DIARY独り言

 

 

銀杏 - 2004年11月28日(日)

休みで郁さんの実家に久しぶりに行った。近くの公園の銀杏の木が綺麗に輝いていた。





寒い冬がもうそこまで来ている。淡々と季節が過ぎている。



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眠り - 2004年11月27日(土)

不思議な夢をみて布団の中は暖かくって、目覚ましが静かに鳴り始めて目を覚ますと朝が訪れている。

明日は目覚ましも鳴らさない。でも、もうすぐ12月。





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中央線 - 2004年11月25日(木)

久しぶりに中央線に乗って去り行く景色を眺めていた。朝日の中枯れ行く街を快速電車はゆっくり走って行く。何回こんな乾いた秋の景色を見たことだろう。そんなことをぼんやり考える。

中央線。小金井あたりから荻窪、阿佐ヶ谷あたりが味がある。高架になっていて、春は桜吹雪、夏はプールで泳ぐ子供達、秋は染まる銀杏、冬は雪が一つ一つの屋根に積もる。

やがて遠くに新宿の高層ビルの群れが斜めに見えてくる。夕闇の東京は、ひといきれにまぎれてしまう悩ましい街でもある。



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雨音 - 2004年11月19日(金)

今日も一日雲に覆われ暗かった。雨音が窓の外から聞こえる。明日が休みだったらこの雨音も心地よい音楽に変わる。

朝のTVで昭和記念公園の銀杏並木の黄葉が中継されていた。そういえば去年?一昨年?綺麗な銀杏並木を見たっけ。

今年は台風で葉が落ちてしまって例年に比べたら葉のボリュームがないらしいけど。春は桜、夏はバーベキュー、花火、秋はコスモスに銀杏、冬はクリスマスイルミネーション。節目節目で気になる公園がこの公園。今度の休みに行ってみようか。




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晩秋の雨 - 2004年11月18日(木)

大粒の雨が大きな音を立てて降っている。最近雨が多い。今日は郁さん連れて買物に出た。灯油を買う季節になった。

晩秋の雨音を灯りを消した部屋で聞くのも悪くない。




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レキシントンの幽霊 - 2004年11月17日(水)

レキシントンの幽霊(村上春樹)を寝る前に読んでいる。数年前に読んだはずだけれど、ほとんど覚えていないので再び読み始めた。

作者が意図したものが何なのかは知るすべもないけれど、さらりと読めるところが心地良い。

この世のあらゆる出来事全ては、いつかは忘れ去られて行く。日々の現実も淡々と流れる時間の中で色あせてゆき、やがては記憶のかなたに追いやられてしまう。

人は死んでも、誰かの記憶の中にある限りはその人の記憶の中で存在するが、記憶している人が死んでしまった時に本当の死が訪れるといつか読んだことがある。

夢と現実の曖昧な関係に思いをはせる。



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ならずもの - 2004年11月16日(火)

古い曲がよくかかる。DESPERADOもその一つ。イーグルスが歌っていた。イーグルスのボーカルはハスキーで。でも日本のボーカルは高音です。
「ならずもの」…。本当に強い奴なんていない。そんな気にさせるメロディー。今聞いても新しい。誰にでも優しくなれそうな、そんな気がするメロディーだ。




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深夜の対談 - 2004年11月15日(月)

深夜に帰って来たらカナが起きていて、僕の帰りを待っていた。何か話したかったようだ。僕は話の途中で「もう、ねよっか。」って言ったら、「お父さんのバカ」って言われた。

どうやら高校卒業を控えて仕事のこと、将来のことについて話をしたかったようだ。緻密な性格でない僕は、若い頃も将来のことを設計図を書くように考えることはなかった。だから正直に言った。「先のことなんて思い悩んでもしょうがないさ。」って。

父親は本当に「のうてんき」な人だとカナは思ったと思う。基本的に思い悩むことがキライな性質で。悩み苦しむ自分の弱さも知っているから。




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奥多摩 - 2004年11月13日(土)

奥多摩へ走ってみた。このあたりは東京といえども自然がたくさん残っている。電車は単線で一時間に4本くらいか。

山の斜面の畑を耕しているのか。山の木を伐採しているのか。

映像はツーリングレポートに掲載しました。


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雨の日の午後 - 2004年11月12日(金)

昨晩の雨が昼過ぎまで残った。4時過ぎから雲間から青空が見えてきて、




芝生の上では子供達が無垢な歓声をあげながら走り回って遊んでいた。桜の並木は赤く染まって。
小さな子供達よ。大きくなっても、こんな日のことをどこかで覚えていて欲しい。


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冷たい雨 - 2004年11月11日(木)

深夜に雨が降ってきた。雨音が窓の外から聞こえてくる。こんな時家の中にいてよかったって思う。

ツーリング中のテント泊でこんな夜中に冷たい雨が降ってきたらとってもやるせない気分になる。寒い上に雨なんて。そして翌朝に雨の中テントを撤収して走ることを思うと絶望的な気分にさえなってしまうよ。

暖かい布団とホットカーペットの上のコタツにTV。あたりまえの生活だと思うかもしれないけれど、この生活はとっても魅力的なもので、この空間はかけがえのないものだと、ツーリストは知っている。



