umityanの日記
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2012年01月31日(火) 「夜泣き爺さん」、目の手術。

今日は、夕方から、「夜泣きじいさん」の入院見舞いに行く。誰もが一度は経験する簡単な目の手術。入退院が面倒なので、しばらく入院のまま、時間をおいて、片目ずつ処理するらしい。てなわけで、退院する前に見舞おうというわけだ。

彼は旅仲間の一人。最高齢の大親分である。「夜泣きじいさん」という名前は僕、ジャイアンが命名した。ドラえもん君が後見人になっている。身寄りがないため、一人暮らしだ。他に、のび太君、ネズミ男君が加わり、4名での見舞いとなる。見舞い後4人で一杯やろうという公算。グッドアイディア。

「夜泣きじいさん」とは、ベトナム、韓国、そして昨年はワイナリーツアーということで、近県のあちこちを旅した。国内でのドライバーは彼だ。7人乗りのワゴン車を所有していた。いつも、ドラえもん君が助手席に座り、あれこれと指示をする。「じいさん、そっちじゃない。スピード落として、落として・・・」。うるさい小姑だぜ。僕等は後部座席に座り、「わいわい」言いながら缶ビールで舌鼓。「じいさん」は「車を降りたら飲むでーーー」と眉間にしわを寄せること常のごとし。

ところが、昨年、ワイナリーに向かう途中、車にトラブルが発生。高速を降りたところで、車のフロント部分から煙が。オーバーヒートか?。幸い近くに修理工場があり、そこへ、車を預けることに。僕、ジャイアンは仕事の都合で、後から合流することになっていた。足が無くなった彼らは、バスや電車を乗り継いで、やっと、目的地までたどり着いたそうな。僕に「早く来い、早く来い」と言うので、何事かと思ったら、車がトラブったとのことで、僕は、あたふたと現地へ向かった。以後は僕の車での移動となった。

獣道みたいな山道を通り抜け、のび太君紹介の別荘地へたどり着いた。コウモリ男や、バンパイアが出そうな古びた屋敷。「今日はここで宿泊かあーー」。緊張の面持ちで面々、中へ入った。板張りと、畳敷きが施してあり、天井が高く、広い空間を醸し出していた。もち、温泉も引いてあった。

僕たちは、いつものごとく、持ち込みの焼酎やワインで気勢を上げたことは言うまでもない。「さああーーーいよいよ寝るか?」と言うことになり、押し入れから、めいめい布団を取り出した。布団はおびただしく積み上げられていた。結構、宿泊客も多いのだろう。

夜泣きじいさんとドラえもん君は、奥まったところにある別室へ。ホテルでも二人はいつも一緒だ。親子ならぬ、ホモ達ってところか?。いつぞや、ぐてんぐてんに酔っ払ったドラえもん君を部屋まで運ぶのに苦労した思い出がある。まさに「トド」だ。彼は「覚えていない」と言う。酔っ払ったときは、夜泣き爺さんが、ドラえもん君の後見人である。一体、どうなってんの?。今宵は如何に?。

それはさておき、のび太君と、ネズミ男君と、僕ジャイアンの三人は、二十畳はあるかと思われる畳の部屋で相寝だ。寝る配置はいつも決まっている。のび太君を真ん中に、ネズミ男君が左。ジャイアンが右である。部屋が広いので、布団と布団の間隔が結構取れるので幸いだ。雷のごとき、ネズミ男君のいびきに悩まされ無くて済む。のび太君はいつも、真ん中で、左右のいびきに、「さぞかし迷惑を被ってだろうなあーー?」と、思っていたら、そうでもないようだ。寝たら硬直した石像のように動かない。「直寝不動」である。さすが紳士だ。

だが、さにあらず。その夜は、彼も我慢の限界を超したのだろう。朝、目が覚めたら、のび太君がいない。布団もない。「あれっ」と、周りを見回すと、遠くはなれた板張りに、のび太君の布団が敷いてあった。「ごめんごめん」と言うと、彼はにっこり笑いながら、「昨夜は二人とも、すごかったぜ」と言う。相知らぬ僕たちだ。ネズミ男君はジャイアンを責め、ジャイアンはネズミ男君を責める。

まあ、こんな風で、仲良しに「とっちゃん坊や」達である。今日はこの日記を持参して、夜泣き爺さんに読ませようと思っている。おっと、目は大丈夫かなあーーー?。涙で目が曇りはしないか、心配だ。







