小学校低学年の頃は、宿題も最後のほうにまとめてかたづけていたし、終わらなくてヒーと言いつつ寝不足になって新学期を迎えたりしていたのだと思う。しかし中学生あたりでは、夏休み残り5日、あたりには全部終えるようになっていた。あまり早めに終わらせすぎるのも落ち着かないし無理があったし、すこし余裕をもっておけば何か抜けていてもカバーできる、というくらいの日数を残して。ただ、その設定は単なる目安であって、目的はべつのところにあった。 そう、それは「休みなんだから休みたい」という単純きわまりない気持ちから始めたのだ。勉強にせよ部活にせよお手伝いにせよ、いやではないしあってもいいが、本当の自分の夏休み、という気がしなかったのだ。だからせめて自分で計画を前倒しにしても空き時間を作り、「本当の夏休み」を味わいたかったのだろうと思う。 といってもわたしはアウトドアな人間でも、アクティブだとか社交的だとかいう人間ではないので、ひとりぼうっと物思いにふけるとか、適当に散歩するとか、のんびりと本を読む、程度しかしていなかったとは思う。それでも、何かから解放された、自由な時間、という気がしてとても嬉しかった。だから夏休み最後の数日は、いつもとてもぜいたくな、ゆたかな時間として記憶に残っている。
夏休みの、1日と20日あたりに、登校日があったような気がする。その日に提出する宿題もあった気がする。わたしはこの、登校日、というのがあまり好きではなかった。どうも気分が分断されるようで、頭が痛かった。休みなら、学校のことは忘れて、休みに集中したかったし、学校に行くなら、それが日常としてずっと続いてほしいし、きりかえが苦手な人間としては、無理やり引き戻されるようで、妙につかれたのだ。 しかし学校に行って帰ってくると、母や弟に、「顔が違うー」とか、「やっぱり人間ひとと会うべきだね」と言われたりした。わたしはずっと家にいると、そのうち輪郭がぼんやりしてくるらしい。当人はそれでも全然困らないので、とても釈然としない気分になったのだけれど。 そして久々に会った人と話をして、なんとなく遊ぶ約束をしたりしてしまい、なんだか面倒くさいなぁと思いながらでかけたことも覚えている。だったら行かなければいいような気もするが、どこも悪くないのに休むのもなァと、毎回きちんと登校していた。なんだかやっぱりいやな記憶だ。
小学生のとき、無料、もしくは小額で、戦争の映画を見られる券が配られていた。何回か行ったのだが、ひとつだけ、今でも覚えている作品がある。とくに名作とか大作ではないと思う。「おこり地蔵」とかいう題だったような気がする。実写とお人形が混じっていたような感じで.. 昔、笑い地蔵、という、にっこり笑っているお地蔵様があって、地域の人に愛されていた。ある日原爆が投下され、いつも挨拶してくれる女の子が、お地蔵様の足元で、「みず..」と呟いた。お地蔵様は目からぽろりと涙をこぼした。女の子は、「ありが、と..」と、笑顔になってこときれた。お地蔵様は、柔和な顔を曇らせたかと思うと、徐々に激しい怒りの形相になり、そのままばらばらと顔が崩れ、胴体だけになってしまった。 細部はほとんど覚えていないのだが、お地蔵様の顔が、怒って崩れたところは今でもよく覚えている。子供ながら、とても恐くて悲しかった。戦争はいけない。原爆はいけない。平和は尊い。善良なひとが安心して暮らせるのは、とても大事なことだ。罪のない命は、守られなければいけない。 一番初めに出会った戦争に関する作品が、そう思わせてくれるものでよかった、と、今になって思う。
中学2年生のとき、夏休みのしおりで、金賞をもらったことがある。その学校では、学年ごとにできた宿題のなかでいい作品を1教室に集め、金・銀・銅の賞をつけていたのだ。しおりにまで賞をつけなくてもいいのでは、と思うが、なぜかしおりも展示されていた。 わたしの使っていたしおりがなんで賞にはいったのかな、と思ったら、どうも計画表を書き直したからであったらしい。そのしおりには一日の時間配分、1週間の日程、全体の予定などを書き込むところがあった。しかしいざ休みが始まってみると、思ったより忙しく、とてもではないが消化できそうにないな、と途中で気付き、余白ページを使って新しく書き直したのだ。ついていた評によるとそれがよかったらしい。 そうか、計画が崩れたら、また立て直せばいいのだな。なんとなく嬉しかったので、そのときのしおりは今でも実家にある。折り紙の一部を切り取ったような、金色の紙切れつきで。
8月はここ(コラム)もお休みしよう、と思っていたのですが、最近いくつか気になっていたので、すこし書いておくことにします。 この<エンピツ>というレンタル日記には、My Referという、リンク元の簡易アクセス解析がついています。どこから見てるのかなー?と思ったときこれを見ると、HPからであったり、エンピツの新着からであったり、ランキングからであったり、My Enpituからだったりします。今までは、格別変わったところから見ているひとはあまりいませんでした。 ところが最近は、gooやらyahooやらの、検索エンジンから来る人が増えています。夏休みになって、調べ物をするひとが増えてるのかなー? とも思うのですが。わたしのコラムや夢日記が何で引っ張られたかをあげてみると、「若白髪」「フロイトの夢判断」「Gackt」「夏をのりきる」「冷房苦手」「トールサイズの服」などです。実はこれらは、文中にその単語が出てくるだけで、べつだん何か有用な情報はあまりないのです。いいのかなぁ..タイトルだけでなく文も検索エンジンって拾っちゃうのかー、すごいなー、という気はしますが、あまり役に立たなかっただろうなーとすこし申し訳ない気もします。 わたしは基本的に、そんなに幅広くネットサーフィンをするほうではないので、行くところは大体決まっています。でも、ネットで調べ物をする場合、りんくをたどって、ずいぶん不思議なところまで来たなぁ、ということがたまにあります。現実に辞書や百科事典などをめくっているとき、気がつくと目的以外の項目を読んでいた、という感じに似ていると思います。そういう風に、ちょっとした息抜きにでもなれば嬉しいけれど..普通は、目的の情報が早く沢山ほしいことでしょう。なぜかここに飛んじゃった人に、画面の前で、ちいさく頭を下げてみたり。
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