負けないように、強く。歩きつづけられる強さを。
負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO ESめー
2005年02月25日(金)

きついっすよエントリーシート。
なんすか「印象に残った人600字」って。

先生・・・はちょと内面に触れすぎてるし。
見ず知らずの人に話すにはアレだ。
しかもどこがどう印象に残るって言われても・・・
全体的に私の世界をコペルニクス的に転回させたとしか・・・

あとはいち・・・だけど。
彼氏もってくるのはタブーだよねぇ。

ゆりちゃんとか?
この子はもはや私の目の届く範囲内から離れてしまったし(笑)

うーんうーんうーん。
某塾長・・・・?
うまいことプラスの面だけ取り出すか・・・?
そんなことしたら吐き気で死んでしまうな。




エントリーシートとか書いてたらいろんなことを考えるんだけど、
なんていうか生きていくエネルギーみたいなものが必須で。
生きていきたくない私にとっては、そんなもの吸い取られたら
干乾びてしまうわけで。

つらい。

志望動機?
一人で暮らせるだけのお金が欲しいから。

これからどんな大人になりたいか?
どうなったっていいんだよ。

自己PR?
ないんだよ。何も。
こんな私が誇れるものなど、何一つ。

笑顔は反射神経の引きつり。
人当たりの柔らかさは貴方に興味がない証拠。
好奇心は、生き生きとして見せかけるための演技。

そんな本心を隠して就職して、そうやっていつまで流されるんだろう。
流されてるうちに、生きていく理由見つかるかな?


oOO あああああ
2005年02月24日(木)

26の夜からすべりにいっちゃいますよ!
一日だけ滑って、28〜5まで合宿。
土日だけ手伝って、7の朝に帰還。

こんなに長い間京都を空けるなんてどっきどきですよ〜。
てかセミナーとか面接の案内(!)とかケりまくりですから〜。

・・・・・_| ̄|○

まあ、弟に頼んでログインしてもらって、
リクナビとgoo(就活用webメール)だけ見てもらうことにしますが。
その前に富士フィルムとADKのエントリシート出さないと。
っつか両方まったくの遊び・・・いやいや視野を広げるための
志望とは違う業界なんですが。

あああああ。
ミッドガッツ王国に現実逃避したい。
でも我慢。
ゆりさんだって抜け出せたんだから。


oOO さあ頭がいっぱいだぞ
2005年02月22日(火)

合宿、大詰めです。
庶務って大変。楽しいけど。

合宿のせいでいきたいセミナー色々落としてます・・・
今年内定もらえなかったらどうしようかな。

5年目行って、英語の勉強でもしようかな(*´¬`)


《やらなければいけないこと。》

26京都発のバスを取る。
5さのさか発のバスを取る。
昼食の件についてML。
宿に電話。(お風呂、昼食、28のバスについて)
MさんとYさんにメール。
さのさか行きのバスについてML。

明日は13時半から講演会。
メルパルク大阪ってどこ。

ADKもそろそろ出さないと・・・


oOO 寂しい
2005年02月20日(日)

ROでのとても大好きだった人が引退されました・・・
忙しいといってここしばらく課金を停止されていたのですが。
どうやらリアルで就職する決意が出来たみたいです。
けじめとして、癌垢ごと消してしまうとのこと。

「しばらく離れてみてもやりたいと思わなくなった」
それはすなわちエンディングのないMMORPGにおける
最高のゲームクリア。

「悲しいけど、私は嬉しいよ」
「やっと、先に進める」

ああ、心底羨ましい。と思いました。

でも、泣きそうなぐらい寂しかった。
もう会えない。もう喋ることはない。二度と一緒に狩りに行けない。
貴方の存在は私にとって大きすぎたんです。

応援しなきゃいけない。
そうだよね?
うん、応援したい。
あの利発な頭脳を活かして仕事して、家庭とか作って、
そうしてマトモに生きていけるはずなんだ。
やっと普通の生活に踏み出したんだ。
私達の誰一人として貴方を引き止めなかったよね。
貴方が考えて決めたことを、誰も邪魔するわけにはいかないから。

でも寂しいよ。
貴方にもう会えないことがこんなに悲しい。


oOO 今まで印象に残った言葉
2005年02月15日(火)

を書け、という指令が下されたのですが。

うーーーーーん・・・・wyseと先生と・・・?

意外と少ないのかなあ。
今までの思い出は、全部私の糧になっていると思うけど、
どうやら私は引き出しから取り出す能力が著しく低いらしいので。


ああ、難しいよね。
大学で勉強してきたこととか聞かれるともっと難しいけどね。
だって勉強してませんから(!

頭整理しとかないとねー、話せないよね。
論理的思考力とか言う前に、まず言いたいことを話せるように
なるまでが時間かかる。

そんなこんなでもう二次面接。
早い、早いよ展開が(´-`;)

他はまだ一次始まるか始まらないかだっちゅうの!



