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2024年04月30日(火) 次男のダイエットと野球

次男は国際親善大会に57キロで登録していたのですが、5日前に61.7キロでした。3キロ以上体重が違うと失格になってしまうので、そこから5日間で2キロのダイエットが始まりました。頑張って毎日身体を動かして食事制限をしたら試合当日は58.6キロまで落ちていました。よく頑張ったと思います。今日はトレーニングをしてから夕方に子供達と土手で野球をしました。子供達と野球をするのは初めてです。たぶん最後に野球をしたのは高校の球技大会以来だと思います。私はボールを投げるのも取るのも打つのも下手ですが、頑張って子供達と野球をしました。なかなか楽しかったです。


2024年04月29日(月) 空手の先生とききハンバーグの話

私は空手の道場を先生であり経営者です。でもその前に私は空手の求道者です。空手でご飯を食べている訳ですが、別に空手で大金持になろうとしているわけではありません。自分が空手の稽古が出来て、道場をしっかりと運営出来て家族が幸せにご飯を食べて行けるぐらいの生活が出来るぐらいのお金があれば、それ以上の望みはありません。なので私は自営業の社長や経営者とは思っていません。空手の先生とは強く思っています。子供達の成長を見ることが出来るこの空手の先生と言う仕事が出来ている事に幸せを感じています。人の成長に関わる事が出来るこの仕事が私はとても好きです。生徒達から力をもらう事もたくさんあります。生徒達から喜びや幸せをもらう事もたくさんあります。やっぱり自分はこれをやるために生まれて来たんだろうなと思います。というよりこれ以外に自分がこの社会で役に立つ事はありません。だから私はずっとこの道を行きます。今日は次男が、ダウンタウンのガキの使いでやっていた、ききハンバーグをやりたいと言うので、レトルトハンバーグを7種類買って来てやって見ました。次男と長男と私は見事に外し、妻は当てました。「私が食べたのは〜ハンバーグではございません。」と言う時にちょっと笑ってしまいます。長男がハンバーグが好きだと言ってたくさん食べていました。長男はあまり食べないので、食べている姿を見るととても幸せな気持ちになります。


2024年04月28日(日) 国際親善大会2日目終了

国際親善大会が終わりました。東京城南京浜支部からは18名が出場し3名の入賞者を出す事が出来ました。みんな本当に頑張りました。3人の勝利はみんなの勝利です。みんなで頑張って来たから勝つ人が生まれた訳です。そして勝った人はいつも一緒に稽古している仲間やお父さんお母さんや大会を作ってくれた極真会館の関係者にも感謝して欲しいと思います。負けた人は次は自分が輝いて見せるんだと言う気持で次に繋げて努力して行って欲しいと思います。私も子供達の頑張っている姿に感動させられましたし、力をたくさんもらいました。その力をまた生徒達に返して行きたいと思います。私は型は第7コートの主審を務め、組手は第3コートの主審を務めました。試合を裁きながら、勉強になる事やこれからの稽古のヒントをたくさん見つけました。通い合宿ではそれをホットなうちに指導して行こうと思います。


2024年04月27日(土) 国際親善大会とわんぱく相撲

本日は国際親善大会初日が行われました。みんな本当によく頑張りました。私の長男も出場しました。1回戦で敗けてしまいましたが、3歳から空手を始めて、幼稚園生の時からずっと国際親善大会に出場しているので大したものだと思います。敗けたとしても、健康に育って空手を辞めずに試合に出て頑張っている姿を見せてくれているのだから、本当に親孝行な子供だと思っています。それだけで私は十分に満足しています。長男が試合に出る事でどれだけ私が熱い気持ちになって楽しませてもらっているか分かりません。本当に本当にありがとう!と思っています。次男はわんぱく相撲の大会でした。初めて1回勝ったそうです。良く頑張ったと思います。長男にも次男にもこの結果をこれから先の人生の糧にして頑張って欲しいと思います。この結果にいつか感謝出来るように明日からまた頑張って生きて欲しいと思います。


