umityanの日記
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2007年11月22日(木) 旅立ちを明日に迎えた。

いよいよ僕たち4人(弟ーのび太、友人ースネ夫、友人ードラえもん、僕ージャイアン)の旅立ちの時を明日に迎えた。かの有名な「宇宙戦艦ヤマト」のシーンが思い浮かぶ。「さらば・・・・地球よーー」。僕たちは故郷を離れて、まだ見ぬ異国の地へと赴く。親、兄弟、家族ともしばしの別れだ。いかなる困難や試練が待っているか分からない。それを乗り越えてこそ旅は楽しかったという思い出になる。

ちょっと、大げさだったか?。今日の午後、ドラえもん君が最後の打ち合わせに来る。お腹から魔法の旅秘伝書かなにかを取り出してくれるかと、期待しているが、こちらのドラえもん君はその芸当はないか?。ただ、豪快に「あっはっはーーー」と笑うのが関の山だ。ただ、この笑いがいつも、場を和らげ、不安を解消してくれる。

僕は、暴れん坊、ジャイアン君とはいえ、小心者。時々、あらぬ不安に駆られることがある。デリケートなのだ。スネ夫君みたいに、冷静沈着という訳にはいかない。ただし、僕の怖いものと言えば、地震、雷、台風、山の神くらいだから、そう気を落とすこともないか。後は、野となれ山となれだ。

旅慣れしていない僕だ。出で立ちの服をいかにすべきかと悩んだ。野となれ山となれという訳にもいかない。幸い、ボスが愛用していたジャンパーを形見として、奥方から頂いた。これがまた僕にぴったり。ボスと体型がよく似ていたから良かった。高級感ただようすてきなジャンパーだ。僕はこの服を着て、ボスと一緒に地球を歩くことになる。これに勝るボスへの供養はないだろう。

とりあえず、頭には、笑うセールスマン、喪黒福造さんタイプのハットをかぶろうかと思ったが、ジャンパーと合いそうにない。てなわけで、ジーンズ生地の遊び風キャップを頭に乗せることにした。これで決まりだ。おっと、忘れていた。昔はズボンと言ったが、今はパンツというのか知らないが、腰とヒップが目立つジーパンとやらをはいていく。足が短い上に、腰の上に乗っかっているようなジーパンなので、足がますます短く見える。これじゃーーーいかがなものか?と、思ったが、まあいいか。

旅立つ前に、残務整理をと書類に手を伸ばしたが、今ひとつ気が乗らない。先ほどクライアントが、年内処理の書類を持参した。「はいよ」と受け取ったが、机の上にポン。他に懸案事項の書類が二・三件あるが、帰ってきてから片つけたほうが賢明か?

帰ってきてからは良いが、二三日置いて、一泊止まりの忘年会。僕の体力が心配だ。仕事にはまれば仕事のみが先行し、遊びにはまれば遊びが先行する。偏りが多い。1忘年会も、まだいくつかあり、クリスマス、正月と行事が目白押しだ。

「楽しければいいさ」と思うが、人生には練り張りが必要である。どうも今年は、偏重の中で、一年が終わりそうだ。ちょっと早いが来年は良い年でありますように・・・。

ここら辺で11月を締めくくっておこう。数少ない僕の日記の読者のかたへ。11月はこれで失礼します。12月には新たな僕として復活しますので、変わらぬご厚情、ご支援を賜りたく、切にお願い申し上げます。






2007年11月18日(日) ボスの形見。

今朝、年賀欠礼のはがきをボスの奥方に届けた。とても喜んでくれた。市町村合併等で住所変更の箇所がいくつかあったが、プロたる者。そこは抜かりなし。新しく名簿を作り直した。あとは奥方のチェックを待つのみ。

帰り際、ボスの愛用していた服、新品の革靴三足、各種の封筒、事務用品等をたくさんいただいた。ボスもさる者、ひっかく者だ。在庫品が所狭しと散在していた。備えあれば憂いなしで、ボスも相当に物をため込んでいたようだ。「なんでも、好きな物を持って行ってください」と奥方が言った。ボスの形見とあらば、なんでもいただきたいと思うが、僕も数多と在庫を抱えている。必要な時に必要なものが傍にある。能率の良い事務仕事とは、そういう状態のなかでこそうまくいく。さすが、ボスもプロだぜ。

以前、思ったものだ。事務補助ロボットがいて、「はい、あれとって」と言えば、「ご主人さまお持ちしました」と、てきぱきと処理してくれる相棒がいたらなああーーーなんて。事務員さんにそういうことを言うと、「私はあなたの召使ではありません。自分でやったら」と、そっぽを向かれるのがおちだ。世の中は厳しいぜ。

てなわけで、僕は今、孤独な一匹オオカミ????。じゃあなかった。一匹子羊として、「メーーメーーーー」と泣きながら、事務仕事にまい進しているわけでございます。だからこそ、ボスと同様、机の周りには、のり、はさみ、定規、封筒、本、消しゴム、各種ペンが散在し、パソコンとプリンターが窮屈そうにたたずんでいる。もうすつかりこの状態に慣れてしまった。あまりきちんとかたずいていると、かえって、仕事をやっていないように見える。さあ、今年もわずかだ。残りの月日が良かったと思えるように頑張らなくちゃーーと、自分を戒めている。

