umityanの日記
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2013年02月28日(木) とっちゃん坊や5人衆の旅 (25 完)

 とっちゃん坊や達は定番の機内メニューを静かに消化し、ビデオを見たり、眠ったりしていていた。そうこうしている内に、台北へ到着だ。ここで乗り換えまで数時間、待たねばならない。これが苦痛だが仕方がない。いかにして時間をつぶすか?。「とりあえず、乗り場を確認し、あちこち、うろうろしようや」と言うことに。免税店の通路を端から端まで歩いた。途中、長いすが置かれていたので、そこで、夏服から冬服へ着替えだ。

買いたい物は何もなく、歩き疲れ、やむなく搭乗待合室で待機することに。まだ、待合室は閑散としていた。2時間くらい立った頃、5人組の同行者を乗せた便が到着したようだ。ぞくぞくと、待合室へやってくる。いた、いた。例の5人組が。ネズミ男君が「おーーーい、おおーーい」とおらび、手をあげると先方も気付いたようだ。「にこっ」と三人娘が笑顔を見せて、手を振り返した。

ここで、のび太君の登場だ。女性の扱いにたけた彼は、すかさず、彼らの所へ赴いた。彼女らの病状を確認。すっかり回復していた模様。「よかった。よかった」と、同情の意を述べ、携帯ナンバー等を聞いた由。反省会への参加を取り付けたようだ。さすが、リーダー、のび太君だ。

ようやく、搭乗が始まり、我々は席へ急いだ。なんと、今度の席は21番。前から2番目だ。20番の席は全部空席。それもそうだろう。キャビンクルーのお姉様がの座る席が、20番に面している。お見合いとなると、目のやり場にこまるからなああーー。席は搭乗する度に前列へと移動してきた。「これは良しや、悪しや?」。「わかんなーーーーい」である。

さあ、2時間ばかりで母国、日本へ着く。日本は、どんな顔で我々を迎えてくれるだろうか?。喜びと不安が交錯した。「そろそろかなあ」と、思ったとき、夜泣き爺さんが席を立った。トイレに立ったのだろう。帰ってくると、なんと、空いている20番の席へ座ろうとした。席の前には、背の高い日本人らしき、美しいキャビンクルーのお姉様が座っているのだ。冥土の土産に、話でもしたかったのだろうか?。すぐ、席へ戻された由。笑ったぜ。

機は無事に滑走路を滑った。到着だ。短期間だったとは言え、懐かしさが込み上げて来た。空を見た。空気が澄み、星空がきれいだった。とっちゃん坊や達は、せわしく出口を目指した。最後の関門、税関で書類を提出。僕の前はネズミ男君だった。「どこへ行ったのか?と、質問されたようだ。「タイです」と応え、無事に通過。僕の番だ。「前の人と一緒?」と聞かれた。「そうです。ご苦労様」と応え、にっこり笑った。なんなくパスだ。行った証拠に「サワディー・カップ」と言おうかと思ったが、さすがにそれは止めた。

要領のいい、ドラえもん君と夜泣き爺さんは、既に待合ロビーで待っていた。のび太君は、荷物預け入れのため、少々時間がかかったが、元気な顔で出てきた。他の5人の同行者達とは、会えずじまいだ。反省会で会えるから楽しみだ。

出発した時と同じように、シャトルバス、地下鉄、電車を乗り継いで故郷の駅へ無事に降り立った。時、既に午後10時。帰途に12時間以上を要したことになる。格安旅行は、スムーズにはいかないものだ。故郷の空を見た。何もなかったかのごとく、月が美しく輝いていた。ともあれ、無事に帰還したことに乾杯だ。

これで、ジャイアンの旅日記も終わる。独断と偏見で旅をつづってきた。多々、記憶違いや、間違いがあるだろう。また、写真も断りなく、いくつか掲載した。いつでも、削除可能につき言って欲しい。思えば、旅から帰って以来、毎日のように、この備忘録兼日記帳をしたためてきた。明日からはようやく安堵の日がやってくる。仕事をしなけりゃあー、まさにおまんまの食い上げだ。

最後に、楽しい旅を過ごしくれた、とっちゃん坊や達と、同行してくれた2人の男性、3人の女性に感謝の念を述べよう。リーダーの、のび太君ご苦労様。さらに、この旅の企画をしてくれた、ジャイアンの同郷とも言える、美人後輩に、「コップン・カップ」と言いたい。

「生きとし生ける者、いかでか旅を好まざらん」。次回の、とっちゃん坊や達の旅が楽しみだ。(完)


2013年02月27日(水) とっちゃん坊や5人衆の旅 (24)

ホテルに着いた。いよいよ明日は帰途につく日だ。長かったようで短く感じた日々。ホテルの窓から外を見た。すっかり暮れた道路沿いに、屋台とおぼしき店が明かりを灯し、延々と続いている。日本で見た懐かしい風景のように思えた。

ネズミ男君は、「明日が早いので寝るよ」と言って、お子ちゃま用ベッドに窮屈そうに横たわった。部屋を異にするドラえもん君と夜泣き爺さんの様子は分からない。恐らく、巨体と痩体が仲良くベッドで、思いにふけっていることだろう。

のび太君とジャイアンは、まだ寝る気にはなれなかった。「ホテルの周りを、ちょっと散策しようぜ」と、のび太君が言う。ジャイアンに異論なし。手持ちのバーツがなかったので、ホテルで幾ばくかを両替。何か、小物でもあれば、日本のジャイアンびいきの人達に、土産でも買いたいと思ったからだ。

外は夜というのに、まだ暑い。僕たちはホテルを出て、まず右の歩道を歩いた。歩道は前にも書いたが、至る所、痛んでいる。車は相変わらず渋滞だ。何となく、埃っぽい。テクテク歩くと、あちこちに痩せた犬が寝そべっていた。他の場所でも見かけたが、「誰か、飼い主がいるんだろうか?」と、気になった。通行人は犬を避けて、当たり前のように歩いている。犬はなんら悪さをしない。ただ、寝ているだけだ。暑さで、くたばっているんだろうか?。

とある店を覗いた。のび太君は、誰への土産か知らないが、シルバーの指輪を買った。「本当かどうか分からないが、自分のネクタイに通すんだよ」と言う。ま、いいか。ジャイアンも小物をいくつか購入。

かなりの距離を歩き引き返した。ホテルの前を通過し、今度は左側だ。更に道路を横断し、反対側の歩道を歩いた。日本の屋台と同じような店舗が軒を並べている。現地の通行人達が、足を止め食べ物を求めていた。道路沿いのため、必ずしも清潔とは言いがたいが、必死で生きているタイ人の姿は、皆、元気そうで感動した。僕たちの姿は、よれよれだったので、違和感なく町に溶け込んだようだ。1時間ちょっとだったが、フリーの散歩は楽しいものだった。

ホテルへ戻り、「さあ、僕たちも寝るか」と、セミダブルベッドに横たわった。ネズミ男君は、寝苦しそうに鼻提灯を膨らませていた。今のところ、いびきはない。いつ、ごう音が轟くやもしれぬが、その時はジャイアンも既に船をこいでいるだろうから、気にもならないだろう。

目覚めよく朝4時に起床。一番乗りだ。洗面を済ませたとき、いつものごとく、ネズミ男君が起床。早く寝たので、絶好調のようだ。び太君も起きた。早めに洗面を済ませ、フロントでチェックアウトだ。時は、4時50分を刻んでいた。5時に、迎えのバスが来る。ドラえもん君と夜泣き爺さんは既に待機中。

機への搭乗は午前8時10分。同行者達5名は10時過ぎの別便。台北、乗り換えの時、合流するようだ。日本へ着くのが一緒なら、我々も10時の機が良かったのだが、「オーマイ・ガッド」、申し込みの時、既に席がなかった。やむなしだ。

エアポートに到着した。空を眺めた。どんよりと曇った空は、我々、とっちゃん坊や達の帰国を悲しんでいるようだ。新顔の案内人さんに引率され、手続きに及んだ。いやああ、それにしてもタイのエアポートは広い。あらためて驚いた。魔のゲートも無事にクリアー。何事もなく免税店まで到達だ。ちょっと、時間があったので、免税店を覗くことにした。ここで、トム・ジンプソンのTシャツと、絹のスカーフを買った。

さあ、搭乗だ。「さらば、タイランドよ。もう会うこともないかもしれない」と、心がうずいた。数時間の長いフライトが始まった。例によって、行きも帰りも座る順序は一緒。とっちゃん坊や達はいつの間にか眠りに落ちた。


2013年02月26日(火) とっちゃん坊や5人衆の旅 (23)

べッドの獲得戦も終わったことだし、我々3人衆はフロントロビーに降りた。既に、ドラえもん君と夜泣き爺さんは、ロビー椅子に腰掛けていた。待つこと30分。最後のお勤めとなる現地係員さんが迎えにやってきた。車には真面目、堅物の同行男性2人が乗っていた。3人娘達は、今宵も欠席。療養に専念しているのだろう。一緒に食事を囲みたかったが残念である。

「昨日のタイ式マッサージはどうだった?」と、のび太君が同行男性達に聞くと、照れ笑いしながら、「よかった」と言う。そうだろう。ジャイアンは、いまだ関節が伸び伸びとして楽だ。願わくば、のび太君が言う、「正式、本格的、正統のタイマッサージ」とやらを経験してみたかったが、これも残念である。

バスは例によって、ごった返す車の波をぬって、とあるレストランの前に停車した。階段をあがり、2階の丸テーブルへ案内された。丸テーブルは初めてだ。チャイナ方式のレストランだろう。真ん中に、「しゃぶしゃぶ用」鍋をのせるコンロが設置してあった。程なく、ウエイトレスさんがやってきて注文を聞いた。

今宵が最後だ。ドラえもん君が「紹興酒はある?」と、聞いた。言葉が通じない。係員さんが通訳して、なんと、置いてあるそうだ。ボトル1本を頼むことになった。ビール飲みに明け暮れた今度の旅。とっちゃん坊や達は舌なめずりだ。
もちろん、ビールを頼んだことは言うまでもない。今まで、別テーブルだった同行者の男性2二も、同じテーブルに陣取った。

ウエイトレスさん数名が、鍋やら具を運んできた。お湯が沸騰し、具を鍋に入れ始めた。野菜あり、肉らしきものあり、はるさめみたいな物あり、団子みたいなものあり。「おい、おい、こりゃあーー、しゃぶしゃぶじゃないぜ。水炊きみたいなもんだ」と、夜泣き爺さんが言う。まさに、日本で言うしゃぶしゃぶとは違う。うんんん、今更、ほざいても仕方がないか。

ウエイトレスさんが懇切丁寧に各人の小鉢に盛りつけてくれた。なるほど、鍋となれば早い者勝ちで、遅れを取った者には具が行き渡らないからなあーーー。程なく、あっためた紹興酒、登場。うまーーーい。瞬く間にボトルが空だ。続いてビールで、のどを潤した。しゃぶしゃぶもどき具は、それなりに美味ではあった。各人、2杯ずつおかわりした。ほぼ、食べ尽くし夕食は終了。割り勘だ。なんでも、タイは割り勘が主流で、食べ散らかした皿等はそのままで良いらしい。日本みたいに、寄せて片づける必要はないと言う。そうだよなあーー。ケースバイケースと思うが、彼女らの仕事を奪ってはいけないだろう。

帰り際、「手伝ってくれたウエイトレスさんにチップを」と、とっちゃん坊や達を見回せど、皆、「我、存ぜず」といったそぶり。情けないぜ。僕、ジャイアンは、財布から20バーツ(60円)ずつ、2人のウエイトレスさんに、「コップン・カップ」と言って手渡した。彼女たちはたいそう喜んでくれた。

そこまでは良かったが、近くにいたもう1人のウエイトレスさんが飛んできて、「私にも」と、僕の前に立った。財布を見たが、バーツがない。仕方なく、日本円の千円札1枚を彼女にあげた。千円札といえば300バーツだ。その価値を知っているか?知らないかは分からないが、彼女は目を白黒させながら、係員さんの所へ走って行った。係員さんは、「もらっとけば」と言ったのかも知れない。おつりはなかった。まあ、いいか。

