umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2004年04月30日(金) 風薫る五月に乾杯だーーー。


風薫る五月に乾杯だーーー。
at 2004 04/30 11:01 編集

いよいよ、四月とも、おさらばだ。一年のなかで、一番忙しい時期だ。今年も何とか乗り切れた。まずはめでたし。
めでたし。神、仏に感謝だ。アーメン・・・・!!!。南無う・・・・・・!!。

いよいよ、明日からは風薫る五月。五月や六月の季節は好きである。みずみずしく、生き生きとした青葉若葉の香りがおいしい。はちきれんばかりの「おっぱい」をあらわにして町を闊歩する女性の姿のごとく。反面、男は娑婆のしがらみに疲れて、勢いがない。これじゃあいけないと、僕も今、五月に向けて奮起を促しているところだ。

つつじの花が満開だ。その後から、七色に変化するアジサイが、その色香を漂わせることになる。しとしとと雨が降る。濡れたアジサイの葉っぱにはカタツムリが・・・・・。「でんでんむし虫、カタツムリ、お前の目玉はどこにある?。角の出せ、足出せ、目玉だせ」と、昔、そんな童謡を歌った。童謡は中高年の男達にとっては、癒しの歌である。

童謡で思い出した。ラジオの深夜番組で特集をやっていた。「春の小川、鯉のぼり、ふるさと、・・・」。挙げれば枚挙にいとまがない。思わず聞き入ってしまい、うっすらと夜が明けてしまった。

昨日は緑の日。祝日だ。我が家でイベントをした。旦那がギター。女房がオカリナを弾く演奏家夫婦がいる。講演をお願いしていた。見事、スケジュールがあいまって、実施の運びとなったわけだ。

オカリナの音色と、ギターの音色が、共鳴して、美しい音楽空間をかもし出す。涙が出るほど、感動してしまった。「コンドルは飛んでいる」。これは南米の音楽だろうか。雄大な情景が脳裏をかすめた。「上をういて歩こう」。坂本九さんの名曲。「少年時代」、「花祭り」、僕の大好きな曲だ。ほぼ、一時間の講演だった。惜しみない拍手喝さいがあったことは言うまでもない。

かくて、僕の緑の日が終わったわけだ。今日は四月の末日。連休も始まっているというのに、僕に休日はない。こうなると、自然だけが僕を癒してくれる唯一の友達である。風薫る五月に乾杯だあーーーー。




2004年04月27日(火) 今日の風は、やたらと冷たいぜ。

今日の風は、やたらと冷たいぜ。
at 2004 04/27 11:06 編集

10日以上も、日記から遠ざかっていた。理由は、いくつかある。一つは、イラクでの人質問題の動向が気がかりで、日記を書く気分になれなかった。まずは解放されて、「ほっつ」としている。当時は、全国民の目がイラクに注がれていた。報道各社も、あれこれと、プロのコメンテーターを招いて、解説していた。そういう状況の中で、平和ボケした日記なんか書けるはずもない。

もう一つの理由は、仕事というか、行事というか、四月は一番忙しい時期に当たる。
と言うことで、その消化に奔走していたわけだ。ゴールデンウィークなんて、僕には蚊帳の外。この状態は五月の中旬まで続く。

「まとまった連休がほしいぜ」と、時々思うことがある。海や山へバカンスへ行くのも、旅に出るのも良い。悲しいかな。それが出来ない。零細個人事業主の宿命である。一日たりとサボると、お飯の食い上げだ。

その割には、「夜の街をよく徘徊しているなーー」と、人が言う。自らは、そう思っていないところが始末に悪い。本来、僕は酒は強くない。ただ、人が好きなだけである。酒場は色んな人種があつまるところ。だから面白いのだ。日ごろ聞くことのない他人のエピソードに耳を傾け、「うん、うん。ふーーーん、なるほどねー」と、うなずきながら、焼酎を交わすのは、何にもまして、楽しい。同時に、「人の振り見て、我が振りなおせ」である。気付かなかった、我が欠点が、まざまざと、見えてくる。

そういえば、先日こんなことがあった。ボボスと、のりちゃんと、僕の三人がたまたま、ある小料理屋で会した。最近、小料理屋に点の出るカラオケが入ったので、僕もボスも、「ここ掘れワンワン・・・・」ではなかった。「それ行け、どんどん」で、歌いだしたわけだ。僕がなんと、93点の最高得点をたたき出した。ボスは最初の頃は、70点から80点どまり。「やったでーーーー」と、僕の鼻息は荒かったらしい。

