umityanの日記
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2002年10月24日(木) |
朽ちていくコスモスの花は僕を感傷的にした。 |
朽ちていくコスモスの花は僕を感傷的にした。 at 2002 10/24 17:58 編集
日中はまだ暑いが、朝夕はめっきり涼しくなった。つい先日まで咲き誇っていたコスモスも今は、役目を終えて、茎だけが静かに風に揺らいでいる。「ご苦労様でした。可憐な姿で、僕たちの目と心を癒してくれて。本当に有難う」。そう言ってやりたい。ただ、変わり果てた姿を見ると、「どうして永遠の命ってないのだろう」と思ってしまう。「コスモスも我々人間も、宇宙の循環サイクルに乗っかって、進化を担っている旅人なんだ」と分かってはいても、なんとなく悲しい。。刹那の輝きだからこそ、美しさも際立つ。子孫が残れば、季節が巡って、今年以上にきれいな花を咲かせるかもしれない?。これが宇宙が与えた進化の法則と言うものだ。言葉ではわかっていても、老いていく母親の姿や、この世に既にいない先人たちを思うとき、心はなんともやりきれないではないか。こんな時、鉄郎のように銀河鉄道999に乗って、永遠の命を求めて旅ができたらいいのにと思う。だが、やはり、限られた命だからこそ、人は命の尊さや本当の愛を知ることができるのだろうし、慈しみや優しい気持ちにもなれるのだろう。鉄郎もそのことを悟った。僕も、そういう人生をおくりたいと思う。今日は、役目を終えたコスモスを見て、感傷的になってしまったようだ。 明日からは、また、「わおーーーーつ」とおらびながら、生きていこう。
2002年10月23日(水) |
秋の日のヴィオロンの・・・・・・。 |
秋の日のヴィオロンの・・・・・・。 at 2002 10/22 22:41 編集
日記のメンテナンスで、二週間ばかり、記帳から遠ざかっていた。その間、いろんなことがあった。何をどう書いていいやら、わからない。たくさんのお客さんがあった。嬉しいこと悲しいこともたくさんあった。コスモスが最高にきれいだ。メル友さんからステキナな秋の便りが届いた。枚挙にいとまがない。僕はいつも、全身全霊でぶつかるだけ。あたって砕けろではないが、その精神が功を奏して、大概、いい結果に終わる。まれにと言うか、時たまというか、(まれと、時たまじゃ、大きな違いがあるが、一体どっちなのか、僕にもよくわからない?)羽目をはずして、失態を見せることがある。それも愛嬌ということで、許されてしまうから、ありがたいことだ。そんな時はいつも神様に感謝申し上げなくては罰があたりそうだ。南無・・・・・。 友もやってきた。いつものとおり、一泊どまりでやってきて、その日の夜は町へ繰り出すことが恒例になっている。飲む先々で、別居中の彼の妻のことで、喧々諤々と意見を交わした。僕に言わせれば、彼の妻は、まだ彼を愛しているようだ。冷めてしまったのは彼の方かもしれない。夫婦の喧嘩は犬も喰わぬというが、彼らの場合は、ちょっと、深刻のようだ。単なる夫婦喧嘩ではない。愛を前提として事が語られる場合は、「我慢」か、「離婚」しかないように思える。彼は頭を冷やすべく、一年ばかり、アパートを借りて別居に及んだ。妻ではなくて彼の方が家を出たわけである。普通なら逆のことが多いのかもしれないが、こういう問題は厄介だ。とりもなおさず、一年ばかり様子を見て、結論を出すしかないだろう。ただ、人間はいつも、愛する人を傍に持っていないと、人生がさびしい。今、彼は、しきりにそれを僕に言う。じゃああ、「愛人さん」でも探せば、と言えば、どうもそれも、おくてらしい。困ったものだ。そう言う僕も同じ穴のむじなに違いないが。どこからか、「ええええっつ????本当???」という声が聞こえた。「もちろん」。これが僕の答えであるが、誰も聞いてはいなかったか。 他にもいろんなことがあった。パソコンを新調した。新たに友人もできた。仕事も健康も、まずまず。「それじゃ言うことなしか」と言えば、そうでもない。日増しに深まり行く秋に思いをめぐらすと、ただただ、人生のはかなさと、悲しみが胸にこみ上げてきて、涙を禁じえないときがある。 ともあれ、ただ、前進するのみだ。武者小路先生が言った。「僕の後ろに道はない。僕の前に道はできる。ただ、その道を行く」。なんだか今は、そんな心境である。 ちょっと湿っぽくなったので、ここいらでやめよう。