店の外へ出ると、なにやら若い女の子達が手かごを持ち、笑顔を見せながら、我々に、おもちゃみたいな小物類を差し出すではないか?。お土産に買って欲しいのだろう。のび太君はすかさず、カメラのシャッターを切った。残念ながら購入に至らず。僕、ジャイアンは購入の気持ちはあったが、いかんせん、バーツがない。這々の体で、そこを引き上げた。

さあ、しゃぶしゃぶもどき夕食が終わった。後はホテルに戻り、恐怖の一夜を過ごすことになる。何となれば、僕、ジャイアンの隣がネズミ男君だ。「いびきの合唱」には、努々、参加したくないものよ。


2013年02月25日(月) とっちゃん坊や5人衆の旅 (22)

急ぎ足で備忘録兼旅日記をつづってきた。誤字、脱字、記憶違いも多々あるだろう。あと数編、書き上げれば完成だ。明日までには、そのすべてが終わるだろう。

とっちゃん坊や達はホテルへ戻った。ジャイアンは、即、銀行で円をバーツに両替し、借金を係員さんへ返済した。食事までにはまだ時間があった。現地最後の食事は、「タイ式しゃぶしゃぶ」らしい。係員さんが、「今夜の食事は、十二分に堪能してください」と言う。話しぶりが、あたかも「今夜は私がおごりますよ」と、言わんばかりだ。しゃぶしゃぶかあーーー、果たしてどんなもんやら?。

部屋で荷物の整理をした。着た衣類と、着なかったと衣類があり、しかも、夏服と冬服が混在している。バッグの中は、パンパン膨らんでしまった。台北に着けば、そこで再び、冬服に着替え直しだ。

荷物の整理が終わった頃、ネズミ男君が、やにわに、「今宵のベッドの割り振りを決めようや」と言い出した。三人に異論なし。「今宵は負けるものか」と、ジャイアンも気合いが入った。昨夜と同様、じゃんけんで雌雄を決することに。「最初はグー、じゃんけんぽん」。声たかだかに、三人の右手が出そろった。

のび太君、パー。ネズミ男君とジャイアンがグー。とりあえず、のび太君の勝利だあーー。彼はすこぶる、じゃんけんに強い。いまだ、お子ちゃま用ベッドに寝たことがない。この理由如何に?。冷静沈着がそうさせるのか?。のび太君は、向かって左端のベッドを選択。

さあーーー、ネズミ男君とジャイアンは残りのベッドをかけて一騎打ちだ。「最初はグー、じゃんけんぽん」。な、なんと、二人ともチョキ。引き分けだ。僕たちは「うんんん」と、唸った。しからば2回戦だ。「最初はグー、じゃんけんぽん」。な、な、なんと、今回も二人ともパーで勝負つかず。互いに裏をかこうと読み過ぎて、思考回路が重なったようだ。僕たちは苦笑しながら、3回戦へ。

その時、ジャイアンが、「ちょっと間をくれ」と、ネズミ男君へ懇願。彼も間が欲しかったようだ。即、了承。息を整えて、「さあーーいくでー」と、3回戦が始まった。二人とも深ーーーく、裏を読んだはずだ。「最初はグー、じゃんけんぽん」。でそろいました 。ネズミ男君グー。ジャイアン、グー。また勝負着かずだ。この現象は一体、何だ。いまだかって、こんなケースに出会ったことがない。正直、こんな飽くなき戦いに嫌気がさしてきた。「ネズミ君よ、同じベッドで一緒に寝ようや?」と、ジャイアンが提案したところ、ネズミ男君は、かたくなにそれを拒んだ。僕も「冗談、冗談」と言って、4回戦へ突入だ。

彼は「ジャイアンがチョキを出すだろう」と読んだ。ジャイアンは「彼が先ほどと同じグーを出すに違いない」と読んだ。恐らくこれで決まるような予感がした。僕たちは「最初はグー、じゃんけんぽん」と、力強く叫んだ。ジャイアンの予感通り、ネズミ男君はグーだ。ジャイアンはパー。ジャイアンの勝利だ。ネズミ男君はベッドに、よなよなと崩れ落ちた。互いに全力投球での結果だ。ねずみ男君は結果を素直に受け入れてくれた。今宵はジャイアンもゆっくり眠れるぜ。

のび太君は、この好勝負を見ることもなく、洗面所へ消えていた。勝者は語らずか?。じゃんけんで、紙面を長く割いてしまった。そろそろ夕食の迎えが来る。ロビーへ降りよう。


2013年02月24日(日) とっちゃん坊や5人衆の旅(21)

 僕たち、とっちゃん坊や達の旅も、いよいよ最終段階を迎えた。現地係員さんとは、今日の夕食を最後にお別れだ。明日はは飛行場まで、違う係員さんが送迎するらしい。夕食までには、まだ時間があった。

我々は、ほとんど買い物をしていなかった。そこで、空いた時間を何か買い物に費やそうと決定。ドラえもん君は、旅に出る前から、なにやら仏具が欲しいと言っていた。実は僕、ジャイアンも欲しい物があったのだ。

奇しくも、ドラえもん君とジャイアンが望む物は、両方とも仏具専門店にあるようだ。そこで、係員さんに仏具街と称する町の一角を案内してもらうことに。ドラえもん君が欲しい物は、日本で買うと10万円はくだらない代物である。果たして、この地に安鋳物があるのやら?。

車が渋滞している町中をぬって、仏具専門街へ到着。係員さんを先頭に、一軒、一軒、店舗内を覗いて回った。言葉が分からないため、係員さんに説明してもらい、ようやく、とある店に、それらしき物があった。残念ながら1種類のみ。しかも1本しか置いてなかった。値段はなんと、350バーツ。日本円で千円ちょっとだ。あまりに安いので驚きだ。やっと見つかったので、ドラえもん君は小躍りして喜んだ。

だが、しかし、ばっと、タイでは、ほとんど利用することのない物なので、かなり、ちゃちな出来だ。まあ、「遊び道具ぐらいにはなるだろう」と、ドラえもん君は、即購入。

僕、ジャイアンが欲しかった物。それはタイの坊さんが着ている法衣である。橙色の法衣を着た坊さんを、寺で見かけた。そういえば、飛行機のなかでも見かけたっけ。ジャイアンとしては、そんな法衣を日本で着てみたいと思っていた。

「遠山の金さん」ではないが、「この桜吹雪が見えないか?」と、片腕を出す様が、いかにも格好がよい。それにあやかり、タイの法衣を着て乳白色の左腕を出す。その姿でクライアントに会えば、どういう反応が返ってくるか興味があったのだ。「あほか?」、もしくは「かっこいい」の、どちらかだろう。まさに、単細胞の単純な発想である。「この不埒者がー」と、タイの坊さんに怒られそうだ。

法衣は、いとも簡単に見つかった。透明の袋に入れて、それはあった。値は750バーツ(2千数百円)くらいだったか?。手持ちのバーツがなかったので係員さんから借りて支払う。7枚の絹の布がはいっているらしく重い。タンスの肥やしとならなければよいが?。

他の、とっちゃん坊や達は、特に買いたいものはなかったようだ。とりあえず、ホテルに戻り、最後の食事まで待機することになった。




2013年02月23日(土) とっちゃん坊や5人衆の旅 (20)

 とっちゃん坊や達の旅も、いよいよ最後の寺院を訪れるのみとなった。あまりに多くの寺院を見たため、どこがどうなのか、さっぱり分からない。総じて言えることは、どこの寺院も歴史があり、豪華で壮大であることだ。国民も国も寺院を支え、信仰の母体として、仏教が脈々と息づいていることがすばらしい。とはいえ、仏教が国教という訳ではないそうだ。日本と同様、法律で「信教の自由」が認められている。いわゆる自由の国である。

我ら、とっちゃん坊や達は最後の寺院へ足を踏み入れた。ワット・ポー(涅槃寺)と呼ばれる大きな寺である。ここには45メートルを超える巨大涅槃仏がある。全身を金箔で覆われ横たわっていた。我々、とっちゃん坊や達は、靴を脱ぎ、おごそかに堂内を一周した。

涅槃仏の顔は黄金色に輝き、目玉、ぱっちりだ。参拝する我々に何かを教義しているように見える。思わず、「とっちゃん坊や達の数々の罪を許したまえーー。特にネズミ男君をーーー。合掌」と拝んだことよ。高い位置にあるので、全身をカメラに収めるのは難しい。それでも、のび太君は果敢にポイントを定め、シャッターを押していた。

足の裏の所まで来た。足の指が、やけに長い。ジャイアンは、早速、数えた事よ。一本、二本・・・・・・、確かに10本の指があった。足の裏には、なにやら描かれていた。聞いてみると、螺細工(らでんざいく)で、バラモン教の108の宇宙観が描かれているそうである。見事だ。通路に沿って、大きな瓶が何個も備えてあった、どうやら、賽銭を入れる瓶のようだ。「ネズミ男君よ、信仰の証として、賽銭を入れたら」と、ジャイアンが言うと、「持ち合わせがなあーーーい」と、断られてしまった。そういうジャイアンも、バーツをもっていなかった。他のメンバーが、どうしたかは分からない。

外に出て靴を履いた。外には至る所に仏塔があった。なんでも陶器で出来ているらしい。また、梵鐘や男性のシンボルみたいな丸い塔もある。ヒンズー教の影響も受けているようだ。

無知な、とっちゃん坊や達は、「ほーお、ほう」と感心しながら歩みを進めるのみ。最後の見学地とあらば名残も尽きないが、寺院を後にした。これから、ビュッフェで昼食とのこと。何を食ったか覚えていない。多分、最後のバイキングだったかもしれない。ビールを飲んだことだけは確かだ。

昼食後、同行の2人の男性は、昨日、とっちゃん坊や達が体験した、タイ式マッサージへ行きたいと、係員さんに要望。我々は「行ってきんしゃい」と、快く彼らを送り出した。帰りは、自らホテルへ戻るとのこと。

我々、とっちゃん坊や達の行動予定は如何に?。


2013年02月22日(金) とっちゃん坊や5人衆の旅 (19) 

 今、我々が来ている寺は、ワットアルン(暁の寺)と言い、なんでも、三島由紀夫の小説の舞台となった所らしい。夕日に照らされ、湖面に浮かんでいる様に見えるこの寺院は、よほど美しいに違いない。タイが誇りとする寺の一つだろう。

そういう事もいざ知らず、とっちゃん坊や達は、無造作に中を見て回った。ここには5つの仏塔があるらしい。建築様式も他の寺院と違い、特別のようだ。素人の我々には、どおーーーれも同じように見える。ただ、壁面が陶磁器の破片を貼り付けて出来ていたのが珍しかった。

中央の大仏塔には、階段があった。上の方まで登れるようになっている。そこから見る風景は絶景だそうな。登り口の階段を見た。「ギャオーーーーッ」。上へ行くにつれ階段が急勾配だ。最上段の方は、あわや90度に近い。もちろん階段の横には手すりがある。そこに手をかけて登れば、なんとか行けそうだ。

ネズミ男君が、「おいら山登りをしてきたから、これくらいの勾配は、なんでもない」と言い、先陣を切って上り始めた。ドラえもん君と夜泣き爺さんは腕を組み思案中。結局、身の危険を感じ、登るのを断念したようだ。

のび太君と、ジャイアンはネズミ男君に続いた。二人の同行男性も上ったようだ。さすが、ネズミ男君だ。サルが木に登るように、すいすいと上っていく。僕たちは、息を弾ませながら、そろり、そろりだ。年配のご婦人達も、恐れを知らず、果敢にトライしていた。いやああ、女は強し。改めて実感だ。

やっと、最上階の踊り場に到着だ。塔を一周しながら風景を見た。美しい眺めだ。40〜50メートルは上って来ただろうか?。ドラえもん君達が小さく見えた。のび太君や、ネズミ男君がカメラのシャッターを切ったことは言うまでもない。

