最近、エンピツ(今書いてる日記を借りている)内の他の日記をあれこれ 読んでいたりする。もともと自分が登録してる分野(文芸と、読み日記)の 新着とかは、面白そうなタイトルや気になる日記名だったりするとぱっと 見に行っていたけれど、それだけではなく。 ランダムジャンプでひっかかったのとか、検索をかけて好みだったのを かたっぱしからマイエンピツに登録して、時間のあるときにばーっと見て いたりする。これを何度か繰り返していたら、気がつけばジャンルも人も ばらばらなブックマーク集になっていた。 一番気になるのは読書記録日記なのだけれど、暮らしの豆知識的なもの も惹かれる。詩や、文の素敵なものにも惹かれる。そして、文が上手い とか下手とかいうのとは関係なく、人柄や生活が、いい感じであらわれて いるのにも惹かれる。これでは確かにめちゃめちゃになるよねぇ。 わたしは夢日記とこことふたつ書いているので、ブックマークもふたつに 分けられるのだけれど、先に始めた夢日記のほうにみな登録してあるので、 誰が登録してくれたのかな? と見た人は、大抵そちらを見るのだよね。 単に読みたくて読んでいるので、こっちも読んでほしい、という意味では ないから、それはいいのだけれど。でも、なんでこのひとわたしの日記 登録してるのかしら? と、疑問に思うかなぁ。 全部まとめて言うなら、単に、雰囲気が好きだからなのだけれど、ここに 書いたところで、あまり意味はないような.. * * * 後日談。あまりにわけがわからなくなってきたので、いっぺん夢日記のほう マイエンピツをクリアしました。で、こっちにぽつぽつ移動しました。 なんか大事な人がもれてるかもしれないけど..ご縁が薄かったという ことであきらめます。また、どこかで見かけたら追加しますし。ただ 夢日記を好んでいたかたには、こっちの文はつまらないかなぁ..
高校・大学と通学に電車を使っていて、OLのころも通勤に電車を使っていたので、ときどき被害にあいました。あれって本当被害にあうと真っ暗な気分になります。ねんのために書いておくと、わたしは美人でもなければグラマーでもないです。単にぼうっとしてて大人しそうに見えるのだと思います。実際、被害にあっても次の駅でおりる、とか車両をかえる、とかしたことないし。助けてもらったこともないです。声をあげたこともないです。なんか恐くて気持ち悪くて、とにかく逃げることしか考えられない。思考能力停止状態。その後も一日中憂鬱。 でも数年前、ちょっと胸がすっとしたことがありました。単に女子高生が、「何やってんだよ、ばか!ふざけんじゃねぇよ、表に出な、おっさん!!」とか、大声で言って、ちゃんとつかまえて、駅員さんにつまみだしてただけなのだけど、ね。ちょうどそのころ「女子高生」が強くなってた時期だったと思うのだけれど、こういうときにも強く出られるのはいいことだよね、よかったよかった、と思ったのでした。いやな思いをするひとは減るほうが絶対いい。 さて。しかし最近TVで、痴漢でない人を痴漢呼ばわりしてお金をまきあげる、という女の人もいることを知りました。上に書いた女の子はそういうのではなさそうだったけれど、無実なのに痴漢として、いろいろなもの(信用とか職とか)を奪われ、人生を狂わされたひともいる、というのは覚えておかなくちゃ、と思いました。しかし、そういう風にされないよう、車内では気をつけてる男の人、というのもいるらしく、それはそれで大変かも..という気がしました。 とにかく痴漢、というのは言葉や概念の存在からしてごく普通に生活している人間からすると(男性にとっても女性にとっても)とても迷惑なもののように思います。嗜好としてそういうのが好き、というひとはまた別なのでしょうが..