ところが、な・な・な・んと、ボスが昔、歌っていたという、黒沢年男さんの、「やすらぎ」という歌をおらんだところ、94点がでた。僕達は丸い目をさらに丸くして、機械の点数に見入ったが、間違いない。ボスは上機嫌。「一万円出すから、ボス杯を作ろう」と言い出す始末。僕が面白いはずがない。のりちゃんは、相変わらずポーカーフェイスで、自らはマイクを握らない。僕は、燃えて燃えて、それから、何度も、数少ない得意曲に挑戦したが、すべて、砕け散った。ママは、カラオケ収入が増えるから嬉しいのだろう。「はい次は?はい次は?」と、はやしたて、「はい次は、おばさん」に変身してしまった。

いやはや、大変な点数さわぎだ。その後の僕の歌は、やはり、心の動揺があったせいか?、いや、そのせいにしてはいけなかった。微塵に打ち砕かれてしまったわけだ。
と、そんな時、今まで、マイクを避けていた、のりちゃんが、やらわに、一曲歌うという。「へーーーー、どんな風の吹き回しか?」と思ったが、皆、拍手で歓迎。いやあああ、実にうまい。内心、僕は、負けたと思った。点数は89点だった。内心は、ほっと一息したわけだ。ああああああつ、僕の了見もせまいぜ。

彼の歌を最後に僕とボスは帰還の途へ。のりちゃんは、少し残ると言う。うんんん、これは何かあるな?と思ったが案の定。後で聞いた話だが、僕の点数に対する異様なファイトぶりに、彼は憤慨したと言うのだ。点数制度の中で育ってきた僕達。もう点数にはうんざりなはずだ。なにも、カラオケで点数を競わなくてもと、彼は思ったのだろう。

確かにそうだった。僕も、ボスを打ち負かしてやろうと、あんなに意気込むこともなかったわけだ。ただ、僕は、遊び感覚と三枚目の役を買って、その場を楽しくしたかっただけである。僕がそう思っても、他人からしてみれば、負けず嫌いの愚か者に見えたのだろう。うんんんん、やはり、これは「渇・・・」である。反省。反省。

と言うわけでで、最近は、点数制の歌から、遠ざかっている。果たして、いつまで、その姿勢が保てることやら・・・・。
人の心って、カメレオンみたいに、すぐ変化してしまう。これが人間というものか?。「それは君だけだよ」と、のりちゃんが言っているようだ。はっっくしょん・・・・。今日の風はやたらと、冷たいぜ・・。



2004年04月12日(月) スポーツと音楽で世界に平和を

スポーツと音楽で世界に平和を
at 2004 04/12 00:31 編集

イラクで拘束された日本人三人の解放が24時間以内になされるとの情報が入った。良かった。良かったと思っていたが、いまだに解放の情報が届かない。どうなっているのだろう。首を長くして待っている家族の気持ちを考えると、察するにあまりがある。一秒でも早く朗報を聞きたいものだ。
早く、戦争やテロなんか止めて、スポーツや音楽の分野で、恨み、つらみは晴らしてもらいたいものだ。

スポーツと言えば、柔道の国内選手権で、やわらちゃんこと、谷亮子さんが見事、優勝した。まずは、おめでとうございますである。おっと、その前に、結婚おめでとうございますと言っておかねばならなかった。かくて、アテネオリンピックへの出場権を得たわけだ。たまたま、テレビで、試合を観戦出来たが、さすがに技の切れは最高。僕なんか、ひとたまりもなく、投げ飛ばされてしまうだろう。あの小さな体で、どこにそんな力があるのだろう?。やはり、努力の賜物か。
しからば、嫁としての切れ味は如何なものか?。思うに、優しさに満ち満ちた女性であるに違いない。ま、こちらも最高だろう。

スポーツで思い出したが、戦闘国であれ、非戦闘国であれ、スポーツと音楽は、全世界を平和にする架け橋である。もっと、もっと、世界は、この分野を通じて接近する必要がありはしないか?。

たとえば、テロの集団と言われる人たちも、それぞれの集団から、オリンピックの選手を出して、スポーツで競ったらどうだろうか?。戦争やら、テロなど、ばかばかしくてやっておれないと思いはしないだろうか?。スポーツや音楽は国境を越えて平等であり、自由であるからだ。そこには、戦争という言葉もテロという言葉もない。

ただ、最近のスポーツは、本来のオリンピックの精神を逸脱し、勝つことのみを美徳と考える傾向にあるようだ。まずは参加し、出場した選手、それぞれをたたえることが肝要であり、もはや、金や銀や銅などのメダルはいらないだろう。どこの国が何個のメダルを取ったとか、よく考えてみればナンセンスである。

