umityanの日記
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昨日はやや激しい雨風。今日はどんよりした曇り空。時折、お日様が顔を覗かせている。梅雨時に相応しい天気だ。ぼた餅みたいに太った紫陽花の花が、重たそうに首をもたげているのがおかしい。
六月・・・水無月はもうすぐだ。水無月とは水の無い月かと思っていたが、さにあらず。水の月らしい。田んぼに水を入れる月の意らしい。万葉集にも歌がある。「水無月の地(つち)さへ割(さ)けて照る日にも」
今、田んぼでは麦刈りが盛んに行われている。早朝より、農機具の音が、空気をふるわせる。刈り取られた麦わらは昔は燃やしていたが、この頃はぐるぐるに巻き取られ、袋詰めになり、家畜等の飼料となる。もしくは田んぼの中に埋め戻し、再利用することになっている。燃やすと煙が道路に充満し交通の妨げになり、かつ、近所の家の中に煙が舞い込み、迷惑になると言う理由からだ。僕に言わせれば、ほんの一時期のことで、我慢すれば済むことだと思うのだが・・・・・。刈り取りが終わるといよいよ水無月。田んぼに水を注ぐ季節となる。まさに生業は自然と共に成り立っている。
そんな風景の中、僕の身の回りに大きな変化はなし。ただ、昨日は友人の父上が他界したので、葬式に参列した。韻のこもった読経を聞きながら香を手向けた。お孫さんが述べた別れの言葉は涙を誘った。
こういう穏やかな人の死に接すると、敬虔な気持ちになる。一方、自ら命を断つ死は何ともいたたまれない。最近、美しいフリーの女性アナウンサーが命を断った。そうさせた彼女の気持ちに何があったのか分からない。
時々思うのだが、人生、生きていく上で、どうすることも出来ない八方ふさがりというものがあるのだろうかって?。のらりくらりと生きている僕にはそう言うことが目に見えないのかも知れない。それでも、何か悲しい気がする。何か出来なかったのだろうか?。
更に、時々思うのだが、僕に幽体離脱の能力があるならば、自ら命を断とうとしている人の所へ飛んでいき、「ダメ、ダメ、そんなことをしちゃダメ」と強く抱きしめ、「こんなにも愛している人がいるんだよ」と、言い、思いとどまらせたいと思う。残念ながらこれもアニメの世界か?。
人間にはこの世で避けられない四つの苦しみ、「生老病死」という仏教の言葉がある。その四つの苦しみを救えるのは「愛」でしかないと、僕は思っている。愛も抽象的で範囲が広く、つかみ所がない。僕の言いたい「愛」は、すかっとさわやかなコカコーラや、ペプシコーラみたいなもので、喜びを享受しあえるものだ。重荷にならず、愛されているという実感。生きていく上で必要なものはこれではないんだろうか?。
ただ、そんな愛さえ乗り越えてしまう悪魔がいる。だからこそ、僕は幽体離脱して、その悪魔と闘いたいわけだ。闘いに勝って日が暮れて。そんな生き方が僕に科せられている課題だ。
おっと、昼休みの時間も少なくなった。本業に戻ろう。
2008年05月25日(日) |
僕の夢らしきことの変遷。 |
夢。ドリーム。なんと響きの良い言葉だろう。小さい頃、「あなたの夢はなんですか?」とよく、聞かれた。この場合の「夢」とは将来実現したい願いや理想のことである。思えば歳と共にその夢らしきことは変化してきた。
小・中学時代はことさら探偵小説が好きだった。江戸川乱歩さんの明智小五郎シリーズ。コナン・ドイルの「シャーロックホームズ」シリーズ。横溝正史さんの金田一耕助シリーズ。図書室から本を借りて、寝そべりながら読みあさったものだ。テレビや映画でもよく見た。興奮した。
かくして、小・中時代の僕の夢は職業として名探偵になることだった。推理と行動を駆使して難問題を解決する。そのスリルと興奮がたまらなく好きだった。その影響が高じて、級友達にニックネームをつけた。もちろん僕が小五郎。他に大五郎と中五郎がいる。今でも、年賀状では、その名前で呼び合っているからおかしい。来る6月に級友会がある。まだ、出席するかどうかは決めかねている。
