umityanの日記
DiaryINDEX|past|will
2006年08月27日(日) |
心に決めたときが吉日。 |
今日は朝から一仕事有り。クライアントのところで1時間ばかり過ごし、静かな日曜日の世間を横目に、そそくさと我が家へ。その後は、昨日整理したファイルを保存用と破棄用に選別。不要な物は思いきって火葬に付すことに決定。目をつぶって、くずかごに放り込めば未練も残らない。使えそうな奴は段ボール箱に詰めて、こっそり我が秘密の置き場所へ納めた。一生使わなかったら、埃とネズミの餌になることは間違いない。まあ、そういうこともないとは思うが。
午前中に作業をしていて良かった。午後からは雲行きが怪しくなり、夕立と共に雷が・・・・・。すかさず電源とパソコンのスイッチを切った。雷は閃光から音がするまでが勝負だ。ワン・ツウ・スリー・・と数えることにしている。数が増えていくたびに僕の心は安堵感に変わる。いつものパターンだ。今、午後7時前。また雨足が強くなった。木々にとっては嬉しい雨に違いない。そしてこの僕にとってもだ。雷さえなければ雨は嫌いではない。
雨音を聞きながらふと考えた。ここ数日、日記というか、備忘録というか?。毎日書いている。これはどうしたことだろう?。暇であることが最大の要因である。要したものだ。貧乏性の僕は暇があると何かをしていないと落ち着かない。何でも良い。気にとまったことをやっている。この備忘録もそうであるし、ゴミを焼却するのも、木々に水をやることも、何でもござれだ。
そうそう、注文していた翻訳のソフトが今日の午後届いた。早速、インストールした。英語は好きであるがまだ相当に未熟。ちょっくら奮起して我が能力アップを図ろうと思っている。そのねらいは?。外国の方々とメールでも交換し、文章の上達、会話の上達をはかることはもちろん。さらには、わずか3曲しかない持ち歌のイングリッシュソング(ある愛の歌、メりジェーン、聖夜)のレパートリーを広げんがためである。
ま、これはジョークであるが、人がおらぶ演歌やポップスばかりでは策がない。僕は人とちょっと変わったことをやって「おなみだちょうだい」といきたいわけだ。今まではお涙どころか「げらげらの大笑い」同情のお涙をいただいてきた。失態に失態を重ねてきた故、ここいらで名誉挽回といきたい。そう簡単にはいかないと思うが・・・・。
うんんんん、よくよく考えてみると、実にくだらない思いつきだ。ただ、お釈迦様が言ったかどうか知らないが、ある友人から聞いたことがある。「つまらないことを、何にもならないことを一生懸命にするところに仏法が宿っている」と。「仏法(お釈迦様の教え)かあーーーー?。なるほど」。
というわけで、乗りやすい僕は、他人から見たら、くだらないと思えることでも、懸命にやろうと心に決めたのでありました。今日の格言だ。「心に決めたときが吉日」。これでいこう。
2006年08月26日(土) |
何もない日は何をしようか?。 |
今日は何もない土曜日。本当は故郷で同窓会があるのだが、参加する友人も少ないようで、止めることにした。さーーて、何をするかと思案したあげく、過去数十年の不要書類を整理することに。今、ちょっくら来客中につき、中断している。来客と言っても、ほとんど山の神が応対するからぼくは我が書斎にこもり、刹那の時間を利用してこの文面をしたためている。
それにしても書類ってたまればたまるものだ。本来貧乏性の僕は、物が捨てられない。やはり、ばあさまの影響だろうか?。ばあさまの亡くなった後、押し入れを整理していたら、古い新聞から、古布までごちゃごちゃと出てきた。汗だくとなって整理したことを覚えている。ただ一つ、嬉しかったことは、あちこちの隅から、ビニール袋に入った小銭が、わんさと出てきたことだ。中には緑青をを帯びた奴もあった。「うんんん、さすがばあさん。几帳面だぜ」と、変なことに感動しながら片つけたものだ。