RO内で大好きな人が引退するとか言い出したり。
うううゆりさん・・・・
合宿の出欠とかとりながら、あわただしい日々です。


oOO ゆりちゃん
2005年02月10日(木)

まあ、それなりにヤッチャッタ事件などあるわけで。orz
へこむので詳しく書きません。


就活してます。
そのついでに久々にゆりちゃんに会ってきました。

なんか、随分いろんなものを突き抜けてましたね。
いい教授に出会って、どうやら心のガサ入れをされたらしい(笑)
彼女いわく、「一回自我を取り去られてさあ」
どういうことなのか聞いたけどよくわかんなかった・・・
でもとにかく、前みたいな、あわわわーってパニックになるような
ことがなくて、しっかり人の話を聞いて話すようになってた。

あの子にとっては結構「親」が呪縛だったと思うんだけど、
そこもしっかりケリついたみたい。
よかったよかった。
こちらの期待以上に、いい方向へ前進していってると感じた。

「K(私)も何か乗り越えたなあ」
って言われたけど、
「いやあどうだろう」
って即否定しちゃったよ。

ごめん、私はまだまだだ。
まだまだ。

スーツをきている私がどう写ったのか知らないけど、
現実を見て就活してるんじゃないんだよ。
生きていく理由にするために就職しようとしてるんだ。
そんな、それだけの、それしかない理由。








oOO wyse
2005年02月07日(月)

wyseが解散してしまうそうで。

何があったのかはわからないですけど・・・・
ちょっとショックです。
ラストライヴ、行きたかったなあ・・・

「限界なんて知らないくせに、限界だと諦めちゃってさ!!」

このフレーズではまり、初期の曲はたいてい大好きでした。
途中から微妙になり始めたけど(笑)
拓磨氏の歌詞が大好きでした。
デモテープの頃の、がむしゃらに前を目指している勢いが
すごく励まされた。
歌詞に共感することたびたびだった。

傷を負ったものの悲観的な思考だとか、
それを隠して強がってみたりだとか、
それでも信じてみようだとか、
やっぱり君を探してしまうんだとか、

なんでか心にすごく響く歌詞が多かった。

でも、一番思い出深いのはやっぱりTrust。
辛かった時期にずっと聞いてた。
これは歌詞はそんなに好きではなくて(ちょっと独りよがりだから)
ただ、この語り掛けるようなメロディが頭から離れない。
ぼんやりと泣きながら聞いてると、何故か落ち着いた。
慰められるような、余計に落ち込むような。(?

「自分の笑った顔を疑うことよりも
 信じるほうがずっと難しいと思わないかい?」

ただ、ありがとうって言いたい。
歌には力があるって思わせてくれた。
煌くライヴステージを魅せてくれた。
私を励ましてくれた。
本当に、ありがとうって言いたいです。

彼等が大好きでした。
これからも大好きです。


oOO 久々ふつうのにっき。
2005年02月06日(日)

8の自分への手紙を最後に自己想起シリーズは終わります。
以外と楽しかったような(笑)


昨日は2社目の会社説明会受けてきました。
成長性、安定性、研修制度、高い志向性、申し分ないんですが、
金融・医療機関相手なのですよね・・・!orz

巨額の取引とかやってみたいんで、もし内定いただけたら
十分働けると思いますが。

人間を直接扱うことに比べたら、お金なんて。ねぇ。



その後、梅田近くにあうROの友達と久々にゴハン食べてきました。
彼も去年就活やってたんで、愚痴はなしやすかったなあ(笑)
またよろしく!?



フライトシュミレートには興味ないんですが、
エースコンバット5のOPがカッコいいなあと見惚れた。
映画っぽくてヨイ。
ネバーランドが見たいぞ!


oOO 自己想起8・3年前の私へ
2005年02月04日(金)

ちょうど3年前の2月3日に言ったセリフ。

「高校時代は内面的にすごく悩んだから、
 大学に入ったら、もっと社交的に生きたいなぁ。」

望みは果たした。
望んだとおりに私は生きてきた。


3年前の私へ。
3年後の私は、出来る限り社会にとびこんできたよ。
がんばって、対人能力を磨くバイトもしたよ。
サークルで、他の人にない私だけの経験も得た。
おかげで接客を売りに就職活動できるまでになったよ。
3年前の私へ。
これから大波乱があるけど、辛いこともたくさんあるけど、
それでも、なんとか今ここに立ってるよ。
背負う荷物の重さにつぶれかけたときも、引っ張り起こして
叱ってくれた人がいたよ。
だから、負けないで。



現在の私へ。

まだまだダメなところだらけだろう。
自分のことは自分がよくわかってる。
サークルと学校の単位と就職活動とバッティングして大変だよね。
でも、H松くんだって56くんだってそうだ。
自分ががんばれないわけないだろう?
3年間がんばれてきただろう?

