umityanの日記
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2016年05月14日(土) 心の安寧。

おっと、今、地震があった。熊本方面で震度3。こちらは恐らく1だろう。ここ1ヶ月、地震の脅威にさらされ続け、安心して過ごせる時がない。震災地に直面している人たちは、尚更のことである。未だ一万人以上の人たちが避難生活を余儀なくされている。ただただ、早い復興を願うばかりである。

そんな中、世界、いや日本列島でも、毎日のように、金にまつわる事件、心の行き先を見失った悲しい事件が多発している。時々思うが、「平和とはいったい何だろう?。幸せとはいったい何なのか?」って。

思いつく回答は、平和とは人類皆が共有する心の安寧。幸せとは個々人が感じる心の安寧。いかんせん、人間は往々にして、その心の安寧を破る。なぜなのか?。ただ言えることは、人間の心には「創造と破壊」という両局面が常に存在している。やっかいだぜ。創造と破壊を生み出す心とは、すなわち五欲だろう。「金銭(物欲)、名誉、食欲、睡眠、性欲」とかである。その均衡が破れたとき、事件が起きる。

神も仏も五欲を否定はしない。ただ、過ぎたるは及ばざるがごとしで、何事もほどほどが肝心である。さあれば、事件もトラブルも少なくなるだろう。そのさじ加減が難しいが。

最近、世界一の長寿者が117歳で亡くなった。一世紀以上にわたり生きてきて、人生をどう感じてきただろうか。生きるうえで、幾多の紆余屈折を経験してきたに違いない。それでも、きっと、幸せな人生だっただろう。僕も、自然と上手につきあいながら(災害だけは困るが)、欲をほどほどにして、心の安寧を保ちながら長生きをしたいものよ。

そうそう、ニュースで見たが、土星の衛星、タイタンが地球にそっくりだそうな。液体の海があり、海岸線などがよく似ているらしい。液体の海があるのはタイタンぐらいだろう。ただ、液体といっても「水」ではなく、メタンの海らしい。大気はあるが酸素はないようだ。うんんんんん、残念。

メタンの海かあーーーー。メタンといえばメタンガスを思い出すが、臭いにおいがするのかなあーー。おならのように。たとえメタンの海であっても、泳げるなら人体を改造して、タイタンの海で泳いでみたい。かなわぬ夢でも、心の安寧がはかれるならよいではないか。




2016年05月12日(木) 地震にめげず、前向きに生きよう。

やっと、地震が収まりそうな気配である。まだ、安心は出来ないが・・。東西と南北の両方に活断層がずれた今回の地震。詳しいメカニズムはまだわかっていない。これから、研究を進めていくそうだ。

ところで、昨日、ひょっこり、小学校、中学校時代の同級生が我が家へやってきた。玄関を開けた時は誰が来たのかわからなかった。それもそうだろう。40年以上も会っていなかったからだ。すっかり大人びて(当然のことだが)、人生の荒波を駆け抜けてきたという風体をしていた。僕を見るなり、「あんた、随分やせたなあーーー」と言う。。そうか、子供の頃は、僕も小太りの坊やだったようだ。今や、とっちゃん坊やので、「ジャイアン」の異名を持っているが、ドラえもんに等k上するジャイアンよりはスマートだろう。

彼の話によると、住まいが地震により全壊し、今、当地の県が提供してくれた県営住宅にいるとのこと。まだ、来たばかりのようで、これから数ヶ月、当地にいるようだ。命に別状はなかったので幸いだが、もはや故郷の家には住めない。彼と同じような状況の人は、たくさんいるだろう。なんとも、痛ましいことである。近々、飲みにいく約束をして、その日は分かれた。めげず、前向きに生きてほしい。

おっと、今この備忘録を書いている最中に地震発生。震度は1か2だろう。なんてこった。「そろそろ安心していいかなあ」ーーと思っていた矢先のこと。自然は、なかなか「安全ですよ」という証明書を人間に発行してくれない。ある時は優しい天女であり、またある時は、悪魔に変身する。生きとし生けるものは、決して、自然を甘く見てはいけない。そのことを肝に命じよう。

そうこうしながら、すでに5月の中旬を迎えた。5月、6月は同窓会と小旅行が2件ずつある。同窓会は恩師の傘寿のお祝いを兼ねて級友会をする。さらに、高校全体の同窓会がある。級友会は地震の洗礼を受けた故郷の地である。大丈夫か?、少々心配である。同窓会は、住んでいる地の隣の県である。特急電車で行けば1時間もかからない場所だ。