2002年10月11日(金) |
一期一会・・・私は自分をしりました。 |
一期一会・・・私は自分をしりました。 at 2002 10/11 15:32 編集
「一期一会・・・いくつかの出逢いの中で、それぞれに心を知りました。あなたとの出逢いの中で、私は自分を知りました。」いやあ、なんと感動する言葉だろう。汚れた僕の心にも、ずしんと響く。山口百恵さんが、歌のなかでしゃべっているセリフである。のりちゃん先生は大の百恵さんフアン。僕もその例外ではない。二人して、さる小料理屋でこの歌を聴き、思わず顔を見合ってにんまり。このにんまりは、お互いに納得したという合図だったかもしれない。ま、それはいいとして、最近、吹き込んでもらった百恵さんのテープを車の中でよく聴いている。「コスモス」と「いい日旅立ち」は言うまでもないが、このセリフの入った「一恵」と言う歌だったか、実にいいんだよなあ。ハンドルを持つ手に思わず力が入ってしまう。おっと危ない。 「あなたとの出逢いのなかで、私は自分をしりました。お慕い申し上げています」。「一度でいいから、僕もそんな言葉を言って欲しいね」と冗談ぽく、ママさんに言ったら、返ってきた言葉が憎いじゃありませんか。「あなたとの出逢いの中で、私は幻滅をしったわ。何も言わずに去って」ときた。のりちゃん先生が笑うこと、笑うこと。わおーーんん。なんという傷つく言葉だ。僕もすかさず言ってやりました。「あなたとの出逢いのなかで、僕は涙を知りました。新しい人を求めて旅にでます」ってね。うんんん、メルヘンだなーー。ただ、これはもうひとつ、インパクトがなかったかなああ。笑いがもう一つだ。 何はともあれ、こうやって馬鹿をやっているときが一番平和でいいようだ。 ただ、毎日馬鹿ばかりやっていると本当に馬鹿になってしまいそう。幻滅される前に、「ぐっ」とたずなを締めなきゃね。 さあ、そろそろ旅にでるか。
ノーベル賞 at 2002 10/10 08:58 編集
最近の暗い世相の中で、ノーベル物理学賞を、小柴昌俊氏が、さらに化学賞を田中耕一氏が受賞した。こころから「おめでとうございます」と言いたい。たゆまぬ努力と信念が実ったわけだ。昔、ノーベル賞なんて、外国人がもらうものという印象を持っていたが、今はそうではない。日夜、涙ぐましい努力をしている素晴らしい日本人たちがいることを忘れてはいけないだろう。科学や、化学は人類の未来に明るい展望を与えると同時に、宇宙創生の謎を解き明かす。地球のみにしか存在しないように見える知的生命体。いったい我々はどこからやってきたのだろう?。我々の「脳」は小宇宙であると言われる。この精巧で神秘的な脳はどうやって出来たのだろうか?。すべて宇宙が組み込んだプログラムによって、制御されているのだろうか?。科学や化学がいずれその謎を解き明かしてくれるに違いない。できれば僕の存命中であってほしい。輝かしい生命体の未来を垣間見たいからだ。早朝からこいうことを考えると仕事が手につかなそうである。こういう話題は、やはり、「のりちゃん」先生と、一杯やりながら熱く語るのがいいのかもしれない。おっと、いけなかった。誓いをまたやぶりそう。この辺でとめておこう。ただ、今日のニュースは未来に夢を与えてくれるすばらしいできごとだ。僕もノーベル賞は夢のまた夢であるが、飲まない賞でも、いただくことにするか。
2002年10月09日(水) |
僕の誓いは、そんなに薄っぺらなものだったのか? |