2024年04月26日(金) 今日から戦いが始まります

今日から戦いが始まります。朝は7時30分に起きて、8時40分に矢口渡のトレーニングジムで背中のトレーニングをし、帰宅してストレッチをして、ご飯を食べてから、東京体育館で行われる審判講習会に行くために、自転車で蒲田駅まで行きましたが、駐輪場がどこもいっぱいのため大森道場まで自転車で行き、大森駅から千駄ヶ谷まで行きました。大森道場まで自転車で行ったため30分以上のロスタイムがありましたが、12時50分には東京体育館に着きました。13時30分から15時まで全世界の支部長で審判講習会をし、池袋のメトロポリタンホテルで行われる大山倍達総裁の三十年慰霊祭と国際空手道連盟極真会館創立60周年記念パーティーに参加するため池袋に行きました。大山倍達総裁の三十年慰霊祭と国際空手道連盟極真会館創立60周年記念パーティーに参加出来た事はとても光栄でした。最初は極真空手をテレビで見て、極真空手を始めて、チケットを買って大会を観戦していた自分が大山倍達総裁の三十年慰霊祭と国際空手道連盟極真会館創立60周年記念パーティーという節目の場にいる事は自分の夢が叶い続けている証です。自分が人生をかけるほど好きになった極真空手を未来に繋ぐ事が出来る仕事が出来ている事に幸せを感じます。70周年80周年の時も自分がその場にいる事が出来るように頑張って行きたいと思います。


2024年04月25日(木) 帰宅すると長男が

指導が終わり家に帰宅すると長男が「今日は巨人が勝ったよ!しかも坂本が打ったんだよ!菅野も凄かったよ!」とハイテンションで言って来ました。そして私にプラスチックで出来たボールを投げてみせ「俺の球、速くねー!俺プロになれんじゃねー!」と言って来ました。野球もやっていないのにプロ野球選手になれるわけねーだろ!普通の大人はそう言うのでしょうが、私は「お前がそう思うのならなれるのかもな。」と言いました。これはお世辞で言っている訳ではありませんし、呆れて言っている訳でもありませんし、適当に答えてる訳でもありません。その人がなれると信じているのなら可能性はあると私は本気で思っています。せっかく若いのですから、思いっきり夢を見て、思いっきり夢を追いかけて、思いっきり青春して欲しいです。叶う叶わないは関係ありません。夢を見て夢を追いかけて損をする事なんて絶対にありません。たとえ夢が叶わなかったとしても夢は絶対に持った方が良いです。夢を追いかける道中でたくさんの物を得る事が出来るからです。そこで得た物が一生の財産になります。若者の特権は夢を持つ事が出来る事です。夢を追いかける事が出来る事です。そして可能性が無限大だと言う事です。そして夢を追いかける道中、思いっきり青春して楽しんで欲しいと思います。だからどんな馬鹿な夢でも、どんな不可能に近い夢でも、どんな小さな夢でもいいから夢を持って欲しいと思います。そして自分がそう思うなら恥ずかしがらずに口に出すべきです。口に出した瞬間に夢に一歩近づきます。長男は夢の話をたくさんしてくれるので、話していると本当に幸せな気持になります。


2024年04月24日(水) 強くなりたい!

私は自分に自信がない人間でした。それもそのはずで私は小さい頃は頭も身体も発達が遅く、そのせいで頭も身体も人より弱く劣っていました。そのせいで心まで人より弱くなってしまい、自分は弱い人間だ自分はダメな人間だと思っていました。なので何をやるにも人より劣っていました。初めてやる事も人より上手く出来るはずがないと思っていたので、自然と何をやるにも自分に自信が持てない人間になってしまいました。では何故、自分を変える事が出来たのか?それは強いヒーローが好きで、自分もいつかそうなりたいと言うヒーロー願望があったからです。自分が弱いから強いヒーローに、人より強い憧れを持ち、自分が弱いから憧れのヒーローのような強い人になりたいと、人より強く思ったのだと思います。強くなりたい!弱かった自分がそう思った瞬間に、私の身体の中に小さいけれど、とても熱い火が生まれました。その時に付いた火は何が起きても消える事はありませんでした。それどころかさらにさらに大きな熱い火となって行きました。今も私の中でその火は消えていません。私の中では、強さとカッコ良さはイコールでした。強い人はみんなカッコ良く見えました。今でもそれは変わっていません。だからもっと強くなって、もっとカッコ良くなりたいと思っています。肉体的にも技術的にも精神的にも人間的にも強くなりたいです。そして優しい人間になりたいと思っています。


