umityanの日記
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2006年04月29日(土) 時を経ての再会。楽しからずや。

いよいよ大型連休だ。世間では9連休の長い休みになるところもある由。うらやましい限りだ。とは言いつつ、我が超零細企業でも、パートさんに9連休を告げた。ただ、僕にはほとんど休みがない。人様の楽しげに遊ぶ様を見ながら、ひたすら仕事だ。サラリーマンの時代を思い出す。結構、長い連休があった。連休は良いが、当時はなにせ金がなかった。メーテルのごとき絶世の美女と連休を終日、過ごすこととなれば、質屋にでも通って、金を工面する所なんだが、一向にその気配もなかった。今は、幾ばくかの金はあっても暇がない。世の中はうまく出来ていることよ。

僕は時々思う。この時期の長期連休なんか止めてしまい、もっと、正月の休みを長くして欲しいと。大晦日の除夜の鐘を聞いて、新年があけ、ほんの数日で仕事始めだ。「一年の計は元旦にあり」とか言うが、そうやすやすと計がたつわけでもない。やはり、十日から二週間くらいの日・時が必要だ。じっくりと、去年を振り返り、エネルギーを充填し、綿密に一年の計をたて、「さあーーやったるぜーー」と、勢いよく娑婆世界に飛び出す。それまでの時間が必要なんだよなーーー。

お上にもの申しても、長年培った習慣が変わるわけでもない。となると、問題は自分をどう律するかである。分相応に身を粉にして、労働にいそしむしかない。えいこら、えいこらと。結局、結論はそこへ落ち着く訳だ。

昨夜は、さる同業者の結婚式を機に、十数年ぶりの友人達に再会した。同じ釜の飯を食った仲間である。じつに懐かしかった。皆それぞれに齢を重ねていたが、面影が至る所に残っている。酒を酌み交わしながら、ただただ笑い転げた。皆、すでに山の神を有し、数人の子等の父親になっていた。そうだよなーーー。いつまでも、あの時の若造であるはずがない。見事、大人に変身したわけだ。僕も例外ではないが、未だに、とっちゃん坊やとはこれ如何に?。

まああ、それぞれがそれぞれの世界で羽ばたいているわけだ。これに勝る生き方はないだろう。僕も更なる精進を重ねることにしよう。そう思った友との再会だった。

       時流れ、まぶたに宿る 釜の飯

時を経ての再会は、過去にさかのぼったり、現実に戻ったりで、複雑な心境になるものだ。やはり、皆、山の神だけは怖いようだ。確かにそれは言えている。
  



2006年04月26日(水) 「やすらぎ」が欲しいこの頃。

いよいよ4月も佳境を過ぎた。あれよあれよという間に、桜は散り、元気なのは雑草と夜遊びを覚えた猫の「もこちゃん」くらいか。日々に背丈を伸ばしている雑草の生命力には驚かされる。毎年の事ながら、この雑草と僕との戦いが今年も始まった。昨日は夕方から、縦横無尽に伸びた菜の花の残骸を、草刈機で一網打尽にした。地中には女性の足かと思われるような、まるまると太った白い根が。来年は再び、見事な菜の花畑を演出してくれるだろう。

今年の4月は例年にもまして忙しい。忙しいことは悪いことではないが、たまには安らぎが欲しい。そう思い、知人、友人、飲み仲間の動向を探ってみた。いやはやそれぞれに、問題を抱えている由。困ったものだ。

ボス(仕事仲間の大先輩)は、二度目の入院中。先日見舞いに行ったら、退院というその前夜に大量出血。動脈瘤でも爆発したかと思ったら、そうではなく、肛門近くの潰瘍がが破れて出血したらしい。緊急輸血で難を逃れた。悪性じゃなかったようで、幸いだ。予科練とかで鍛えたボスの体も今ではほっそりとなり痛々しい。気を強く持って、不死鳥のごとくよみがえって欲しいと願っている。歌う天国、聴く地獄ではないが、ボスの十八番、黒沢年男さんの「やすらぎ」という歌を、早く聴きたいぜ。

相棒の「ノリちゃん先生」はここ一ヶ月音信不通。携帯のベルは鳴るも、出る気配なし。いかなる事にあいなっっているのか分からない。行きつけの小料理屋のママさんの弁によると、痛めていた足の具合が良くなく、彼も又、入院しているのではと言う。さもありなん。彼は、迷惑をかけたくないと言うことで、前回もなしのつぶてだった。見舞いに来られるのが嫌なんだろう。まあ、そのうちに連絡があるやも?。首を長くして待つことにしよう。

