虎平太の四方山日記
虎平太の日常を書き綴った日記みたいなものもの・・・。毎日更新(の予定)。

2001年04月29日(日) M26:THE JERRY LEE PHANTOM

【音楽見聞録〜その26】 THE JERRY LEE PHANTOM

今じゃもう、身内みたいなバンドになっちまいましたな(笑)。初めて会ったのは、かれこれ3年ぐらい前。たぶん8月だったかな。メンバー全員でキャンペーンに来てくれて、番組に出てもらったのが最初。やつらも初めてのキャンペーンで緊張しててさ、俺がインタビューしたんだよね。あっ、そうそうインタビューの中で俺が投げかけた友達いない発言が、方々で物議を呼んだらしいね(笑)。キャンペーンに行った先々で必ず聞かれたらしいから。でも、それってほんとに俺の発言がきっかけなの?どうも嵌められてる感じがするんだけどなあ。まあ、いいか。でも、今でもほんと友達いないの!
あいつら、たぶん器用じゃないと思うんだ。でも、その不器用さの中にあるひたむきさというか、純真さというか、なんかそんなモノを感じたんだよね。こいつらには、嘘つけないなって(笑)。一直線に投げかけてくるその純粋な想いを真正面で受け止めなきゃどうにもならないって。そういうの、けっこう好きなんだよね、俺。
富山ではイベントを含めて3回ライブをやってくれたと思うんだけど、メンバーにもスタッフにも本当に感謝している。ほら、地方都市でライブをやるってなかなか難しいじゃない。コストの問題とかいろいろあってさ。だから、それを実現してくれるっていうのは、ほんと嬉しいよね。俺たちが目指しているモノは、たぶんそういうプロセスの中に存在していると思うから。それをわかっちゃいないヤツが多すぎて、困っちゃうんだけど(笑)。
やつらのライブって、とにかく凄いんだよ。何がって、とにかくあの疾走感。鬼気迫るものがある。バンドの原点、ここにアリってとこかな。だから、やつらみたいなバンドが、自由に音楽ができる環境が無くなりつつあるとするなら、その先にあるのは衰退しかない。そういう意味では俺もがんばらんと(笑)。また一緒におもろいことやろうぜ!



2001年04月23日(月) M25:サムシング・エルス

【音楽見聞録〜その25】 サムシング・エルス

初めて会ったのは、所属レコード会社のオフィス。もちろん東京だよ。確か日曜日だった。誰もいないフロアで歌を聴かされた(笑)。聴き手は俺と事務所の社長の2人だけ。まいったよなあ。だって考えてもみてよ、男3人が並んでさ、俺のためだけに歌うんだぜ。恥ずかしいのを通りこしてドキドキしちゃったよ(笑)。目のやり場がなくてずっとうつむいてたのを鮮明に覚えてる。それがデビュー前のこと。あれからもう、何年たつんだろう。立派になったよなあ。
この前、富山にキャンペーンに来た時、久々に会ったんだけど、昔と全然変わってない。ヘアスタイルとかファッションとかはちょっとだけ垢抜けしたかかも(笑)。そこがあいつらの最大の魅力かもね。とっつきやすいというか・・・。でも、驚いたのは、あいつらの記憶力の良さ。富山に来た時のこと、ほんとによく覚えてくれてて、けっこう嬉しかったな。
ほら、テレビ番組で一躍有名になっちゃったじゃない。だから、ちょっとだけ心配はしてたんだよね。浮き足立っちゃうんじゃないかってね。なんたってお互い田舎もんだからさ(笑)。でも、そんな心配は全く必要なかったよ。着実に自分たちのスタンスを確立して、いい感じで活動できてるみたいだし。まっ、これからもよろしくな。またライブが見たいね。でも、1人で見るのはもう勘弁してくれ。今度はぜひ富山のファンの前で頼むわ。期待してるで。



2001年04月14日(土) D30:体重が減った

【四方山日記〜その30】 体重が減った

会社を辞めてから体重がおよそ7Kg減った。理由ははっきりしている。そもそも音楽業界というところは、夕飯がめっぽう遅い。夜の9時、10時からというのはざらである。キャンペーンやライブが終わってからだから、それぐらいの時間になってしまうのも仕方のないことではあるが。しかし、こと健康という観点からみると、これは非常によろしくない。まず、食べ過ぎる。そして酒が入る。あとは寝るだけ。おまけに運動不足。これでは体重増加もあたりまえで、自分の体重を例にとってみれば、20歳の頃より10Kg近く増えてしまっていたものだ。だから、会社を辞めるということは、イコールこういった習慣が改善されるということでもあり、そんなに努力もせずに顕著なダイエット効果が見込まれるのだ。加えて最近は、週3回ペースでエアロバイクを漕いでいる。去年の夏からやっているので、もう8ヶ月ぐらいになる。まあ、運動という意味では、まだまだ物足りないと思うのだが、やらないよりはマシであろう。実はこのエアロバイク、何を隠そうあの坂本サトルに紹介されたシロモノなのだ。だから・・・ただそれだけのはなしである。