トーべ・ヤンソンさん死去、というのを新聞の朝刊で知った。 彼女はムーミン・シリーズを創作したフィンランドの作家で、 全8作のシリーズは、自身で挿絵も描いていた。 その中でわたしがきちんと読んだ作品は一つしかないのだが、 妙に印象的な話だった。講談社の青い鳥文庫だっただろうか、 ハードカバーを図書館で借りたのだろうか、そのあたりの 記憶もさだかではなく、タイトルも覚えていないのだが、 「飛行おに」が出てくる話を読んだことがある。「ニョロ ニョロ」も出てきた巻だったと思う。 一番印象に残っているシーンは、あやしい帽子をかぶって 見た目が全然変ってしまったムーミントロールを、友人たち は誰一人彼だと認識できないのに、彼の母親だけは、彼を ムーミントロールだと見抜いたところ。飛行おにが皆の 願いをかなえるとき、ムーミントロールのGFが目を 大きくしてもらったが、似合わず、その兄が自分の願いを とりやめにして、妹の目を直すことにその願いをかえた こと、などなど。 アニメを見たことは一度もないのだが、あの、原作のもつ 不思議な恐怖と安心感、哲学、といった世界は、中高生 のころもそれなりに楽しめた。シリーズ中、あまり面白い と思わない巻もあったように記憶しているが、機会が あったらまた読んでみようかな、と思う。
自宅の近くに、漫画喫茶がある。ここは結婚前から、ときどき読みに行っていたが、途中から管理会社が変ったのか、名前が変った。方針も変ったのか、女性向の漫画が奥に行ってしまったりした。机はスチール製の、小さな穴があいていて網状になったものだ。椅子は木。手前にリクライニングシートがある。昔は席に小さなキャンディボックスがあったが、いつのまにか消え、そのかわり、というわけでもないだろうが、最近「平日半額」になっていた。確かに平日の昼はとても空いていて、店員は暇そうだったが。品揃えは悪くもないが、古かったり途中の巻が抜けていたりすることもある。 もうひとつ、駅前にも漫画喫茶はある。こちらは女性向けのものも多く、新刊の入りもよい。軽食も出すし、半日チケットのようなものもある。インターネットもでき(しかもADSL)、いつ来てもほどよくこんでいる。店内も明るく、きれいな感じだ。雑誌等にも取り上げられている。 わたしも夫も漫画好きなので、ときどきでかけるが、最初ははじめにあげたほうに行っていたのに、だんだん下に書いたほうへ行くことが増えてきた。自宅近くのほうもいいところはあるので、なくなったら悲しいなぁと思うのだが、それでもついつい駅前のほうに行ってしまう。こういう人間が増えたら、潰れてしまうのではないだろうか。心配。
夏と冬どちらが好き?と聞かれたら、わたしは冬、と答えます。冬の寒さは 着込めばなんとかしのげるけれど、夏は脱いでも脱いでも暑い気がするから。それに暖房、というシステムはそんなに不自然な気がしないのに、冷房、というシステムは、どこか自然の摂理に反しているような気がするから。 わたしは寒さに強いほうでもないけれど、暑さにはとても弱いです。よく晴れ た真夏日、用があって外に出ると、そのままへしゃぁ、と道端に伏してしまいたくなります。そんなわけにもいかないので、目的地までにふらりとお店に入ってしまう率が上がります(冬は多少寒くてもそんなことはないのですが)。涼んで外に出ると余計落差が見にしみることもありますが、とりあえず暫く汗をかかないですむと嬉しかったりします。 蒸し暑い夜などは、冷房をつけていてもよく眠れず、日中ぼんやり眠く、冷房のきいた部屋でうたたねをして、また調子が崩れたりします。冷房もすこしならよいのですが、心が涼しいと思う頃には体が冷たくなっており、頭がきーんとしたりします。 電車内や、駅構内なども、涼しいのはありがたいことなのですが、弱冷房車のほうが落ち着きます。冷房の強い場所では、上着などがほしくなります。なんとなくわがままを言ってるなぁ、という気もするのですが、こんな感じなので、わたしは夏や冷房が苦手です。 あなたはどうですか? 夏の苦手な同志でしたら、ご一緒に秋を待ちましょう。あ、でも、夏を好けるなかたもいいなぁと思うのです。どんなところがいいのか、教えてもらえると嬉しいです。夏をのりきる、参考にしたいので..
