stray notes

氷砂糖

My追加

趣味の問題。
2006年05月05日(金)

ときどき思う。もう少し、一般的な…というか、沢山のひとと共有できるような趣味があればよかったのかなぁ、と。たとえばスポーツ観戦であるとか、TV番組であるとか?(?がつくのは、イメージが貧困だからです)

たまに思う。もっと専門的な…というか、他のひとに説明できるくらい精通している趣味ならよかったのかなぁ、と。クラシックとか、歌舞伎とか、映画とか?

わたしは本や漫画が好きで、それを悪いとは思っていない。けれど人とわかちあえるか、話せるか、と言えば難しいと思う。勿論わかるひとは言わなくてもわかってくれるだろうし、わからない人には話してもわからないだろう。ただ、私の中でそれらは、ひっそり大事に自分のなかだけであたためていたいもののような気がする。ごくまれに、感想を誰かに伝えたいと思うことがあっても、専用のブログに書き出せば気がすんでしまうレベルだ。

趣味、というのは結局自分のためのものなのだろうから、必ずしも人と同じでなくてもよいとは思う。ただ、世間話をしているとき、なんとなく皆とずれているように感じると、ぼんやり申し訳ないような、うっすら後ろめたいような、複雑な気持ちになるのだ。


すべてを手に入れることは、おそらくできないだろうけれど。
2006年05月04日(木)

この日、大学の頃からずっと好きだった作家さんの同人誌を買えた。当時は一部の書店でも買えたのだけれど、いつのまにかその書店での扱いがなくなり、ある巻から先はずっと買えずにいたので、とても久しぶりにそのシリーズの新刊を読めた。

その方の作品は、近年商業誌のほうでも少しずつ見かけるようになり、そちらは普通に購入していた。それらももちろん好きだが、昔から好きだったお話を読めるのは、また違った喜びがあった。

そしてすこしだけ作者さんらしき方と会話もできた。やはり優しい、こまやかな方だなぁ、という印象を受けた。ご本人でなく売り子さんの可能性もあるかな? とも思ったが、似顔絵と雰囲気も似ていたので、おそらくその方だろう、と勝手に思っている。

欠けている巻は在庫切れのようだし、中古店でも滅多に見かけないし、イベントにはたまにしか行けないので、シリーズすべてを手に入れることは、おそらくできないだろうと思う。でも、だから。てもとにある本は、大事に何度も読むと思う。

癒される、という言葉は月並みで申し訳ないけれど、他に適当な言葉が浮かばない。疲れが癒える。こころに栄養がしみとおる。洗われる。出会えてよかったと思う、読むたびにしあわせだと思う。この日の嬉しい気持ちは、しばらく忘れない。


メモの効用
2006年05月03日(水)

以前同じ場所に勤めていた、仕事のできる女の子が、「to do リストを作って、一つずつつぶしていく」というようなことを言っていた。なんかかっこいいな、と真似てみることにした。が。どうもわたしの場合、かっこいいとは遠いような気が…。むしろなんとなく、お婆さんめいた感じ?

えーとあれをしてこれをして、そのあいだにこっちを…って、今まで言語化せず片付けていた事柄を、いちいち形にしていると、かえって間抜けになったみたいじゃないですか?? うーん彼女の場合、てきぱきしてるからかっこよかったのかしら。今までもカレンダーに予定を書き込む、というのはしていたのですが。どんどん頭だけで覚えるのを放棄して、手や目、紙に頼りつつあるなぁ…。

ただまあこうして書き出すことのよさは、棚上げにしたまま忘れてしまったり、乗り気でないから省略したり、というのが難しいことでしょうね。やらねば! という気持ちにはなるし、全て片付いたときの爽快さも増すように思います。

ちなみにここ(stray notes)のネタも、いくつか書き留めてあります。なのでしばらくは真面目に更新されるかも。



心の声を知りたくて
2006年05月02日(火)

「あなたは人の声を読むのが好きだよね」
と、少し前夫に言われた。わたしがスーパーで「お客様の声」を眺めていたり、新聞の「声」欄を眺めていたりするのをよく見かけているからだろう。そういえば、web日記を読むのもそれに通じるような気がする。
「そう、だねー…」

実を言うと、わたしは普段の生活で、目の前にいる人が何を考えているか、何を言おうとしているか、というのがぱっとわからないのだ。場の雰囲気もあまり読めない。他人が自分へ向けている感情も、自分以外に向けている感情もさっぱり気づけない。つまりかなり鈍いのだ。

子供の頃から本ばかり読んで人付き合いをさぼっていたので、人の心の流れや動きになれていないせいもあるのだろうと思う。また、両親が不仲で、感覚が鋭かったら、いたたまれなかったかもしれないせいもあるのかなと思う。理由はどうあれ、世の人の考えていること、というのがよく見えないことだけは事実だ。

しかし主義主張として書かれている「声」というのは、人の考えていることがそのまま表されているわけで、「へーこういうこと考えてるんだ。ふーん」と知ることができる。なるほどねぇ、と。読むのが好きかと言われると好き、なのかなー…? と思うが、興味関心があることは確かなのだろう。


はじめにタイトルありき
2006年05月01日(月)

4月は年度が変わるので忙しかった。が、書きたいことはそれなりにあり、5月になったらここへ書けるといいな、と考えていた。が、なんとなく敷居が高いような感じで、enpituに来てももうひとつの日記を更新したり、他の人の日記を読んだりするばかりで、こちらのIDで開くことはできずにいた。

このままだとこちらの日記が消えたとき困るなぁ。一定の量でまとまった文を書こう、と思ってしまうのがいけないのかな? と、少し方針を変えることにした。もっと気楽に気ままに、量も多かったり少なかったりを気にせず適当に行こう、と。

じゃあタイトルもかえようかな、楽書帳とか? ああでも漢字の名前+漢字のタイトルじゃ硬い雰囲気だから、英語か片仮名のタイトルにしようかな。えーとえーと。と、考えていたらまた時は過ぎ。気がつけば6月半ばになってました。ので、もういいや適当で、と翻訳サイトで適当に英訳してタイトルにしました。

歌の一部を引用するとか、好きな色や言葉を組み合わせるとかも考えたんですが、どれもいまいちぴんとこなくて。好きなものが自分に合ってるとは限らないし、また日記のタイトルに向いてるかも微妙だったりするんですね。

皆けっこう自在にタイトルをつけてるように見えるけど、どうなんだろう。



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