風の行方...深真珠

 

 

音の記憶(全8回) <6> 北斗七星 - 2002年09月30日(月)

遠くからなにか近づいてくる気配がする。
なんだろう・・・音だ。何の音だろう。
目を閉じて音に集中する・・・波だ。波の音だ。
僕の足は自然と波の音のするほうへ向いていた。
波の音を、まるで大切なガラスの置物を移動させる時のように、
慎重にゆっくりたぐり寄せながら道なりに歩いた。
しばらく歩くと脇道があって、そこを曲がるとすぐに砂浜にでた。
夜だったせいで細かいところまでは見えなかったが、結構小さな砂浜だとわかった。
風が割と強くて潮の香りもした。遠くにはいくつか光が見える。
灯台や船だと思える灯もあった。
黒い海が見渡す限り広がっていて、海平線が海と空を頼りなく区切っていた。
そして黒い海を覆うように星が広がっていた。
この周辺には強い光もないし、雲もほとんどないおかげで、
数え切れない程の星がそこにはあった。
「こんなにも星ってあったんだなぁ」
星の知識がなくても星の奇怪で美しい配列を見ているだけで楽しかったし、
唯一知っていた北斗七星を発見できたときの喜びは不思議なくらい純粋なもので、
さっきまであんなに夜空を嫌っていたのが嘘みたいだった。
夜は僕を引きずり込もうなんてしていなかった。
ただそこに存在しているだけで、
僕さえ目を開け耳を傾ければいつでも受け入れてくれるものだったのだ。
「なんという誤解をしていたんだろうか。今までなんでそれができなかったんだろう。」
確か小さい頃に、北斗七星を教えてくれたのは父親だった気がする。
遠くまで続く広い海、綺麗に輝く星たち、心地よい風、新鮮な潮の香り、
そして、静かに寄せる波の音。今でははっきり聞き取れる。
波が起こした振動は、両方の鼓膜を一定のリズムで揺らし続ける。
僕はそれを素直に信号に変換して脳へ送り、音を音として認識することが出来る。
音もちゃんとそこにあったのだ。
こんなに気持ちのいい素敵な音がちゃんとそこにあったのだ。
そして、それはすべて僕が無音の世界と言い続けてきた世界に存在していた。
自分自身で無音の世界というものを作り出していたんだとわかった。
「家に帰ろう。きっとあの食卓にも音はあるはずだ。」
車を停めた休憩所に戻ると、そこにも波の音も潮の香りも十分すぎるくらい届いていた。
車に乗り込んでキーをまわすとエンジンがかかった。
「これで家に帰れる。」
心がドキドキし始めたのが分かった。
さっき家を出たときのテンションとは明らかに違う。
なんとなく窓を開けて外の音を拾うことにした。
大抵は車のエンジン音ばかりだったが、それでも楽しかった。
すべてが新しい音のように聞こえた。
街中で交差点での停車中に、
どこかの酔っ払っいの陽気な声が車の中まで響いた時は、思わず笑ってしまった。
ふと空を見上げると、ほとんどの星が見えなくなっていた。
四方八方はコンクリートだらけだったし、潮の香りなんてするわけはなかったけど、
今の僕にはすべて許せる気がした。


...

音の記憶(全8回) <5> 拍手 - 2002年09月29日(日)

この時とばかり、無音の世界(今の状態を僕はこう呼んでいた)が一気に僕を襲う。
僕はすぐに不安と恐怖で一杯になった。
僕の耳にはどんな音もひろうことはできなかった。
「とりあえず音だ。音が必要だ。」
そう思ったときにとっさに「パチン」と両手を叩いて音を出してみた。
しかし、その一瞬だけの乾いた音はすぐに消えてしまった。
そしてまた、無音の世界が僕を襲う。
前にも増して不安になったし怖くなった気がした。
今度は何度も何度も手を叩いた。
無音の世界を振り払いたい一心で叩き続けた。
それはまるで子供が一生懸命に拍手をするかのような、
何の疑いもない熱心な拍手だった。
どれくらい叩き続けたかわからない。
疲労感を感じて手をとめると、次の瞬間にはまた無音の世界が周りを支配していた。
手を叩けば叩くほど無音の世界の支配は強まっているようで、
もう手を叩くことには意味がないように思えた。
何も変わらない。ただ手のひらが赤くなるだった。
「僕はこのまま無音の世界に飲み込まれてしまうのか。
 ロックが聞きたい。この孤独な心を熱くさせて欲しい。揺さぶって欲しい。」
このままだと僕はあの食卓に座らなければならなくなる気がした。
あの居心地の悪いあの場所に僕は連れ戻される。
「そうだ。だいたい親の車を使ったのが間違いだった。
 親の車を使って完璧な自由を手に入れたと思い込んでいた自分がバカだったんだ。」
僕は車を出て道路へ向かった。
「ここを通る車に助けてもらおう。」
長い間道路の端に立って、止まってくれる車を待ったが、
僕の目の前を通り過ぎた3台の車は声すらかけてくれなかった。
何時間待っただろうか。いや、数十分かもしれない。
まだ夜が明ける気配はなかった。
時間が経つにつれて虚しさが湧いてきた。
そして、虚しさと共に無音の世界があって、怪しい笑みを浮かべていた。
車の外であっても音がない。音なんてありゃしない。
僕の耳には何も聞こえない。何も鼓膜を揺らせてくれない。
音楽に裏切られた気がした。僕はすべてを失った気がした。
なぜか急に淋しくなって涙がボロボロこぼれだしてきて、
一度こぼれだした涙は僕自身ではもうどうにもできなくなっていた。
僕の涙なのに、僕にはとめることができない。
今までだったらこんな時には必ず音楽があったのに。いつも側にいてくれたのに。
お願いだから一人にしないで。
あの食卓のことは忘れたいんだ。思い出させないで。
傷口をこじあけて得体の知れないもので掻き回さないで。
痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。無音は嫌だ。
父親も母親も弟も嫌いだ。みんなどうかなっちゃえばいいんだ。
あんな気持ちはもう二度と味わいたくない。今まで我慢してきたんだ。
僕は十分苦しんだはずだ。すこしのわがままくらい言ったっていいはずだ。
お願いだから一人にしないで。


...