ひとりぐらしに憧れた。それはもう子どもの頃から。一番家を出たかったのはいつだろう..中学生かな、高校生かな、それぐらい。だいたいその頃が一番強くそう思ってた。 大学生になって、OLになって..その頃はあまり思ってなかった気がする。どちらかといえば、それよりは誰かといたかった。誰かと家を出たかった。必ずしも異性だけでなく、同性との共同生活とか、寮生活にも憧れた。 実家にずっといて、結婚してからべつの場所にきて、ときどき、ふと思う。自分の家、というのを、わたしは持ったことがないのだな、と。べつだん一戸建て、という意味ではなく、アパートの一室でもよいのだが、自分だけの部屋、自分の城、という感じのものをもったことがない。 経済力なかったからな..と思うが、なくてもするひとはするので、これは人恋しさとか、気力、体力も関係してくるのだろう。もしするとしたら、どんな部屋になったのかな..と思う。寒色系のインテリアか、暖色系のインテリアか。意外と少女趣味か、それとも機能的なシンプルな感じか。カタログや本を見て、好き勝手に思いを巡らせるのはぼんやり楽しい。実家も今も、自分の部屋なりスペースなりはあるが、どうしても同居してる人に気を使うから。しかし昼はいいのだが、夜に考えると、想像でも誰か呼びたくなってしまう。 ..やっぱり、一人暮らしは無理かもしれない。
父は母子家庭で苦労したせいか、若い頃からもう白髪があったらしい。母は短大卒業後、1年足らずでわたしを身ごもったのだが、出産後いきなり白髪になりだしたらしい。どうもストレスを感じると白髪になる家系のような気がする。ちなみにどちらの祖父母の写真なり実物なりを見ても、はげている人はあまりいない。というかほとんど見た記憶がない。 わたしは白髪があったことが3・4回ある。時期がはっきりしているのは高校受験のとき、大学受験のとき、就職のときだ。要するにプレッシャーで白くなったのだろう。他に大きな資格試験のときなどもあったように思う。ちなみにこの白髪、のちに根元のほうが黒くなった。つまり1度白くなったが、途中から黒くなったのだ。どういう仕組みかはよくわからないが、多分悩みが解決してしまい、エネルギーが戻ったのだろう。 他にも大変なことや辛いことはあったように思うのだが、その他の期間に白髪ができたことはない。いつのまにか昔あったのもなくなり、今残っているのは黒い(染めていないがどちらかといえば茶系)髪だけだ。まあこれから先はわからないが、ちいさなまるいはげができるよりは、白髪のほうがわたしはすごしやすいので、どうしても来るというならどうぞ、と思う。
といっても、ロバート・デ・ニーロ主演の名作の話ではなく。わたしが乗ったことのある、タクシーの運転手さんの話。 実家にいた頃、飲み会で遅くなったりして、終バスを逃すと、よくタクシーを使っていました。結婚してすぐ、役所その他の場所がわからないころもまたお世話になりました。 タクシーの運転手、というのは、運転中話をする人と、しない人といますよね。わたしがいままで乗ったのは、話す人と話さないひとは大体半々くらいの確率でしたが、どうでしょう。土地によっても違うのかな? 話す内容も千差万別で、自分の家族の話をあれこれする人、世間話する人、周りの建物について語る人、こちらの事情を聞きたがる人、いろいろでした。 印象的なのはいつかの飲み会の帰りに乗ったとき、あれ、お客さん飲んでた? と聞かれ、そんなに匂うのかな、と思ったら、しっかりしてるからわからなかったよ、普段酔っ払いの女の人は乗せないんだけどね、から始まり、今迄乗せた何人かの問題行動を聞かせてくれた人。あれは話したくてしかたないから、というより思わず話してしまった、という語り口で面白かったです。 