stray notes

氷砂糖

My追加

「世の中には、そうでない人もいるということ」を
2006年09月01日(金)

少し前、夫と公園を散歩した。緑が多くて気持ちよいねぇ、などのんびり話しながら歩いていた。ら、前方から放し飼いの中型犬が! 口の中でぎゃあ、と言いそうになったのをかみ殺し、心もち緊張して夫の背に回る。夫は一瞬「?」という顔をしたが、犬を見てぽんぽんとわたしに軽く触れた。犬の少し後ろから、綱をもった人間が楽しげに他のひとと談笑しながら歩いていく。

彼らが通り過ぎてから、「あれはよくないよね。この公園では放し飼い禁止ってあったもんね」と彼は慰めてくれたが、わたしはとても悲しくなった。楽しい休日を、マナーを守らない人に壊されてしまった気がした。わたしは小さい頃と高校生の頃、犬に追いかけられたことがあり、犬は怖くて苦手だ。

街中で犬の散歩をしているひとがいたら、かなり大回りによける。気づいた飼い主がおかしそうにわたしを見ることもあるけれど、そんな目にかまっていられない。飼い主にとっては可愛いかもしれない。犬が悪いわけではなく、生き物として賢いことも知っている。でも、反射的に逃げたくなるのだ。

世の中で、一般的によしとされているものを好きな人は、そうでないひとを認めなかったり、信じなかったり、存在を軽視したりすることがある。最近は少なくなったけれど、以前は子供に対してもその傾向が強かったと思う。親にとって、子供が可愛い、というのはよいことだと思う。虐待したり、愛せなかったりする親もいるなかで、そう思えるのは尊いことだろう。だが、だからといって無関係の人間がその子供を可愛いと思えるか、は別問題だ。

電車で出かけるとき、自分の子供がはしゃいでいるのを、親はほほえましく思うかもしれない。だが、睡眠不足で仕事に向かうときに騒いでいる子供がいれば、それは単にうるさい存在でしかない。自分が好きだからといって、他のひとも同じように好きとは限らない。

「世の中には、そうでない人もいるということ」を、わたしも忘れないようにしなくては、と思う。わたしは生クリームが大好きだが、あれは特徴があるので、苦手なひともいるだろうなぁ、とか。



BACK   NEXT
目次ページ