2024年04月23日(火) 心身に受けた影響

股関節を人工股関節にした手術から約12時間足を固定され、手術中に20%の血液が出血してしまったため頭を起こす事が出来ず、身体にも力が入りませんでした。ヘルニア持ちなので腰が凄く痛くなってしまいました。腰と手術した場所が激痛で痛いのですが、出血のため血圧が80以下に下がってしまい、強い痛み止めが使えませんでした。そして水が飲めないため喉も乾き、身体も火照って熱くなり、ジトーっとした脂汗が出るほどでした、痛みと乾きで一睡もできず12時間、暗闇の中でずっと苦しみと戦っていました。12時間後の朝の6時に水が飲めるようになり、足を固定から外してもらい、楽にはなりましたが、そこからまた2日間、眠れない程の痛みと戦いました。その時に心身にかかったストレスで私は髪の毛のもみあげの所が真っ白に白髪になり、左耳が突発性難聴になりました。これで終わりかと思いきや、その時の心身にかかったストレスで私はもう一つ病気を抱える事になりました。私は楽観的なので全然気にしていません。病院でその診断がされた時はショックを受けましたし、その病気の事は誰にも知られたくないと思いました。本当は誰にも話さないつもりでしたが、良く考えて妻にだけは話す事にしました。妻がそれを知っていなければ、私の身体に異変が起きた時に対処出来ないですし、自分の人生を私に預けてくれた妻にだけは話しておかなければ行けないと思いました。妻は黙って私の話を聞いてくれました。あとは誰にも話すつもりはありません。子供達にも話していませんし、両親や兄弟にも話すつもりはありません。まあある意味では死に近付く程の体験をしたわけですし、自分の限界に近い人生最大の苦しみを体験したわけですから、それはそれなりの後遺症が心身に出るのは仕方の無い事だと思います。でも私は自分の心身に起きた事をしっかり受け入れて、しっかり付き合って生きて行こうと思います。今日もたくさん薬を病院でもらって来ました。もう少し頑張って治療をして行こうと思います。そして今日も思いっきり稽古をしました。思いっきり稽古をして汗を流し、大きな声で気合いを入れれば心身共に元気になるものです。私はいたって元気です。ある意味では手術の前より元気です。神様に少し50歳らしくなるようにしてもらったと思っています。


2024年04月22日(月) 突発性難聴の症状

左耳が突発性難聴になった事をこの日記で報告させて頂いた事で、たくさんの道場生やご父兄様にご心配頂きました。あたたかい言葉をかけて頂いたり、耳に良いと言う品を頂いたりしました。本当に本当に感謝しています。聴こえない事に慣れてきたのか?耳の聴こえも良くなっている気がしますし、耳鳴りはほぼほぼなくなりました。目眩はまだ少しありますが、自分的には思っていたより良くなっている気がしています。道場生、ご父兄様の期待に応える指導が出来るようにしっかり身体を良くして頑張りたいと思います。


2024年04月21日(日) 幸せな休日

長男も次男ももう一丁前になって来ました。まだまだ可愛い癖して一丁前に反抗してきたり、一丁前に憎まれ口をたたいて来たりします。そんな口が聞けるぐらいの歳まで元気に成長したのだからと思いながら、長男と次男の言葉を「可愛いな!君たちの声を僕が受け止めてあげるよ。苦しゅうない!」と言う気持ちで聴いています。もちろん頭に血が登る程に腹が立つ日もあります。今、長男が歯を磨き寝室に行く時に「パパおやすみ!」と言って通って行きました。その一言で私は今日一日がとても幸せな一日となります。寝室から妻と長男と次男の笑い声が聴こえて来ます。それだけで私は今日を幸せな一日と思う事が出来ます。個人レッスン5回やって、ゆっくりお風呂に入ってビールを飲みながら家族で食事を出来た今日という日は最高の一日でした。


2024年04月20日(土) 入院中に

朝、大森道場へ自転車で行く道中で、私が股関節を人工股関節にする手術をした時に入院していた病院に、入院していた方を見かけました。今も少しびっこを引いて歩いていました。歩いている格好から頑張ってリハビリしているように見えました。入院中その方は私と同じぐらい痛みに耐えているように見えました。お互いにあの時は大変だったと思います。でも今はお互いに退院して元気になったので良かったなと思います。その方はまだリハビリ中のようだったので頑張って欲しいと思います。きっと元気に元に戻ると思います。その方の横を通り過ぎる時にそう祈らせて頂きました。