あと、女性のタクシードライバーにも1回あたったことがあります。陽気で感じのいい40代くらいのかたでしたが、道を間違えられたので、ちょっと悲しかったです。どうもそれ以来男の人のほうがいいかなぁという気持ちを抱いてしまいそうになります。 裏道や抜け道をよく知っているかただと「おお!」と思います。しかし早いのは嬉しいのですが、あまり乱暴な運転だと酔いそうになってしまうので、困りもの。運転が好きそうなタイプの場合、あまり話さないか、話しても要点のみすぱっと話す方が多かったような気がします。ほのぼのした運転のかたは、やはりほのぼのと場を和ます話をなさる印象が残っています。 なんとなくタクシードライバーに話してほしい人と、話してほしくない人がいると思いますが、あなたはどちらですか? わたしはとにかく目的地にスムーズにつければ、どちらでもいいかな、と思っています。いきなり怒り出すような人とか、眠いとき会話したがる人はできれば避けたいですが..
PHSのポイントを貯めてもらった、四つのジャムの、最後の一瓶が終わろうとしています。あんず→りんご→もも→ブルーベリーの順に食べていて、今さっき食べていたのがブルーベリー。この順番は、好きな順だと思われますか?嫌いな順だと思われますか? 答えは、好きな順です。 ふだんわたしは、嫌いな順にたべものを食べます。嫌い、といっても食べられないほど嫌いなものはないので、好きでない順、というか。なんとなく、そのほうが食べていて、好きなものばかりになるようで嬉しいから。 今回も嫌いな順に食べようとしたのですが、夫に「どんどん品質が悪くなるのだから、好きなものを新鮮なうちに食べたら?」と言われ、それもそうか、と思って好きな順で食べることにしたのです。 これが生き方に通じるか、というとそんなことはなくて、好きなことも嫌なこともずるずると後に伸ばしたり、いきなり全部ばーっと片付けてしまったり、あまり優先順位は決まっていないのです。 あなたは食べ物を好きな順に食べる方ですか? 嫌いな順に食べるかたですか? それともまんべんなく食べますか? そしてそれは、物事の優先順位のつけかたと、通じるものはありますか?
先日、電車でとてもイイ声で話している男の人がいた。軽く振り返り、どんな人かな、と思ったら、白髪まじりの、40〜50くらいの男の人だった。顔は悪くないけれど、すごくかっこいいというほどではなく。背も、そんなに高くはない。普通。しかし声だけ妙に「イイ」。 単にわたしの好みだ、という話になってしまうのかもしれないが、実はわたしは「こういう声好きー」といえるほど声に対して好みはないのだ。彼の声はどんな声だったか、思い出してみる。低すぎず高すぎず、冷たすぎず暖かすぎず、特別音楽的でもない声だった。話していたのは、ケーブルTVの回線を使ったインターネットについてで、話相手は30〜40くらいの小太りで眼鏡をかけたよく汗をかいている男で..。 そうか、声に深みがあったのだ。押し付けがましくなく、でも、男の人の色気が漂うような。そうそうそれだ。丁寧に、そのよさについてアツク彼は語っていたのだ。 声、はもともとの質もあるだろうけれど、話し方や発音の仕方で、印象が大分違ってくる。自分に自信のあることなら、声にはりやつやも出てくるのだろう。好きなことを誰かに伝えたい、とすれば熱がこもるだろう。そして人によっては、興奮しすぎないようセーブしながら話せるのだ。 わたしは声からひとを好きになる、ということはあまりないのだが、好きな人が心をこめて口説いてくれたり誘ってくれたりするときの声は大好きだ。気持ちがにじみ出ているようで。そしてもし声がなくても、心から「何かを伝えたい」という気持ちが表れるなら、それは届くのではないかな、と思ったりする。 あの眼鏡の男の人は、白髪混じりの男の人にすすめられたとおり、CATV回線にするかはわからない(大体ADSLとか光ファイバーとかいろいろ出てくるご時世だしね..)けれど。