おやおや、今日はちょっと、犬の遠吠えではないが、吠えてしまった。極論や、理想論だけでは、世界が平和にならないことは百も承知している。ただ、戦争やテロで、命を落とすことを、宇宙という絶対神は、決して望んではいないはずだ。なんとか、早くより良い21世紀が構築されて欲しいものだ。



2004年04月10日(土) イラクで拘束された日本人が心配だ。

イラクで拘束された日本人が心配だ。
at 2004 04/10 20:27 編集

今、イラクでは大変なことになっている。ボランティア等でイラクに赴いた日本人三人が、何者かに拘束された。イラク復興支援の自衛隊を三日以内に引き上げさせよとのメッセージが発せられた。さらに、自衛隊の撤退がなければ、被拘束者を殺害するという。

なんという。めちゃくちゃな要求だろう。どう対処すればいいのか?。今、日本政府は二者択一の選択を迫られている。なんといっても、人命第一。かといって、先方の言いなりになると、テロに屈したことになる。そうなれば、将来に大きな禍根を残すことになる。それは敗北である。とはいえ、まず第一は人命だろう。

願わくば、何者かと接触を持てて、違った方法で解決を図るのが一番言いのかもしれない。が、果たして、期限までにそれが出来るのだろうか?。大いに憂慮される。もう、あまり時間がない。事態の成り行きが極めて心配である。

正解がある二者択一ならば、簡単である。両方とも正解ならば、何を基準に選択すればいいのだろうか?。まさに、この事件は、その命題を投げかけている。将来の国益、三人の命。今を起点にして考えれば、命に勝る重さはないはずだが。日本政府は、その両方を守るべく、全力を尽くしている。最良の道が見つかることを切に願う。



2004年04月08日(木) 健全な身体に健全な心を。

健全な身体に健全な心を。
at 2004 04/08 21:35 編集

最近、めっきりと、体力が落ちたような気がする。ちょっと、二・三年前までは、長刀を振るって、雑草を刈ったり、重いものでも、軽々と、持ち上げていた。それが、このごろは、腰にくるようになり、荷物運びとなると、つい敬遠してしまう。思い出しても、あの惨めな、「ぎっくり腰」というやつを、やらかしてからのことである。

周りが、「いつまでも、若くはないんだから、自重しなさい」と言うが、体力に自信があった僕は、聴く耳を持っていなかった。たかが歳、されど歳。老いは正直だ。
もう、無鉄砲はきかないのだ。悲しいぜ・・・。

そうは思いつつも、心は老いを否定している。夜の社交の世界では、どこの店に行っても、カウンターレディやら、ママさんたちから、「おはだがきれいね。若いねーーーミルンちゃんは」とか言われてきた。そう言われると、悪い気はしない。「どんどんいくぜーーー」と、羽目をはずしてしまうわけだ。その付けが、体を蝕んできたのかもしれない。まさか、ちやほやは、女の手管とは思いたくないが?。それにのる僕も「あほ」かもしれない。
おっと、いけない。これは人のせいにしてはいけないことだった。

てなわけで、ここ一週間は、おとなしく、我が家にこもりきり。友人たちから電話があると、まず断らない僕だが、幸い、最近は、それぞれに、ご多忙らしく、丁度いい休養になった。

されど、明日はボスと、バスに乗って、さる懇親会へ参加することになっている。出来立てのビールの飲み放題に預かろうと言う寸法だ。つまみは、マトンのしゃぶしゃぶやら、これもつまみ放題。正味、二時間の予定だ。ほろよい気分で、バスに揺られ、帰ってくると、恐らくは、行きつけの小料理屋へ、二次会として直行することになるだろう。

ここでは、歌に花を咲かせるわけだ。ボスの、ど演歌を聴きながら飲む焼酎も、「いとうまし」ってことになるだろう。僕もすかさず、歌うに違いない。例の、「さよなら、さよなら、さよなら、もうすぐ、外は温かい春。愛したのは確かに君だけーーー。そのままの君だけーーーーー」。
涙がでるぜーーー。一度でいいから、僕もそんな、セリフをはいてみたいものだ。

誰かが言うだろう。「あんた、顔と相談してみたら。笑うセールスマンみたいに、にんまりしていたら、女性の方から、さよならだわよ」ってね。うんんん、きつい言葉だ。よし、僕も薄化粧して、顔を磨くかと思えど、あまりに、ばかばかしくて止めた。

