umityanの日記
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大きな星が落ちた。といっても、隕石が落ちたわけではない。僕のクライアントである経営者が90才で亡くなったのだ。小柄な老婦人社長である。もう20年近くの付き合いになるか?。当時が70才。ひよっこの 僕を仕事でも遊びでもよくかわいがってくれた。
社長は大の麻雀好き。午後の1時頃から、仕事そっちのけで、夜遅くまで卓を囲んだ。僕も仕事の段取りを変更して、車で駆けつけたことだ。事務所新築に伴い、旧事務所を麻雀部屋にしていた。お茶セットから冷蔵庫まで備え付けてあり、まさに雀荘のミニバンである。
気心知れた仲間があつまり、全自動卓で熱戦が始まる。僕が一番若造。「はい、次はお母さんですよ」と言うと、「だまらっしゃい。私はあんたのお母さんじゃない」と言って、しかられたこと度々。調子がいいときは何も言わないで、にこにこしているが、一旦、負けが混み出すと機嫌が悪くなる。遊びとは言え、こちらが手をゆるめると、大きなしっぺ返しを食らう。だから麻雀は面白いのだろう。
ここ一年近くは病気で入院していたが、88才くらいまで、現役の打ち手だから驚きだ。背が小さいので、正面のパイを取るときは、細長い、しわびた手が「ぬーーーつ」と伸びてくる。どぎまぎしながら、その手を眺めたものだ。ぱっと見て、良いパイだったら、素早く面前のパイの中に収める。人に当たりそうなパイを持ってきたときは、「ちょっとまち」と言い、しばらく場を見渡し、考えてから「えええーい」と言って、場に出す。なかなか潔い。どこからか、「あたり」とか「「ロン」という言葉が響く。「見て、こんなに良か手ばい」と、残念そうにパイをかき混ぜる。今そんな風景が懐かしく頭をよぎる。
何よりも傑作なのは、こちたが当たり牌を振り込んだとき、「はい。それ」という言葉が返ってくる。「はい。それ」という言葉には一瞬たじろぐ。目を丸くして、オープンになったパイを覗くと、かなりの高得点。僕たちは「いやああ、お見事」と言って、頭をかく。
思うに、長生きの秘訣は常に手を動かし、頭を使うことかもしれない。社長はまさにそれも実践してきたわけだ。麻雀が終わり、後片付けをしようとすると、「そのままでいい」という。自分で後片付けをすることも、老化防止になると心得ているようだ。
10回やって、社長が勝つのは1〜2回あっただろうか?。社長にとって、勝ち負けは関係なく、競技に参加できることに喜びを感じていたのだろう。数日前、病院の部屋を叩いた。僕とは気づかず、荒い呼吸で身を横たえていた。そして昨夜、逝ってしまった。惜しい人を亡くした。明日が葬式である。
恐らく、天国まで麻雀パイを持ち込んでいるに違いない。「早く来い」という言葉が聞こえそうだが、「もうしばらく娑婆においてください」と、心の中でつぶやくことにしよう。
2009年02月24日(火) |
今日は色んな事があった。 |
いやああ、今日は色んな事があった。朝は9時から歯医者へ。「うんんん、ずいぶん良くなってきましたね。それでも、まだする事は一杯ありますよ。次回、左奧にメスを入れましょうかね?。決心がつかないようでしたら、虫歯の治療から先にしますかね?」とは、歯医者さんの弁。僕はすかさず応えた。「虫歯からお願いします」と。正直「メス」と聞いただけで、おっかなびっくりだ。
昔、歯医者さんから「立派な歯をしていますね」と言われて以来、僕の脳裏には歯医者の「は」という字はなかった。平家物語ではないが、「奢る者、久しからず」である。歯に冷たいものがしみるようになって、歯医者の門を叩いた。それが、つけのはじまりだ。
