輪廻転生を、本気で完全に信じてる、というわけではないけれど。もし、生まれ変われるなら..次は植物がいいな、と思う。 花が咲いてもいいし咲かなくてもいい。実がなってもいいしならなくてもいい。草でもいいし木でもいい。温室育ちでも野育ちでもいい。日向でもいいし日陰でもいい。日の光や雨を浴び、土からも養分を吸い上げ..二酸化炭素を酸素に変えて。なんだかうっとり。 しかしこの性格や魂のまま植物になったとすると、宿木になったり、虫に食われたり、病気になってまわりにうつしたりしてしまいそうだ。どうも誰かの助けがないと、生きていられないかもしれない気がするのだ。でも、駄目なら駄目で、あっさり枯れて土にかえれるならいいかなぁ。腐っても養分になれるかもしれないし。 そんなことをぼんやり考えてしまうのは、やはり暑いせいだろう(冬はこういうことをあまり思いつかない)。夏はときどき、人間のかたちを保っていることが、つらく感じられてしまうのだ。現実逃避して楽になるわけでもないが、気分的にすくわれるのだろうと思う。
仕事で、高校1年生くらいの男の子に、施設の利用案内をしていたとき。話の区切りで、ふと彼の顔を見た。見ようと思って見たというより、視線を感じたのだ。「何か、わからないことでもありますか?」とたずねると、「いいえ、ないです」と言われたので、説明を続けた。一通り終わって、「それでは本日から使えますので。今後もよろしくお願いします」と軽く頭を下げたら、「ありがとうございました!」と深く頭を下げられた。そしてまた目が合う。要するにこの子はあれだな、「人と話すときは目を見ましょう」というのを、きちんと実行している子なんだな。納得しつつ、わたしは持ち場に戻った。 思い返すと、高校時代、人の目をまっすぐ見ていたかどうかは自信がない。うつむいてばかりいた、というわけではないが、ぼーっとしていたので、あらぬ方向を見ていたり、見ていても焦点があってなかったのではないかという気がする。親兄弟と話すときや、親しい友人と話すときは、顔を見ていたと思うけれど、それ以外はほとんど「見ても見ていなかった」。今もそういう傾向は変わらず、ひとの顔は、親しい人意外ほとんどわからない。忘れる以前に覚えていない。多少問題はあるのだろうけれど、おそらく今後もなおらないだろう。先刻の彼は、きちんと人の顔を覚えてそうだな、と思う。しっかりと目の前にあるものを、認識しているような眼差しだったから。
以前、会社勤めをしていたころ。某宅急便会社のお兄さんが、ときどき荷物を届けてくれていた。担当の人は何回か変ったが、あるひとだけ、今でも覚えている。肌は黒く、目が大きく、南国系の濃い顔立ちのひとで、声も大きかった。無表情だと怖く見えるが、笑うととても愛嬌のある、気さくな雰囲気になった。夏の似合う男の人だった。わたしはあまり話したことがなかったが、他の人と、外国の話で盛り上がっているのを見たことがある。なるほど、だから焼けているのか、と思った程度の認識だったが、頭の片隅に残っていた。 年始、会社の年賀状を整理していたとき、変わった絵葉書を見つけた。きれいな夜景のうらに、勢いのある強い字で、仕事をやめ、今はバリ島で店を出しています、お立ち寄りのさいはぜひ声をかけてください、という内容が書いてあった。一瞬、誰だかわからなかったが、他の人が、「あー、○○さんだー!」と言ったので、顔と名前が一致した。ああ、あのひとか、と。「夢をかなえたんだね、凄いねー」と、他の人も言っていた。なるほど、そのためにお金を貯めていたのか。納得したがそれ以上の興味はなく、最近まで忘れていた。思い出したのは吉本ばななの「虹」を読んだせいだ(バリではないのだが)。 自分が海外によく行くタイプではないので、お店の名前や場所などはメモしなくていいやとしなかった。でも、行かないにしてもメモしておけばよかったかも知れない、という気がいまはする。最初から使える可能性がないのと、あるのとでは、使わなくても(使えなくても)かなり違うような気がするのだ。
