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セクサロイドは眠らない

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2004年06月02日(水) 「どうして、僕が腕を失ったか。話したかな?」「聞いてません。」「僕が、自分で切り落としたのさ。」

今日こそは、勇気を振り絞ろう。

私は、その屋敷の、張り出したベランダで遠くを見ている美しい青年のことを考える。

いつもいつも、この道を通っている私に、彼は気付いているかしら?

道端から大声で叫んでも、私の声は彼の耳に届かないんじゃないかしら?

もう、何年も恋している。彼がいつからか、ピアノを弾くのをやめて、何もしなくなったことも。毎日、ぼんやりと外を眺めているだけのことも。体を動かすことさえ億劫がって、座ったまま、彫刻のように美しい横顔を通りにさらしていることも。身の回りの世話をする女性が常時何人もいることも。

私は、今日、勇気を振り絞る。

だって、明日は二十歳になるんだもの。

二十歳になった途端、きっと私は、どうしようもなく意気地なしになるにちがいない。

だから、今日。

--

待っている間、屋敷のドアの前で小さく身震いする。

そして、私は、その屋敷に迎えられ、彼の部屋に通された。

初めて間近で見る彼。私は、小さく、あ、と驚いた。彼には両腕がなかった。何という事か。彼に恋して、毎日彼を見ていたつもりでも、私は彼のことを何も知らなかった。

「私のこと、ご存知でしょうか?」
私は、その冷たい美貌に問い掛ける。

「ああ。知っているよ。毎日ここを通ってる。」
「私、あなたの事、ずっと考えていたんです。」
「僕のことを?随分と物好きだな。」
「ええ。だって。あなたのことを好きになってしまったんですもの。」
「はは。馬鹿馬鹿しい。」
「本当です。あなたのそばにずっといたくて。」
「きみが僕の何を知っているというんだ?」
「何も・・・。多分、何も知りません。」
「だったら、どうして、好きになんかなれるんだよ。」
「ピアノ。」
「?」
「ピアノをずっと弾いていたことを知っています。素敵でした。」
「ピアノを弾く奴なら幾らだっているさ。それに、もう、このとおり。ピアノなんか弾けない。」
「分かってます。でも、もう弾けなくても、あなたが好きなんです。」

彼は、あきれたように笑った。

そばにいる使用人の一人が、彼の口にグラスを持って行く。

「ほら。僕は、飲み物だって一人で飲めやしない。」
彼は、ゲラゲラ笑った。

多分、グラスの中身はアルコールで。彼は、もう、既にかなり酔っていた。

「きみも何か好きなものを飲むといい。」
彼が言うから、レモネードを頼んだ。

「酒は?」
「まだ飲めません。私、明日、二十歳になるんです。」
「真面目なんだな。」

彼は、それから、延々と、酒を飲み、私とくだらないおしゃべりをした。

そして、夜が明ける頃、私達は、結婚の誓いを交わした。

--

「いいかい?僕のそばにいて、何か面白いことがあるなんて期待しちゃいけない。僕は何もしてやらない。お前も好きにしていいさ。」
彼が言う。

私は、それでも、勝手に彼の傍らで眠り、使用人に代わって彼の唇にスープを運ぶ。

そんな日々でさえ、恋する若い心には、楽しくてしょうがないものなのだ。

彼は時折、イライラして、誰も寄せ付けなくなる。私のことも。

そこいらのものを蹴って壊し、悪態を吐く。

そんな時、私は、涙をこらえて彼の姿を見守る。目を逸らしてはいけないような。そんな気がしたから。

--

ある日。

部屋中のものをめちゃめちゃにして、ぐったりとソファに横たわる彼のところへ行くと、彼が話し掛けて来た。

「あきれたかい?」
「いいえ。」
「まだ、最初だからだ。みんな愛想をつかす。」
「私は。だって、あなたの奥さんですもの。」
「どうして、僕が腕を失ったか。話したかな?」
「聞いてません。」
「僕が、自分で切り落としたのさ。」
「まあっ・・・。」
「無論、一人じゃできない。僕を一番可愛がってくれていた使用人に命じたんだ。」
「そんな・・・。」
「その使用人は、首になった。腕を失ってピアノが弾けなくなった僕は、一族の厄介者になり、この屋敷に閉じ込められたんだ。」

私は、泣いていた。

「泣くなよ。」
「だって・・・。」
「僕は、解放されたかったんだ。」
「これが、あなたの望んだ解放ですか?」
「ああ。そうだ。ピアノなんか弾けない役立たず。」

私は、そっと彼を抱き締めた。

ピアノから逃げ出した今でも、こんなに自分を責めている。

「僕は・・・。」
皮肉な笑みを浮かべながら、彼は笑って言う。

「きみを抱き返さないよ。」

分かってる。

それから、朝まで、彼の背中にしがみついて、私は眠った。

--

私は、彼を抱き締める。

それしか、術がない。

そんな時、彼はなぜか、私から顔を背ける。

--

とても悲しい現実。

不思議な事に、私は、彼より長生きすると思ってた。それなのに、知らぬ間に蝕まれていた私の体。

「まだ、若いですからね。癌というのは、若い肉体と相性がいい。」
医師は、悲しそうな顔でそう言った。

私は、泣いた。

あの人のそばに居てあげられないことで、泣いた。

--

「何なの。これは。」
彼は、また、鼻で笑った。

「随分とお金が掛かったの。あなたの新しい腕。」
「要らないよ。こんなもの。」
「お願い。ね。」
「なんでさ。腕なんか、要らない。」
「私のために。」
「きみの?」
「ええ。この腕をつけて、私を抱き締めて。」

彼は、しばらく黙り込み、それから、笑い声を上げた。
「馬鹿な。きみが何を期待しているか知らないが・・・。」

彼は、背中を向け、もう二度と私の方を向いてくれなかった。

--

「さようなら。」
私は、朝早く、鞄一つでここを出る。これ以上、ここにいたら、彼に病気のことが知られてしまうから・・・。

さようなら。

使用人の女の子達は、皆、泣いた。

--

そこに残されたのは、一対の義腕。

彼は、そばにいる使用人に頼む。

「これ、どうやって使えばいいのかな・・・。」

彼女は涙をこらえて、その腕を拾い上げる。

彼は微笑む。
「案外と・・・。違和感がないものだな。」
「ええ。奥様は、旦那様の体を知り尽くしていましたわ。」
「僕は・・・。」

彼は、そっと自分の体を。その新しい腕で自分自身を抱き締めた。

寂しい夜は、眠れないんだ。きみが抱き締めていてくれないと。誰かがぬぐってくれなければ、涙も流せやしない。抱き締めて欲しいなんて、きみはひどい嘘つきだ。

本当に抱き締めて欲しかったなら、なぜ今、ここに君はいない?


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