40分程度で、歯医者を後にした。鏡に歯を写してにんまり。その後、役場、病院、郵便局と回った。役場は、税務申告の時期。たのまれた書類の提出だ。受付に「完成品」ですと言って、箱の中へ「ポン」。その後、ロビーに設けられた仕切りのないオープン喫茶室でコーヒーを注文。楕円形のカウンターからは来客の行き来が見える。ここの女性店長とは顔なじみだ。なんでも、この店も3月で閉店するそうだ。やはり、不景気のあおりで、採算がとれないのだろうか?。そう、思いながら、いつも気になっていることを店長に話した。
何かと言えば、喫茶室の真横に飲み物の自動販売機があるのだ。当然、喫茶室にある飲み物と競合する。喫茶室のおいしいコーヒーを飲むか、自動販売機のコーヒーを飲むかは、客の選択によるが、売り上げに影響がでることは必至だろう。いかに、自由競争とは言え、役場に策がないと言わざるを得ない。僕が吠えても仕方がないが、楽しみの一つだった憩いの場が無くなることは残念だ。まだ、次のテナントは決まっていないそうな。
閉店までに再会を約して、病院へ向かった。これも頼まれた料金の精算である。その後、郵便局だ。返信のハガキをポストへ入れ、お年玉年賀ハガキの当選分を提示し、切手へ交換した。オール切手は毎年のこと。たまには1等か2等賞という美酒にありつきたい思えど、まだ運が回ってこない。それでも愉快だったことは、当選ハガキの一枚が、なんと郵便教からきた年賀ハガキだった。局員へそう告げると、にこにこしながら切手を差し出してくれた。「願わくば、来年もそうあって欲しいなあーーー」と言おうかと思ったが、あつかましいので止めた。
そうこうしていると、3時近くになった。来客の予定ありと言うことで、閑散とした町を後にして家路へと急いだ。待てど暮らせど客は来ない。5時頃電話があり、明日へのばして欲しいとのこと。「しかたなかっぺ」と思っていたとき、友人の「どらえもん君」からメール有り。先般、購入を打診していたコピー機械を10万円なら買っても良いという内容だった。当初20万円でどう?」と言ったが、どらちゃんは首を縦に振らなかった。この機械は相当に値がはるカラー複合機だ。僕は新たに新調するので2台はいらない。僕も太っ腹。彼の言う値で交渉成立だ。
しばらくすると、他県の役場から電話有り。1月に提出した書類に不備があるという。一つを除いて、後は単純なミス。この一つが厄介だ。僕のみの判断では如何ともしがたい。明日、経営者と相談しなくてはならない。災難は忘れたころにやってくる。完璧と思ったことが、そうではないことを知ったときのショックは大きい。まさに、オー・マイ・ゴッドだ。
日記を書いている場合ではないが、生来、能天気の僕。明日があるさジョージアで。既に明日の献立は完了。献立・・・・?。メニュー・・・?。いや、スケジュールだ。とりあえずその線に沿っていこう。寝るか。
2009年02月19日(木) |
久々の都会 NO.2 |
冷たい雨が午後から降り出した。こんな日は開店休業だ。先日の支部同窓会の後編を書くには丁度良い。かっての記憶を頼りに僕はてくてく歩き、駅を後にした。都会では誰一人、知り合いと出くわすことはない。気楽と言えば気楽だ。
ただ、気楽なのは良いが、すれ違う人たちは皆、僕を避けるように通り過ぎていく。さもありなん。僕の出で立ちは、黒ずくめスーツに、黒のハットに、黒のシューズ、黒の手提げカバン。おまけに足が短い。まさに、「笑うセールスマン、喪黒福造」だ。こんなアウトロースタイルを、「決まっている」と思っているこの僕も相当におめでた者だ。
道すがら、ホテルの玄関を掃除している、おじさんに会場を尋ねると、もう、目と鼻の先ということ。「早すぎたか?」と思ったが、遅れるよりはましだろう。会場に着いた。開演までにはまだ1時間以上ある。ロビーの喫茶室でホットレモンを注文。ロビーへの出入り客達を眺めていると、同級生の一人である画家がやってきた。昨年の同窓会も一緒だった。喫茶室でしばらく談笑した。彼は長男と言うこともあり、故郷に残した母親の介護等で、年に数回、本拠地である関東と故郷を行き来している。この同窓会の後、本拠地へ帰るらしい。