ものごころついてからは、床上浸水とか、膝下浸水とかを経験したことはない。ただ、小学校のとき、ものすごい大雨があり、校内で待機した記憶がある。放課後、部活で残っていた生徒と、数人の教師で、かたまって雨がやむかおとなしくなるかするのを待っていた。 先生はラジオで情報を確認したり、どこかへ電話をかけたりと忙しそうだったが、生徒たちはあまり何も考えず、どちらかといえば楽しそうで、しかしその楽しさをストレートに出してはいけなさそうだから、楽しげにならないようにしていたような気がする。ああいうときって、どことなく、軽い興奮で、妙な連帯感のようなものが生まれてしまうのではないだろうか。いつもより心身の距離が縮まり、ふだん一緒にいないような、タイプの違う子達も皆仲良く話していた。 窓の外は強い雨と風で、音も勢いも激しそうだ。校庭は、池のようになっている部分もできていた。細い木が斜めになぎ倒されていた。..このあたりまではよく覚えているのだが。結局、数人ずつの班に分かれ、応援に来た父兄達と、なんとかして帰ったあたりのことは、ほとんど忘れてしまった。気に入った、印象的なところだけ覚えているのだろう。 たまに、というか今となってはまれに、あの日のことを思い出す。だからどう、というものでもないが。
たまには読み日記(というジャンルで書いてるんです、HPから見てるかたには念のため)らしく? 初めて図書館で読んだ絵本の記憶を。 一番最初に借りたのはアリキ、というひとの、「エジプトのミイラ」という絵本でした。正確な名前ではないかもしれませんが、そういう内容の本だったと思います。人が死んで、それをミイラにする行程が図解されていたはず。小さい頃から、「死」とか、死後の世界、文明による死生観の違い、などに関心を持ってる子供だったのだと思いますが。今考えると妙な選択だったような..。 一応言い訳しておくと、うさこちゃん(今はミッフィですか?)や、ピーターラビット、グリムやアンデルセンの童話、福音館書店の四角い本などは、すでに買ってもらって読んでたんですよね、たしか。で、図書館にしかない、そして買ってはもらえそうにない本を選んだのだと思うのですが..弟はちゃんと、こぐまちゃんの絵本とか、機関車トーマスの本とか、「家にないけどコドモ向け」的な本を見つけてたような..。 あと、「顔」(題が違うかも)とかいう本。これは大人の本の棚にあったのかな? なんかね、犯罪者の、似顔絵にIQと名前と犯罪暦が小さく書かれていて、犯罪ごとに章別になってる大きな本。これ借りると言ったら怒られそうだなーという気がしたので、図書館に行くたびこっそり見てました。顔つきと犯罪の相関関係とか、色々考えさせられて、とても興味深い本でした。 しかし一番に思い出すのがこの2つ、というのもなんだかな。まあ、成長してごく平凡な人間になってるんだからいいか。
今使っている鞄の、外ポケット部分のボタン(磁石でくっつく)が、片方はずれそうになっている。このポケットには携帯用の間仕切りと、鍵を入れる仕切りがついていて、開け閉めする回数が多いせいでここから壊れたのだと思う。アロンアルファでも、木工用ボンドでもつかない。結局、はずれそうになりながらもそのまま使っている。 他にもいくつか鞄は持っているのだから、この鞄ばかり使わなければよいのだろうけれど、一度身の回りのもの一式を入れてしまうと、入れ替えが面倒でそのまま使ってしまう。A4サイズの雑誌も入ること、肩掛けタイプであること、黒で、水をはじく素材であること、など、一番わたしが使いやすい条件をみたしているせいもある。あき時間さえあれば本を読んでしまうたちでもあり、図書館で借りたハードカバーやら、暇つぶしに買った漫画やら、ぽいぽいとたくさん入ってしまうのも魅力だ。便利なのがわかっているのでつい、仕事にも私用にもこの鞄ででかけてしまう。 しかしそのわりに、どすんと家のあちこちに置いたりしているので、夫に「本当にあなたは、好きなものだからって大事にしないんだねぇ」と、呆れたように言われたりする。「わたしのものになった時点で、大事されるのはあきらめてもらわないとね♪」と言ったら、「俺もですかぃ」と言われたり(でも大事にできなくても、好きなら最後まで使いつづけるし、壊れてもほとんど捨てることはないよ。中学校の頃、ワンポイント不可だったので、飾りをカッターでとった筆入れを、いまだに使っていたりするし)。また、「あなたがものをもらうのが嫌いなのは、ものを大事にするのが苦手だからなんだね。責任がやなんでしょ」とも言われたり、する。 まあとにかく、大事にはできないまま、最後までこの鞄を愛用するだろうと思う。この前の鞄は、同じくA4サイズで黒だったけれど、革製で、たしかどこかが切れて、実家で眠っているはず。次もきっと、似たような鞄を選ぶのだろう。
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