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さっきないたからすがもうわらった - 2004年10月31日(日)


ねー今度休憩するとき話し掛けてー
ん?ちゃっとで?電話?
あーまあ別に何でもいいけど
お話したいーです 愚痴じゃなくて(笑
めずらしいね
たまにはね(笑
てかちょっといい気分なんです
ほう
わかったよん

うん
あっ
完全に声が枯れてるからチャットじゃないと無理だね(笑)
はいはい
じゃそれまでお仕事するねん


さて
はなすんだろ?
なぁに?

あのねー
学祭終わったらこの状況もちょっとはましになるんだけどなー って前に言ったけど、
ほんとにそうだったみたいだからよかったなぁっていうのがいちばんおっきいんだけど、
これだけだと何のことやら(笑)
いみわからんよ〜w
だけどなあに?

うーん
まあ一言で感想言うと、楽しかったなあって。
それは良かったじゃないか(笑)
なにをびみょうがってるんだいw

去年ははっきり言って楽しくなかったんだよねん
なんだかしらないけどいろんなことが妙につらくってねー去年
ほらそれで学祭のあと熱出してたのにこうのさんに会ったでしょう?弱音吐いて。
そういえばそうだったね
でも祭りなんだから楽しくいこうよって今年はね。
愚痴も出ましたがw
なんだろう、きちんとするだけがだいじなことじゃないって
言ったり思ったりしてきたけど本当には思ってなかったのかなとか。
ふむふむ
楽しいだろうな〜とは思ってたんだけど、
あんな熱出してまでSVの仕事するとは思わなかった(笑)
でもSVも楽しかったよ。
んでちょっとずれてって、
例のSVやりたくないー って愚痴った後に、
当日朝の(今日だね)でふたりが組んでるアンサンブルのSV入った、もうどうでもいいや、って言ったでしょう(笑)
うん
なんかあのときはイベント前夜恒例の感じで相当テンションが上がってて、
そのテンションだからそう思ったのかなとかもうっすら思ってたんだけど
それは違ったよー。
春コン以来で初めて、なんていうのかな、同時にイベントに参加したっていうか。
避けまくってるってこないだ会ったときも言ったよね、けど
なーんだもうどうでもいいや、アハハ
みたいな。
そうか、それは良かったじゃない
うんだからあのメルのときは、
もう愚痴言うの止めるねって言ったけど
止めるんじゃなくてもう言わないよきっと だなーって。
止める だと、思ってるけど言わないとかそんな感じだけどね。違うや。
なるほど
すっかり気持ちもおさまったと

ん。
もう全部、ま、お好きに〜♪
みたいな(笑)
それはよかったね(笑)
まあそんなんですっきりさっぱり(笑)


なんか今回は
楽しめばそれでいいじゃんって意味じゃなくて、
仕事として割り振られたことをいっこも億劫に感じなかったよ。
fm
あーなんかこれだと全然うまく言えてないんだけど
前に、どうすれば後輩たちに伝わるかわからなくて焦るって言ったでしょう
うん
でも、今こう思えたからいいかなって。なんか根拠も何もないけど(笑
今ひとつよくわからないけどw、いろんな事に満足できたみたいだしいい学祭になったね
ふふ
短く言うと、そだね(笑)
なんかねーひとつずつイベントが終わっていって、大きいのはあといっこなのに、
全然寂しくないの。
それは、学生生活がうまく終わりに向かってるってことだよ
そう、それ!
わたしの今年のサークル活動のテーマは「おまけで終わる」だから(笑)
終わるために、もう一年やろうって決めたから。
うまくいってるんだよね?これって。大丈夫だよね?
大丈夫うまくいってるよ^^
すてきすてき

わぁい よかった…
ふううう。
あんしん。ふにょー。

お話聴いてもらった♪
良かったね
うん。
あ、はい。ありがとうございます。
どのくらい話してた?結構長かった?
1時間くらいかな?
ありゃ。
どうもありがとうございます。今日は満足です。
うん。
うん。
んじゃお休みナサーイ
ふぁい また明日もお仕事がんばってね。
おやすみなさーい
あい
ありがとう
じゃね〜

またねん♪



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欠けているのは文の脈絡と堪え性 - 2004年10月27日(水)


もう大学には残らないで定時で帰ることにしたのだと言っていたのに、
深夜2時前、立ち上がったままのメッセのウィンドウに見えたのは
「まだ大学なんだよ 仕事中だ」の文字だった。
本当は定時なんてない。勝手に決めるなら19時くらいだろうか。
もし今日向こうが家に帰っていたのなら、展開は若干違っただろう。

