つらつら日記
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2005年04月30日(土) |
30周年にもかかわらず、牙をむいて襲い掛かる奴ら |
7時起床。 とりあえず、楽しまなくちゃ!と宿を出る。 きのう見たスラム街は明るさを取り戻して、幾分違って見えた。バンコクのカオサンぽい、でもそこまで退廃的な感じも無い、いい感じのストリートだ。
さてさて、市内散策。 街中方面に歩いていく。 ベンタイン市場。日本で言うと築地と合羽橋と浅草仲見世と六本木ヒルズとが混じった感じですかね。ここの食堂でフォー食べる。うまい。 やっぱり香草の量が違う。史上最大に多い。サラダかと思うくらい。 負けず嫌いだから、出された分をワシワシ食べる。 どの国に行っても、やっぱり市場が一番面白い。その国の根っこになる部分が一通りそろってる。
市場を抜けて、さらに中心部へ。 どの店、どの家にもベトナム国旗がかかっている。何で?と思って思い出した。 今日はベトナム戦争終結30周年記念日。そんな記念日に、ベトナムにいるというめぐり合わせにちょっとだけプレシャスな気持ちになったりして。 市民劇場とかのフレンチコロニアルな感じに、さすがプチパリと感銘を受けたり。 この辺になると、警備が物々しくなる。どうやら軍事パレードがあるらしい。 共産圏の軍事パレードって、北朝鮮とかがよくやってるみたいに、労働1号とかが出てくるのかなと思ったけど、そんなに彼らのパレードがきびきびしているとも思えないので無視して市内観光続行。
10時のおやつに「ニューラン」という老舗の食堂でフランスパンサンドイッチ。 ランチを、下町の蟹フォー屋でとる。
ランチ後、チャイナタウンに行こうと思ったので、バイクタクシーに1ドルで乗る。 が、ビンタイ市場とベンタイン市場を取り違え、朝の市場に戻される。 気を取り直し、お洒落なコーヒーミルなどを買う。 その後、一度宿に戻り、態勢を立て直し、散策後、スーパーで買い物。 スーパー、なかなかの盛況ぶり。
夕食は屋台で海鮮三昧。海老のココナツジュース蒸し、海鮮チャーハン、ビール等。
で、夜9時半の(昨日自分が乗ってきたのと同じ)便で到着するヤクシを迎えに空港へ向かう。
9時半過ぎてもヤクシ来ず。いったいこういうこっちゃ。 飛行機自体は今日はディレイせずに着いてるし。まさか、広州で乗り換えそこなったか。あの不親切な看板ではそういうことは十分に考えられる。それか、ベトナム入国拒否されているのか。 やきもきしつつ1時間半くらい待っては見たものの、一向に出てくる気配はないので、意を決して、自分の自宅に国際電話をすることに。何かあったら、とりあえずうちの自宅を中継点に連絡を取り合おうということにしていた。 で、「電話はどこだい?」と空港の売店のおばちゃんに陽気に問いかけると、黙ってカウンターを指差す。ビシッと。 おいおい。あんなには口っつうもんがないのかよ。 大体あのカウンター、誰も人いないじゃん。自分が探してるのは公衆電話。 と切り返しても、無言でカウンターを指差すだけ。ああ、そうか、この人はたぶん国家反逆罪か何かで、喋ってはいけない刑を今受けているわけね、と納得させて他のおばちゃんに聞いてみる。 答え一緒。公衆電話はこの空港なし。カウンターでかけろ。とのこと。 おい。どこの国の国際空港で公衆電話がないとか言いやがる。ふざけるのもいい加減にしろ!こっちは遊びであんたらの共産ごっこに付き合っているわけじゃないんだ。この異国の、しかも赤い土地で、友達と会えるか会えないかがかかってるんだ。と抗議してもなしのつぶて。ここには公衆電話はないし、カウンターの電話も交換手は帰っているから掛けられないと。 ベトナム、本日もガブガブと噛み付いてきます。
どうすれば確実に国際電話を掛けられるか10秒で考え、タクシーを広い、いったんホテルに退却。いや、名誉ある撤退。 タクシーに10ドルとか、軽くボラれつつ、宿に帰りオヤジにコトの顛末を話す。 いたく同情するオヤジ。早速オヤジの回線で国際電話をコール。 母が出る。母いわく、ヤクシからの連絡によると、成田から広州の便が都合で出なかったので、全日空の成田発ホーチミンの直行便に振り替えになったので、24:30に空港に着くとのこと。 来たよ、中国南方航空、いや中国国家挙げてのお得意の遅れフェイント攻撃。 どこまで苦しめますか。罪なき私を。 慌てて、空港に引き返す。
