負けないように、強く。歩きつづけられる強さを。
負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO 自己想起5
2005年01月31日(月)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
更新がとまったのはPCが一台修理に出ちゃって書く時間を
とれなかったからと思いたい。思いたい!



高校2年生の6月から、高校3年生の10月まで。
ああ、もう4年も経ったのだな。
何度か日記でも振り返ったけど、そのたびに、そして今でも、
自分の胸に切っ先突き立てて死にたくなるような思い出だ。

端的に述べると、不祥事、とでもいうのだろうか。
ここに書いていいのかな。いいよね。
とある塾という閉鎖的な空間において、
それはそれは女好きな先生達がいましたというお話。

数学の先生は、かわいい生徒は猫かわいがりして、時々抱きついたり
PCのデスクトップに写真を置いたり、一緒にプールへ行ったり、
個人的に携帯メールをしてその内容が相当アレだったりした。

国語の先生は、生徒の高校生を個人的にデートに誘ったり、
その生徒の家計が苦しいのを知って月謝を半分にしたり、
普通に付き合ってその内容を他の先生に吹聴したりした。

他にも色々細かいことはあるけれど。横領とか。


ねえ、どこにでもあることなんですか?
私の友達が、親友が、その対象になったからといって、
あんなに激昂した私は間違っていましたか?
世間知らずのお嬢さんの、キレイゴトだったんでしょうか?
なんで周りは何も言わないんですか?
なんで黙っていられるんですか?
なんで、私の親友がそんな辛い思いしなきゃいけなかったんですか?

先生方に「それはおかしい」と一度ずつ本音で訴えた。
泣きたくなかったけど、オーバーヒートする感情が涙になって溢れた。
何年もお世話になった先生達は面白くて大好きだった。
授業も楽しかったし、居心地のいい空間だと思っていた。
化けの皮を剥げば、なんて欲望の渦巻いた世界。
無条件の信頼が失望に変わる瞬間。
裏切られた、と俗には呼ぶのだろうか。
そんなアッサリと言い表せる程度じゃなかったけど。

告発するにしても、もうすこしうまいやり方があったんだろう、と思う。
そして、先生と付き合っていた年下の友達。
突然追い出されることになって驚いたはずだ。
しかもその原因が、仲の良かった私だったのだから。
その点は反省し、後悔している。
自らを傷つけるほどに、ひどく後悔した。

結果として、
私は親友の告白を彼女の許可なしに非難の材料として明るみにだし、
年下の友達を塾から追い出し、国語の先生を辞めさせた。
私一人がやったことではないけれど、その渦中にはいた。
先生が生徒とナイショで付き合うぐらいなら許せたのかもしれない。
でも、その彼が過去に親友にやっていたことがどうしても許せなかった。



そんなことがあったのが高校2年から3年にかけて。

そして3年の10月、あるメールの内容を聞く。
親友と、数学の先生とのやりとり。
「(親友の名前)ーv」「パパーv」と呼び合うような甘い内容。
ハートの飛び交う、まるで恋人同士のような文面だったそうだ。

すべてが崩れ落ちたような気がした。

私が親友のためにあんなにも激怒したのは、彼女の辛さを思いやって
のことだった。
でも、もしかして、考えもしなかったけど、
彼女はその恩恵を進んで受けていたのだろうか・・・?
私が思うほどに、苦しんではいなかったのだろうか?
この件でどれだけのものを失ったのか。どれだけのものを傷つけたのか。
それらはすべて、根本からして無意味だった?

だとしたら、
私はなんのために。

親友への信頼も、先生たちへの憎悪も、すべてが消失した。






ただ在ったのは、虚無感。

『人の心なんてわからない』

それが、この一連の事件でただ一つ得た真実だった。



そんな私が、今人の心をつかむ営業の仕事を探そうとしている。
なんて笑える話だ。


oOO 自己想起4
2005年01月27日(木)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
なかなか書くのにエネルギーがいります。



高校時代。
まあ、こんな私でも世界観を変えるような出来事が色々あった。
順に述べていこう。

高校1年生、初めて髪を染めた。
初めてPHSをもち、それなりに学校の友達と無邪気に遊んでいた。
ネットつながりで8つ上の人と付き合った。
初めて他人から愛してもらえて嬉しかった。
心移りされ、復縁して、心移りしかえして、数ヶ月で終わった。
その後クラスの子が好きだったが、適わず友人を継続。
その子とは放送部が一緒で、2人とも朝倉大介を崇拝していて、
その話でよく盛り上がった。

