「同胞」

ふとブラウン管の向こうに彼を見つける。殊に最近よく見るようになったけど、あなたはあなたなりに相変わらずあなたのまま楽しんでいるようね。彼に対してまるで別れた恋人のような気持ちを懐きつつ眺める。否、恋人というよりは「自分に限り無く似た───」だったか。

完璧を望む、という事。理想の為に心の中のなにかを殺しながら生きる事。それが自然とさえ思い。不器用なまま器用に生きようとして、ひた隠し続ける、脆さ、弱さ。誰もそんなもの求めていない。強く在りたい。強く。

わたしは彼に憧れなど一つも擁かなかった。哀れみすら感じていた。識る限り、きっとそれ以上の。考えている事が、次の行動が、手に取るように解った。紙に書かれたもの、それらが伝える事が全てじゃない。感じる事、それだけでたぶん理解、出来た。わたしは彼を通して、自分と同じ色の魂を見ていた。

あなたはやっぱり黒い髪の方が似合うと思う。

「Anggun」

最近、気に入っているアーティスト。
インドネシア発の歌姫Anggun(アングン)。
洋楽は余程気に入ったものじゃないと聴かない。
偶然出逢った彼女の「Sign of Destiny」に一聴惚れ。
彼女の歌声は地平線に沈み行く赤陽を思わせる。

「OMBRE」

底辺が疼く。
罪科の予兆に耳を塞ぐ。
睫毛の先から射す聖浄な世界と爪先から頽れ逝く世界。
まるで倦怠と衝動の、
境界の混沌に潜む異教の詩がわたしにとりつく。
ペイガン・ポエトリー。
それがわたしの全てではない、けれど不協和音は満ちてくる。
わたしが完全なる翳でも、完全なる光でもないために。
自分で決めた自分から逸脱しない為に、
何処でどう自分の辻褄を合わせたらいいの。




「保持」

ドラえもんの道具で「お裾分けガム」というのがあって、一枚の板ガムを美味しいものを食べていそうな人に少し千切って食べて貰うとその千切った%の分だけ自分もお裾分けして貰え、味わえる。だが、お裾分けしてあげる方はその%の分、味が薄くなっているといういかんともしがたい道具があった。わたしはあまりそういうグルメな「食」に対しての欲が無い為にあったらいいなと思わないが、どうだねドラえもん。

この時期、わたしは何時も干乾びている時期なのです。というのも秋終の頃、いちはやく冬を察知して冬眠にこぎつけようとする我が躯は止められない程の食欲を掲げ、まさにばくばくと栄養を蓄えます。ちょっと躯のラインが乱れ気味かなと思いつつ、冬へ持ち越す。

女性の躯は冬、大抵太ります。何処かで止めなければそのまま春になってもおでぶの螺旋へまっしぐらに墜ちてゆきます。そんなのはヤです。そこでわたしは半ば強引に回路を修復し、侍へ戻って、否、我に返って己に歯止めをする。

土日などお休みの日に何食か抜く。一日一食なんて事も珍しくない事で。それまでに食べたものをよく消化させる。朝食を食べない理由も大きくはそれですね。此処で間違てはいけないのは、ホントのホントに空っぽになった躯に対して良い栄養を採るという事。それと食べるものの順番。いきなりポテチやチョコレートなんか食べちゃうとそれまでより太るのにきまっている。

食べる順番は基本ですよね。わたしはよく空腹時に苛ついてチョコなんかたらふく食べてますけど、時々こうやって回路を修復してやるんです。ポテチやマック、はたまたコーラなんて本当は一番好きな飲み物だし。放っておけば肥る気まんまんな感じ。だからこそそういう嗜好を程好く削いでしまわねばね。