彼は売れない画家、僕は売れない事業家。双方に自由業だ。「食えて、少々、酒が飲めれば自由業が一番だぜ」と、僕たちは笑いあった。「ところで」と、彼は絵の話しをもちかけた。僕に買ってもらいたい絵があるという。以前、僕も見たことがある絵らしい。なんでも、絵に登場している人物が僕に似ていると、彼は言う。そう言えば、その絵を見たとき、「僕に似ているじゃん」と、言ったような記憶がある。今は、借り倉庫のなかで静かに眠っているそうな。
「いくらだい?」と聞くと、30万円という。「えええっっつ、そんなにするの。20万円以下だったら買わないこともないけどね====」と言うと、「それなら売らない」と言う。さもありなん。魂を込めた作品を安売りは出来ないだろう。「鳴くまで待とうホトトギス」ではないが、何かの記念に彼が「ろは」で差し出すまで待つことにしよう。宝くじでも当たれば、そく購入するんだが・・・・。
定刻となり、僕たちは卒業年度ごとに設営された丸テーブルに陣取った。総勢100数名中、同級生は10名ばかり来ていた。談笑していると、毎年司会をやっている同級生が僕の所へやってきた。何かと思えば、先故者の黙祷の弁を僕に述べて欲しいと言う。「えええつ、又あー・・」と、僕は苦笑いした。というのも、昨年あった同窓会でも、黙祷の弁を述べたからである。
僕は壇上にあがった。こう述べた。「こんにちは。僕はどこどこで、何々をやっている○○といいます。本日は司会の方から、黙祷の弁を述べて欲しいとの依頼がありましてお引き受けしました。先輩諸氏を前にして、僭越ではございますが務めさせていただきます。宜しくお願いします。黙祷・・・・・・・。」。数秒間の空白の時間が流れた。僕は頃合いを見計らって「やめ。有り難うございました」と告げた。壇上を降りて席へ戻った。
画家が言った。「今日はよかったよ」と。実は、昨年の黙祷の時は「やめ」という言葉に力が入りすぎて、かなり大きな声だったらしい。今日はその言葉を抑えて言えよ」と、注意を促されていた。やれやれだ。僕はこんな会に出席のたびに「黙祷」をやらされるのかなーーー。まるで「黙祷おじさんだぜ」と、苦笑したことだ。
余興には、今時珍しい「チンドン屋さん」が招待されていた。はでな出で立ちで、腰振り振り、「チン…ドン…ピーヒャラやー」と、席の周りを巡回した。昔は、店の開店披露でアーケード街を巡回している姿を見たことがあったが、この場での実演は、面白くもあり、少々面食らった。ほほ三時間の同窓会は幕を閉じた。焼酎で舌鼓を打ったが、酩酊するまでには至らず。ここで酩酊しちゃあ・・先がない。
2009年02月17日(火) |
久しぶりの都会。NO1 |
2月14日は、いわずもがなバレンタインデイの日。もう僕には関係ないか?。丁度その日に、さる都会で、高校の時代の支部同窓会があった。都合がつけば毎年出席している。酒が入ると言うことで、ローカル駅から電車で出かけた。電車に乗るのも久しぶりだ。切符の買い方がわからない。右往左往しながら、人の様子をみた。無事に購入。自動販売機は便利だ。
最近の電車は、なかなかきれいだ。自由席を目指して足を運んだ。以外や、空いていた。眠り込むのももったいないということで、最近買った文庫本に眼を通した。これが結構面白く、周りに気遣いながら、にやにやすること、たびたび。時折、車窓から観る風景が新鮮に感じられた。田んぼ、家、川、小さな森、大小のビルディング・・・・。電車のスピード感とと相まって、まるでパノラマ写真を見ているようだ。
そうこうするうち、電車は目的地の駅へ滑り込んだ。「うひゃーーーー、さすがに都会だぜ」。久々に見る都会は、高層ビリと人の群れで一杯だ。駅の中はごった返していた。皆、能面みたいな顔をして、さっそうと歩いている。どこへ行くのだろう?。ふと思った。かの銀河鉄道999の、ある場面を。