もうひと月近くで、クリスマスだ。誰かさんが言っていた。「クリスマスや正月を健康で乗り切れることが一番のプレゼントだ」って。同感だ。人それぞれに、いろんな思いをもって、時の流れに対峙する。まずは、生を受けたこの宇宙に感謝する。かくして今ある自分に感謝する。キリストや仏が今なお、われわれと共にあるのは、わけ隔てのない慈しみや愛があるからだろう。その慈しみや愛に支えられて、われわれも今日まで生きてきた。いたずらに、「ケーキ」をばくつくばかりがクリスマスではないだろう。ケーキの一味、一味に感謝の念を持ちたいものだ。うんんんん・・・・、そういう僕だって、目の前に999のメーテルのような女性が現れたら、感謝の念より、目がハートに変わり、ケーキの味だって忘れてしまうに違いない。僕も現金な男だ。

とりもなおさず、今日はボスの形見を受け取って嬉しかった。今年最後の僕の旅には、ボスからいただいた靴を履いて行こうと思う。ボスとともに地球を歩こう。


2007年11月17日(土) 秋が珍道中の旅を誘う。

僕の仕事も今、ピーク状態。はたまた、ボスの奥方から、喪中欠礼のハガキの作成を依頼された。世話になったボスのことだ。喜んで引き受けた。今日、半日がかりで二百枚ちょっとの作業を終了。明日はボスの奥方へ引き渡すことになる。

仕事がピークというのは、来る23日より一週間ばかり、親しい友人と小旅行をすることになるので、早めの手当ということで、たまった仕事を消化しているからである。楽しい旅の事を思えば、少々の労働超過は我慢しなくちゃなるまいて。秋が僕たちを呼んでいるぜ。「枯葉散る、夕暮れは・・・・」うんん、いい歌だ。

旅は総勢4名で行く。弟(仕事仲間)も含まれている。僕はすかさず4人にニックネームをつけた。弟がのび太君で、僕がジャイアン。後の二人はドラえもん君と、すね夫君だ。

名は体を表すと言うが、弟は まさに気弱だが正直者で頑張りや。のび太君がぴったりだ。僕は暴れん坊ではないが、結構、わがままを通すジャイアン君。ドラえもん君は、まるまると体格の良い、アイデアマンの友人。最後に、すね夫君は独断専行が多いが、緻密な計画にすぐれ、旅慣れした細身の友人である。

これだけ役者がそろうと珍道中になることは間違いなしだ。ここ、数年、旅らしい旅をしてこなかった僕。今回は、少々の犠牲を払ってでも、行きたいと思っていた。やっと、それが実現するわけだ。

「思い立ったが吉日」という言葉がある。まさに、こうと思ったら迷わず実行あるのみ。僕はどちらかというと、緻密に計画を立てて、物事をやる性格ではない。行き当たりばったりが多い。ビジネス社会では、いきあたりばったりはリスクをはらんでいるため危険だが、個人的な事では、「なるようになるさ」の方が、面白い。いかなるアバンチュールが待ち受けているか分からない。だから旅は楽しい。

何はともあれ、最近は、「男性の品格」とか、「女性の品格」とかが、ささやかれている。品格とはなんぞや?。セレブな女性は品格があるというのだろうか?。そんなことはあるまい。僕の定義で行けば、自然体で、当たり前に振舞える人こそ品格ありと思うのだが。その当たり前が、なかなか難しいんだよなあーーーー。

旅先でも、しかりだ。田舎もんとはいえ、旅先では品格をもって・・・。ということは飾らず、自然体で地球を歩いてきたい。


2007年11月14日(水) 久しぶりに食べた柿の味。

すっかり秋だ。久しぶりに柿を食べた。中にゴマみたいなものがたっぷりと入っている。このゴマ入りがおいしいんだよなあーーー。柿と言えば、小学校時代、友達の家にあった大きな柿の木を思い出す。長い竹竿の先端部分を割り、割ったところに適当な枝を挟む。実がなっている柿の枝に竹を差し込み、くるりと回す。実と共に柿の枝が折れ、地面に落とすことなく柿の捕獲だ。そうやって採った柿を、薄汚れた上着で拭き、皮ごと丸かじりだ。おやつが何もない時代。食べた柿のおいしかったことよ。

よく、友達のの母から言われた。「柿食ったら、すぐ水飲んだらいかんでーーー」と。何のことか よく分からなかったが、僕たちは「合食、合食」と言って、水を避けた。後で気づいたが、柿は結構消化が悪い。まだ完成されていない子供のお腹には柿の不消化は良くない。水で流せばますます不消化である。ポンポンが痛くなるのもうなずける。母親とはありがたいものだ。何かにつけ、教訓を授けながら子供の成長を見守ってくれる。