塾は、まだそんなに波乱もなかったように思う。
数学が好きだった。そして得意だった。
解けるようになるのが楽しかったし、先生は厳しかったけど、
M田やM谷を始めとする塾の友達は好きで、楽しんで行ってた。
数学の先生も国語の先生も、基本的に面白くて大好きだった。

仲良し4人組は、1人は短期だったが、3人はけっこう継続して
この塾に通っていた。

塾内の自習室でも仲のいい子が何人かできる。
一つ年下の、折れそうに細くて可愛い女の子。
姉妹みたいだねと言われるほど、仲がよかった。



この先の記憶を思い出そうとすると、体全体に寒気が走る。



高校2年生、

夏。



nothing

信じられるものなど、何一つない。

nothing

私に理解できることなんて、何一つなかった。

nothing nothing nothing

何も、何も、何も。



oOO 自己想起3
2005年01月25日(火)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
そろそろしんどぃ(早


中学校。
正直、思い出は薄い。
今まで1学年50人だったのが、いきなり40人*5クラスの200人に増えて
人の多さにびびったのが中1の最初の記憶。
決して驕りではなく、中学でテストに困ったことはなかった。
テスト勉強しなくても点はとれた。
小学校までの圧倒的な読書量が効いたのだろうか。

中1の頃、中学の近くにあった英語塾に通っていた。
ここで小学校からの親友を含む仲良し4人組ができる。
大学が違っても、このメンツは連絡をとりあっている。
この4人の中の1人とはよくケンカをした。
自分の価値観というものが芽生えはじめる時期で、本当に大喧嘩である。
でもマンガという共通の趣味もあり、帰りに家によく遊びに行った。
泣くほど笑って、気がついたら暗くなってて、あわててお暇するような
日々だった。
大キライと大スキの狭間で、この子を友達と素直には呼べなかった。

相変わらず本は好きだったが、赤川次郎の三毛猫ホームズを読んで
そのシリーズにはまる。
古本屋で彼の作品や、漫画を買いあさっては交換して読みまくった。
このころから余りマジメな本を読まなくなった。

たぶん、一生忘れることのできない恋もした。
同じクラスで、最初は友達がその子を好きで、調べているうちに
自分も好きになって、という少女マンガのような展開。
そいつとは仲は良かったけど、世界の違う子だった。
私はマジメで、遊んでもいなくて、優等生側で。
そいつはバンドやってて、彼女がコロコロ変わって、窓の外ばかり見てた。
「身も焦がれるぐらい」という表現が当てはまるぐらい、
家でそいつのことを想うだけで自然と泣けるぐらい、
本気で好きだった。
途中、波はあったけど、この恋は高校1年まで続いた。

中学2年の秋ぐらいから某S塾に通い始める。
悪い友達と悪い先生に出会う(笑)
まだ、中学の頃は楽しかったなあ。
この塾で出逢った社会の先生は、唯一私が心から「先生」と呼ぶ人。
世界を違う角度から見ること、自分の知らない現実があること、
そしてヴィジュアル系のことを教えてもらった(笑)
寺の息子でヤンキーで女遊びの激しかったM谷。
ビルのオーナーの息子で甘え上手で話してて楽しかったM田。
元気にしてるかなあ?

クラスの友達がイラストを描いてて、私も描いてた時期があった。
それと同時に、PCで小説も書き始めた。
物語を綴り始めたのは7歳ぐらいからだけど、
本気で長編を書き始めたのはたぶんこのころ。
HTMLタグを勉強して、HPを初めて作ったのも中学かな?
創作することは、たぶんこの頃に覚えた。
今よりも、ずっとずっと、自分の中にエネルギーが渦巻いていた。

忘れちゃいけない!!
T.M.R.のこと!(笑)
きっかけは中2の頃のハイプレッシャー。
プロモがめっちゃ面白い人いるよーってことで、内輪で話題になった。
正直最初は爆笑した(笑)
でもそれをきっかけに注目するようになって、
曲をスキになって、プロデューサーの朝倉大介を好きになった。
中高の私は朝倉大介なしには語れない。
そしてファンサイトのチャットに入るようになった。
このチャットで数多くの年上の友人を得る。
ネット中毒の始まりである。



高校は、一応附属を受験したが落ちる。
そんなに落胆もせず、やっぱり親のほうが凹んでいた。
地元の公立高校へ通うことになり、それはそれでいいかと納得する。


oOO 自己想起2
2005年01月22日(土)

