたので。
Tの話す日本語に比べると、英語は文法的な間違いがまだまだ大分多いです。疑問文の主語・動詞(助動詞)倒置や、従属節ではそれがまた普通の語順になるとか。動詞を主語にあわせて選ぶとか。そういったことがなかなか難しいようです。Tにとって日本語のインプット・アウトプットのほうがやはりはるかに多いということと、それから、それぞれの言語に内在する問題、というところと、両方でしょうか。
*Can you John can have this? Can John have this?といいたいところを、Can の疑問文を、Can youセットで覚えているので、こんなかんじになっている。
Granny:What do you want to do today? T:*That depends on what time are you leaving today. (what time we are leavingというべきところ、のはず) でも、こういうやりとりが成り立つことが、大事でもあるんだけれど。。
2005年08月20日(土) |
10,9,8,7. . . . |
皿の上のプチトマトだったか何だったかをOne, two, three, fourと数えていたTが、何を思ったか、急にTen, nine, eight, seven. . .と10から下に数え始めた。ゆっくりなので、初めは、混乱したのかと思ったのだが、7くらいまでくると、カウントダウンしていることがわかり、そばで聞いていたDと私は、固唾を呑んで、無事ゼロまで降りてくるのを見守ったのであった。
無事に、ゼロまでたどりついたTに、Well done!とD。
自分で、Ten, nine, とやってみると、Tよりは速くいえるけれど、たとえば、「じゅう、きゅう、はち、なな・・」と言うのが、一続きで何の苦もなくつるつる出てくるのに比べると、足元を確認しながらできるだけ速くかつ無事に向こう岸へしているような緊張感がある。じゅう、きゅう、はち、なな・・は子どものころから(というか、主に子どものころに、か)、数え切れないほど口にしてきたけれど、英語ではその回数が桁外れに少ないわけだから、当然だが。
Tが言うには。
Tねー。ずっとまえから英語ならってたよー。おかあさんの、おなかのなかにいるころから、ならってた。
ほんまか? わかってゆーてるんか?
2005年08月03日(水) |
しまないさるとかに・追記 |
Tは「しぬ」という動詞をなぜか「しむ」と覚えているらしい。
車のなかで、私が運転し、うしろに座っているTと、「さるかに合戦」の話をしていたときのこと。
Tは、保育園や図書館、家などでいろいろなバージョンの「さるかに合戦」に親しんでいる。
どこまで覚えているかな、と思って、車の中で、「かにのおかあさんが、おにぎりもってて、さるがかきのたねをもってて、かえてください、っていったから、かえてあげたの」と、話を始めると、Tも、自分の覚えている話を続ける。
さるが固い柿のみをかににぶつけたから、かにのおかあさんが、あわをだしてたおれてしまって、かにのこどもが、さるのところに、やっつけにいくの、とわたしがいうと、Tが、「ちがうよ、うすとくりとはちもいくんだよ」と続ける、というように。(うす、くり、はち、とちゃんと覚えていたのにはびっくり)
さて、最後になって、みんなでさるをやっつけたあと、Tの依拠する保育園の絵本版によると「さるは、ごめんなさいして、みんなとなかよくなるの」だそう。
あれ、おかあさんの知ってるお話では、さるはしんじゃうんだよー、というと、「ちがうよ、しまないよ」という。「じゃあ、かにのおかあさんは?」「かにのおかあさんも、しまないの。びょうきになっただけ」だそう。
そうなのー、Tのしってるお話のほうが、みんなにこにこなかよくて、いいねーなどと言っておく。
--------------- 追記 この日記を読んでくれた友達から、うちの子どもも「しまない」と言ってたよーと教えてもらいました。
Kさんいわく。 うちの子らも、「しむ」「しまない」「しまないで」 などと言っておりました。 しかも、「しまされる」という受身形まで・・・。 これは「殺される」の意で使っておりましたよ。
Oさんいわく。 5歳児も少し前までよく言ってましたねえ。 「しむでー」「しまへんかったでー」「しむからな」 ワタシも面白がって真似してました
なんでかなー。 ナ行五段活用の動詞、っていうのがそもそも少ないから?
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