正直、当時の僕は名探偵明智小五郎どころか、相当の悪ガキだった。何の事でしかられたのか?もう定かではないが、理科の先生に職員室へ呼ばれた。「明智小五郎たる者が、そんなことをするのか?」と言われ、しばらく廊下に立たされた。その頃、父が教頭をしていたので、見かけねてわびを入れたようだ。僕は涙を見せなかった。父は家へ帰ってからも何も言わなかった。男はそのくらいあって、ちょうどいいと思ったのだろうか?。かくして、名探偵も迷探偵のレッテルを貼られることに・・・・。
高校に入学した。その頃には、すっかり探偵気分も冷めて、見渡せば灰色の世界。父が他界し、その悲しみも知らぬまま、訳も分からず受験勉強に取り組んだ。受験勉強が将来のいかなる夢につながるのかなんて、考えてもいなかった。ただ、まさに人がやっているから僕もしてるという感じだ。この頃の夢と言えば、「あああ、早くこの環境から抜け出し、なんでもいいから大人になりたい」と言うことだった。要するに社会の仕組みなど、なにも知らずに世の中は自由で楽しい世界だと思っていたわけだ。
将来、どういう仕事に就きたいとか、何になりたいとか言う、目標も夢もないまま、とある地方大学に受かった。四年間、無為無策のノンポリで大学時代を過ごしたようだ。何かの本で読んだが、大学は専門的勉強をすることはもちろん大事だが、それ以上に、「物の見方、考え方」を養うところであると書いてあった。
残念ながら、僕が養ったものは、中途半端な知識と、遊びと、純粋さだけだ。自分に適した、又、自分が好きな仕事が何なのか、まるっきり分からなかった。父が国語の教員だったせいもあり、文系を選択した。今では、文系的ことであれ、理系的ことであれ、「だぼはぜ」みたいに、何にでも食らいつく「とっちゃん坊や」である。
ただ一つ、当時、これにだけはなりたくないという職業があった。「学校の先生」である。父の姿や苦労している母の姿を見てきたからそう思ったのかも知れない。教壇に立つ分にはいいが、それ以外の周りの世界が、嫌に感じられたのである。父や母はことあるごとに世の中の醜いことや、身の回りの嫌なことに蓋をしてきた。そのことは僕たち兄弟にとっては、良かった。少なくとも、社会をきれいな目で見る事が出来たからだ。
のらりくらり、平々凡々と時が流れた。就職の時がやってきた。さしたる目的もなくある企業へ採用された。初めて飛び出した世の中はまさに「泳げたいやき君」のごとき、桃色サンゴが手を振って僕を迎えてくれた。「桃色吐息」という歌のごとく、そんな世界こそ僕の夢だと思えた。だが、その甘美な日常は長く続かなかった。僕は挫折した。理由は何だったのだろう?。
当時は周りを悪く思った。今思うとそれは間違いである。僕は社会の構造をよく知らなかった。競争の社会であることを理解していなかった。世の中は受験戦争の延長みたいな所だった。何が違うかと言えば、給料をもらい、企業に貢献すれば出世、昇進のみちが開かれる社会が世の中である。企業は戦士を求めていた。そういう能力のある人材を求めていた。僕はその企業戦士になれなかった。うまく適合出来なかったわけだ。
何故なのか?。多分、打たれ弱い性格を持っていたことがその一つ。おおかた、皆、最初はそうかも知れないが、まだ心臓に毛が生えていなかった。僕の場合はその後も、産毛さえ生えなかった。よくいえば純粋さが邪魔をし、悪く言えば世間知らずで、ハングリー精神が欠如していたのだろう。引き留める親兄弟や上司の言葉も聞かずに企業を去った。しばらくは途方に暮れたが後悔はなかった。