今まで気付かなかったけれど、わたしは時計が好きであるらしい。腕時計もそうだし、置時計もそうだ。なんとなく、見ているだけでも楽しい。 腕時計は、バスや電車を使って通学するため、高校からつけ始めた。なんとなく大人になったような気がして、嬉しかった記憶がある。デパートで安いものを買ったのだけれど、黒や茶色の革ベルトが馴染む感じを、未だによく覚えている。文字盤は算用数字だったこともローマ数字だったこともあるが、デジタル式のは買ったことがない。パッと見て時間がぴんと来ないからだ。 今ある腕時計は社会人になって池袋のパルコで買った楕円の、リング状になる銀のブレスレットのようなもの、通販で買ったイタリア製の、青い革ベルトのもの、婚約時に夫とおそろいで買った銀と水色のルキア。ルキアは重いのとなくしたら困るのとであまり使用頻度は高くなかったのだが、最近は他のものが電池切れのため、こればかり使っている。 実用的かはわからないが、ペンダントウォッチや、キーホルダーウォッチももてたら楽しそうだ、と思う。時を刻み数を告げるアクセサリー。存在自体が賢そうでおしゃれな気がする。 家に置いてある時計は、実家から持ってきた金の小さな目覚ましのほかに、夫の持っていた黒の大き目のと小さ目の、それからUFOキャッチャーでとったMiffyのが色違いでふたつ、そしてDreamcastについていたものなど、いろいろだ。これも電池のなくなっているものもあるが、形や見た目が楽しいので置いたままだ。 他にもvideoやレンジやリモコンなどにデジタル式の時計表示があり、全部きっちり合っているわけではないが、時計に囲まれていて違和感や不快感はない。ミヒャエル・エンデの「モモ」に、時計だらけの挿絵があったように記憶しているが、ああいう絵も好きだ。 しかし時計の形や外見が好きだからといって、時を大事にしているか、というとそんなこともない。大好きなはずの腕時計も、急いでるときはきれいに忘れていたりする。腕時計をせずにでかけると、たまに自分が子どもに戻ったような気分になることがある。5時の音楽が鳴ったら帰ればよかったころの。ただそこまでいかなくても、今ではどこかしら時計や時刻表示はあるようだ。ないとき頼るのは携帯やPHSで、これらにはずいぶん助けられる。 時計を好きだったり、時計に感謝したりすることが多いのは、すぐに時間を忘れそうになるからかもしれない。現実に引き戻してくれる強い力に、わたしは頼っているのだろう。そうでもしないと、区切りや切り替えができないのだ。体や心や頭のリズムは、あまり一定に動かないし、自己流に数えていると、なにか非常にずれた1日を送ってしまうような気がする。
今日、お弁当を食べていてふと思ったのだけれど、どうもわたしはあの、ちょっとだけ主菜の横に入ってるスパゲティ、が妙に好きみたいです。大抵それはナポリタンだと思うのだけれど、思い返すと、わたし普段家で食べるにしても外で食べるにしても、ナポリタンてあまり選んでないんです。ミートソースとか、魚介類とか、茄子とトマトのとかはよく食べるのに。ナポリタンだと、一皿食べるのが飽きそうなのかな?でも、クリーム系のよりは好きなのよね。ほとんどカルボナーラとか食べないし。サラダスパゲティはたまに食べたくなるのに、スープスパゲティはさほど食べたいと思わないし。 全然関係ないけど、昔、皿うどんて、お皿に入ってるうどんだと思ってました。ま・まずそう。でもまだ実物は見たことないなー。うどん自体あんまり好きじゃないです、べつにとくに理由はないけど。おそばはね、理由がちゃんと? あります。