負けないように、強く。歩きつづけられる強さを。
負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO 「MANDERLAY」
2007年05月26日(土)

「MANDERLAY」を観ました。

ダンサー・イン・ザ・ダークの監督が贈る、
「アメリカ3部作」の第2弾ですな。


前作が非常に後味が悪く、

「DOGVILLEほど気持ち悪くないよ!大丈夫!」

とmgr言われ、勇気を出して見てみたのですが
やっぱり気持ち悪かった・・・
でもきっと第3弾も観ちゃうんだろうなぁ。笑




自由っていうのは、試練だと思う。
心の弱い人、固定観念の強い人ほど次第に苦痛を感じるようになる。

実際、学生時代の私は、自由すぎて心が死に掛けた。

無理やり就職することで、何とか状況を打開したが、
統制下に入ることで隷属という安心を得たとも言えるだろう。




エーリッヒ・フロムも、60年も前に、
ナチズム浸透中のドイツで、同じことを言っていた。

歴史は繰り返す。
結局、人間はそういう生き物だってことなんだろう。




ま、それが事実なら、しゃーないよね。笑
そうと分かった上で何とかやってくしかない。



自分がどちらを幸せと感じるか?
は人によって違う。
同じ人でも、時がたてば変わることもある。

要は、私の大事な人が幸せに笑っていてくれるなら、
その人が自由でいようが統制下にあろうが、
どっちゃでもいいですね。



私はきっと統制された方が性に合っている気はする。。

でも、まだ自由を求めたい。

強くなって、自由の海を泳げるようになりたい。


oOO ゆりちゃんが
2007年05月19日(土)

おかしいらしい。
病んでるってレベルじゃなく、本気で。



この日記を読んでいる人で、
彼女を知る人は、あだみと先生だけのはずなので、
遠慮なく忌憚なく事実を書き留めるためだけに書く。

そして、本人直接話したわけではないので、
全て又聞きとなることも記しておく。



始まりは、突然ゆりちゃんから友人へ来始めたメール。

ただのメールではない。
内容は脈略がなく件名のみだったり、
数も意味もなく多かったり。
返信をしても、しっかりした応答はない。


もちろん、心配して電話をする。
すると、会話がまったくかみ合わないらしい。

やや誇大妄想気味で、話のテーマが常にあちこちにとぶ。
こちらの質問に対してまともな答えが返ってこない。
「〜〜も辛いんでしょ?」と決め付けたり、
攻撃的な言葉も口にするようだ。



以前から躁鬱の気のある子ではあったが、ここまでではなかった。
これは明らかにおかしい!
と、危機感を抱いた友人から私に一報が入ったというわけだ。





聞いた内容から事実だけ拾っても、
思考が分散し、コミュニケーション能力に明白な支障が出ている。



原因は、未だもって推測なのだが、
家族・恋愛・進路と、各種悩みが一気にきてしまったらしい。
それで、もとから余り心の強くないゆりちゃんは
パンクしていて(現在進行形)心の余裕がなくなっている
のではないか、と話していた。

特に、家族。
中学の頃から家族・・・特に母親との軋轢は深い。

家に電話すると、母親が出て
「確かにちょっと疲れてるようですけど大丈夫ですから」と
ガチャ切りされたそうだ。。。だめだこりゃ。




精神科にも通っているようだが、
症状名はこの際何でもいいと思う。
複合的に現れるのが常だし、
人の心はそう簡単に測れるものじゃない。

「自分は強いから大丈夫なのに」
「なんでこんなに心配されるのか、病院へ行かないといけないのか」

と漏らしているそう。
あああああそんなセオリー通りな・・・('Д`;)
まずは自覚症状をもってもらうところからだから、
あのガンコさだと、けっこう長引きそうな予感が。。



こちらからアクションを起こすと(電話とか会いに行くとか)
拒絶されるっぽいので、
なんとか良い距離を保ちながら、
万が一のときには連絡がくるような関係で様子見。



というのが結論。

ああ、なんつーかシャカイジン的な答えになってしまったなぁ。

「あだみにもあだみの生活があるから」

言った自分に一番刺さった・・・



会いに行ってみようか。拒否られても。

色々あったけど、やっぱ心配だ。。




oOO 落ち着け
2007年05月15日(火)

やばいなあ

ちょっと躁状態になってる



名古屋で大事にしてもらえたり

確度高そうなヨミができたり

アポが連続して喋り続けたりでテンションあがりっぱなし



おかげで失言をやったり

イロイロ釘も刺されたり?したから



ちょっと落ち着け、落ち着こう。

明日はたぶん怒られるはずだ。笑




oOO 疑問
2007年05月13日(日)

母の日なんで、ちょっとしたプレゼントを渡しに
家へ帰ることにしました。
ちょっとずつ、ちょっとずつね。

カードを書きながら、またいつのまにか泣いてました。
この話題、いまだにすごい情緒不安定になる。
東京タワーなんて、ナスを食えと脅されても見ませんから。



「なんで、卒業を選ばず、就職を選んだのか。」

何度も何度も、人に問われ、
それ以上の回数、自分に問い続けた疑問。

1年以上前のこの日の日記。
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この「心が死んでいる」感覚、それ以上に苦しいことなんて
少なくとも今の私は知らない。
だから新しく始める仕事と生活に、私が生きていく目的を見つけたい。
一分一秒だって早く見つけたい、
1年なんて待ってられない。
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これが真実だろう。

自分の空っぽな中身を埋めたい。
生きるエネルギーが欲しい。

それだけを渇望していた。
そしてその望みは、会社の先輩達や環境に恵まれて、
少しずつ叶えられている。



「なぜ、こんなに親と仲を違えたのか。」

2006年1-3月ぐらいの日記を読み返すと面白い。

たぶん、うまく伝えられなかったのかな。私も、親も。

私はただ、
「今は生きる理由が見えなくて、泣くほど吐くほど苦しいから、
 それを見つけるために就職したい。卒業出来なかったのは自分の
 せいとわかっているけど、あと1年が、今の私には耐えられない」
と言いたかった。

でも、そのために色んな修飾句やらエピソードを
それはもう美辞麗句こみでたくさん盛り込んだものだから、
親は激情した。


対して、親が私に何を言いたかったのか、どこに納得できなかった
のか、そのへんが去年の日記には記録されていない。

同じくパニクっていた私には伝わらなかった、
または記憶に残らなかった、ということか。

おそらく、「絶対卒業しておいたほうが後々いい」
「あと1年がなんで耐えられないんだ」という辺りだと思うけれど。


そりゃあ納得しあえんわなー。

まあ、そんなもろもろを思い返して、
自分が犠牲にしたものの重さを鑑みても、
自分の選択肢は間違っていなかったといえるんだけど。

何故?
だって、今の仕事も生活も楽しいからさ。



「ではなぜ、卒業できなかったのか。」

怠慢、のほかに何もないよなぁ・・・
学校に行かない間、ROとバイトしかしてなかった。

臨床心理の道に行けなかったから、モチベーションが、と
言い訳しがちだけど。
やる気がなくても、皆行って卒業してるもんね。

自分の弱さ。
それ以外に理由はないだろう。

なぜ弱いのか。
甘やかされてきたから?
自分がどうでもいいから?
分からない。外的要因のせいにもしたくない。




じゃあ、強くなろう。
自分で自分をコントロールできるようになろう。

同じ間違いを繰り返さぬように。
強くなろう。



さて、京都へ行きますか。


   
現在 今まで
 

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