2012年01月29日(日) 一月最後の日曜日。

今日は一月最後の日曜日。天気は上々。肌寒さは相変わらずだ。田んぼには誰もいない。いったい、人はどこで、何をしているのやら?。「誰もいない海」ならぬ、「誰もいない田んぼ」だ。雪国の人たちは、雪下ろしでさぞかし大変だろう。テレビで見たが、屋根から落ちて亡くなる人や怪我をする人も多いようだ。ただただ、自然の驚異に脱帽せざるを得ない。

僕にとっては久しぶりにゆっくり出来る日曜日。午後4時から、仲間内の会合があるだけだ。わいわいだべって、色んな情報を交換する。最近、知人の家が火事にあった。その、見舞金を持参することになっている。自然の驚異ではなく、ちょっとした不注意から起こったらしいが、これまた怖い。人間の不注意は防げることも多いが、ただ、自然の驚異には人知も及ばないところがある。

宇宙という大自然に抱かれた人間。その人間は地球での覇者だ。脳が発達し考えることを知った。昔、友人が言っていたが、「人間は考えることを知ってしまったため、悲しみを知ってしまった」と。同感。失恋の痛手はその最たるものだ。恐らく、友人はその時、失恋をしたのだろう。いやいや、これは悲しみだけの問題ではない。喜怒哀楽のすべてについて、そうである。

今月も終わり近くになり、僕は早速、一月を振りかえってみた。僕の喜怒哀楽は如何に?。ただ、忙しかったという思い出しかない。特に「酒をよく飲んだなあーー」という記憶ばかりが浮かぶ。「酒も仕事の内」と思えば、気も楽になるが、なにせ、交際費が追いついていかない。節くれ立った手をじっと見るのが関の山だ。昨年は腱鞘炎らしきもので、指の関節が痛かったが、今年はそれがなくなった。これも、如何に仕事をしていないかという一つの証である。

ネズミ男君も、一月の初めごろ一週間ばかり仕事にかり出されたが、今は、まだ仕事のお呼びが来ていないらしい。おじいさん、おばあさん相手に、ゲートボールに精出しているそうな。僕は言ってやったことがある。「ゲートボール仲間の、おばあさんから嫁さんを探したら?」と。彼は言う。「やめてよ。そんな気はないよ」と。うんんんん、この縁も駄目か?。

さああ、もうすぐ、二月だ。二月は去る月と言うが、梅の花がほころび、三月になると、桜が目を楽しませてくれる。自然は巡り、僕たちも新たな息吹を享受することになる。水は潤い、肌までが潤っているように感じる。いやああああーーー、この歳になると、もう手遅れか?。







2012年01月27日(金) 母。この偉大なる存在。

九九才七ヶ月で亡くなった母親の一周忌が近づいているとのことで、友人から手紙が届いた。ニックネームを「スネ夫君」と名付けている。5〜6年前、旅行に行った仲間だ。そのときは彼がリーダー。

手紙の内容は、法要の後に出すお礼状を作成して欲しいとの依頼文。パソコンが壊れたらしい。報酬一万円と、母親の生い立ちを綴った原稿が同封されていた。原稿を読んだとき、思わず涙が出た。戦中戦後をたくましく生きた母親の姿が如実に描かれていた。我が母親のことに思いを馳せた。

彼の母親は、八歳の時、両親を亡くし親戚にあずけられた。成長と共に、思うところがあり、看護婦の道を志し東京へでて、付き添い看護婦として働いたそうだ。その後、縁あって二十八歳の時、結婚。こちらへ赴任し、入居した家は、裸電球と火鉢が一個しかない状況。この現状を見て、「お父さん、明日からどうやって生活しましょうか?」と、心細げに語っていたと言う。近所から風呂桶や自転車をもらいうけ、何とか生計を立てていたとのこと。

そんな母親の姿を、「今は懐かしく思い出している」と、スネ夫は言う。彼は六人兄弟の三男。戦後生まれである。母親は看護婦だったということもあり、前戦にもかり出されたとのこと。スネ夫君の頭には想像だにつかない世界を母親は生きてきたわけである。

スネ夫君の父は昭和の晩年に亡くなった。以後、母親は子供六人を育てながら、たくましく生きていたが、左右の大腿骨折や、開腹手術などの災難に見舞われた。それでも、明るく気丈に振る舞ってきたという。スネ夫君は、そんな母親の最期を看取った。安らかな表情だったと聞いた。合掌。