かくして新たに描いた夢は、「俺みたいな性格の者は、自分で出来る何かを見つけるしかない。個人事業なら性格に合っているかもしれない」と、言うことだった。紆余屈折しながら、何とか今の自分にたどり着いた。もちろん、運・不運もあるが、僕は運に恵まれてきたようだ。
振り返って考えてみると、良しにつけ悪しきにつけ、夢らしき夢も持たず、「ただ、ひたすら、のらりくらりと、純粋に」を心底において、生きてきたように思う。となれば、あの種田山頭火や、良寛さんみたいに、自然と共に生き、世界を行脚するのもいいかなーーなんて思ったこともあるが、小心者の僕にはその勇気とてない。今では、明日がよからんことを願いつつ生きるのみだ。
今日の大発見。と言っても、人様にとっては「なんだ・・・ばかばかしい」と思えるようなことだ。何のことはない。連の花が咲いただけのこと。
今朝、起きて何気なく、玄関の横に置いていた水槽鉢を覗くと、淡いピンク色を呈した蓮の花が一輪咲いていた。最初、誰かの徒で造花かなと思ったが、まさしく本物。
こんなに突然、咲くとは夢にも思わじ。感激もひとしおだ。思えば、3〜4年前、園芸店みたいなところで、赤ちゃん蓮を購入した。水面にグリーの葉っぱを広げている様が、涼しく感じられたので求めたわけだ。
もともと、連は、昔から家にあった。ばあさまが、五升炊きか?10升炊きか?知らないが、大きな歯釜を使用しなくなった。そこで、蓮の鉢として利用し、外門のフェンスの内側仁置いて育てていた。花が咲いて美しいことは言うまでもない。ただ、玄関の横に歯釜を置く訳にもいかない。そこで、僕は適当な鉢を購入し、玄関横で育てることにしたわけだ。
もう一つ。蓮を育てることにした僕のやましい理由をあげれば、ばあさまへの対抗意識があったようだ。まだ、ばあさまが存命の頃、ことあるごとに「花に水やったか?」と聞かれた。「まだです」というと、怪訝そうに目を三角にして僕を見たものだ。当時、僕は労働の担い手だった。そのことに今も変わりはないが、何となく命令調に言われると僕の小さな心も痛んだものだ。そんな経緯ながらも、ばあさまの亡き後は、みずから進んで、花に水をやるようになった。これも罪深い僕に対して神があたえた試練なのかも知れない。
花が好きというわけではない。人が育てた花を美しいと思って眺めるのが関の山。しかるに、ばあさまの亡き後を契機に、僕の心もすこし変化したようだ。まだ、ほんの少しである。朝顔や、月下美人、蓮は自ら手を染めた。爪の中がドロで真っ黒になるが、愛情を持ってそだてると、決して草花は裏切らない。蓮はただ、水が少なくなったら、適当に補充して放置。毎朝眺めては、葉っぱがどうしているかな?と眺めるだけ。ほんのそれだけなのに、こんなに美しい花を咲かせるなんて。朝顔もやっと小さな原始葉をだした。これも水をやるだけ。月下美人は屋内の廊下にあるが、ただ日光を当てるだけ。いとも簡単だ。
蓮も月下美人も、あわいピンク色を帯びてはいるが、まさに純白のドレスを着た花嫁を思わせる。あえて、違いがあるとすれば、蓮にも、月下美人にも「とげ」がないことか?。ここ、しばらくは毎朝、僕の心をいやしてくれるだろう。 朝もやに 人知れず咲くや 連の花 まぶたに浮かぶ ばあさまの笑顔 (字余り) 取りも直さず、僕が今日、感動したことをしたためた。
2008年05月16日(金) |
のび太君、ドラちゃんとの懇親会。 |
一昨日は久しぶりに夜の町へ繰り出した。のび太君(弟みたいな友人)、ドラえもん君(本業の仲間)、それに僕(ジャイアン)の三人が集まった。昨年旅行を共にした仲間なので、話しはおのずと弾んだ。
三人が寄ったいきさつはこうである。ドラえもん君が僕に問うてきた。「かくかくしかじかの場合どうしたらいい?」と。そこで、僕は専門家である、のび太君に、その件を紹介した。のび太君はその仕事を快く引き受けた。
かくして、めでたく仕事が完成し、ドラえもん君が一席設けると言う。僕も有り難くご相伴にあずかった次第である。