自分の過去を思い出してみようシリーズ。
ああ、日記じゃないんで読まなくていいですよ。



小学校は、いちおう私立と国立を受けたが、
結局近くの公立に行った。
たった2人だが、保育園からの友達がいると聞いたからだ。

一クラス25人。学年二クラスで50人。全校300人弱。
山の麓にあり、裏山にアスレチックを作ってしまうような
平和でのどかな学校だった。
田舎のヒトコトに尽きるが、グラウンドだけは広かった。

親友と呼べる子は2人いた。
1人は小学校が終わると長野へ転校してしまった。
もう1人は、大学は違うがまだ続いている。
この時から少なくとも14年間の付き合いになるのだから、
人生はわからない。

本が好きだった。
相変わらず活字中毒だった。
シートン動物記とかのある、図書館の動物コーナーは読破した。
クレヨン王国、童話、神話、怪盗ルパンやホームズ、
なぜだろうなぜかしら、雑誌、とにかく読みまくった。
そしていつも返却が遅れて催促されていた(笑)

運動は好きじゃなかった。
今でも息のあがるような運動は嫌いである。

姉御肌といわれ、学級委員を何度かやった。
本を読んでいたせいか、成績もよかった。

男の子で、犬猿の仲だった子がいた。
口げんかにはじまり、時々ものが壊れ、そしてどちらかが
勝ったり負けたりして終わった。
成績も同じくらいだったので、どこかでお互いを認め合っていた。
そんなこと、2人とも表面には出すわけもなかったけど。(笑)

3〜6年まで、同じ先生に担当してもらった。
男まさりな女の先生で、いろいろと普通の先生と違った(笑)
裏表がなく、よく笑い、よく怒る人だった。
嘘をつくことを嫌った。
悪いと思ったことはとことん叱った。
性の話を、小学生相手に躊躇なく話す人だった。
沖縄の少女暴行事件について、あけすけに女性器の仕組みを説明し、
どんなにひどい事件であるかを涙ながらに語った。
夫が部落の人間だと告白し、同和啓発の問題も深くやった。
天皇、国旗継承、国家斉唱についても独自の考えをもっていた。
この人のクラスだけ皆式典の国家を歌わなくなって、
教頭先生からお達しが来たりした。
親は「本当に問題のある先生だったわ」と言っていたが、
私は今でも尊敬している。
小学校の先生というカタい立場で、自分の意見をはっきりと子供に教えた
その度胸にいまも憧れている。

小4ぐらいから、好きな子がいた。
皆で噂しているうちに、コロコロと変わるのだが。
まだ「付き合う」ではなく、「両想い」という言い方をしていた(*ノノ
1人だけ、あれは本気でスキだったと今でも言える子がいた。
違う中学を受験して離れてしまったが、
なんと現彼氏と同じ中学・高校で、しかも友達らしい。
やっぱり人生はわからない。

4歳から少4まで、ピアノをやっていた。
練習が嫌いで嫌いでしかたなく、親に怒られながら泣いて練習させ
られたときもあった。
塾を理由にやめれた時は本当に嬉しかった。

水泳も少しだけやっていた。
泳ぐのは好きだった。水の中で漂っている感覚が好きだった。

少5・6と某進学塾に通った。
勉強するのは嫌いではなかった。
この塾にあまり強い印象はない。

中学受験は、自分のレベルより少しだけ上を受けた。
同じ小学校から3人うけて、私だけ落ちた(笑)
おとなしく近くの公立中学に行くことになったが、
そう残念と思うこともなく、まあいっかーと思っていた。
どちらかというと親のほうが残念そうだった。




自然に囲まれ、のびのびと遊び、いい友達と先生に恵まれた。
あの小学校に通えてよかったと思っている。


oOO 自己想起1
2005年01月21日(金)

これから面接を受けるにあたって、
自己分析というものをせねばならないらしい。
今までの自分を全部書き出して、
自分のアピールポイントを探すのだとか。

ということで
ちっちゃい頃からの自分を思い返してみることにした。
20年間やるとしんどいので、毎日少しずつ書いていく。


一番最初の記憶。
それは保育園にいる時の記憶だ。
2〜6歳の4年間通っていた。
こばと・こりす・こいぬ・こぐまだったかな・・?
母親も働いていたので、夕方6時とかになって
たいてい他の子達も帰った頃に、迎えにきてもらっていた。
祖父や祖母にも自転車で送り迎えしてもらった。
帰りによく寄ったR食堂のおはぎ美味しかったなあ・・・(´¬`)

