umityanの日記
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2011年01月16日(日) とっちゃん坊や達の旅。国内編。(9)

やけに寒い日曜日だ。人一人っこ歩いていない。場所が場所だからなあーー。都会はいざ知らず、田舎は人も少ない。そう言えば今日はセンター試験で受験生たちは大変だったろう。手がかじかんで、まともに答案が書けたのだろうか?。僕も随分昔に受験した事があったが、「試験」と名のつくものは全くいやなものだ。

さてと、僕の旅日記もどこまで書いたっけ?。時の経過と共に記憶も薄れてくる。思い出し思い出し書いているので、結構、記憶違いと言うこともあるだろう。

そうそう、カニ御膳を食べて、車はさらに進んでいく。今日の目的地は知床ウトロ温泉地らしい。そこでウトロ、ウトロとするわけだ。その前に知床五胡を見学するようだ。紅葉もすっかり終わり、枯れ枝になった白樺や雑木林を左右に見ながら、うとうとしていると、突然、ガイドさんが「皆様、窓の外をご覧ください。野生のシカが、道ばたに出ていますよ」という。車内の客達は、「あっ、いる。いる」と、珍しいものを見たかのようにはしゃいだ。中高年の皆様はお元気だ。それもそうだろう。車ともすれ違わないし、人が歩いている姿もない。やっと、乗客以外の生き物に出会ったという喜びが胸にこみ上げてきたのだろう。それを知ってかしらずか、ガイドさんの声がさらに拍車を掛ける。「皆様、旅を終えて帰るまでに、20頭くらいは見かけないと駄目ですよ」と言う。「へーーー、そんなにシカが出没するの」と皆、驚きだ。最近はシカの生息数も増えているらしい。「食べたらうまいだろうなああーーー」とはネズミ男君の弁。この場では非常識か?。

のび太君とネズミ男君は、車内で、「あつ、あそこにもいる」と声がかかると、すかさず、カメラのシャッターを切っている。なんでも、角のある雄シカを見かけると縁起が良いそうだ。僕は残念ながらカメラに収めることが出来なかった。カメラが壊れていては(しか)たがない。彼らは、見事、雄シカをカメラに収めた由。めでたし。めでたしだ。

天気はあいにくの曇り空。車がとある広場に停車した。周りを見渡すと、木の橋が延々と続いている。この橋を渡りながら周りの景色や五胡のたたずまいを堪能するという趣向らしい。いや、確かに美しかった。真っ白いミルクをかけたような山々を背景に、僕たちは湿原の上に設けられたような橋をてくてくと歩いた。ガイドさんが、「このあたりにも熊やシカがいますよ」という。「へええ、そうなんだ」と注意深く当たりを見回しながら歩いた。

のび太君は例によって、あちこちに立ち止まり、カメラのシャッターを切っている。ネズミ男君は「我、一番乗り」と言わんばかりに、短い足を大股で足早に歩いでいる。僕、ジャイアンも、ネズミ男君に負けじと先を急いだ。実は、腹の調子が今ひとつ芳しくなく、ガスがやたらと出る。何を食ったせいなのか分からない。実まで出なくて幸いだ。そんなわけで、早くここを立ち去りたかったのが本音である。あああつ、早くホテルでウトロ、ウトロしたい。



2011年01月14日(金) とっちゃん坊や達の旅。国内編。(8)

さて、旅行記第8編の記述にとりかかるか。それはそうと、我が文章を読み返してみると、誤字、脱字、字余りが多い事よ。違った漢字に変換したり、キーボードをタッチするとき横の字に触れたりで、修正が面倒だ。僕の太い指がいけないのだろう。また、安物のキーボードのため、上手にタッチできない。おっと、キーボードのせいにしてはいけないか。全ては我が身の不徳のいたすところだ。