かくして、僕は「○○ブラザーズ」と言う異名をとった、カラオケデュエットの相棒、安さんに「よしよし」と頭をなでてもらいたく、テルを入れた。こちらも通じない。いかなることか?と、彼が経営する店の前を通ったら、なんとシャッターが降りている。幸せごとなら良いのだが、一週間以上シャッターが降りていると言うことは、彼の身に何かあったにちがいない。まさか入院しているのでは?。気がかりである。二人で熱唱した「白いブランコ」がなつかしい。さる店で二人して真剣に歌ったところ、97点という高得点をたたきだした。機械の設定がベストコンディションになっていたかどうかは知らないが、僕たちは抱き合い小躍りして喜んだ。あああ、懐かしいぜ。もう一度その美酒によってみたいと思えど、いつになるのやら?。

   寂しさを うち負かさんと 手にボトル

   むなしく響く 携帯のベル

僕の心境は、今、つたない短歌のごとくである。仕方がない。滅多にない夜勤をして明日に備えるか。 




2006年04月19日(水) 日頃になく真面目な日記。

最近、忙しく感じるのは、景気が上向いているからなんだろうか?。確かに、その影響かどうかは分からないが、日々の仕事や行事が増えたようで、気が休まらない。気が休まらないから落ち着かない。落ち着かないから日記が書けない。悪循環だが、ある意味では緊張感があって充実している。願わくば、忙しいなら実入りが多くあって欲しいと思うが、そう行かないところが娑婆世界の厳しいところか?。ただ、実入りがあっても、怒濤のごとく両手からこぼれ落ちていく。決して無駄遣いしているからだという訳でもない。色んな料金が値上がりしているから、それも一つの要因か?。

景気が落ち込んでいたときは、企業も人も設備投資や消費をひかえていた。企業は生き残り策として、リストラを断行した。企業はなんとか生き残ったが、職を失った中高年世代は未だ路頭に迷っている。反面、若い人たちは一定の職に就かず、ニートと呼ばれる立場に身を投じ、巷にあふれた。

そういう社会現象が当たり前のようになった今日、新たに、二極分化とか、格差社会の到来・広がりとかいう言葉が聞かれるようになった。政治の世界でも、マスコミの中でも、毎日のように報じられている。

一昔、高度成長の日本社会では、日本人は総じて中流意識をもっていた。皆が皆それを自負いしていた。いまや違う。上流階層と中流以下の階層に二極分化が進行し、豊かな者はさらに豊かになり、そうでない者との格差がますます開いていくと言う。

どうも、僕は経済的側面のみを重視した二極分化とか、格差社会とかいう言葉は好きでない。良い意味で使われる言葉なら歓迎だが、差別化を助長するような意味使われるとすれば、全くばかげている。日頃は、ことあるごとに差別用語として、いろんな言葉が非難を浴びるのに、こういう言葉は堂々と世相を反映する言葉としてまかり通るからおかしい。よく考えてみると、格差社会という言葉も人間を対象として使われるのなら差別用語だろう。ただ、特定の人でなく漠然とした大衆をさしての言葉だから許せるというわけか?。

又、社会現象として、ニートと称される、職に就かない若い人たちのことが、よく話題にあがる。悪く言えば失業率を押し上げる存在であるし、良く言えば、自由奔放で快活に生きている人たちと言えよう。働き蜂だった中高年世代にとっては、ニートという存在はうらやましくもある。確かに幾分かは親のすねをかじるのかもしれないが、彼らは彼らなりに自分探しの旅をしている。僕らの世代は自分探しの旅が出来なかった。ひたすらレールに乗っかっていくことが幸せの近道だと言われ続けてきたからだ。

企業が永遠に存続・発展しないことを知ったとき、終身雇用の制度が崩れたとき、人は愛社精神とか帰属意識を喪失した。「俺の半生はは何だったのか?」と自問自答し始めた。かくして、どこかで、見切りをつけて野にくだる事を決心した。新たな道を模索し始めた。ニート達のように・・・。