「キンダーガーデン」という雑誌?が好きで、
思えばこの頃から活字中毒だった。

中の良い子は2人いて、たいてい3人で遊んでいた気がする。
でもその2人はすごく家が近い幼馴染で、
私の入れない壁みたいなのを感じて、
時々ちょっと寂しかったような。(笑)

一応カトリックなところだったので、イエス様のお話を聞いたり
クリスマスページェント(演劇)をやったりした。
当時マシンガントークだった私は、年長組のときにナレーターに
抜擢された。他の子がやれない役を私ならやれると言われて
気分は良かったが、のどあめ貰えてラッキーとかその程度の
のんきさだったと思う。(笑)

一度髪をばっさり短くきって、心ない男の子たちに爆笑された。
ひとりで凹んで砂場にしゃがみこんで遊んでいたら、
Kちゃんと言う子だけが慰めてくれた。
でも荒んでいた私はKちゃんも追い返してしまった。
ごめんKちゃん。まだ名まえ覚えてる(爆)



今思い返すイメージに、悪い思い出はほとんどない。
園長室におもちゃがおいてあって自由に出入りできるような、
あたたかい、良い場所だったと思う。

保育園で同級だった友達は、地区の事情でほとんどと別れ、
一番仲の良かった子とも違う小学校に行った。

数年後に再会したりもするが、それはまた別の話。


oOO 単位ー
2005年01月19日(水)

いやもうマジで卒業あやうい・・・
5年目・・・5年目が見えてくる・・・(うーんうーん


フォーラムでNIWSのお話を聞いてみた。
日本IBMと野村研究所の大手2つの合弁てことで
安定性バッチリ!設備環境バッチリ!研修制度バッチリ!
でしたが、
取引先が医療・金融が専門なんですよねぇ・・・
というかそのために特化して作られたっぽい。

うーん、仕事内容としてはやっぱりMITに行きたいかなあ。
つか、MITの話きいてて「これがやりたい!!」
って思っちゃったんだよね(笑)
だからどうしてもそこが基準に。
今月末一次選考です!(ガクガクブルブル

IT・不動産・ブライダル系という3ジャンルでエントリーは
しておりますが、まあ本命はIT系の営業かな?
SEの知識も必要とされますが、そこまで技術職という
わけでもなく。
やっぱりこんぴゅーたーからは離れられそうにない。


oOO 何度
2005年01月15日(土)

何度聴いても、泣ける歌がある。

何度止めても、泣きたくなる言葉がある。

何度読んでも、泣くしかない物語がある。




何度思い出しても、もう泣かない思い出がある。




ねえ、貴方に似た子を地下鉄で見たよ。
元気ですか。
綺麗になっていますか。
大人になりましたか。
ひとに謝れる子になっていてくれたら嬉しいです。
ひとを赦せる子になっていてくれたら嬉しいです。

私はまだなれていないけど。

元気ですか。
優しくなれていますか。
いつか。いつか、会えますか。


oOO 明日は初の
2005年01月14日(金)

企業セミナーとやらいうものに行ってきます。
スーツです!

電話してもらったときに、
「受付でお辞儀してたのを見て丁寧な人だなーと思いました」
って言われてちょと嬉しかった・・・
お世辞の割合95%ですが!
でも皆お辞儀してないのか?



牛肉ときのこのオムライスの材料買いにいってきます。


oOO あああ
2005年01月13日(木)

昨夜なんとか帰ってきました。

 5:00 京都駅着
 6:30 実家着
 8:30 就寝
15:00 起床

(しばしROやら荷物整理やらゴハンやら)

22:00 死の宣告
「明日の2限テストやって知ってた!?」

もちろん知ってるわけもなく!!
でも友人の力を借りて受けてまいりましたよ!
な、なんとか60点くれたらいいなあ(涙)

けど、月5の授業が今日提出のレポだったそうで・・・
いやいや無理・・・ちょっと面白い授業だったんだけどなあ。




あああ卒業やべー


oOO とり
2005年01月06日(木)

あけました〜!
この一年が貴方にとって良い年でありますように!
今年もよろしくお願い致しますV(^-^)V



てことで今年も長野より新年のご挨拶。
10日夜に帰ります。

就活しなくていいのかとか聞いちゃだめです!
私だって焦ってるんです!

でもそれなりに楽しい居候ライフ(´¬`)
さあ連休は忙しくなるぞー


   
現在 今まで
 

仕事用ぶろぐ