2024年04月19日(金) 座右の銘

今日の筋トレクラスで生徒達とベンチプレスをやりました。ベンチプレスは肩を痛めるのでもう半年ぐらいはやっていません。何故かインクライベンチプレスは出来るので、それをやっています。少し前にも生徒達に混ざってベンチプレスをやったのですが、100キロを1回出来ました。今日は100キロを1セット目は4回、2セット目は3回出来ました。火曜日はみんなチンニングが出来ないので、チンニングを10回2セットやって見せました。ウエイトトレーニングをしっかりとやっているので、私の体重は100キロなのですが、自分の体重をベンチプレスで4回、チンニングで10回、スクワットで10回出来るようになりました。51歳にしてはなかなかやる方だと思います。無理をすると怪我をするので、怪我には気を付けてトレーニングして行こうと思います。ウエイトトレーニングも柔軟体操も嘘をつきません。嘘をつきませんと言うより、嘘をつく事が出来ません。努力をしていないと出来ないので、その場で上手くとりつくる事は出来ません。まあ基本稽古や型だって自分で稽古していなければ出来なくなりますし、下手になりますし、酷い場合は型を忘れて間違う事になるので、見る人が見れば分かりますが、それ以上にスタミナや柔軟体操や筋力は努力していない事が顕著に現れてしまいます。空手の先生だって、この人は努力をしていないなと生徒にすぐバレてしまいます。そうならないよう私は努力して行きたいと思っています。私が好きな言葉で座右の銘にしている言葉があります。武者小路実篤の言葉です。「才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。」努力しない事が原因で負ける事や、努力しない事が原因で出来ないと言う事は、今自分が頑張って学んでいる事や修行している事に対して、コツコツ努力をする誠実さや、コツコツ努力する勉強(無理にでも努力して励むこと。学んでいる事に精を出すこと。)さや、コツコツ努力する熱心さや、コツコツ努力する精神力が足りないと言う事で、それは人間として、とても恥ずかしい事だ。と言う、とてもとても厳しい言葉です。私には才能が無いと認めた時に、この言葉を胸に頑張ろうと思った言葉です。もちろん私は普通の人よりは才能はあります。でも全日本チャンピオンになる、世界チャンピオンになるという志を持った人間と比べると、才能が足りません。それは仕方の無い事です。でもその夢を諦める事が出来ないから、その言葉を胸に頑張りました。今もこの言葉を胸に頑張っています。


2024年04月18日(木) 命日

今日は私の師匠である廣重毅師範の命日でした。私は4人の先生の元で修行をしましたが、1番指導を受けたのは廣重師範ですし、自分の人生観や空手観と言う物を与えてくれたのは廣重師範ですし、私の今があるのは廣重師範のおかげだと思っています。廣重師範には本当に本当に感謝しています。師範の厳しい顔も優しい顔も目を瞑ればハッキリと頭に浮かびます。私の中で廣重師範は生きています。師範に教えていただいた事を道場生に伝えて行きます。


2024年04月17日(水) 何故、強くなりたいの?

私は何故、強くなりたいのか?武道とは何なのか?何を目指しているのか?と言う事を書いて見たいと思います。何故、強くなりたいのか?最初は喧嘩が強くなりたかったからです。純粋に強い人がカッコよく見えたからです。強くなれば自分も自分の大切な人も助ける事が出来る、自分が弱いために人に屈伏したくない、負ける事が1番の屈辱だったからです。強くなれば人に屈伏したり、負ける屈辱を味合わなくてすむと考えたからです。私の中の最大の価値観は強い事でしたので、人間の価値は強さで決まるとさえ思っていました。だから自分も強くなりたいと思いました。今も基本的な考えは変わりませんが、少しは社会人として変化しました。私が今、求めている強さは肉体的な強さ、技術的な強さ、精神的な強さ、人間的な強さです。じゃあそれは何かと言ったら、あらゆる困難や恐怖に打ち克つ強さです。人から受けるストレス、社会から受けるストレス、金銭的なストレス、自分の思い通りにならないストレス、大切な何かを失う恐怖、死に対する恐怖、あらゆるストレスという困難や恐怖に打ち克つ人間になるために自分を鍛えています。自分の身体を酷使して鍛える事で自分の弱さと向かい合い、本当の自分を常に見つめて行く事で、自分の心や精神や魂も研ぎ澄まされて行きます。武道とはあらゆる恐怖や困難に打ち克つ心を身に付けるために、自分の身体を鍛えて、自分の技を磨き、自分の心を正して行くものだと思います。そして自分を高めて行くものだと思います。この世で頂いた身体と命を死ぬ瞬間まで高めて行きたいと思っています。そして死ぬ時までに死の恐怖を克服し、死を受けいれられる人間に成長していたいと思っています。それが私が今、求めている強さです。


2024年04月16日(火) 新しい感覚を身に付ける

7年前の今日、国際親善大会のマスターズクラスで準優勝しました。44歳でした。それがフルコンの最後の試合です。その頃までは身体は絶好調でした。そこから7年、膝の手術、脊柱菅狭窄症、アキレス腱の手術、股関節の人工股関節の手術、突発性難聴と、紆余曲折ありましたが、今は左の上段回し蹴りをバシバシ当てる事が出来るまでになりました。しかも若い頃とは違う新しい感覚で左の上段回し蹴りを正確に相手に当てる事が出来ます。51歳で新しい感覚を身に付ける事が出来るなんて本当に人生は面白いです。継続は力なりです。