その顕著な例が、退職したら田舎へ居を構え、自然と共に余生を送りたいと思っている中高年かもしれない。自由奔放に生きてこれなかった過去を捨てる。「退職金と年金があるから、何とかなるさと言うことだろう。汗して田畑を耕す。熟年離婚とならなかった女房共々に。なんだか光景が目に浮かぶようだ。こうなりゃ、格差社会も、二極分化もあったものではない。上流意識に奔走するよりは、貧しくとも精神的豊かさの中で、自由奔放に生きた方が良いかもしれない。そいう意味では、ニートと呼ばれる人たちは、回り道をしながらも自由奔放に生きている。若さがあるから良い。恐らく将来はそう言う人たちが担うことになるだろう。温かく見守ってあげたい気がする。

政治や行政は、ニートと呼ばれる人たちに援助の手をさしのべようとする。ベンチャービジネスの支援、企業設立の支援。これらは確かに良いことだと思う。既成の枠に組み込まれるのではなく、自由な発想で、回り道しながらも何かを切り開いていく機会を与える。今、大人に求められていることは、そういう人たちへ、健全な方向性を示してやることかもしれない。色んな法律を作って、がんじがらめに縛り付けることは正しい方向性ではない。「道は開かれている。どんどん進みなはれ」と、エールを贈りたい。ただ、思いやりという心の豊かさだけは忘れないで欲しい。

今日は日頃になくまじめなことを書いたようだ。遺言らしき言葉になったが、そうではない。僕自身への戒めの言葉である。なぜならば、僕もまだ若いからだ。



2006年04月10日(月) 死と生と。

人の死ほど悲しいことはない。特に若くしてこの世を去った人の事を思うと、いたたまれない。絵門ゆう子さんもその一人である。49歳。今から、もっとすてきな花を咲かせる人だった。テレビで報道されている姿を見たとき、いつも笑顔があった。美しい笑顔だった。癌と闘っている人の顔には見えなかった。彼女は生と死を真摯に受けとめることが出来たため、笑顔でいられたのだろう。強い精神力でもある。我々にたくさんの事を教えてくれた。心から「ありがとう」と言いたい。ただただ、心からご冥福を祈りたい。

思えば、人間は「おぎゃー」と生まれたときから、すでに死地への旅をしている。誕生ーー成長ーー発展ーー退廃ーー消滅。これは自然界のすべてにあてはまる法則である。誕生して喜び、成長して喜び、発展して喜び、退廃して悲しみ、消滅して悲しむ。これが出来るのは自然界の中で人間が一番だろう。なぜなら、人間は小宇宙とも言うべき脳を進化させたからである。パスカルが言った。「人間は考える葦である」と。人間は葦のように弱い存在であるが、それでも考える社会的動物であると。考えることが出来る故に、他者との関わりの中で喜び悲しみを知ってしまった。

昨夜、さる哲学者の話を聞いた。森は一本、一本の木が集まって出来る。一本一本の木は動くことが出来ないため、寄り添い森を形成した。森は周りから色んな動物、昆虫を引き寄せ、旨い蜜を提供したり、栄養分のある葉っぱなどを食料として与える。その代わりに、子孫存続のための受粉をしてもらう。共に生きる。いわゆる共生。共生のなかでの死はそれほど淋しく、悲しくはないかもしれない。新しい生をはぐくむからである。絵門さんは50歳になっても「赤ちゃん」が欲しいと言っていた。それがかなわなかったのは残念である。

昨今、都会から田舎へ移住する人たちが増えている。田舎はあれこれと人間関係がうるさいかもしれないが、都会の孤独より、自然や村人達との共生のなかに、人生の意義を見つけたのかもしれない。

僕は今、田舎に住んでいるから、あえて、もっと山奥の田舎にこもろうとは思わないが、自然と共にわが生を全うできれば幸せだろう。

ある禅僧が言っていた、「生が来たら生に任せ、死が来たら死に任す。すべては自然の任すままに」と。そう思って日々を生きれたら最高なんだが。いまだ、欲の権化となり、娑婆世界にどっぷりと浸かっている僕仁、そんな大それた考えが出来るのだろうか?。先の事は分からない。ただ、創造神のみぞ、そのことを知る。











2006年04月09日(日) 昔を懐かしんだ。

四月の第2日曜日。今日も朝から一つ、午後から一つ仕事があった。右手に桜並木の公園、左手に広大な田んぼ。その真ん中の道路を車で走った。友人や、知り合いが来たときは、この公園を我が家の裏庭と言っている。それほど近い所にあるため、花を愛でに出向くことなどほとんどない。田んぼの風情で十分だ。近くにあるとそんなものかもしれない。