音の記憶(全8回) <4> 完璧な自由 - 2002年09月28日(土)

歩いていたのではすぐに追いつかれるし、電車は駅までが遠い。
高校のとき乗っていた自転車は、卒業と同時に捨てた。
あとは親の車しか残っていない。
この際、手段なんて選んでられない。
敵のヘリを奪ってでも、逃げ切れれば勝ちなのだ。
「そうだ。優先順位を考えろ。」
1階へ降りて居間へ行くと、父親ははじまったばかりの野球中継を見ていたし、
母親はもう帰ってきていて、台所で夕飯の準備をしているみたいだった。
父親に車を貸してくれるように頼むと、あっさりキーをもらうことができた。
「よし、うまくいった。」
僕は汗だくになりながらアクセルを踏んだ。
早速、持ってきた邦楽のCDをボリュームを上げて聞き、音楽の良さを再認識した。
「こんなにも僕を癒してくれる音楽ってなんてすばらしいのだろう。」
なくては生きていけない存在になっている。
段々、テンションがあがってきたのがわかった。ハンドルを握る手にも力が入る。
車が親の所有物であるという点は、
50歩でも100歩でも1万歩でも譲らなければならない。
代わりに(それが数時間であっても)完璧な自由を手に入れたのだから。
家族にも軍にも属さない。食卓を囲む必要もないし、流れ弾に当たる心配もない。
「僕は自由なんだ。どんなものにも束縛されない。自分の行く先は自分で決めるんだ。」
気がつくと、海岸沿いを走っていた。
この道は夜になるとすっかり暗闇に覆われて、車も滅多に通らなくなる。
中学に入った頃、内陸の方に広くて大きい国道が出来たせいで、
この海岸に面した道沿いはすっかり錆びれてしまった。
夏真っ盛りになれは多少の海水浴目当ての人もくるのだが。
僕は道の脇の自販機すらない休憩所に車を停め、
途中のコンビニで買った微糖の缶コーヒーを一口飲んだ。
車の中に流れている曲を、JAZZに変えた。
エンジンを切って、背もたれを倒し、車中に響くJAZZに耳を澄ませた。
窓の外を見上げると星が輝いている。「あの星は何座の一部なんだろう。」
夜が嫌いだ。夜空が嫌いだ。
ひきづりこまれそうな暗闇とひんやりとした空気、極端に音の減るあの感じが嫌いだ。
都会の夜は好きだ。常に光が僕を照らしてくれる。
人はいるし、隣の人の会話がすこし漏れてきたり雑音が絶えないあの感じが好きだ。
僕はそう思いながら星を見るのをやめた。
急にロックを聴きたくなってCDを入れ替えて、エアコンをつけた。
スピーカーから流れてくる激しいギターの音と、
送風口から飛び出してきた風が心地よい感覚を運んできてくれた。
僕はうとうとしはじめて、座席を倒すとそのまま眠りに入っていた。

ふと気がつくと腹に響いてくるようなベースの音が聞こえなくなっていて、
車内にはむかつくくらい蒸し暑い空気が忍び込んでいた。
外は相変わらず暗く、空には星がちりばめられている。
座席を起こして、おもむろにキーに手をかけまわしてみた。
「ん?・・・あれ?・・・ヤバイ!!エンジンがかからない!」
何度まわしてもエンジンの回転数を示すメーターは動いてはくれなかった。
全身の毛穴から汗がにじみでてくるのがわかる。
僕はどれくらい寝ていたのだろうか。「しまった・・・」
車が動かない。身動きが取れない。いや、もっと深刻なことがあった。
それは、暗くて音がない世界にひとりで漂流してしまったということだった。


...

音の記憶(全8回) <3> 野戦病院 - 2002年09月27日(金)