もちろん、戦中戦後を生きてきた人たちは、多かれ少なかれ同じような経験を持っているだろう。僕の母とて例外ではないが、なにせ記憶は忘却のかなたへ去ってしまった。母はまだ存命しているので、今のうちに色々と聞いておこうと思う。ちなみに僕は次男だ。故郷には兄が、「ドーン」と構えている。おおおおつ、嫌だぜーーーーー。

何はともあれ、母という存在は偉大だ。特に男にとってはそうだろう。遠方にいると、なおさら、そう思う。不肖不出来の我が身ながら、故郷に住む母の事を思うとき、胸に、「ジーン」とくるものを感じる。

そんな時、よく室生犀星さんお詩を思い出す。

     ふるさとは遠きにありて思ふもの
     そして悲しくうたふもの
     よしや
     うらぶれて異土の乞食となるとても
     帰るところにあるまじや
     ひとり都のゆふぐれに
     ふすさとおもひ涙ぐむ
     そのこころもて
     遠きみやこにかえらばや
     遠きみやこにかえらばや

いやはや、今日は湿っぽくなった。スネ夫君の母を思う気持ちが僕の心を打った。今日は真面目な僕、ジャイアンでいよう。




2012年01月26日(木) 今日も行こうぜーーー。ええーい。

冬来たりならば、春遠からじ。春が間近だ。とは言え、天気予報の3ヶ月予想では、気温が平年並みか、それを下回るそうだ。要するに寒い日が続くということ。なんでも、南米沖の、「エルニーニョ。いや違った、なんとか現象」の影響らしい。

今日も寒い。昨日よりはましだが、一時的に暖房のお世話になっている。節電と言うこともあり、極力、スイッチオフにしている。ただ、こう寒いと集中力に欠け、仕事も他のことも先へ進まない。というわけで、「ありがたや、ありがたや文明の利器」である。

そんな中、いよいよ、のび太君が提案した、「楠木守護に生涯を捧げた女性」の春の公演が近まってきた。のび太君の狙いは、郷土のすばらしい女性の生き様をみんなに知ってもらいたいという思いである。のび太君は既に割り当てられた300枚のチケットの内、200枚を捌いたそうな。どんなルートがあるのか知らない。聞いても教えてくれない。まさか、じぶんで 購入ということもあるまい?。それはないよなあーーー。

それに引き替え、彼の三分の一、100枚近くを預かった僕は、まだ十数枚程度しか売れていない。僕もちゃっかりしたものだ。行きつけのスナックや、小料理屋のママさんに10枚ずつ預け、お客さんに売ってくれるように頼んである。苦しいときの神頼み、ママだのみだ。情けないと言えば情けないか?。小心者のジャイアンです。お許しを・・・。

今、チケット完売間近の小料理屋がある。「店の名前をだしていいよ」と言われたので、書くことにする。「梓(あずさ)」という名前。娘の名前からつけたそうだ。僕も通い始めて10年近く。1年に1枚の計算で10枚かあーー。計算が合うぜ。

ところで、梓のママは小柄ながら、至って美人。雪女ならぬ桜女である。ビールを勧めると、「小瓶でいただこうかしらーーー」と言って、おいしそうに飲み、顔を赤らめる。かくして桜女である。いつも和服に身を固めている。店舗は自前。従業員なし。室内はカウンター7席。四畳程度の小部屋が一つ。すべて埋まったところで12〜13名程度で満席だ。一人でまかなうには、ぎりぎりだろう。

彼女の偉いところは、英語が好きで、近くにある高校の外人教師について、週1回勉強している。僕も時折、カタコト英語で、彼女に話しかけるが、これが結構おもしろい。僕が訂正させられることたびたび。そりゃあーそうだろう。勉強している人にはかなわない。

彼女の店はいつも常連客で満杯だ。早めの予約を入れ、席を確保しなくてはならない。僕は友人と開店早々行くことが多い。電話を入れると、「今、着替え中だから、カウンターで待ってて」との返事。僕たちは流れている英語のBGMをポカーンと聞きながら、「今や遅し」と、彼女の登場を待っている。「おまたせ」と、にっこり笑顔で彼女が出現。

昨年、店に張り紙がしてあり、「しばらくお休みします」と書いてあった。何事かと思っていたら、外人教師と、もう一人の外人を連れ立って、女3人でヨーロッパを旅行したそうだ。イギリス、フランス、イタリア・・・。うらやましいぜ。