滝を見学し、震え凍える体でバスに乗った。ガイドさんが、「私たちの車はこれから網走の方へむかい、途中、カニ尽くし膳の昼食をとります」と言う。「カニかああーーーー」と、のび太君が目を細めた。、「よだれが出るぜ」と、ネズミ男君がにんまりした顔で言う。今や遅しと、我々の胸は高鳴った。そうこうするうちにレストランに着いた。2階の部屋にはあまたのテーブルが配置され、1人1人に膳が並べられている。よく見ると、毛が、もじゃもじゃしたような、日常見かけないカニが一匹、でーーーんと、皿に盛られていた。「これが毛ガニかあーー」。日頃、丸ごと食べたことがなく、むしるのが面倒なため、僕、ジャイアンの好物ではない。

カニと言えば、我らの地にも有名なカニどころがあるが、そこで痛い目に遭って以来、カニはことごとく敬遠してきた。一度全身に、じんましんが出来て、泣き目にあったことがある。まあ、これは鮮度の問題だろう。ちなみに、こちらのカニは、早く食べてといわんばかりに、皿の上で、旨そうにたたずんでいる。

「カニには、まずビールだぜ」と、ネズミ男君が言う。しかりだ。僕たちはジョッキでビールを頼んだ。乾杯の後、カニとの格闘だ、のび太君もネズミ男君も、器用にカニを解体していく。はさみみたいなもので、チョキチョキと足を切り、カニの肉を取り出していく。手が結構汚れる。本来、上品育ちの僕には、そんな芸当は出来ない。ビールのお変わりを頼み、持ってきてくれたウエイトレスさんに、カニの解体を頼んだ。快く引き受けてくれ、僕は満足。甲羅の味噌が旨かった。のび太君も、ネズミ男君も、カニの面影すら残さず、きれいに平らげていた。さすが兵達だ。

一階に下りた、例によって土産品が所狭しと置いてある。ネズミ男君は、馬鹿の一つ覚えみたいに、「白い恋人、白い恋人」と叫んでいる。「まだ買うのは早いぜ」と、僕、ジャイアンが押しとどめた。白い恋人なら、「北海道の雪女でも嫁さんとして連れて帰ったら」と冗談を言うと、「むすっ」と、ふくれた顔になったのがおかしかった。

たらふくまんまで、バスに乗った。次の行程へ出発だ。添乗員さんが、「あなたたち、良く飲むわねえーー。今宵はつきあうわよ」と、声を掛けてきた。僕たちは笑いながら「みんな、酒と女性と酢の物が大好きでねえーーー」と言うと、「ポッ」と顔を赤らめて去っていった。

車は山を越えたり町並みを過ぎたりで、どんどん進んでいく。バスガイドさんが「皆様左の建物と塀をごらんください。あそこが、かの有名な網走刑務所です。くれぐれも、お世話になりませんように」という。車内は大笑いだ。なんでも、建物が拡張され広くなっているそうだ。複雑な心境で塀を眺めた。


2011年01月13日(木) とっちゃん坊や達の旅。国内編。(再編集7)

どこまで書いていたっけ?。そうそう、静まりかえったホテルで眠れない夜を過ごし、6時に起床。何事もなかったのように、のび太君とネズミ男君も起きてきた。開口一番、僕、ジャイアンが、「ネズミ男君、あんたのいびきで眠れなかったぜ」と言うと、「その言葉はそっくりそのまま返ししますたい」と、ネズミ男君が言う。なんやかんやと言いながらも、僕も少しは寝ていたのだろう。まあ、相身互いか。のび太君はしらぬ存ぜずで、お構いなしだ。

それじゃー、朝風呂でしゃれこむかと、三人連れで、浴場へとへ向かった。まだ、客はまだ船を漕いでいるらしく、すれ違う人も少なかった。迷路みたいな通路をとおり、浴場を探した。

「ありゃー、こっちだったっけ」と、浴場らしい入り口ののれんを見ると、男湯と女湯が昨夜と入れ替わっていた。危なく女湯へ入るところだった。浴場を入れ替えることはよくあることなのか?と、ちと、いぶかしく思ったが、まああいいか。