僕の誓いは、そんなに薄っぺらなものだったのか? at 2002 10/09 19:13 編集
昨日は、珍しく敬虔な気持ちになり、夜遊びと深酒は慎もうと誓った。それが、どういうはずみか、大学の後輩と電話で話していたとき、思わず「いっぱいやるか」と言ってしまった。後輩もさるもの引っかくもの、(ちなみに彼の干支は猿である)、間髪をいれず話がまとまったのだ。一体、僕の誓いはどこへ行ったのだろう?。まさに、「神よ、僕は誓いを破りました。どうか僕の今日の罪をお許しください。南無・・・・・」である。実は行きつけの小料理屋のママさんから、今日、ニューフェイスが入るから、客の立場で指導して欲しいと言われていたのだ。「どうして僕なんかが」と思ったが、なんと23歳のヤングレディとくれば、断るわけにもいくまいということで、後輩に声をかけた節もある。 新人は「なみちゃん」と言う人だった。四・五年前からいる先輩レディーが「あいちゃん」。覚えやすいぜ。僕はさっそく、挨拶代わりに、歌のデュエットを所望し、「麦畑パート2」を歌うことに。僕の美声がこだまし????、あるいは、音程が外れていたのか、新人さんは笑い転げた。ママ曰く。「この頃の年頃は、鉛筆が転げただけで笑い出すからね?」と。何故なのか僕には分からなかった。僕の後輩も遅れを取るまいと、何という題名だったか今、忘れたが、確かこんなでだしだった。「さよならは別れの言葉じゃなくて・・・・・今夜は・・・・・」。そうそう思い出した。薬師丸博子さんの「セーラー服と機関銃」だったっけ。僕も好きな歌だ。いや、さすがに、後輩はうまい。僕達は顔を見合わせてにっこり。これはどういう意味なんだろう?。多分、「満足だ」という、にっこりに違いない。僕達は自己紹介を一通り終え、後は野となれ山となれで、いつもの「おたんこなすのあんぽんたん」に、はやがわり。今日、無事に帰還したことはよく覚えている。その割には、朝から仕事でしっかりしていた。うんんん、まだ堕落していない僕を褒めてやりたい。 とりもなおさず、仕切りなおしだ。
2002年10月08日(火) |
今日は朝から敬虔な気持ちになった。 |
今日は朝から敬虔な気持ちになった。 at 2002 10/08 09:16 編集
コスモスが風に揺らいでいる。田んぼのあぜ道や、歩道の脇を一直線に咲き並んでいる姿はまさにコスモス街道。一方目を奥のほうに凝らすと、稲穂の黄金色が負けじと、刈られる前の輝きを放っている。僕はこんな風景を横目に百恵さんの「秋桜」の歌を口ずさみながら車を走らせている。相変わらず能天気だ。ただ、時々思う。自然の恵みや営みはなんと偉大なんだろうって。誰が言ったか忘れたが、「桜に桜の花が咲く。何の不思議もない」と。確かにそうだ。桜にひまわりの花が咲けば、大いに不思議に違いない。突然変異でもなければまず、ありえないことだ。コスモスはコスモスのように生き、人間は人間らしく生きる。この、あたりまえに生きることが一番大切なことだが、難しい。それが出来ないから人間は葛藤するのかもしれない。葛藤はいろんなしがらみが生み出す。しがらみは欲からくるものなのか?。「なくて七欲」というし?。ありゃ、「なくて七癖」だったかな?。やはり、人間のあくなき欲が人間らしく生きることを妨げているのだろうか?。僕は自分自身を思うとき、例外にもれず、欲のかたまり人間だったような気がする。今でもそうかもしれない。ただ、この自然の当たり前の姿に接したとき、「はっ」と、自分の愚かさに気付く。「これではいけない。もっと敬虔に生きなくちゃ」と思う。 どこからか、「もういい加減に、夜遊びと深酒は止めたまえ」という声が聞こえる。 今日はなんだか、すなおに、「はーーーーい。そうします」と言えそうだ。うんんんん、果たしていつまで、その約束が守れるやら。 ちなみに、今日はまっすぐご帰還の予定だ。なんのこっちゃ分からないが、今朝は珍しく自分を振り返り、反省の気持ちが先にたった。このいきで、今日も安全・平和でありますように。アーメン。