僕の場合は、書類をファイルして戸棚に並べている。ただ、10年以上も付き合いがないクライアントは、ほぼ縁がないクライアントである。ひょっとしたら?という思いが脳裏をかすめ、捨てられないでいるわけだ。その思いを今日は断ち切って、ファイルから書類をはずし、焼却処分することにした。うんんんいかんせん。じゃああファイルはどうする?。中にはきれいなファイルがある。それまで捨ててしまうのはもったいない。
ここで又、僕の貧乏性が出た。一応ファイルだけを集めて、その中から残すべきファイルを選択することにした。ゆうに百冊を超えているから選別も大変だ。この様子を見て山の神曰く。「あんた全部捨てなさいよ。残していても、まず使わないわよ」。この言葉には僕も少々、「カチン」ときたが、確かにそうなのかもしれない。ただ、僕の汗と涙がしみこんだ物を、こともなげに捨て去るのは気が引ける。要は山の神に内緒で残しておけばいいわけだ。
来客も帰ったよし。さあ、汗まみれになって僕の過去と決別しよう。 今日の一言だ。「仕事の第一歩は身の回りの整理から」「備えあれば憂いなしだが、貧乏性もほどほどに」である。
2006年08月25日(金) |
「冥王星」は好きな惑星だった。 |
以前からささやかれていた天文ニュースが飛び込んできた。冥王星が太陽系の9番惑星の地位から脱落。「オーノー。悲しいぜ」とはちっとも思っていないが、「冥王星」という惑星は名前が好きだった。なんだか神秘的で闇の女王を思わせる雰囲気がある。
となると、8惑星か!!。「水金地火木土天海(すいきんちかもくどてんかい)」。冥王星が抜けて海王星まで。そうかいと言ってもだじゃれにもならないが、昔、試験対策で惑星の順番を覚えたものだ。
僕にとっての関心事は、惑星の数よりも生命体存在の有無である。残念ながら、この8惑星の中で、生命体が存在しているのは地球だけかもしれない。太陽系外惑星の中には生命存在の可能性は大いにあるとは思うが、いまだ定かではない。となると、地球は生命体をはぐくんだ希なる星なのだ。
「人、いずくより来たり。いずくへか去る。すなわちこの心より来たり、この心へ去る」。いかにも仏教的な言葉だ。「この心」とは大自然、宇宙のことだろう。僕たち生命体は宇宙から生じ、宇宙へ帰って行くわけだ。
無限とも言える神秘的な宇宙。孫悟空が大千世界を走って戻ってきたが、よく見るとお釈迦様の手の中だったという話は有名である。子供心に「へー不思議だなー」と思っていた。
昨今、広大な宇宙の解明に向けて人間の英知が果敢に挑戦している。人間は取るに足らないちっぽけな存在であるが、「ピリリ」と辛い。その人間の飽くなき努力が、幾多の宇宙の神秘を解明してきた。ただ、「宇宙を解明したぞ」と思っても、まだ宇宙のほんの入り口と言うことだろう。広大なるかな宇宙・・・無限なるかな宇宙・・・・・である。
宇宙の話をし出したらきりがない。取りもなおさず、太陽系の惑星が一つ減ったと言うことはめでたくもあり、めでたくもなしだ。ぼくも及ばずながら宇宙の構成員の一人として、遠くもない将来に宇宙塵となり宇宙解明の一助となれば幸いである。
2006年08月24日(木) |
久々の僕のミステイク。 |
昨夜は、月曜日から当地に来ている飛行機君とその部下、さらには、いまだに夏休みが続いている、のりちゃん先生と僕。この4人が、いつもの小料理屋で再会した。飛行機君達は三日連投の、この店がよい。まあ、夕食のつもりで、この店を利用しているのだろう。僕とのりちゃんは久しぶり。ほぼ一ヶ月ぶりのご対面だった。