実は、ヤクシを待っている頃から、急におなかがきゅるきゅる言い始めて、ただ事じゃない雰囲気があったのだが、再度空港に向かった辺りから、私は「お腹非常事態宣言」の発令をした。かつて経験したことのないヤバさ。 あの屋台が原因に違いない。何があたったかはわからないが。 しかも薬一切持ってきていない。昼の快適だったお腹がいとおしく思う。 一触即発のお腹を抱え、空港に着くとヤクシ登場。 ヤクシに急いで正露丸をもらい、空港のトイレに駆け込もうとするが、トイレ、クローズ。 おばちゃんに「もう閉まったよ。明日の朝まで開かないね、へへん。悔しかったら資本主義の力でトイレでも作りな。」(多分)と言われる。 とりあえず、ホテルに帰るまではまだ何とかもちそうだったので、またも軽くボラレながらタクシーでホテル帰還。
なんでも、ヤクシの乗る予定の飛行機は、最初機材不良で2時間遅れた後、さあ出発という段になって、中国の軍事演習が始まったので欠航という、屈辱ものの理由だったらしい。あのー、あまりに舐めたことしてると、本気で怒るよ。日本人のゴールデンウィークを何だと思っているんだ!中国政府は。 ヤクシは乗り換えなく、全日空で来れたことにご満悦の様子ではあったが…。
ホテルに着き、オヤジにそれはよかった!とご機嫌で迎えられ、ヤクシを部屋に案内。 ヤクシ絶句。もう少しいい部屋だと思ったらしい。自分も余裕がありゃ、もっとプチパリの香りする部屋を取ったよ。 今、表現するなら、映画「ザ・ビーチ」でディカプリオがバンコクで泊まってた安宿みたいだ。ヤモリもアリさんもいるし。
さてさて、非常事態宣言まで発令されたお腹は、見事にホテルで暴発し、ホーチミン解放30年目の夜をほぼトイレで過ごすこととなったことは、言うまでもない。
4月は新入社員教育に忙殺され、ほぼ会社泊まりこみの毎日。 日記の更新も滞ってしまった。結婚準備?それなりにしております。
さて、独身最後?の旅行ということで、ゴールデンウィークに「ベトナム」と、この時期にまさかホンマにいくんかいとさまざまな批判を受けながら「中国」に行ってきました。マジで。 だって、中国経由しないとベトナム行けないんだもん。安い航空券だから。
昼すぎ、関空発。経由地の中国・広州に向かう。 関空はGW初日にもかかわらず、あんまり込んでいない。 飛行機は中国南方航空。もう機内食から投げつけんばかりの勢い。 青島ビール(推定20円くらい)に酔いしれる機上の人。
さて、広州到着。ベトナム・ホーチミンに向けて乗換えをしないといけないわけだが、降りようとすると機内アナウンス。 トランジットでも、入国審査して、預けた荷物を受け取り、また出国審査しやがれって。変なのと思いながら空港へ。 新しい空港は、仁川や関西と同じような、近未来的な感じではあるが、空港の動線が悪すぎる。 いったいどっちが出口で入口なのか。看板はあるけど、非常〜にわかりずらい。 さすが共産国家。素敵なくらいにお客さま意識がない。といきなり納得。 この辺りで、もう敵対心丸出し。怒り肩で入国審査。 と、日本人のオヤジがイミグレをビデオで撮影していていきなり公安警察に逮捕。 逮捕っても、恐ろしく無表情でつるし上げられて、テープ削除させられて、収容所に入れられたくらいでしたが。(あ、最後のは嘘)
で、入国審査した後、荷物をピックアップし、再度出国手続きに向かおうとするが、行き先わからず。 トランジットインフォメーションって書いてるカウンターにいくと、中国人7人くらいで一人の旅行者の世話をしている。もう、アホかと。 一人に一人でいいやんか・・・。だから共産国家は非効率の塊なんだよ!と愚痴を言いそうになるが、そんなこと声を出して言うと、さっきのオヤジみたいに捕まるから、とりあえず心の中で叫ぶ。捕まるとすれば、国家侮辱罪じゃなくて、秘密漏洩罪だな。 (昔のロシアンジョークで『ある男が赤の広場で、「スターリンの大馬鹿野郎!」と叫んだところ、秘密警察に逮捕され、強制収容所送りになり、刑期は二十五年だった。その内訳は、国家元首侮辱罪で五年。国家機密漏洩罪で二十年だった』というのがあったな) で、背面服従で、わー素敵な国家体制だこと。と賛美しながら出国審査のところまでたどり着く。 無愛想で冷酷な、役人の中の役人って感じの審査官にハンコをもらい、いざ出国。ざまあみろ中国。