玄関に入ると母親が飛び出してきて、いきなり帰ってきたことにびっくりしていたが、
体調はどうだ、食事はとっているのかとしつこく聞かれた。
僕は適当に返事をして靴を脱いだ。
両親は僕が小学校一年生のときにこの一戸建ての家を購入した。
はじめてこの家に足を踏み入れたときに、
強烈な化学薬品のような臭いが鼻を突いたのを覚えている。
よくわからない素材の壁で木の匂いなんてしないし、青臭い畳の匂いもしない。
これから毎日こんな空気の中で生活するのかと思うと気が重くなったし、
15年経った今でも未だに鼻の頭がムズムズしてしまうのは、
この家での(食卓での)良い思い出がまったくないからだと思っている。
とりあえず居間に向かうと、
小学校から変わらない同じ場所に同じ座り方で、父親が座っていた。
ただ昔に比べて小さく見えるのは気のせいだろうか。
三人そろうと、一気に険悪な空気に変わる。
会話のないまま数分が過ぎた頃、母親が
「ちょっと夕飯の買い物してきます。」とちょっと遠慮気味に言って出かけた。
まるでこの場から逃げ出そうとしているみたいだった。
父親は母親が出て行ったことを確認すると、ゆっくりと話し始めた。
大学はちゃんと行っているか、就職はどうするんだとか、そういうことだ。
とても事務的に聞こえた。聞かなければならないといった義務的な口調だった。
なぜか必死になっているのがわかった。父親の威厳でも保とうとしているのだろうか。
適当に返事をして、2階の自分の部屋へあがった。
全国適当な返事大会があれば、県代表くらいにはなれるかもしれない。
適当な返事はもっともらしい理由に比べて、自信はない。
父親であれ母親であれ、一対一で話をすればとりわけ話ができない関係ではない。
仲がいいとまではいかなくても、一言二言話をするのには支障はなかった。
それが家族(食卓を囲む)という形をとった時に、突然変異してしまうのだ。
父親と母親だけのとき、二人はそれなりにうまくやっているのだろうか。
そう思いたくなかった。
弟は5つ下で、地元では一番頭のいい高校に通っている。
ちなみに僕はこの高校に落ちた。
土曜日の今日も、塾に行っているらしい。
弟と話をしなくなってどれくらい経つだろうか。
僕が中学に入った頃にはもう会話もなかった気がする。
彼には僕と違って人気があり友達がいる。
自分の部屋のドアを開けて中に入ると、
その光景は高校生の頃とまったく変わっていなかった。
机の位置もベッドの位置もあの頃のままだ。
あの机に向かいながらこの家から逃げる計画を練っていたし、
あのベッドに横になってクラシックを聴いていた。
高校2年生のときにお小遣いを貯めて買ったCDラジカセもあの頃と同じ場所にあった。
母親が毎日掃除しているおかげで、この部屋にはほこりというものが存在しない。
「あなたがいつても帰ってこられるようにしておくからね」と、
都内のアパートに引っ越す日に、母親がまるで内緒話をするかのように耳元で囁いた。
何を言っているんだろうと思った。僕はこの家から逃げようとしているのだ。
もう二度とここに戻る気もない。
帰る意思のない主人を待つ、埃ひとつない時の流れない部屋。
それが「僕の部屋」だった。
例えこの部屋が「僕の部屋」であったとしても、この家の一部にしかすぎない。
それは戦場の野戦病院みたいなもので、
医者がいて、薬があって、一時の休息をとれたとしても、そこはやはり戦場なのだ。
「僕はここにいるべきじゃない。」と思った。
こんな危険なところにいたら、いつ流れ弾に当たるかわかったもんじゃない。
そんなのはごめんだ。
急所に当たって即死ならまだしも、運悪く(?)ずれてしまったりしたら最悪だ。
自分から流れるどす黒い血を見なくてはいけないし、
きっと僕を置いて逃げる仲間を憎むと思うし、
徐々に末端がしびれてきて意識が遠くなりなりながら、
これでもかと頭の上を飛び交う銃弾を見なくてはならない。
空腹感と痛みと絶望感に押しつぶされながら死んでいく。
それで化学薬品の匂いがするのだから救いようがない。
ここから逃げることが先決だ。
遠くに逃げよう。追ってくる気にならないところまで逃げなくては。



...

音の記憶(全8回) <2> 敢闘賞 - 2002年09月26日(木)

今の生活にも欠点はないわけではない。
気をつけないと、すぐにブレーカーが落ちてしまうのだ。
引っ越して間もない時は何度も失敗していた。
今ではもう慣れたもので、滅多に失敗することはなくなってほっとしている。
本当に無音になるのは嫌なのだ。
一瞬にして無音になるとき、まるで地球が自転をやめてしまったように感じるし、
もし、その時に外へ出れば、なにもかもが止まっているだろうと思えた。
太陽はもう二度と東の空から昇ることはないだろうし、鳥は空中で静止し続けるだろうし、
首都高は大渋滞でもう車で走ることは出来ないだろうし、
食道の途中の松坂牛は消化されることはないだろうし、
めくれてふとももがあらわになった女子高生のスカートの裾は無防備なままだろう。
そんなことを想像してしまう。
とにかく、一瞬でも音が消えてしまうということは恐ろしい。
いや、本当は太陽や鳥や松坂牛や女子高生のスカートの裾はどうでもよくて、
音楽を聴くことができなくなるということが、とてつもない絶望感を僕に与えるのだった。
それはあの4人の食卓を思い出させてしまうからだ。
空気が尖っていて、常に刃物を喉元に突きつけられているような嫌悪感。
合うことのない目線。無言の罵声。価値をなくした声帯。
そこには家族なんていう言葉は当てはまらず、
かたくなまでな排他的なオーラと切ない程相手を求めているように伸ばした手が
見えるような気がして苦しかった。
小学校低学年の頃はTVの音やとりとめもない会話や笑い声で満たされていたのに、
高学年になる頃には笑い声が消え、
中学校に入るととりとめもない会話も消えた。
そして、いつの頃からかTVの音も消えた。
みそ汁をすする音やつけものを噛む音が空しく響いて、
次の瞬間には僕一人で食卓(と一般的に称される場所)に座っていた。
お互いの行き場を失くした感情が激しくぶつかり合い、反発し合い、
それが醜いまでの不協和音となって家中に響いていた。
僕はこの家にいるのが嫌で、もっともらしい理由をつけて都内の大学に進学した。
正直、どこの大学でもよかったのだ。
あの家、あの食卓から逃れられればどうでもよかった。

一昨日、その大学が夏休みに入った。
夏休みに入る頃に、親から帰ってこいと決まって電話がくる。
いつもうるさくて、結局一週間くらい実家に行くことにしている。
そして一週間後、もっともらしい理由をつけて帰京する。
おかげで、全国もっともらしい理由つけ大会に出場すれば、
敢闘賞くらいもらえるんじゃないかと思う。
賞金10万円くらいもらえれば文句はない。欲しいCDは山ほどあるのだ。
生活費は自分のバイトでまかなっていて、
CDはその余りから少しずつ買い足しているので、もう結構な枚数になった。
50枚までは数えていたけれど、その後はどうでもよくなった。
問題は数ではないと気づいたからだ。
たしかあれから何枚か買ったから、53,4枚といったところかな。
僕はそのコレクションの中から10枚を選んでバックにつめて、新幹線に乗り込んだ。


...