ただ一度、もう十年以上前になるか?。母と叔父が我が家を訪れたとき、この公園に案内した。二人とも痛く感動したようで、「よかとこたい」と、方言丸出しで喜んでくれたことを思い出す。記念の写真も撮った。そんな母も叔父もすっかり老いてしまった。願わくばもう一度案内したいものだ。

公園では花見をやっていた。「へーーー真っ昼間からご苦労さん」である。子供連れの家族や、愛を語る二人ずれ、昔風に言えばアベックというところか、そうい人たちが公園内を闊歩したり、桜の木の下に陣取り、わいわいやっている。「あんまり荒さないでくれよ」と言いたいが、僕が管理しているわけでもない。「良識にのっとって、ご自由にどうぞ」ってところだ。

そこで一句浮かんだ。

  振り向けば、君のまぶたに 花吹雪 そっと奪うや 深紅の花弁

いやはや、見事な駄作だ。昔を振り返れば、僕にもそんな衝動に駆られたことが何度もあった。いわずもがな実現したことはない。「何すんのよ」と、ほっぺたをはたかれたことはないが、唇はいずこに?だ。もってこいの機会なんて、そうざらにあることではない。当時はただ、悶々と空想に浸ったのみ。

今の若い人たちはどうなんだろう?。花吹雪に出会うと、絶好のチャンス。女性の方から、唇を突き出して、「お好きににどうぞ」てなことには・・・・・ならないか?。

昔を懐かしむとは、僕も歳をとった証拠か?。このへんで止めておこう。


2006年04月08日(土) 80歳の女雀主。

今日はすこぶる良い天気。暑からず寒からず。恐らく花見の絶好日よりだろう。僕はと言えば、午後から仕事。仕事の後は、四人で囲むおつきあいが待っている。

四人で囲むと言えば麻雀だ。主催者はなんと、80歳がらみにおばあちゃん。と言っては失礼か?。会社の女社長さんである。めっぽう麻雀が好きで、旧事務所跡に麻雀部屋をこしらえ、電動卓が備え付けてある。麻雀はぼけ防止になり、かつ指をこまめに動かすから健康にも良い。

女社長を筆頭に、後の二人はいい歳をしたクライアントと○○先生だ。僕が一番若造である。○○先生は、仕事上の先輩であり、クライアントを紹介してくれる。僕にとっては飯の種となる先生である。

かといって、麻雀で手抜きすることは禁物。失礼である。我が実力をめいっぱいに発揮せねばならない。勝も負けるも時の運だ。それぞれの性格が卓上にあらわれ面白い。今だからこうやって、平気で冷静に文章が書けるが、実際現場ではこうは行かない。

牌の一振り、一振りに一喜一憂しながら進行していく。女社長が「はい、リーチ」と大きな声で叫ぶ。その声にほだされて、思わず当たり牌がぽろり。女社長が叫ぶ。普通なら「ロン」だが、社長の場合は「はい、それ」である。いやあ、その言葉はショックである。「ええーーつ」と牌をのぞき込むと、見事な手。ドラガ何枚もついている。いやはや心の臓に悪いぜ。

中には、牌を捨てるたびに、牌を卓上にたたきつける人もいる。「これはどうだ?」ということなんだろう。僕も人のことばかり言えない。リーチをかけるときは、「うんんん、いくかーーー、リーチだ」と言って、かなり声を上げる。声はいいが、顔は盤面からそらしている。何という心の弱さ。度胸のなさ。臆病者。卓上になんの変化もない。僕はさらにつぶやく。「おや、とおったか?」と。安堵の一時だ。後は、「わお−−」と言いながら、ツモを狙っていく。

いつぞや、面白いことがあった。僕も言われて気がついたのだが、「リーズモ即いっぱつ、満貫」と言ったら、「即といっぱつ」は同じじゃないかと指摘され、「ありゃ、そうでした」ということで、満貫取り消しだ。うれしさのあまり興奮していると、何を言ったのか覚えていないから始末に悪い。

まあ、こんな調子で、先日は朝の10時から午後8時くらいまで、延々と卓を回転した。「遊んでいると疲れ知らず」とはまさにその通りだ。これくらい真剣に仕事もすれば、業績が伸びるんだが、そうは行かないところが人生。