「三人寄れば文珠の知恵」というが、彼女たちの場合、「三人寄れば文句の知恵」ということになるか?。どうも、喧嘩をしたらしい。それもそうだろう。女同士となれば、各人のわがままが先に立ち、まとまる話もお流れだ。挙げ句の果て、梓のママは迷子に。通じると思っていた英語も、なかなか功を奏せず、やっとのことで、ホテルにたどり着いたそうな。ここで、僕は「うんんんんんーーー」とうなった。男で良かったという思いか?。

そんな訳で、のび太君の為に、チケット完売を目指し、これから奮闘せねばなるまいて。今日も行こうぜ。えええーーーい。書きたいことは山ほどあるが、この辺で止めておこう。




2012年01月24日(火) 雪とマフラー。

朝目覚めて、真っ先に二階の窓から外を見た。「さぞかし雪が積もっているだろうなあーー」と、期待に胸を膨らませて周囲を見回した。何のことはない。薄曇りながら、お天道様が顔を出していた。少々がっかりだ。最近の天気予報は良く当たるが、今日は外れたようだ。

最近、とんと雪を見ていない。山はうっすらと雪化粧をしているときもあるが、僕に取っては、それは雪ではない。やはり、平地に積もった雪に愛着を感じる。雪深い地方の人たちにとっては、雪は恨むべき存在なのかも知れないが、当地は温暖地の平野。たまに降る雪にこそ郷愁を感じるのだ。

思えば、小さかった頃、母に手を取られ、降りしきる雪の中を買い物について行った記憶がある。滅多にしない「マフラー」を巻き、震えながら歩いた。その頃は母も若く、元気いっぱいで僕の手を引いていく。嬉しくもあり、しんどかった。そんな母も今は老いた。雪を見ると母を思い出す。

マフラーと言えば、最近はちょっと寒いと、すぐ首に巻く。おしゃれという気もある。長ーーい、マフラーを数点持っている。その内の一つは、ネズミ男君からもらった物だ。いつぞや、この日記に書いたこともあったが、彼は同じ柄のブランドを二つ持っていて、その一つを僕にくれた。僕は皮の手袋を彼に返した。同じ柄といっても、彼のは純度100%。僕のは化繊が少し入っている。僕が返した手袋も、僕のに比べれば上等の物ではない。おあいこだ。

こともあろうに、昨年、二人とも同じマフラーをして彼と再会。ネズミ男君の勝ち誇ったような、にんまりした目に、不愉快を感じたが、まあ、もらい物だ。競ってもしかたがない。とあるスナックの門をくぐった。開口一番、カウンターレディーから、「あら、二人ともおしゃれね−」と言われた。ここでもまた、ネズミ男君が、にんまり目。僕はそく帽子を、はっと取り、マフラーを脱衣した。ネズミ男君から「ジャイアンのは僕がプレゼントしたものだよ」と言われそうな気がしたからだ。ジャイアンはその名の通り、図体はでかいが、気は小さい。およよよーーー。

その日の彼の勢いはすさまじかった。団体客が20〜30名(ほとんど女性。どこかの病院のスタッフたちだろう)いる中で、例の歌、チェッカーズさんが歌っていたのだったっけ?「ジュリアーノ・ハートブレイク」を、腰振り振り、ツイスト混じりで歌い出した。これには会場が大爆笑。僕は濡れたおしぼりで顔をそっとぬぐった。まああ、時には彼にも花を咲かせてあげなくてはなるまい。これは僕の負け惜しみか?。団体客が帰り際、彼と握手していたのが印象的だ。願わくば、はやく嫁さんがみつかって欲しいものよ。

雪の話がとんだ方向へ行ってしまった。今日は、やや肌寒いが暖房はいらない。日差しが射し込む窓の外を眺めながら、出かける前の一時を、この日記兼備忘録作成に時間を割いている。そろそろ完成だ。ペンを置こう。






2012年01月22日(日) 近況。

小雨交じりのどんよりと曇った空。さすがに寒い。午前から午後にかけて二つの仕事を完遂。「疲れたぜーーー」とは言っておれない。おまんまを食っていかねばならないからなあーーー。はたまた、一月最後の新年会が三時間後に始まる。数えてみれば今日で四回目。メンバーは違えど、知り合いがどんどん増えて、時々、「いやんなっちゃう」と思うことがある。

とは言え、人が集い、町が出来、町は活性化する。そういう意味では、僕も微弱ながら貢献しているわけだ。ただ、当地では、顔もそこそこ知られ、悪いこともできそうにないなあーという思いがある。女性の尻も触れないぜ。良しや悪しや?。

