OLのころからそうですが、わたしはどうもお金使いが荒くて、なんというか、手元にあるといつのまにか減っていきます。高価なものをばんばん買う、というタイプではないのですが、こまごまとものを買ってしまうほうなのだと思います。 給料日前になると、大体お金がなくて、お給料が入ると、しばらくは(がまんしていたぶんも)買い物をしてしまう感じ。貯金とかは、天引きにしないとできません。意志が弱いのもあるし、がまんがきかないのもあるし、お金でラクができる場合そちらを選んでしまうことが多いのです。 おもな使い道は食費と娯楽費(本やまんがやレンタルCD)で、かくべつ贅沢とも浪費とも思いたくないのですが..。日常的に大きな買い物をしていたり、海外にがんがん行ったり、ブランド物を集めたりしているひとのほうが、しっかりと金銭管理できているんだろうな、と思ったりします。
髪を切ったら、首がとてもすうすうするようになった。ので、スカーフをひきだしからひっぱりだして、適当に巻いてみたりする。昔、雑誌や本で、工夫した巻き方を試してみたりもしたのだけれど、今も覚えていたりよく使ったりするのは、やはりオーソドックスな巻き方になる。色やデザインも楽しいけれど、意外と防寒にもなるのが嬉しい。 巻き方は凝らないけれど、マフラーも好き。外に出る特、くるっと手軽に首を包むだけで、暖かい。学生の頃は、首だけでなく鼻や口まで隠れる位置に巻いていた。空気が冷たいと、すぐにのどや鼻の奥が痛くなったから。社会人になってそれをしていたら、なんだかあやしいひとのようで恐いから、じょじょに普通に巻くようになったけれど。 肩にかけるけれど、首もガードできるのはストール。わたしはこれが大好きなので、なんとなく気持ちもあたたまる。厚手のブランケットタイプは、今年は数回しか使わなかったな。とてもしっかり暖まるので、雪の日とかにも使っていたら、だいぶ弱ってきてしまったのだけれど。今年ももうすこし、使ってみたかったな。先月、出先であまりに寒かったから買ってしまった、絹と毛の混紡の薄手ストールは、春先まで使えそうだし、こちらの出番が多くなってしまいそうだけれど。
しばらく前職場で、20代後半から30代前半の女性数人と、表題の件についてあれこれ盛り上がった。「オールとかできなくなったよねー」とか、「肌にすぐ不摂生が出るのー」とか、「なんだか冷え症になっちゃったのー」とか。やはり無理がきくのは、20代前半までなのかなぁ、というところで結論は一致していた。 わたしも20代後半から、いろいろつらくなってきたのだけれど、正確に言うと27歳になってからがきつかったなーと思う。25、はまだ大丈夫で、26、は多少かげりが出て、27になると放っておくことができなくなった、みたいな感じ。個人的にはちょうど25の終わりごろ結婚して、生活がすこし変わったから、というのもあるのだろうけれど。老化ってもう始まってるんだなー、自分を大切にしなくちゃなーと心底思わされたのは、27歳の1年だった。28になったら、もっと気をつけていこうと思う。ちょっと遅いような気もするけど、何もしないよりはいいと思うので。 というわけで、何か無理をしたい女性の皆さんは、なるべく10代後半から20代前半までにすませておきましょう。多分、一番元気があるのはその時期だと思うし。
最近、サプリメントが妙に視界に入るようになった。自分がそういうのにひかれているから、というのもあるのだろうけれど、はやりでもあるのかな、と思う。なんとなく、昔より売り場面積が広がっている気がするから。 しかし興味だけはたくさんあるものの、ぱっと手を出す気にはあまりなれない。確かに必要な成分なのかもしれないけれど、とりすぎたらよくないのもあるんじゃないかなー、とか、考えてしまうのだ。勉強したほうがいいのかな..と思いつつその場を去るとき、ふと思い出した。 高校のとき、一時だけだけれど、薬剤師さんになりたいな、と思っていたことがあった。数学や理科の成績があまりに悪いので、すぐに断念したのだけれど、そういえばそんなことを考えていたこともあったなぁ..なんでだっけ? 記憶を探ると、自分がドリンク剤を買っている場面が出てきた。そうそう、テスト前とか徹夜した日、ドリンク剤を飲んでから学校に行ったっけ..駅前の薬剤師さんは優しくて、こちらのほうが効果が強いとか、これはやめたほうがいいとか、親身になって教えてくれて、自分もこうなれたらな、と思ったのだろう。あの頃の気持ちが、すこしだけわたしのなかに残っていたのかもしれない。余裕ができたら、必要な部分、多少調べてみよう。
