umityanの日記
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2011年04月27日(水) 再びペンを採る。

長らくペンを閉ざしていた。今、この世の中、あまりに悲惨で悲しいことが多すぎる。日記を書く気には到底なれなかった。未曾有の東日本大震災、追い打ちをかけるように原発の事故がおきた。多くの人の命が奪われた。かく事態を誰もが想像だにしなかっただろう。自然のなせる仕打ちに、憤りを感ぜずにはいられない。ただただ、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。

生と死は表裏一体。いつ何時、生が生じ、いつ何時、死が訪れるやも知れぬ。生と死はまさに計り知れない。その狭間でわれわれは生きている。限りある命を精一杯生きようとしている。そんな、はかない命さえも大自然はいとも簡単に奪ってしまう。なんという世界なんだろう。

もともと、宇宙はビッグバンによって誕生した。宇宙も生きているわけだ。今、宇宙は膨張を続け、遠方にある星ほど加速度的に遠ざかっているという。どこまで膨張するかは知らない。膨張が止まり、そのまま静止状態になるのか、はたまた収縮に転じ、一点に集約するのか?分からない。恐らく集約にむかい、消滅する可能性が強いと言われている。悲しいかな、その前に地球は太陽の膨張に飲み込まれ消滅する。

地球は太陽系の中でも、人間という生命体を育んだまれなる星だ。太陽から適当な距離にあり、かつ、地球の外側を巨大惑星である木星や、土星が回っている。このことが、おびただしい彗星の衝突を防ぎ、地球上の生命体を育ませた要因とも言われている。生命体は進化を続け今日に至っている。恐らく、他の惑星系では、地球みたいな生命体を宿す星はないかもしれない。まさに地球は孤独星だ。

その孤独星に、60数億人の人間が生きている。高度な文明も築いた。子孫を残すという方法で、未来に向かって進化し続けている。ただ、よく考えてみると、その地球でさえ、いずれ、死という末路をたどるわけだ。遠い未来のことと、考えてはいけないだろう。予期せぬ自然の驚異は明日に迫っているかも知れない。この度の東日本の大震災がそのことを如実に物語っている。

人間は如何に生きるべきなんだろうか?。いずれの時代もそのことが哲学の命題だった。今も変わらない。正しい一つの答えがあるわけではない。60億とおりの答えがあるからだ。ただ言えることは、いかなる形であれ、生を全うすることが大事であることは論を待たない。

生を全うするとはいえ、病や事故や予期せぬ出来事で、生を全うできないこともある。運命と言えばそれまでだが、あまりに残酷である。ただ、今、生きている人間、60億人は、あと100年もすれば皆、地球上から消滅し、あたらしい人間にバトンタッチしている。はかないと言えばはかないが、それは創造主が組んだプログラムなのだ。このプログラムが、近い将来、書き換えられたら良いと思うのだが、その前に地球は太陽に飲み込まれるかも知れない。はたまた、未曾有の大災害が地球を襲うかも知れない。

55才で先頃亡くなった、田中好子さんは、死の間際まで、東日本の震災で被災した人々のことを心配していた。身が滅しても、魂をもった原子として、宇宙から一日も早い震災の復興を願っていると述べていた。尊いことだ。

人の一生はいかなる一生であれ、それは時の流れの長短に過ぎない。いずれ、今残っている人間も宇宙塵となって旅立つことになるが、田中好子さんのごとく、清らかな心をもって、魂の存在を信じて、生を全うしたいものだ。














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