僕の母は農家出身だった。実家近くの温泉町へ嫁いだ。じいさんが、時々湯治へ来ていた。そんな時、僕を伴って風呂につかったものだ。秋ともなると、渋柿を袋一杯持ってきてくれた。母と僕たち三兄弟は、二階の日当たりの良い縁側で、渋柿の皮むきだ。母は手慣れた様子で、竹のヘラを器用に扱いながらきれいに剝いていく。僕たちはそうはいかない。あちこちに でこぼこを残しながら、不器用にむく。母のむく手つきがまさに見本である。そんな母が偉く思えたものだ。

むき終わったら、二個を一組にしてひもで結ぶ。物干し竿へぶら下げて、つるし柿の完成。完成と言っても、食べるまでには相当の日数を要する。僕たちは今や遅しと、日々、変化していくつるし柿を眺めては、唾液を流したことだ。
時々手でつまんで、柿の感触を楽しんだ。つまみ食いするには時期尚早。渋が残っており、「ペッツ」とはき出すのが常だった。

父が存命の頃、言っていた言葉を思い出す。「餅はいやしん坊に焼かせろ」って。何のことかと言えば、いやしん坊は、餅をさわりたがる。従って、よく触っていると、餅が上手に焼けるわけだ。つるし柿も同じようなものだ。よく触ると、形よく出来る。ばい菌も付着するかもしれないが、日光が除菌の役目を果たしてくれる。僕は相当に、いやしん坊だったようだ。餅に限らず、何かにつけ、手を出していたようだ。そんなとき、ばあさまに、火箸で「ばしっ」とやられたことがある。火箸でたたくのは、じいさんや父ではなく、ほとんどがばあさんだ。その理由は不明。

だんだんと柔らかくなっていき、完成品となる頃には、すっかり塩を拭き、あのふくらっした橙色の柿の実が、茶色へ変わる。日光をを浴びて、柿の成分が化学反応をおこし、甘い味へ変身する。自然の力とは偉大である。そんなことは知るよしもなく、正月に柿を食らう。自分たちの手で作ったものはやはりおいしい。兄弟で、それぞれが食った柿の種の数を数え、勝った、負けたで、早々にけんかだ。懐かしく思い出した。

子供の頃は時がゆっくり流れ、今みたいにせわしくなかった。なんでもが興味の対象であり、時を忘れ遊びに惚けた。それが子供である。大人になり、世の中の仕組みが少しばかり理解できるようになった。如実に感じること。世の中が暮らしにくくなったことだ。時を追いかけ、時に追いかけられる。「豊かさ」というスローガンだけが先走り、心がついて行かない。そんな中、責任だけが両肩においかぶさる。特にリーダーたる者の責任は重大である。

最近、テレビでリーダーたる人たちの謝罪会見をよく目にする。「ええつ、またかあーーー。あそこもかあーーー」と目や耳を疑いたくなる。豊かさを生み出す背景には「心の良心」が必要だろう。その良心が欠落すれば社会は欺瞞だらけ。欺瞞に充ち満ちた社会の中で信じられるのは自分だけ。いつ、寝首を欠かれるか分からない。下克上、戦国時代と一緒だ。日本は今、そんな 様相を呈しているように見える。こんな社会が救われるには「心の良心」しかない。

日本、アメリカ、中国、韓国の四カ国で若者にアンケートをとったところ、リーダーになりたいと思う若者の数は、日本が最低だったそうだ。さもありなん。世のリーダー達の情けない姿に、うんざり感で一杯だろう。

また、この頃、少ない子供達が、事件に巻き込まれ、傷つき、命まで落としている。社会や親は、「容易に人を信じるな」と子供達に教える。法律や過保護という高い塀を巡らして、その中で育てようとする。そんな子供達が大人になった時、良い社会が築けているんだろうか?。

僕たちの子供時代が良い社会だったかどうかは分からない。ただ、言えることは一様に貧しかったが、心の良心が伴っていたようには思える。貧しさは心を開き豊かさは心を閉じるものなんだろうか?。一面ではそういえる。子供達が、人を信じて生きれる社会の構築こそが、良心ある開かれた社会なのかもしれない。じいさん、ばあさん、親はその良き手本であってほしい。


2007年11月09日(金) 雀の鳴き声を聞いて思ったこと。

静かな金曜日の朝を迎えた。日射しを浴びて雀が「チュンチュン」鳴いている。日頃は心に留めてもいなかったが、まだ、雀が住む自然があったんだと嬉しく思う。

そう言えば昔は、わんさと雀がいたっけ。子供心に、なんとかあの雀を捕えたいと、小さな罠を仕掛けたことがある。なんの事はない。ただ地面を少し掘って、その中に米粒を入れておく。穴がふさがるような適当なふたを、つっかえ棒で支える。ふたは平べったい石ころでもよいし、雀が穴から逃げ出さない程度の重みがあればよい。雀はえさを求めて、つっかえ棒に触れる。穴が閉じて雀が逃げだせなくなる。定番の罠である。