2002年10月07日(月) |
久しぶりの都会の空気はうまかった。 |
久しぶりの都会の空気はうまかった。 at 2002 10/07 11:46 編集
昨日の日曜日は久々の雨。僕の仕事も、めずらしくなかった。「えいやあーーー、人生は旅だ」ということで、中都会の隣県まで、ドライブとしゃれ込んだ。くねくねと蛇行した山道はドライバーテクニックを要する。「面白い。僕の出番だ」と気負っては危ないので、ゆっくり行くことにした。雨だというのに結構、車が多い。やはり日曜日なので、家族連れや、カップルが休日を楽しんでいるのだろう。山中にある、休憩どころや、自然野菜販売所は、どこも山のような人だかりだった。山と山でダブル山である。このジョークはもうひとつか?。僕は名物と言う、ほかほかの、ざる豆腐を買って、降りしきる雨をつまみに、豆腐をつついた。おっと、僕は鶏ではなかった。それにしてもおいしい。見る間に平らげて、お腹一杯。もう豆腐は見たくないと思った。さあ、都会は山のトンネルをくぐるとすぐそこだ。はやる気を落ち着けながら、車は快調にすべった。山をおりて、平地になったころ、渋滞の波に巻き込まれた。「わおーーーん、いやになっちゃうぜ」と、今度は車は、そろりそろりと進む。二時間半ばかりで、ようやく目的地に到着。今日は、とあるホテルの三十四回で友と夜景をみながら、中華料理を食べることになっていた。ぼくは初めての経験。薬師丸博子さんではないが、「快感!!」って感じだ。バイキング方式の食事は、好きなものを食べられていいが、皿をもって、いちいち料理をとりに行くのが面倒くさいと思った。こんな時、僕の背後霊みたいな、ロボ君がいて、「ご主人さまの心が読めました。料理を取りに行ってまいります」と言って、代役を務めてくれるとありがたいのだが、これは次世代の夢かもしれない。こういうことを考えるのは、平和ボケした能天気の僕だから思うのかもしれない。友は僕より若いので、よく食べること。五・六回は席を立って料理をエンジョイしていた。最後にアイスクリームみたいなデザートを食して、「わおーーーーーつ、うまかった。ごちそうさま」で、見事お腹一杯。夜景は優しそうな目で、この光景を眺めていた。久しぶりの都会は僕の目にはまぶしく、「やはり定期的に都会の空気を吸っていないと、進歩からおいてきぼりにされそう」という、危機感を持った。 食事が終わり、色んな話をして、僕は都会の空気を満喫した。さあああ、田舎へ引き戻る時間が迫ってきた。後ろ髪を引かれるような思いを残して車に乗り込んだ。夜の山道は怖くておっかない。こんなとき、いとしき君が横にいたら、勇気百倍なんだがと、はかない夢をいだきながら、ひたすら田舎へ急いだ。無事帰還した。今、こうやって、まだ放心状態のなかで、この日記らしきものを書いている。さあ、平常心に戻って、おまんまの種を巻かなくちゃ。
2002年10月05日(土) |
十月の空と郷愁と旅と。 |
十月の空と郷愁と旅と。 at 2002 10/05 06:52 編集
十月の空は高く何故か郷愁を誘う。こんな時、目指すは旅だ。「どこかへふらっつと行きたいなあ」と思うが、なかなかそれが出来ないでいる。もともと貧乏暇なしの僕のことゆえ、せいぜい夜の巷で、はやりの焼酎をあおっているのが似合っているのかもしれない。 もう随分、前のことになるが、こんな美しい秋の日に、ぶどう狩りにいったことがあった。持ち帰りは重量でお金がいるが、園内で食べる分はただだ。人間って本当に欲が深いと、そのとき思ったものだ。ただとくれば、これ幸いと、「たらふくまんま」、食べ放題。挙句のはてには、「もう、ぶどうなんて見たくない」と嗚咽さえ感じる始末である。「何たることだ」と言いながら、それは若かりし頃の僕だった。ぶどう狩りだけでなく、りんご、梨狩、栗拾いなんて、食と遊びを兼ねた最高に贅沢なものと言えるかもしれない。さてさて、秋の味覚もさることながら、真紅に染まり行く山間を車で走るのもいいものだ。