音の記憶(全8回) <1> 4つのスピーカー - 2002年09月25日(水)

この部屋は音楽で溢れている。
トイレにいてもかすかに聞こえるようにスピーカーの位置を工夫しているし、
風呂場にいるときはいい感じにエコーのかかった鼻歌が休むことなく流れている。
僕はよく音楽のすばらしさについて自問自答することがある。
朝、目覚めるときのクラシックや、酒を飲みながらのJAZZなんかは、
最高の組み合わせだと思っていて、
お天気お姉さんのマメ知識聞きながらみそ汁をすすりたくないし、
政治家の汚職のニュースを聞きながら女性とイチャイチャしたくなんてないのだ。
高校のとき好きな人に告白してフラれた時も、大学に合格した時も、
一人暮らしを始めて少し寂しかった時も、
朝起きたら、コンパの時左側にいた女性が裸で、僕の左側で寝ていたときも、
いつも音楽は僕と一緒にいてくれたし、一度も裏切らなかった。
だから、僕も音楽を裏切ったりはしない。
高校1年生の時、僕はすばらしい音楽と出会うことが出来た。
もちろんそれまでも音楽は聞いていたのだけど、
それはすべてブラウン管を通して耳に入ってくる、
非常に視覚的に印象の強い「流行り」の曲で、
それらのどれも僕の心をどこへも導いてくれなかった。
実はその後、音楽に興味を持ちギターやピアノを弾けるようになりたくて
練習したこともあったのだけど、
しばらくして「自分はやはり聞く側の人間だ」と確信した。
高校のときは両親と暮らしていたせいで、
音楽で溢れるような生活はどうしても叶わなかったので、
都内の大学に合格して一人暮らしの準備を始めたとき、
コンポだけはかなりのこだわりをもってちょっと高めのやつを買ってもらった。
それだけはゆずれなかった。
4万3千という都内では安い家賃の部屋(その分ボロかったが)を選んだし、
小物類はすべて100円ショップで済ませた。
スピーカーをあと2つ付け足したせいで全部で8万以上払ったけれど、
音楽を聴く環境を整えるためにはそれだけだしても惜しくはなかったし、
自分が経済的に自立できれば、もっと良質のオーディオにしたいと思っていた。
家にくる友達は驚くほど質素な部屋に不釣合いなコンポに最初は驚いたが、
流れてくる曲の良さと妙に居心地のいい部屋の雰囲気に感心し、
週に一度必ず寄っていく奴もいた。
それに僕には彼女という存在はいなかったけど、
この部屋に女性がくるとなぜだかものすごく僕と寝たいと思わせるみたいで、
一ヶ月の内の何度かは甘い夜を過ごすことも出来たのだった。
それが一夜限りの恋であってもかまわなかった。
もともと僕は、女性が寝たいと思わせる魅力など持ち合わせていないのだ。
内向的だし存在感があるわけでもない。
ましてや、女性がときめくようなキザなセリフを言えるヤローでもなかった。
この部屋の中にいる僕は輝いて見えて、
顔が生き生きしているみたいで不思議と魅力的に映ると、
ある朝、僕の隣で寝ていた女性が言っていた。名前は忘れてしまった。
それはすべて音楽のおかげだと思っている。
悪くない生活だった。
きっと男と女というのはそういうものなのだろう。たぶん、そういうものなのだ。


...

なぜ最近自分の小説の話ばかりするのかと言うと・・・ - 2002年09月24日(火)

親が入院して9ヶ月を超えました。
同時に、僕が何かを諦めて9ヶ月が過ぎました。
ここ9ヶ月という月日の中で、
何かを残したとか何かをやり遂げたという感情がまったくない。
毎日、嫌々ながら病院へ行き、親の小言聞いて、
家に帰ったら、TVゲームして、ネットして、寝るだけ。

今の生活にあまり自主性はないし、創造性もない。
そういう中で、小説というクリエイティブな作業ができたことに、
めちゃめちゃ満足しています。
そして、その成果を公表できるということも喜ばしいことです。
それが、立ち直れないくらい酷評されたとしてもかまいません。

それくらい僕にとってここ2週間くらいの執筆活動(あえて言わせてもらいます)は充実していました。

だからこそ、多くの人に読んでもらいたい。と思います。
もし、僕の小説を他人にも見せたいと思った方は、
じゃんじゃん見せちゃってください。
そして、みなさんの感想を送ってもらえばと思います。
もちろん毎回送ってもらってもいいですし、
8回すべて見終わって総括として送ってもらってもいいです。
メールいただくと本人よろこびます。

おそらく明日には5000を超えると思います。
5000を超えた日から、連載始めます。
ほどほどにお楽しみに♪



...