いまや機械が支配する星。人間は機械の体を求めて、ベルトコンベアーに乗っかってどこかへ向かっている。皆、背を丸めている。嬉しいのか?嬉しくないのか?。鉄郎はそんな姿に悲しみを覚える。感情を持った生身の体が一番いいんだと気がつく。
そして、僕も気がついた。機械の体をもったごとき都会には、時々来るのが、いいようだと。やはり田舎が一番だべ。今時は「肥えたご」に落ちることもないしなあーーーー。
子供のころ、「肥えたご」に落ちたことがあった。はしゃぎすぎでの出来事だ。そりゃあーーーもう、表現する言葉が見つからない。我が人生における一生の不覚とはこのことだ。ちょっと、オーバーか?。話しが脱線してしまった。
おっと、5時に来客有り。準備に取りかかろう。続きは後日にしよう。
2009年02月07日(土) |
友、近くより来たり。 |
二月は逃げる月とはよく言ったものだ。そんな二月を僕は追いかけている。追いかけても、追いかけても僕は届かない。アキレスとカメのかけっこを思い出す。先に行っているカメに僕はいつまで経っても追いつかない。カメのいた地点へ着いたときは、もうカメは先へ行っている。これじゃあーーー永久に追いつかないのか?。まさにパラドックスだ。
そんな中、今宵は高校時代のクラスメートが当地へやってくる。仕事がらみと思うが、彼の親戚が当地にあり、そこへ泊まるのだろう。「友、遠方より来たり。楽しからずや」である。おっと、遠方というほどでもないか?。故郷の地まで車で数時間の距離だ。
彼に会ったのは昨年の十一月。このときは高校全体の同窓会の場だった。人が多すぎて十分に語ることもなかった。そんなこともあり、今年の一月に、改めてクラス会が催された。毎年、クラス会みたいなことをやっているから、僕たちのクラスはよほど、人恋しい者たちばかりのようだ。僕もその例外ではない。 ・ あに図らんや、当日僕は仕事で行けずじまい。そんな僕を可哀想と思ったのか、クラス会が催されているとき、電話・・・古いなあーー携帯電話のベルが鳴り、「今、やっているぜ」と告げられた。僕の事が話題になり電話をしたらしい。話題になると言えば、せいぜい悪口ぐらいのことだろうが、忘れ去られるよりましか?。携帯口に次々とクラスメート達が出た。「会えなくて残念」という言葉に、僕も、ME TOO.と応じた。
てなわけで、今宵はそのクラスメートの一人が当地へ来るわけだ。僕の脳裏には今宵のスケジュールが既にできあがっている。こういう遊びについての計画は滅法早い。仕事の計画もこれだけ早ければいいのだが・・・・?。
大まかな計画はこうだ。恐らく三次会までは足を運ぶだろう。まずはじめに、和服姿のママさんが一人で やっている小料理屋で腹ごしらえだ。ママさんに僕は催促するだろう。「ママ、僕の名前を言って」と。ママ曰く「えええつ、なんでえーーー?」「純ちゃん」と。すると、返事が二つ聞こえるだろう。なな・なんと、僕の友人の名前も「純ちゃん」。ここで大笑い。僕たちは「ダブル純」なのだ。僕は思うだろう。「二次会・三次会もこの線でいこう」と。
三次会で行く予定の店のママさんは同郷の人で画家である。店の中にはママの作品群が多数、壁に掲げられている。とある焼酎のラベルにもなっているそうだ。以前、この店で失敗したことがある。日頃吸わないタバコを友人から一本もらって口に運び、口から離したとたん、すぐそばへやってきていたママのウールの上着にタバコの先を押しつけてしまった。まあるい「こげ」が出来ていた。僕はひたすら謝った。
ママから出てきた言葉が嬉しかった。「いいの。いいの。その代わり連続五回、店へ来て」という。覆水盆に返らずだが、ママの器量の大きさに驚いた。今日行けば、果たして何回になることやら。
おっと、色々としなくてはならないことがある。今宵の結末は紙面を改めて書くことにしよう。
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