かくして、罠は完了。罠の存在を忘れ、遊び惚ける。遊び疲れて、ふっと、罠に視線を走らせると、なんと穴がふさがっている。一目散に駆けつけ、穴を確認する。見事にハズレだ。「うんん、失敗だったか?」と、さらなる挑戦。何度もやっている内に、捕獲に成功。鳥かごにいれて飼ったことがある。えさと水を与えていたが、程なく死んでしまった。当時は焼き鳥にして食らうという発想もなく、小さな墓を作って埋めてやった。

以来、雀の捕獲を止めた。「自然に生きるのが、雀も一番、幸せなんだ」と、子供心にも分かったような?分からないような?。その後、鳥を飼ったと言えば鶏くらいだが、その鶏さえ、蛇かイタチにやられた。蛇やイタチも生きていかねばならないから必死である。そんな蛇やイタチを上空から、カラスがねらっている。

まさに、食物連鎖、弱肉強食、自然淘汰だ。かく状況を想定してか、神(自然)は大量生産の方式をあみだし、平均的な数の保存をはかった。しかるに今やその方程式も崩れようとしている。なんとなれば、自然界に君臨してきた人間の飽くなき欲望が、神の領域へ深入りしてしまったからだ。

北極、南極の氷の融解、絶滅種、絶滅危惧種の増加、異常気象・・・・・。すべては神の領域へ踏み込みすぎた人間の欲に起因している。もちろん、そのことによる恩恵も人間は多々受けてきた。「あなたは豊かさと貧困、どちらを選択しますか?」と問われたとき、人間はやはり豊かさを選択するに違いない。

自然界との調和をはかりつつ生きる生き方とはどんな生き方なんだろうと考えてみた。わからない。ただ言葉で言えるとすれば「謙虚な生き方」、「謙虚に生きる」ということなんだろうか?。

最近、ある歴史ドラマを見た。時は群雄割拠の戦国時代。ある男と女が出会い愛し合った。その愛は長く続かなかった。究極の目的は二人とも同じ。「「平和な暮らし」である。だが何故?。男の求める理想と女の求める現実がかみ合わない。いつ殺されるか分からない戦国時代にあって、信じられるのは自分だけ。男の仕事は剣客商売。男は女に問うた。「愛と金、どちらを選ぶ?。愛ならば僕と一緒に、ここを出て静かなところで平和に暮らそう」と。女は言った。「私を愛しているなら、ここで、お金につつまれて楽しく暮らしましょう」と。女は金を選び、男は剣客の道を選んだ。美しい時が短いならば、金をたくさん持ち、きれいな服をまとい、おいしいものを食べたいという女の気持ちも分かるが、男は本来、それだけでは満足できない動物なのだ。

ここで、「謙虚」という言葉が思い当たる。謙虚とは譲り合いであり、方向性を同じくすることでは?。また、慈しみにもつながる。悪く言えば「妥協」と言えないこともない。世の夫婦がうまくいっているように見えるのは、この妥協が少なからずあるからに違いない。自然界との付き合いもそうだ。謙虚さを持って生きるとは、自然界とうまく妥協しながら生きていくことではないのか?。

現代の社会も戦国時代の様相を呈している。群国割拠して、虎視眈々と世界征服をもくろんでいる。そんな中で生きる国民性はまちまちだ。一様に論ぜられない。ただ、日本人に限って言えば、日本男子たる者、今や既に、高い理想を失い、女の尻のみを追っかけ、金に執着する超現実的な男に成り下がったように思える。女は女でそれを後押しするかのように、現実を誘導する。これじゃああ、堕落もしくは退廃としか言いようがない。

男は理想を持ち女は現実に生きても良い。ただ、むさぼらず、互いに歩みより、その中にこそ、愛は育まれ、平和な暮らしは築けるというもの。僕も堕落と退廃を生きる一介の男だ。偉そうなことは言えない。今朝は、雀の鳴き声を聞いて、ふと、自然との共生には謙虚な態度とその実践が必要だと感じたまでである。






2007年11月07日(水) 人恋うる秋。物憂い秋。

「弟との思いでパート2」を書こうと思っていたが、日が経つと、その思いがどこかへ飛んでしまった。結論だけ書いておこう。楽しい思い出はいつも楽しく思い出され、悲しい思いではいつも悲しく思い出される。もちろん、弟との思いでは楽しい思い出となった。彼はまだピンピンしているから思い出を語るには早いか?。来週の月曜日には彼を含めて4人のメンバーで会うことになっている。これから行くであろう珍道中の打ち合わせである。

今日、僕の心はやや感傷的になっている。一昨日が雨。昨日は曇り空。かくして、今日は見事な秋晴れ。この秋晴れが感傷を誘うのかもしれない。午前中、県庁へ赴き、一仕事を終えた。コスモスロードを通って我が家へ帰還。道すがら花は風になびけど、人影は見あたらず。市町村合併はあれど、過疎化は着実に進行している。子供がいないのだ。「子供さんどこへ行った?」と叫びたくなる。

ため息ばかりではいけない。少し、楽しい話でも書くと気分も高揚するかもしれない。一昨日の雨の夜。仕事を終えて帰ろうかと思ったが、久しぶりの雨。「雨宿りして行っては?」という悪魔の声が聞こえた。せっかちな僕だ。決断は早い。「そうすべえーーーー」と、行きつけの小料理屋の暖簾をくぐった。