さああ、次は、いよいよ下りだ。ネズミ男君、のび太君、ジャイアンの順に下った。最初の第一歩が怖い。命手綱をしっかと掴み、足を無事にコンクリート面に下ろせば、後はその繰り返しだ。それでも怖い。

降りていく途中、気分が悪そうに、危ない足取りで下っている一人の中年女性に目が止まった。日本人ではなさそうだ。この階段は登りよりも下りが厳しいのだ。ジャイアンはすかさず彼女の所へ行き、「大丈夫ですか?」と、右腕を支え、一緒に、ゆっくり、ゆっくり下った。無事に最後の一歩を下ったところで、彼女はいかにも、「ありがたかった」と言わんばかりに、満面の笑みを僕に浮かべた。僕ジャイアンは、「ノー、プロブレム」と言い、彼女を抱きしめようと思ったが、「あまりに大げさか?」と、思いとどまった。

この様子の一部始終を見ていた、とつちゃん坊や達が、「あんた、なにか、やましい事、したんじゃない?」と、笑いながら言う。なんという下劣な発想だ。僕は憤慨しながら、「人命救助だぜ」と言ってのけた。ジャイアンの心は「いいことをした」という気持ちで満たされていた。こういう行動こそ、仏様の教えではないか?。

とっちゃん坊や達の旅には、いつもアバンチュールがついて回る。だから楽しいのだ。出入り口付近に来た。雑貨類の小売店で水のボトルを買う。シャツは汗、びっしょりだ。時間までそこで待つことに。やがて、7名が全員そろった。再び船にゆられて、最初の乗り場に戻った。

続いて、もう一ケ寺、行くらしい。




2013年02月21日(木) とっちゃん坊や5人衆の旅 (18)

 旅3日目。今日がタイランド最後の観光だ。明日は早朝より帰途につく。一抹の寂しさが心をよぎった。とっちゃん坊や達5人と、同行者2人の男性を乗せたバスは、最初の目的地、バンコクの王宮と、その中にあるエメラルド寺院に向かった。三人娘達はまだ療養中のこと。さぞかし残念な思いだろう。

目的地へ着いた。広大な敷地の中に、宮殿と、王室を保護するエメラルド寺院が立ち並んでいる。圧巻という言葉しか見つからない。黄金の仏塔を見ながら中へ進む。この仏塔には仏舎利、すなわちお釈迦様の遺骨が安置されているそうな。

説明用の地図をもらったが、さっぱり分からない。西洋人を含め、観光客がやたらと多い。とっちゃん坊や達は迷子にならないように、互いを確認し合いながら先へ進んだ。

門がいくつもあり、門の前では鬼の像が目を光らせ、中には、大小の経堂やら仏塔が、軒並み狭しと立ち並んでいる。黄金に彩られ、目がまぶしい。仏教寺院、仏教芸術のすばらしさに圧倒されながら、ひたすら進んだ。一つ一つ説明するには能力不足だ。実際に見るしか手立てはない。

宮殿前の広場に来た。ネズミ男君が、何を思ったか、宮殿をバックに僕をカメラに収めるという。恐れ多いことだと思いながら、ちゃっかり応じた。もちろん彼に、お返しのシャッターを切ったことは言うまでもない。宮殿は、ただただ豪華というしかない。

偶然、閲兵の交代式に遭遇。銃を背にのせ行進する様は他国でも見たことがある。一糸乱れぬ行進の美しさは、国を守っているという彼らの心意気をうかがわせた。敬意をもってカメラに収めた。

とっちゃん坊や達は、めまいを感じながら、ここを後にした。特にドラえもん君は灼熱の太陽光線を頭にもろに浴びて、ふらふらの状態だ。やはり帽子は必要なのだ。頑固者の彼。未だかって、帽子をかぶった姿を見たことがない。

車は次の目的地へ我々を運んだ。船乗り場へ案内された。どうも、船に乗って対岸の寺へ行くらしい。既に先客の船が到着し、次は我々が乗る番だ。程なく船内は満客となり、対岸目指してエンジンがかかった。先方岸に、仏塔が見える、なんでも、タイには、幾多の寺院が湖岸にあるそうだ。その一つに今、向かっているわけだ。

湖面を見た。水もやら、廃棄された浮遊物が漂っている。必ずしも、きれいとは言えない。そんな中を船は進む。豪華客船とすれ違った。スピードも速く、設備も良さそうだ。「あちらは、ビジネスクラス、おいどん達はエコノミークラスだぜ」と、いみじくも、ネズミ男君が言った。まさにしかりだ。とっちゃん坊や達は、貧乏旅だからなああーーー。悲しみを癒やすように、海風が頰を優しく吹き抜けた。

10分足らずの乗船だったか?、対岸に到着。我々は、監獄島へ来たような面持ちで中へ進んだ。


2013年02月20日(水) とっちゃん坊や5人衆の旅(17)

 そうそう、気になっていたが、まだ書き忘れていたことがあった。前にさかのぼるが、アユタヤのワットロカヤスタという名前の寺院だったか?。広場があり、その後方に巨大な寝釈迦仏がある。仏の右端には線香鉢が、左手には献花台が備えられていた。

とっちゃん坊や達も、せっかくタイランドまで来たのだから、「合掌礼拝ぐらいはして行こうぜ」と、歩みを進めると、数人の若い現地の女性や、おばさん達が、線香3本と根元を束ねた生花、それに金箔を包んだような紙片を差し出して、何バーツだったか忘れたが、買って欲しいとやって来た。

とっちゃん坊や達は、一も二もなく快く購入。若い女性の先導で、寝釈迦仏の前まで進んだ。最初に線香3本を香鉢に立て、合掌礼拝して旅の安全を祈願した。この時ばかりは、とっちゃん坊や達も真剣だ。礼拝を終えたとき、女性が手招きして寝釈迦仏の後方に案内する。

「ははあーーーん、ぐるっと一回りして帰るんだなあーー」と、ついて行くと、寝釈迦仏の背中付近で立ち止まった。彼女は手に持っている紙片を指さし、自分の頰に触れた。ジャイアンは思った。「そうか、自分の顔に、紙片の中身を貼るんだなあーーーー」と。そうしようと、紙片の中の金箔を、頰にもっていったところ、「そうじゃない。寝釈迦仏の背中に貼るのよ」と、僕の手を取り、仏の背中に貼り付けた。

よく見ると、寝釈迦仏の背中は、あちこち金箔がはげていた。なるほど、金箔で覆い尽くすわけだ。だが、しかし、ばっと、「いつになったら、背中が埋め尽くされるんだろうか?」と、疑問に思えた。何度貼っても、またはがされるのでは?。最後に花を献花台に供え、滞りなく礼拝をすませた。

すがすがしい気持ちだ。そこを去り、敷地内のあちこちを見学して、再び最初の広場へ戻った。何気なく寝釈迦仏の方へ目をやると、な、な、な、なんと、先ほど献花した花がない。「どこ?どこ?、花はどこへ行った?」とあたりを見回すと、なんと、先ほどの女性達が、同じ花を他の旅行者に捌いているではないか。

驚いたが、彼女たちを責める気にはなれなかった。なんとなれば、寝釈迦仏は僕、ジャイアンが捧げた花の香りを、刹那とはいえ十分かいだはずだ。僕の気持ちは既に通じているはずだ。しからば花の残香を他人が捧げて何が悪い。物を大事にするタイ人の心意気でもあり、それを許す寝釈迦仏の恩寵でもあるわけだ。日本では、さすがに、そういう行為は気がとがめるんだが。



2013年02月19日(火) とっちゃん坊や5人衆の旅(16)

今日を入れて3連休だ。一気に仕上げてしまおう。そろそろ、仕事もしなくちゃあーー、おまんまの食い上げだぜ。先を急ごう。

お子ちゃま用ベッドで、ジャイアンは悶々としながら寝た。幾度、目を覚ましたことだろう。のび太君も、ネズミ男君も、気持ち良さそうに眠っている。時折、放たれる、ネズミ男君のいびきが障害だが、「心頭滅却すれば、いびきもまた涼し?」か。

なんと、朝の起床はネズミ男君が一番先だった。さぞかし熟睡したのだろう。次に、ジャイアンが起床。珍しく、ネズミ男君の洗面時間が短かった。彼は僕を見て、にんまりと笑った。ふかふかのセミダブルベッドが、さぞかし良かったのだろう。快眠は体のすべてに好反応を起こすのかも知れない。次にジャイアンが洗面を済ませた。いつものごとく、のび太君が最後に起き、頭の手入れに大わらわだ。髪はないほうが楽だぜ。

さあ、朝食だ。ドラえもん君の部屋をノックしたが返事がない。三人は、ホテルでの最後の朝食に臨んだ。言うまでもなく、バイキング。大皿を持って、いつものごとく料理を物色。「驚き桃の木山椒の木」とはこのことだ。早い時間にもかかわらず、並んている料理が少ない。好物の野菜類はほとんどない。わーい?、なぜ?。時間が早かったので、料理が補充されていないのか?。そんなこともあるまい。

とっちゃん坊や達は仕方なく獲物をついばんだ。程なく、ドラえもん君と、夜泣き爺さんがやってきた。僕ら3人は、先に部屋へ戻る旨を告げ、バイキングとおさらばだ。

部屋に戻り荷物等をかたづけていると、ネズミ男君が、再び洗面所へ立った。「ついに恐れていた物がやってきたか?」と思ったら、その逆だった。腸の中にあった丸い鉄柱が出たらしい。健やかな顔で、「長い一本道だったぜ」と言う。「どうぞ、ごかってに」。

今日はバンコク市内観光の最後の日だ。今まで、あちこちの遺跡をたくさん見てきたが、頭が混線して、ほとんど記憶にない。象さんだけが鮮明に脳に焼き付いている。「ぞうも、済みません」。

とっちゃん坊や達5人は1階ロビーで、迎えの車を待った。時は午前9時。現地係員さんも、今日が最後の務めらしく、すがすがしい顔だ。「手のかからない旅行者達だった」と思っているかもしれない。

バスの中には、昨日と同様、二人の男がいた。三人娘達は今日まで大事を取るらしい。明日の帰りは、台北で合流するようだ。彼女たちには気のどくな旅だったかも知れない。「まだ若いし、これからがあるさ」。慰めの言葉は、それしか見つからない。

例のごとく、とっちゃん坊や達が前の席を占領。渋滞する町中をバスは観光地へ向けて進んだ。今日の出し物は、「王宮、エメラルド寺院、暁の寺、ねはん寺」といった所らしい。



2013年02月18日(月) とっちゃん坊や5人衆の旅(15)

僕たちは案内されるままに、店に入った。1階は満席だ。階段を上り2階へ行くと、ここも満席。よほど人気がある店のようだ。席が空くまでここで待つことに。運良く、6人座れそうなテーブルが空いた。とっちゃん坊や5人がそこに座り、同行の2人が別の席に座った。

いわずもがな、まずビールを注文。乾杯ーーーーーー。旨い。暑いせいもあるだろう。ビールの製造がどこなのか覚えていない。ただし、値は日本より高いようだ。大瓶1本で、180バーツ(540円)から200バーツ(600円)する。日本でなら気になるところだが、こちらではお構いなし。皆、太っ腹だ。

「ゴクゴク」とビールをのどに流し込んだ。程なく、大皿に盛られた料理が運ばれてきた。まずは、丸ごと一匹煮込んだ大魚がテーブルの真中に置かれた。「まさか、ナマズじゃないだろうな?」とジャイアンが言うと、ネズミ男君が「こりゃー、アジか?サバか?ボラか?、なんかばい?」という。皆、大笑いし、結局、名前分からずだ。とっちゃん坊や達は箸で、身をついばんだ。複雑な味だった。

