負けないように、強く。歩きつづけられる強さを。
負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO いろいろあって
2006年11月14日(火)

同属嫌悪なのか
情緒不安定なのか
僻みなのか
生理的になのか

知らないけどさ

なぁんかヤな気分が続く。



嫌いじゃないよ。貴女のこと嫌いじゃないけど。

素直すぎる貴女のこと、やっぱ好きじゃないわ。

かべ、つくった。


oOO 実家
2006年11月12日(日)

クライアントから買った柿をおすそわけに、家にちょっと寄った。


松ヶ崎で降りた瞬間、懐かしさと、いろんなシチュエーションを
想像してしまって泣きそうになった。
そんな妄想はぐっとこらえて家へ。

普通に入って、照れくささを我慢していつも通り「ただいまー」
って言うと、母親も同じような感じで「おかえりー」とおどけて
笑った。


祖父母にまず挨拶に行った。
おばあちゃんは最初私の顔わからなかったけど、
名前名乗ったら本当に嬉しそうにしてた。
お守りに、大事にコレクションしてるふくろうのうちの一匹をくれた。
「福を呼ぶから」と。
うん、耳がついてることを指摘したいちは死刑。
あれはふくろうだ。

おじいちゃんも、いつになくよく喋った。
「ちゃんと食べてるのか」と聞かれ、
「忙しい日は食べたり・・・食べなかったり・・・」
と答えると、
「今はコンビニでも冷凍食品でもあるから、買いだめして
 食べなあかん。一口でも、ぜんぜん違う。」
といわれた。
さすが戦前の人は言うことが違う。




弟達は元気だった。
上の弟は受験や進路をまじめに考えていて、国語に悩んでた。
化学と物理が面白すぎるらしい。
下の弟は相変わらずゲームと部活バカだった。
すんごい普通で安心した。

母は母で。
今弟と喋ってるのに、何だかんだ入りたそうでそわそわしてた。
母からはこないだ服も送ってもらったりして、愛情を感じた。
嬉しい。素直に。ありがとう。
今回家に帰ったのは、そんな愛情へのお礼の意味もあった。

父は。
銀行の口座の手続きがどうとか、そんな話を少しした。
お互い目を合わさず話していて、ぎごちなかった。
でもあっちも、普通に話しようと努力しているのが
よく分かったから、私もがんばった。
ああつかれた・・・




家族への感謝、愛情、信頼のきもち。
世の中でもこれだけ歌われていて、描かれていて、書かれていて、
当たり前のきもち。

その根底には、少なからず「自分」というものへの愛情があって、
だからこそ自分ルーツとなる親への感謝につながるのだろう。

私が今家に帰りたくないのは、まだ、
自分がここにいる意味がわからないからだ。
親が私を産んだ意味。
それが分からないから、親の顔が見れない。
かけられている愛情に対して、自分に如何ほどの価値があるのか
分からないから、負荷過多になってシャットダウンした。

望まれて産まれてきた、
愛されて育てられてきた、
そして不自由なく五体満足に育ってこれた、
そこは大変に恵まれた環境だろう。

なんてぜいたくでわがままなんだ。

それでも私はまだ自分の「かたち」が分からないでいる。
自我を確立できないでいる。

家を飛び出てきたのは、
仕事を利用して自分に意味を与えたかったから。
そして、それはある意味適っている。
自分に出来ること、出来ないこと。長所、短所。
やった仕事の見返りが目に見える。

もう少し大人になったら、
ちゃんと自分の形と色が認識できるようになるかな?

そうしたら、ちゃんと親に謝れるかな。
今は顔が見れない親へ。

ありがとうとごめんなさいと、*****を。

今はまだ言えない。


   
現在 今まで
 

仕事用ぶろぐ