雨にもかかわらず、数名の先客がいた。「ママはいらっしゃい」と、いつもの笑みを浮かべた。この笑みに弱いんだよなあーーーー。ここへ来ている客は皆そうかもしれない。ライバルが多いぜー。

僕はいつものごとく、ジョッキで一杯のビールを所望し、後は焼酎のお湯割のコースだ。今日の鍋物は、ジャガイモを煮たやつ。ほくほくしてうまそうだ。
それに、胡椒みたいなものがかかっていた。僕が「胡椒をかけるとおいしいね」と言うと、「それ胡椒じゃないわ。バジルよ」とか言う。バジルかああーーー。しらないなあーーーー。まあ、おいしければなんでもいいわけだ。

ママの手が一段落した。ママはおいしそうにビールをあおりながら、手が最近ネットで購入したというCDへ伸びた。腫れ物にでも触るかのように、包装紙を解いた。「これ、いいのよーーーー」と言う。何の曲かと思えば、韓国の男優さんが日本語で歌っている曲とのこと。曲は、「花の首飾り」と「名残雪」という名曲だった。「声が柔らかくて、甘いのよ」と、ママはべた褒め。確かに僕も好きな曲だ。僕は思わず言ってやった。「ママ、僕の方がうまいんじゃないかなああ・・・?」って。ママ曰く。「だって、○○さんの歌、まだ聞いたことがないもん」と。そうかああ・・・。僕はそれ以上の言及を止めた。

程なく、常連の「でーちゃん」がやってきた。彼は一人で、ちびちび酒を飲むのが好きな変わった男である。歌がめっぽううまく、ママも一目を置いている。僕も何度か聞いたことがあるが、「うんん、さすが」と言える実力の持ち主。彼の欠点なのか?美点なのか?。マンションはあるがまだ独り者。過去に思いを寄せた人の事をまだ引きずっているのだろうか?。僕は「来る者、拒まず。去る者、追わず」の主義だから、彼ほどには純粋でないのかもしれない。

ひとしきりだべり、気が大きくなった僕は、降りしきる雨を背に、ネオンまたたく花街へと消えた。例によって、午前様となった。合い鍵は持参済み。なつかない猫の出迎えを受けた。「知らぬ存ぜず」でそっぽを向いている。「現金なやつだ」と思うが、少ない家族の一員だ。よしとしなくちゃあ。

てなわけで、昨日と今日は、外の風景を眺めながら、ぽけーーーつと仕事をした。している。何はともあれ秋だ。人恋うる秋。物憂い秋。春のけだるさと違って、それもまたいいか。



2007年11月05日(月) 弟との思いで。パート1.

仕事の合間をぬって、ちょっくら、人恋しい秋の第二弾を書いておこう。今日は弟についてである。弟と言っても、僕とさして歳も違わない仕事仲間である。もう、つきあい始めて10年以上になるか?。妙に気があい、色んなイベントに一緒に出席し、また私的には国内やら国外旅行へも同伴した。

彼の偉いところ。まずは、四つも五つも資格を保有している勉強屋であることだ。今はその二つばかりの資格でおまんまを食べている。従業員も数名を抱え、僕みたいな孤独な仕事屋とは違う。家を新築し、はたまた中古ながら自社ビル(といっても二階建てだが)まで購入した。最近、車を購入し、今まで乗っていた車は、僕の別の友人に格安で売却した。この頑張りぶりには僕も脱帽だ。おまけと言っては何だが、二人目の女房までもらっている。前妻に子供が一人。後妻に子供が二人。うらやましい限りだ。

思うに彼の成功の秘訣は知恵を出し、汗を出しているからに他ならない。昔、僕がサラリーだったころ、社長からよく言われた。「能力のあるやつは知恵を出せ。能力のないやつは汗を出せ。知恵も汗も出さないやつは黙って去れ」と。どんなに世の中が変わろうと、知恵と汗はビジネスマンに必須のものだろう。弟はまさにそれを地でいっている。僕は汗濃いので汗ばかり出している。

も一つ、彼の偉いところは遊び心を持っていることだろう。知恵と汗ばかりじゃ身が持たない。僕たちは結構、夜を共にし、ネオン街をさまよった。昼間の思い出に傑作な事件がある。彼がある会の役員をしていたとき、花の都、東京での会合があった。東京不案内につき、僕に同行してくれと言う。旅費は往復出すとのこと。さすがにホテル代は自分持ち。僕に異存はなし。

僕たちは、そそくさと出立した。弟は不安な気持ち。僕は踊る気持ち。そうでもなかったか?。僕たちは右往左往しながら、目的地へ到着。予約済みのホテルへ荷物を入れ、明日開かれる会場の下目へ出かけた。もちろん僕の引率だ。僕は何回か行ったことがある。引率と言っても、一本の道をまっすぐ行ったところに会場があるから迷うはずもない。到着して、「意外と小さな建物だなあーーー」と弟がぽつり。同感だ。