続いて、ゆでた車エビや、シーフードらしき物が色々と出てきたが、本命の「蟹さん」がいない。「どこ?どこ?どこなの?。隠れてないで出ておいで」と叫んでも、それらしき姿は見えない。おそらく、料理の中に混ぜ込んであるのだろう。「蟹が丸ごと一匹出ます」とはメニューに書いてない。蟹の味がするシーフードという事だろう。やや意気消沈だ。

のび太君がカメラのシャッターを料理に向けた。既に食べ荒らした後だ。「あれっ、カメラの方向が違っているぜ」と思ったら、なんと向かい側の席で、こちらを向いて座っている美人の女性に照準を合わせていた。向こうの女性は気付いている様子はない。シャッターが押された。後で、写真を確認したが、目玉が飛び出すほどの美人とは思えじ。好みが違っていてよかったぜ。

のび太君は気に入った被写体があると、何にでもカメラを向ける。カメラ上達の秘訣はそこにもありか?。ネズミ男君以下3名の者は、ただ、「ぼーーーつ」と眺めているだけ。他の観光客がカメラを向けると、それにあやかるだけだ。

蟹もどきシーフード店を出た。外はすっかり暗い。ホテルへ戻ることになった。先に同行者の2人を下ろし、我々も、ホテルへ急いだ。僕にとって今宵のホテルは地獄だ。お子ちゃま用ベッドが待っている。

とりあえず缶ビールを買い込み、昨夜同様、部屋で飲むことになった。マッサージの効果が現れてきた。アルコールが血管を駆け巡る。頃もよく、ネズミ男君がにんまりしながら、「おいらは先に寝るぜ」と言う。小憎らしいネズミだぜ。今宵の配置は、前にも書いたが、左端にネズミ男君、真中に、のび太君。右端に、お子ちゃま用ベッドのジャイアン。「同じ料金を払いながら、この待遇とは如何?」と、ちょっぴり腹も立った。

さあ、明日は旅の最終日だ。ゆっくり寝て明日に備えようと思ったが、ネズミ男君が冷房を切ったため、暑いのなんのって。ジャイアンは布団から片足出して寝た事よ。のび太君は「寝釈迦仏」のごとく、微動だにせず寝ていた。別室の様子は分からない。想像するに、ドラえもん君の「大いびき」か、夜泣き爺さんの「夜泣き節」で、賑やかだったことだろう。


2013年02月17日(日) とっちゃん坊や5人衆の旅(14)

 身も軽く、とっちゃん坊や達は、ホテルを目指した。ホテル内のことは既に文章が前後して記しているので、おおまかに述べる。3人部屋が1503号室、2人部屋が1509号室。のび太君、ネズミ男君、ジャイアンの3名と、ドラえもん君、夜泣き爺さん2名の組み合わせとなった。いつものパターンだ。

3名組はベッド争奪戦をじゃんけんで行い、ジャイアンが敗戦の涙を飲む。お子ちゃま用シングルベッドがジャイアンを待っていた。泣けるぜー。

午後6時半に、現地係員さんが、同行者の5名を乗せて、我々のホテルまで来るという。2日目、夜のディナーへ行く事になっている。なんと、出し物は「蟹カレー付きタイシーフード」と銘打ってある。そろそろバイキングにも飽きていたので、とっちゃん坊や達は大喜びだ。

「今や遅し」とホテルロビーで待機していた。一向に車が来ない。30分を過ぎた。「車が混んでいるんだろう」と思った。1時間が過ぎた。まだ来ない。何かあったんだろうか?。そのとき、夜泣き爺さんを呼び出すフロントの声が。「ええつ、なんでまた、夜泣き爺さんなの?」。皆、いぶかしがった。リーダー、のび太君が「僕が出てみよう。きっと、係員さんからだ」と言い、フロントへ向かった。

のび太君が戻ってきた。「係員さんから、後30分待ってくれ」との伝達。理由は言わなかったらしいが、何かあったのかも知れない。僕たちは、しびれを切らしながら待った。

待ちながら考えた。「なぜ、リーダー、のび太君ではなく、夜泣き爺さんが電話で指名されたのか?」と。考えられる理由は、夜泣き爺さんが長老であり、それなりの分別を持っていると判断されたのだろう。確かに、とっちゃん坊や達の不平不満を押さえるにはそれが一番か?。これも兵法の一つか?。

だが、しかし、ばっと、やはり、リーダー、のび太君を指名するのが正当な道だろう。そのためのリーダーであり信頼もある。姑息な手段は道を誤ることも多い。もともと、とっちゃん坊や達は、田舎者のふうけもんだ。何があろうと、意に介せず、暴れ出すこともない。相手にはそれが分からないから厄介だ。

1時間半を過ぎて、やっと係員さんが迎えに来た。やれやれだぜ。車に乗ると、同行者が既に乗っていた。「ありゃーーー、三人娘達がいない」と、ドラえもん君が言う。よく見ると確かにそうだ。上司らしき男、二人がまじめな顔をして乗っていた。話を聞いてみると、彼女たちの内、二人が体調を崩したとのこと。大事を取って、ホテルで休んでいるとのことだ。

旅に出ると、往々にして、体調を崩すことがある。ネズミ男君が「おいらも、経験済みよ。そりゃあーーもう、歩く便器と言われたぜ。日本に帰ってからも一週間ぐらい体調が悪かった」と言う。どおりで、彼はいつも、正露丸とキャベジンを持っている。僕ジャイアンもその恩恵にあずかっているせいか、すこぶる快調だ。彼女たちは重病ではないとの事で、一応安心した。

ネズミ男君は寂しそうな顔をしていたが、やむを得ない。車は、7人を乗せて、蟹なんとかの、シーフード店へ向かって急いだ 。


2013年02月16日(土) とっちゃん坊や5人衆の旅(13)

僕、ジャイアンは連日、この日記兼備忘録をしたためている。理由は簡単だ。「にっぱち」と言われるように、2月初旬は、仕事が暇であること。更に、2月16日には、旅の反省会として、同行者を含め10人が集まる予定になっている。その時、この旅日記を手渡したいと思っているからだ。

先を急ごう。揉み手の力強い指が、下から上へと徐々に這い上がってくる。時折ストレッチをくわえながら。僕、ジャイアンの長ーーーい足?が、揉み手の、おっぱいに時折、触れそうになる。意識的にではない。いや、そんな時もあったか?。すかさず、「バシーーッ」と、揉み手の平手打ちが飛んでくる。僕は、即「すんませーーん」と謝りを入れる。ネズミ男君の隣にいる夜泣き爺さんから、「おい、なにやってんだ」と、厳しいおしかりの言葉が・・・。寝ているかと思ったら、よく見ているぜ。「なんでもありましぇーーーん」と、僕は素知らぬ顔。

揉み手たちは、よくしゃべり、よく笑っていた。タイ語の会話なので意味は分からない。「変な、おっさん達ねえー」とでも言っているようだった。ドラえもん君は、うつぶせになったとき、いかにも窮屈そうだ。「うおーーーつ」と、うなり、「俺、お腹がでっかいからなあー」と自ら弁明。揉み手は意に介していない様子。のび太君とネズミ男君は相変わらず無言のまま。無言で耐えることを美徳とでも思っているようだ。「素直になれよ」と言ってやりたかったが止めた。騒いでいるのは僕、ジャイアンだけだ。

揉み揉みもクライマックスを過ぎて、最後の段階に。揉み手は背中に回り、肩を揉み始めた。「凝ってますねえーー」と彼女が言う。僕、ジャイアンは「いや、これは筋肉なんだよ」と強がりを。こういう面では僕も素直さがないんだよなあー−。

頭を「ポン、ポン」とたたかれて、マッサージは終了。長かったようで、短かかった2時間。すっかり体が軽くなったようだ。日頃、痛いと思っていた右手と左手の関節付近の筋肉が柔らいだ。絶好調だーー。とにかく、僕、ジャイアンにとっては価値あるマッサージだった。他のメンバー達は、どうだったのかよく分からない。後で、感想を聞くことにした。

ジャイアン以外のメンバー達は、それぞれ、揉み手に、20バーツのチップを渡していた。僕も渡そうと思ったら、揉み手は既に部屋の外。きっと、彼女がリーダーに違いない。一番最初に出て、仲間を待っているわけだ。うんん、どこの社会でも序列はあるのだろう?。僕は服を着替え、最後に部屋を出た。手には既に50バーツのチップが。仲間に見られないように、そっと手渡した。彼女の顔がほころんだ。よく見ると、彼女は美人だ。店一番ってところか。俺って、運がいい男だぜ。

身も軽く、足取りも軽く車に乗った。「どうだった?」と、ジャイアンがメンバーに尋ねると、開口一番、のび太君が、「あれは本式タイマッサージじゃないよ。料金も高いし、ツボを押していないじゃん」と言う。いかにも不満げだ。確かに。本式のマッサージ師は108のツボを勉強しなけりゃ、いけないらしい。相当の努力と訓練が必要だ。その点、今回のマッサージは観光用マッサージだ。「まあ、いいじゃん」と言って慰めた。

僕ジャイアンが「50バーツのチップを払ったぜ」と言うと、今度は、ネズミ男が怒ったような顔をして、「あんた、それはいかんばい。あんたみたいなのが、チップの値を引き上げているんよ。他の人に迷惑ばい」ときた。そうかなあーーー?。僕は「わかんなーーーい」と言い、その場をしのいだ。ドラえもん君と夜泣き爺さんは、腕組みをしたまま、何も語らず。

何はともあれ、皆、それぞれに思いがあるだろう。僕にとっては店一番の美人揉み手に出会えて幸せだった。こう言えば、「そう思っているんは、あんただけばい」と、他のメンバー達は僕を嘲笑するに違いない。だから言わなかった。マッサージ騒動はこれで終わりだ。かくして、とっちゃん坊や達はホテルへ向かうことになる。

備忘録が前後したようだ。 この後、バンコクのホテルへ行くことになる。


2013年02月15日(金) とっちゃん坊や5人衆の旅(12)

現地係員さんがマッサージフロントへ電話を入れた。そろそろ良いとのこと。とっちゃん坊や達は、遠足で引率されるがごとく、係員さんの後ろをついて行った。店内に足を入れると、既に先客達はいない。

程なくして、2階から先客の、じっちゃん、ばっちゃん達が降りてきて、我々の前を通り過ぎた。背筋が「ピーン」と伸び、顔が幾分か赤らみを帯びていた。「血の巡りが良くなったか?。元気いっぱいだぜ」と、笑ったことよ。

さああ、いよいよ我らの番か。とっちゃん坊や達は、リーダー、のび太君を先頭に、ジャイアン、ネズミ男君、夜泣き爺さん、ドラえもん君の順で椅子に腰掛けた。ドラえもん君は、何かにつけて、端っこが好きなようだ 。

じっちゃん、ばっちゃんの後から、4〜5人の若い女性達が現れた。彼女たちは、しばらくたたずみ、順番に我々、一人一人の前に座った。「客選びにも順番があるのかなあーー?」と一瞬思った。なんと、ジャイアンの所に、真っ先に一人の女性が来るではないか?。中肉中背とあらば、一番揉みやすいと思ったのか?。あるいは「金持ちのお坊ちゃま」と思ったのだろうか?。それはないなあーーーー。

それぞれの前に女性がひざまずき、靴と靴下を脱がせ始めた。どうも、最初に足を洗うようだ。水虫あり、汚臭ありの我々の足を清め、マッサージに取りかかるという段取りだ。なされるままに足を清め、2階の揉み室へ案内された。2階の奥まった部屋に、5人分の布団が既に敷かれていた。とっちゃん坊や達は、席に座ったと同じ順番に、布団を占拠した。部屋は薄暗い。

布団に横たわる前に、服を脱いだ。ネズミ男君が、「パンツは脱がなくていいの?」と、今にも脱ぎそうなそぶりで、質問すると、「オー・ノー」と、差し止められた。女性達は、象さんがはいても良いような大きなパンツを差し出し、ウエスト部分を折り返し、細ひもで結びはかせてくれた。これがタイ式パンツだ。スカスカしているが、着心地はよい。