のび太君の偉いところは、友人からの仕事依頼の場合、格安で引き受けてくれることだ。僕もドラえもん君と同じような仕事をのび太君へ発注したことがある。仕事が終わり、「いくら払えばいいの?」と請求を促すと、「ジャイアンの好きな額でいいよ」と言う。これには払う方も困ってしまうが、おおむね50%引きで、まとまった。今回のドラえもん君の場合もそうだった。
僕がドラえもん君へ、「いくら払ったの?」と聞いたところ、「ドラちゃんの好きな額でいいよ」と、言ったらしい。結局は僕と同じ額だったようだ。ドラえもん君は、いたく感動して今回の席を設けたというわけである。
約束の時間は午後6時半という早い時間だったので、だだっ広い小料理屋は空いていた。カウンター越しにある座敷の一角に陣取った。ビールから始まり芋焼酎へとグラスが変わった。つまみは鍋物やら串刺しやら魚の煮付等々。
串刺しの食べ方が面白かった。梅干しを入れるような壺が一個。中には「たれ」がなみなみと入れてある。のび太君がその、たれを皿に注ごうとした。僕はそれを制した。「のびちゃん、だめだめ。串刺しを壺の中のたれに漬けて、食べるんだぜ。しかも一回つけて、串刺しを口に運んだら、ダブル漬けはだめだよ」と言うと、この初めての経験に結構興味を示した。ドラえもん君は「ほほう・・・・」と、大きな目をさらに大きくして、この様子を見いっていた。 僕はすでに数回、経験していたが、最初の時はのび太君と同じようなことをした。何事もやはり経験だぜと思った。
仕事の話しやら旅行の話しで弾んだ。「今度はベトナムへ行こうや」と、ドラえもん君が言った。のび太君もジャイアンもそれに同意した。ベトナムもすごく経済発展している由。そこに住む子らの、輝いた目を見たいと思う。と、同時に、学校はちゃんと建っているのだろうか?と心配になった。
のび太君が言った、カンボジアでも学校はたくさんあるのだそうだ。おそらくベトナムもそうかもしれない。何が不足しているかと言えば、教える先生がいないとのこと。「なんだまた?」と聞いたら、要するに人件費、給料が安く、先生になっても食べていけない。従って、別の職業も持っているという。それでは十分な教育が出来ないわけだ。
いろんな国にいろんな事情があり、いろんな国にいろんな人たちが生きている。一人の人間の力では何も出来ない。もっともっと国際協力が望まれるところだ。
僕たちは、二次会、三次会へと歩みを進めた。帰りは午前様だ。朝が辛かった。それでも、起きて仕事をやらねばならない。ぼーっつとした頭で、昨日の午前中を過ごした。日が変わり、今日はすかっとさわやかに元気である。
様々な所で、様々な人が生きている。様々な所で、様々な天災や人災がある。ひっくるめて災害と言うか?。昔は、遠い異国や遠方での出来事で、身近に感じることが少なかったが、今や文明機器の媒体を通して、あまりにも身近に網膜へ投射されてしまう。
先日は、ミャンマー直撃のサイクロン。今や中国大陸での大地震。何万人という人たちが犠牲になったよし。ゆゆしいことである。「天災は忘れた頃にやってくる」というが、まさにしかり。
日本列島でも各地で微弱な地震が多発している。不気味な気がしてならない。明日は我が身かも知れないからだ。「日本沈没」という映画があった。当時は、「ありえないこと」と一笑に伏していたが、その気持ちも消えた。予測不可能な事があまりにも多いからだ。
日本は今、関東大震災クラスの地震がいつやってきてもおかしくない環境にあると言われている。そのための防災対策も都会では考えられているようだが、どうも、日本人は生と死に対する認識に疎いようだ。農耕民族という言葉に代表されるように、目がとろーーーんとしていて、輝きを失い、雨が降ったらぬれていこう。なんとかなるさ。まだ大丈夫だろう的、感覚である。