僕たちは会場を後にして、どこかで、夕食をとることにした。とりあえず、駅周辺まで戻ることにした。花の都、東京だ。「どこかで、誰かを誘って飯でも食べよう」と弟が言う。同感だ。折りもよく、近くに、かの有名な「忠犬ハチ公」の銅像がある。「そこでさがすべーーー」と僕たちは、はやる心を抑えながらハチ公前に到着。まずは日本一当たるという宝くじ売り場で、「神様、仏様」と念じつつ、10枚購入。それにしても宝くじ売り場が多い。よくよく見ると、どこの店も日本一と書いてある。「こりゃああーー日本一旨い鯛焼きとおなじだぜーーー」と笑ったことだ。

僕たちはハチ公前の長いすに腰を下ろし、周囲を見回した。一人ぽつんと立って携帯電話を耳に押し当てている女の子。二人ずれ、三人ずれの女の子達。ななかには、やまんば風、願黒風、さらには歌舞伎役者クラスの人たちがいる。
いやあああ、さすがに個性の時代だ。「色んな女の子達のオンパレードって感じだぜ」と、僕たちは目を白黒。そう言えば、僕たちは一応立派な身なりはしているが、「肥壺」のあるど田舎から出てきたという感は免れない。

クライマックスにさしかかったが、出かけなくてはならない。続編は次回にしよう。



2007年11月04日(日) 人恋しい秋。

秋になると色んな人を思い出す。まさに人恋しい秋である。今、一番脳裏に思い浮かぶのは、やはりボス(父みたいな存在で、仕事上の大先輩)のこと。既に四十九日が過ぎた。今頃ボスは西方浄土に安住し、大酒を食らっているかもしれない。娑婆世界にいるときは、そう思えるほど酒席を共にした。

ボスは車に乗らないから、僕の運転でクライアントの所へ赴く。そこで一仕事終え、帰りは行きつけの小料理屋で一杯やることが日課みたいなものだった。しばらくだべりながら焼酎をあおる。頃もよし。ボスの手がカラオケ台帳に伸びる。台帳をめくりながら、口癖のようにママに尋ねる。「新曲はいているかなあーーー?」である。覚えたて演歌の新曲をおらぶのが、めっぽう好きだったボス。「歌う天国、聞く地獄」とはこのことだ。僕やママは笑いながら手拍子をたたいたものだ。「はい、次はあんたの番」と言って、カラオケ台帳を僕に差し出すが、「僕はまだ心の準備が出来ていない」と辞退するや、すかさず、ボスの次の歌が始まる。

ボスは、僕がフォークソングが好きだと知ってか知らずか、時々、フォーク調の曲も歌う。圧巻だったのは、黒沢年男さんの「やすらぎ」という歌をボスがおらんだ時だ。何度も日記に書いたが、その歌で94点という高得点をたたき出した。これには僕も目を白黒。さもありなん。じゃがれ声ながら、情感たっぷりで、音程を外さなかった。「まいったぜ。僕はますます歌いにくくなったぜ」と思ったことだ。こんな調子で、いわずもがな、帰りも午前様だ。最後に歌う曲も「午前様」。ここらあたりが男の粋というものだろう。

とは言え、時折、角を生やした雌牛の姿が浮かぶ。ボスも同様だったに違いない。多分に漏れず、ボスも僕と同様、同じ穴のむじなってところか?。思い出は多々あり、語りきれない。今はただ、ボスの安らかなる安眠と、残された奥方の健康を願うのみだ。


2007年11月03日(土) この秋日和。何をか思う。

素晴らしい秋晴れ。人生の幸せと黄昏を感じる。春は春の息吹で生がみなぎる。秋は「秋のヴィオロンのため息のひたぶるにうら悲し」のごとく、ため息が出そうだが、これがまた良い。時の流れに思いを馳せ、ただただ感慨にふける。そんな季節をくれた自然に乾杯だ。

僕は昨日から仕事のしっぱなしだ。善しにつけ悪しきにつけやらなくちゃならないんです。漫談で大笑いさせてくれる綾小路君麻呂さんの言葉にもあったっけ。「僕たちの仕事は呼ばれなければ出来ないんです」と。しかり。僕の仕事も頼まれなければ出来ないんです。「目の前にきれいな人がいようと、そうでない人がいようと、やらなくちゃならないんです。お客様を選べないんです」。しかりだ。報酬が高かろうと、低かろうと、やらなくちゃならないんです。きれいな人からの依頼であろうと、そうでもない人からの依頼であろうと、やらなくちゃならないんです。お客様を選べないんです。うんんん、能力を超える仕事は断っているから、そうでもないか?。

まあ、これは声を荒げて言うことでもない。仕事とはそういうものだ。だからこそ、この秋は我が過去を振り返りつつ、反省したり、ため息をついたりするのに絶好の季節。真夏の炎天下では、反省やため息どころか、「うらみまっせーーーー」という言葉ばかりが頭を駆けめぐる。

こんな秋の良き日には、至る所で催し物が行われている。祭りしかり。骨董市しかり。その他諸々だ。祭りで印象に残っている事と言えば、「ひよこ」を買ったことと、「金魚すくい」に挑戦したことだ。