例によって、僕はカエルの行水。のび太君とネズミ男君はやけに手間取っている。そんなに磨くところがあるのか?。僕、ジャイアンは、そそくさと浴衣を着て、脱衣場の椅子に腰掛け待つことにした。三人が揃った。とりあえず部屋に戻り、それから朝飯に行くことになった。

部屋へ帰る途中、うら若き?女性とであった。30代?40代?50代?。よく分からない。女性の年齢は、とんと見当がつかないものだ。初老の男性と二人ずれで、このツアーに参加していた。同じ2号車の客だ。最初見たときは、その女性が男性のことを「お父さん」と呼んでいた。なるほど、父と娘が思い出作りの旅をしているのかと思っていたが、風呂の帰りに何気なしに聞いてみると、「あっと驚く為五郎」とはこのことだ。なんと、夫婦だと言う。「お父さん」と呼ぶのは、そう言い慣れているからだそうだ。昨今の風潮みたいな大年齢差の夫婦だったのかと、笑ってしまった。

昨夜と同じ大広間に出向いた。三人用のお膳がしつらえてあり、横におひつが置いてある。「ご自由に何杯でもどうぞ」と言うことか?。眠っていないのに、食欲だけは旺盛だった。僕は、おかわり三杯。のび太君とネズミ音君は二杯。「あんた食い過ぎじゃないの」と、ネズミ男君が言う。うんんん、確かに。浴場で体重計に乗ると、2キロ近く太っていた。もち、僕のみではない、のび太君もネズミ男君を同様に、腹回りが出っ張っている。旅行で数キロ太って、帰ってから減量せねばと、皆大笑いだ。

さあ、いよいよ、二日目の旅が始まった。お迎えのバスがやってきて、あてがわれた座席に座った。今日の位置は中央より前の席。まああ、座れりゃあ、どこでもいい。はっらつとした顔でバスガイドさんのガイドが始まった。「皆様、昨夜はよく眠れましたか?」という言葉で始まり、「今日は銀河流星の滝を見学し、知床五胡の方へ参ります」という。車に揺られて数十分か?。滝に着いた。寒いぜ。

「滝かあーーーー、そんなに珍しくもなかっぺ」と思っていたが、いやああーーー、なかなかのものだ。銀河の滝は繊細な雌滝、流星の滝は迫力のある流れで雄滝と言われているそうだ。それはそうと、宇宙から名前をつけているとは、なんとも憎らしいぜ。

のび太君は、そうそうに三脚を取りだし、カメラアングルを定め、パチパチとやりだした。なるほど、セミプロと自称するだけのことはある。かたや、ネズミ男君は、オートに設定しているため、自由奔放にパチパチとやっている。ところで、僕、ジャイアンは、今にも壊れそうなデジカメで、恐る恐るシャッターを切るのが精一杯。何故、恐る恐るかと言えば、デジカメの底蓋が外れていて、どこかで落としたようだ。今にも飛び出しそうな内蔵機械を手で押さえ、何とか写すことが出来る状態。悔しいこと限り無しだ。

滝は凍っていた。あたかも時間が止まったかのごとく静止している。僕は時計を見た。時計は動いている。当然か?。さすがに、滝の近くは寒かった。僕はジャンバーの襟を立て、帽子を深々とかぶった。数十分の見学の後、次の行程だ。その前に、トイレで小用を足した。縮まったちんちんから、ホットドリンクのような液体が流れ、湯気がでた。そこで、「ふーーーーーつ」とため息だ。






2011年01月11日(火) とっちゃん坊や達の旅。国内編。(7)

やっと、仕事にめどがついたは良かったが、まだまだ、やり残しの仕事と、新しい仕事が残っている。まずは、我が見のことで、年調の清算、申告の準備だ。次にクライアントから依頼の仕事。これらは皆、副業の仕事だが、本業の仕事が、入り込んでくる。すべては神の思し召すままに進んでいくしかない。