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紅葉 - 2004年11月08日(月)

埼玉県の秋ヶ瀬公園へ行った。なぜかテニス。合間に紅葉した木を写した。綺麗に紅葉した木を見ていると数日前にTVでみた永平寺の禅僧の言葉を思い出す。







・自然は立派やね
わたしは日記をつけておるけれども
何月何日に花が咲いた
何月何日に虫が鳴いた
ほとんど違わない
規則正しい
そういうのが法だ
法にかなったのが大自然や
法にかなっておる
だから
自然の法則をまねて人間が暮らす
人間の欲望に従っては迷いの世界だ
真理を黙って実行するというのが
大自然だ
誰に褒められるということも思わんし
これだけのことをしたら これだけの報酬が
もらえるということもない
時が来たならば ちゃんと花が咲き
そして黙って
褒められても褒められんでも
すべきことをして 黙って去っていく
そういうのが実行であり 教えであり 真理だ





この国にも崇高な文化、そして道徳があることをあらためて感じる。




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みかん - 2004年11月07日(日)

いい天気だった。郁さんの具合は相変わらず。時折両手で目をふさいでいる。辛そうなしぐさを見ていると心配になる。

朝日がベランダから差し込んでいる中で、みかんの白い糸を丁寧にとっては一つずつ口に入れて食べるしぐさを見ていて彼女らしいと思った。
僕はみかんは外の皮を剥いたら、そのままかじってしまう。

午後床屋さんに行って、外に出たら真っ暗だった。夜がすぐ訪れる今日この頃。







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見つめてはいけない - 2004年11月06日(土)

ほんとうは、帰りがけに気のきいたお店でビールでも飲んで帰りたい気分の今日だったけれど、そんな店もこの街にはなくとぼとぼと坂道を登って家のドアを開けた。

今晩は久しぶりに家でワインを飲んでいる。ワインの酔いに身をまかせて深夜のスポーツニュース見ていると感じることがある。

たまにはこうして、酔いに任せるのも悪くない。毎日、毎日真面目に素の現実を見つめ続けられるほど僕は強くはない。だからこうして現実逃避している自分がここにいる。そんなに律儀に生活することはないさ。真面目に見つめることはない。もともと自分は現実を見つめつづけるほど賢くもないし、そうしてそれを全て改善する能力もない。

自分の力を過信しない。神のように無限の力があるなんて思い込んでしまわないように。己の力に限りがあることをよく知っている。




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最近の失敗 - 2004年11月05日(金)

病院で健康診断うけた時、尿検査でトイレから出てきて椅子に座ってたら見知らぬ人から、それトイレのスリッパですよ、って言われた。かなり恥ずかしかった。

早朝、薄暗闇の部屋でスーツ着て電車乗った。なんかいつもと違うと思ったら、スラックスが紺の縦じまでジャケットはブラックだった。少し寒かったけど、すぐジャケット脱いだ。

いつも違う電車で帰ろうと八高線に乗ったら、逆方向に走り出した。このホームは必ず下り方面ではなかったんだ。

となんだか、かっこ悪いへまが最近多い。まあ三回もやってもうたから、もう大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる。


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殺風景 - 2004年11月03日(水)

一日なんてすぐに終わってしまう。郁さんはやっぱりあまり外に出ようとしない。家の中でずっと本を読んで過ごしている。

僕は夕方家の回りを散歩してみた。綺麗な景色が見えるかと思ったがさほどでもなかった。

街はそろそろクリスマスを演出し始めた。


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大切なこと - 2004年11月02日(火)

青空に魅せられて、ツーリングに出かけた。八ヶ岳のすそ野を走ってきた。(写真はツーリングレポートに載せました。)

夕方4時頃家に着いて、今度は車で買い物。免許持っているのが僕一人だけだから、休みの日は買出しに行かないと…。お店を出たらもう真っ暗。5時半くらいなのに。日が短くなった。

キャンプツーリングに出てもいいんだけど、夜(闇)が長いこの季節は日が暮れてからが退屈だろうなぁ。夜明けも遅いし。

ツーリング中は、バイクで走りながらあれこれ考える。日常では考えないことに思いがいたり、本当に大切なことを思い出す。日々の暮らしの中では時々それさえも忘れてしまう時がある。風の中を走りながら瑣末な日常を忘れる。


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時代 - 2004年11月01日(月)

深夜、家に帰ってTVつけたら小田和正さんと山本潤子さんが出ていた。山本潤子さんは声も発音も透き通るようでハイファイセットの頃から聞いていた。小田さんもオフコースの頃から聞いてたし。高校生の頃から。

懐かしい曲を聞いていると、遠い昔が昨日のことのようによみがえる。そして唱が歌える人を羨ましく思う。一瞬若い頃の写真が映ったけれど、今から思うとずいぶん大人びていたんだな。あの頃の若者は。

それでも当時のオトナからはきっと「今時の若いものの歌は分からない。」っていわれていたんだと思う。演歌かアイドル歌手が全盛の時代だったから。

今僕が、ラップがかかると眉をひそめて、チャンネル変えてしまうように。


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