4年に1度の日だから、更新したくなった。が、頭はいぜんとしてまとまっていない。ので、変な文になるかもしれない。それでもよいかただけご覧下さい(無意味に長いし)。 恋愛もの(ここでは小説・漫画)を読むとき、浸れる条件ってなんだろう、ということを年末からぼんやりと考えていた。漫画なら、絵が見辛いと読まないし、小説なら、装丁や行間、字の大きさが見づらいと読まない。その世界に入る、最低条件はそれだよなーというのが一つ。まず見た目。 中味。文章、言葉使い、話の流れは勿論、浸るには重要な要素だが、登場人物に感情移入できるかどうかはどうだろう。あまり関係ない気もする。どこか他人事として見ているから。でもあまりに好みじゃなかったらついていけないのかもしれない。 「冷静と情熱のあいだ」を読んだとき、辻作品に興味を持ち、「サヨナライツカ」を読んだ。読み終わってから、本を放り投げたくなった(実際には図書館の本でしたのでそんなことはしませんでしたが)。ことばにするなら、「なんだこの男の身勝手を絵にかいたような話はーっ!」という感じ。webでざっと書評を見た感じ、そういう感想を抱く人は少数のようだったけれども、うーん。わたしはこういう男はイヤだし、というか話自体すごくイヤだったなぁ。 「国境の南、太陽の西」は似たようなシチュエーションでもかなり好きでお気に入りだったから、やっぱり登場人物にもよるのかなぁ。そういえばわたしの母は、「村上春樹の書く”僕”って、どーも好きになれないのよねー、うじうじしてて」と言っていたので、好みはやはりいろいろなのだろう。わたしはべつだんあの”僕”は嫌いじゃない。惚れるかどうかは別として、ひととして友人として好きだと思う。 話は戻り、じゃあ江國香織はどうだろう、と幾つか読んでみたら、こちらのほうが辻作品よりずっと読んでいて心地よいし素敵だと思えた。ただ、「東京タワー」以降あまり読まなくなってしまった。この作品は年下の男の子との恋愛なので、あまりぴんとこなかったのかもしれない。それでも文章自体の美しさと背景や小物使いの綺麗さにうっとりと最後まで読んでいた気はするが。 あー、とすると浸るには状況が大事なのかもしれない。わたしは年下に対して恋愛感情を覚えることがほとんどないので。どうも弟みたく思えてしまって駄目なのだ。どんなによい子でも。そういえば近親相姦ものも、「兄×妹」なら平気だが、「姉×弟」だと、多少ひいてしまうようなところはある。でも、「親×子」よりは読みやすいか。 ただ、文のちからが強かったり、話の運び方などがうまければ最後までは読めるかな。2度と読み返さないとしても。この話はどう展開してどう終わるのだろう? とひきこまれれば最後まで読んでしまう。途中で読むのをやめてしまう本、というのがもっとも自分に合わずつまらない本ということだろうから、さすがにそういう本は少ない。 不倫ものもふつうに読むが、「失楽園」はけっこう読み進めるのがかったるかった覚えがある。上下巻だったと思うが、下巻は読まなくてもいいかなと思いかけた。一応借りてあったので最後まで読み、なるほどと思ったが。レズビアンものもわりと読む。ハズレ、と思ったことはそんなにない。が、子供が出てくるとがっかりする。boysloveもよく読む。そうか、これも子供ができないのがいいのかもしれない。わたしは「大好きなひととずっとふたりきり」に強い憧れがあるし、「恋愛するなら子供は邪魔」と考えるほうなので。 なんだかろくでもない結論になってしまいましたが、とりあえずupしておきます。
・先日春一番が吹いたんだそうですね。最近風強いなーとしか思ってなかったので、どれがそうだったのかわからずじまいですが。雨も冬もけして嫌いではないけれど、やはり晴れや春には、ひととしてというよりいきものとして、なんとなく嬉しくなってしまいます。 ・先週読んだ角田光代のエッセイ、koi的には大当たり! でした。自分の感覚にfitする作家さんに出会えるのは、こころはずむ大きな喜び。今後も楽しみです。とはいえ勉強用の本もあれこれ読まなきゃいけないので、少しずつ読んでいけるといいな、という感じです。 ・他にも考えてることはあるんですが、まとまっていないので、今回は報告のみで。
子供のころからのよくない癖で、ストレスがたまると、爪をばりばりと噛み裂いてしまう。痛いし見た目も悪いしで、できればそうしたくないのだが、そうでもしないといたたまれなくなるのだ。大学に入ったあたりで、かなり治ったのだが、その後も試験前とか、仕事で何か提出しなくてはいけないとか、プレッシャーがきつくなるたびに再発してしまっていた。ただ、結婚してからはだいぶ落ち着いていたので、ここまでひどくなったのは本当に久しぶりだ。すこし光明が見えてきたので、快方に向かいそうだけれど。わたしはもしかすると、自力でストレスを解消するのがわりと苦手なのかもしれないな、とこの指を見ていると思う。 話は飛ぶが、今度飲み会がある。1月に退職した人の送別会だ。この方は、あまりひとに強い興味を持たないわたしですら、素敵な女性だなぁ、感じもいいし大人だし、と好感をもって惹きつけられるような方だった。が。いなくなった当初はけっこう淋しかったものの、いなくなって時間がたったら、すっかりいない状態になれてしまい、どれくらいの距離感で接すればいいのか、まるでわからなくなってしまった。わたしはけして切り替えが早いほうではないと思うが、いったんつながりが切れてしまうと、もういちど縁を結ぶのがひどく難しくなってしまう。まあ、お酒は大好きなので、話は適当に場の雰囲気に合わせて、ひたすら飲んでいればいいか。 また話は全然違うけれど、最近通勤時に読んだ本の中では、三浦しをんの小説が意外と面白くて楽しめました。このひとのエッセイを先に読んでしまったので、そしてそれが妙にツボだったので、小説はどうかなー? とおそるおそる読んでみたのですが。いやー、みなおしました。というかみくびっていた、というのかな。あれだけ読みやすく笑えるエッセイを書けるということは、文章力やことばの的確さはもとからあるひとだったってことですもんね。そうそう、エッセイに関しては、一応老若男女に読まれて大丈夫だと思うけれど、とくに1970年代半ば前後生まれで、ちょっとでもオタクっけのある女性なら、大概わかるんじゃないかなぁ、あのノリ。しかしわたし、そういえばこのひとのデビュー作は読んでないんだな。今度図書館で見かけたら借りてみよう。 明日から読みはじめるのは、角田光代というひとのエッセイ。またエッセイ→小説の順になってしまうのだな。今度はあたりと出るかハズレと出るかどっちだろう。と、こんな感じが最近のkoiの現状です。
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