umityanの日記
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2007年10月29日(月) 昨日は天と地が逆さまだ・・・。

昨日は一日中ダウン状態。前夜の利き酒を飲み過ぎたようだ。酒は近年、ほとんど口にしていなかったが、「銘酒とあらばいかがなものか?」と、興味があったので、弟や知人共々、挑戦に及んだわけである。小さな紙コップを持ち、部屋の四隅に配置されたテーブルに、ここ狭しと並べられた百本近くの銘酒を、片端から飲み歩いていく。

最初の頃は「なるほど。旨い。口当たりがいいぜ」とかなんとか言いながら、飲み歩いていたが、いざ、ワンコーナーを終えた頃にはすっかり酩酊。弟も知人も顔を赤らめて、「いやああ、きけるぜ」の連発だ。不思議なことに、飲み続けると、甘いか辛いかは判断つくが、あとはどれもこれも、同じ味に感じられる。それもそうだ。僕たちは利き酒の名手ではなく、飲ンべーの名手だ。アルコールなら何でもいいやという輩ばかりである。

中盤以降にさしかかった頃、弟がぴたりと足をとめた。なにかと思えば、そこには一本の濁り酒が牛乳色を呈しておごそかにたたずんでいた。僕たちはそく味見。「いやああ旨い」これは弟の弁。僕も「そうだなああーー」と相づちをうつ。後ろ髪をひかれながら、先へと進んでいく。時折水を飲みながら、何とか一巡した。一巡といっても、かなりの本数を素通りしてきた。全部賞味していたら、恐らくダウンしていたことだろう。

一時間ばかりが過ぎた。このあとは 別室にて食事タイムとあいなった。まだ一万円分も飲んでいないから、当然といえば当然の計らいだろう。10人ばかりが一組となり、回転テーブルを囲んだ。テーブルには各蔵元の名札が置かれてあり、今度はそこの製造酒を堪能しながら料理をついばむってわけだ。

空きっ腹の僕たちは、大皿に盛られたとりどりの料理を小皿にとりわけ、再び銘酒を口に運んだ。料理を食べると幾分かは落ち着いた。まだ呂律は回っている。僕の隣の席は、病院に勤め、心理療法士とかをやっているという30歳前後の女性だった。僕はすかさず、料理を取り分けてやり、名刺まで出す始末。弟も負けじと名刺を手渡した。僕たちは「君の心理療法にかかってみたいなあーー」なんて、歯の浮いたことばかりしゃべり、笑い転げた。知人が「二人ともあいかわらず手が早いね」と、お小言をもらった。さすがに、携帯番号を聞くまでには至らなかった。

食事の宴も半ばにさしかかったところ、抽選会が催された。出品されて、飲み残しの銘酒をもらう事が出来る。僕は267番。弟は268番。なかなかの好番号。ただ、僕はいつもくじ運に悪く、ちぎって破って桜吹雪となる憂き目を幾度となく経験してきた。百本以上は在庫が残っているので、恐らくは皆に配分があるだろうと誰かが告げた。待てどくらせど、僕たちの番号が呼ばれない。知人に最初当たった。待ちくたびれた弟がトイレへ席を立った。「呼ばれたらもらっといて」と僕に告げて出て行った。「まさか、そういうこともあるまい」と思っていたら、そのまさかが現実となった。代役で知人が赴いた。弟は帰ってくるや否や、「ええつ、当たったの」と、目を白黒。可哀想なのは、僕と隣の心理療法士さんだ。

もう、終わりに近づいた頃、なんと、267番が呼ばれた。僕は最初、耳を疑ったが、皆が「あんた、あんたよ」という。そうか僕か。慌てて品を取りに行くと、なにやら四角張ったちいさな箱が手渡された。軽い。どうも、銘酒ではなさそうだ。「開けてみたら」と皆が言う。僕はかたくなに「ダメ」と断った。隣の心裏療法士さんは、結局、何も当たらずじまい。すかさず、僕はあたり品を彼女に贈呈した。ここが、欲を捨象した僕のいいところ。弟曰く。「あんた、下心があるんじゃない」と。うんんん、当たらずといえども遠からじか。すべては縁だ。縁があればまた出会うこともあるだろう。まあ、僕としてはそれくらいの気持ちである。