昨日、ラルクについて語ったら・・・ - 2002年09月23日(月)

ヒット数増えました。
やはり音楽ジャンルの日記として健全な方がいいみたいです(笑)
またそのうち語りたいと思います。
たぶん、僕が好きな曲ばかりになると思いますが。

ついに4950も超えました!!
清書はすでに済みました。
一通り読み返して、とりわけ変なところもない(はず)です。
もう表に出るのを待ってますよ♪
割と満足しています。
さて、いつ公開になるでしょ?
ドキドキです。

最近、お笑いにハマってます。
レンタルビデオから借りてきて見まくってます。
やっぱり「ごっつえぇ」はおもしろいなぁ。
アホアホマンが大好き!!
あんまり収録されてなくて残念でした(涙)

最近、本当に涼しくなりましたね。
夜なんかは寒いくらいです。
早く長袖出さなくては。
さっきまで海の近くを走ってました。
雲がまったくなくて、月明かりがとても綺麗でした。
月の明かりが強すぎて、星があまり見られなかったんですけど・・・。

それにしても、未だに汗をかく僕って一体(苦笑)


...

夏の憂鬱(time to say good-bye) - 2002年09月22日(日)

It's just the time to say good-bye
ah ah time to say good-bye
夏の憂鬱に抱かれ眠りを忘れた僕は
揺れる波打ちぎわに瞳うばわれほおづえをつく
君が微笑みかけるそよぐ風に吹かれて
そんな過ぎ去った日の幻を追いかけていた

まぶしいこの日差しのように鮮やかに僕を照らしていたのに

It's just the time to say good-bye
ah ah time to say good-bye
ゆらめく季節へ告げた
忘れかけてた優しさつれて 明日へひとり歩いてゆくよ

夏の憂鬱は君を見失った 僕に降り積もる・・・

誰も届かない空を泳ぐあの鳥のように
君は素足のままで残りわずかな夏に消えた

果てない時を漂う僕には 今もきっと何かが足りない

It's just the time to say good-bye
ah ah time to say good-bye
あの日の君へと告げた
失くしたままの 扉の鍵を 過去へひとり 探したいから

夏の憂鬱・・・
あゝもう行かなくちゃ 秋が来るから・・・・

そして眠りを失した
そして貴方を失した
そしてつばさを失した
そしてひかりを失した
すべて愛していたのに
すべて壊れてしまった
あゝ何を信じて歩けばいいの?
僕にふりつもる夏の憂鬱

words by hyde / music by ken
arangement by akira nishihira,L'Arc〜en〜Ciel


毎日、車の中でこの曲を聴きながら、
「まだまだこの曲はイケるな。」と思う今日この頃。

夏が終わって9月に入ると、途端に聞きたくなる曲だし、
この曲を聴くと、緑から鮮やかな紅葉の季節を思い出させる。

この曲は、アルバム「heavenly」の中の「夏の憂鬱」をシングルカットしたもので、
シングル化に伴い(time to say good-bye)がつけられました。
僕的にはアルバムの方はいまいち盛り上がり場所がつかめなくて、
曲を通してフラットな感情の流れを感じるんですけど、
シングルの方は持ち上がり場所がわかりやすくなっていて、
かなり感情の波は激しいと思っています。

曲調としては、「かなりヨーロッパっぽい曲だなぁ」というのが率直な感想で、
楽器に詳しくないんで、具体的にどのあたりかをいうことはできないけど、
地中海であるとかセーヌ川河口であるとか、
そういった風景を僕は思い描いてしまいます。

この歌詞が大好きです。
素敵な情景描写だと思います。
感情描写よりも情景描写が多いですね。
Aメロでは情景描写で、サビに入った途端感情爆発!みたいな感じです。

「夏の憂鬱・・・
 あゝもう行かなくちゃ 秋が来るから・・・・」
特にこの部分は美味ですね。
好きな人のことを思いながらも、ここで立ち止まっているわけにはいかないという切なくも心強い部分だと思います。

実は、この日記の題名を「夏の憂鬱」にしようかと考えたくらいです。
冬の季節にどうしようもなくなるんでやめました。

シングルクリック13(いわゆるシングルベスト)に夏の憂鬱が入らなかったのが納得いきません!
夏の憂鬱(time to say good-bye)は、ラルクのシングルの中でも
トップクラスの出来の良さなのです!!
僕は一人になってもそういい続けます(笑)

夏の憂鬱最高だ!!!!!!!



...

一昨日の(仮)訂正。←はやっ!! - 2002年09月21日(土)

え〜っと、前の日記で1〜8の副題を紹介したんですけど、
すべての副題変えました(笑)
新しい副題は連載のときにでも。

4900超えましたね。
まだ清書終わってません(汗)

修正しながら清書していると、
文を付け加えたり言葉使い変えたりしるんで、時間かかってます。
8割くらいは終わってるんですけどね。

明日はラルクについて語るかな。

文を書くことは意外と楽しいです。
すでに次の文章の構想もあったりします。
っていうか、実は今回連載しようとしているのは、
本来書こうと思ったこととは違うんです。
書き始めちゃったらぜんぜん違う方向にいっちゃって、
そっちの方で文章の流れを考えました。
だから、もともと書こうとした文章を連載が終わったら書く気です。
いい感じになれば、また日記で公表したいと思います。

最近、日記が雑!
自分に警告(苦笑)


...