小旅行、これは仕事がらみが1件。もう1件はのび太君主催で、ねずみ男君、一休さん、それに、僕、ジャイアンの4名で行く旅である。人生に疲れ気味の、とっちゃん坊やたちが、癒しを求めて、刹那の時間を楽しもうとの計らいである。最近は、ドラえもん君と夜泣きじいさんが、登場しないが、彼らはそれなりに多忙のようだ。

4人で行く旅行が一番いい。車1台で行けるからだ。ホテルも4人1部屋で効率がよい。ただ一つの難点は、誰ぞやの、「いびき」に悩まされることだ。これは地震より始末が悪い。揺れはしないが、長時間、なにやら、「むにゃむにゃ」と、しゃべる者がいるし、歯ぎしりがうるさいし、鼻ラッパの音楽が耳障りである。

名誉のために書いておこう、その害を及ぼす一人は、この僕、ジャイアンに違いない。皆がそう言うから間違いはないだろう。僕としては、「わかんなあーーーーい」である。ジャイアンに言わせれば、ねずみ男君と、一休さんも同じ穴のむじなである。特にねずみ男君のいびきには閉口している。ただ一人、のび太君だけは、さすがに紳士。彼の寝姿を見たことがあるが、天井を向いて微動だにせず寝ている。寝息もきこえない。恐れ入りまあーーーすである。

この辺で備忘録を閉じよう。いずれ、結果はこの備忘録でしたためることにする。





2016年05月05日(木) 生命体がいそうな惑星が発見された。

昨日も、そして今日も家が揺れた。地震だ。震度1か2くらいだろう。いったい、地中で何が起きている。こんなに長期にわたり余震が続くことは、今まで経験したことがない。まことに怖い。

昔、小松左京という人が「日本沈没」という小説を書いた。映画にもなったか?。当時はSFドラマとして興味深く見たが、いまや、日本沈没が現実味を帯びてきたように思える。確かに、物質に永遠なる物はないだろう。形ある物は崩れる。地球だってそうだ。大地震はその要因の一つだ。それが自然界の真実であり、法則なのだ。

地球はいつ崩壊するんだろうか?。それがわかれば、心配はしないが、突然やってこられたら困る。心の準備ができないからだ。地球の崩壊は、すなわち生命体の消滅。そうなる前に、別の惑星へ移住し、そこで、新たなる生を育んでいくことができればいいんだが。問題はその時まで、わが生命を維持できるかどうかである。残念ながら不可能だろう。

最近、地球外生命体の存在に関するホットなニュースが流れた。比較的近い場所に、地球の環境とよく似た惑星が3個も発見された。大気が比較的安定しており、水もありそうな惑星らしい。生命体の存在が期待されている。もっと、深い情報を早く知りたいものだ。

僕は今まで、ずっと、、エイリアンならぬ、宇宙人の存在を信じてきた。いつも、寝るとき、宇宙人が迎えに来てくれることを想像している。「あら、じゅんさん。迎えに来たわよ。一緒に宇宙を旅しましょう。私の手につかまって」。「はっ、はあーーーーーい」と、僕は言って、喜んで、宇宙人たる彼女の手にしがみつく。僕にとって迎えに来る宇宙人は女性でなければならない。ここがみそだ。男性なら怖いからなあーーー。

いやはや、僕は、まことしなやか、おめでたい人間のようだ。いずれにせよ、これ以上、人間が不幸にならないように、ただひたすら祈るしかない。




2016年05月02日(月) 母の思い出が涙を誘う。

連休の谷間で、今日は仕事をしている人も多いことだろう。ご苦労様です。僕はといえば、毎日が休みで、毎日が仕事みたいなもの。まああ、自営業とはそういうものかもしれない。これで、おまんまが食えれば、幸いだ。

今日はすこぶるよい天気だった。青空が広がり、心地よい暑さだった。どこかへ、「ぶらり」と、出かけたい衝動に駆られたが、いかんせん、ここ数日のハードな行事の疲れが出てきた。ソファーに横たわり、居眠りをしてしまった。うとうとした頭によぎるのは、あの地震の恐怖である。寝ている間に襲われたら、どう対処するか?。そのことばかりが脳裏を駆け巡った。

数十分後、重たい体を起こした。どこにも行かず、パソコンのスイッチをオンにした。まず最初にすること。メールの確認だ。毎日、数十件のメールを受信する。ほとんどが宣伝用の情報ばかり。時々、「ほおーーつ、そうなんだ」と、指を止めて内容を確認するものもあるが、大概は、タイトルを見て、ゴミ箱へ直行。ゴミ箱がたまると、一括消去だ。考えてみると、日常の生活パターンと、ちっとも変わらない。