2024年04月15日(月) 筋肉

長男が私に「けっこう筋肉付いてきたでしょ!」と筋肉自慢をしてくるようになりました。週1ぐらいの感じで、私に筋肉を見せてきます。やっぱり男子は筋肉好きだよな!と思います。男だったら強くなりたい!筋肉を付けたい!カッコイイ身体になりたい!と言う願望は少なからずでも必ずやあると思います。強い人は声を大にしては言わないけれど、強い事や力がある事や筋肉がある事で人生得する事ってけっこういっぱいあります。けっこうどころか、かなりあると私は思います。右に倣えで生きるより人がやらない事や人が出来ない事がもし自分に出来るのならば、そこを頑張ってみるのも1つの手だと思います。私は皆が受験勉強している時に水泳を頑張ったから特待生で高校にも行けましたし、皆が就職して働いている時に空手を頑張ったから今こうして空手でご飯を食べる事が出来ていています。ちょっと強引かもしれませんが、筋肉も鍛えて見れば得する事はたくさんありますと言う話です。筋肉に興味がある人は騙されたと思って頑張って見て下さい。いつかその意味がわかる日が必ず来ます。


2024年04月14日(日) ROOKIES

「ROOKIES」を全話見終わりました。不良と言うものを肯定してはいけないと思いますし、美化し過ぎてはいけないと思います。人生はやり直す事は出来ませんし、やってしまった事はなくなる事はありません。取り返しがつかないのが人生です。でも取り返しがつかなくても、ケジメを付けたり、罪を償う事は出来ます。そして自分を変える事も出来ます。夢や目標は人を変えてくれます。夢や目標は人生を輝かせてくれます。夢や目標は毎日をドキドキするぐらい楽しくさせてくれます。子供達にそんな事を話しながらこの作品を見ました。そして子供達に夢や目標を与え、礼儀や挨拶や、人として素晴らしい生き方を教えるのが先生と言う仕事だと思っています。素晴らしい先生とは生徒達と一緒に汗を流し一緒に笑い一緒に泣いてあげることも出来る人だと思います。そう考えると川藤先生という先生は限りなく理想に近い先生だと思います。


2024年04月13日(土) 野球

最近、子供達と野球をよく見ています。この年齢になって、今まで好きじゃなかった物を好きになるなんて思ってもいませんでした。野球がこんなに面白かったなんてって感じです。応援している球団は巨人です。私の父も巨人が好きでした。なんで父が野球を見ていた時に一緒に好きになれなかったのだろうと思います。父には申し訳ないなと思います。子供のためになら好きじゃなかったものでも好きになれるのが親と言うものなのかもしれません。秋広、菅野、岡本、坂本、小林、少しずつ選手も覚えています。今度、実家に帰ったら父と一緒にビールを飲みながら野球観戦したいと思います。


2024年04月12日(金) 強いものが好き

昨日の日記で好きな物を書きましたが、1つ忘れていたものがありました。子供の頃、私は大相撲が好きでした。家族で大相撲を必ず見ていました。好きだった力士は千代の富士、若島津、北天佑、北勝海、双羽黒、朝潮、でした。特に千代の富士対若島津、千代の富士対北天佑などは声を出して応援して見ていました。子供心にこれは自分達とは違う世界で行われているもの、選ばれた者だけができるものとして捉えていたと思います。ボクシングとかも好きでしたが、何故かあれはやろう思えばいつでも出来ると思っていましたし、やればあのぐらいにはなれそうだなと思っていました。たぶんプロボクサーは見た目も周りの大人と変わらないし、もっと言えば周りの大人より小さいし、子供同士の喧嘩で同じような事はしていたので、勝手なやれると思ったんだと思います。プロレスラーや力士とは身体や見た目が違うので人を超えた神々しい存在に見えたんだと思います。ジャイアント馬場さんを目の前で見た時は本当に大きくて神話の中の人に見えました。でもその後、マイク・タイソンを見て自分の価値観がひっくり返る事になります。ちなみに今でも全盛期のマイク・タイソンは最強にもっとも近かったと思っています。