今日はただ愚痴を言う相手が欲しかっただけだけれど、
ゆうに関わる愚痴を言うと、このひとはだいたい、いい顔をしない。
わかっていたが、言わないよりはましだったので聞いてもらった。
けれどまともには相手をしてもらっていないのがすぐにわかった。
「いつまでも元カレの愚痴を言ってる子のことなんか知らないよーだ」
だ、そうだ。

ははは。思い出した。
前に、研究室の後輩と話していると事あるごとに元彼の話が出るけれど何だろう?と尋ねられたときに、何か意図があるわけじゃないだろうけどその元彼のことが今でも気になってるからだろうね、と答えたのはわたしだった。

わかる。わかるが、難しい。
昔なっつがわたしにしたことに大きなショックを受けて、一時期、周りの人間を誰も信じられなくなった。みんな嘘しか言わないのだと本気で思った。
それと同じ種類のことを、自分がしているのだと、わかる。
わかるが、苦しい。こらえ性がないからだ。


今日は逡巡が透けて見える速度の「入力中」表示が多かった。
何にしても大学で話すことではない。最後はわたしがそう言った。
そういえば喧嘩したときも、「大学で話すことじゃないと思うんだけど」と言われたんだった。

自分勝手やわがままで、怒られるときと怒られないときがある。
その怒られるときのほうは、怒っているポイントが、ゆうと似ていることが多い。
これは、さすがに、言えない。


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ため息しか出ない - 2004年10月23日(土)


完全にスパイラルに入りこんでしまった。

だいじな人にひどい意地悪ばかりして、相手を怒らせてしまう。まただ。
へこんでるから、会いたい。
なのに、へこんでるから、ひどいことばかり言ってしまう。一言言ってから気づくが、その後も止められない。
そして他の友だちには、こんなことしない。
いちばんだいじな人にだけだ。

ひどい。
時間を作って付き合ってくれたのは紛れもなくわたしのためなのに、相手を困らせたり怒らせたりすることしかできない。
こんなんなら会わないほうが相手のためだ。
でもへこんでいるから会いたい。そこを我慢することもできないくらいへこんでいる。だから会いたい。自分勝手極まりない。

最悪だ。消えてなくなりたい。


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なーばす ぶれいくだうん - 2004年10月19日(火)


一挙手一投足に、一喜一憂。
ものすごい揺れっぷりです。
いいかげん疲れてきました。



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わたしの意地悪はこっちにも向かう - 2004年10月18日(月)


5月の終わり、「それでもしも変わったとしても、それは近くにいるからってことになるんじゃないの?」と尋ねた。
それが、そのときの彼のたったひとつの逃げ道を塞ぐ意地悪だということは、わかっていた。
ただ一つの理由で全てを納得してきたこれまでの自分を思ったとき、そのくらいは言ってもいいような気がした。
しかし、これはクリティカルだった。


思えば、わけのわからなさは、もうこのとき始まっていたのだろう。
自分のために言ったのか、相手のために言ったのか、さっぱりわからない。
あのときはただ、自分に嘘をつきつづけているだいじな人を、近くで見ているのが苦しかった。それだけだった。
でもその結果として、直接的にも間接的にも、進む道を見失ったあのひとに対して、わたしのできることはあまりにも少なく、そしてそれすらも、自分のためにしているのではないかと思ってしまう。

いちど諦めた人だ。
出ていくのがわたしではなくあのひとだったら、わたしはまた静かに諦めただろう。
そしてあの日、泣きながらここから出ていくと告げたときに返ってきたあのひとの言葉は、わたしの言葉でもある。
だから、わたしの意地悪は、こっちにも向かう。



わたしが本気だったら、なにか変わるの?



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きょうはぐっすり眠れそうだ - 2004年10月15日(金)


昨日の朝、浅い眠りの中で、はっきりとした夢を見た。
最初から夢と知って、夢を、見ていた。

暗く寒い場所にいたが、あまり寒くはなかった。

聞こえてくる鼓動と、匂いの記憶。包まれて溜息をついたら相手がふっと笑った。それがすぐ上から降ってくる。そして頭と肩にのせられた手の重さ。

これは、「だっこ」だ。

そう思った次の瞬間に、夢からさめたのを感じた。
もっと。せめてもう少しだけ、このままで。
思っても、もう無理だった。


そばにいてほしい。
でも、こわい。


わたしが本気であなたを望めば、あなたはどうする?
なにを失い、なにを得る?