女主人も疲れ知らずで、ほんにご苦労様でした。ちなみに、先日は卓が故障し、あれこれといじったが直らず、手混ぜの麻雀。皆々、積み上げの早いこと。慣れていない僕はいつも最後。その故障していた卓が直ったと女主人から連絡があり、今日の再挑戦と相成ったわけである。僕は二連勝しているから、むげに断るわけにもいかない。よし、今日も返り討ちかー・・・・・。

おっと、こういう考えはいけない。僕はいつも思うのだが、麻雀の手は素直でなければいけないようだ。変に小細工するよりは自然体。流れるままにひたすらに。正直者の頭に正直の神宿る。そうすることによって、「つき」が自然と回ってくる。後は「つき」をどう生かすかだ。そこが技量なのかもしれない。

そう打てりゃーーー最高なんだが。欲の権化とかした僕は何度も痛い目に。負けるよりは勝つが良いに決まっている。その執着が命取りになってしまう。女主人の細長い、しわびた手が「今や遅し」と僕を誘っている。

自然体、自然体。自然体だ。今日はその心でいこう。



2006年04月07日(金) ボスの再入院。

ボス(仕事仲間の先輩)が再入院した。回復して元気になるかと思っていたがさにあらず。病がぶり返したようだ。今度はそんなに長い入院ではないと聞いていたので、心配してはいなかったが。

昨日、病室を訪れてみた。ボスはベッドにちょこんと座っていた。体は、かなりやせ細り、点滴の痕跡で腕が黒ずんでいる。心なしか目がうつろ。妹という女性が来ていた。初めて見る顔だった。「うわさには良く聞いています。あなたが○○さんね」と問うてきた。僕は「はい」と、受け答えした。

色々と話を聞いてみると、どうやらボスは、夜中に一人でベッドから起きあがり、歩く練習みたいなことをやっていたらしい。足がぱんぱんにはれているのに、無理を重ねたようだ。両方の足に包帯がぐるぐる巻きにしてあった。痛々しい・・・・。

僕はただ「うーーーーーん」とうなるばかり。ボスの性格をよく知っているからだ。負けず嫌いで、人に弱いところを見せたくない。従って、相当にわがままである。僕も同じような性格なので、ボスの気持ちがよく分かる。ただ、介護する側の人間にとっては大きな赤子をおもりするようで大変だ。未だ、熟年離婚に至らずでよかったぜ。

僕にとってボスとの関わりはあまりに大きい。一緒に大陸の地を、といっても、中国や韓国であるが、何度も豪遊した。めっぽう酒が強くて、おまけにど演歌をおらぶから始末に悪い。「カラオケや、歌う天国、聞く地獄」とはまさにしかり。それでも、ここ数年はかなり歌も上達していた。高得点をマークした「やすらぎ」という歌が思い出される。

思い出を語ると尽きないが、なかでも、韓国へ行ったとき、女性が着るチマチョゴリ、男性用は何というのか忘れたが、それを着て、4〜5名で写真を撮ったときのこと。皆が皆お似合いだった。なかでも、ボスは、ぽかーんと口を開けて、まるで鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしていた。あまりに傑作で、未だに語りぐさとなっている。また、ある時はボスが酩酊し、トドのようなボディーを数人で部屋まで運び込むのに苦労したことがあった。翌日そのことを告げると、本人は全く知らぬ存ぜずだ。のんきなものだ。早く酩酊したが勝ちか?。

何はともあれ、強い生命力で病を吹き飛ばして欲しい。ボスには必ずできるはずだ。





2006年04月05日(水) 熟年離婚と熟年再婚。

四月かあーー。されど四月。四月に振る雨もいいものだ。五月になると「五月の雨もいいものだー」。六月になると「六月の雨もいいものだーーー」と、毎月同じ事を僕は言っている。月日は変われど、その時々に降る雨に、いろんな人間の思いが込められているから、そう思うのだろう。

話は変わるが、さっき、テレビを見ながら朝食を食べていた。熟年離婚と熟年再婚の報道をやっていた。何でも2007年に年金法が改正されるそうな。その時まで離婚を引き延ばし、改正後、離婚に踏み切る。いわゆる離婚待機族がいて、改正後に「どーーーっ」と熟年離婚が増えるらしい。その心はいったい何だ?。いわずもがな、離婚後、前夫の年金の半分はいただこういう腹づもりである。なるほどそうか・・・・。