男4人もよれば、そりゃあ話はにぎやかだ、ピーチクパーチクと僕たちはだべりあった。飲み物は焼酎。つまみは、僕が仕事のついでに足を伸ばして仕入れてきた「ざる豆腐」。ざるごと締めまして350円。やすいぜ。皆で分け合って舌鼓をうった。
あとはママ手作りの、なんだかよく分からないが、芋の茎を煮た奴・・・、ちょっくら筋があって固かったが、まああドンマイドンマイだ。さらに厚揚げ。サラダ。焼き生サンマ(刺身でもいいのよとママが言った)。トマトにタマネギのみじん切りをちりばめ、たれをかけたもの。名前は知らない。他に圧巻だったのは、飛行機君おすすめ一品。大きな椎茸を焼き、皿に載せ、その真ん中に生卵を落としたもの。焼けた椎茸と卵が相まって、いやああ、複雑な味で旨かった。
おっと、今日は料理の話をするつもりはなかった。その小料理屋を出て、僕たちはカラオケが歌えるスナックへ直行した。当スナックは点数で90点 以上を出すとボトル一本が提供される。もちロハ。飛行機君にその栄誉に預かって欲しいと連れてきた。
さすがにママもつわもの。危険を察したのか、二種類ある点数制度で、超辛口採点の方を選択した。僕たちは総崩れ。最高で67点。これは如何に?。 ママも僕たちの歌がたいしたことはないと安心したのか、もう一つの採点方式へチェンジ。
これが裏目に出るとはママもさすがに読めなかったようだ。僕は過去に勝ち取った記憶がある歌をオーダーした。時期尚早だがクリスマスソングの「聖夜」。きよしこの夜の英語バージョンだ。美声がとどろき、「わおーーーーーつ」。90点だ。ボトル一本獲得。その後、飛行機君の部下が90点を出し、飛行機君は89点どまり。ママ曰く「何回出しても一日にボトルは一本よ」と。美しくかためられたママの顔面が一瞬曇った。「ごもっともです」と、僕たちは言って笑い転げた。
正直、ママには悪いことをしたかなーーーと思う。ということで、しばらくは出入りを遠慮することにしよう。若しくは歌の挑戦を止めることにしよう。
その店を退散して、僕たちは調子にのり最後の店へと赴いた。良いことの後には悪いことがあるものだ。僕はその店で、なんと携帯電話を置き忘れた。今、この備忘録をしたためている現在も手元にない。今日の夜、取りに行かねばならない。多分、ビジネスがらみのテルが入っているだろう。中を見られても、品行方正な僕だ。何の支障もない。久々の僕のミステイクに乾杯だ。おっと、字が間違っていた。完敗だ。トホホ・・・・。
2006年08月23日(水) |
5年前がまざまざとよみがえる。 |
来月は車の免許更新だ。いよいよ待ちに待ったゴールド免許の取得だ。随分昔にこの美酒を味わって以来、ブルー免許に甘んじていた。先般の更新の時も、あと二ヶ月でゴールドと言うときに、その夢が破れた。
まさに人生は塞翁が馬。車を新調し丁寧に扱っていたのは良かったが、さる信号のない交差点で、ゆっくり左折したら、なんと、後方からバイクに乗った70歳がらみのあばあさんが、僕の車の側面に接触し、バランスを失い転倒した。「ありゃ、何事ぞ?」と僕は我が目を疑った。バイクが接触したことさえ分からない静かな出来事。バイクが音もなく倒れ、おばあさんも道に転んだ。僕は即、車を止め、おばあさんを道路端まで抱きかかえ、バイクを移動した。
運が悪いと言えば運が悪かった。すぐ近くに交番があり、おまわりさんが飛んできて、開口一番、「人身事故だな。人身事故だ」と、決めつけられた。僕が反論する暇もなく調書を取られた。車とバイクじゃ車に分が悪いことは百も承知。素直に従って、即おばあさんを病院へ運んだ。幸い軽い打撲とのことで、治療も一週間程度で済むという。