最後にテーブルごとの抽選会が。僕たちはBテーブル。残った銘酒を各テーブルの男性達がそれぞれ好きな銘酒を一本ずつ、入手出来る。僕たちのテーブルは二番目に指名された。僕の腹は既に決まっていた。例の濁り酒がまだあるなら、それを手に入れようという寸法。素早く台上に駆けつけ探すこと数秒間。僕のては 濁り酒の首をつかんでいた。半分以上は残っていた。弟は、なにやら知らない銘柄の一升瓶をつかんで戻ってきた。戻ってくるやいなや、弟が言う。「「○○ちゃん、ひどいよ。僕がそれをねらっていたのに」と。

僕は自分の為ではなく、弟の為に濁り酒を手に入れた。その旨を話し、弟と交換した。まあ、こういう状況の中で、こともなく宴は終わった。このまま一升瓶を抱えて、我が家へ戻るのもちょっと気が引けた。弟は明日早朝ゴルフがあるそうな。「そんなの止めとけよ」と言ったが、クライアントと一緒でそうもいかないらしい。僕は行きつけのスナックまでクシーで送ってもらうことにした。店の前で弟と別れ、僕はスナックの店内へ。。。

「あらまーーーめずらしい」とママさんが不思議そうな顔をして僕を見た。僕は「かくかくしかじかで」と、今日の模様を説明し、弟と交換した銘酒をママへ贈呈した。ママは数人の客へ振る舞っていた。「うん、これおいしい」と客が言った。「それはそうでしょう。ただで飲む上等の酒ほど、旨い酒はないからねーーー。」と思ったが、もちろんそう言う言葉ははかない。僕は酒ではなく焼酎を飲んだ。近々僕へ仕事を依頼したいという客がいた。何回か、この店で会ったことがある。気を良くした僕は彼を連れ出すことに。ママは怪訝そうな顔をしながら、「帰りにまた寄ってね」と彼に告げた。「僕には言わないんだなーーー」と、ちょっと、ひねくれたが、棒の心は既に、「和服のママのいる店」へ飛んでいた。彼を紹介すべく僕の心はせいていた。タクシーを飛ばし目的地へ。僕は例によってハットを止まり木へと飛ばし、「ママ新しい客をつれてきたよ。かれ独身だよ」と即、紹介。独身かどうかはあまり関係なかったか?。ママはにんまりと笑い、嬉しそうにしていた。ここではママの笑顔を魚に、カウンターに並べられた大鉢から適当なつまみを所望し、特注の焼酎でのどを潤した。彼もたいそう気に入った様子。

小一時間ばかりした頃、先ほどのスナックから彼の携帯へ電話あり。「帰ってきてほしい」とのこと。さもありなん。僕はスナックの売り上げを減少させた張本人だ。罪深い男として烙印を押されているに違いない。「銘酒の贈呈と相殺だーーー」と思えど、「それじ足りないわ」と、頭に角を生やしたママの顔が見えまーーす。「世の中はいいことも悪いこともあるさ」とは僕の弁。おかげで、昨日の日曜日はダウンデー。天と地が逆さに見えますーーー。

さすがに今日は昨日の反省で、意識もしっかとしており、仕事に邁進しておりまーーーーす。さああ、ちょっくら出かけなくちゃ。




2007年10月26日(金) 忙しい土曜日になりそう?。

明日、隣の県から古い友人がやってくる。なんでも、「歩こう会」とかいう催し物に参加するとのことで、当県の北にある公園までテクテク歩くのだそうだ。秋の柔らかな日射しの中を歩くのは気持ちが良いことだろう。僕は久しく長距離を歩くという経験をしていない。僕なら恐らく途中でへたばってしまうに違いない。

彼は終着地点まで歩いて、その後、電車で我が住む駅まで来るとのこと。駅で僕が出迎えることになる。「お土産はなにかしら? 」と期待に胸をふくらませているが、まさか「木の葉っぱ一枚」ということはないだろうなああーーー。

そう言えば、彼がやってくるときは、たいがい問題を抱えていることが多い。前回もそうだった。転職すべきか?、このまま会社に残るか?。このまま残れば家族と離れて単身赴任生活の続行となる。転職すれば地元で家族との共同生活に戻れるが、ゼロからの再出発となる。大企業だから退職金は出るだろうが、まだ学生である二人の女の子を抱えての転職は勇気のいることだ。