今年はのび太君(僕、ジャイアンの友人)が発起人の大きなイベントがある。当地にある「大きな楠木」が切り倒されそうになったとき。体を張って守った一人の女性の生き様を演劇にして、公演しようというわけだ。図らずも、僕もその実行員の一人になされた。のび太君の為なら、人肌脱がねばならない。ただ、チケットを100枚近くさばかねばならない。頭が痛い。

そんな中、この演劇の脚本家であるKさんとと出会った。のび太君共々、酒を酌み交わしたが、知性あふれる好女性である。僕もちゃっかりしたものだ。則、名刺を交換し、「僕のつたない日記を読んでください」と、懇願したところ、早々に友人となった。彼女のブログには、エッセイや詩や写真や、いろんな記事が掲載されていて、これから読んでいくのが楽しみである。

又、先日、隣保班であるソプラノ歌手の事を書いたが、彼女とも知り合いになり、気の早い僕は、仕事のイベントに彼女を招請し、「おじいさん、おばあさん、子供」達に彼女の美しいプラノを聴かせてあげたいと思っている。あまりにイタリアオペラの美しい声に、おじいさん、おばあさん達は、口を「ぽかーーん」と開き、夢うつつになっている姿が見えまーーーす。昇天しないように、くれぐれも願っている。

そうそう、ネズミ男君の事も書いておこう。今年になって彼とは一度も会っていない。と言うのも、ようやく仕事にありついたとのことで、毎日せっせと、隣の県まで出稼ぎだ。いつも若い者に、こき使われているらしい。「このフーケモンがーー、馬鹿たれ、あれもってこい」とか、怒鳴られているそうな。「くそおーーーーっ」と思うが、反抗すると、「あしたから来なくていい」と言われそうで、じっと我慢の子だ。僕は涙、涙で聞いている。しかしながら、彼はいたって笑顔。この矛盾は一体、如何に?

まあ、世の中、そう甘くはない。宝くじでも当たれば御の字だが。かくして、彼は年末まで宝くじを開封しないで温存している。夢は大きいほどいいからなあーーーー。「見習わななくちゃあーー」と思えど、せっかちの僕のこと。則開封。失意のどん底に落とされること常だ。まあ、人それぞれの考えで行動すればよいか?。


2012年01月19日(木) 人物評、あれこれ。

一昨日はのび太君の誘いによる賀詞交換会。そして今日は又、別の組織による新年会。どうも、1月は飲む機会が多くて大変だ。外国人もそうなのかも知れないが、日本人は集って、酒を飲み、わいわいするのが好きな民族なのだろう。もちろん僕もその例外ではないが、僕はどちらかと言えば、山奥の寂れた小料理屋みたいなところで、雪女風の女将がいて、かもしかのような、おっと違った、白魚のような細い指で、「いらっしゃあーーーーい」と、焼酎を注がれると、「ぞくぞくーーつ」として、焼酎に拍車もかかるのだがーー。ついぞ、そんな経験はない。

ネオン街の小料理屋に行くと、ママの目や、従業員の目が百円玉に見えて、カラオケを歌うと、「一枚、二枚・・・・・」と、どんどん値が上がっていく。皿屋敷みたいなものだ。昔は「ただ」の所も結構あった。もちろん昨今のネオン街は、飲み客離れで、経営もかなり厳しいらしい。仕方がない面もある。

そんな中、僕は景気付けのため、ママや従業員さんたちに、ニックネームをつけた。最近つけたニックネームは、ママが「みえちゃん」。結構、見栄っ張りだから、相応しい名前だ。「今日はこんなに歌ってましたよ」と、カラオケで歌った回数を告げてくれる。「ええええつ、こんなに」と頭をかしげることもあるが、まあ、機械は正直だ。他人の曲数までカウントしてなけりゃ良いのだが。それでも、気前の良いところもある。これは「おごりよ」と言って、なにやら手製のつまみを出してくれる。「おいしい、おいしい」と言って。一応はほめている。

本職は画家で主に風景画を描いているようだ。「これ、僕にくれないかなーーー」と言うと、「云十万はするのよ」と言って、取り合ってくれない。それもそうだ。プロの画家なら、自分を安売りすることはしないだろう。女心は秋の空で、「ひょっとすると、気が変わるかもしれない」と、時々、モーションをかけるが、いまだ、その気配なし。あああつ、早く秋の空にならないかなあーーーー。