一時期お中元だかお歳暮だかにどーっとそばがきて、2ヶ月くらい朝ごはんがずーっとそばだったのね。それ以来もういいよって感じになっちゃって、食べたいとはかけらも思わなくなってしまった。もう一生分食べたよっ!て感じで。おそばやさんに連れて行かれた場合、お腹空いてなくてもむりやりご飯もの食べてます。悲しい。ああでも焼きそばとかは平気だったりするなぁ。たまにお好み焼きとかたこやきとか、ああいうお祭りや高速のSAで食べるような食べ物がほしくなります。 たまにで思い出した、なぜか小さい頃カップ麺とか食べてはいけないおうちだったので、大人になってたまーにこっそり食べさしてもらうの、妙に美味しかったような..。でも味きついかなって気はしました。機会がないので、嫌いじゃないけどほとんど食べないです。ふつうのラーメンは、これもたまーに人とは食べるようになったけど、そんなにやっぱり行かない。それにひとりでお店に入る気にはならい..。あ・でも牛丼屋とか喫茶店には一人でも入れます。だんだん麺類の話では なくなってきたので、この話題はこのへんで。
今日、駐車場で、30前後の、軽く焼けた肌の、かっこいいお姉さんを見た。彼女は片方の肩をむきだしにしていて、胸元にサングラスをひっかけていた。ちょっと目はきつめだったかな。セクシーでめちゃ綺麗だった。 今日、ファミレスで、綺麗なお姉さんを見た。彼女は髪を染めていて、迷彩柄のツーピースを着ていた。上はホルターネック、というのかな、首のところがつながっていて、背中はあいていて。胸元はすこしあいてて、ちらりと見える谷間に大きなフェイクの石のペンダントをかけてて。スカートはロングなんだけど、かなりきわどいスリットいり。足も長く、かたちよく、胸はあり、ウエストもくびれていて、なんというか本当に綺麗だった。顔はきっちりメイクをしていたけれど、でも造作も悪くなさそうだった。あーしかし視線はがすのが大変だった。じろじろ見たらへんだもんね、やっぱり。 でも同性にせよ異性にせよ、綺麗だったり美しかったりするひとって、どーしても見たくなってしまうよ。ていうか見たい、と思う前に目が吸い寄せられてしまう。
というのは、本来どのような状況をさすのだろう。 先日買い物に行くため、自転車に乗ろうと家の裏に回っていたら、足元を猛スピードで這っている毛虫を見た。茶色の、毛深いの。5センチくらいかな。思わずイヤぁぁあとふみつぶしたくなったが、ふと思いとどまった。まあ、頑張って生きてるんだし..みたいな。まだわたしに(毒とかでかぶれるとか)害をもたらしてもいないし。位置的にバーベナについたりはしなさそうだし。 仲良くしようとは思わないけれど、まあこの世のどこかでお達者で。
仕事中にネットサーフィンする人、というのは、意外といるらしい。わたしのHPに来る人は、んーどうだろうどれくらいの比率かはよくわからない。昼よりは夜のほうがカウンタの回転が高い気がするけど..わたしはべつにかまわないのですが、まあ、そのう、上司や仕事に気をつけてくださいねってくらいで、とくに何も思わないかな。許可されてる会社であれば。来てくれて、読んでくれるだけでもありがたいから。 ただ、仕事に役に立つことなんておそらくかけらもないし、更新もそんなに早くないからなぁ。そのあたりちょっと申し訳ないかも。気分転換とか、リフレッシュできるようなこと、が書けるといいのだけれど、わりと独善的なヨミモノが多いと思うので.. もし、仕事中のかたがここを見ていたとしたら。頑張れー、と、こころひそかに応援しています。ちょっと書いてて恥ずかしいけれど。
氷砂糖(女性) 3月生まれ、魚座のB型
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