2024年04月11日(木) 強いものが好き

子供と言うものは好きな物がどんどん変わって行くものです。もちろん私も子供の頃は好きな物が変わりました。でもその中で、一貫していた事もあります。それは戦うもの強いものが好きだったと言う事でした。ウルトラマン、仮面ライダー、ブルース・リー、スター・ウォーズ、ジャッキー・チェン、プロレス、ボクシング、空手、マンガもキン肉マン、リングにかけろ、北斗の拳、あしたのジョー、など戦うものが好きでした。その中でも初めてプロレスを観に行った事は衝撃でした。全日本プロレスでは、ザ・ロード・ウォリアーズ、ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、ジャンボ鶴田、新日本プロレスでは、アンドレ・ザ・ジャイアント、アントニオ猪木、前田日明を間近で見て、テレビの中ではなく、この人達は実在していて本当に強い、自分もこんなふうに強くなりたいと心から思いました。でも私は身長が小さかったのでプロレスラーにはなれません。自分の身長で大きい人や外国人と戦えるのが極真空手でした。その夢も半分は叶い、自分より大きい190センチの人との試合に勝ったり、自分より体重が重い100キロ以上ある選手に勝つ事が出来たり、外国人選手と試合をして勝ったりする事が出来ました。おまけにロシアまで試合に行く事も出来ました。心の中はロッキー4でした。自分の試合でもプロレス的な試合が好きです。お互いに良い技を入れあって真っ向から殴り合うみたいなお互いの力をフルで出し合い受け合う、まさしくどっちが強いか?みたいな試合が印象に残っています。私のベストバウトはやはり野地竜太戦と住谷統戦と沢田秀男戦と小沼隆一戦と清水健吾戦と松本勇三戦です。今でも強くなりたい気持ちがありますし、強いものが好きです。


2024年04月10日(水) 桜が

桜が散り始めています。卒業式が終わり、入学式もほぼほぼ終わって、新しい生活が始まっています。春が過ぎればゴールデンウィークがあり、そこから一気に夏に向かって行きます。気を抜いていたら時間にどんどん流されて行ってしまいます。気が付いたら時間だけが過ぎていたなんていうのは私はゴメンです。しっかりと計画を立て自分の足で前に進んで行きたいと思います。道場も今、とても良い流れになっているように感じます。この勢いを止めないよう私自身も頑張って行こうと思います。


2024年04月09日(火) 健康状態

今日も病院をハシゴして左耳の突発性難聴の治療をしました。んーなかなか良くならないもんですねー!と言うのが今の感想です。もうだいぶ長く薬も飲んでいますし、点滴も4日間終わりました。今現在は目眩も少しあり、耳鳴りも治らず、左耳の聴こえも悪い状態は変わりません。このあと高気圧酸素治療をしますが、とても高額で時間がかかります。週に2〜3回やって10以上はやって欲しいと言われたのですが、それだと治療費が月に10万以上になってしまいますし、1回の治療に行くのに何やかんやで3時間は取られてしまいます。そんなに時間を取る事は難しいです。なので取り敢えず高気圧酸素治療を1回やって聴力検査をして効果を見て、あまり効果がなければ高気圧酸素治療は止めたいと思います。そんなにお金と時間をかけてまで治さなくては行けないほどの事とは私には思えません。ただやはり聴力よりも耳鳴りと目眩は治したいと思うので、その事を今後相談して行きたいと思っています。今回の治療で点滴を受けるために血液検査をしました。血糖値や尿酸値は良かったのですが、少しコレステロールが高く出てしまいました。健康のために左耳よりこちらを早急に改善しなければと思います。やはり少し太り過ぎかなと思います。でも体調は凄く良いです。柔軟体操をしていてもとても良いし、スパーリングやミットやシャドーなんかをやっていても身体は軽く感じています。でもやはり体重は減らしたいと思います。妻にも「毎日、卵食べすぎだよ!あんなに卵ばっかり食べてたら、コレステロール高くなるの当たり前じゃん。」と言われてしまいました。食物も気を付けたいと思います。


2024年04月08日(月) 妻の誕生日

4月8日は妻の誕生日です。4月8日はお釈迦様の誕生日でもあるのですが、お釈迦様には申し訳ありませんが、4月8日は妻がこの世に生まれたと言う事が、私にとってはとてもとても大切な事です。妻がこの世に生まれなければ、長男にも次男にも会えなかったのですから、妻がこの世に誕生した日は私にとって尊い日です。妻と出会って約20年で、一緒に誕生日を祝うようになって17回目となりました。妻には尊敬と感謝の気持ちしかありません。押忍の精神には忍耐の気持ちが足りませんが、私は妻といて忍耐などと言う気持になった事はありません。申し訳ないとは思いますが、忍耐の方は妻が受け持ってくれていると思います。私はなかなか頑固で人見知りで融通の効かない人間なので、妻はかなりストレスもあるんだろうなと思います。妻の笑顔があれば、どんな事も頑張れると思っているので、いつまでも隣りにいて笑っていて欲しいと思っています。