僕も転職した身とはいえ、これと言ったアドバイスが出来るはずもない。僕の場合は理想を追い求めた若気の至りって感じがあったが、彼の場合は若気の至りは当てはまらない。「そりゃあ、家族と話し合って、○○ちゃんがしたいようにするしかないさ」としか言えなかった。

転職は成功することもあるが、失敗することも多い。なんとも言い難い。決断を下したら、後悔しないで前へ進んでいくしかない。後戻りは出来ないのだ。
結局、彼は転職を選択した。そして今がある。仕事も大変らしいが、なんとかやっているようだ。女の子二人もすくすくと育ったよし。彼の選択は良かったのだ。

ところで、「今度はどんな相談なの?」と笋琶垢い討澆燭蕁△匹Δ眇涜牡屬砲けるトラブルらしい。これは厄介である。特に相続問題となると、他人が話し合いに参加することは難しい。決まった後の手続きなら、いくらでも出来るんだが・・・・。まあ、話を聞いて若干のアドバイスが出来るくらいしかないだろう。

僕に用事がなければ、彼と夜の酒場でダベルことができるんだが、僕は夕方から弟(仕事の仲間)と、もう一人の知人と、なんでも「利き酒会」に行かないかと誘われている。一万円の会費らしい。既に申し込みをしてしまった。「利き酒」かあーーー。色んな酒を飲むんだろうか?。焼酎ならともかく、酒はほとんどたしまない。まあ、雰囲気とやらを観察するのも悪くはないだろう。その後は、結局どこかへ、しけ込むことになりはしまいか?。弟も知人も僕もそちらがメインではないのか?。どうもそんな気がする。

近未来を想像して、その通りになる事って怖いぜ・・・・。と言いながら、「自らその道を選択しているあなたの姿が見えまーーーす」って声が聞こえてきそうだ。こんな時、妖精の声で「おやめなさーーーい」って、ささやかれたら僕は歩みを180度転換出来るだろうか?。うんんんん、その時になってみないと分からないか。

とりも直さず、明日は忙しい日になりそうだ。抱えた仕事が日延べになるが、そこは頑張りで乗り切ることにしよう。おっと、もう今日になってしまった。そろそろ寝をとるか。




2007年10月23日(火) 別れの歌から、どどいつまで。

すこぶる良い天気の今日、遠方のクライアントの所まで出張した。丁度、昼時にさしかかったので、大きな駐車場のあるスーパーで時間調整。車のシートを倒し、仮眠しながら音楽を聴いた。

音楽と言っても、こんな時、聞くのはほとんどフォーク調の歌ばかり。一昔前までは、男性シンガーの歌が多かったが、最近は女性シンガーのものが多い。
「秋桜」や、「いい日旅立ち」にはじまり、「名残雪」、「会いたい」、そして今や、「まちぶせ」である。

何故にそうなのか?と考えてみた。それらの歌に連想されるキーワードは、「別れ」である。別れかぁーーーーー。「秋桜」は母と娘の別れ、「いい日旅立ち」は父親や家族との別れといっても良いか?。「名残雪」は彼氏や都会との別れ。「会いたい」は、先に逝った恋人との別れ。この歌は男が先に逝かなくてはならない。僕は思ったものだ。「ぼかぁ、まだ逝きたくはないぜ」なんて。

かくして、今、はまっている歌が、「まちぶせ」である。誰が歌っている曲なのか知らなかったが、その道、通の人が、石川ひとみさんの歌じゃない?とか教えてくれた。よく分からない。まだ、原曲は聴いたことがない。男性シンガーが歌っているのをいつも聞いている。

この曲はメロディーもそうだが、歌詞がいいんだよなーーーー。ふと思った。「こりゃああーーストーカーの歌だぜ」なんて。まちぶせかあーーー。町の角から、ひょっこり顔をだされたり、鉢合わせなんかすると、好意を持った人なら、「わおーーーつ、歓迎だあーーー。お茶でも」と言うことになるが、やまんばみたいな人だったら、思わず腰を抜かしてしまいそうな・・・・。まああ、とにもかくもストーカーはごめんである。

何故、僕は別れの歌が好きなんだろうか?。多分、いくつもの別れを経験し、その別れの一つ一つに、楽しい思い出や悲しい思い出が宿り、人ごととは思えない共感を感じているからに違いない。

