umityanの日記
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2021年08月21日(土) |
コロナの脅威と異常気象。 |
コロナウイルスが蔓延している。右を向いても、コロナ。左を向いてもコロナ。これじゃあー、身動きがとれないぜ。有史以来、いろんなウイルスがあっただろう。人間はそれらを、ことごとく駆逐してきた。今回のコロナウイルスも駆逐できるだろう。
だが、今回のウイルスはやっかいだ。いまだかってないほどの威力を持っている。変異して、だんだん威力を増している。世界の英智、科学力をもってしても、これぞといった特効薬は、まだない。人間1人1人が行動に注意して、感染しないように努力するしかないのか。
千葉真一さんがコロナに感染して肺炎で亡くなった。実に悲しい限りだ。最近、著名人が次々と亡くなっている。僕の青春時代を飾った著名人達。いずれ、僕の番がやって来るだろう。齢を重ねて、年老いていく。これは仕方のないことだ。ただ、歳はとっても、病気にかからず、若々しく、ぼけることなく、毎日を元気で生きたいものだ。
僕は、体が不自由になったら、入院等はせず、そのまま死んでいきたい。 山頭火みたいに、町中を行脚しながら、生き倒れてもいい。ネズミ男君がよく言っている。「雨降る故郷、はだしで歩く」。うんんん、この精神だぜ。介護を受けながら、アップアップしながら生きていくことはごめんだ。ネズミ男君と、いつも、そんな話をしている。
今日も天気は曇り空。もう、十日以上はこんな気象が続いている。最近、すかっとした天気に出会ったことがない。異常気象の最たるものだ。いつまで、この異常気象が続くのやら。もう、元に戻ることもないのかもしれない。
地球が崩壊し、人間達よさらば。そうならないことを切に願うのみだ。
うっとうしい毎日だ。買い物以外は、ほとんど家にいる。パソコンと、にらめっこしていても味気ない。いったい、いつまで、コロナと大雨の災難が続くのだろうか。
そんな状況で、先日はネズミ男君をドライバーに頼んで、仕事で市内を一巡した。なんと、大雨の真っ最中。車の両脇に、おもしろいように雨のしぶきがかかる。その都度、「わおーーーーーつ。怖いぜー」と叫ぶ。さらに市内のあちこちに「通行止め」の標識が。「こりゃ、あばかんで−」と、コースを度々変更。やっとのことで、目的を果たした。車の中では、「おい、おい、もっとゆっくり走れよ。次、左折、右折」とか、罵り合いながら行くこと常のごとし。ネズミ君は「わかっとる」と、不機嫌そう。
仕事が一段落して、「おいネズミ君よ、疲れたぜ。今夜は飲みに行こうぜ。」と言うと、そく合意だ。雨降る中、いつもの小料理屋へ足を運んだのでありました。こんな土砂降りの中、客は僕たちだけかと思いきや、カウンターの6席は満杯になった。
うんんん、皆、行く所がなく、この憩いの場へ集合したわけだ。たわいもない話をだべりばがら,笑い転げた事でした。僕たちは6時から行って8時に代行車を呼んだのでありました。
食べたもの、「ゴーヤのタマゴ炒め。アジを焼いたもの。サラダ。きんぴらゴボウ。エトセトラ」。飲み物は生ビール。焼酎数杯。すっかり酩酊。2人とも顔を赤らめて帰宅したのでありました。
翌日も雨。うんんん、いかんともし難い。一日中寝るかあーーーー。
2〜3日前から降り出した雨。この先1週間は降り続くそうだ。一体、気象はどうなっているんだ。テレビでは、「命を守る為の行動をしよう」と、さかんに呼びかけている。この異常気象でなら、さもありなん。
風水害は昔からあった。でも、今回の場合は、ちと、違うような気がする。陰湿で、しっこいのだ。何か、恨みでもあるんだろうか。あると言えばあるだろう。しつような温暖化が、その最たるものだろう。近い将来、平均気温が1.5度も上昇するそうな。この上昇が自然や人体にいかなる影響を及ぼすか分からないが、ゆゆしき事態である。温暖化対策は講じられているが、各国間の足なみは揃っていない。
おまけに、人間はペットボトルとか、いろんなゴミを海洋投棄している。その、ゴミ達も、温暖化の一つの要因だろう。ゴミを海洋生物たちが食している。恐ろしいことだ。自然環境は人間のみの所有物ではない。生きとし生けるものの、すべての共有財産である。もっと、大事にあつかわなくちゃー。
まさに自然が崩れかけている。異常気象はその現れである。おまけに、コロナというウイルスがはやっている。まだ、収まる気配はない。マスク人間が世界をおおうだろう。外出もままならず、自宅で過ごし、青びょうたんみたいになってしまう。自然のしっぺ返しである。
昔は貧しかった。それでも、自然と一体となって人間は生きてきた。そんな昔が懐かしい。貧しくても、心は豊かだったような気がする。戻れるなら昔に戻りたい。
2021年08月04日(水) |
昔の本と、新たな人生。 |
最近、とんと、本を読まなくなった。書棚には本が整列している。なにせ、今は携帯の時代。携帯電話でほとんどの用が済ませられる。本だって、あらすじは携帯で読める。時代は変わった。昔は興味深い本が出版されると、本屋へ行って購入したものだ。今は携帯電話を持ち歩けばよい。
その本屋が、最近、めっぽう少なくなった。本が売れないのだろう。買っても、財産として残すこともない。僕は今、悩んでいる。蓄積した本達をどうすべきか?段ボール箱に詰め込んで、廃品業者に持って行ってもらうか?。
だが、しかし、一冊一冊ずつ、本を手に取ってみると、懐かしく、心ときめいた昔の事が思い出され、容易に捨てきれないのだ。誰か、もらってくれる人があれば一番いいのだが、この時勢、本をもらってくれる人はいない。
今、思っている。後、生きて十数年。すぱっと、整理して思いを断ち切ろうと。 もう、二度と読まない本ばかりだ。残していても、箪笥のこやし。身軽になろう。体一つでいい。それに幾ばくかのお金。お金はやはり必要だ。残った人に後始末をしてもらわねばならない。
僕は死ぬときに、意識があってほしい。「あああ、僕の人生は楽しかった。良かった。有り難う」と言って、死にたいものだ。願わくば、あちらの世界があって、「よう来たな。お茶でもどうぞ」と、歓迎してもらいたいことよ。
だが、人間は死ぬと、いろんな人の記憶から消えていく。これは仕方のないことだ。死ぬ前にあちらの世界を信じ、あちらの世界で第二の人生を生きる事を願いたい。
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