お互い自分の気持ちがわからない。
だから相手の思うことはもっとわからない。
もちろん、どうすればいいのかも、わからない。

そばにいてほしい。
ひとりがいやなのではなく、わたしはあなたに会いたい。


夢は正夢だった。
まるで同じ感触。
あったかかった。


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TTTT。実を言うと。 - 2004年10月08日(金)


わたしたちはどうやって、友だちや周りのだいじなひとの言葉を、信じているのだろう。
なんだかよくわからなくなった。

言われたことを信じて、勝手に期待してそれが外れるなんてことは、少ないことではない。
いや、そうやって自分が傷ついたから、しっかり憶えていて、「少なくない」と思うのだろうか。

院試に合格したことがわかったとき、そのときの彼氏に「じゃあ今度お祝いだね」と言ってもらって、嬉しかった。
でもしばらく経ってもお祝いしてくれることはなく、それで業を煮やして「お祝いしてくれないの?」と言ってしまったことがある。本当のところ、そんなことを言うだけ馬鹿だとわかっていたし、そう言ったら、ただでさえ低い確率を自分で下げるのだということも、わかっていた。
それでも、返ってきた答えを聞いて、期待した自分は馬鹿みたいだなと思い、やるせなくなった。わかっていたことのはずなのに。

今年の初夏、最初に内定をもらったことを電話で伝えた友だちは二人だけだ。
一人はその電話口で、「じゃあ今度お祝いしないとね」と言った。
自身のweb日記でも、そのことに触れ、「こんどお祝いだな」と書いていた。
けれどその人はお祝いしてくれていないし、おそらく自分がそう言ったことを忘れているだろうと思う。
本当はそういうことがとても悲しい。

二人とも、そのときは本当にそう思って言ったのだろうと思う。
それは何となくわかる。
でも、しかし、だからこそ、その言葉が遂行されないことが、悲しいのだと思う。

やはり雄弁なのは行動である。
院試合格のときも、内定獲得のときも、直接連絡した数少ない友人のなかに、なっつが含まれる。
彼は二回ともその場で、じゃあ今日、暇ならご飯でも食べに行こう、お祝いしよう、と、そう言った。そして二回とも、ご飯を食べに行った。
こんな友だちのほうが珍しいというわたしは、一体これまでどんなふうに、だいじな人たちと接してきたのだろうか?




取れていなかった会話のログ。
記憶の中に、「そんなつもりじゃないんだけどね」「すまない」という文字が浮かんでくる。
このひとは、わたしの言葉が本気で出されたものかどうかを、容易く見破る。…これまでそう思ってきた。
けれど、もしかして、違うのではないか?
わたしにあのひとを責める資格があるのだろうか?
あのひとだって、わたしの言葉を信じたからこそ、傷ついて怒ったり、信じられないと言ってみたりするのではないだろうか?
最初から信じられないなら、「本気で言ってるようには思えない」などと言ったりは、しないのではないか?

わたしはできるだけのことをしたのに、こちらの希望は無視される、と言って、結果的にであっても偽善者のようになってしまうくらいなら、もうこちらからは頼らない、と少し思った。頼らなければ、期待が裏切られることもない。でもそれはどこか違うとも思っていた。

これからは、だいじなことは本気でしか言わない、と決めたのはそんなに昔のことではないのに、もう、よくわからなくなった。


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おかえりなさい - 2004年10月04日(月)


ちょっとうっかりしていて、気づくのが遅くなってしまったみたいです。
4日に気づきました。

准さん、おかえりなさい。
何ヶ月経ったのかな。
あんまり経ってないような気もするし、結構過ぎたような気もします。
また准さんに会えて嬉しい。
ただそれだけです。
ご自分のペースで、続けてくださいね。
それでは。


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だから知らないふりをする - 2004年10月03日(日)


この日盛岡に行こうと思ったのは、自分のためか相手のためか?と尋ねられたら、わたしはうまく答えることができないだろうと思う。
顔を合わせてすぐに「どうして来たのか、何か理由があるんじゃないのか」と尋ねられたのも、そのせいだろう。
会いに行くことで励ましたいと思ったわけではないし、自分が励まされたくて行ったわけでもない。ただ何となく、行ってみようかなと思っただけだ。
その「ただ何となく」にすら、自分でも気づいていないような理由があるというのなら、それはそれでそうなのだろうと思っておくけれど。


自分に余裕がなくても、誰かだいじな人のためなら、自分のできる無理をしたい。
そう言ったら、そんなのは偽善者の言うことだと言われたことがある。
そんなことを言っていても、どうせ自分がいちばんかわいいんだから自分がつらい目にあっていたら絶対にそんなふうには思えないはずだと。だからそう言うことで自分がそう思っていると思い込んで、そのことに満足しているだけだと。
それにそもそも「あなたには」とてもそんなことは「無理」だろうとも言われた。
あれから何か変わったのだろうか?