無事に仕事を終えて、幾ばくかの報酬を得、帰路についた。、帰りも「別れ」の曲が相応しいかとも思ったが、仕事はまだ継続する。ここで、終わったら、おまんまの食い上げだ。ということで、ラジオのスイッチをひねった。折もよし。「どどいつ」みたいなものを放送していた。おじんぎゃぐや、おばんぎゃぐのたぐいである。テーマに「オードリヘップバーン」とか「色気」とか「競馬」とか、その他の題があてがわれていた。今ひとつ笑えなかったので、僕もちょっくら考えてみた。

「色気とかけて、競馬中止」と説く。その心は「雌馬のみを雄馬が追っかけます」。これじゃああレースにならないぜ。うんんん、鐘一つか・・・・。

高校時代、社会の先生が眠気覚ましに話してくれた言葉がおもしろい。「クレオパトラとかけて、つるつるの肌と説く。その心は、風呂の水かさが増したようで」。鈍い僕には最初何のことか分からなかったが、皆につられて、「あっはっはーーーー」と笑ってしまった。さもありなん。埃は日々、体にまとわりついているからなあーーー。

かくして、無事に我が家へ帰還した。











2007年10月21日(日) 「明元素」言葉に徹して生きなくちゃあ・・。

先日。知人と飲みながら会話をしていた時、知人が僕に聞いてきた。「○○さん、こんな言葉を知っていますか?」と。その言葉とは「明元素(めいげんそ)、暗病反(あんびょうたん)」という言葉だった。

僕も人生、云十年生きているが初めて聞く言葉だった。最初、うんんん、なかなかの名言だ。中国の故事のなかに出てくる言葉かな?と思ったが、そうでもなさそうだ。よく分からない。誰か、偉い先生が考え出した言葉なんだろうか?。

漢字で書くとおおよその見当はつく。明元素とはまあ、明るい言葉。暗病反とは暗い言葉。知人がくれたパンフレットには、明元素とは、積極・肯定・陽転を指し、暗病反とは消極・否定・陰転をを指す言葉らしい。

たとえば明元素言葉として、「充実している。出来る。簡単だ・可能だ。元気だ。幸せだ。美しい。やってみよう。おもしろい」とか、他にもたくさんあり、暗病反言葉として、「忙しい。疲れた。難しい。出来ない。だめだ。不幸だ。大変だ。まいった。苦しい。つらい。やりたくない。分かりません」とかがあげられている。

ビジネス社会では、明元素言葉は戦略思考の言葉として使われ、企業の所是や社是にもなっている。逆に暗病反言葉は、混乱思考として、ビジネス社会では使ううことがタブーな言葉だ。

確かにそうだ。暗い言葉はますます心を暗くし、クライアントの前では到底使えない。明るい言葉はますます心を明るくしていき成功を予感させる。ビジネス社会の中に限らず、日常生活のなかでも、明元素言葉にあふれている生活は充実しているだろう。

思うに、明元素言葉とか、暗病反言葉とか言う難しい言葉を使わなくても、平たく言えば、「プラス思考か?マイナス思考か?」と言ってもよいかもしれない。当然のことながら、プラス思考の人は明元素言葉を多用し、マイナス思考の人は、暗病反言葉が多くなる。

ただ、理屈では分かっていても、日常生活の中では、ある時はプラス思考であったり、またある時はマイナス思考に陥ったりで、一定していない。それが 人間というものだろう。要はマイナス思考をいかにしてプラス思考へ転換させるかだ。これが簡単にできれば苦労はないんだが・・・・。

失恋すれば悲しくなり、立ち直るには時が必要であり、仕事に失敗すれば自信をなくすし、「明日があるさ、ジョージアで」と言うわけにも行かない。

今、この時点で僕の心をのぞいてみると、暗病反の領域にある。マイナス思考に陥っている。思い当たる要因が二つある。一つは、やや仕事に疲れていること。仕事に取りかかろうという意欲が今ない。多分、あしたは違うと思うが・・・。もう一つは、ある学者さんのレポートを読み、すくなからずショックを受けたことだ。

そのレポートとは未知の分野のことなので、定かではないにせよ、僕にとってはゆゆしいこと。何かと言えば、僕が宇宙人と遭遇する可能性が皆無に等しいこと。これは僕だけではなく、今、生きているほとんどの人がそうかもしれない。要するに、地球以外の知的生命体が存在する可能性が少ないことだ。地球は宇宙の中で知的生命を宿した孤独星であるかもしれない。となれば。あの999のメーテルのごとき美しい異星人に出会うこともないわけだ。とっぴょうもない話だが眠れない夜、ベッドの中で時々、異次元の扉を開いて僕を迎えにくる異星人の事を考え、甘美な夢に浸ることがある。SFマンガの見過ぎかあーーーー?。