もう少し。もう少し、気合だそう。



3年後の私へ。

うまくいけば社会人2年目、
卒業できてなかったら社会人1年目だな。
会社はどうですか。高安よりしんどいですか?
周りの同僚は出来た人達ですか?
尊敬できる上司に会えましたか?
一人暮らししていると思うけど、掃除なんてしていないでしょうね。
まるにで覚えた料理は役立っていますか?
いちはまだ側にいてくれていますか?
衝動買いしていませんか?
なんとか、まだもうちょっと、生きていけそうですか?

今の私は、現実から逃げようとして、でも逃げちゃいけないと思って
足掻いています。
3年後の私は今の私よりマシだと思うけど、とりあえず今の私は
誰にも見せられません。
勉強ってしといたほうがよかったって思うもんなんですか?
卒論の書き方教えてほしいです。
でも助けはいりません、なんとかやりますから。
なんとか生きていきますから、3年後まで。

だから、そこから今の私を笑いとばしててください。
それぐらい、強くなっていてください。


oOO 自己想起7
2005年02月03日(木)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
学部の友人が男の子を出産したようで。めでたい。
奇しくもAだみと同じ誕生日(笑)



大学1回生。
もはや過去の日記を読み返したほうがリアルに思い出せるの
でしょうが。(爆)

小さい頃から親に連れられてちょくちょくスキーに行って
いたことと、高校のときの塾の先輩に誘われたのもあって、
とあるスキーサークルに顔を出す。
大学でしか出来ない経験が出来そうだと思い、そのまま入部。

7月からラーメン屋のバイトを始める。
人生で初めての「仕事」。ものすんごい辛かった!!
怖くてやめるとさえ言い出せずそのまま3年間続けることになる。
まあしばらくしたら慣れましたが。

10月から塾講師を始める。
高校のときの、色々思うこともあってやってみたが
小学生を大量に相手すんのは無理だった。3ヶ月で諦める。

そして初シーズン。
泣いて、泣いて、笑って、感動して、今までにない自分を知る。

春になって、桜の鴨川を見ながら家に帰った。
家のありがたさを知った。




大学2・3年も、だいたいバイトとサークルのイベントで埋まっていた。
浮き沈みはあれども、自分の価値観を大きく変えるようなことは
この2つ以外にはなかった気がする。

いちと本格的に付き合い始めたのは2年の春からか。
ヤツがいなければ私は今どうなっていたか想像もつかない。
お互いのバイトの愚痴、サークルのこと、よく怒られたこと、
大学の思い出の全てに関わってきてる。
ありがとう。

学校の勉強は、心理学系以外面白いと思ったことはただの一度もない。
けれど友人はいい子ばかりだった。
そして自由な暮らしを思う存分満喫した。
おかげでROから抜け出せなくなってしまったが。
「ムダメシぐらいの居候」と母親にこきおろされたので、
今は出来るだけ早く家を出ることを目標にしている。


だけど何度自分を叱咤しても、何度世界の見え方が変わっても、
どう考え方をかえても見えないもの。
自分の、生きていく理由。

未だ、それだけが見えない。



だけど、だけどね。


oOO 自己想起6
2005年02月01日(火)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
ヤマは越えた(笑)



高校時代・其の三。
人生最大の事件が塾で起こっている間、
学校は平和だった。

落ち着いた友達、変わらない日々、必要以上干渉しない先生達。
とても、穏やかな時間を過ごすことができた。

中高もっと遊んどきゃよかったなあ、とも思うけど、
これで高校の中でも波乱があったら私はつぶれてたね。(笑)



進路は、高2の秋までは薬学部を目指していた。
でもあまりに化学が出来なくてこれじゃあ食っていけんと挫折。
(暗記がとにかくだめぽだった)
2番目にやりたかった臨床心理学の道に変更した。

高3の夏に、全国で臨床心理学がトップだといわれる
京都大学教育学部大学院をめざすことを決意し、
ひとまずそこの学部に入ることを決意する。
英語が苦手だったので特に頑張った。
地理も苦手だったので足を引っ張らない程度に頑張った。

高3の10月までは塾の自習室で勉強させてもらっていたが、
10月以降塾の空気を吸うのもイヤになり退室した。
ただ怠けがちな私には、数学の先生の叩き上げ式があっていると思い、
授業だけはとり続けていた。
今でも、彼を人間的には軽蔑しているが、教師としては尊敬している。

自習室をやめて自宅で勉強するからには、絶対に受かろうと思った。
彼らに受けた恩を返すために、絶対に受かろうと思った。
彼らを結果で見返してやるために、絶対に受かろうと思った。


嫌なことは何も考えず勉強したかった。






そんな意地や、周りの雰囲気や、自分との闘いなどを乗り越えて、
結果、第一志望に合格することができた。
・・・・まあ、第二志望以下は受けていなかったけど(笑)


たくさん、ありがとうと思った。
少しだけ、ざまあみろと思った。
正反対の感情がぶつかり合って涙が出た。

これで、長い塾生活に終わりを告げられると思った。



   
現在 今まで
 

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