嘆かわしい。いままで、連れ添ってきた云十年という歳月は何だったのか?。あきらめと後悔の連続だったというのか?。綾小路君麻呂さんの漫談を思い出す。「若い頃はきれいでした。一緒にいるだけで楽しかった。結婚して40年。今では一緒にいるだけで、息切れ、目眩、動悸。会社で安定剤一錠。家で三錠」。女性の立場から言えば、「「今では、夫がすするお茶の音さえ嫌になり、いちど入れてみたいトリカブト」。こうなりゃー、もう地獄である。共同生活の意味がない。かくして、離婚ということになる。家庭生活の崩壊も、結局は、豊かさが生んだ社会のひずみに渦巻く、どろどろとした人間の欲に、その原因の一端があるのかもしれない。

雄と雌。男と女。この二つに分化した存在は、「くっついては離れ、離れてはくっつく」という行動を永遠に繰り返す生き物なのかもしれない。動物的本能として、ただそれだけならいいのだろうが、「感情」と「金」というやっかいな代物が、いつも付きまとっている。人間の不幸はそこから始まった。逆に幸をつかむ人もいるわけだが・・・・。

離婚もさながら、新たなる伴侶を求めて、熟年再婚をする人も増えているそうな。やはり晩年は一人では淋しいのだろう。少なくとも、心を許せる好きなタイプと巡り会い、欲くを言えば老後資金の潤沢な人と結ばれたいという。そりゃーーー、願ったりかなったりだ。ただ、世の中、皆が皆、そういけば良いのだが、そんなに甘いもんじゃありませんぞ。これこそ時の運。出会い。邂逅だ。時間をかけて気長に探すことが肝要。そうは言っても、いざ見つかったときは浦島太郎。花咲かじじい、花咲かばばーになっているぜ。

ちょっときつく書きすぎたようだ。しからば、おまえはどうなんだ?。おまえ?。おまえとは僕の事か?。今の僕に離婚も再婚もない。ただ、ひたすらに生きる。「生」、来たらば生にまかせ、「死」、来たらば死に任す。そう生きたいものだ。うんんんん・・・・?、それじゃああ、あまりにかっこよすぎるか?。あああ、宇宙のどこかにいるメーテルちゃんに早く会いたいぜ!!。たとえ、白髪となっても、もしくはつるりんとなっても。これが本音である。







2006年04月04日(火) 花より団子?。

時は春。春眠、暁を覚えずである。さながら今日は雨。さぞかし桜の花も散ることだろう。花の命は短くて、苦しきことのみ多かりきか?。男も女も酒でも飲んで鬱憤を晴らすというのが日本的風景。なんだかため息がでるぜ。

たまたまテレビを見ていたら、アメリカでの桜見の様子が放映されていた。日本のように、桜の下で、飲めや歌えやの宴会をすることもなく、ただ散歩するのみ。ガイドさん付きというからしゃれている。夜には手提灯をもって歩きながら花見に興じるのだそうだ。日本の花見よりは風情がある。恋人と一緒なら、「君と歩いていると、今宵の桜花も色あせて見えるよ」とか、「今宵の桜は君を引き立たせるバックグランドみたいなものだ」とか、歯の浮くような言葉を発したくなる。残念ながら機会に恵まれず、一度も言ったことがない。

以前、弟(仕事仲間)達と、さる公園で花見をしたことがあった。寒い日だった。どうもビールを飲む気にはならない。それでも、10人程度が集まった。ビニールシートに円陣を組んで、よもや話が始まった。傍らでは、誰かが持ち込んだ鉄板で肉やら野菜やらソーセージやらをを炒める音が。

昼間からの花見となると、飲むよりは食べることの方が良いようだ。僕もビールを差し入れていたが、いっこうにうれる気配なし。仕方がない。

桜の花びらが時々風で舞い落ちる。花見がいつから始まったのか知らないが、昔の人は、こんな様子を見事に歌い上げている。

  花のいろは うつりにけるな いたずらに
  わが見世にふる ながめせしままに  (小野小町)

僕が歌うとどうなるか?。

  花のいろは あでやかに舞う いたずらに
  わが脳裏にふる 夜のともしび

お粗末だ。これじゃあ犬も顔を背ける。まあ、なにはともあれ、花より団子が僕に似合いそうだ。







    


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