僕はさしたる喜びも見いだせないまま宇宙塵となって消滅していく。恐らくは魂さえ残らないだろう。生ある者の宿命とはいえ、これは悲しいことである。
マイナス思考になると、暗病反言葉だけが心を支配する。

今、この心を陽転させるべく僕は模索している状況にいる。







2007年10月17日(水) 秋の夜は思考が千々に乱れる。

 今日は午前中、パスポートの申請へ行ってきた。僕は例によって、喪黒福造さんスタイルで、深々と黒のハットをかぶり、全身黒ずくめの服をまとい、大きな書類バックを持ち、にんまりと笑いながら窓口を訪れた。すれ違うばあさま達は、怖い物を見るかのように遠回りしながら去っていく。

書類は全部そろっており、何の問題もなかった。ただ、最近の顔写真は、アップ度が強調されて、「これが我が顔か?」と思わず目を疑いたくなる。

窓口の男性職員さんが、まじまじと僕を眺めて、「ハットを取ってください」という。僕は「はっ」と我がかぶり物に気がつき、おもむろに脱いだ。

職員さんは、まじまじと僕の顔と写真と見比べていた。「どこか違っていますか?」と尋ねると、なんと、僕の鼻の横にある小さなほくろを指さし、「それ、ほくろですよね」と言う。

失礼な職員だと思ったので、僕は言ってやった。「これ、黒真珠に見えますか?。正真正銘のエッチぼくろですよ」って。まあ、そんな具合で、後はお互いに笑いで仲直りってところだ。

確かに、最近は、素顔がよく分からないことが多い。特に女性の場合はそうかもしれない。化粧後の顔と化粧前の顔のあまりの不一致に唖然とすることがある。パスポート申請の際は、女性は素顔で行くべきなのか?、化粧後の顔で行くべきなのか?。

恐らくはどちらの顔で申請してもいいのかもしれないが、いざ、海外へ赴く場合は、パスポートの写真にあわせて、化粧すべきかもしれない。でないと、「別人だあーーー」と疑われることになりはしまいか?。
僕は女性ではないし、判定の担当官でもないから、そこまで気を遣う必要は無いか。

とりもなおさず、今日も良い天気だった。路肩に植えられたコスモスが秋風になびいている姿は、風情があり、なんとなく旅情を誘う。このままどこかへ行ってしまいたいと思うが、そうも行かないこの現実に、ただただ翻弄されるのみだ。

まあ、11月になったら、大きな楽しみがあるから、それまではひたすら仕事に埋没するしかないか?。疲れたら、クラシック音楽をバックグランドミュージックにして、人様の優しい詩を読むのが癒しになり好きである。ベートベンの「エリーゼの為に」なんかいいなああーー。

学生時代に本を読みながら、よく聞いていた音楽は、セミクラシックばかり。「チゴイネルワイゼン」や、「ドナウ川のさざ波」、サラサーテの「白鳥」、「別れの曲」、「トロイメライ」、その他がある。もう、すっかり縁遠くなってしまった。それでも、何かの機会に、そんな曲が聞こえてくると、女性に振られて、リンゴ箱ベッドのなかで、「おいおい」と泣いた事が思い出される。下手な詩も書いたことがあるが、素直な心のほとばしりにはほど遠く、馬券のごとく紙吹雪が舞い散るのが関の山。今でも、すっかり汚れた心は、詩の「し」という字さえ生み出さない。

宵も更けたようだ。今日の、おっと、昨日の仕事もなんとか片づいた。今日はとりあえず船をこぐことにしよう。






2007年10月13日(土) 三つの発見。

ここ一週間、集中的に仕事に専念した。一件の仕事をこなすのに、ほぼ一日かかる。てなわけで、6件くらい片つけたか?。一人でする仕事は孤独だが、のらりくらりやれるので気楽である。処理に迷ったときは冷蔵庫の水を「ごくっ」と飲み、庭先へ出る。木の葉が散っていたらちょっくら箒で掃き、草花が水をほしがっていらたら、ホースで虹のシャワーを浴びせる。、外出も控えめに、ほとんど家の中と、庭先を歩き回ること。これが日課だった。まあ、こういう生活もたまには良い。