2月のはじめに風邪をひいていました。いつもなら市販の風邪薬で熱は下がるのに、今回は熱が高くなるばかりだったので、「病院に行きたいー病院に行きたいー」とうわごとのように繰り返し、なんとか救急病院で薬をもらって。病院のくれる薬、というのはとてもよく効く、という印象があったので、飲んだだけで気が楽になりました。劇的に効いた、というほどではなかったのですが。 救急病院の薬は2日ぶんで終わってしまうので、後日、近くの病院でべつに薬をもらいました。一応救急病院ではこういう薬をもらいました、と言ったのだけれど、全然違う薬を、しかも沢山くれました。なぜか喘息の薬も入っていて..全部で6つくらいあったかな? 胃を荒らさないようにと、胃薬も入っていたし。こんなにいるのかなー? と思いながら飲んでいました。だいたい1週間分もらったんですが、最後のほう、だいぶ元気になったので、だんだん飲むのをさぼりがちになり、結局かなり残っていました。うーん勿体無い。でも、勿体無いからって飲みすぎるのもなんだし..。 そういえば、薬ってよく余ったのだよなーと思い出しました。残さなかったのは、小さい頃のあまーい薬だけかも。シロップ入りだったのかな、わたしはあの、あまーい薬が大好きだったんです。すこし大きくなると、普通の薬でいい? とか聞かれていたような気がしますが、わたしは「甘いのがいい!」と最後までねばっていたような気がします。そんなに美味しいものではなかったんだろうけれど、ふつうの薬って凄く飲みづらい印象があったし。それになんだろう、こどもでいたかったのかな..普通の薬になったとき、どこか淋しい気持ちになった記憶があります。今では普通の薬のほうが飲みやすいと思うし、たまっている薬の袋を見なかったら、思い出しもしなかったのだろうけれど。
だいたいこのあたりの日付の、TVで聞いたのだと思う。痴呆になった妻が、病気で夫が死んだことを理解できず、1ヶ月くらい食事の支度をしつづけていた、というニュース。最初聞いたとき、ああ、そうか、そういうこともあるよなぁ..と思った。想像したらとても悲しくなったのだが、どうだろう。彼女は、最愛の夫の死がわからず、幸せだったのだろうか、不幸だったのだろうか。それは当人にもよくわからないことかもしれないが..。 考えてみた。わたしが先に死んで、痴呆した夫はそれを知ることなく、えんえんと食事の支度をしてくれる場面を。考えたとたん、頭がずきずきと痛くなった。彼は幸せだろうか、不幸だろうか? でも、それ以前にわたしは彼に、できれば痴呆せず、死を理解して欲しいような気がする。しばらく悲しんでも、時間が流れたら立ち直り、ゆたかに残り時間を過ごして欲しいと思う。人間、いつ死ぬかはわからないし、長く生きて痴呆するとも、若くして痴呆するとも、痴呆せず早死にするとも長生きするとも、先はわからないのだけれど。 わたしが痴呆した場合..想像し辛い。なんというか、自分が毎日食事を作ったりしてる、というのも考えにくい。でも、夫が死んだことには気づいてしまうのでは..と思う。話し掛けても返事がなかったり、動かなかったりするのだから。というより、やはりわたしも知りたいのだ。たとえ悲しむとしても、死んだとわからないよりは。それが幸か不幸かはわからないけれど、わたしは知りたいのだと思う。しかしこんなことをえんえんと考えていたら、とても悲しくなってきた。ばかはあんまりものを考えちゃいけない、という話になってしまいそうだー
父親が百貨店に勤めていたので、小さい頃、この日は家にチョコがたくさん入る日だった。わたしと弟は甘いものが大好きなので、そのほとんどを食べていた。よーく考えると、義理でない、本気のが入っていたとしたら気の毒だったかなーとも思うが、たぶん大丈夫だろう。 自分で誰かにはじめてチョコをあげたのは、小学6年生のときだ。なぜかクラスの女子のほとんどがたばになって、男の子達の家を順に回るということになっていた。家がわからないから一緒に行こう、とか、誰とかくんは人気だからぬけがけしちゃ駄目よ、とかいろいろあったのかもしれないが、どちらかといえばぼんやりだったわたしには、事情や背景はよくわからなかった。 それでもなんか楽しそうだし、仲のいい子に誘われたしで、わたしも皆についていくことにした。しかし当時のわたしは、好きな男の子などいなかった。