無理をして関わることで自分がつらい思いをしたとしても、それを相手にぶつけるのは、自制心がないせいという最悪の理由だし、そういうことをするなら最初から観音さまみたいな顔をしなければいい、という話だ。

いま、というよりは少なくともこの半年、少々苦しくても、わたしにできることで思いつく限りの、相手のための行動を取っているつもりだ。けれど、こちらがつらいとき、相手が自分の満足するようには応えてくれないとなると、途端に「わたしはこんなこともあんなこともしたのに」と、思ってしまう。
となると、これじゃ単なる偽善者だから、見返りを求めないで行動してるっていうのも嘘だ、とか、自分が予想しているほどには相手は自分のことを大事に思っていなくてそれが嫌なのだ、とかそういうことを、認めざるを得なくなる。

やはり無理は無理でしかないのだろうか?

次の面接はいつ?と訊かれて、本当は翌日だったのに、とりあえず明日じゃないよ、と言ったときの気持ちまで否定したくない。なのに。


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誰か、は「誰か」ではなく。 - 2004年10月01日(金)


「どうも、自分が把握しているより、本当のところではもっとずっといやだと思っているようだ。だから話したくない。」
「仕事ならば、我慢できる。むしろ仕事ではないからこそ、我慢できないのだ。」

端的に語るならこれしかない。
ショッキングな出来事ならば思春期にもいくつか体験したが、それどころの騒ぎではなかった。
既に2ヶ月前のことになる。
結局、友人で詳しい話ができたのはなっつだけだった。
それもタイミングのなせるわざだ。
いちばん話したかった人は、あのとき外国にいたし、何より本人がひどく落ち込んでいた。こんな厄介な相談事はもちこめないと思った。

わたしの話を聞いてなっつは自分のことのように怒った。
なぜ「お前ともあろうやつが」、何も言わず、相手をひっぱたくこともせずに戻ってきたのかと言った。もし自分がその場にいたら絶対にそいつを殴っていたとも言った。
今後どのような関係になるかわからない相手にできることには限りがある。それにあれは会社の名前で泊まっていたホテルだった。それを考えると下手なことはできなかった。それがわたしの答えだった。
そしてそのときわたしは泣かなかった。

最も話したいと思った人にすら、少し時間が経つと話せなくなった。
それ以外の要因で一時期うまく彼と話ができなかったせいもある。
話を聞いてどう思うか、わたしがどうすればいいと思うか、とても聞きたかったが、もうどうしても話せなかった。

会社側と顔を合わせて話をすることを承諾したのは、半分仕事をしているようなものだと考えているわたしの、最低限の誠意だ。
こちらが誠意を見せる必要はないとなっつは言ったが、縁あって選考過程からお世話になっている会社だ。
そこまで言うならなぜあちらが来ないのかとも思ったが、まあいいだろうと出向くことにした。どうせもう一方の内定式の日だ。

しかし話をするとなれば再び訊かれるだろう、何があったのかと。
それは話したくない。辞退することそれ自体が、わたしが引っ込めば済むことだ、という結論に基づくものなのだから。
それまでの会話でも、話は堂々巡りだった。顔を突き合わせても同じことになるだろう。
何をどう話せば納得してもらえるのか。まったくわからなかった。

ずっと考えていたらさっぱり眠れなかった。
話したかったことはもう話せなくてもいいから、ただ話がしたいと思った。
日付がこの日に変わって、深夜3時。

相手がまだ起きていることを確認してから、電話をかけた。
あの日の具体的なこと以外、会社とのやりとりなどはこれまでに話してある。
話せる事実はもうなかったから、わたしの抱えている気持ちだけを話していた。
本当はこのまま黙っているのは悔しいのだとか。
どんな相手も基本的には信じていたいのに、それは無理なんだと思うと悲しいとか。
本当は今からでも張り倒してやりたいのだとか。

話しているうちに、このことがあってから初めて、本当に泣けてきた。
何があったのかは少しも話していないのに、なぜだかものすごく涙が出た。
なにも言えず、とても泣けた。

もう大丈夫だと思った。
この先ずっと話せなくても、気持ちが揺らぐことはないだろう。
あとは素直にこころを見せるだけだと、そう思った。無理をしなくてもよくなった。




何も話せなくても、あなたがそこにいることに意味があるのです。たったそれだけのことなのです。それとも、わたしはもっと望んでいるのでしょうか。


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INDEX
past  will





Not one night
one single day
that I wouldn't give to you
So with all my might
in every way
I'll try to forget to you

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