今朝、朝食時にテレビを見た。子供の教育についての内容だった。なんでも、子供は八才頃までが脳の働きが一番活発で、この時期の教育が大事なんだそうだ。将来のプロフェッショナルは、こういう教育を通じて生み出されていくのだろう。だが、しかし、バット、幾分か違和感を覚えた。僕自身、保育園にも、幼稚園にも行かなかったし、ましてや、頭でっかちな教育なんてもってのほか。僕のひがみか?。ただ、親の庇護のもとで、のんべんだらりーと生きてきた。まあ、そこそこ、心は豊かに育ったようだ。

昔はそれで良かったのだ。だが、今は違う。世の中が変わった。というより、自分自身が昔の古い概念にとらわれた化石なのかもしれない。昨今の子供達は、小さい頃から、学べ学べで、教育を詰め込まされる。遊びらしい遊びも知らない。自然の中で泥まみれになって、冒険をすることも少なくなった。

僕は、英才教育もさることながら、自然に対する尊敬、畏敬の念、心の豊かさを小さい頃からはぐくむ教育こそ大事なんだと思うが、今の教育にそれがあるんだろうか?。心の教育こそ、小さい頃にはぐくむべきだろう。

おっと、来客だ。僕の旅日記は後で記そう。


2011年01月09日(日) とっちゃん坊や達の旅。国内編。(6)

正月三か日が過ぎ、娑婆世界は御用始めとなった。僕だけは例外かと思ったがさにあらず。昨年からの継続中の仕事が、「まだか?まだか?」と責め立てる。やんなっちゃうぜ。

人様は新年会等で奇声を上げているやも知れぬが、こちとらは、机に向かって事務作業。さばけない僕を気遣ってか、正月四日にやってきた弟が寝泊まりで手伝ってくれた。ようやく完成だ。来週は10日ぶりでアルコールが飲めるか?。僕を呼んでいる娑婆世界の声がする。ああああああつ、早く歌いたいぜ。「春なのに」って歌を。ちと、早いか?。「記念にください。ボタンを一つ・・・・・・・青い空に捨てます・・・・」こんな歌だったっけ?。捨てられたらこまるか。

おっと、感傷に浸っている場合ではない。僕の旅行記はどこまで書いたっけ?。そうそう、一拍目のホテルでの会食というか?宴会というか?、そこまで書いていたっけ。

大広間に、グループごとにお膳が配置してあった。僕たちは三人用の座席へ案内された。どこに座ってもよかろうに?と、ちょっと、いぶかしく思ったが、その理由が分かった。要するに、特別料理ということで、一万円の追加料金を出した人たちと、そうでない人たちを区別して席が設けられていたのだ。僕たち、とっつちゃん坊や達に、特別料金を出すようなデリカシーな人物はいない。ただ、出たものを平らげるだけ。とは言いつつ、飲む方は手出しで、どんと来いである。何を思ったのか、ネズミ男君は、「何か、乾き物が欲しいなあーーー」と言い出す始末。乾き物とは、ピーナツやチョコレートや枝豆のたぐいである。のび太君がすかさず、「ここはスナックじゃないんだよ。」と、笑いながら、おしかりの一言を。そこで一応おさまった。

最後まで、大広間に陣取り、人影が少なくなった頃、僕たちもそこを後にした。部屋に戻る途中、ビールとつまみを買い込み、飲み直す事になった。だが、何となく寂しい。窓の外は真っ暗で、ネオンのかけらも見えない。深々と静まりかえっている。僕たちは黙々とビールやら、焼酎をあおった。明日への期待を込めて・・・・。僕たちはちょっくら、ホテルのスナックでも散策するかと部屋を出た。あいにく、早くの店じまい。山のホテルは気が早いぜ。部屋に戻ると、畳にふとんが一つあしらえてあった。