いずれにせよ、自分の健康管理が出来なくちゃ、何をやっても駄目と言うことだろう。今年の僕の目標は、「健全な身体に健全な心を宿す」。これに、決まりだ。


2004年04月07日(水) 仕事と夜と歌と・・・。

仕事と夜と歌と・・・。
at 2004 04/07 10:45 編集

最近、やたらと、気ぜわしい。それもそのはず。四月は行事が目白押しだからだ。土曜日、日曜日は、仕事で満杯。平日は平日で、これまた仕事。一体、僕の休日は、どこにあるのだろう?。

ある。ある。あった。夜だけは時間がある。てなわけで、ここ数日は、夜の社交にいそしんでいる。社交と書くと、聞こえはいいが、要するに、小料理屋で仲間とだべり、歌をおらぶわけだ。これが実に楽しいんだよなあ・・・・・・。先日の夜は、久しぶりに「のりちゃん」と会った。大学も四月一日より、独立行政法人へと移行し、お上の手を離れた。彼の身分も国家公務員から大学職員となったわけだ。大学の予算も年々減らされるのだそうだ。こんなに、飲んでばかりいて、いいのかい?。いい研究をしないと、リストラになっちゃうぜ」と、脅しながら、大笑いしたことだ。

彼は自信があるのか?、至って平気な顔をしていた。その反面、日ごろになく、歌を歌いたがるから、うんんん、やはり、何か心に帰するものがあるのだろう。

僕は僕で、毎日、車の中で聞いている、小田和正さんの、「さよなら」という曲を三回も唄った。何故、三回かといえば、彼の曲は難しくて、僕の音程が外れっぱなしだから、店のママが、「三回は唄わなくちゃ、合わないわよ」とかなんとか言って、せがむからである。いやあ、実はママさんもこの歌に、ぞっこんほれているのかもしれない。まさか、この歌と同じことを経験済みかもしれない。ママだけではなく、巷の男女のほとんどが、経験済みなのかも。ただ、この歌みたいに、ロマンチックな状況はかもし出せないかもしれないが。

「さよなら」・・・・。この歌は詩が実にいい。たとえば、このくだりなんか最高。
「僕が照れるから、誰も見ていない道を、寄り添い歩ける寒い日が、君は好きだった」。あるいは、「愛は悲しいね。僕の代わりに君が、今日は誰か胸に、眠るかもしれない」。

いやあああああ、実にいい。この歌は悲恋のうただ。どっちがどっちを振ったのか分からない。まあ、それでいいわけだ。お互いに自由なわけだ。ちょっと、未練たらしいが・・・。

僕は何度も何度もこの歌を聴く。そして、小料理屋で唄うわけだ。「はい、ママさん、皆さんにお絞りをくばって・・・」これが僕の口癖。見事に音程をはずして歌うので、涙どころか、笑いしか出ない。

いつも、こんな風で、賑やかにやっているわけだ。つかの間の夜のひと時。かくて、「さよなら」しなくてはならない。翌日の鋭気は充分に養ったって寸法。

こういう状態が、ここしばらく続いている。





春の憂鬱


2004年04月05日(月) 春の憂鬱

春の憂鬱
at 2004 04/05 12:40 編集

はや四月、されど四月。なんのこっちゃーーー。今日は久々の日記だ。
車で、桜並木の道を走った。いやああ本当にきれいだ。川沿いに惜しげもなく、その美をさらしている。与謝野晶子さんだったっけ、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりけり」とか、なんとか。これは女性のことを言ったのだろうか?。確かに桜の花は、あっと、ため息をする間に散ってしまう。されど、女性の美と桜の短い美を比較するのはいかがなものか?。戦後、靴下と女性が強くなったと言うが、それは疑う余地がない。ただ、花としての、女性の美は、老いて、なお盛んなのではないのだろうか?。そんな気がしてならない。こう書くと、女性陣から、拍手喝采をうけること間違いなし。

要するに弱くなったのは男性であり、老いて、なお老いるって感じだ。
「これではいけない」と、最近、男性も、やたらと、化粧みたいなことをやりだした。まあ、これはいかがなものか?。過ぎたるは及ばざるが如しで、エチケット程度の化粧ならいいだろう。なんでも、サラリーマンの男性に、手とか爪を掃除するというか、磨く人が増えているそうな。いいことだ。手がきれいな事は、顔がきれいなことに勝るだろう。ただ、性懲りもなく、顔に厚化粧は、僕としては見るに耐えない。

てなわけで、僕はせっせと、手と爪だけはいつも、きれいにしておく。だが、いかんせん、寄る年波に勝てない。手の甲はしわだらけ。苦労の跡が、にじみでていますねーーー。自分で言ったらせわないか。

急ぎ足で、つまらないことを書いてしまった。今からお出かけだ。天気は良い。春の憂鬱を感じる。やはり春なのだ・・・。


umityan |MAILHomePage

My追加