「ひよこ」はピンクや、緑、黄色で色づけしてあり、見た目にはかわいさが一層、引き立つ。ひょこはただ、「ピーチク、パーチク」と泣き叫び、大きなかごの中で走り回っている。嬉しがっているのか?悲しがっているのか?分からない。いずれにせよ、当のひよこには迷惑なことだろう。僕もそういうことは考えず、母におねだりして買い求めたことがある。庭で四角いゲージの中に入れて飼った。日が経つにつれ、色が本来の鶏の色に変わっていった。ずいぶんと大きくなった頃、ある朝、庭を見ると鶏がいない。抜け出したかな?と思ったがそうでもないようだ。恐らく、蛇かイタチにやられたのだろう。可哀想なことをした。以来、ひよこを飼うことは止めた。

一方、金魚すくいには随分と凝った。大人になってからも挑戦した。いわずもがな、敗北の連続だ。すくう道具には「紙張り」と「最中張り」がある。いずれで、挑戦しても結果は同じ。紙は金魚を追っかけていると、もろくなり、やっと、金魚の下に潜り込んだかと思うと、金魚の重みで紙は無惨な姿。最中も一緒だ。長く水につけていると、「ふにゃふにゃ」になり、用を足さなくなる。頭にはちまきをした出店主は「にやにや」と笑いながら、手本を示してくれる。いとも簡単に、器にすくい上げる。時々思ったものだ。「こりゃーー、出店主が使う紙や最中には、何か仕掛けがあるぞ」って。まさか、そう言うわけにも行かず、何度も挑戦。ことごとく破れ、敗れたのでした。

そこで、反省した。物事にはなんでも、「こつ」がある。その「こつ」をマスターすれば、自ずと道は開かれると。残念ながら未だにその「こつ」を会得するにはいたっていない。おまけで、金魚を数匹くれたので、云千円か出して、水槽を設けたが、延命させるには至らず。今は、特に何も飼っていない。飼っている生き物と言えば、僕になつかない猫くらいだ。

この秋日和、午前中、スリランカで仕事をしている知り合いの夫婦が訪れた。
茶を飲みながら、いろいろと話を聞いていると、あちらでの生活も大変だそうだ。住んでいる近くに日本人がいないから言葉が分からないこと。内紛がまだ続いていること。また、とても暑いらしい。奥方が、「日本がいちばんいいわ」と、悲しそうに言った。旦那は「まだまだやるでーーー」と、意気込みが感じられ、奥方と対称的だった。いずれにせよ、日本人が国際社会の中で、協力し合って生きていくことは素晴らしいことだ。誰にでも出来ることではない。そう言って二人に励ましのエールを送ったことだ。

かくして、僕は今、静まりかえった外の風景を書斎兼事務室から眺めながら、この備忘録をしたためている。夕方頃から骨董市へ出かけたいと思っている。「あんた、がらくたばかり買わないで」としかられそうだが・・・・。









2007年11月01日(木) 感動した本。

曇り空ながら気持ちの良い11月1日を迎えた。一が三つそろってぞろ目だ。書類を提出するとき、一を三回書けばよいので楽である。受付嬢に「今日はぞろ目で縁起がいいですね」と言って書類を差し出すと、にこっと笑って、受付印を「ポン」と押してくれた。こころなしか音が大きかったみたいな?・・・・・。

午後、最寄りの駅へ立ち寄った。駅北口の横に設けられている駐車場へ車を滑らした。管理人さんから駐車券をもらう。管理人さんとはすっかり顔なじみで、僕は常連だ。駅構内に出店している店で商品を買い、レシートを見せると駐車料金が一定時間以内なら無料になる。最近は、手に買い物袋を持っているだけで、「はい、どうぞ」とフリーパスみたいになった。これも常連のたまものか?。人とは顔見知りになっておくべきか。

駅へ立ち寄ることに大きな目的はない。あえて、あるとすれば、喫茶店でうまいコーヒーを飲みながら、書類に目を通し、押し忘れの印鑑を押すこと。受付嬢さんみたいに「ポン」と押すわけも行かない。隣の人に見られないように、クライアント名を隠しながら、こそっと、つつましやかに押す。

もうひとつ、目的があるとすれば、喫茶店の横にある本屋に立ち寄ることだ。買いたい本があるわけではない。今日も時間があったので何気なしに寄った。
ふと、手に取った一冊の文庫本。「心が大きくなる坐禅のすすめ」という本で中野東禅という人が書いた本である。坐禅かあーーー。「昔やったことがあるぜ。足が痛かったなーー」という思い出がある。その本の最後のほうにおもしろいことが書いてあった。

新しい自分が見つかる「十牛図」と題して、十枚の牛の絵が描かれ、解説がほどこしてあった。「十牛図」は、中国で色んな人が書いている牛の絵だ。なかでも禅僧、郭庵(かくあん)の書いたものが有名で、弟子の慈遠が説明文をつけいるそうだ。この十枚の絵は悟りに至る道筋を表しているという。悟りかあーーーーー。僕は神でも仏でないのに、どうやって悟るんだー?と、いぶかしく思いながらページをめくった。立ち読みしながら思わず引かれてしまった。店員さんに悪いと思い、結局買い求めた。