気がつくと、暦は10月の半ばだ。そんな殺風景な暮らしの中で発見したことがいくつかある。これが、僕の癒しにもなったようだ。人様にとってはたいしたことではないかもしれないが。

まず一つ目は、コスモスが色とりどりの花を咲かせて風になびいていたこと。あまりの美しさに感動だ。即、デジカメに収めた。コスモスは大好きな花。なんと言っても、山口百恵さんの「秋桜」という歌を思い出す。それと、もうずいぶん前になるが、「釈迦内棺唄」という演劇を見たとき、コスモスの花について語られた言葉があまりに印象的だった事を、いつもいつも思い出す。

正確な表現は忘れたが、「一面に咲いているこのコスモスの花は、亡くなった人を焼いた灰をまいて育っている。人の顔が皆、違うように、このコスモスの花も、皆一つ一つ違う。それでも、皆美しく咲いている」という内容だったっけ?。戦争、差別、偏見といった時代背景の中で、コスモスだけは、自分を偽ることなく皆、美しく咲いている。なんだか涙を誘ってしまった。

演劇が終わり、主役を演じた有馬理恵さんという女優さんが、玄関口で観客を見送ってくれた。彼女がにっこりと笑って、僕と握手をしてくれた。もちろん、握手は僕だけではないのだが・・・。その思い出は、未だに脳裏から離れない。「一目会ったその日から、僕は恋の虜になりました」って感じで今日に至っている。

二つ目の発見。月下美人が三度目のつぼみをつけたことである。つぼみの個数も三個。これは偶然か?必然か?。毎朝起きたときに、つぼみの成長を見るのが楽しみである。「途中でダウンすることなく、きっと咲いてよ」と、今は願うのみである。大輪の花はあでやかで、香りが強く、色んな昆虫たちを引き寄せる魅了を持ってているそうな。昆虫のみならず、僕まで引き寄せられてしまいそう。そのとき、「女性の香水も、この香りにはかなうまい」と僕は思ったのでした。

一夜というより、ほんの数時間でしぼんでしまう月下美人。花を天ぷらにして食ったら旨いらしいが、とても、とてもそんな残酷な事は出来ない。せいぜい、焼酎につけて、純白の花びらを眺めて、いつまでも楽しみ事が最高の贅沢かもしれない。まだ、実現に至らず。

三つ目の発見。これも花の話だ。黄色い彼岸花が今、咲いている。彼岸花って今頃咲くんだったっけ?。ちょっと、遅いみたいな気がするが、我が家では今である。赤い彼岸花が定番みたいだが、今は何種類も色があるようだ。黄色の彼岸花が何故、我が家に咲いたのか分からない。ばあさまの置きみやげと、山の神が言う。さもありなん。ばあさまはめっぽう花が好きだったからなあーーー。

まあ、こんな風で、我が家に日頃になく、こもっていると、いろんな発見があっておもしろい。「ここ掘れ、ワンワン」で、庭先から大判小判でもわんさと出てくりゃ御の字だが、はかない夢を抱くことは止めにしよう。欲はほどほどにして、汗水流して労働にいそしむことが最善の道だ。





2007年10月07日(日) 心の平安は笑顔や笑いから生まれる。

今日は三連休の中日にあたる。土曜日が休みだと本命の日曜日をいれて二連休。しかるに10月の第二月曜日が、「体育の日」と銘打って祝日。かくして三連休だ。子供達にとっては大喜びだろう。僕も子供の心に同じ。役所や企業は閉まっているし、来客も電話もなし。何をしようかと、いつも心が躍る。が、結局、やることと言えば仕事。できの悪い僕にとって、休日に出来る仕事の時間が最高のご褒美であり、ご馳走である。日々、怠けているからなあーー。

平日は、来客の応対、お茶出し(最近は、手っ取り早く、ビタC入りの缶ジュースにしている)、電話、机に向かって書類作成、電話、来客、クライアントの所へ出張、帰ってくると山の神ご依頼(順不同)の、生ゴミ捨て、花の水やり、雑草の焼却、干した蒲団の取り込み、買い物への付き合い、重い荷物の運搬、エトセトラ。仕事をしようとすればもう夕方だ。さすがに、洗濯と炊事は山の神の専売特許だ。僕が深く立ち入ることはない。