実は僕もそういう性格を存分に持ち合わせている。あくせくもがいても仕方なかっぺ。なるようにしかならないちゃ。お天道様が西からのぼることはあるまいて。明日もあるでーーー」とかなんとか、ちゃらんぽらん的発想ばかりだ。
騎馬民族の人はそうではないらしい。とりあえず明日を考えないのだそうだ。一日が勝負。その日、一日に命を燃焼させている。毎日が生との闘いなのだ。だから、決して自分の過ちを認めることはしない。なぜなら、自分の行動は生そのものだからである。一旦、過ちを認めると、その禍根と言うか、因縁が5世代にわたって続くこともあるという。
この善し悪しは別として、農耕民族であれ、騎馬民族であれ、災害は人を分け隔てすることなく突然に、どこにでも発生する。要は日々の心の持ち方が大事なのではないか?。とにもかくにも、生きることにもう少し錬り張りを持ってもいいのかも知れない。錬り張りとは、ある時は農耕民族のごとく、のらりくらりと静的であり、またある時は騎馬民族となり、目を輝かせ動的に振る舞う。意見もどんどん述べる。かくして、その日、その日に命を燃焼させて生きる。こんな生き方かも良いかも知れない。ただ、こればかりじゃ、疲れるしなーーー。
やはり錬り張りだ。錬り張りがある人生こそ面白いし、未来への展望も明るいのではと思う。災害に対する対策、知恵もしかり。他人事とは思わず、「明日は我が身かも知れない」という危機感を念頭に、用意周到な対策が望まれるだろう。そう言いながら僕は未だ安穏としているから始末に悪い。すっかり農耕民族になってしまった。
ところで、僕は何が言いたかったのか論点がぼやけてしまった。そうそう、ただただ、ミャンマーと中国で被災された方々に心より哀悼の意も述べたかった。民族間の争いを避け、天災撲滅の為の共同の研究なり、被災撲滅のあらたなる対策の構築に世界が一致団結すべきだろう。
昨日とは打って変わって好天気に恵まれた。まだ、幾分か肌寒く、頰を打つ風が冷たい。今日は午前中、仕事で外出。午後からは自由時間となったが、昨夜の酩酊がたたったか、2時間ばかりソファーでうたた寝をした。
目が覚めると午後3時半。外の天気に変化なし。今がチャンスと、先日購入していた朝顔の種をプランタンに蒔いた。早く芽が出て、涼しい花を咲かせて欲しい。毎朝、水をやるのが楽しみだ。
そう言えば今日は母の日だ。母の日に朝顔を植えるのも、これも何かの縁だろう。先日の日記にも書いたが、子供の頃、母と朝顔を育てた記憶が鮮明に蘇る。意識して今日、種を蒔いたわけではない。母へのプレゼントは一週間前に、幾ばくかの金子と菓子を贈った。本当は日帰りでもいいから出かけて顔でも拝めたらよかったのだが、6月に中学時代の同級会があるので、その時まで待つことにした。
中学時代の同級会は何年ぶりだろう。今回の会場は我が家から歩いて数分の場所。昭和天皇も泊まられたという老舗の旅館である。あまり、近すぎて羽目を外すことも出来ないのが一つの欠点か?。すぐ情報が母へ伝わってしまう。まあ、今回は借りてきた猫のごとく、おとなしく振る舞うことにしよう。
先ほど、カンボジアに学校を建てる資金という名目でチャリティーをやっているテレビ番組を見た。あちらの子供達を見ていると皆、目が美しく輝いている。笑顔がまたいい。教育を受けられれば、きっと、立派な大人に成長するに違いない。世の中の不均衡がただただ、恨めしく思える。
今、思い出したが、確か5〜6年年前、弟(仕事仲間)は、学校を建てるとか言って、○○会の仲間達とカンボジアへ行ってきたようだ。その後、「学校は建ったの?」と聞いたら、まだ柱も立っていなかったそうだ。色んな面で難しい問題があるのだろう。
日曜日も後数十分でおさらば。明日から再び、娑婆が動き出す。明日に向かって前進あるのみだ。
今日は雨。久しぶりの雨だ。寒い。半袖では風邪をひきそうだ。衣替えを終え、ほっとしていたのもつかの間。再度、冬スタイルに変身だ。