最初の絵は牧人が牛を探している絵。「尋牛(じんぎゅう)」とあった。この牛は自分自身の心の象徴らしい。要するに自分探しの旅に出かけたと言うことだろう。自分探しかあーーー。俺っていったい何だ?。

二枚目の絵は、牛の足跡を見つけた絵。「見跡(けんせき)」とある。これはやっと、足跡を見つけて、自分探しの方向性が見えてきたというころらしい。
ただ、牛はまだ見つかっていない。不安定な状態である。

三枚目の絵は、やっと牛を見つけた。「見牛(けんぎゅう)」とある。牛を見つけたが、頭隠して尻隠さずで、全体が見えない。よくよく見ると、その牛が自分に見えてくる。そこで、気がつく。「本当の自分」は自分自身の中にあると。しかし、まだ全体が見えないから部分にこだわり、善はは善、悪は悪だと原則にとらわれている段階らしい。それでも、ここまでくるには相当の修行がいるようだ。僕などは、牛の尻を見つけ「わおーーでかい尻だぜ。これで乳がしぼれる」と、目先の利害にとらわれるのが関の山だろう。

四枚目の絵は牛を捕まえる絵。「得牛(とくぎゅう)」とある。牛を捕まえたはよいが、暴れ牛で自由にコントロール出来ない。ロデオみたいなものだ。この時期は自分との葛藤の時期。自分の心をどうコントロールするか。こらずに納得できるまで修行を続けよと言うことらしい。うんん。これは難しい。

五枚目は牛を飼う時期。「牧牛(ぼくぎゅう)」とある。牛がようやくなついた。だが、まだ手綱は離せない。これは自分の心はつかめたが、何かあると、いつも心が揺らいでしまう状態だ。自分を見失なってはいけないと説かれている。

六枚目。牛に乗る絵。「騎牛帰家(きぎゅうきけ)」とある。牛がすっかり飼い慣らされ、手綱を離しても大丈夫な時期。いわゆる、自分の心との闘いが終わり、心が安らかなる状態。本当の自分を求める努力は必要なく、心と悟りが同化した状態とある。「家」というのは、自分が生きていく日常。牛を求める旅は悟りを求める修行であり、非日常であるが、これからは「本当の自分」として日常の中で生きていくことを表している。うんんん、ここまで来るのは至難の業だ。非日常と日常んぽ同化かあーーーー。難しいぜ・・・。

七枚目。牛を忘れる図。「忘牛在人(ぼうぎゅうそんじん)」とある。牛を連れて帰ってきたことを忘れている。ゆったりとくつろいだ状態。悟りを意識すれば迷いにつながり、その意識さえ忘れて「本当の自分」になりきる。禅の境地だ。心に「完全なる静寂」が訪れる。静寂ばかりでは寂しいぜ。その寂しささえ忘れたら最高だ。忘れることまで忘られたら、さらに最高だ。そうなれば、死ぬしかないが、死んでしまえばもとこうもない。

八枚目。すべてを忘れる。「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)」とある。この状態は描かれた円。牛も忘れ、牧人も忘れ、修行していた自分も忘れ、悟りを得た自分も忘れ、すべてなくした境地。これが禅の境地の熟成ということらしい。無の心境から空の心境へ。僕の頭では、たた「うんんんん」と、うなるしかない。

九枚目。自然に気づく。「返本還源(へんぽんげんげん)」とある。禅の境地に達した人は美しい自然に気がつく。あるがままの自然。あるがままの自分。あるがままの自己こそが「本当の自分」。自然との一体感の中に、「あたらしい自分」を見いだすとある。自然かあ・・・。自然は大好きなんだが。僕の考えているよこしまな自然とは自然が違う。

最後の十枚目。悟りにいたる。「入てん垂手(にってんすいしゅ)」とある。「てん」は難しい漢字だったのでひらがなで書いた。禅の境地に達した人は人と喜びを分かち合おうとする。また慈悲の心に満ち溢れている。まさに、仙人みたいな人だ。慈悲の心とは人を自分と同様に慈しみ、人の悲しみを自分の悲しみとすること。悟りを求めるとは、幸せな生き方を求めることであり、それは人のために働き、導くことだと仏教は教えていると、この本は説いている。悟りは人から人へ無限の循環を繰り返していくと。この章を結んでいる。

うんんん、結局は坐禅が心を大きくし、坐禅が悟りを開く登竜門なのかもしれない。単細胞な僕でも十牛図に描かれたような修行ができるのだろうか?。いや、まてよ。単細胞なほうがかえっていいのかもしれない。何故なら、なんでも、すぐ忘れてしまうからなあ。無かあーーーーーー。今のところ、僕が悟りを開くのは棺桶に入ってからだろう。(完)
参考書籍  中野東禅著。「心が大きくなる坐禅のすすめ」三笠書房 発行。





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