次に、オリーブちゃん。体はほっそりしていているが力持ち。顔が細く、目が切れ長で、若い頃は謎の美少女として、もてたそうだ。今でも結構、客にもてているようだが、何を考えているのか、今ひとつ心が見えない。それもそうだろう。オリーブちゃんにも、色々と心に悩みがあるのだろう。ただ、客をもてなすのは、うまい。同情をかうような、真面目な顔をして、いつもほくそえんでいる。そんなに酒は強くなさそうだ。時折、飲み過ぎ、顔を赤らめて何かを言っているようだが、「よく、わかんなーーい」ってところか。まあ、それも愛嬌だ。かくして、店に勤まるわけだ。

次は、これまた変わった女性。漫画ではのび太君の恋人である、「シズカちゃん」と命名した。本人も気に入っているらしい。「ひょっとして、あちこちに「シズカちゃん」がいるんじゃない」と問われたが、「そ、そ、そんなことはないよ」と、きっぱり否定。彼女の何が変わっているかと言えば、一つは子供みたいなところだ。年はそうとう食っているようだが、顔が小学生のようで、かわいらしい。二つ目は背が小さいため、ソファーの上に、正座して座ると、まるで、かわいいおひな様のようだ。時折、ママに呼ばれて出勤している。結構、面倒見が良い。僕にとっては、「トップ・シークレッタリー」ってところだ。ただ、束縛されるのが嫌いなようで、自由奔放に生きたいらしい。どうぞ、ご自由に。

最後になるが、「金魚ちゃん」。彼女はまだ、店に勤めて浅いが、第一印象が、「つけまつげ」が長く、目を「ぱちくり、ぱちくり」するので、「金魚ちゃん」と名付けた。僕は時折、言っている。「そのまつげを取ったがいいよ。十分いけるよ。」と言うと、「今度から、そうするね」とか言っていたが、相変わらず、そのまま。まあ、これは本人の趣向の問題だ、僕が口に出す必要もないが、最近、すこしばかり短くなったようだ。僕は「以前より良くなったよ」」と言ってやった。彼女は嬉しそうに笑った。彼女も毎日の出勤らしい。ご苦労様。




2012年01月16日(月) ソプラノのコンサート。

昨夜は、のび太君の誘いで、当地在住のソプラノ歌手のコンサートを聴きに行った。主催者の好意により、低料金の上、ワンドリンクのサービスつきだ。オペラ会場を彷彿とさせるような西洋風建物内でのコンサート。初めての経験。心が高鳴った。

定刻に美しいマドンナと、ピアニストが登場。ひとしきり、挨拶があった。な、な、なんと、彼女は我が家から車で5分くらいの所に住んでいた。隣保班だぜ。また、ピアニストは大学の後輩だ。ももちろん知る由もなし。

プログラムにそって歌が始まった。あまりに美しい声にうっとり。天女が歌う歌とはとはまさにこんな歌だ。よくもこんなに高い声が出せるものだ。やはり鍛錬のたまものだろう。ネズミ男君に聞かせてあげたかった。彼はそく言うだろう。「お、お、お嫁に欲しいーーーー」と。現金な男だぜ。のび太君に言わせると、「どうも、気は強そうだぜ」という。まだ「わかんない」といのが実情だ。いずれにせよ、起床のあいさつが、ソプラノの声で、「おきなさあーーーーい」と言われたら最高。これにまさる幸せはないだろう。

歌は、よく知っている曲もあった。「なるほど、あんな風に歌うと、カラオケでも100点がでるんだろうけどねえーーー」とは、僕、ジャイアンの弁。おっと、カラオケを持ち出すなんて、失礼極まりない。反省反省。僕たちがおらんでいる、演歌やフォークソングとは雲泥の差だ。僕たちのおらぶ歌は「歌う天国、聞く地獄」だが、彼女の歌は、「歌う天国、聞く天国」である。

僕は彼女の一挙一動に、うっとりとしたまなざしを捧げた。彼女が時々、顔を方向チェンジするとき、僕と目が合い、「火花がパチパチと・・・・・」、とはならなかったか?。僕の勘違い。薄暗がりの中で聴く彼女の美声だけが僕の胸につきささった。

感動の中で、コンサートが終了し、僕は早速彼女のCDを購入。目の前でサインしてくれたので嬉しかった。この辺は、のび太君も抜かりがない。僕より先にCDを購入していた。なるほどねえーーーー。