さあ、いよいよマッサージが始まる。とっちゃん坊や達は、現地係員さんの言うとおり、一人1000バーツ(3千円)を既に支払っていた。所要時間2時間である。そうそう、夜泣き爺さんは、マッサージに応ぜず。布団に座り、もっぱら監視役を務めた。「骨が折れては、かなわんからなああーー」と、細い目を更にに細めて笑っていた。いやああーーー、監視付きのマッサージは初めてだ。

2時間という長時間。時間の配分は、左足20分、右足20分、左腕20分。右腕20分、上半身20分、首から上、20分といったところか?。

まず仰向けになり、左足から揉みがはいった。足裏を押されたとき、「あなたの足、汚いわねえーー」と言われてしまった。皆、大笑いだ。「何を隠そう。苦節○○年。野良仕事に精を出し、土を踏み、土に踏まれ、こうなりました」と言ってやりたかったが、弁解は無用か。

時折、骨が「ぎくっ、ぎくっ」と鳴る。ジャイアンは「あ・たたたたーーー」と叫ぶ。僕は正直だ。痛いから痛いんだ。隣の、のび太君が「我慢せにゃあーーー」と声をかける。彼の顔を見ると、眉をしかめて、歯を食いしばっている。ネズミ男君もそうだ。声を出さないだけ、ましかあーー?。夜泣き爺さんの横にいる、ドラえもん君は、時折、「うーーんんん」と、蚊の泣くような声でうなっている由。夜泣き爺さんは、監視役どころか、鼻提灯を膨らまし、ご就寝だ。時折、目を開けて笑っていた。

タイ式マッサージにはストレッチが組み込まれている。従って、ほんわか、ほんわかと揉むような、マッサージではない。まさにアクロバットに近い。必要以上に引っ張り、曲げたり、ひねったり、力を入れて揉んだりする。痛みが走るのは当然だ。いかんせん、とっやん坊や達も、そろそろ老境の域ににさしかかっている。関節や筋肉に、ガタがきているのは否めない。揉みほぐせば、少しは楽になるだろう。そう思いつつ、揉みは進行していく。

残念ながらマッサージの写真は撮れない。


2013年02月14日(木) とっちゃん坊や5人衆の旅(11)

  旅、二日目後半だ。もっと、いろんな所を見てきたように思うが、なにせ、寺院と宮殿みたいな所ばかり。現地係員さんの話を聞いてはいるが、メモするまでには至っていない。従って頭の中は混線している。カメラを撮ることだけに専念。とっちゃん坊や達は、そこだけにしか几帳面さがないのだ。この日記も写真と、ジャイアンの記憶だけが頼りである。

書き落とした所を記しておこう。アユタヤの手前にパンパイン宮殿があった。タイ王室の離宮らしい。それはそれは豪華な豪華な建物だ。庭には、刈り込んだ直物でこしらえた象さんが、立ち並んでいた。「ぞうぞ、こちらへ」と言っているようだ。象はタイ王国、タイ国民の象徴であり、切っても切れない関係。おそらく、この宮殿築造にも、「ぞうぶんな」働きをしたことだろう。

監視員がいる仏間みたいなところに案内された。とっちゃん坊達は、「ハット」を、ハッと取り、スキンヘッド丸出しで中へ進んだ。監視員が「にこっ」と笑い、視線を我らのヘッドに向けた。歓迎のあいさつか?。薄気味悪いぜ・・・。

同行者の3人のお嬢さん達は仏間らしき広間の正面に正座して、緊張した面持ちで写真に収まっていた。ここだけが写真撮影が許されたのだ。あたかも、おひな様のごとし。ネズミ男君の目が、ぎんぎらぎんと輝いていた。一回りして、早々にここを退散した。

まだあちこち行ったように思うが、記憶が前後している。バンコクに話を戻そう。そうそう、同行者5人を彼らのホテルの前で下ろし、我々は、すぐにはホテルに行かなかった。ホテルへ行く前に、本格的タイマッサージを体験すべく、現地係員さんへお願いしたからだ。ジャイアンの提案だが、メンバー達に異論なし。彼らも興味津々である。

渋滞する町中を、車は器用に進んで行く。やっと、とある街角の一角に停車。歩いて数分の所にマッサージ店があった。中に入ると、なんと、既に先客が数名、椅子に腰掛けて待機中だ。よく見ると、日本人の、じっちゃん、ばっちゃん達だ。「へえーーー彼らも、マッサージするんだ」と、一瞬びっくり。

我々は、とりあえず30分程度、違う場所で待たねばならなかった。現地係員さんが、「近くにブランドショップがありますよ」と言う。とりあえず行ってみることに。奥まった隠し部屋に、商品があった。とっちゃん坊や達には興味のないものばかり。早々に退出した。店舗の前に茶飲み場があった。そこで腰掛けて待つことにした。

なんと、そこにも売り物らしい小物が置いてある。何となく手にとって箱の中をのぞくと、面白い物が入っていた。万年筆を大きくしたような、ペンライトだ。スイッチを押すと、色彩豊かなネオンライトに早変わり。要するに万華鏡をライトにしたような物。のび太君の食指が動いた。「はい、2本購入、ありがとうございます。200バーツです」。娘へのお土産らしい。

僕、ジャイアンも1本購入した。目的は如何?。ネズミ男君のためにである。何となれば、スナック等でカラオケを歌うときに必要だからだ。コンサートで、よく若い女性が席を立ち、キャンドルみたいな物を掲げ、横に振っている姿を見かける。ネズミ男君の場合は、それがライターなのだ。ライターを灯し、手を上げて左右に振る。結構、客の笑いを誘う。

そのことを思い出し、この万華鏡風ペンライトの購入を思いついたわけだ。カラオケを歌うとき、このペンライトを渡せば、それはそれは歌も映えるというもの。小憎らしいことに、「そのペンライト、おいらに預けてよ」という。「何、言ってんの」と、ジャイアンはそれを拒んだ。永久に戻ってこない気がするからだ。

ここでビールを買い、飲みながら、いまや遅しと、我らの番を待った。


2013年02月11日(月) とっちゃん坊や5人衆の旅。(7)

薄暗い公園の中を進むと、闇の中にライトアップされた寺院の塔がが見えた。金色色に輝き、そびえ立つ様は、怪しくもあり幻想的だった。もち、カメラを向けたkとは言うまでもない。残念ながら空気がよどんでいるせいか、のび太君も、気に入った写真は撮れなかったようだ。

「明日、また見れますよ」と現地案内人がいう。僕達は、ここを後にして、タイ料理を食すべく移動。車で10分程度の場所にレストランがあった。こざっぱりした店内には、テーブルと椅子が配置してあり、とっちゃん坊や5人と、同行者5人が、別々のテーブルに陣取った。

奥から、タイ人のウエイトレスさん数名が、料理を運んできた。当然のことながら、ビールで乾杯だ。各人大瓶1本ずつを注文。ウエイトレスさんがコップに注いでくれた。いやああー、のどが渇いていたので、旨かった。僕、ジャイアンは事前に仕込んていたタイ語で「コットン・パンツ」、いや違った。「コップン・カップ」と笑顔で言うと、彼女たちはにっこり、ほほえみ返した。タイの女性達は、とても美しい。純朴で親切だ。ネズミ男君はいたく感動。小さな眼を大きく見開いて、即、彼女たちとカメラに収まった。

「花咲く、乙女たちーは、花咲く野辺ーで、ヒナギクの首飾り・・・」。ここで首飾りでもプレゼントすれば、恋の花が咲くこと間違いなし。ただ、いかんせん、ネズミ男君にはそんな裁量なし。

そうそう、書き忘れていたが、こちらは日本と違い、気温30度の真夏日といった感じだ。ホテルで既に夏服に変身。色とりどりのシャツで決め込んだ。半袖で過ごせるとは妙な気分である。ジャンパーを着込んで飛び立った日本での朝が嘘かのようだ。

僕たちは身軽となり、運ばれた夕食に舌鼓を打った。ライスも結構おいしい。皿が空にになると、「お代わりがいるかどうか」と、聞いてくる。僕、ジャイアンはすかさず、手で合図すると、おかわりのライスを皿に盛ってくれた。「サヨリ」のような細い、美しい指をしたウエイトレスさんを、僕、ジャイアンはまじまじと眺めた。

お腹は満腹だ。「あんた、良く食うねえー」と、僕、ジャイアンの顔を見て、ネズミ男君がいう。「あんたには言われたくないなあーー」と言葉を返してやった。皆、満足そうな表情。ここで、僕、ジャイアンは彼女たちに20バーツのチップを手渡した。三人のウエイトレスさんに渡したから、締めて60バーツ、日本円で180円だ。

行く先々で思ったことだが、チップを出すのは、僕、ジャイアンの役目らしい。他の者は、財布のひもが固く、緩む気配がない。まあ、本来、チップを渡さねばならないという規則はないから、必ずしも渡さなくても良いのだが。僕は何かの資料でチップのことを読んだので、極力、渡すように心がけた。もらって喜ばない人はいない。わずかだが、そのチップが彼女たちの生活の一助となれば、いいではないか。彼女たちはたいそう喜んでくれた。僕、ジャイアンは、帰り際、彼女たちと熱い抱擁を交わした。

ドラえもん君が、「それが目的だったんか」と言う。「と・と・とんでもない。僕のスタンスはいつも、そうなんだよ」と言い、照れ笑いした。それより、「あんたたちも、タイ語の一つ二つぐらいは覚えなくちゃ」と切り返してやった。

もちろん、別れの言葉として、「サワディー・カップ」と言って、レストランを後にした。今日の日程はこれで終了だ。後は、ホテルに戻り、寝るなり飲むなりして、タイでの一夜を過ごすことになる。


2013年02月10日(日) とっちゃん坊や5人衆の旅。(10)

おっと、アユタヤを発ち前に、書き忘れていたことがあった。ホテルをチェックアウトしようと廊下に出ると、ベッドメーキングのおばさんが二人いた。早朝よりご苦労様だ。僕たちは、「コップン・カップ(ありがとう)とか、サワディー・カップ(こんにちは)とか、慣れないタイ語で挨拶した。

僕、ジャイアンは、チップ イズ イン ザ ルーム と、通じるか通じないか分からない英語でしゃべると、「にこっ」と笑って、意味を理解したようだ。のび太君が「そんなこと言わなくていいんだよ」と僕を制したが、「チップを出したのはこの僕だ。何が悪い」と、僕、ジャイアンも開き直りだ。彼女たちは、記念撮影に応じてくれた。ちゃっかりしたものよ。のび太君も、にんまり顔をカメラに向けた。最後に手を振って「バイ バイ」。旅行中は生のタイ人と会話することはあまりない。袖振りあうも多少の縁で話してみると楽しいものだ。

そうそう、アユタヤで最後の昼食をとったっけ。ビュッフェへ連れて行かれ、再びバイキングに応じた。ホテルの朝食でたべた内容と、ほとんど同じ。まああ、好きな物を自分で選べるから幸いだ。当然、ここでも、ビールの大瓶、5本を所望。旨い。大皿を手に持ち、幾たびと料理を物色しながら徘徊すること、常のごとし。同行者の5人は、離れた場所fで食していた。「田舎者、とっちゃん坊や達と同類」とみられるのが恥ずかしかったのだろう。分かるぜーーー、その気持ち。

てなわけで、バスに揺られてバンコクへ向かった次第である。象の背で、「ほんわか、ほんわか」と揺られた気分がまだ体に残存していた。とっちゃん坊や達は、お眠りタイムだ。時折、目を開き状況を確認した。おやおや、添乗の現地係員の、お父様も、こっくり、こっくりだ。この炎天下。疲れるのは、我々と一緒だ。後は、若いドライバーのお兄さんの腕次第である。