ただし、夜間の走行だけは勘弁願いたい。というのは、はっきり言って、怖いからである。「なんて臆病な人!!」と笑われそうだが、どうも、背中に背後霊がいて、僕を見ているような気がする。怖いのだ。友人に話すと、それは守護霊だから大丈夫なんていうが、どうなんだろう?。 車だけではなく、時には歩くのもいい。昔も今も考えは変わらないが、僕を慕ってくれる、いとしい人と連れ立って、全国を、いや世界を行脚するって最高に幸せではないか。時々、托鉢でもして、日銭を稼ぎ、荒れた御堂で体を癒すのも、人生の旅にふさわしいように思える。 あああああ、旅に出たいなあ。もちろん、まだ、死への旅ではない。何かを求める旅。本当は青い鳥のように、すぐ目の前に、求めているものがあるのかもしれない。朝、早く目が覚めると、頭の回転もいいようだ。長々と書いてしまった。 さああ、今日の夜は、懇親会がある。いけるや否やは、まだ分からない。
縁って不思議なもの at 2002 10/04 10:08 編集
昨日までは他人で、今日から親しい友。なんだか、人と人との出会いって不思議だ。昔、亀井勝一郎先生は、「人生は出会い・・・・邂逅である」と言った。まさにそんな気がする。ただ、日ごろは、たくさんの人と色んなところで、擦れ違い、会話もしているが、これは必ずしも出会いではないだろう。単なる通りすがりみたいなものだ。僕が言おうとしている出会いには、何か、縁らしきものがあるように思える。偶然に出会うも、出会うべくして出会うも、縁のような気がする。何かのきっかけがあり、それを契機として、人間関係が進展する。うまくいけば縁があったということであり、うまくいかなければ縁がなかったということになる。たとえば、一目ぼれということになると、これはまさに、「運命的出会い」かも知れないが、それが進展するかしないかは、努力プラス縁かもしれない。その努力だって縁と言えば、そう言えないこともない。「縁」もまた不思議なものだ。今、別の言葉で「縁」を表現すれば、「共感できる関係、共感できるもの」ということなんだろうか?。人恋しい秋。よりよい縁をもって、日々を楽しく過ごしたいものだ。「わおーーーっつ」と言いながらね。
2002年10月02日(水) |
秋は栗ごはんと秋刀魚だ。 |
秋は栗ごはんと秋刀魚だ。 at 2002 10/02 11:40 編集
はや十月になった。本当に月日がたつのが早い。僕達はいつも、そう思いながら時を追っかけている。知らず齢を重ねているわけだ。僕も当年マルマル歳になった。後、五十年生きたとしても、現役バリバリで、「わおーーーっつ」と叫びながら生きたいものだ。なんだか敬虔な気持ちになった。やはり秋なんだね。人と食べ物が恋しくなる。今日、友が栗ごはんのことを書いていた。栗ごはんかあああ。おいしそう。やはり、旬の食べものが一番だ。果物で言えば、葡萄、梨、柿。栗はどうなんだろう。やはり果物か?。魚で言えば何といっても秋刀魚だ。誰かが言っていたが、秋刀魚を焼いたあとに、すり大根とかレモンをかけるのではなくて、焼いている最中というか、途中で、あらかじめ切り目をつけておいたところに、すり大根やらレモンを落としながら焼くとうまいのだそうだ。しょうゆもね。おおっつ、思わずよだれが落ちそうだ。「じゅじゅ・・・・っつう」と油をたらしながら焼けていく姿を想像するだけで、食欲倍増だ。 これも日本が平和で幸せだから出来ることである。今、日本は世界のいろんなところへ、経済協力をしている。生きとし生けるものが助け合って生きることは良いことだ。僕はいつも思っていることだが、守るべきは、このかけがえのない地球である。人類が平和であってこそ、地球を守れる。 おやおや、仕事の催促がはいった。いつもこれからと言うときに中断してしまう。因果な商売だが、しかたがない。これも生きるため。それでは後ほど。
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