コンサートが終わり、主催者のはからいで、食事会が設けられていた。僕は部外者だったが、のび太君が「一緒に行こう」というので、とある、小料理屋へ乗り込むことになる。そこで、ハプニングが・・・。続きは又にしよう。



2012年01月13日(金) 101回目のプロポーズに乾杯。

正月気分もそろそろ抜かなくちゃあーーと思えど、もう一つ気合いが入らない。何故なのか?。かくたる人生目標を持っていないからだろうか?。人生目標ねえーー。

今の僕に取っては、「日々是好日」が一番、似つかわしい言葉かも知れない。ただ、好日過ぎるのも、なんだか暇をもてあましているようで、落ち着かず、忙しすぎるのも、「ああああっ、早く暇が欲しい」と、ため息ばかり。要するに、「貧乏性のがままとっちゃん」ってわけだ。

そうそう、テレビで見たが、見事、武田鉄矢さんが退院して、昔、放映された「101回目のプロポーズ」というドラマを時代劇で演ずるそうな。時代劇となると、どういう展開になるのか興味深い。

「武田鉄矢さんを追い越して130回も、み合いをしたぜ」と自慢げに豪語しているネズミ男君に視聴してもらいたいものだ。いくら何でも130回は多すぎるぜ。武田鉄矢さんでも、101回でゴールイン。ネズミ男君はそうとう金を使っらしい?。1回、一万円とすれば130万円かあーーー。ネオン街へ100回以上は行けるぜ。もったいない。

まあ、そうは言っても、こればかりは縁だ。ただ、いくら縁がないと言っても、一度くらいは気に入った人もいただろう。そこで手を打てば良かったわけだ。「いや、もっと良い人がいるかも知れない」と、高望みするから、元の木阿弥となる。昔からよく言ったものだ。「結婚には妥協も必要だ」と。

相思相愛であっても、完璧な人間はいない。時間の経過と共に、「あら」が見え始め、要はその「あら」が許せるかどうかだ。お互いに「あら」を許し合いながら、妥協しながら生きる。「あばたもえくぼ」とか言うが、この「あばた」さえ、長い年月が経つと美徳と思えるようにもなる。というより、お互いにあきらめか?。かくして夫婦円満ということになる?。ネズミ男君に言わせると、「わかんなあーーい」と言う言葉が返ってきそうだ。

と言うわけで、僕たち、「とっちゃん坊や」達の面々は、彼に新たな女性を紹介することに、すでに、さじを投げている。まああ、彼が先に逝ったら、僕たちが懇ろに弔いをすることになるのだろう。くれぐれも、彼より先に逝かないよううにしなくちゃーーーー。

正月早々、変なことを書いたが、武田鉄矢さんの病気回復と、「101回目のプロポーズ」に乾杯だ。







2012年01月10日(火) ファイト、ファイトー。ゴーゴー。

いやああ、それにしても今日は寒い。こちらでこうだから、もっと以北の人たちは、この段ではないだろう。久しぶりに暖房のお世話になっている。午前中、一仕事、片つけた。といっても、僕のではない、同業者から頼まれたものだ。僕は特例の特例だから、20日まで処理すればよい。

夕方もう一仕事ある。若くして亡くなった人のお通夜へ行かなくてはならない。死は誰もが一度は経験するものだが、自分が死んでも、自分の思い出としては残らない。周りの人たちに幾ばくかの思い出をあたえても、自分に何も残らなければ悲しいものだ。それが死と言うものだろう。僕の辞世の句。「もっと生きたかった」。皆、本心はそうなのかもしれない。

かくして、昨今、長寿健康をねらったサプリメントがはやっている。効果の程は知らないが、病院・医者嫌いの僕も、例外に漏れず、山の神が差し出す丸薬を口の中に放り込んでいる。「おーーーいやだ」と思えど、これが心の平安につながるのであれば、それもいいか?

今年は外での飲酒はまだ一回。中旬から数回こなさなくてはならない。まずはのび太君から誘われた名刺交換会への出席。五千円出しだ。当地では高級ホテルでの開催となる。在庫少なくなった名刺の補給ということで、パソコンで作る名刺カードを文具屋で購入した。僕には本業と副業があるので、両面印刷で、一挙両得。人様からいただく名刺には肩書きが多いが、僕にはこれといった肩書きはない。要は肩書きよりも中味だぜーーー。そう思っている。

どんよりと曇った空。今にも雪が降りそうだ。家の周りの田んぼが寒そうだ。ファイトーー。ファイトーー。ゴーゴー。ゴーゴーと言えば、ネズミ男君のツイストダンスを思い出す。「ジュリアーノ ハートブレイク」という歌で踊るわけだ。これが様になっていて、大受け。時々、ベッドの中で思い出し笑いだ。眠気が遠のいてしまう。困ったものだぜ。


2012年01月09日(月) 今日は成人式か?