時々考えることがある。「コマネズミみたいに働くこの僕はいったい何だろう?」って。数年前、山の神の母である、ばあさまが亡くなり、山の神は兄弟もなく、天涯孤独の身となった。頼れるのは僕しかいないわけだ。口うるさいばあさまの小言を聞かなくてもいいようになった僕としては幸せかもしれないが、山の神の心はまだ癒えていない。だからこそ、僕は「こまねずみ」となって動いているのかもしれない。

風邪引きの体調もほぼ良くなってきた。かくして、昨夜は今日が連休の中日ということもあり、寝付かれずラジオの深夜便に耳を傾けた。俳優の滝田栄さんと、アナウンサーが対談をしていた。興味深い話だった。何でも、滝田さんは、レ・ミゼラブルの主人公の役を10年以上も勤め、役を降りた後、すぐインドへ飛んだそうだ。お釈迦様の足跡をたどり、三年間、当地で修行をなさったとのこと。なかなか出来ることではない。

アナウンサーが聞いた。「インドでの修行を終えて、日本に帰ってこられた時、向こうと日本と、どんな面が違っていると感じられましたか?」と。
答えが意外だった。向こうでは、「とにかく笑いなさい」と教えられたそうだ。いつ、どこでも、何をするときでも、腹立たしいときでも、笑顔。笑顔。スマイル、スマイル。仏教の教えはいつも心の平安を保つこと。それには笑顔、笑いが一番と言うことらしい。日本人の表情には、その笑顔、笑いが少ないと、滝田さんは感じたそうだ。

確かにそうかもしれない。あえて、笑いと言えば、テレビ等のお笑い番組。これは商業的な笑いであり、個々人が日々の生活の中でやりとりしている笑顔や笑いとは違う。日々の生活の中に、笑顔と笑いがいつも伴っていれば、これこそまさに心の平安というものだろう。僕もそんな生き方がしたいものである。

もう一つ、滝田さんの話でおもしろかったことは仏像製作にまつわる話である。滝田さんは不動明王とか薬師如来像とかいった仏像を彫刻なさることでも有名である。自分が精魂傾けてこしらえた仏像が気に入り、「人手に渡すのはいや」と、最初の頃は思われたそうだ。ごもっともである。僕なんか、「死んでも離さないぞ」と思うに違いない。

ちょっと、脱線するが、加山雄三さんの歌の台詞にもあったっけ。「僕は死んでも君を離さないぞ。いいだろう?」。こんな場合は、「いいわよーーー」と、答えが返ってくればにんまりだ。仏像などはそうもいかないだろう。個人の執着を離れて、大衆の救済に役立ってこそ仏像が輝きを放つ。今、滝田さんはそんな気持で、仏像彫りに邁進なされている。

いつも笑顔でいる。執着を離れる。これがなかなか出来ないんだよなあーーー。日本の政治も「美しい日本」ではなくて、「笑顔いっぱいの日本」をスローガンにして、それを個々人が実践出来るようになれば、おのずと美しい日本に生まれ変わるはずだ。


2007年10月05日(金) 久々に風邪を引いた。

久しぶりに風邪をを引いた。ちょっと言葉は悪いが、「馬鹿は風邪を引かない」と言う。僕も一応、馬鹿ではなかったか?と、おもわず笑みが。多分「寝冷え」だろう。掛け布団を蹴散らして、おなかぽんぽんで寝ていたのかもしれない。のどをやられた。咳をすると痛みがある。熱は38度。ふらふら感はない。

こんな時は早く寝るに限ると、昨夜と一昨夜は夕方6時過ぎに就寝。病気とあらば仕方がない。寝汗をかくこと数回。そのたびに起きて、ベッド横の椅子に用意していた下着を着替える。熱を冷ますべく汗が出ているのだろう。朝になると、のどの痛みはすっかり消えていた。だが、咳はまだ出る。ここ2日、食欲は不振。鏡を見ると、顔が細くなっていた。風邪を引くのもダイエットに、一効ありそうだ。

今朝はすっかり熱も引いて、体調がやや回復した。咳は少し出るが、昨日ほど顕著ではない。昨日は食べたくなかった朝食を今日は食べた。うまい。腹はやはり空くもんだ。

昨夜、一昨夜と仕事をしていなかったので、今朝は早朝より机に向かう。気分は全快に近い。ただ、相変わらずのなま暖かさには閉口している。今からクライアントの所へ出張だ。風邪は何の支障もない。では出かけることにしよう。


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