テレビでニュースをみると、各地の天気が乱れている由。北海道では、異例の降雪。はたまた、夏を思わせるごとき気温上昇。南高北低と思っていた気候も、今じゃ北高南低だ。これら気象変化の原因は何なのだろう?。
目白押しの物価高。国際情勢はあいかわらずきな臭い。国内では陰湿な事件が多発している。考えてみると明るい材料が何も見あたらない。一体どうなっているのだろう?。朝起きたとき、そんなことを考えた。
部屋から外を眺めた。風と雨で木々が揺らいでいる。空は灰色一色。こういう日は、さすがの僕も気楽なとっちゃん坊やではいられない。何かは分からないが心配である。
ちなみに今日の僕の予定は、午前10時と午後1時、午後5時に仕事がはいっている。「あーーあっ、いやだなーーーー」と」思えど、やらなくちゃならない。キリストは「人はパンのみに生きるのみにあらず」と言ったが、パンがないと生きていけないんです。
ちょっと、悲観的になりすぎたか?。「明日があるさ。ジョージアで」。さあ、気を取り直して、出立の準備にかかるか。すべては自然の導くままに歩むことにしよう。
2008年05月08日(木) |
もう、衣替えの時期か?。 |
今日の暑かったこと。「まだまだ序の口」という声が聞こえた。衣替えには少々早かったかも知れないが、半袖のTシャツに短パンをはいた。うまそうに太った白い足をさらけ出すのは、やや恥ずかしい気がした。そのうちに、こんがりと焼けて見栄えも良くなるだろう。
僕に悪い癖がある。昔からズボン下をはく習慣があり、そのずぼん下の上から、短パンをはくので、ズボン下が短パンからはみだすのだ。「みっともないからやめてください」と、何度も周りから注意を受けてきたが、家にいるぶんには、誰にも迷惑をかけないから、それでいいと思っている。そんな格好で、麦わら帽子をかぶり、水まきやら野良仕事をしていると、「変なとっちゃん坊やがいる」と、奇異な目で見られることがある。気にしない。気にしないだ。
ただ、いかんせん。予定外の来訪者があると、あわててしまう。短パンの上から更にズボンをはくか、もしくは、ズボン下を脱いで、短パンのみにする。これを素早くしないと、来訪者を待たせることになるので始末が悪い。そそくさと着替え何食わぬ顔で応対だ。いずれにせよ、こういう格好が出来るのも男性の特権だろう。
そんな装いで、今日は事務仕事に励んだ。時折、小さな虫が足をはい登ってくるような感覚にとられる。短パンをはいていると便利だ。片方の足で、違和感のある足をこすればよい。長ズボンだとそうはいかない。まあ、一長一短ありってところか?。
こんなに暑い日は確かに集中力が鈍る。この物価高だ。まだ冷房を入れるのは我慢している。椅子に座り、30分そこらで席を立ち、冷蔵庫の水をごくり。廊下や窓際へ足を運び、人、ひとりっこいない外を眺める。そんな時、僕の頭は何を考えているかと言えば、やはり仕事の事だ。今、作成した書類に手落ちはなかったか?、文章の組み立てに誤りはなかったか?、あああ、はやくこの仕事を片つけたい。いくら請求すればいんだろうか?。そんな事をぼんやりと考えていると、ふっと、名案というか、間違いに気がつくことがある。かくして、席に戻り、修正の書類を作成する。
ひとりでやる仕事は、いつもこうである。時間がないときは集中してやることもあるが、さして仕事量も多くなく、期日に余裕があるときは、だらだらやる方が、いいのかもしれない。ここで、僕に取っての格言を一つ。「仕事は遊びだぜ」。正直なところ、こういう感覚で、ずーーーーっと、やれたらいいのだが?。
今、こうやって備忘録らしきものを、したためているのも、仕事の合間をぬってである。書き上げたら、多分、水をごくりと飲み、ほぼ、一時間ちょっと、と迫った今日という日を、いかにして過ごすかを考えるだろう。考えるまでもないか。結論は見えている。疲れた目を癒やすべくベッドに入り、早起きをするぞと、頭に言い聞かせ、悶々とした一夜を過ごすのだろう。