高速を矢のように車は駆け抜け、やがて、高層ビルが建ち並ぶ地域にやってきた。「いやああああーー、都会だぜ。」とはドラえもん君の弁。僕らは一葉に同意の首を縦に振った。目を覚ました添乗員さんが、「バンコク市内に入りました。これからホテルまで行きます」と告げた。同行者の5人組と、我々、とっちゃん坊や達のホテルは違うようだ。最初に5人組をホテルの前で下ろした。いやああ、立派だ。シャンデリアが輝いているぜ。果たして我々の所はいかに?。彼らは手を振り降りホテルの中へ消えた。、小休憩の後、再び合流することになる。

渋滞する車の波を縫って、ようやく我々もホテルへ到着。うんんん、玄関の面持ちは彼らのホテルに負けていそう。中に入ると、だだっ広いホールの真ん中に、真っ赤な衣装で彩りされた誰かの像が、四角い櫓の中に安置されていた。これが歓迎のシンボルなんだと思った。結構大きなホテルのようだ。旅行者達が、わんさと出入りしている。

僕たちはホールの椅子に座り、部屋の割り当てを待っていた。「おやっつ、」と、目をこらすと、ちょっと離れた椅子に、日本人の団体客が腰掛けた。バッグから、なにやら取り出している模様。よく見ると、な、な、なんと、焼酎のボトルではないか。2本ばかり大事そうに取り出し、仲間に手渡していた。とっちゃん坊や達は、指をくわえ、「ポカーーーーン」と、その様子を眺めているだけ。「日本の免税店で買っておくべきだったか」と改めて反省。

部屋の割り当てが決まった。15階の部屋だ。三人部屋は1503号室。二人部屋は1509号室だった。3人部屋の僕たちは早々に、マイベッドの位置を決めることになった。昨晩は、ネズミ男君が、「お子ちゃまベッド」で我慢したが、「今宵は、おいら、いやだぜ」と、反旗を翻した。よく見ると、昨晩のベッドより、貧弱なものが設置されていた。まさにシングルの超小型版だ。クッションの高さも通常の半分程度しかない。

ネズミ男君が反旗を翻すのもよく分かる。僕たちは、「じゃんけん」で雌雄を決することにした。「最初はグー、じゃんけんぽん」。ジャイアンはグー、後の二人はパー。僕、ジャイアンが敗戦の涙をのんだ。泣きたいぜ−−−−−。ネズミ男君が小躍りして喜んだ。くやしいぜ。「明日はそうはいかないぜ。」と僕、は心に誓った。のび太君は、なにもなかったがごとく、冷静沈着。さすがリーダーだ。

荷物の整理をし、これからの予定遂行のため1階ホールに降りた。


2013年02月09日(土) とっちゃん坊や5人衆の旅。(9)

午前8時半にホテルロビーに集合した。5人ずれの同行者たちも元気な顔を見せていた。なんでも、3人の女性達は海外旅行が初めてらしく、気もそぞろと言った様子。現地係員の手引きで、車に乗り込んだ。席は昨日と同様。のび太君、ネズミ男君、ジャイアンが一番良い席を占拠。誰も、不平不満を言わないので、僕たちは甘えた。現地係員が、「今日はアユタヤの遺跡観光巡りと象乗りを体験をします」という。

まず、僕たちは「ワット」と称する寺院の遺跡をあちこち見て回った。広大な敷地の中に廃墟と化した仏塔や、首がなく胴体だけが残っている無残な仏像。戦争で仏像の首だけが持ち去られたらしい。他にも寝釈迦仏や巨大な木の根に挟まれた仏像の顔など、見るに忍びない光景も多々あった。

タイは小乗の仏教国であり、その90パーセント以上が仏教徒だ。男性は一生に一度は必ず出家しなければならないという。尼僧さんはいないようだ。信仰は厚く、朝夕にお参りする敬虔な人が多いと聞く。日本人も仏教人として見習うべき点も多々ありそうだ。ただ、昨今の経済成長には目を見張るものがあり、結構なことだが、大気汚染の問題、道路等のインフラ整備等、課題はたくさんあるようだ。

戦争がもたらした遺跡は今や、世界遺産として保護されているが、有史以来、人間が行ってきた行為は残虐そのものだ。僕たちはどんな顔で遺跡と対峙したらいいのだろうか?。ただ一つ言えることは、愚かな戦争は繰り返してはならないと言うことだ。そのための警鐘として遺跡をとらえたら、見る価値があるというもの。日本の京都、奈良、国内に散在するお城。そのどれに対しても、単なる観光地としてではなく、人々の血と涙の結晶が今を支えていると言うことを、努々忘れてはいけないだろう。

他のメンバーも、おそらくそう思ったに違いない。話が暗くなった。車は遺跡群を離れ、象の体験試乗の場へやってきた。「象かあーーー。お先にぞうぞ」と、珍しく、夜泣き爺さんが、だじゃれを述べた。いやああ、見るからにでっかい。のび太君は4頭並んでいる象の尻をカメラに納めた。お見事。

僕たちは二人ずつ、象の背中に設けられたボックスに座った。のび太君と僕、ジャイアンがペアを組み。ドラえもん君とネズミ男君が一緒になった。ドラえもん君とジャイアンが組めば、「重いぞう」ということなり、「ぞうも済みません」と謝らねばならない。苦肉の選択だ。夜泣き爺さんが象に乗ったかどうかは定かではない。自分のことで精一杯だからだ。

同行の女の子達も、にっこり笑顔でVサインを送っていた。いやああ、男より女の方が度胸があるぜ。僕たちは10分程度、象の背に乗り、近くを往来した。眺めは抜群。やや、余裕ができて、カメラで他の試乗者達を撮影した。象使いの仲間かどうか知らないが、カメラで僕たちを撮影してくれるという。喜んで依頼した。撮影が終わったとき、マンホールを小さくしたような像のでっかい鼻が、のび太君のヒザに伸びてきて、ヒザをなで回し始めた。「わおーーつ、怖い」と、のび太君はのけぞった。「何事だろう?」と、聞くと、「チップをくれ」との催促だった。じっとりと湿った象の鼻に、のび太君は、おそるおそる20バーツの紙幣を入れた。象は紙幣をしっかとくわえて、象使いに渡した。うまく飼い慣らしたものだ。。

次は僕の番だ。長い鼻が近寄ってきた。僕はポシェットから財布を取り出し、20バーツを鼻に入れようとした。気持ち悪く、早く紙幣を渡そうと、慌てたため、思わず紙幣を地面に落としてしまった。なんと、象は地面の紙幣を鼻で拾い、象使いに渡すではないか。「象もさる者、ひっかく者だ」。恐怖の象試乗体験はこれにて終了。僕たちは「ほんわか、ほんわか」と酒に酔った気分。良い体験ができた。

さ、いよいよ、アユタヤを後にする。さらばアユタヤよ。象さんよ。車は一路バンコクを目指した。


2013年02月08日(金) とっちゃん坊や5人衆の旅。(8)

ホテルに戻り、何か飲み物が欲しいと言うことで、現地にある7イレブンで買い物だ。焼酎、酒といった類いはなかった。とりあえず缶ビールを5本買い、つまみを物色した。大きな袋にはいった菓子らしき物を購入。我々の部屋へ5人がそろい、再び乾杯だ。つまみの袋を開けたら、なんと、あんこが入ったような駄菓子。「これじゃあーー、あばかんでーーー」と、ドラえもん君が日本で買っていたという、豆類の入った袋を部屋から持ってきた。さすが、ドラえもん君だ。伊達にお腹が大きいわけではない。

缶ビールを飲み干したら、今日の疲れが「どーーーーつ」とやってきた。明日は6時に朝食に行こうと言うことで解散。「早く寝たが勝ちばい」と、ネズミ男君は早々にベッドイン。僕たちも、ベッドに横になった。いろんな想いが脳裏を駆け巡った。いつしか深い眠りに落ちたようだ。

朝5時に起床。僕が一番乗りだ。早々に洗面を済ませ、身支度をした。そうこうするうちに、ネズミ男君が起きてきた。「あんた、昨夜は、あんまり、いびきをかいていなかったぜ」という。それもそうだろう。早く寝た人にはわかるまい。「あんたのいびきで、僕が寝れんかったぜ」と言ってやった。

ネズミ男君が洗面に入った。のび太君もようやく起床だ。なかなか、ネズミ男君が洗面所から出てこない。のび太君が、しびれを切らして、「まだなの?」とおらぶ。中から、「ちょっと待って」という返事が。ネズミ男君は、胃腸があまり強くないようだ。いつも、キャベジンと正露丸を用意している。僕、ジャイアンもたびたび、その恩恵にあずかっているわけだが。

ようやく、ネズミ男君が浮かぬ顔をして出てきた。「どうだったの?」と、のび太君が問う。「でんかったぜ」と彼は仏頂面しながら応えた。「旅の途中でおとせばいいじゃん」と、僕ジャイアンが言うと、「やめてよー」と、ふぃきげんな顔になった。

のび太君も、結構、洗面時間が長い。彼の場合は、風前の灯火となった御髪の手入れに時間をとるようだ。髪をなでつけ、中央部分に髪を寄せるのが至難の業。風が吹いても乱れぬように、何かで固定しているようだ。「いっそのこと、スキンヘッドにしたがましだぜ」と、ネズミ男君が言い。笑った事よ。

なんと、ネズミ男君は日本を飛び立つ前に、散髪屋へ行き、わずかに残っている後頭部分の髪を、450円でそり上げていた。見るからに大僧正の面影をただよわせていた。ドラえもん君と夜泣き爺さんは、すでにスキンヘッド。お構いなしだ。

ようやく、皆、準備ができた。ドラえもん君達の部屋をノックすれど、返事なし。夜泣き爺さんの夜泣きで眠れなかったか?。さもなくば、足の甲の痛みが、まだ尾を引いていて、休めているのか?。先に、食事に出かけたか、定かではない。

僕たちは、階下の食堂に赴いた。結構、人がいた。よく見ると、日本人の観光客が大半だ。初老の夫婦ずれ。どこかの団体。ちらほらと、西洋の観光客もいた。ドラえもん君と、夜泣き爺さんは、まだ来ていないようだ。朝食はバイキング。僕たちは、中央に配置された料理の数々を皿に盛った。各種野菜あり、果物あり、ソーセージあり、チャーハンあり、汁物あり、結構、バラエティーに富んでいた。胃腸が芳しくないにもかかわらず、ネズミ男君の食欲は旺盛だ。僕、ジャイアンも何度も席を立ち、美味そうな物を物色し、皿に放り込んだ。ちょっと、人の目が気になったが・・・。ほどなく、ドラえもん君と夜泣き爺さんが登場。何事もなかったように、淡々と、料理にぱくついていた。

食事の後は部屋に戻り、集合時間まで待機だ。早速、正露丸を服用。今日も元気でゴー・ゴーだ。


2013年02月06日(水) とっちゃん坊や5人衆の旅。(6)

僕たちは20名は乗れそうなマイクロバスに乗車した。運転席の真後ろに、ネズミ男君、真ん中に、のび太くん。左端にジャイアンの3名が座った。前方が見渡せて一番良い席だ。我々の後ろに、ドラえもん君と、夜泣き爺さんの二人。同行者の5人は、後部座席に陣取った。いくら親しくなったとはいえ、まだ「おい、おまえ、あんた、○○ちゃん」とは言えない。グループは自ずから、固まりやすいものだ。

さてと、我々10名を乗せたマイクロバスは、まず、アユタヤという歴史の町まで行くらしい。高速で1時間半。正直、「乗り物は、もうごめん」と言いたいが、そういう訳にもいかない。日本では真っ暗だが、現地はまだ明るい。車窓から外を見た。車が走り出すと、「わおーーーーつ」と、皆、びっくり仰天だ。車だらけ。渋滞がどこまでも続く。人はあまり見かけない、車が人みたいなものだ。車線が何車線とあり、ちょっと隙間ができると、右から、左から車が割り込んでくる。まさに一触即発の状態だ。さらに、その車の間隙を縫って二人乗りのバイクが縦横無尽に走り回る。「ネズミがちょろちょろしているみたいだ」と、ネズミ男君が自ら言葉を発した。「おおおーーつ、危ない」と何度、声をあげたことか。