第5編で述べたごとく、ベッドが一つ足りない騒動があり、とりあえずというか、ネズミ男君が率先して、畳に寝ることになった訳である。かくして一日目の夜が終わった。翌朝の目覚めは必ずしも良いとは言えなかった。いびきのせいではない。この ジャイアン、枕が変わると眠れないんだよなーーーー。のび太君は鼻息ひとつたてず、金縛りにあったごとく不動で眠っているよし。かたや、ネズミ男君は、鼻息に強弱をつけながら、演歌を漕いでいる。うるさいこと常のごとし。眠れないのはジャイアンだけかあーーーーー。宇宙の事を考えた。いつかしら眠りに落ちたようだ。

まあ、そんな風で一夜が明けたのでした。次回は二日目に突入だ。


2011年01月03日(月) とっちゃん坊や達の旅。国内編。(5)

とっちゃん坊や達の旅も年を越してしまった。なにはともあれ、昨年は三人の坊や達が意を決して、北海道の旅へと出かけたのだ。ジャイアンは2回目。のび太君も2回目だったが、ネズミ男君は初めての経験。彼の意気込む気持ちに気持ちに賛同して、僕たちは格安の旅を申し込んだのだった。


無事に現地へ飛行機は到着。ツアーのバスで、薄暗くなった町並みを見ながらバスはどんどん山の方へ向かっていく。今宵は層雲峡温泉での宿泊だ。バスの走行距離240キロメートル。車内ではバスガイドさんが流暢な日本語で話しまくっている。さすがに話は面白かった。下手なバスガイドさんだと、退屈きわまりない。おまけに、周りは初老の夫婦ずれが多い。我々は場違いの旅に来たのかも知れないと思ったほどだ。

それでも、のび太君とネズミ男君は、高級なカメラで、車内から外をぱちぱちと写している。確かに北海道の風景は、故郷の風景とは違っている。どう言ったらいいのだろう?。白樺林が延々と続いて、寂しそうな風景を醸し出している。

詩人と自称している(誰も言ってくれないから)僕、ジャイアンの脳裏には北原白秋さんが読んだ、「からまつ」という詩が浮かんだ。・・・・・。

「からまつの林をすぎて、からまつをしみじみと見き、からまつは寂しかりけり。旅ゆくは寂しかりけり。・・・・・・・」。いやあああ、泣けるぜ。

なんでも、北海道は「エゾ松」と「とど松」の産地らしい。社会科に事業で習ったように思うが、その違いが分からない。バスガイドさんが、すかさず教えてくれた。定番のマニュアルだろう。天まで届くがごとく上をむいて伸びているのが「とど松」で、「もうええぞ」と下を向いているのが「エゾ松」らしい。「なるほど、そうだったのか」と、僕たちはいたく感動。

ようやく一泊目のホテルに到着。A級ランクのホテルとのこと。確かに観光地らしい趣を呈していた。ただ、ホテルの外はっ暗。どこにもネオンらしきものが見えない。それもそうだろう。夜は凍えそうに寒く、外で遊び惚けようと思っている輩は我々くらいのものだ。金婚式か銀婚式か知らないが、夫婦愛の再確認にはもってこいの場所と言えるか?。

とりあえず、割り当てられた部屋へ向かった。部屋にはシングルのベッドが二つ据え付けてあり、その横に畳が敷いてあり、応接テーブルがあった。「ありゃあーー、ベッドが一つたりないぜ」と、ネズミ男君が言う。「1人は畳で寝るんだよ」と、のび太君が言う。すかさず、「じゃああ、おいどんが畳に寝ますばい」と、ネズミ男君。いびきという公害に少しでも遠ざかりたいという、ネズミ男君の発想だ。賢明な判断とピウべきか?。

僕たちはまず、風呂にはいり、座敷での夕食会に赴くことに決定。だだっ広い浴槽やら、こじんまりした浴槽がいくつかあり、二階には露天もあるようだ。さすがに、露天に入るには勇気がいる。南国育ちのジャイアンには寒さが耐えられない。また、元々、ジャイアンはかの有名な?温泉町で産湯を使ったので、さして温泉に興味はないが、のび太君とネズミ男君にとっては、温泉は何よりのご馳走である。従って、僕はカエルの行水だ。ぱっと湯船に浸かり、ぱっとあがる。彼らを待つこと十分。浴衣のままで、宴会場へ出動だ。