2024年04月07日(日) 妻の誕生日

今日は朝早く起きて大森道場へ行き、1時間しっかりと柔軟体操をして身体と心をしっかりと温めてから個人レッスンを5回5時間30分行いました。生徒達と一緒に身体を動かして指導出来る喜びを感じながら、その道場生に必要な事や教え方を、自分の今までの経験と知識をフル活動させてその方法を導き出して指導しました。道場生も頑張ってくれたおかげで良い指導が出来ました。生徒達も普段の稽古より大きく前進したと思います。その後は六本木に移動して妻の誕生日会をトニー・ローマと言うお店で行いました。家族が美味しいと喜んで食べている姿を見るのが私の幸せです。だからこれは自分のためにやっていることでもあります。妻は私の身体や道場の経営や仕事が大変な状態なのが分かっているので、「今回の誕生日は家で何か食べよう」と妻から言われました。でもやっぱりここは大切にしたいし、ここを大切に出来ないなら、いったい僕は何のために頑張っているんだと思い、やはりお店で妻のお祝いをする事に決めました。そして妻と出会った頃に一緒に食事をした六本木のトニー・ローマを選びました。妻と出会ってから20年後に家族4人でこのお店で食事を出来た事は私にとってとても大切な事でした。妻と初めて出会った場所も通り、そこで子供達に「パパとママはここで初めて会ったんだよ!」と教えました。六本木から東京タワーを見ながら赤羽橋駅まで歩きました。そこから大江戸線で大門まで行きました。ちょうど浜松町駅のところで次男に「スキビティトイレがね!」と話しかけられた時に、次男の顔がとても可愛くて、今という瞬間があった事に心から感謝しました。その時にこの幸せな瞬間があったという事は、今までの自分の人生は本当に本当にこれで良かったんだな!と思いました。言葉では分かっていた事ですが、感覚としてその事を味わう事が出来ました。本当に幸せな瞬間でした。私は妻と子供達のおかげで本当に本当に楽しい時間を過ごす事が出来ています。本当に本当に感謝しています。


2024年04月06日(土) 自分の命と身体

自分の命と身体を大切にしたいと思います。でもしっかりと使い切りたいと思っています。この世を去る時にはもうヘトヘトに疲れていて、もう十分生きた、もう休みたいと思えるようになっていたいです。身体もボロボロでこれは人生で自分の身体をしっかりと使い切りましたね。と言われるようになっていたいです。何故、この命と身体を大切にしなければ行けないと思ったかと言うと、たくさんの生物やたくさんの偶然やたくさんの人達にこの命と身体を繋いで頂きました。1番は私の両親が私を生んでくれ私を大切に育ててくれました。自分の命と身体を大切に使い切らなければ、私に命と身体を繋いでくれた方々や、偶然なのか運命なのか奇跡なのか分かりませんが、私が生まれるまでに起きた出来事や、私を命と身体を何よりも大切に思って育ててくれた両親に申し訳が立ちません。だから私は私を大切にしたいと思います。そのうえで私は私よりも大切な人が3人います。それは妻と長男と次男です。生まれて初めて自分より大切なものをこの世で見つけました。本当に本当に幸せな事です。たぶん私が子供達を思うように父と母も私の事を思ってくれていたんだろうと思います。私が父と母に1番感謝している事は私が何度道を踏み外そうと私を見守ってくれ、私に立ち直るチャンスをくれ、私を助けてくれました。本当に本当に感謝しています。私は父と母の子供に生まれなければ、社会からこぼれ落ちた存在で一生を終えてしまったかもしれません。私がどうしようもない時に、母に言われた言葉があります。その言葉は自分の子供可愛さ故にだいぶ私を間違って捉えていた言葉ではありますが、その言葉が私を支えてくれたかもしれません。母は私が誰に何と否定されようと酷い言葉を言われようと「この子は優しい子です。」と言ってくれました。私もその時はすぐには立ち直れませんでしたが、その言葉はずっと心の中に残り、そうあらなければ母を悲しませる。と思いそうするように心がけるようになりました。私も子供達にそうありたいと思っています。