途中から高速に乗り、田舎方面を目指して、車は走った。幾分、渋滞は緩和されたかに見えたが、それでも、幾度となく車線変更を繰り返しながら、抜いたり抜かれたりのチキンレースのごとく車は進んでいく。ドライバーのテクニックもさるものだ。「僕たちは、この地では到底、運転できないなあーー」と、のび太くんが言う。いかにも、しかりだ。

緊張感の為か、時間のたつのを忘れ、車窓に釘付けだ。予定通り、アユタヤの町に入った。どこに町があるのかと思うくらい、何にもない。人さえいない。それもそうだろう。あちこちに無数の寺院があるだけなら、静かなのもうなずける。現地係員が「まず、ホテルへチェックインします。ここでは一番良いホテルです」という。過去、ホテルには随分、泣かされてきたので、現場係員の説明を、言葉通りには信じられなかった。

ホテルに到着した。いやあああ、外見はなかなかのものだ。とっちゃん坊や達5人には、5階の二部屋があてがわれた。ドラえもん君と夜泣き爺さんがペアとなり、後の3人が一緒の部屋だ。過去のほとんどが、このパターンである。三人一緒となれば、いつもベッド争奪戦が始まる。本来、二つしか置かれていないベッドに、急遽、「お子ちゃま用」と言って相応しい小さなベッドが、右端にあしらわれていた。問題は誰がそこへ寝るかだ。

第一夜目。特に案ずることもなかった。ネズミ男君が率先して「おいらが、お子ちゃま用に寝るよ」という。決まりだ。のび太君を真ん中に、僕、ジャイアンが左端だ。要は、いびき公害をいかに排除するかだ。ネズミ男君はジャイアンから、極力、離れた場所に陣取りたかったのだろう。それは、ジャイアントとて同様だ。

ひとしきり、荷物を整理し、1階のロビーに降りた。今宵の日程は、ライトアップされた遺跡の見学とタイ料理の夕食だ。10名そろったところで、バスは薄暗くなった町を走った。のび太君、ネズミ男君、それに僕、ジャイアンは首からカメラをぶら下げて、芸術的作品を撮ろうと、シャッターの機をうかがっていた、



2013年02月05日(火) とっちゃん坊や5人衆の旅。(5)

機が飛び立った。いよいよ4時間弱のフライトで目的地へ着く。いつも思うが、移動に時間がかかりすぎる。しかも、狭い椅子に長時間拘束されるのはつらい。「ドラえもん君、お願いだから、お腹からタケコプターをだしてちょうだい。それで、大空を羽ばたこうぜ」と言いたいが、所詮、無理な願望。

まあ、じっと我慢の子でいるしかない。機内の人たちは、それぞれ、ビデオを見たり、本を読んだり、眠ったりしていた。僕、ジャイアンも腕組みし、目を閉じた。のび太君は既に、おねんねタイムだ。雑念が、次から次へと脳裏を駆け抜ける。「メーテルよ、今いずこ?。鉄郎には機械の体なんていらないや。故郷は遠くにて思うもの。故郷に帰らばや。・・・・・等、等」。訳の分からないことばかりが脳裏を走る。

昔、座禅をしたとき、偉い坊さんから、「雑念は流れるままに流しておけば良い。いつしか、雑念は消え、清らかな澄み切った心だけが脳裏を支配するようになる」と聞いたことがある。「そんなもんかなあーーー?」と、僕も姿勢を正し、瞑想にふけった。今はこれがとるべき最善の方法だ。

どれくらい時間がたったのだろう?。瞑想がいつの間にか睡眠に変わっていた。「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん」と、大五郎をのせたような荷車の音が聞こえた。「子ずれ狼がやってきたか?」と、ここで僕の睡眠が中断した。飯タイムである。定番の弁当を受け取る。変わり映えしない中身だが、きれいに平らげた。

睡魔は既に遠ざかっていた。のび太君も食事を終え、ごそごそやっている。ドラえもん君は、相変わらずイヤホンをつけ、腕組みしながら音楽か、なにかを聞いているようだ。夜泣き爺さんと、ねずみ男君は、ドラえもん君のでっかい体が邪魔して、何をしているのか定かではない。

僕、ジャイアンは画面でフライトの航跡を追っていた。「もうすぐだぜ」と、のび太君が言う。僕は、「だなあーー」とほほえんだ。機体が滑るように着陸した。揺れなし。機内の窓から外を見た。だだっ広い平地に、色とりどりの機体がたたずんでいた。空はどんよりと曇り空。視界がぼんやりとし、空気が汚れているなあーーと感じた。

機体が停止するやいなや、慌て者の、ねずみ男君がボックスから荷物を下ろし始めた。僕たちも右習えだ。遅れをとるまじと、先行の人たちの後を追った。いやあああ、なんと長い通路だろうか。いくつかの動く歩道を利用した。ドラえもん君だけが、その健脚を披露しながら、動かない通路をテクテク歩いていた。彼らしいぜ。

入国手続きの窓口に到着。機内で書いていた入国の書類とパスポートを提示。さあああ、行くべーーーー。まずは、現地係員を探さねばならない。すぐ見つかった。小さな旗をかかげた初老の男性が立っていた。なんと、彼の周りに5人の男女がいた。男性2人、女性3人である。彼らがとっちゃん坊や達の同行者か?。男性2人は堅物、生真面目そうな壮年。女性達は20代後半から30代前半といったところか?「話が違うじゃん」と、夜泣き爺さんが言う。「たまには手違いもありまっせ」とジャイアンが言う。

すかさず、リーダー、のび太君が彼らに声をかけた。「君たちも同じツアーの人達?」と。一人の女性が「はい。そうです」と応えた。「どこの出身?」と、聞くと、な・な・な・な・んと、僕たちと、同県の人達ばかりだ。さらに、同市の人までいた。皆、隣保班かあーーー。驚いたぜえーー。さらに驚くことは、彼らはこの旅行を企画した会社の従業員らしい。海外旅行の企画が浅いため、現地視察が一つの目的なのかも知れない。女性達は皆、人なっこい、かわいい面立ちだ。ねずみ男君は、細い目をさらに細め喜んでいるよし。皆、瞬く間に打ち解けた。さあ、いよいよ、タイランド観光が始まる。まずは現地案内人が手配したバスまで直行だ。





2013年02月04日(月) とっちゃん坊や5人衆の旅。(4)

台北へ降り立った。この地へは昔、来たことがあったが、ほとんど記憶に残っていない。皆も同じようだ。ただ、ねずみ男君だけが、いかにも懐かしそうに、あちこちに目を走らせていた。ネズミだからなあーーー、それもうなずける。

僕たちは、まず乗り換えのゲートを探さねばならない。搭乗する前に、案内カウンターで一応、説明を聞いていたが、なにせ広いのでよく分からない。とりあえず人の流れに沿って行けば、それらしき所へつくだろうと、安易な気持ちでテクテク歩いていた。人が三三五五と散っていく。ここで降りる人もいるからだ。人の波がまばらになった。「ありゃー、間違ったかなあー?」と、のび太君がいう。僕たちは地図をのぞき込んだ。「えーーーと、ここはどこ?、あなたは誰?」。これじゃー拉致があかない。

近くに人がいる窓口があった。ジャイアンが、そこで尋ねると、なんと行き過ぎていた。戻ろうとしたとき、一人の青年が、「入り口はあちらの方ですよ」と言って、僕たちを先導してくれた。人の親切はありがたいものだ。

迷路みたいな通路を通り、ようやく免税店の入り口付近に到着。その前に、ここで、荷物等の再審査だ。「またかあーーー」と思ったが、背に腹は変えられぬ。なれた手つきで、検査に応じた。ねずみ男君も、今回は靴の、おとがめはなく、すんなりパスだ。彼は、にんまりと笑った。なんと、僕、ジャイアンに、「ジーパンのベルトをとりなさい」との指摘が。まあ、これは仕方がない。ベルトをとっても、ジーパンが下に落ちることもない。ベルトの再装着が面倒なだけだ。素直に従って、パスだ。

搭乗までには、まだ2時間近くあった。集合場所を確認し合い、「とりあえず、免税店を散策しよう」ということになった。特に買いたい物はなし。ただ、ねずみ男君は、大連で購入し、毎日飲用している「一葉茶」が欲しかったようだ。各店舗内を見て回ったが、該当する物なし。

なんでも、この茶を飲んでいるせいか、血糖値が大幅に改善されたと言う。病院の先生も驚き、「ずいぶん、摂生されていますね」と言ったらしい。一葉茶を飲んでいるとは先生には言わなかったようだ。このあたりが、ちゃっかりしているぜ。まあ、彼の秘密兵器ってところか?。

実は僕、ジャイアンも人の言葉に左右されやすく、最近、飲み出した。同じく、大連で購入していたが、ほったらかしだった。彼の言葉を聞き、右ならえだ。いやああああーーー、苦いのなんのって。眉をしかめて飲まなくちゃならない。「紅茶で割って飲めば、飲みやすいよ」とねずみ男君が言う。「ふーーーん、そうかなあーー?」と、僕ジャイアンは否定的な見解。ネットで調べたが、確かに効能はありそうだ。

歩き疲れたので、集合場所で待機することにした。他のメンバーも既に集まっていた。すっかり忘れていたが、「5人の乙女達はいるのかしら?」と、周りを見渡せど、それらしき影なし。「大丈夫、目的地へ着けば、ちゃんといるよ」と、のび太君が言う。夜泣き爺さんは首を横に振り、「娑婆はそんなに甘くはない」と言いたげだ。僕たちは椅子に腰掛け、人の往来に目をやるだけ。

ドラえもん君が携帯で日本の知人へ電話をかけた。ビジネスで、気がかりな事があったのだろう。「大丈夫だった」と、大きな顔をほころばせながら言った。その後、携帯を持参していなかった僕へ、携帯をかけるなら、「貸したるでえーーー」と言う。僕、ジャイアンは、「そう?」と言って喜んだが、なんと、「1分、150円」と言い、グローブみたいな手を差し出した。これにはまいったぜ。友人のよしみで「ロハ」かと思ったが、この辺は、よく言えば堅実。悪く言えば「ケチ」だ。秒読みの中で僕、ジャイアンは家へ電話した。「なんにもなーし」。一安心だ。電話が終わるやいなや、「いつでも貸したるでーーー。1分、150円だ」と、ドラえもん君が追い打ちをかけた。僕、ジャイアンは苦笑しながら、「ありがてえー」と言ったことよ。

30分m前、いよいよ搭乗の扉が開いた。目的地、タイランドまで4時間近くのフライトとなる。僕たちは、遅れをとるまいと、前列に並んだ。席番号は最初の搭乗より、やや改善されたと言うか?、28番の番号が記されていた。横一列、A・B・D・E・Fは前と同様。ドラえもん君へ配慮から、再び席替えを敢行。退屈なフライトが始まった。







2013年02月03日(日) とっちゃん坊や5人衆の旅。(3)

「今日も行こうぜ。ゴー、ゴー」。ねずみ男君の言葉ではないが、僕も先を急ごう。記憶が定かでなくなるからだ。

おっと、そうそう、忘れていた。荷物検査の後に、パスポート検査があった。いわゆる人物検査だ。一人、一人、検査官の前に進み、パスポートを提示する。検査官は「じろっ」と、本人の顔に一瞥を投げ、パスポートの写真とチェックする。僕達、とっちゃん坊や達は4人が、「はげちゃびん」だったので、驚いたことだろう。おまけに、「にこっ」と笑われると、検察官も気持ち悪かっただろう。のび太君だけが風前の灯火となった髪を残存していた。年数がたつと顔も変形し、よく見ないと、判別がつかない。その点、はげちゃびんには髪型がないから判別もしやすい。滞りなくみんな即時、釈放だ。