2008年05月06日(火) |
連休の谷間に咲いた花。 |
連休が五月の風と共に去った。すでに、娑婆世界では帰省のための民族移動が始まったよし。海外へ飛んだり、故郷へ帰省したり、行楽地へ赴いたり、人は様々な足跡を残してきたことだろう。僕が残した足跡と言えば、ふにゃふにゃになった指(人様が愉快に遊ぶ姿を指をくわえながら、うらやましそうに眺めていた)と、仕事で幾ばくかの収入を得たことだ。毎日2〜3の仕事があると、さすがに遠出する気にもならない。風と共に去ったゴールデンウィークを、ただただ、恨めしく思うだけだ。
そんな僕を気遣ってかどうかは知らないが、一昨日、同い年の友人が電話してきた。「おい、どうしている?。全然、連絡がないから心配していたよ。今日は飲んでいる?。今からそっちへ行くから一緒に飲もう」という。翌日も早朝から仕事があったが、「酩酊しなければいいんだ。何とかなるだろう」と、意を決して出かけることにした。
折も悪く、その日は、後半四連休のスタート日。夜の灯火も大半は消えているだろう。とりあえず、焼鳥屋で待ち合わせた。時間通りに赴くと、既に友人は来ていた。店内をのぞくと満席。な・な・んと、そこに、のび太君(弟みたいな仕事仲間)が、異業種交流の○○会のメンバーと来ていた。挨拶はかわせど、坐る場所がない。すかさず、のび太君が「○○ちゃん、あそこに電話してみたら?」と、彼の遠縁にあたる店を紹介してくれた。
運良く開いていた。団体の予約があったので、開けたのだそうだ。僕たちも便乗することにした。ここのマスターもよく知っている。のび太君と何度も行ったことのある店だ。脱サラのマスターは店を開いて丁度八年目。焼き鳥から、鍋物まで、何でも有りの小料理屋風の店。おすすめは「ソーメンチャンプル」。ゴーヤとソーメンがほどよく混じり合い、皿に山盛りで出してくれる。我々はダイナミックにそれをついばんだものだ。マスターも我々とほぼ同い年カツX1の独身。彼女はどうもいるらしい。僕たちは焼酎に焼き鳥と冷凍鯨なんかをつまみに、話しに興じた。
そうそう、ここで、友人のことを少し紹介しておこう。友人はめっぽう山登りが好きな独身男性。今まで一度も嫁に行った?じゃあなかった。嫁をもらったことがない。男性として欠陥があるわけではない。要するに縁がなかったということだ。彼の自慢話がある。「おいらは武田鉄矢を追い越したぜ}と言う。何のことかと言えば「101回目のプロポーズ」というドラマがあったが、その101回のプロポーズを遙かに追い越したという。なんでも、120回以上はお見合いをしらたしい。僕たちは大笑いだ。
世の中とは不思議なものだ。たったの一回でまとまる人もいれば、彼のように延々とまとまらない場合もある。その違いは何だろう?。「縁」ということになるのだろうか?。彼に縁がないわけではない。縁はあってもそれを生かすことが下手なわけだ。悪く言えば、わがままということになるか?。
彼の口癖はこうだ。「ぼかーーー、気の強い女性はダメ。すこぶる、めっぽう、果てしなく、十二分に優しい女性でなければダメ」という。「そんな女性が今時いるもんね。あきらめと妥協も必要だぜ」と言い、僕たちはげたげたと笑った。「母を訪ねて三千里」という映画があったが、彼の場合は「やさしい女性を求めて120回」ということになるか?。彼の気持ちが分からないでもない。僕だって、アニメの世界ではあるが、あの999のメーテルのごとき女性に、未だ思いを馳せているからだ。なかなか難しい問題だぜ。