いつぞや、テレビで、ある住人の、「ゴミ屋敷」の風景を放映していたが、いやいや、人ごとではない。ゴミも財産と思えば数日で、家の中は足の踏み場もなくなる。豊かな社会は豊かな「ごみ」を生み出した。その「ごみ」だって、まだ利用できそうな物もたくさんあるだろう。

一世代昔の父・母は、たとえ利用しなくても、「ごみ」と、やわら判別つき難ものを処分することに、大いなるためらいを感じていたようだ。「もったいない」。これが口癖だった。それもそうだろう。今の時代みたいに物が豊富になかったからだ。母亡き後、箪笥の引き出しや、物置を整理すると、懐かしいものがたくさん出てきた。もう、記憶にない子供時代の玩具や洋服、通信簿まで出てきた。涙を禁じ得ない。改めて、母の母たる所以、偉大さを感じた。もう、そろそろ「母の日」か。母のことが懐かしく思い出される。僕も母と同じ性分なのだろう。捨てられないものが山とある。うんんんんーー、これではいけない。

そこで、今日は、ポリ袋数個に「ごみ」と称する物品を詰め込んで、空き地に運んだ。上空ではカラスが「何か獲物でもあるかしら」と、電線の上から、その光景に目をやっていた。食べ物ならカラスが食べてもよいが、彼らは実に行儀が悪い。袋を引き裂き、あちこちに物を散乱させる」。行儀が良ければ歓迎してやるのに、この態度には腹が立つ。

ごみを処分しながら、青空を見上げ、ねずみ男君と先日、「かあーーーちゃーーーーん」と叫びながら、スナックで歌った、山口百恵さんの「コスモス」という曲を思い出した。


2016年05月01日(日) 天変地異の恐怖。

久しく日記を書いていなかった。暦はすでに五月。何せ、三月と四月は忙しかった。仕事オンリーの日々が続いた。それでも、たまの息抜きに、ねずみ男君や、のび太君たちと、焼酎をあおった。

そうそう、3月の末近くだったか、のび太君の事務所裏がミニ公園になっていて、そこで花見をしたっけ。だが、しかし、ばっと、火気等の持ち込みが禁止となり、桜の花は豪華に咲いているが、その下で鉄板焼きが出来ない。桜の木の下で、焼きたての具をついばみながら、ビールやや焼酎を飲みながら。ワイワイするのが最高なんだが・・・。

結局、のび太君の事務所横の駐車場に場所を移した。鉄板を据え、大量に買い込んだ肉やら、野菜を炒め、そこで、遠くの桜に目をやりながら、20数名が、わいわいと騒いだことだ。どうも、人間は桜の花を観賞すると言うよりは、何かにかこつけて集まり、騒ぐのが好きな動物のようだ。

午後3時頃から飲み始め、帰宅したのは午前様。ネズミ君も、ジャイアンも、すっかり酩酊し、ひんしゅくを買うこと常のごとし。事務所の二階で、のび太君所有のカラオケ機器で歌った。なんと、90歳を超える老婦人が90点を超える点数をたたき出した。これにはびっくりだ。我々も、歌を歌い、ちょっぴり酔いを冷まして、ひたすら、謝りに奔走したっけ。これも愛嬌愛嬌。

そうこうするうちに、4月となり、恐るべき地震の洗礼を受けた。当地は大丈夫だと高をくくっていたが、さにあらず。真夜中、尋常ならぬ家屋の揺れで目を覚まし、「およよ」と恐怖で身がすくんだ。眠れないまま朝を迎えた。一階の各部屋を見て回った。白壁が部分的に崩落していた。また、壁に亀裂が走っていた。この程度で済んで幸いだ。

熊本や、大分方面が大打撃を受けた。被災された方々に心より、お見舞いを述べたい。自然災害は十分な予知ができず、明日は我が身に降りかかるかもしれない。活断層は日本列島の至る所に潜んでいるからだ。ただただ、日頃より、備えをしておくことが肝要だということを痛感した。

余震は今なお続いている。安心はできない。暦は5月を迎え、シャバ世界はゴールデンウィークで、心躍る人たちもいるが、それどころではない人たちもあまたといる。まことに世の中は不平等だ。だが、泣き言を言ってはおられない。いかなる運命が待ち構えていようと、ひたすら生きていく。それが生を受けた人間の責務である。

五月の空は高く、青葉若葉が目に優しいが、まだ、それらを愛でるだけの心のゆとりがないのが現状である。


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