既に1号車の客達は食事を終えていた。2号車の客はまだ誰もいない。僕たちが一番乗りだ。畳には三人用、四人用、二人用と席が分けられていた。僕たちは三人用の席に案内された。なるほどねーーーー。こんな所にも添乗員さんの配慮があるわけだ。僕たちはすかさず、ビールをオーダー。これはもちろん自費払い。添乗員さんはあっちへ行ったり、こっちへ来たり、人数確認で大わらわだ。ビールを勧めると、「今日はちょっと無理みたい。あした一緒につきあうわ」と残念そうだった。泊まる場所も今日は別の所らしい。
確かに、人を相手にする仕事は疲れる。責任も重大だ。思わず合掌礼拝と頭を下げた。

僕たちはビールの後に、現地の焼酎をボトルでオーダー。「まああそこそこいけるぜーーー」と、ぐいぐいと飲み干した。料理は肉以外の山菜と魚だった胃にもたれず、丁度良かったか?。お子様向きでもなく、壮年向きでもなく、熟年用にぴったしの料理だ。お腹も空いていたので、きれいに平らげたことはもちろん。僕たちは最初から最後まで、この場所に陣取り、酩酊することいつものごとし。始末に負えないトッチャン坊や達だ。あとは野となれ山となれか?。






2011年01月02日(日) 元旦の夜。

平成23年が静かに明けた。くしくも外は雪。滅多にないことだ。僕の心は騒いだ。賀状を見て、おせち料理をたべて、ぼけっとしていた。午後から義兄の子供達が来訪。雪もやんだ。パソコンでゲームをして楽しんだようだ。それにしても、4人も子供が来ると、お年玉も馬鹿にならないぜ。正月早々四万円の出費だ。

元旦の夜は友人夫婦二組を招き、ワインパーティで、時を過ごした。友人の妻達(2人)は、妊婦さん。2人とも七ヶ月のお腹を抱えていた。もっぱら飲むのは男三人。旨いワインだったので5本もからにしてしまった。それにしても奇遇だぜ。出産予定は2人とも4月で、予定日も一週間違いだそうな。

1人の妻の子は、すでに性別が分かっていて女の子らしい。「ニーナ」と命名したいそうだ。旦那の名前がニコライと言い、妻がナオコ。それぞれ一文字を取って「ニーナ」というわけだ。漢字にするか、ひらがなにするか、カタカナにするか迷っているらしいが、漢字は適当な字がみつからないので、まああ、カタカナが一番良いか?。国際結婚で生まれる女の子はきっと、かわいいに違いない。

かたや、もう1人の妻はまだ、性別を教えてくれないそうだ。「えええつ、なんで? わーーーい?」と聞いたところ、モニターに映っていなかったそうだ。要するに「ちんちん」が着いていれば男なんだろうが、角度によって見えないこともあるらしい。「まあ、どちらでもいいや」と言うことで、そのままになっているらしい。こちらも国際結婚。僕に名前を考えて欲しいと頼まれたが、まだ思い当たる名前が見つからない。いくら考えても相手が気に入らなければ、元の木阿弥だ。

てなわけで、元旦の夜は遅くまで飲み明かした。僕も相当、へべれけになっていたようで、いつ友人達が帰ったのか定かではない。一年の内、一番ゆっくりできる日が正月だ。今日は昼頃目覚めだ。お天道様はとっくに昇っていた。

僕の旅日記も第4編まで昨年書いていたが、もうひとつ筆が進まない。去年のことは去年済ませておくべきだった。年が明けると、もう過去を振り返りたくない。いずれ気がむいたら、取りかかるか?。

おっと、忘れていた。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


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