僕たちは「マイ・チェアー」を目指して機内を進んだ。34番F席。最後尾に近いセンターの右から2番目。席としては、あまり良くない。「人相の悪い輩は、後方に押しやられるのかなあー」と、僕、ジャイアンが言うと、ドラえもん君が、「後方が安全なんだよ」と、フォローした。真偽はよく分からないが、ごもっともです。

とっちゃん坊や達は、A・ B から始まり、CがなくD・E・Fと横一列に並んだ。急にドラえもん君が「席を替わって欲しい」という。要するに体がでっかいから、通路側に座りたかったのだろう。皆、快く了承し、僕、ジャイアンは
A席の、のび太君の隣、B席となり、Dがドラえもん君、Eに、夜泣き爺さん、Fが、ネズミ男君になった。幸いなことにGは、空席だった。

30分程度遅れ、機は飛び立った。「さらば母国よーーーー」。機内は満席に近かった。早朝からの出立だったので皆、疲れていたようだ。いつしか、「こっくり、こっくり」と。どれくらいの時間がたったのか、キャビンクルーのお姉様達が、飲み物を運んできた。ジャイアンは、うつろな目で、背の高いクルーのお姉様の美しい顔を眺めながら、ジュースを所望。のび太君は、まだ治癒していないらしい「ぜんそく」の薬を飲むため、水を所望。他の者は、それぞれ何かを頼んでいたようだ。

僕たちは再び睡魔に襲われた。しばらくすると、「カラン・コロン、カラン・コロン」と、四谷怪談の下駄の音にも似た、荷車がやってきて、機内食の時間と相成った。「チキン、オア、ソバ」と聞くので、「えええつ、ソバがあるの?」と、僕たちは一瞬たじろぎ、「ソバ」に決定。盆に乗った幕内弁当みたいな物が手渡された。中を見ると、丸いパン1個と、バター。封印してあるライス。野菜に果物、お菓子といったメニューだ。「ソバ」ほ、どこ?どこ?と、封印されたライスのふたを開くと、長いソバは見当たらない。要するに、ソバを混ぜ込んだ、ソバライスだったわけだ。まあ、鶏飯よりはましか?。きれいに平らげた。食事後の飲み物はコーヒーに決定。

食事の後は、前席の背に設置されているアンドロイドのような画面を指タッチしながら、映画鑑賞だ。イヤホンで音声を聞いたが今ひとつ。何を言っているのか良く聞き取れなかった。映画鑑賞をやめて、刻一刻と変化するフライトの様子を眺めた。「もうすぐだぜ」と、のび太君が言った。画面は、まもなく到着する航跡を描いていた。時計の針はやがて2時間半になろうかという痕跡を刻んでいた。

いよいよ中継点、台北に到着だ。車輪が滑走路に届いた。ガタゴトガタゴトと音がし、機体が揺れた。ねずみ男君が「わおーーーーつ」と叫んだ。気の弱いジャイアンは、のび太君の袖につかまった。ドラえもん君は腕組みをしながら瞑想にふけっているよし。夜泣き爺さんは、まだ夜ではないので、泣いている様子はない。平然としていた。道のりはまだ長い。元気でゴー・ゴーだ。

















2013年02月02日(土) とっちゃん坊や5人衆の旅。(2)

田舎の駅を午前6時28分に特急電車が出発。午前7時頃に目的の駅へ到着。ここから地下鉄に乗り換え飛行場まで。ドラえもん君は大股で、急ぎばやに淡々と歩く。いつもの癖だ。スニーカーの履き心地が良いせいか?。僕たちはその後を、ガタゴトガタゴトと荷車を引っ張りながら従う。乗車券販売機に到着。何を思ったか、ねずみ男君が、僕、ジャイアンの分まで購入してくれた。「そうかあーー、小銭達を娑婆世界へ早く出したかったのだろう。まてよ、後が怖いなあーー」と思ったことだ。

10分足らずでエアポートに到着。ここから、シャトルバスに乗り換え、国際線ターミナルまで行く。いつものパターンだ。集合時間は午前8時10分。何でも、今回の旅は我ら、とっちゃん坊や達5名と、他に5名の同行者がいるらしい。しかも、5名とも女性らしい。この情報に、ねずみ男君の心がいたく騒いだようだ。それもそうだろう。優しい女性達なら、恋の花が咲くやも知れぬ。昔、女性にだまされて以来、うん十年、女性不信で過ごしてきた。この機会に、桜の花が開花するがごとく、彼の心も一気に開花するかも知れない。「うんんん、わかんなーーい」どうなることか先が読めない。怖いぜえーーーーーー。

長老、夜泣き爺さんが珍しく口火を切った。「マンツーマンで楽しい旅になりそう。ウッシッシシー」と、顔をほころばせた。皆、同意の首を縦に振った。「さーーて、どこに、愛しき人たちがいるのやら?」と、あたりを見回せど姿が見えじ。2〜3人のギャル風女性達や、おばん達はいるが、5人連れではない。「情報源は誰だあーーー?」と、夜泣き爺さんが眉をつり上げながら言う。ドラえもん君が僕、ジャイアンを指さした。目が笑っていた。「もう、先に手続きを済ませたのかもよ」と、僕、ジャイアンは苦虫をつぶしたような顔で応えた。

集合カウンターで説明を聞き、「そのうち、遭遇するよ。まずは搭乗券入手だ」と、リーダー、のび太君が言う。しかりだ。簡単な荷物検査を終え、搭乗券が発行された。まだ、時間があったので、3階のレストランで、朝食をとることに。定番のコースだ。機内食があるので、軽めの食事とあいなった。もち、ビールで乾杯だ。いやあーーーー、旨い。五臓六腑にアルコールが染み渡った。

「さーーーて、最初の関門で、良否の判断を仰ごう」と、まずは本格的荷物検査に及んだ。帽子、腕時計、腰巻ポシェット、上着、カメラ等をかごに入れ、身も軽く、鬼の番人が待つゲートをくぐった。な、な、なんと僕、ジャイアンの時、子守歌のようなメロディーが流れた。ジーパンのベルト止め口が金属製だったので、機械が反応したのだろう。僕にとっては想定内だ。係員の女性が探知機で僕の体に触れ始めた。僕はすかさず、ベルトが見えるように、シャツを上へ引き上げた。旨そうな純白のボディーが露出。それを見た女性係員が、「はい、結構」と顔を赤らめながら言った。刺激が強過ぎたかあーー。

僕、ジャイアンはそれで済んだ。のび太君、ドラえもん君、夜泣き爺さんは、なんなく関門を通過。ただ、ねずみ男君は、何かでトラブったようだ。後で、話を聞くと、「おいらは、靴を脱げと言われたぜ」と言う。さもありなん。怪しく輝く真っ黒の靴は、「何か不自然」と係員が思ったのだろう。普通、旅には新調した革靴なんて履かないものだ。と、同時にゲートをくぐるとき、彼の目が靴に動いたのだろう。「さよならの唇が何か言おうとしている」なら良いが、目が何か言おうとしていたのだ。係員はそこを見逃さなかった。ねずみ男君は体のみならず、目まで「ちょろちょろ」するから、いけないんだ。出てきた彼は、「極めて不愉快」といった顔をしていた。皆で笑った事よ。

免税店で酒や焼酎を買うかどうか相談した。持ち込みは不可能ではないが、「乗り継ぎ地で、引っかかる可能性がある」と、販売員に言われ、断念。後で、買っとけばよかったと、後悔した。

さあ、いよいよ機内へ乗り込む事になる。搭乗券とパスポート拝見の、お姉様に笑顔を注ぎ、長ーーーい通路を手荷物を引きずりながら、マイチェアを目指して進んだ。













2013年02月01日(金) とっちゃん坊や5人衆の旅。(1)

僕たち、とっちゃん坊や5人衆の旅が始まった。前夜は眠れないこと常のごとし。早朝4時に起床。ねずみ男君がモーニングコールを要求していたので、テルを入れると、既に起きていた。5時半までに我が家へ来ることになっていた。外はまだ真っ暗だ。タクシーをチャーターしていたので、ドラえもん君と夜泣き爺さんを拾い4人で駅へ向かう。のび太君は直接、駅へ向かい合流するとのこと。

ねずみ男君の出で立ちは、真っ赤なジャンパーに白っぽいパンツをはいていた。真っ赤なジャンパーは、かって「よく似合うぜ」と褒めちぎっていたので、その言葉にあやかったのだろう。迷子になることがないから安心だ。また、900円で購入したという、ぴかぴかの皮靴を履いていた。これが、とんだ災難になるとは、その時、誰も思わじ。機内持ち込みOKのコロコロケースを引きずりながら、にんまり顔だ。

ドラえもん君は大きなお腹を隠せる黒のジャンパーと黒のズボンで身を包んでいた。リュックを背負い、手には小さめのバッグを所有。足の甲が高いので、靴ではなく、サンダルを履いて行きたかったそうだ。歩くのが楽らしい。それでは、周りの人たちが怪訝な顔をし、誰も寄りつかないだろう。また、サンダルで飛行機に乗った人を見たことがない。搭乗禁止になるやもしれぬ。やむなく、スニーカーにしたようだ。足の痛みに耐えられないなら、「得意の魔法で、お腹のガラクタの中からサンダルを適宜、出せばいいじゃん」と言うと、「むすっ」として顔を背けた。「怒らない、怒らない」とねずみ男君がなだめる。

夜泣き爺さんは、まあ、四人の中では一番まともな出で立ちだ。野球好きのせいか、頭にはキャップをかぶり、背中には、ドラえもん君と同じようなリュックを背負っていた。確かにリュックは便利だ。なんと言っても両手が使える。長老と言うこともあり、優しそうな目でほくそ笑んでいた。まあ、この目が曲者といえば、曲者か?。時折、厳しい言葉が飛んでくる。あまたの経験を積んだ長老の言葉には素直に従っていたほうが無難だ。

4人目の僕、ジャイアン。都会風のわがまま坊やを彷彿とさせる、センスの良い出で立ち。アクセサリーを施してある、ふわふわの白いジャンパーで身を包んだ。頭には笑うセールスマン、目黒福蔵もどきハットをかぶっている。若い女性達が、「ハッ」と振り向いている気配を感じるが、視線を注ぐと、なんと山姥風おばあちゃん達の、にこにこ顔が見えまーーーーす。やんなちゃうぜ。

最後に、旅のリーダー、のび太君だ。電車の発車5分前に合流。電話で切符の購入を依頼されていたので、無事に乗車できた。皮のジャンパーを見事に着こなし、センスは抜群。薄くなったとはいえ、頭にはまだ毛がある。あとの4人は、「はげちゃびん」揃い。堂々とでっかい頭をさらしているのは、ドラえもん君だけだ。どうも、帽子が嫌いらしい。旅行用の大きなトランクを引きずっていた。もち、首には高級なカメラをぶら下げている。いつもの事だ。前回の旅では、このカメラの取り替え用レンズをコンクリートの床に落とし悔やんでいたが、保険で賄えたので、ほっとしたようだ。そのせいか、カメラの扱いには極めて慎重。分かるぜ−ー。


そうそう、臆面もなく首からカメラをぶら下げているのは、のび太君のみならず、ねずみ男君、そして僕、ジャイアンも同様だ。三人そろって、「三馬鹿大将」のごとし。カメラの腕は、やはり、価格の順か?。のび太君を筆頭に、ねずみ男君、ジャイアンになる。ドラえもん君と夜泣き爺さんは、カメラにはたいした興味がないらしく、デジカメで、気になったところだけを、こそこそとシャッターを切っていたようだ。その方が賢明か。のび太君は数百枚、ねずみ男君を負けじ劣らず、百枚以上を撮影。ジャイアンは百枚以下だ。

「さあ行くでえーーー」と気負いながら、始発の特急電車に乗り込んだ。早朝だったので、席はガラガラ。前回の旅では、電車のトラブルがあり、飛行機に乗り遅れるかもしれないと気をもんだが、今回は順調な滑り出しとなった。とっちゃん坊や達の心は既に、まだ見ぬ地への期待と不安が交錯しているようだった。





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