2001年04月08日(日) P30:高所恐怖症

【虎の自叙伝〜その30】 高所恐怖症

だいたい高い所が苦手なのである。子供の頃は、歩道橋ですら怖かった。理由は定かでない。物心ついたときからそうなのだ。
小学生の時、初めて名古屋のテレビ塔に上った。それも階段で。あの階段上りは本当にびびる。なんせ階段の隙間から景色が丸見えで、気分はまさに空中浮遊なのだから。手すりに掴まりながら、ゆっくりゆっくりだ。特に怖いのは、下りの人とすれ違う時。必ずといっていいほど、その場に立ちつくしてしまう。初心者が車の運転で対向車とすれ違う時の心境だ。あれ以来、テレビ塔には上ってない。
こんなんだから、スキーは一度もやったことがない。理由はリフトが怖いから。リフトから落ちた人の話なんかを聞かされたらもうダメだ。あとは遊園地。初めて回転コースターに乗った時は、ほとんど目を閉じてた。バンジージャンプやスカイダイビングなんかやる人の気がしれない。それでも、今は少しはマシになった方だ。でも、ときどき大空を飛んでいる夢を見ることがある。何かの暗示なんだろうか。それとも・・・。



2001年04月03日(火) M24:aiko

【音楽見聞録〜その24】 aiko

このコーナー、3月はなんと1回しか書いておりません。情けない!ということで、今月はバリバリいこうと思っております。さて、どうなりますやら。
まずは新年度1人目、aiko。今やミリオンアーティスト。いやいやスゴイもんです。
そもそも彼女を知ったのは、デビューシングル「あした」がリリースされた1998年7月。はじめてオンエアした番組は、当時ディレクターをしていた「未○派ヒ○ト最○線」。時間は夜8時55分ぐらい(笑)。なぜか気になってね。それからもちょくちょく番組で紹介してたわけさ。そしたら、ある男から電話が。それがこの曲を作曲したコモリタミノルだった。5年以上ぶりだったと思うけど。昔はよく富山にもきてたんだけどね。この男、今や業界では知る人ぞ知るソングライターで、SMAPや深きょんらの曲を作って稼いでるみたいだ(笑)。そいつが「aikoって知ってる?」って聞くもんだから、「おう、知ってるよ」って答えてやったらえらく驚いて「なんで?」って言うもんだから「いい曲だから」って返事してやった。なんでもその当時はaikoがデビューしたばっかで、いい曲なのにあまり浸透していないことに彼自身、相当な危機感があったみたいで、音楽業界の知り合いに片っ端から連絡してたみたい。
で、俺はというと、これってひょっとしてシンクロニシティ?って思っちゃったりしたもんだからパワープレイで集中オンエアってことになったわけ。そしたら、富山県内でじわじわ浸透してきて、気が付いたら何百枚って単位で売れてたって次第(笑)。
でも、こういうのがエリアヒットなんだよね。だから富山のリスナーはほんと自慢していいと思うよ。なんせ、デビューの時から支えてきたわけだから。全国のヒットチャートで、この曲が上位にランクインしてたのは、大阪と富山だけだったんだぜ。大阪は地元だろ、ってことは・・・すっげえなあ、富山。
てなことで、キャンペーンでめでたく本人とご対面となったわけだ。印象?そうだねえ、初対面なのにすっげえ元気で声がでかい。そしてちっちゃい(笑)。まあそれは置いといて、とにかくエネルギーが凄いのよ。いつ会ってもパワー全快って感じ。そして誰とでもすぐ仲良くなれる。これはきっと性格んだろうね。疲れた顔なんか見たこと無いな。だからみんなaikoが大好きなんだよね。
aikoをはじめて知った時から、3年近くがたった訳だけど、今でも当時とほんと変わらないね。あいかわらず元気でちっちゃい(笑)。でも、彼女のデビューから現在までをこんなに近くで携わることができたことは、本当に誇りに思うよ。サンキュaiko。そして、これからも富山をよろしくな。


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