5000ヒット記念企画の詳細(仮) - 2002年09月19日(木)

このまま何事も無く順調に進めば、
数日後に小説(の名を借りた作文)を掲載することになると思う。

その前にいろいろ言っておきたいことがあるんです。
それと少しだけ話の内容をバラして、
展開を予想してもらおうかと思ったんですよね。

僕が文庫を選ぶときに裏にある数行の文を読むのが好きで、
そこからその本の内容を予測するのが大好きなんです。
予想しちゃってください(笑)


とりあえず題名は「音の記憶」です。
短いやつを8個に分けました。
全8回の連載になります。
1、音楽と僕
2、僕と無音
3、無音と家族
4、家族と逃避
5、逃避と孤独
6、孤独とすぐそこにあったもの
7、すぐそこにあったものと記憶のかけら
8、記憶のかけらと僕

あくまでも(仮)なので、これから変わる可能性があります。
まぁ、副題を見ただけでも分かるでしょ?(汗)


音に異常な依存を示す僕。
彼がそこまで音にこだわるのはなぜか?
彼の過去に何があったのか?
そして記憶かけらは彼をどう変えたのか?


・・・そんなところかな(照)


...

母、外出する。 - 2002年09月18日(水)

今日の昼、母親が外出した。
最近、かなり頻繁に外出するようになった。
外出するといっても、ドライブするか、
おばあちゃんの家に居座るかのどっちかなんですけどね。

母親が外出したいと言ったときに、
いつでも外出させてあげられるということは、
僕はフリーでいるからだと思う。
考えようによってはそれでよかったんじゃないだろうか。

もし、就職していたり学生であったりしたら外出したいというときに、
出してあげられない。
もし、寂しいと言う時に、病院に行ってあげられない。

母親もおばあちゃんもよくそのことを僕に言う。

逆にいえば、今の僕にはなにもないということだ。
地位も名誉も金も無い。
でも、失いたくないものも多いんだなぁ・・・。
何気に精神的にはプライドが高いのかも。

なぜおばあちゃんの家に行くのかというと、広いからです(笑)
母親と二人で住んでいるアパートは狭すぎて、何かあったときに不安なのです。
何かあったときというとなにか不吉な気もするけど、
ごく普通に歩いていてふらつくとか、トイレの介助をするときとかに広い方がいいじゃないですかっ!
おばあちゃんがいてくれると、僕も精神的に楽です。

今日は珍しく、疲れたといって早めに病院に戻りました。
最近は、本当に骨が折れます。

そういえば最近、親がめっきり痩せてしまった。
後ろから見ると、本当に小さく見える。
昔感じたあの大きな身体はどこへいったのかなぁと悲しくなった。

さぁ、清書の続きでもやるかな。


...

小説の下書きが終わった。 - 2002年09月17日(火)

ふ〜、やっと終わりました。下書きが(汗)

最後は思ったより長くなってしまいました。
しかも終わり方がいまいちです。

がび〜ん・・・

4800超えたみたいですね。
残り200ヒットするには最低でも10日くらいはありそうなんで、
修正などにはげみたいと思います。

数人の方に「楽しみにしてるよ」と言われ、緊張してます(笑)

んじゃ、今夜はがんばって清書しますんでここらへんで。


・・・最近、ネタないよなぁ(苦笑)


...

小説の下書きは・・・ - 2002年09月16日(月)

8割5分終わりました。
あとはラストシーンだけです。

さぁ、どういう風に終わらせましょうか。

起承転結はあると思います。
その点だけは気をつけました。

一行目もあまり斬新なものではないし、
転換部分も驚くようなものではないし、
これから書くラストシーンも穏やかに終わってしまうらしい(苦笑)

まぁ、最初はそんなもんでしょうか。

小説の書き方詳しい方はメールしてください(笑)

何気に完成を自分でもわくわくしてます。
いちお処女作なんでお手柔らかに(照)

5000になるまでにはちゃんと書き上げます。
締め切りに追われる作家みたい?(笑)

今日はネタなかったんだなぁ(苦笑)


...

少し気が早いですが・・・5000ヒット記念企画の告知です。 - 2002年09月15日(日)

え〜っと、今見たら4760でした。
5000ヒット記念としてなにかやりたいと思っています。
いつも僕のこんな日記を読んでもらっているお返しです。

で、なにをするかというと・・・

今、書いている短編小説(らしきもの)を掲載したいと思います。
一日で全部書いちゃうか、何度かに分けるかはまだ決めてません。
下書きで7割くらい終わった段階なので、
下書き終わって手を加えて清書するまでまだ長さもわからないですから。

本当は、書こうとした内容とはかけ離れてしまったんだけど・・・(汗)

とりあえず、今は書ける時期なので今のうちに書いちゃいます。

ほどほどに楽しみにしていてください(笑)
小説といえる代物になってくれるか不安です(苦笑)

でわでわ。。


...

ファンってなんやねん!! - 2002年09月14日(土)

ファンにやさしいバンド

・・・なんじゃそりゃ!!!

そういうバンドって嬉しいですかね?
僕なんかはその人たちがやりたいことをやればいいんじゃないかと思う。
勝手にやればいいと思う。
ワガママでいいと思う。
むしろ創造者はそうあって欲しい。

ファンの目を気にするのは、エンターテイナーです。
常にファンが望んでいるものを、
ファンが期待しているものを考えなければならない。

アーティストはそうじゃない。
自分がこれだ!と思うものを形にする。
それが社会に受け入れられるかどうかは本人にもわからない。

そういうもんじゃないかと思う。

で、僕はラルクには創造者的要素が強いと思ってる。


どんなにファンにやさしいバンドでも、解散するときは解散する。
それをファンには止められない。
仮に止められたところで、その後どれだけのものを残せるのだろうか。

僕が細かすぎるんですかね?