友人の保険屋さんと数回先方の家へ足を運び、後の処理を委託した。ほとんど保険でまかない示談も成立。互いにお詫びして事なきを得た。後は検察庁からの呼び出しを待つのみ。召喚状がやってきた。久しぶりにくぐった検察庁の玄関。人はほとんどいず、閑散としていた。こういうところは頻繁に出入りするところではないなと思った。
時間が来て、担当検事さんかどうか知らないが色々と質問をされた。正直に荒いざらいを述べ、数十分で終わった。検事曰く。「多分何の処罰もないでしょう」。「さもありなん。僕も被害者だぜ」と言いたかったが、さすがにそれは止めて、「ありがとうございます」と丁寧に挨拶して門を後にした。
何の処罰もなかったが、点数が引かれ、ゴールドが見事にブルーに格下げ。 「ああーーーはかない人生だぜ」と嘆いても仕方がない。
ところが、ところが、縁とは当に不思議なものだ。誰かの歌に会った「恋いとは不思議なものね」なら分かるが、恋とは縁がなさそうな(失礼)、そのおばあさんと再び出くわすとは。さる儀式に僕が招待され、なんとその場に例のおばあさんが・・・・・・。僕は我が目と耳を疑った。「いつぞやは失礼しました」と挨拶を述べ、複雑な面持ちでその儀式に参列した。
それから早5年。短い首を長くして待ったゴールドを手にする時期がやってきた。別に金貨をもらうわけではない。それでもその価値はある。ゴールドは5年という時間を保証してくれる銀河鉄道999のようなもの。3年とは大違いだ。だが、心してかからねばなるまい。ここ、一・二ヶ月が勝負だ。一度あることは二度あるという。あのおばあさんに会ったように。
今日の格言だ。「果報は寝て待て。過分な期待はするな。人生は塞翁が馬」。おっと、忘れてはいけない言葉があった。「災難は忘れた頃にやってくる」。僕は5年前の出来事を決して忘れまい。
2006年08月22日(火) |
疲れたら寝るに限る。 |
はや、盆も終わり高校野球もおわり、世の中は平穏をとりもどした感がある。いまだくすぶっているのは僕の感だ。どうも、仕事に今ひとつ熱がいらない。あつさのせいだろうか。夏ばてか?。「いつまでも若いと思うな。中年男よ」。いやああ、自信をなくすぜ。「僕の辞書に「夏ばて」という言葉はなかったが、今年はその言葉を辞書に搭載しなくてはなるまい。
まあ、そんなことも言ってはおられない。昨日は、交通事故で肩の再手術をした安さんの見舞いに行った。遠方の病院に入院とのことで気をもんだが、その心配はなかった。自宅から仕事の問い合わせが頻繁にあるとのこと。携帯電話で、てきぱきと応じている由。携帯の通話料が上がったとぼやいていた。久々の再会に顔を見合わせて僕たちは淋しくほくそ笑んだ。
淋しくほくそえんだには理由がある。安さんとは語るに尽きぬ思い出がわんさとあるからだ。その一つがカラオケのデュエットだ。安さんとのデュエッとが途絶えてから、半年以上にはなるか?。二人ではもる「白いブランコ」は僕たちの処女作みたいなもの。結構、仲間達に受け、さるスナックではロハボトルを数本せしめた。時には点数のぞろ目をだして、紳士用靴下を手にいれたことも。一つじゃ不公平と言うことで、数回挑戦して二足を勝ち取った。仲良く一足ずつ家へ持参した。歳の差はあっても、何かの縁で結ばれた関係は良いものだ。早く退院してデュエットの夢をもう一度実現しいと語ったことである。