さーて誰にあげたらいいのかなー、と考え、日ごろお世話になっていた、隣の席の男の子にあげることにした。自分より背が低いし、恋愛感情はほとんどなかったけれど、とてもいい子だった。まじめで、サッカーが好きで、色白で、黒目がちの、すこしだけ悲しそうな目をしていた。 皆でわらわらと色々な男の子の家へ、地図とチョコを手にもって行くのはそれなりに楽しかった記憶がある。わたしも小さなカード(これからも友達でいてねみたいな、勉強がんばろうねみたいなことを書いた記憶がある)をつけたチョコをそーっと彼の家のポストに置いてきた。置くときはひとりで行ったので、とてもどきどきした。待っていた友達に、「置いてきたよーっ」と報告して、きゃーと受けとめられた。なんだか、男の子うんぬんというより、皆と遊んでる感覚が楽しかったような気がする。 まじめな彼は3月14日、ひっそりとうちの玄関のはしに、瓶に入った飴を置いていってくれた。包み紙には、細く鉛筆で、「バレンタインデイにはチョコをありがとうございました」とか書いてあって、その几帳面な字面を見ながら、そういえば左利きだったなーと思ったりした。飴がとくべつ好きではないわたしは、賞味期限ぎりぎりでばーっと食べたのだけれど、甘くてミルクっぽく、意外と食べやすい飴だった。 中学1年生のときには、演劇部で男役をしたせいか、女の子から1ダースチョコをもらった。翌年には半ダースになった。中3のときはもらってないような気がする。中学に入ってからは憧れを抱いた先輩もいたし、恋愛感情に近い好き、な男の子もいたはずなのだが、誰かにあげた記憶がない。高校は女子校で、今度は目立たず生きていたので、もらいもせずあげもしなかった(新製品を見かけて自分で自分に買っていた記憶はある)。大学生にもなればもうすこし色っぽい話もあったような気がするが、いいかげん長くなったのでこのへんで切り上げよう。バレンタイン・デイ、といわれて思い浮かぶのは、だいたいこういう記憶だ。 男の子も女の子も、思いが通じても通じなくても、恋をしているひとはみな、いい日になりますように。いい日でありますように。そんなことを思いながら、この日もチョコレート売り場にいた。
夫が、ライコスで読んだ、というニュースについて話してくれた。それは群馬県伊勢崎市で昨年11月、無職の女性(当時36歳)が内縁の夫(37歳)ら家族4人に殺された、という事件だ。彼女は98年ごろから容疑者と同居をはじめ、一年後から十分な食事をさせてもらえず、餓死したのだという。容疑者たちは彼女が家事をやらないことに腹を立て、日常的に虐待していたらしい。 ふだん家事をよくさぼり、それでものうのうと生きているわたしは、これを聞いてとても恐かった。何か一つ運命の歯車がべつのかみ方をしていたら、わたしも彼女のようなことになっていたかもしれない。また、これから何かふとしたことで、彼女のようなことになるかもしれない。今はたまたま、運良くここで生きているけれど。彼女はどんなに恐かったろう、苦しかったろう、と考えていたら悲しくなった。 わたしは実母による幼児虐待というのは、許されるわけではないとしても、母親も被害者なのだと思っている。しかし赤の他人が、大人を虐待するのは、どう考えても間違っているだろう、と思う。彼女のご冥福を心から祈るとともに、どうかこんな異常で辛い事件が、たびたび起こることのないように祈る。そして自分が、周囲の人の助けの中、どうにかこうにか生き延びていることに、感謝しなければ..とあらためて思った。
地元のあるクレープ店では、9のつく日は100円引き、というサービスを実施しています。 ふだんそんなに込んでないのに、どうして今日はこんなに込んでいるのだろう? と思ってとおりがかると、大抵9のつく日です。 並んでいる人をよく見ると、男の子や、年配の人もいます。あれは安いから並んでるのか、本当はいつも食べたいのだが、すいてるときは恥ずかしいからこういうときに並んでるかどっちだろう、と思ったりします。 わたしはクレープは大好きですが、並ぶのは嫌いです。だから100円しか違わないなら、ゆっくり食べたいし、ふつうの日にふらりと入って買うほうを選んでいます。でも、9の日にともだちと楽しそうに並んでる女の子を見たりすると、んー、そういうのも楽しそうでいいよね、と思ったりするのです。
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