もちろん、ラルクを聞きながら
「あ〜、この人たちってアーティストだなぁ」と思っているわけじゃないです。
ぼ〜っとしているときにあ〜だこ〜だ考えているだけです。
ぼ〜っとするのは得意なので(謎)

ちなみにどんなファンの方法も否定しません。
個人個人で楽しめばいいと思う。
いちお、念のために言っておきます。


ラルクに一言。
ソロ活動したってかまわないし、映画をしたってかまわない。
貴方達の表現方法を制限しようと思わない。
やりたいことをやれるのも今のうちだ。
ただ、僕が判断するのは「ラルクアンシエル」として世に出された曲だけです。
だから、そこで力抜いたら許さない。
そのときは、ファンをやめさせてもらいます。

それだけ。


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ラルクはロックなんかじゃない。 - 2002年09月13日(金)

昨日、ラルク批判したらかなりカウンターまわったので、
今回もちょっといちゃもんつけてみます(笑)

ラルクはロックじゃないです。
僕は何度聞いてもロックだと思えない。
本人達はデビュー当時から「ロック」だ!と会報とかでいってたらしいです。
ビデオ「heavenly〜films〜」でも、自分達のことを「ロックスター」といってますね。

自称ロックバンド?(笑)

TVでよく紹介されるときも(最近はまったく・・・)、
ロックバンドって紹介されますよね〜。

どこら辺がロックみたいなんでしょうか?

ロックはもともと反社会的メッセージを音楽で発してると、
僕は理解している。

前にも日記で書いたように、デビュー当時では、
自然的な摂理に反しているような気がするし、
今では、自分達の周りに絡みつくしがらみに対して、
否定するような歌詞も見られる。
ただそれがロックかと言われればそうではない気がする。

J-POPでは、ロックをスタイルとかギターをガンガン鳴らすとか、
そういう感じだよねぇ。

じゃぱにーず・ろっく?

僕は細かいことを言い過ぎるだろうか。


浅くて狭い僕の範囲の中でロックだなぁと思うのは、
セックスマシンガンズとバクチクくらいかなぁ。
洋楽ではマリリン・マンソン!!

マンソン、ラブ(はあと♪)


今日はいまいち?(誰に聞いてるんだ?)


...

たまにはラルク。しかも、思いっきり批判してみたり。 - 2002年09月12日(木)

はっきり言おう!
僕はてっちゃんをあまり好きじゃない。

最初に嫌悪感を抱いたのは元ドラムSAKURAが、
「桜澤の憂鬱」という連載をしていた記事を見たときだった。
詳しくは覚えていないけど、
「またラルクアンシエルとして活動したかったけど、
 違うドラムがいたから、自分の居る場所はないんだと感じた。」
という部分を読んだときだった。

sakuraが逮捕される前に、tetsuとsakuraの間がうまくいっていないという噂を聞いたことがあった。
僕の(かなり偏った)イメージからいけば、
tetsuはかなりポップな路線を探っていた気がするし、
sakuraはかなりロックな路線を意識していたような気がする。
前者は「I Wish」な曲調で、
後者は「"good morning"hide」的な雰囲気だと思う。

もし、sakuraの言葉を真に受ければ、
tetsuはリーダーとして、sakuraの場所を確保しなければならなかったと思う。
中途半端に「虹」のPVにyukihiroをちらつかせずに3人で撮影し、
sakuraの釈放を待って進路を決めるべきだったと今でも思う。

sakuraが逮捕されたとき、3人で活動したことを決めた。
sakuraを待つことを決めた。
なぜ釈放まで待てなかったのか。

tetsuがsakuraのことをよく思っていなくて、
この機に仲のよい(サポートとして参加していたらしい)yukihiroの加入を促したんじゃないかと僕は思ってしまうのだ。

こういうことを一度思ってしまうと、なかなか嫌悪感はぬぐうことができない。
「タイトロープ」はすごく好きです。
あのうねるような感じがね(笑)


てっちゃんがいった「僕らが選んだ道が過ちならもういない」
それが違うと思う。
過ちかどうかはわからないけど、結果的に「売れた」だけ。
その道が「支持」されただけ。
必ずしも正しい道が「支持」されるとは限らない。
必ずしも「売れる」ものが正しいとは限らない。

まっ、僕に言われたくないだろうけど。
なんか言いたいことはあまり言えなかった気がするな。
・・・今日はこのくらいで勘弁してやろう。


...

生臭い - 2002年09月11日(水)

最近、病室に入った瞬間ツンと鼻を突く臭いが気になるようになった。

血と便が交じり合った生臭さが、僕の気分をドッと沈ませる。
ただでさえ、病室という空間が僕をイライラさせるのに、
その生臭さはより僕を不快にさせてくれる。

30分ほどは頭痛が続く。
1時間もすれば慣れる。

が、一度病室から出てまた戻ると、
同じように30分間頭痛に悩まされる。


親が1週間くらい前から、ずいぶん下の出血がひどくなってきた。
30分置きに病室に置いてあるポータブルの便器に座らなければならないし、
そのたびに下着を汚して履き替えている。
そのおかげで僕はすっかり下着に女性用ナプキンを充てて、
履かせることができるようになってしまった。
今まではナプキンを買うところまでだったのだけど・・・。

汚れたお尻を拭くのは看護士に任せています。
さすがにそれは抵抗あり。

やはり思うことだけど、親以外の世話なんてできません。
いくらおばあちゃんが「アンタには看護士の才能があるぞ」と言ったとしても。
僕は看護士にはなれる気がしない。


明日もあの臭いの中にいないといけないのか。



...