見舞い帰りの途中、東京の飛行機君(名前を呼ぶのは面倒くさいから僕がそうニックネームをつけた)から電話があり、こちらへ出張で、今、馴染みの小料理屋にいるという。気分が今ひとつ優れなかったが、赴くことにした。 夕食がまだだったので、いちおう山の神の了解を得て、そこですませると告げた。山の神の怪訝そうな顔がちらっと脳裏をかすめたが、そく打ち消した。
ビールから焼酎へ。いつものパターンだ。ママ特製の厚揚げと、鯨と、鳥と魚と、多彩なバリエーションに舌鼓をうった。僕が来るかもしれないということで、今日のメニューを作ったとのこと。「嘘でもうれしいぜ、涙がちょん切れるぜ」。たらふく食べた。おいしかった。
彼と彼の部下と僕と僕の先輩の四人で二次会へ出かけた。さる、こぎれいなスナック。今はすっかりの行きつけとなった。美貌自慢の三人の女性が、「あら、まー」と上手に描いた眉をぴくぴくさせながら僕たちを迎え入れた。僕たちは焼酎やらビールやらで、ひとしきりだべり、その後カラオケタイムへ突入。東京の飛行機君はなかなかのつわもの。僕の得意なレパートリーをそつなく歌う。「神田川、22歳の別れ、コスモス、哀愁のカサブランカ、恋の予感、名残雪・・・・エトセトラ」。僕はすっかりお株を奪われた。「ええい、やけくそだーーー」と言うことで、少々早いかもしれないが、クリスマスソングをオーダーした。悪いときには悪いことが重なるものよ。僕の求めていた「聖夜」のイングリッシュバージョンが歌詞カードに見あたらない。日本語の童謡バージョンしかない。飛行機君をうならせるには、英語版しかないと僕はだだをこね。やっとこさ、アンディー・ウイリアムスさんが歌っていた「ある愛の歌(ラブストーリー)」を歌うことに。悪いときには悪いことが重なるものだ。音程はめちゃめちゃ。発音も狂いっぱなし。おまけに、情感もない。これじゃああ誰もうならせることは出来ない。自らが乗っていないときはこんなものだ。
僕と友人の二人は退散することに。いやああ、昨夜は僕も相当に疲れていたようだ。「今日の僕はおかしい」と、周りの女性達から言われる始末。僕も不死身ではない。気分が乗らないこともある。そんなとき、一番大事なことは十分な睡眠をとることのようだ。おかげで、昨夜は夢も見ずに爆睡した。今日は幾分か元気が盛り返してきた。睡眠さまさまだぜ。
今日の一言だ。「疲れたらそく寝ろ。無理をするな。悪いことは重なるもの。たまには断るすべも学べ」。まあ、こんなところか?。
2006年08月16日(水) |
昔のドキドキをもう一度。 |
お盆が終わった。人はそれぞれに色んな思いを抱いて、この刹那の休暇を過ごしたに違いない。僕は相変わらずの仕事に明け暮れた。ここ数十年、盆に里帰りしたことがない。運命と言えば運命だ。帰れない理由がある。ま、それはいいとして、遠くから、先祖さん、じいさん、ばあさん、叔母、父の事を思った。
盆の行事で良く覚えていることがある。小さな海沿いの田舎町(僕の故郷)で行われていた灯籠流しのことである。地方によっては色んな言い方があると思うが、僕たちは灯籠流しとか、マントウ流しとか言っていた。マントウと言えば、スーパーマンが身につけているマントを連想するが、そういう意味ではない。多分、万の灯籠を流すから、略してマントウと言ったのか、さもなくば四角い板切れに四本の柱(割り箸みたいなもの)を立てて、中心にろうそくを立てる。四本の柱の周りを色紙で囲む。囲むからマントに似ている。そこからマントウ流しと言ったのかもしれない。これはこじつけか?。定かではない。
時至って、ろうそくに明かりを灯して、海に流す。満潮から引き潮に変わる頃に流す。幾多の鮮やかな灯籠がゆらゆらと波に揺れながら沖へ流されていく。その様は実に幻想的できれいだった。母が言ったものだ。「ご先祖様の魂が帰っていくのよ」とかなんとか?。「へーーー、ご先祖様は墓に帰っていくんじゃないの?」と、ちょっくら、いぶかしく思ったものだ。