2024年04月05日(金) 突発性難聴の治療

左耳の突発性難聴の治療が続いています。2回目の薬を飲み終わり、病院で聴力検査をしましたが、改善されません。耳鳴りも変わらず、目眩は少し良くなった気がします。今日から点滴治療が始まりました。本日から金・土・月・火と4回行います。高気圧酸素治療も行う事になりました。それでどのぐらいの効果があるのかは分かりませんが、やれる事はやって見たいと思っています。高気圧酸素治療は1回の治療が高額なのと時間が2時間ぐらいかかるのでなかなか大変です。そんなに何回もは出来ないかな?と思っています。まあでも左耳の聴こえが悪いぐらい死ぬ訳ではないですし、集中していれば耳鳴りも気になりませんし、目眩も集中している時はあまり気になりませんので、ある程度治療したら、その先をどうするかは、また改めて考えようと思います。


2024年04月04日(木) 最高に幸せ

今日は「呪術廻戦」の26巻と「チェンソーマン」の17巻が発売されました。好きなマンガの2位と3位の作品の新刊が同時に発売されるなんて最高に幸せです。今日は足のトレーニングをしました。レッグエクステンションもレッグカールもヒップアブダクションも全て回数が上がりました。もちろん20代の頃に上げていた記録には程遠いですし、その頃より伸びは遅いですが、少しでも自分が前に進めている実感はあります。心も身体も20代の頃よりは弱くなったぶん優しく穏やかになっていると思います。人間としては自分が肉体的に絶頂だった頃より成長していると思っています。あと少しで波平さんの歳になりますが、その頃も元気に子供達を「馬鹿もーん!」と怒鳴っていたいと思います。


2024年04月03日(水) 親離れ

次男と一緒にいるとずっと話しかけて来てくれるのでとても楽です。学校での話やゲームの話やアニメの話などいろいろ話してくれます。次男はまだ私にも妻にも甘えてくるのでとても可愛いです。長男はもうあまり私には話しかけて来なくなって来ました。でもどこかに行こうと誘えば一緒に行ってくれる時もあるので心は通じていると思っています。長男は妻には甘えたりするようですが、反抗もするようになりました。自分の方が背が高くなり力が強くなった事で、妻が何か強く言うと、反抗します。力で来るなら来てみろと言う感じなのだと思います。1度長男が妻に力で抵抗したと妻から聞いたので、長男を呼んで「お前が正しかろうが、弥生ちゃんが悪かろうが、もし手を出したら、お前を絶対に許さない。」と話しました。どうやらその後はそんな事はないようです。長男もたぶんあと少しで親離れします。家を出て一人暮らしをしたいなんて言うかもしれません。今は4人揃って家族なので、1人欠けただけで、とんでもなく寂しい気持になります。そんな日もそう遠くないと覚悟はしておきたいと思っています。


2024年04月02日(火) 子供達との時間

今日は長男と次男と3人で多摩川の土手をサイクリングがてらお花見に行きました。まだ土手の桜は残念ながらあまり咲いていませんでした。多摩川浅間神社まで行き参拝しました。この神社は長男が3歳の時に妻が体調を崩した時に長男を自転車に乗せてサイクリングした時に見つけました。そのあと「シン・ゴジラ」のタバ作戦の場所にもなり、毎年恒例のように多摩川浅間神社に来るようになりました。この神社にたけくらべと言う石碑があり、身長を計ることが出来ます。始めてきた時は上から書いてある「たけくらべ」の字の「べ」にもみたないほど小さかった長男が、今は「た」の下の方まで来ていました。長男の身長は165センチあります。中1でその身長だから、このまましっかりと運動してご飯を食べて正しく成長していけば、私の172センチの身長はあと2〜3年で追い越されることでしょう。長男がたけくらべの石碑の前に立った時に長男が小さかった頃の事を思い出し、ちょっと泣きそうになりました。でも泣くと長男と次男にうざがられるので我慢しました。私にとっては、2人は何よりも大切な可愛い子です。まだ長男もたまには私と行動してくれます。でももうあと何年の事だと思うので、子供達との時間は大切にしなければ行けないと思います。


2024年04月01日(月) 季節

4月ですね。道場に行く途中に桜が咲いているのを見ました。「あ〜もう桜が咲く季節か〜?」と思いました。1年の3分の1が終わり、新しい年度が始まりました。卒業や入学や入社や転勤や転職や引越などなど、人がいろいろな場所へ移動して行く時期です。なかには何かに区切りを付けたり、何かを諦めたり、一念発起して何かを始めたり、いろいろな決断をする時期であったりもします。そのためもあり出会いと別れが多い時期となります。出会いの時も別れの時も笑顔でいたいと思っています。別れの寂しさに負けないで素晴らしい出会いに胸をときめかせて毎日を過ごしたいと思います。


kanno

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