と思ったら甘かった。中国はやはり牙をむいて襲い掛かってきた。 飛行機四時間遅れ。 広州19:20発 ホーチミン21:30着の予定が、 広州23:20発 ホーチミン25:30着ってどういうことや。 しかも、どうして遅れたか説明なし。ひたすら何時に出発予定に変わったのみの説明が繰り返されるだけ。中国語ではしてたのかも知らんが、英語では少なくとも無かった。 確かに、広州、すんごい雨と雷だったけど、そんなん正味1時間も無かったし、もう嫌がらせとしか思えない暴挙。 で、お詫びかなんか知らんけど、水と缶詰配ってるのはいいけど、そのアナウンスも無し。また缶詰ゲロマズ。甘い穀物粥みたいなの。一口食べて悔しいから放置してきた。 (と、この辺まで書いたところで中国に対する激しい憤りが思い出されて悔し涙が出てくる。) で、23時も過ぎて、やっとこさ出発ってのに、いまだにアナウンスは「22:30に出発予定のホーチミン行きCZ387のお客様は搭乗口から登場ください」とかて言ってんの。もう今は23時だぞと、どの面下げて22:30やと!?と、どつきまわしたい気持ちを、抑えて抑えて機内へ。 このアナウンスだって、英語をうまく訳してこんな感じだけど、多分向こうのしゃべっているニュアンス的には、「お客様」じゃなくて「乗る奴」、「登場ください」じゃなくて「とっとと乗りやがれ」なんやろな。
いやぁ、空港から一歩も外に出ていないのに、襲い掛かってきた共産主義・中国。 いやいや、本当の目的はベトナムだー。と思ったのもつかの間。よく考えたらベトナムも共産主義の国でした…。 ホテルも決まってないのに、夜中の2時ごろ到着ってどうしよう…と深い悩みを乗せて、飛行機はテイクオフ。
ガイド本と首っ引きで調べて、リーズナブルなホテル街でなんとか宿を取ろうと決めて、ベトナム入国。 中国よりははるかに動線もしっかりしてて、なかなか。と思ったのもつかの間。 タクシーぼったくられ。 なにが何でもメーターで乗せてもらわなきゃと思って、タクシーに「メーター?」ってきいたら、「もちろんメーターだよ」っていうので、安心して乗ってみたら、なんかメーターの桁が一つ多い…。要はメーターに細工がしてあるタクシーにまんまと乗せられたということ。 日本円で2500円くらい取られました。しかも、スラム街みたいなところに放り出されて。(ま、これは当初の指示の場所だったんだけど)いきなりベトナムも牙をむいて襲い掛かってきました。
で、ガイドブックで目をつけていたホテルアンアンに突撃! 残念ながら満室ってことで、親切な?(いやコミッション目当てだろな)ホテルの人が回りのホテルを当たってくれる。 この時点で全部のホテル、ドアが閉まっている。呼び鈴を押してホテルの人をたたき起こす。 5,6軒まわるも全部ダメ・・・。 おいおい、どうしよう。すげなく笑って去っていくアンアンの人。 馬鹿でかいスーツケースを脇に立ち尽くす日本人。 どう考えても襲われるなら、今です。て言うか、今ベトナムという国家に襲われています。 そのとき、振り返れば一筋の光が!! 「HOTEL KIM」堂々営業中。このすべてのホテルのドアが硬く閉ざされた中、来るもの拒まずといった風に、明々とオープンしている姿は安宿界のセブンイレブン。 さっそく助けを求める。 オヤジいわく部屋は12ドル。もう、何でもいいから泊めてくれ状態。オヤジが20ドルってもOKしただろう。オヤジ、ボリそこなう。 お部屋拝見。ぱっと見はイギリスのフラットの一室みたいな感じ。ぜひ泊めてくれと懇願。
オヤジが去り、改めてお部屋をチェックする。 疑問1.なぜバスタブの排水溝がコンクリで埋められているのだろう。(水が流れない) 疑問2.なぜオヤジは「シャワーはアウトサイドで」と言ったのだろう。(ユニットバスだからアウトサイドって、トイレ側ってことだよな) 疑問3.なぜ冷蔵庫が無いのだろう。(暑いのに…) 疑問4.なぜ毛布がこんなにも汚いのだろう。(絶対洗ってない…) 疑問5.なぜスリッパが薄汚れているのだろう。(ベトナムにも水虫で苦しむ人はいるのだろうか) とさまざまな疑問点が浮かび上がるが、とりあえず考えないことにして、トイレに座りながらシャワー浴びて就寝。
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