憂色透明
憂々とし 夢現 筒抜で ウェア アム アイ 強引

2003年09月29日(月) とあるヒヨコのおはなし(ヤク中

帰る場所と待っててくれる人について、あるヒヨコが考えました。

「あたすだって、去っていった人や、自分のもとには帰らない人に涙をながしたこともある。
待ってばかり、期待してばかり、ぐちをこぼしつつ、何人かのメスと、ときには何かを勘違いしたオスが、あたすを通り過ぎていったわ。
それにもかかわらず、あたすはいつの間にか「待つ」という気持ちがどういうものなのか忘れてしまったのよ。ああっ。なんてあたすはばかなのかしら。」

「いかないでぇ〜」とか、「さみしいんだ…俺」とか、そういう好意の気持ちを伝えるのは、ありがた迷惑におせっかいのオマケ付きだと、何かをヒヨコは勘違いしていて、「待つ」気持ちを忘れ去ったのです。
そして本性であるわがまま子を、頭かくしてケツかくさずにすることを決心したのでした。






いっとくがトラウマの話ではないわよ。
なんせあたすは虎でも馬でもない、れっきとした鳥なんだから…





ゴホン。






でもキミは素直に泣くではないか。



さみしいと。
理由がほしいと。




そのときです。
ヒヨコのカタストロフィーがいともかんたんに溶解したのわ。

「ピヨピヨピヨ。
なんなのよ、その不思議なパワーは。
あなたの涙がダイヤに見えるわ。
あたすのわがままなおケツも丸見えなわけだわ。」



「あたすのために、フツーに泣いてくれる人が居るのね…。」
とヒヨコはしみじみ思ったのでした。
「あぁなんてハートウォーミングなのかしら。」
ヒヨコは知らず知らずに泣いていました。

それと同時に、年をとることは素晴らしい反面、失いたくないものが増えてしまうのだとも、ヒヨコはおぼろげに、そしておマセに感じていたのでした。




つづく



2003年09月27日(土) コピーキャット

川崎でやってる森山大道の写真展に行った。
「このう○こったれ男尊女卑おやじめ」などと、写真を見る以前から悪態をついていたのだが、
60sの作品は流石に印象深かった。


しかし、「影響を受けたものは、(よりによって)ジャックケルアックの『路上』です。」

どうしてだ。
どうしてだぁぁ。
そうババーンと来て、
「写真というものの今までの概念をぶちこわすために、わざとわけのわからないピンボケ写真を発表し、従来の写真観にさよならを告げた」

って、それじゃいくら60年代とはいえ(というか60年代だからこそ)何にも新しくはないでないか。
アンディウォーホルか。
じょん・れのんか。







テレビの音が耳に入る。

頭にバンダナ巻いたねぇちゃんにぃちゃんが、黒人のラップを真似して唄ってやがる。
どうしてだ。
どうしてだぁぁ。





わたしはもうすでにおっさんだ。
ほっとけばいいものを。
屁理屈だ。
あぁぁ。






2003年09月26日(金) 枕枕枕

じゃかじゃかじゃか。

静寂の夜

走っても走っても、道が無い。
あるのは自分の背丈より高い、緑色の雑草ら。
もりもりもり。
それが腕や足を引っ掻いて、無数の傷をつくるもんだから、痛いったらありゃしない。
それでも走り続けなければいけない。
じゃかじゃかじゃか

野犬が追ってくる。
そうぞうの中では、黒のドーベルマンだこれは。
さっきまで一緒だった級友は、もう先にいってしまった。
つまり独りだ。



(怖ぇえ。)



背後にせまる野犬の遠吠え:うぉぉぉ〜〜ん うぉぉぉ〜ん

(あわわわわわわわ…)

一心不乱で、雑草を掻き分け、走る。
跣の足は、ドロだらけだ。
ぐちゃぐちゃぐちゃ。
緑色の雑草のせいで、視界がない。
四方八方ぜんぶ、縦方向に線が延びている。
ぐぅーんぐぅーん。



はぁはぁ。おえっ。
うぉぉぉ〜ん。
じゃかじゃかじゃか。
おえっ


あぁ。ちびりそう。


ふと右足が、30度に傾いたと思うと、小高い丘に駆け上った。



(出口だ、出口だ、森を抜けるに違いない)




つんのめりながら、ばさと両手で雑草を掻き分けた。

月だ!

巨大な月だ。
巨大な月は、見た事ないくらい飾り立ててぼうっと光る。



出口じゃないですねこれは。
そう感じ、走る気もうせた。


恐ろしく虚栄的な月のなかに、野犬の影が蠢き、どうやら遠吠えはそこからやってくる。
やってくる。
かぐや姫でもなく、野犬が一匹、巨大な月を占領している。
遠吠えは背後からだと錯覚していたものが、なんと頭上から、地上のもの総てを包括するように聞こえてくる。

非常識的にでかすぎる、あの黄色い月が今でも忘れられない。


























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そういえば、友人がシンガポールで月を見たらしい。
赤道に近いシンガポールの三日月は、上半分と下半分なんだって。
彼女はそれに感動した。
見てみたいなぁと思った。

さて、わが『野犬の月』はもう二度とみてない。
人生ではじめて見た夢以来。










2003年09月22日(月) 秋ですし

夢野久作の『ドグラ・マグラ』やっっと見つけたので読んでます。
きえぇぇーーっ。



2003年09月16日(火) 言いたいことはそうじゃなくて

本当に言いたい事は、照れくさくていえないや。
どうしょうもないことばっかり書いちゃって。
バスのことなんてどうでもいいと、今の自分が言う。

この一ヶ月、たしかに色々あったけど、改めてわかった事といえば、本当にどうしようもない、当たり前の小さなこと。












i am enchanted with you.



2003年09月15日(月) 愛しのチンチロリン



いつも話をきいてくれて本当にありがとう。
性格や考え方がまるで違うきみ。そのせいでけんかしたり泣いたり。
でもきみの感性や言葉は、いつも新鮮です。








2003年09月12日(金) どこにもいるわたし/どこにもいないわたし

一ヶ月の旅行から帰宅しました。
とても、いいものでした。少なくとも自分はそう思いました。

旅行の話は、後にまわすとして、
えんちゃんと久しぶりに会うのが楽しみだったのに、早々ケンカした。「がっかりした」「自然じゃない」と云われ、この一ヶ月も、これまでの彼女との経験も、すべて幻想だったように思えた。その言葉だけが残る。

「あなたは自然じゃない」という言葉を、今まで人から何回聞いたことか。その度に、自分は、行き場の無くなったイヌみたいに、自分を恥じる。消えてしまいたいと思う。2度と会いたくないとすら思う時もある。なにが、彼らの言う「私の自然」で、なにが「不自然」なのか、自分ではさっぱりわからない。いくら親しい人だからと言って、勝手なことを言ってほしくない。あなたの声を一番よく聴いていたいし、一番多くの時間を共有したいけれども、してほしくない事もある。それは「私がどういう人間か」という定義づけを、理由なく、言葉で押し付けることだ。イメージを抱いたり、友達と噂するのはかまわないけど、それは私の目が及ぶところじゃない。

でも逆につきつめれば、他人がいなきゃ「わたし」は存在しない。あなたの目のなかで、私は「演じた」りしたつもりはないのに、映っていたのは、大根役者だったのか、思うと、もうどこにもわたしはいないんだよ。



…少なくとも今日は、時差ぼけとまざって、そんなブルーな気分。
もちろん明日はどうかはわからない。


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