今日は成人式だそうな。僕に取っては遠い思い出。定かには思い出せない。スーツを着たという記憶もない。普段着のまま、その日を通り過ごしたように思う。

昨今の成人式は、男はスーツに身を固め、女は振り袖のあでやかな出で立ち。幸せである。嗜好をを凝らした演出もあるようだ。今朝テレビで見たが、両親や兄弟が壇上でお祝いの作文を述べる。いやあーーーー、これには泣けるぜ。門出にふさわしい最高の贈り物だ。願わくば、責任持った大人として、これから羽ばたいて欲しいものだ。

成人式ならぬ僕は、すっかり世の中の垢にまみれ、あたふたと日々を過ごしている。今日はため込んだ書類の整理をアルバイトさんにお願いしている。やれば出来るのに、何故か一度頼むと、もう人任せだ。「これじゃーーいけない」と思いながらも安易に流れる僕が見えます。天気は上々だ。昼頃一件仕事があり出かける。後はアルバイトさん任せ。

外を見回せば、昨年ネズミ男君と格闘した雑草たちが、きれいに刈り取られなだらかな平面を醸し出している。春頃がまた大変。「これでもか」と僕をあざ笑うがごとく、雑草が背を伸ばす。かくして、恒例の腰降りダンスが始まるわけだ。草刈り機械を肩にかけ、ぶんぶん振り回し、一網打尽にする。これが良い運動になるんだよなーーー。近所の人たちは、「あぶない」と、僕を避けて道を行く。最近はネズミ男君が手伝ってくれるから。早くさばけ、大助かりだ。

ネズミ男君は、ニックネームににあわず、ちょろちょろしていない。懇切丁寧。ねぶるように雑草を刈っていく。さすがにスピードは僕の分の一。ネズミ男君というニックネームを返上しなくてはなるまい。「カタツムリ君」にしようか?。今度提案してみよう。

そろそろバイトさんが来る。話はこれくらいにしよう。


2012年01月08日(日) 今年最初の日記

あれよ、あれよと日がすぎていく。「年が改まったんだ」と、しみじみ思う。もう、去年にかえれない。時は残酷でもあり、同時に新たな生をはぐぐむ。

僕は今、暖房の電源を切った部屋で、身震いしながら、今年初めての日記を書いている。昨年は六月頃から、ペンを置いた。というのも、日本列島の悲惨な状況を思ったとき、ふうけた話を書く気になれなかったからだ。

今年は新鮮な気持ちで、あれこれつづっていきたい。そう言えば、旅行記も宙ぶらりんの状態だ。今は、記憶がどんどん遠ざかっている。ただ、「とっちゃん坊や」達の笑顔だけが鮮明に記憶をよぎるだけだ。

ジャンボ宝くじを60枚、買っていた。うち、30枚は、ネズミ男君に頼まれていたものだ。年末に渡そうと思っていたが、彼に会えずじまいで、手元に残っている。彼は妙な男で、一年間に書いためた宝くじを、年末に銀行に持参して、一括、機械にかけて、当落を判定いるよし。従って、今度買った宝くじも、今年の年末まで、開封お預けということになる。

僕もちゃっかりしたものだ。手元にあった60枚の宝くじの選択権は僕にある。「どれにしようか?」と迷ったあげく、3袋を選んだ。彼の持ち分の3袋の内、一番上にある番号は、すでに、僕の目に触れている。当たりそうでないものを、彼に残し、僕は、にんまりしながら、僕の持ち分の封を切った。「オー・ノー」。300円が三枚。夢、敗れけり。

彼の持ち分、30枚の封も切ってやろうかと思ったが、さすがにそれは止めた。彼のものが当たったら、僕にお裾分けがあるという。年末まで待てるか?。まあ、期待しないで待っておこう。

それはそうと、一月は何回となく飲み会がある。お年玉は出て行くばかりで、収入不足の僕にとっては大変だ。社交を広げるのも善し悪しだ。

おっと、今年最初の仕事が入った。出かけなくてはならない。この辺でペンを置こう。




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