ひさびさ更新。またしても抜粋。小説近況報告。独り言。 - 2002年09月10日(火)

ひさびさの更新がまたしても文庫の抜粋で申し訳ないです。
でも、いいなぁと思うわけです。
自画自賛するわけではないけど、僕がこの日記に抜粋している箇所は、
結構物事の本質を突いているんじゃないか?と思う。
違っていたとしても、そう離れていないんだろうか。
そういう自負の元に抜粋しております。
ただ、思いっきり著作権を○×△□・・・(自主規制)


「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(村上春樹著)より

いったい私は何を失ったのだろう?と私は頭を掻きながら考えてみた。
たしかに私はいろんなものを失っていた。
細かく書いていけば大学ノート一冊ぶんくらいにはなるかもしれない。
失くしたときはたいしたことがないように思えたのにあとで辛い思いをしたものもあれば、逆の場合もあった。
様々なものごとや人々や感情を私は失くしつづけてきたようだった。
私という存在を象徴するコートのポケットには宿命的な穴があいていて、
どのような針と糸もそれを縫いあわせることはできないのだ。
そういう意味では誰かが部屋の窓を開けて首をつっこみ、
「お前の人生はゼロだ!」と私に向かって叫んだとしてもそれを否定できるほどの根拠はなかった。
しかしもう一度私が私の人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。
何故ならそれがーその失いつづける人生がー私自身だからだ。
私には私自身になる以外になる道はないのだ。
それだけ人々が私を見捨てて、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、
私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。
かつて、もっと若い頃、私は私自身以外の何ものかになれるかもしれないと考えていた。
カサブランカにバーを開いてイングリット・バーグマンを知り合うことだってできるかもしれないと考えたことだってあった。
あるいはもっと現実的にーそれが実際に現実であるかどうかはべつにしてー私自身の自我にふさわしい有益な人生を手に入れることができるかもしれないと考えたことだってあった。
そしてそのために私は自己を変革するために訓練さえしたのだ。
「緑の革命」だって読んだし、「イージー・ライダー」なんて三回も観た。
しかしそれでも私は舵の曲がったボートみたいに必ず同じ場所に戻ってきてしまうのだ。
それは私自身だ。
私自身はどこにも行かない。
私自身はそこにいて、いつも私が戻ってくるのを待っているのだ。
人はそれを絶望を呼ばねばならないのだろか?
私にはわからなかった。
絶望なのかもしれない。
ツルゲーネフなら幻滅と呼ぶかもしれない。
ドストエフスキーなら地獄と呼ぶかもしれない。
サマセット・モームなら現実と呼ぶかもしれない。
しかし誰がどんな名前で呼ぼうと、それは私自身なのだ。


ふ〜、かなり長くなってしまいました。
ここでタネ明かしをすれば、実は僕が今書こうとしている小説の核の部分は上記のことと非常に酷似しているし、
僕の近年使われていない頭では、「僕はここにいる」的終わり方しかできないのです。(あるいはもともと僕の創造力がないだけかもしれないが)
それはもちろん、自分が(おこがましくも)小説を書こうと決めたときに書き表したかったことだし、
ここ数日で「起承転結」の「転」の部分が具体的になってきたことにより、
アウトラインはだいたい決まったわけだけど、
そういうときに、こういう文読ませられると僕が書く意味があるのかよくわからなくなる。
「僕が書いた文を読むくらいなら村上春樹を読んでください」で終わってしまう。

というわけで、書こうとした長編ものはややペースダウンして、短編ものを一個書こうかと思う。
ちょっとひとつアイデアがあるんです。
そっちをまず文章化してみます。

長編の方は結局自分探しなわけです。
決してネガティブ→ポジティブといった形にしたくないし、
感情が自分に収束したり、逆に解放することとも少し違った雰囲気にしたい。
でもやっぱり僕には、そういうのは難しいかな。
自我(アイデンティティー)の確立みたいなこともあからさまにする気は今のところないし、
相対的な関係から価値を求めるといったこともやる気はない。
依存や補完といった隙間を埋めあうようなこともやりたくない。
価値は絶対的なものだし、それは自分自身でしか見つけることができないんじゃないか?という立場にたって、
最終的には「僕はこうやって生きてますよ」って言えたらいいんじゃないかな?
つまらない?(苦笑)

・・・っていうか、ここでネタばらししてどうすんだろ?(自滅)


5000HITした時は、なにかやろうかと考えています。
お楽しみに♪(楽しみにしてくれる人いるんだろうか?)



あ〜、もう行かなくちゃ秋が来るから・・・


...

過呼吸&夢遊病 - 2002年09月01日(日)

先日まで横浜で行われていたパンパシフィック水泳の中で、
萩原智子選手がレース後に過呼吸になって倒れてしまった。
ビニールを口に当てられてタンカーで運ばれるシーンが痛々しかった。

この前お風呂からあがったときに、息ができなくなって
倒れたことがある。
本当に息が苦しくて死ぬかと思った。
吸っても吸っても空気はまったく肺に入ってこないし、
頭はぼ〜っとしちゃうし、最悪だった。

さっき、お風呂に入って、すこしのぼせてしまって、
そのときに息が苦しくなったときのことを思い出した。
今までそんなことまったくなかったのにな。



僕はまだ夢遊病の気が治っていないらしい。
寝ている間にいろいろ声をあげたり、歩き回ったりしているらしい。

小、中学生の時にもそういうことが多々あって、
親からいろいろ聞かされていた。
高校のときは特になにもなかったので、治ったのだろうと思っていた。

最近、夜の奇行について聞かされて、何気にショックなのだけど(笑)

事実は事実として受け入れてがんばります(謎)


エヴァの最終話見てます。
相変わらず意味不明です。
庵野氏もわかってるんですかね?

「おめでとう!!」


...




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