彼の素晴らしいところは多々ある。あげれば きりがない。既に父・母はいない。十何年も前に家を新築して、嫁さんを迎えるばかりになっている。「体ひとつで来て」と言って久しいが、先ほど述べたごとく、当たる女性のことごとくが帯に短し、たすきに長しの状況である。もちろん、相手から断られたことも多々あるだろう。そんな彼の家へ何度も遊びに行き、随分と汚し、散らかしてきた思い出がある。
彼の更に圧巻なところ、それは小銭貯金箱の存在だ。何でも、札で買い物をしたおつりを貯金箱に放り投げていたら、100万円以上が貯まったらしい。それを頭金に車を買ったというのだ。「積もれば山」と言うが、いやはやどうして。飽くなき彼の行動は見上げたものだ。僕ならば、貯金箱の鍵を開けては締め、開けては締めで、鍵がなまってしまっているだろう。彼は未だに小銭放り習慣を保っているそうな。彼の所へ来た嫁さんは幸せだろう。「おいらの亡き後はこれは全部おまえのものだよ」と彼は言うに違いない。嫁さんは、「重くてもてないわ」と言って、涙を流すだろう。これはちょっと、飛躍しすぎか?。
てなわけで、僕も連休のほんの刹那の時間を友人と共に過ごしたのでした。 さあ、明日からは平常の暦に戻り、地獄の特訓が再び始まることになる。 すべからく生きなくちゃ・・・・・。
2008年05月01日(木) |
僕の五月が始まった。 |
風薫る五月。生命の息吹がみなぎる五月。行楽地へ人を運ぶ五月。五月はまさに躍動の月なのだ。僕の心も例外に洩れず浮き足立っている。とは言え、僕に行楽はない。娑婆の喧噪とは裏腹に、あるのは幾ばくかの仕事と、家でのんびり出来ることだけだ。僕にとってはそれが最高においしいご馳走である。
仕事はあっても、娑婆世界の窓口はサービス業以外は閉ざされている。僕はのんびりと、遅れがちになっている仕事を片つけ、書斎を整理し、あとは昼寝を決め込む事が出来る。こういう幸せは五月と、正月しかない。てなわけで、五月の初日にあたる今日、備忘録をしたためることにした。
話しは180度変わるが、今日、ふと見たなにかの記事に、「火星に塩分というか、塩」があるらしいと書かれていた。塩があると言うことは、その昔、火星には生命体がいたという証にもなるそうだ。塩がある星はいくらも存在するだろうが、なんと言っても火星は地球の兄弟星だ。どちらが兄でどちらが弟なのか知らないが、両方に生命体がいたっておかしくない。
僕が今、不思議に思うことがある。何故、火星の生命体が滅亡したかと言うことだ。恐らく、太古の昔は火星も地球みたいにきれいな星だったのかも知れない。ただ、どこかで、なにかが狂ってしまった。その何かは分からない。恐らくは天変地異があったのかもしれない。
地球はどうだろう?。天変地異はさることながら、どうも、人為的な環境破壊が要因で、地球から生命体が消滅するのではないかと危惧される。それも、遠くない将来のようにも思える。今を生きている僕たちのあずかり知らぬ事と言えば、そうだが、後生に大きな罪を残すことになりはしまいか?。万が一にもあり得ないと思うが、僕が再生し、地球に舞い降りたときに見る地球が、今以上に美しい星であって欲しいと、ただただ願うのみだ。
先ほど、銀河と銀河が衝突している写真を見た。宇宙も五月と同じく活発に動いているんだなあーーとあらためて驚く。これは宇宙の法則がそうさせているのかも知れない。なんでも、後20億年もすれば、この地球を含む銀河もアンドロメダ銀河と合体するそうな。その結末がいかなる物なのか知るよしもないが、「めでたし、めでたし」で終わってくれればいいのだが、その可能性は皆無だろう。
秋の夜長でもない。星のことを考えるのは止めよう。眠るときにゆっくり考えると、おのずと、船をこぐだろう。まずは、遠くのみを見るのみに非ず、足下を照らして、日々行動しなくてはなるまい。明日も良き日であらんことを。
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