また、時を同じくして花火大会が催された。田舎での花火大会と言えば、数千発の打ち上げ花火と、ちょっとした仕掛け花火があった。親戚のお姉さん達と浴衣姿に団扇を持ち、そそくさと出かけたものだ。背の低いお姉さんが、仕掛け花火が見えないと、僕の肩に手をかけ、背伸びしながら見ていた。僕の心は仕掛け花火どころではなかった。お姉さんのカモシカのような指、おっと違ったか、白魚のような指と、ほのかな香りで僕の胸はズキンズキンとうずいた。思春期の僕にとっては大いなるハプニングだったわけだ。子供心に思った。「頼られるってなんと心地よいものか」と。あわよくば、翌年もと期待したが、さすがに、柳の下にどじょうは居なかった。現実とはそういうものなんだ。昨今の盆の風景がいかなるものか良くはわからない。ただ、昔は時が緩やかに流れ、貧しかったが幸せな一時だったような気がする。
おっと、盆に里帰りできなかった男の感傷につきあっている暇はない。夢は夢。思い出は思い出だ。心臓にすっかり毛が生えた今の僕がそう叫んでいる。なにはともあれ明日があるさ。ジョージアで。古いジョークしか言えない僕も落ち目の三度笠だ。 とりあえず、今日の一言を残しておこう。
「あの時の、ほのかな香りとドキドキをもう一度」
2006年08月11日(金) |
友人達から中元が届いた。 |
お盆が近まった。年から年中、仕事の僕にとっては、お盆は一過性の行事。お正月と同様、世間は故郷への一時帰郷でにぎわう。何でも今日から帰省の第一弾が始まるそうだ。結構なことで。里帰りできない人たちは「故郷は遠くで思うもの。そして悲しく歌うもの」とかなんとか言って、酒をあびることになるのだろう。僕もその範ちゅうだ。
ただ、僕の場合は、故郷へ帰ろうと思えば数時間でいつでも帰れるから、物事を大げさに考えることもない。要は決まった日時に、先祖様への墓参りが出来ないだけのことだ。
盆の話は止めておこう。そうそう、先般、我が家へ泊まった4人の友人達からお中元が届いた。といっても、二人からである、ちょっと、変なことに気がついた。何かと言えば、親しさの度合いによって、お中元が届く順番が違うと言うことだ。4人のうち二人とは極めて親しい。その二人からは、なしのつぶて。まあ、これは仕方がない。日頃の付き合いが深いから、形式にこだわらないってわけだ。
後の二人は、我が家への来訪ははじめてである。同窓会でも、内一人とは会ったことがなかった。それでも、同級生は同級生。すぐ、昔の高校時代に戻り、「おい、おまえ」で話がはずむ、
その二人から、お中元が届いた。最初に届いたのが、数十年ぶりに合った奴。山の神曰く。「多分、その人が、我が家の押し入れに、ションベンをたれた人じゃあない?」と。「さも、ありなん」と僕たちは笑い転げた。当の本人は自覚しているのか、そうでないのか分からない。多分、自覚していないだろう?。それはどうでも良いが、珍しい焼酎を二本、奥方に持たせて届けてくれた。もう一人の友人からは、達筆な筆でかかれたお礼状と、金券がが届いた。
何はともあれ、皆、それぞれに社会生活を営み、エンジョイして生きているんだと思えば、こちとらも嬉しくなる。今度の再会が待ち遠しい。ただし、「ションベン 事件」のことについては、一切触れまい。これは友としての仁義である。
おっと、僕の出番がやってきた。炎天下の中、ひとかせぎしてきまっせ。 何はなくとも健康だ。健康さえあれば、そこそこ生きていける。今日の一言。「太陽にむかって飛び出せ。いざ、ゆかん。」
|