「萌え日記」

おとついのヤフーニュースにて知ったトルコ王子の神戸入り。神戸?なんと。近いじゃないすか。試合の10や20見に行けちゃうくらい。

サッカーはよくわからない。たまにテレビで試合を観賞していたくらい。イタリアのデルピエロが好きだったので、べっかむファンをよく嘲笑していたわたし。でもまじですか?今まで黙っていましたが密かに心が移りつつあった事、公にせねばならなくなるとは。わたし前からイルハン好きだったんです。出逢った一枚の壁紙で惚れました。一目惚れならぬ所謂、壁紙惚れです。

坊主頭でもかわゆい。久し振りに腐り落ちそうだったときめきの中枢に潤いが戻りました。笑顔がかわゆいかわゆい〜〜。

「as the Romans do」

「郷に入れば郷に従え」
わたしは凡そ、その精神。

様々な場所には暗黙の基準というものがある。それはこのネットの例えば掲示板であってもそうだと思う。言葉を交わしたりする交流の場に違い無い。けれど基準はやはり其処を管理している人に合わせるべき。例えばresponseが気に入らないからとかそういう理由で、間違ってもメールで文句を言ったり訴えたりしてはいけないのだ。

どういうレスがつくのか。配慮の足りない書き込みであれば、管理人だけではなく見る人の気分を害するもの。優しく扱われなくても当然のような気がする。言葉に気を遣わなくてはならないオブラートに包まれたような世界で、その言葉のやさしさに驕え、ひたすら勘違いしている族などは如何なものか。

「material and immaterial on birth」

明日はわたしの誕生日になる。

「になる、」というのも些し可笑しい表現。或る一定の歳を歴てからはそれくらいまるで他人の結婚記念日のように無関心に無頓着に今まで通り過ぎてきた。此処で、ネット上でわたしを知る人もたぶん、明確な誕生日を知ってくれている人は居ないと思う。おめでとう、とか祝福、とか自分に対するそれは苦手で、照れくさいし、告知してまでもは欲しくない言葉の一つだったので。

もうすぐ誕生日だね、と誰かが何時も言う。ああ、そうだったと何時もそこで思い出す。今年も言われた。何か特別な事をしようと企てている。わたしは面倒そうに別にいいよ、と返す。紛れもない本音であるのに気を遣っているなどと巧く受け取られてしまう。

アレが欲しいコレが欲しいとあまり言わない理由。言ってしまうととても頑張って、無理してどんなものも誂えてくれたりするのを知っているよ。ああけれどね、どれだけ訊かれても何も欲しいものが無い。色んな欲が薄れてきたのもある。物欲などは正に適当に自分で満たせるのだし。けれどたぶん、今有るもの以上に欲しいものが見つからない。そうなのだと思う。いままで、そしていまのところも、愛する人たちの「おめでとう」という言葉だけでいい。誕生日の本質を知る事の出来る幸せがあればね。

「アメイジング・タイランド」

シャイン旅行にて5日間程のバンコク滞在。行き先は鳥インフルエンザが流行っている最中の危険区域指定まぢか。密かにドキドキ。そんなに海外へは出掛けていないけど、何年か前に行ったバリの印象が強いのか悪くもないけど良くもなく。問題の鳥インフルもタイ国民自体が「何のこと〜?わたしらには無関係ですがな」的で安心しました。というよりも町自体がとてーも汚く、それどころの騒ぎじゃなかったです。なんか他の病に犯されそうで。

ワット(お寺)めぐりや、象さんにも乗りましたよ。ニューハーフも見たし。タイ料理はわたし的にダメでした。トムヤンクン撲滅運動に加担したくなった。でもパパイヤが美味しかったです。わたしはよく滞在先で「此処に居住する事にすれば‥」等と空想に耽るのですが、無理っす。あらゆるところで煙草も自由に吸えないし。ホテルは美しかった。そんな美醜入り混じった微笑みのくにでしたとさ。

わたしが欲しいのはそんな高価なものじゃない。
何本かの煙草と、誰にも侵されない領域の確保。

基本ヒッキーなわたしはやはりそんな事を思いました。



アメイジング・タイランド
↑わたし、撮りましたね(なんでか現地人口調。




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